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12月31日 晴れ

「山登り行こうか?」
2005年の12月31日大晦日。年越しの仕度でみんなが慌しい家の中で只一人のん気な私は隊長に声を掛けた。言われた隊長の方が「え、いいの?お母さんに怒られない?」と言うような顔をして驚いていた。
「良いのさ、今日辺りにバタバタやっている方がいけないのさ。今日で一年が終わるんだよ、残りの一日は気持ちのいい事をしなくちゃね。」そう言って古賀志山に誘い出したのである。
しかし私もそうそうのん気ばかりではない、これでも少しは考えている。古賀志山なら2時間半あれば十分。隊長が朝のアニメを見てからゆっくり出掛けても昼までには帰れる。昼過ぎまで寝ている次女や長男より余程マシな事なのである。きっと山登りから帰っても奴らはまだ寝ている筈である。
思い起こせばぺんぎん隊が初めての登山をしたのがここ古賀志山だった。いやいや、確か最初の題名は「古賀志山ハイキング」だった。登山ではなくハイキング、2003年9月のことである。
「東稜見晴し」から望む日光連山から高原山へと連なる県北の山々。目を転じれば宇都宮市が一望出来る絶好の見晴しが山登りの楽しさを教えてくれたものだった。息を切らせ汗を拭きながら漸く辿り着いた「東稜見晴し」の感動が古賀志山山頂への登頂を我々に忘れさせたのだった。そう、山頂に登っていないのである。「東稜見晴し」から山頂まで5分と掛からないというのに・・・
冬の山の空気が久しぶりに身体を包む。山を歩くということ、毎日仕事で身体を動かしてはいるが、わざわざ運動をしたくなるほどに運動の種類が全く違う。身体を動かす動作であれ「労働」と「運動」は全く違うものである。いや、筋肉を動かし汗をかく事でならば両者は同じかも知れない。しかし精神的に全く異なる状態が終了後の充実感と心地よい疲れ、癒しの効果をもたらすのである。
仕事が忙しければ忙しいほど、山から遠ざかれば遠ざかるほど山に行きたくなるという事がそれを証明している。それは欲しいのに手に入らない、行きたいのに行けない無い物ねだりの気持ちと似ているのだろうか・・・

「今日は僕休まないからね!」そう言って歩き出した隊長。いつもよりペース早く順調に歩いている。それもその筈、まだ道は舗装路、まっ平らなのだから。
北登山道に入る板張りの橋にゴトゴトと二人の靴音が響く。右手に小広い空間が広がり誰かが焚き火をした様な跡が残っている。物好きな奴らもいるものだ、こんな何も無い所で焚き火とは・・・。
ふと見上げた先に「山火事注意」の赤い横断幕が掛かっている。思わず笑ってしまった。まあ、ゴミ一つ残らぬ焚き火の跡を見ればマナーの良い奴らなのだろう。
そう言えば今回の登山で感心したことがあった。古賀志山にはゴミが落ちていないという事。登山道の左右、山頂の木立に「ゴミは持ち帰りましょう」と地元小学校の生徒が手書きしたポスターが貼ってある。地元の人々が大切に見守っている山は綺麗だ。
北登山道も10分程歩くと勾配を増して冬の冷たい空気の中でも結構汗ばんで来る。両側を切り立った岩肌に挟まれた石混じりの歩き難い急坂を登り切ると富士見峠へと這い上がる。富士見峠からは尾根筋をトレースする歩きである。木立の間から差し込む陽射しが暖かく気持ちの良い快適な歩きである。山頂に向かう最後の急勾配を鎖に頼りながら登り切ると左が東稜見晴らし台、右が山頂である。
今回は最初に山頂を目指した。そう、忘れないうちに山頂に登っておこうという作戦である。三角点に手をつき山頂制覇を体感する隊長。2003年に登り忘れた古賀志山の山頂(583m)に立った。山麓から見えるキノコの様な形の鉄塔を間近に見上げる。ここに来るまでに2年3ヶ月かかった。岩魚釣りの釣り屋が登山者の解放的な明るい挨拶に感動したあの日から・・・。
山頂を後に東稜見晴らし台へと下る。登山者が次から次に訪れて来る。大晦日でも暇な人は結構いるものである。今日も雲は高く最高の展望だ。しばし隊長と周囲を眺めて時間を過ごす。
下山は一気に、ぺんぎん隊は帰りが早い。登り1時間、下り30分。手軽な山でありながら満足出来る、それが古賀志山である。
今日の登山は一つ一つ登った山を思い出しながら歩いて来た。隊長と歩いた山々を思いながら歩いた。そして隊長が逞しくなればなるほど楽しみが増し、これからの山を想像する私だった。そう、自分の体力を振り返らず馬鹿でのん気な夢を見ているのである。
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