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11 新しい社会契約と社会主義
マルクス的社会主義は,唯物史観や剰余価値説などすでに批判したように,独断と偏見にもとづいており科学の名に値しない。「社会主義」自体は,人間の選択可能な一つの価値判断である。社会主義は科学的でなければならないが,価値判断である以上は,決して科学ではない。社会主義は一つの理想である。人類にとって実現されるべき理想である。それは人類共通の価値である人権(human
rights―人間の正義)と社会的公正の思想から必然的に帰結する理想である。
しかし近代における人権は,個人(とりわけブルジョア)の利己心から生じ,平等は形式的なものにすぎなかった。資本主義は,自由競争と労働者を犠牲にした飽くなき利潤の追求によって発展した。そこに多くの社会問題や西洋の世界支配が引き起こされ,経済的不平等は拡大した。これは形を変えて現在も続いている。そして社会問題を解決するために,労働者を主体にして経済的平等と人間の解放を求める社会主義運動が起こされた。
今や有限な地球にあって市場の行き過ぎを統制するための理念は,弱肉強食の競争原理ではありえない。人類的な課題を解決するために,諸個人の人間的自覚と社会的連帯が求められている。社会主義は,種々のイデオロギーをもつが,これらの課題を人類の社会的連帯によって解決するために,将来においても有効性をもっている。
社会主義は,「科学的法則」として独善的に決定されるのでなく,多くの人々の英知を集めた人類共存のための「実現すべき理想」とされなければならない。社会主義とは,社会正義を実現する運動であり,人間性に根ざす道徳的社会の実現を目ざす運動である。そしてこの事業は,理想を理想として自覚すること,すなわち西洋的な理想(思想)が,人間の認識や価値判断の結果であるにもかかわらず,あたかも神から与えられた絶対的真理であるかのような思考様式を克服することから出発しなければならないのである。
新しい社会契約は、西洋近代の合理主義的思想が生み出したような、人間に先天的に備わり、(神ないし天によって)与えられたものとして、既定のものとしての人権(human
rights)や、カントの考えるような道徳的法則に基づく社会契約、または歴史の必然から革命的に訪れる理想社会なのではなく、人間の社会的自覚に基づく社会契約となるだろう。また多数決によって定められる法(契約)は、人間の主体的自覚と参加によって成立するものでなければならない。意見の違いや利害の対立は、「公正と社会正義」を基準として公開の議論によって調整されねばならない。しかし意見の違いや利害の対立は不可避であり、全員合意の約束ばかりではない。ロールズは、この場合の「正義」を、格差原理──最も恵まれた条件が許されるのは、最も恵まれない人の利益にならねばならない──に求めた。 相互不信、相互の無理解が不必要な摩擦と不信を生む。独断と独裁は最も避けなければならない。人間の知識や判断能力には限界があるからである。功利主義と福祉国家の理念には主体的参加の哲学が欠如している。その名称にこだわる必要はないが、社会主義は社会的自覚と参加、そして社会的公正と正義を哲学としてもつがゆえに、未来においても存在意義をもつのである。