今年6月、大倉先生が召されるという寂しいこと
がありました。全てを受け入れるというのは難しい思いもありますが、先生から
教えていただいた真実は今も生き続けています。
特に心に残っているのは、5月にお見舞いに行った時のことです。10日以上
何も食べていない状態で、ずいぶん痩せておられ、腕のあちらこちらに点滴の注
射の後が痛々しく紫になっておられました。人の目から見ると非常に厳しい状態
に思えました。少しお話したら失礼しようと思っていましたが、先生はベッドを
起こして私をにこやかに迎えてくれました。『お母様の様子はいかがですか?ご
主人様はいかがですか?』と先生の状態の方がはるかに大変にもかかわらず、と
ても心配して下さいました。そして私の話をとても親身に聞いて下さいました。
それから教会のこと、福音の話になると止まらなくなり、そこが病室であること
を忘れてしまうほど、教会で力強くメッセージをされている時と何ら変わりはな
いお姿でした。お話の中で『何日も食べてない状態が続いているので頭が働かな
いんです。お腹はすくのですが、食べたら危険だというので食べられないんで
す。本当に辛いです。でもこの苦しい経験がこれから先、私3日も何も食べてな
いんです、と言って教会に来られた方がいたら、私も食べられないことがありま
したと、その方の気持ちが分かるかと思って。』と微笑みながら話して下さいま
した。自分を保つだけでも大変な状態の中、これから先に出会うかもしれない苦
しみの中にある方のことをも心配し、愛を持って祈っておられる様に感じまし
た。そしてその祈りは時をも超えているな、と。
『神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうし
て、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中に
いる人をも慰めることができるのです。』コリントU1:4このみことばを、実
際に目で見ている様でした。絶望の中にある時、たとえ見ず知らずの人であって
も、神様の愛を持って心から慰めてくれる人に出会えたら、絶望は光、希望へと
変えられていくことを信じます。
今の世の中は物質的、技術的には非常に豊かですが、その背後には悲しみ、痛
みの中で絶望しながら生きておられる方が数えきれないほどいることを思わされ
ます。その現実を自分の力ではどうすることも出来ない思いですが、『自分自身
が神様から受ける慰めによって』というみことばを持って祈ることは出来ると思
わされました。私は本当に弱い者で、正直なところ 試練 悲しみ
苦しみは避けたいです。しかし目の前の試練を取り除こうとするのではなく、神のご計画の中に、困難な時も素直に神と共に歩むことを神様は望んでおられ
る。悲しみも絶望も、喜びも希望も神様が与えて下さるものであると思わされま
した。
『人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにするこ
とも、人によるのではないことを。』エレミヤ10:23
『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。』テサロニケT5:16-18
これからも先生から教わった真実を心に、祈りつつ
歩んで行きたいと思います。
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