【 過去からの活動 】 【 趣味 】

趣味ほか

栗原収の過去からの活動と趣味のコーナーです。

【 過去からの活動 】

■少女ドッジボール指導
山辺小女子児童へスポーツ
活動の場を創設しました。
■スポーツ指導員時代
資格を生かし生涯スポーツを推進しました。
■八幡宮夏祭り
担ぎ手から「天狗」となり伝統行事に参加しています。
■資源回収活動(山辺中学校)
リサイクル活動の一環として新たに立ち上げました。
■子ども達(エコクラブ) への指導
ボランティアの心を子ども達といっしょに学び、汗をかきました。
■災害復旧ボランティア
新潟県中越地震の復旧にボランティアとして参加しました。
■「あんしんの家」 の見直し点検
山辺地区では3年に一度設置箇所の見直しを実施しています。
■「防犯ステッカー」の立案
山辺地区から発信し、市内各地区へ広がりつつあります。

【 趣味 】

 ■わが青春の原付たち
 №1  №2    №3   №4
  ■わが青春のバイクたち
   
 №1  №2    №3   №4
  ■わが青春のバイクたちⅡ
 №1  №2    №3   №4

 ■わが青春の原付たち

バイアレスTL50

空冷4サイクルSOHC2バルブ単気筒

同じエンジンで CB50JX-1、XE50、CY50(ノーティーダックス)、
R&P などがあった(商売上手)。

このバイクは、忘れもしない初めて買った(1978年夏)バイク。
TL50は、トライアル入門用バイクとしてホンダがCB50系の
エンジンをディチューンして発表したもので、同じジャンルでは
ヤマハのTY50というバイクがあった。

当時、渡良瀬川の旧緑橋上流右岸にモトクロスの練習場があり、
そこにTL50を持ち込んでよく練習し、よく転んだ。
高く跳ぶジャンプや低く飛ぶジャンプ、カウンターなど自己流の
練習だったがトライアルバイクであったことなどお構いなしだった。

その練習場で佐野スズキのセールスマン(スズキが唯一製作した
トライアル車RL250、ハスラー250等所有)と知り合いになり、
モトクロスレースの合間に練習法を教えていただいた。

また、佐野の秋山川でトライアルの基礎練習(スタンディング、
ウィリー、ジャックナイフ等)なども教えていただいた
(叩き込まれた?)。

さらに当時最新鋭のGS750で赤城までのタンデムツーリング
に連れられ、コーナーのライン取りやブレーキングなど、
ビギナーであった私のライディング(オン・オフ)の先生であった
(感謝)。

結局、TL50は過酷な練習に耐えられず約2ヶ月でショックと
エンジンが不調になり乗り換えてしまった。

この流れで行けば次のバイクは、オフロード車となるところだが、
そこは多感な16歳、まったく関連性の無いバイクを乗り継ぐことに…。



OR50 マメタン

空冷2サイクルパワーリードバルブ単気筒

バイアレスの次のバイクに選んだが、同じエンジンを使用した
姉妹車にRG50とOM50ミニタンもあった。
70年代後半はミニバイクブームでRGのライバル車にホンダの
CB50,ヤマハのRD50があり、ミニタンのライバルには
ヤマハGT50ミニトレがあった。ほかにカフェレーサースタイルの
ヤマハGR50があったが、マメタンは唯一無二のまったく新しい
スタイルでどうしても欲しく1年落ちの中古を購入した。

当時はまだアメリカンという呼称が一般化されておらず、
イージーライダーよろしくチョッパースタイルで一世を風靡し
グッドデザイン賞を獲得したほどであった。

このバイクは、RG50のエンジンをディチューンした5.5psであったが、極端な後輪荷重のためいつでもどこでも簡単にウィリーだった。

シグナルスタートでウィリーせずに素早いスタートをすることが
難しく(いつも友人のミニトレに負けていた)アクセル&
クラッチワークのいい練習になった。
 
また、たいした知識も無いくせにキャブレターを分解し、
メインジェットをヤスリで細くするなど、気化器の勉強にもなったが、
結局のところはいいおもちゃであった。

 フロントキャリアとリアキャリアにたくさんの荷物をくくりつけ、
野宿ツーリングに何度も行った旅の似合う(勝手に思い込んでいた)
いいバイクだった。

中型免許取得まで乗り続けたが、最後は水戸の高校生に譲って
(仕入れ値より高く)その付き合いを終えた。

追記
この1年後にまたまたマメタン(OR50E)が私のところにやって来た。
友人が要らないからともらったもので、その車両はメーカー名は
忘れたが、ビックキャブにボアアップキット、そしてスガヤの
チャンバーが付いていて以前のマメタンとは大違いの
スーパーマメタンであったが、30kmプラスαで走行中エンジンが
焼き付き突然後輪がロック(死ぬかと思ったがとっさにクラッチを
切って助かった)約1ヶ月でおしゃかになってしまった。


CF50-Ⅱ シャリー

空冷4サイクルSOHC2バルブ単気筒 3.5ps 

云わずと知れたカブのエンジンを使用した女性用ミニバイク。

このエンジンで、カブ、ダックス、モンキー、ゴリラ、CD50などがあった。

私は、愛着を持って「魔法使いシャリー」と呼んでいたが、
このシャリーはひとつ上の従兄弟(女子高生)が車の免許を
取得したためお下がりとしてタダでいただいたもの。

当時GS400EとタダでいただいたホークⅡに乗っていたため
もっぱらお遣いや通学などのちょい乗りに使用していたが、
なんとこのシャリーはエンジンが70ccに載せかえられ、
シャコタンで絞りハンドル、極め付けにサイレンサー抜きの
良く響くマフラーだった。

なんとお茶目な女子高校生だったのか。

私は、自転車のかごをフロントに取り付けてお遣い仕様にしていたが、
あまりにも小さい車両と程よい騒音だったこともあり半年で、
後輩に引き取ってもらった(もちろんタダで)。


魔法使いシャリーの後釜として親父殿からいただいたバイクで、
もっぱらお遣いやバイトの足に使用していた。 

いわゆるカブスタイルのビジネス車。同系種にホンダカブ・ヤマハメイト
そしてスズキバーディーがあったが、圧倒的にカブがシュア争いで
リードしていた。

このバイクは、6Vのキック始動のみであったが、2サイクル
50ccだったためキックは軽く始動はいつも一発だった。
例によって給排気系をチューン。50ccスポーツバイクにタメを張れる
(制限速度の3倍くらいのスピードが出た)ほどの何ともお茶目な
ビジネスバイクに仕上げた。

コーナーでは、最初にレッグシールド、次にステップが地面に当たって
ガリガリうるさかったため、レッグシールドは金ノコで斜めにカット、
ステップは鉄パイプで斜めに曲げてコーナーリングを楽しんでいた。

私のバーディーは丸目のものであったが、当時の写真が
見つからなかったため後期タイプの角目のものをアップした。
確か2年ぐらい乗ったが、最期どうなったのか
唯一記憶に無いバイクである。

  ■わが青春のバイクたち

ホンダ ベンリイ CM125T

このバイクは、1979年(昭和54年)頃新車で購入したバイクで
当時流行り始めた和製アメリカンバイクであった。

この年の8月に自動二輪免許(中型)を取得した。
貧乏であったため教習所ではなく、当時の試験場(西川田)へ
原付バイクで通いなんと7回で合格した。
 確か当時の合格までの平均が10~12回であったから、
早いほうの合格であった(取得経費は交通費食費込みで
2万円以内だった)。

本当は、中型免許で乗れる上限の400CCのバイクが欲しかったが、
最初は小さいのからにしろとの親父殿の指導があり、仕方なく
親戚のバイクやから月賦でCM125Tを購入した。

この車両を選んだ最大の理由は、車格が大きかったから
だけである。私は180センチとガタイが良かった。

しかし、大きな車両を動かすのには所詮125CCではパワーが
足りなかった(12馬力)。 まっ 車両が大きい分乗車姿勢にも
余裕があり乗り心地は良かったが…

意外と低速トルクがありゆっくり走る分にはロングツーリングでも
友人の400CCに十分着いて行けたが、山道はつらかった
思いがある。

姉妹車種として同じエンジンを使った、スポーツモデルの
CB125TとビジネスモデルのCD125Tがあったと思う。

確かエンジンは空冷4ストロークSOHC直列2気筒360度クランクで
点火、爆発が交互で振動が極端に少なく、上級車種のCB250Tの
エンジン音に似ていた(唯一の自慢)。
また、当時のホンダお得意のFVQダンパーも装着されていた。

この車両は、パワー不足のため結局すぐに飽きてしまい、半年程度で
次のバイク(GS400E2)に乗り換えてしまった。


GS400E1 

空冷4サイクルDOHC2気筒180度クランクエンジン

さて、CM125Tの力不足を感じていた高2の冬、秘かに
次のバイクの物色を開始した。

1979年当時の中型二輪の人気車種は、ホンダではCB400F、
CB400T、CB400N カワサキではKH400、Z400FX、
Z250FT ヤマハではRD400、GX400 そしてスズキでは
GT380、GS400E  だった。

車種の絞込みにあたり色々検討したが、2サイクルエンジンを
選択すると GT380 か KH400 であったがともに友人が
すでに所有していた。

4サイクルエンジンで選択すると4気筒か2気筒に細分されるが、
4気筒のCB400F(生産中止で中古のみ)、Z400FX(最新鋭車)は
ともに高価なためとても手が出なかった。

そこで2気筒の中から選んだのが、それまで2輪においても
4輪においても2サイクルメーカーであったスズキ自動車が
社運をかけて開発した4サイクルエンジンで当時あまりの
完成度の高さから過剰品質エンジンといわれ、あの天下の
ポップ吉村氏が惚れ込んだGSシリーズの末弟「GS400E」を
選択することにした。

最後までGT380と迷ったが、当時稀少であったDOHCエンジンと
高いコーナーリング性能、そして星型キャストホイールが決め手となった。

宇都宮にある親戚のバイク屋にGS400Eの中古探しを依頼し、
新車購入したCM125Tを下取りに出し、8万円ぶちで購入した。

ダブルカムシャフトの丸いカムカバーをはじめ、美しいエンジンの
造形であったが、その特性は回した分だけパワーが出てくる
非常にフラットなパワー特性で操作性が高くレッドの9000回転まで
まったくストレスが無かった。

いろいろ改造したが写真のスタイルが最終形で、当時流行った
映画「マッド・マックス」に登場したバイク(Z1、CB750F)を
イメージしてドレスアップした(つもり)。

コミネのビキニカウル、スワローハンドル、Z2ショートミラー、
ダンロップTT100 などにバイト代のほとんどが消えていった。

走り込みはもっぱら、赤城有料道路(当時)、榛名山、草木ダムで
1日中飽きもせず練習していた。

GS400Eは20歳まで乗り、事情により売却した。


CB400T(HAWK-Ⅱ)

空冷4ストローク直列2気筒SOHC360度クランク バランサー内蔵
強制開閉式2連CVキャブレター採用


1981年頃GS400Eと同時期に約半年間所有したバイク。
4輪免許取得のために通った教習所の教官からなんとただで
譲っていただいた。

CB400FOURの後継機種としてホンダが当時の持てる技術の
すべてを結集して、発表した超ショートストローク、SOHCにて
3バルブ(吸気ポート2、排気ポート1)CDI点火の超高回転型
エンジンだった。

エンジン以外にもコムスターホイール、FVQダンパー、
エンジンキー一体式ハンドルロック、2into1チャンバー、2マフラーの
排気システム、ダイヤモンドフレーム など 他社に無いホンダらしい
独創的な新システム。なぜかミッションは5速であったが誰でも
普通に速く走れるバイクだった。

同じエンジンを使ったスポーツタイプのCB400N(HAWK-Ⅲ)、
アメリカンタイプのCM400T そしてのちにSUPER HAWK-Ⅲが
あった。

外観は大柄な車体で、やかんタンクに座布団シート、アップハンドル、
弁当箱のようなテールランプ と、前機種のCB400FOURの
ヨーロピアンスタイルに比べかなり野暮ったかった(私のホークⅡは
後期の角タンク)。

GS400Eに比べると確かに早く(ゼロヨンなど)ウルトラスムース
だったが、スポーツを感じなかった。まるでスーパーカブがでかく
早くなったような…
確か異常にアクセル開度が大きく全開するのに途中で持ちかえる
ほどであった。今のように当時はハイスロが手に入らなかった。

したがって、スポーツ走行はもっぱらGS400Eで楽しみ、
ちょいのりにはホークⅡと使い分けていた。

約半年間の付き合いだったが、横浜の友人に引き取ってもらった。


Z400FX E1

空冷4サイクル直列4気筒DOHC(2バルブ)

輸出用のZ500FXと共通の大柄な車体であったがハイパワー
(当時クラストップの43ps)のお陰でそこそこ早いマシンだった
(当時のクラス最速はHAWK-Ⅲ)。

新車時のエンジンはまるで電気モーターのようにスムースで静か。
アクセルをあおると ヒュン ヒュン としていたが、カワサキ車特有の
タペット音とヘッドからのオイル滲みが個体差もあったが1回目の
車検あたりから出ていた。

このバイクが結婚前に購入した最後のバイクであったが、個人売買で
1983年夏に横浜の大学生から中古車を10万円で購入した。

軽トラックで横浜まで引き取りに行ったが、事前にいただいた写真と
実車の状態がぜんぜん違い、ボロボロの状態で一通りの状態に
するのに同じくらい部品代(約10万円)がかかった。

写真の状態は1987年頃の最終形の状態。一緒にいるのは
結婚2年目の妻であり、なかなか美しく仕上がっている
(もちろん両方とも)。

エンジンの腰上をオバーホール、キャブレターはより高回転仕様に
ジェット類を交換、GS400Eについていたスワローハンドルと
Z2ミラーを装着し、コミネのフロントフェンダーと輸出用のダブル
ディスクキットを装着、マックレーンのバックステップにRPMの集合管、
リアフェンダーレスにしていた。

結局、高校生時代の憧れだったFXは、平成元年1月に限定解除
するまでの約5年半乗り続けたが、その頃のZ400FX(特に初期型)は、
人気車種でかなりのプレミアムが付き、相当の高値で鳥取県の
大学生に売却した。

今の相場はさらに倍以上に跳ね上がり、高値で取引されている…

  ■わが青春のバイクたちⅡ

MVX250F

水冷2サイクルV型3気筒90度ピストンリードバルブ

実はこのバイクは2つ年下の弟が購入したものであるが、
乗る暇が無いとのことでZ400FX所有時に私のところに回ってきた。

№1、№3ピストンに対し№2ピストンを90度でバランスさせ、
理論上1次振動を低減させるといういかにもホンダらしい新技術の
エンジンだったが、なんか変な音が出るエンジンであった。

また、このエンジンは2サイクルらしく大量のオイル入り排気煙を
吐き出すため、ツーリングではいつもしんがりを走らせられた。
友人のGT380やKH400(両者とも2サイクル3気筒)よりも多い
排気煙を撒き散らしていたような記憶がある。

当時大人気のヤマハRZ250に対抗するためホンダがお得意の
4サイクル技術で世に送り出したVT250の物足りなさに対抗して、
負けず嫌いのホンダが開発した2サイクルバージョンとして
販売されたが、はっきりいってホンダの失敗作であろう。
 
そこそこ早かったが、やはり、デザイン、スピードともRZには
勝てなかったし、その後出てきたアルミフレーム、フルカウル、
45psのスズキRG250Γの陰に完全に隠れた短命モデル。
負けず嫌いのホンダは、すぐさま新鋭機NS250を世に送り出す。

結局、MVX250Fには約1年ほど乗って弟に返品した。


TZR250

水冷2サイクルケースリードバルブ並列2気筒

いわゆる「レーサーレプリカ」時代のバイクで、アルミのデルタボックス
フレームと前後17インチを採用した当時最速の2ストクォーター
(250ccバイクのこと)。

このバイクは、弟から預かっていたMVX250Fを返品し、
私のガレージに空きができたことを聞きつけた後輩から乗る暇が
無いのでたまに乗って欲しいと預かったもの。

当時の他のメーカーのレーサーレプリカは、前輪に16インチを
採用している事が多かったが、TZRは17インチでフォークに
アンチダイブ機構もない標準的な仕様で、今乗っても違和感が無い、
非常に乗りやすく完成度の高いバイク。

TZRに乗るとZ400FXがまるで化石のように感じるほど科学技術の
発展を感じ、加速、コーナーリングともまるで別世界で、同クラスの
RG250Γ、NSR250やKR250はもとより750クラスさえも軽く
カモれた。
このバイクはあまりにも簡単に誰にでも早く走れ、ライダーの腕が
上達したように感じるほどで、暴れるバイクを力でねじ伏せる感覚とは
程遠く、操る楽しさはFXには及ばなかった。


TLR200

空冷4サイクル単気筒SOHCエンジン

このバイクも友人からいらないバイクがあるので引き取って欲しいと
いわれ2諭吉(つまり2万円)でいただいたもの。

いただいた当時、Z400FX、TZR250がすでにガレージにあり
同時期に3台目の所有となった。

高校時代に所有したTL50以来のトライアルバイクであったが、
このマシーンは競技を強く意識して設計されたもの。

とてもスリムで軽量な車体とトルクフルなエンジンで低回転からの
トルクの立ち上がりがスムースな誰でもフロントアップができたが、
高回転ではすぐに頭打ちになった(当たり前か)ため、
ツーリングなどでは早めはやめのシフトアップが求められた。

渡良瀬川を練習会場に高校時代を思い出しトライアルごっこを
良くやったし、ウィリーで何メートル走れるかなどよく遊んだ。

ウィリーは2速でやったほうがその後のシフトアップも楽で、
30メートルくらいは軽く走れた楽しいバイクだった。

このバイクは、約1年間遊ばせてもらったが、我が家に次のバイクが
やってきたため個人売買で太田の方に格安で譲った。


XS650special

空冷4ストロークSOHC2バルブ360度クランクのバーチカルツイン

東京(世田谷)の友人から乗らないバイクがあるといわれ、
軽トラックで引き取りに行ったバイクであるが、この当時やたらと
乗らなくなったバイクをタダや格安で引き取って欲しいという話が
なぜか私のところに多く来た(類は友を呼ぶ?)。

イギリスのトライアンフを手本にしたといわれるエンジンでとても
フラットなトルクのエンジンであった。
5速に入れておけば低速から高速までギアチェンジしなくても
ドコドコ加速していくのんびり走るには適した味付けで、
キャブトンマフラーを装着している人が多くいたが私はノーマルで
楽しんだ。

シート及びテールランプ形状が異なり、スポークホイール装着の
前期型のほうがデザイン的には好きであったがタダでいただいた
ものなので贅沢はいえない。

OR50、CM125T 以来のアメリカンバイクであったが、
チョイ乗りばかりでツーリングには行った記憶が無い。

とてもシブくいいバイクであったが、当時の私の走りのタイプにあわず
次第に乗る時間が少なくなり、友人のバイク屋を通して売却した。



Copy Right Osamu Kurihara Since 2008