

美川小学校校歌 作詞 北村 喜八
作曲 飯田 信夫
一.北の荒磯に 手取川 注ぎて 波の立つあたり
松の緑に 囲まれて 学ぶ楽しき 我が母校
二.峰の白雪 朝夕に 仰ぐや 清き白山に
理想の夢を 育みて いざや磨かん 人の道
三.古き名もよし 本吉に 潮の響き 楽として
今日も元気に 友どちと いざや励まん 人の道
(2004/09/21)
007:夏が来れば思い出す第一弾:ビー球野球
夏の甲子園大会を意識して高校野球に喩えてビー球野球大会をした時
は本当に楽しかったな!麦わら帽子や野球帽、半ズボンにランニングシ
ャツ。ちょっぴり汗臭い子供達の夏の匂い、松の木の木陰で連日繰り広
げられる熱闘ビー球野球。ビー球野球場の側には子供達のプールの着替
えバックが置いてあり、肝油ドロップの空缶にビー球を入れている子が
多かったです。
ビー球5、6個だけで、これだけ楽しい時間と楽しかった思い出を提
供してくれたビー球野球!このゲームを最初に考えた先輩やこの遊びを
ずっと伝えた続けた先輩達に感謝します。またこの遊びに出会えたこと
今でも本当に嬉しく思います。
昭和後半を代表する美川小学校独自の遊びではないかと思います。そ
の影には校庭に穴を開けてはいけないという先生の注意など、うわの空
で地面に穴を掘りビー球野球場を作り続けたガキ大将と学校側との攻防
も忘れてはいけないことかもしれません。(学校の先生の云うことをただ
ハイハイと素直に受入れることが果たして良いことかどうか今になって
も判断が着きません。美川校下のことを良くご存知でない先生の云うこ
とに従うと美川の独自性なくなるのでは? ビー球野球の伝統が途切れ
たのも児童が穴を掘れなくなったからではと予想します。)
おかえり君の時代には、二宮金次郎の像が今の校舎と運動場の間にあ
り、そのプール側のビー球野球場が一番強者が集まる場所でした。近年
はビー球野球場のあとはアスファルトになっており、美川小学生はもう
ビー球野球などはしないのでしょう。と思うと何故か寂しい気持ちにも
なりました。↓標準的なビー球野球場はこんな感じでした。

恐らく昭和39〜40年頃の美川小学校の高学年の在校生によって創作さ
れたであろうと思われる遊びで、昭和60年頃までは確実に美川小学校の
後輩達に受け継がれていたロングヒットした遊びです。
地面に野球盤に似た穴を掘り、守備側のピッチャーはセンターからホ
ームベースにビー球を転がすように投げて、バッターはアイスキャンデ
ーの棒を少し大きくしたような木の枝をバットにしてビー球を打ち返し
内野にビー球が停まると守備側からで、外野にビー球が停まると攻撃側
からイベントが交互に始まり各塁の穴にビー球を入れて行きホームベー
スの塁の穴まで来ればホームインとなり1点ゲットとなります。守備側は
野球と同じルールでホースアウトの時は先に穴にビー球を入れ、塁の穴
以外は守備用の穴です、この穴を利用して守備側は継続してイベントを
行うことが出来ます。タッチアウトの時はボールのビー球をランナーの
ビー球にぶつければアウトになります。野球盤以上に迫力と楽しさがあ
りました、夏になると夕方暗くなるまで皆夢中でビー球野球に没頭して
遊んでいました。
(以下補足:昭和40年頃の美川小学校を知る新犀星さんより)
ビー球野球はエポック社の野球盤をまねて屋外でできるようつくった
もので、最初は小さい野球場でしたが、段々と大きな野球場もできたり、
ダイヤモンドがただ線を引いてあったのを掘り込んだ線にしたのを覚え
ています。ホームランは二本の線で描いた間のゾーンに停まった場合で
ホームベースから見て手前の線でボールが止まると二塁打、奥の線で止
まると三塁打、その線を出るとアウトでした。美川の子供は町内対抗、
クラス対抗等、ソフトボールが盛んでしたから、そのあたりもこのゲー
ムができた原因のひとつだと思います。いつの時代も同じだと思います
が、このビー球野球に対しても冷めてやらない子もいました。
そして私の頃は何故か夏でも男子児童はほとんどが長ズボンでした。
また当時の先生方は寛大でビー球野球この穴を堀ることには何も言いま
せんでした。
(2004/07/04)
006:遊びの初心者:へのこっぱ
おかえり君が子供の頃なのでこれも1975年(昭和50年)頃です、鬼ごっ
こやかくれんぼ、そして缶けりなどの遊びが近所のガキ大将を中心に美
川校下のあちこちで行われていました。小学校の低学年の児童達は遊び
の中に入りたくて仕方がありません、しかしルールも良く判らない低学
年の児童を仲間に入れて鬼が低学年の児童になった場合に、ずっとその
子が鬼のままだったり、あるいは遊び自体に緊張感がなくなりつまらな
くなります。そこで考え出されたのが"へのこっぱ"制度なのでしょう。
近所のガキ大将が何々ちゃんと何々君は"へのこっぱ"と宣言すると"
へのこっぱ"の子は一番最初に捕まっても鬼にならなくてもいい訳です。
"へのこっぱ"ではない最初に捕まった子が鬼になります。繰り返し、繰
り返し参加することで遊びのルールを覚え色々と楽しむコツを覚えて行
きます。小学校2年生まで通常は"へのこっぱ"なのですが、小学校1年
生で卒業する子もいます、そんな子は概ね夏休みに行われていたソフト
ボール大会でも2,3年生でレギュラーで参加していたことを想い出し
ました、話しを戻します。
当時のガキ大将をやっていた連中は大人に指導を受ける訳でもなく自
然に伝統的な遊びを下級生に伝えるノウハウを身に付けていましたし、
面倒見も良かったです。上級生からお金の掛からない楽しい遊びを沢山
教えて頂いたあの頃、古き良き美川小学校時代。おかえり君はちょっぴ
り食パンに似た匂いがしたあの校舎に登校することが嫌になったなど一
度もありませんでした。
最近は小学生が外で鬼ごっこ、かくれんぼ、缶けりをしているのを見
かけことがありません。 時代なのでしょうか?
(2004/06/26)
005.「豆笛の音」(カラスのえんどう):祭りが近くなると聞こえる音
喇叭の音の他にもうひとつ、祭りの到来が近いことを知らせる音があ
りました。地元美川校下では当時「豆笛(まめぶえ)」と呼んでいました。
"さやえんどう"ではないのですが"さやえんどう"を小さくした形をして
います豆科の植物でしょう。ピーピー豆と呼ぶ地域もあるようです「ピ
ーピー」という音がするからでしょうか。
へたの方を真っ直ぐに切り取り中の豆を取り除いて、上唇と下唇に挟
んで吹きます。個人的には草笛よりも少し高い音がしたと記憶していま
す。自分も随分長い間「豆笛」を吹いていません。 おかえり君が子供の
頃には、5月の10日過ぎには美川小学生の児童は喜んで「豆笛」を吹いて
いました。外で遊んでいる子供達はほとんど吹き鳴らしていました。当
時は臺車の掃除を小学生も行っていたので、掃除しながら吹いている者
もいました。高学年は低学年に吹き易い太めのさやのものを選び鳴るよ
うに細工したものを手渡したものです、小さめのナイロンの袋に「豆笛」
のさやを沢山入れていた友達の姿が鮮明に目に浮かび上がってきます。
また「豆笛」はあちこちの草むらはえており、自分は臺車の格納庫の裏
やお旅所仮宮殿の横の草むらからよく取っていました。祭りが近づくと
高浜のお旅所で遊ぶ子が多くなり、何人もの子供がお旅所で「豆笛」を吹
いてうるさいくらいでした。今の美川小学生の児童は「豆笛」など鳴らす
のでしょうか?
(2004/05/13)
004.給食時間の思い出
給食時間が始まると"石鹸で手を洗おう"の歌が各教室のスピーカーか
ら流れ、みかんの代りにレモンの形をした石鹸が1個入った赤い網がぶ
ら下げられた蛇口が数箇所ある手洗い場で、児童達は次々と手を洗う。
キャンプで使うようなアルミの食器、フォークと兼用のスプーンで食べ
る給食、パンの代りにご飯が出る日は嬉しかった。スピーカーからは"
ダカーボ"だったと思うがその曲をBGMに栄養まめ知識を話していた、
その後リクエストの音楽を流したり、録画した"おとぎのへや"を各教室
のテレビで見ることが出来る日が時々あった。
放送委員の当番の時は、一番に支度してもらい校舎2Fの放送室に急い
で駆け込みます。違う学年学級の人と話ながら食べる給食時間も楽しかっ
たです。
(2004/03/27)
003.「ぼんさんがへをこいた。(坊さんが屁をこいた)」
鬼ごっこで、鬼になった子が活動をはじめる前に100秒を数えます。
その際に10秒を早く数えるために、当時の美川小学校の児童達は文字数
が10の「ぼうさんがへをこいた」を10回呪文のように唱えていました。本
当に悪気はなく単に先輩から伝統的に10秒を早く唱える為の道具として
継承されていました。しかしながら一般的に何とも品のない文句という
ことは否定できません。もっともこれに慣れ親しんだおかえり君にとっ
ては"品のない文句"を飛越えて懐かしさと微笑ましい思い出だけがまず
込み上げてきます。 これも1975年(昭和50年)頃だったと思います。
(2004/02/13)
002.美川小学校でのじゃんけんの掛け声(あいのて)
しりとりのようになっています。
1.「じゃんけんぽん!!」
(勝負がつかない場合には2.)
2.「もうたかす!!」
(勝負がつかない場合には3.)
3.「すすめさや!!」
(勝負がつかない場合には4.)
4.「やばんがく!!」
(勝負がつかない場合には5.)
5.「くろばたけ!!」
(勝負がつかない場合には6.)
6.「けんのたま!!」
おかえり君が小学校時代は6.までいっても勝負がつかないときには、
6.「けんのたま!!」を勝負がつくまで繰り返していました。
1975年(昭和50年)頃の思い出です。
ここで、おかえり君の疑問?
・6.「けんのたま!!」の後に続く掛け声(あいのて)が本当はあったので
は?時代がすすむに連れて忘れられて短くなって行ったのでは?
・このじゃんけんの掛け声(あいのて)の意味及び漢字で書くとどうな
るの? ご存知の方ご連絡をお待ちしております。(2004/02/12)
001.幻の美川小学校100周年の歌
1972年(昭和47年)に美川小学校は100周年を迎えています。すご
いことに美川小学校は130年以上の歴史があるということになりま
す。記念すべき100周年の行事には昭和35年度生〜昭和40年度生が
参加しており、秋に美川小学校の児童による提灯行列も行われたと
いうことです。この提灯行列に歌われたのが幻の100周年の歌という
ことらしいです。(単におかえり君の周辺の先輩方が覚えていないだ
けなのかも知れませんが・・しかし小学生が歌うには歌詞が難しす
ぎるのでは?)
何人かに聞いて判ったこと。
1.川なごおして、水清く。砂白おして、松青き
???????????????????
歴史は古き百周年
2.3.この百周年ここにしも????????
?学びの道にいそしみて?
?夜に出し人をながぶれば?
我が親たちもおわすなり。?
???????????????????
1台目の終わりの「歴史は古き百周年」は確実のようです、美川小学校
には記録として残っているのでしょうか? 正しい歌詞を是非記入
したいものです。(2004/02/11)