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ナーダムとは モンゴルでは7月11日を革命記念日と定めている。記念日を祝す意味を兼ねて「ナーダム」と呼ばれる祭りが各地で開催される。ウランバートルのナーダムは7月11日〜13日の日程で行われる。ナーダムの呼び物はモンゴル相撲大会・子ども競馬大会・弓射大会である。 今年、開会式典と相撲、子ども競馬を見る機会に恵まれた。開会式典は国立競技場で開催され、3〜4万人ほどの観客の中で大統領出席のもと盛大に行われた。マスゲーム的なものが多く、大きな競技会(オリンピック・アジア大会等)の開会式とどこか似ている雰囲気がある。観衆は場面が変わるたびに大喝采であり、国威発揚の上で効果があるものなのであろう。 クリックで拡大できます 相撲大会は開会式後同じ会場で始まった。500人余の力士がトーナメント方式で勝敗を争う。力士は両手を広げコンドルのように舞いながら会場に入る。10数組ほどが同じ会場で同時に取り組み始める。勝った力士は両手を広げて勝利の舞を踊る。最終日には決勝が行われ、優勝者が決まる。モンゴル相撲を見ていると、マナーをとやかく言われている日本のあるモンゴル出身力士の相撲態度もどこか理解できそうな気にもなってくる。 クリックすると拡大できます 弓射は男性75m、女性は60mの距離から「ソル」と呼ばれる的を狙って矢を射る競技である。この競技に私の大学でのカウンターパート(一緒に仕事を進める現地教師)が出場するというので、見学に誘われて行ってみた。競技会場は広場にあり、両側に常設の観覧席も設けられている。民族衣装を身に着けた射手は、15人ほどが横一列に並び次々と矢を射る。的の位置には審判団が立ち、矢が命中すると「オーハイ」と叫び両手を広げて挙げる。射手は4本の矢を射るたびに次の射手と交代する。この競技で、私のカウンターパートは私の見ていた時間帯では全矢が命中した。 私はブータンでも弓射の競技は何度か見たが、ブータンのそれと共通点が多いことに気がついた。ブータンでは距離が140m、的の形も小型であり少々異なってはいるが、交互に交代する審判団が矢の命中を知らせるときに踊るダンスや身振りは、モンゴルの審判法とどこか似ている部分がある。ブータン民族の祖先はもともとチベット方面の遊牧民族であるといわれており、過去のどこかの時点で民族的なつながりがあったことを匂わせるものがあると思った。 クリックで拡大できます 「子ども競馬」は首都ウランバートルの郊外に広がる草原で行われる。ウランバートルは人口7〜80万人ほどの都市である。市中心部は政治経済の心臓部で広場を中心に大きな建物が集中している。その周辺を高層(8〜12階が多い)アパート群が取り囲むように建ち並び、旧ソヴィエトを
髣髴
とさせる。郊外に出るとどの方向も広大な草原へと続いており、羊などの家畜の群れが散見できる。それらの草原はゆるい起伏をともなって、想像もしていなかった広がりを示し、ゲルと呼ばれる移動式住宅が点在していたりする。 その草原のひとつで「子ども競馬」は行われる。私が草原の一角の丘に設けられた駐車場についたときは、すでに競馬はスタートしていた。今走っているのは4才馬だという。走っているといってもその姿はどこにも見当たらない。往復25kmほどのコースであるのだから当然であろう。草原には広大な自然を駆け抜ける子どもたちを見守るように、一定の間隔で並んだ人の列が点々と続き、その列は草原のはるかかなたまで、視力の限界を超えるまで延びていた。後で聞くとその人たちは軍隊の兵士であるという。6歳から12歳くらいまでの子どもたちが騎手なのだから当然の措置といえよう。 1時間ほど待ったころ、案内してくれた私の通訳の兄が「来た」と言った。はるかかなたに砂塵のようなものが見える。私の視力はいまだ2.0を誇っているが、モンゴル人の視力はそれを超えるものがある。砂塵は次第に近づき、馬影らしき点が見えるようになった。やがて一団の騎馬が見え始め、その中でも三頭が抜き出ている。よく見ると先頭の馬には騎手がいない。どこかで落馬したのであろうか。落馬は時々あるという。それらの集団をパトカーが先導している。途中にも何台かのパトカーや救急車らしきものが随行している。これも大人の当然の責務だろうと思った。ばらけた競走馬の集団は、いつ終わるともなくその後も延々と続く。「子ども競馬」を観戦しながら、ふとチンギス・ハーンの熱血の流れを感じた。 私の通訳とその兄の案内で彼らの親戚のゲル(移動式住宅)を訪れることにした。そのゲルまで行くには、競争コースを横切らなければならない。草原はどこでも車は走れるのである。途中、最終の集団の馬たちに出会った。わが子が心配で迎えに来た親たちも一緒であった。勇壮に走っているときにはそれほど感じなかったが、騎手は年端もいかない子どもである。中には半泣きの子もいた。
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