金田 治 著 わがイエス
わが奇怪なる信仰の産物たるこの書を、世の神を厭いし者等に捧ぐ
14th feb. 1987


目次

はじめに

第一章  イエスの心


第二章  イエスと神

第三章  イエスとキリスト

第四章  イエスの悟り

第五章  イエスの憤り

第六章  イエスの幸福

第七章  イエスと罪人

最終章  永遠


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最終章 永遠

祝せられたる者よ、来たりて世の始より 汝らのために備えられたる国を継げ。 マタイ 25−34





・・・幸福(さいわい)なるかな、貧しき者よ、神の国は汝らのものなり。  
ルカ 6−2

イエスは貧しかつたのです。


・・・幸福なるかな、いま飢える者よ。  
ルカ 6−21

イエスは飢えていたのです。


・・・幸福なるかな、いま泣く者よ。  
ルカ 6−21

イエスは泣いていたのです。


・・・人なんじらを憎み、人の子のために遠ざけ、誹り、汝らの名を悪しとて棄てなば、汝ら幸福なり。  
ルカ 6−22

イエスは憎まれていたのです。


・・・幸福なるかな、悲しむ者。  
マタイ 5−4

イエスは悲しんでいたのです。


・・・幸福なるかな、柔和なる者。  
マタイ 5−5  

イエスは柔和でした。


・・・幸福なるかな、義に飢え渇く者。  
マタイ 5‐6

イエスは義に飢えてました。


・・・幸福なるかな、憐みある者。  
マタイ 5−l

イエスは憐みある者でした。


・・・幸福なるかな、心の清き者。その人は神を見ん。  
マタイ 5-8

イエスの心は清かったのです。


・・・幸福なるかな、義のために責められたる者。天国はその人のものなり。  
マタイ 1−1





  イエスは常に祈っていました。幸福である・・・幸福である、と。イエスは人々の中に自らの不幸をみていました。イエスは自らに祈りました。同時にそれが人々ヘの祈りともなったのでしょう。人々の中に、自分と同じように、自分自身を裏切る欺瞞と苦悩をみたのです。

すべての人が、義に飢えており、貧しい者であるのです。それでいて、自らの義に、飢えに気付かずに他人の富を嫉み、自らの富を浪費し、他人の不正を騒ぎ立てるならばなんと不幸なことでしょう。自らを知らねばなりません、自らの義を、渇きを。富める者も貧しい人々です。地上のいかなる富もカミヘノアイなしには、この空漠を埋めえないでしょう。





  イエスは貧民救済にたち上がったのではありません。バブテスマのヨハネも義に飢えており、イエスも飢えています。イエスはすべての人々が義に飢えているのに気付いたのです。

そして、その人がもしこのことに自ら気付かないならば、罪を生むに違いない。自らの正しさを信じるが故に苦悩し、度重なる挫折からも起き上がらねばならない人々のいのちをイエスは救済しようとしたのです。真理或いは神だけが救いえるのであると語り続けたのです。


・・・我は正しき者を招かんとにあらで、罪人を招きて侮改めさせんとて来たれり。
ルカ 5‐33  





  イエスの教説を自己に当てはめることのできない人は不幸でしょう。彼は彼自身を知らず、神をも知りえず、幸福を告げるイエスの言葉に何の意味をも見出しえないからです。

イエスは実はあなたなのです。そして私にとっては、イエスは私です。あなたも義に飢えており、貧しく、柔和であり、心清く、義のためにせめられているからです。


・・・心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。  
ルカ 1‐21


  イエスは神において生き、私は神において、またイエスにおいて生きます。すなわち、私は私において生きるのです。そして、私は幾千年も以前から私を生きた人々に感謝し、その人々の復活した者である確信において生きています。わたしは貧しく、義に飢えており、柔和である・・・・・。
 
      
ヒトビトミナカクイウヒノキタランコトヲネガウ













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