大正15年5月13日
横浜貿易新報
現在の神奈川新聞
乗心地よい神中鉄道
きのふから開業
初乗り印象
微雨に煙る青葉の杜、
咲競ふ菜の畑,
汽車は本県中部の平野をひたはしりに走る。
横浜駅で連絡自動車に乗遅れた記者は
小型自動車を飛ぽして
きっとT型フォード
12日から開通の神中鉄道
二俣川発
4時半の列車に幸ふじて間に合った。
これに乗り遅れると、次の6時55分発まで2時間25分も待つことになる。
単線四両の列車が黒煙を上げて魔の様に走って行くのを
村の子供や大供が驚異の眼を見張って
オッタマゲてゐる清景は
明治5年京浜間に汽車が開通Lた当時
チョソ髭連が「陸蒸気! 陸蒸気!」と物珍らしがったのに
似てゐるのも滑稽だ。
50年以上の時を経てもリアクションは同じ
とはいへ乗心地のよい汽車である。
殊に厚木まで
沿道9哩7分には未知の旧跡が少くない。
当時はキロでは無く「哩(マイル)」だった(1マイル≒1.6km)
二俣川駅には南三町に秩父庄司
畠山重忠戦死の跡,
屏風ケ淵の
逆矢竹,
ニツ橋駅には
乳出神の清水,初茸山,
瀬谷駅には横浜水道貯水池,
やまと駅には鴨猟好適地相模ケ原,
山田伊賀守経光の城跡,
大塚駅には香雲梅園紫胡の原,
国分駅には国分寺旧蹟日本武尊腰かけの石,
起点の厚木駅には相模川鮎漁地 那須与市の墓などがある。
汽車が駅に到着する度毎に
堵を作った子供が万歳を叫ぶ。
垣根のように並んだ子供
金筋新しい駅長が右往左往する。
田園紳士が植木を携帯して乗らうとして叱られる。
列車の内外で互に大きな声で名を呼合ふ。イヤ大変な騒ぎだ。
5時15分厚木駅に着,
駅長さんは嬉しげに
「此の10日に許可があったので何の準備等もなく開業しましたが
祝賀会等も全線開通の時まで延期したわけです。
何しろ本県の中部を横断する最初の鉄道ですから
物資の集散には非常な便益を与え
沿道の町村は発展するでせう。
又関東唯一の霊場大山阿夫利神杜に参詣するに便利ですから
参詣時期には大衆が押寄せるだらうと想像して居ります。
近く二俣川駅と横浜の未完成軌道の完成と共に
最大能力が発揮される事になります」と語る。
帰りの汽車を待つ記者の耳目には
「汽車賃を負けろ」と駅員と談判してゐる不思議な会話や
大きい男が子供の切符 改札口通行不可能の珍劇などが飛び込んだ。
イヤ大変な騒ぎだ。
尚ほ同鉄道は12,13の2日間,賃金の2割引を行ひ
又厚木町相模橋通りに大アーチを建て
終日煙火を打揚げて景気を付げた。