日本の将来を考える  

自 給 文 化 の 創 設

 

社会改革の問題 現代社会の問題


ハイブリッド社会

商品経済の最大の悲劇は、人間を商品化してしまうことです。
今、資本主義は、終焉を迎えようとしており社会は混迷し、
[
99%と1%]という究極的格差が深化しております。

資本主義の暴走を食い止め、平和的に終わらすことのできる仕組みを
私たちは考えていかなければならない時期に来ているのではないでしょうか、
その仕組みとは、生活をハイブリッド化することです。

<まえがき>
私は、永きにわたって高分子ゴム弾性体の研究技術屋という会社生活を2005年に終え、100坪位の
畑を借用し、晴耕雨読の生活に入りました。
やがて、農的仕事の面白さが出てきた矢先に、2008年9月、リーマンショックによる世界的金融危機
が起りました。
今回の危機は、今までに起きた資本主義特有の周期的不況とは違った、何か根の深い不況
になるのではないかと直感した訳です。そして、私の心の奥底に眠っている何かが、引き起こされてくる
のを感じるのでした。

退職した老人が今更勉強をしてもと思いつつ、どんどん経済や社会の仕組みに引き込まれていき、引揚者
の悲哀をなめた者としてなのか、それとも現代社会の鬱屈した世の中に対する発奮とでもいうものなのか
年甲斐もなく、世の中をなんとなく抉り出さずにはおれない気持ちにさせられてくるのでした。

若いころ、マルクス資本論にも少しは興味を持った時期もあり、資本主義の根本に目を向けるようになり
記憶を取り戻しながらの勉強の日々が続きました。

いろいろな本を読み漁りながらメモを取っているうちに、遊び心で、本でも書いてみようかと誘惑に駆ら
れ、次第に本気度が増してくるのでした。

世の中に目を向けてみると、新聞、テレビ、学識者、政治家、みんな揃って経済成長を提唱しているだけ
です。もう何回となく、不況になるたびに経済成長を唱えているだけで、1990年のバブル崩壊後、一
向に経済浮揚が見られません。それどころか、貧困化が進む一方です。普通の人間であれば、ましてや、
その道を学んだ人ならば、何か他に原因を考えるのが一般的思考ということなのでしょう。
しかし、こと経済の問題になると経済成長しか考えようとしません。戦前の軍国主義時代と同様、拡大経
済主義の日本は、ハイパーインフレで国が焼け野原にならなければ、ほかに思考が向けられないのでしょ
うか。本当に不気味さを感じます。この長期化し、これからもますます深まるであろう社会の混迷に、何
か他に根本的原因があるのではないか。こうしたことから、この原因を究明したいという私の技術屋魂に
火がついたのです。

私には、経済学とか社会学などの知識は皆無にちかいのですが、一市民の生活目線で捉えていけば、この
根本原因を掴むことができるのではないかと思い立ったのです。
原因究明にあたって、労賃生活様式と自給生活様式の二つの生活様式に着目しました。
資本主義の商品生産経済における、資本主義的な生活をするという労賃生活様式は、現在生活している実
態に基づいて解析し、農を中心とした共生的自給生産経済の、基本的に自分たちの力で生活するという自
給生活様式は、私が戦後、満州から引き揚げてきて、農家である母方の実家で4歳から18歳まで生活し
ておりましたので、その実体験と他書の力を借りながら解析することにしました。

そしてこの二つの生活様式の違いはなんであったのか、なぜ、現代に入って二つの生活様式が急激に変わ
ったのか、二つの生活様式の変化と今起きている社会混迷との関係は存在するのか、この急激な生活様式
の変化は、私たちの生活に過大な負荷をかけていないだろうか。
こうした視点で筆を進めていくうえで、兄である小貫雅男らが提言している「菜園家族」構想を二つの生
活様式と商品という視点で見つめてみることにしました。

この「菜園家族」構想とは、21世紀の緊急性を含んだ根本的社会変革と未来を見つめ、著者らが永年の
研究に基づいた社会構想で、私たちが好むと好まざるとにかかわらず、私たちの生活の中に採り入れてい
かなければならないという社会的要求が含まれております。
非力な私が、このような本を執筆することは、大変おこがましい振る舞いと思いつつ、反面執筆して恥を
かいてでも、私たちが今生活している構造的側面が少しでも描写することができれば、今日の混迷した社
会を少しは違ったアングルから捉えることができるのではないかという思いが勝ってしまいました。
非力なわたくしへのご批判は覚悟の上でございます。

 
  目 次

1章 二つの生活様式
 1 人類始原の自然状態の歴史的認識
  2 二つの生活様式
   1)労賃生活様式
   2)自給生活様式
 3 生活様式の変化と主な出来事
 4 商品経済の商品の持つ非人間的側面

2章 ハイブリッド社会
 1 ハイブリッド社会の基本的概念
 2 なぜ、ハイブリッドシステムが必要なのか
 3 労働過剰現象とワークシアリング
 4 自給生活様式への偏見
 5 [天地雨情の農学]の概念と[菜園家族]構想の概念と、ヴァナキュラーな生活の概念、の相関性
 6 ヴァナキュラーな側面から捉えた自由と自主性

3章 [競争社会]の呪縛からの脱却
 1 資本主義商品生産経済のフォーディズムとは
 2 競争社会とは
 3 自己責任論
 4 [商品からの離脱]という視点
 5 共生的生産経済における地域活動と自給活動
 6 地域通貨の創設

4章 ハイブリッド社会への歩み
 1 明治維新後日本が歩んできた道
 2 社会にとってコミュニティーとは
 3 [菜園家族]構想とは
 4 ハイブリッド社会へのシミュレーション
  5 私の菜園 

 
 

1章 二つの生活様式

1 人類始原の自然状態の歴史的認識
人間が動物と大きく別れたのは
一つには、二足歩行をしたことで、これは脳の発達に大きく影響したといわれております。
二つには、火の使用を含む道具を使用したことにより、生産力を大きく向上することができました。
これら二つが他の動物との決定的違いであり、二つの相乗効果でさらなる道具の発展と生産性の向上をも
もたらしたといわれております。
今から12,000年前に氷河期が終わり、縄文時代になると森に広葉樹が生い茂るようになり、森の中
の川や泉の近くに定住しながら春夏は、木の芽、野草、秋冬には木の実、イノシシ、豚、シカなどの狩り
をして、四季に応じた採取生活をするようになってきました。このころは共同で採取し、平等分配による
協同協調を基調とした人類始原の自然状態の生活様式が存在していました。

安田喜憲教授によると、縄文時代には再生と循環の思想が存在しており、縄文土偶の髪の部分には蛇の造
形がつけられており、蛇の脱皮と人間の四季による食生活の変化と深く結びつけて、再生と循環の思想を
生活の中心に据えていたとのことです。
また、縄文時代の貝塚から出土されたイノシシ、豚、シカなどの骨は、ほとんど成獣の骨で、幼獣の骨は
出土されず、欲望をコントロウルする思想が存在したといわれております。

そして、修理された土器が沢山出土されており、再生と循環の思想が確立されていたとも述べられており
ます。弥生時代に入ると稲作農耕が始められ、共同所有地はますます明確となり、定住が本格化し、共同
労働と道具の発達はさらに進むことになります。
そして、稲作農耕民は太陽の運行で種をまき、稲刈りの時期を決め、豊作を祈り、太陽を信仰しておりま
した。
重要なことは、縄文時代から弥生時代の激動の転換期に犬以外の家畜を否定して稲作農耕を選択し、日本
独自のライフスタイルを構築して、縄文時代に築き上げてきた再生と循環、自然生的自然状態(自由、平
等、友愛)の思想を弥生時代に継承したことが大きな特徴と言われております。

話は少し飛びますが、中世封建社会に入った平安時代、鎌倉時代、室町時代は、文化的にも経済的にも中
国の影響を多く受けていました。

そして、近世の江戸時代に入ると、日本独自の形態をとり始め、江戸時代には、江戸、大阪、京都の三大
都市のほかに、全国には一国一城政策のもとで城下町が形成され、流通網が発達し、貨幣経済、信用経済
も発達していました。
全体としてみれば、自給生活が中心で、農村が豊かで、農産加工物も発達していて、経済の基本は農村に
にありました。
つまり、縄文から続いてきた再生と循環の自然状態は色濃く残されていたということです
やがて、自然発生的に社会内での分業化が進み、分業による商品生産という形態が生まれ始めました。
そして、商品生産者たちの中に資本主義的生産様式が入り込んで、工業化が発達し、商品生産が広がって
いきました。このようにして、個人商品から商品生産化が進み、資本主義的生産様式がさらに発展する様
相が強くなり始めてきた時期でもありました。
つまり、江戸後期は、資本主義商品生産経済の芽生えの時期であったのです。近代明治の1900年代初
めに、日本の資本主義は成長し、岩倉具視、木戸孝允、伊藤博文、大久保利通ら明治の指導者たちは、イ
ギリスの加工貿易をモデルとして、富国強兵の殖産興業政策を実行していったのです。このようにして、
江戸から明治への移行は、縄文から江戸までの12,000年も続いてきた再生と循環、自然状態の協同

協調を基本とした自由、平等、友愛の思想を断ち切る大転換の始まりでもあったのです。
 
 
産業としては、原料を輸入した場所で加工し、輸出するという臨海工業地帯の形成であり、ここでの標語
は近代化でした。そして、この政策は、軍事大国につながる道でもあり、イギリスがその時の覇者でした
しかし、第一次世界大戦後は、戦勝国のうちの一国であったアメリカが覇権を握り、日本は、第二次世界
大戦でアメリカの絨毯爆撃(1941年から1945年)を受け壊滅状態となりました。敗戦後は、アメ
リカの指導で平和憲法を制定し、さらなる資本主義の追及を加速させました。アメリカは、20世紀初頭
に「T型エンジン」の量産化に成功し、アメリカの自動車文明を確立していきます。
日本も自動車と電化製品の開発に拍車をかけていくことになり、アメリ
カに追いつき追い越せを目標に走り続けました。

つまりこれが、日本版商品生産経済のフォーディズムの始まりであった
のです。
現代に入って、1960年代から始まる高度経済成長期には、
農山漁村から都市への人間の大移動が始まり、大地から離れた労働者は
賃金だけに頼る労賃生活様式が完全なまでに確立されていきました。

歴史的に見て、日本は幾つかの大きな分疑点を通過しております。

一つ目は、縄文時代から弥生時代の転換期に、再生と循環の縄文思想を
継承すると共に家畜を否定して稲作農耕を選択し、日本独自のライフス
タイルを構築しました。二つ目は、明治に入って農的自給生産経済を非
効率として否定し、欧米の近代化に習い、富国強兵の殖産政策を進め、
資本主義の商品生産経済を確立し、軍事産業を中心に軍国主義の道に進
みました。
 
三つ目は、敗戦後、平和憲法を制定し、アメリカを目標に商品生産経済の大量生産、大量消費、大量
型拡大経済のフォーディズムの道に進みました。四つ目は、60年代から始まる高度経済成長期に村から
都市での生活を選択し、労賃生活様式を選択しました。
このように歴史を一つの視点で見てくると、人間の経済活動の根底にある自然状態の共生的生産経済にお
ける自給生活様式の欠落は、21世紀に入った今日、どのような意味を持つのか考えさせられることとな
っているのではないでしょうか。農の持つ意義と近代化の持つ意義の中に、相反する、そして近代化が農
の持つ意義を受け入れない、何が存在するのか。
そして、近代化の究極的存在としてのフォーディズムは
物質による一時的満足感を得ることはできました。
しかし、物質によって国民の視角を狂わせたことは確かなことで、人間がこの地球上で生きていくために
は、フォーディズムとイヴァン・イリイチのヴァナキュラーな生き方との関係で捉えてみなければならな
いという事態に直面しているのではないでしょうか。

こうした一連の歴史の変化の中で、特に生活様式の変化は、人間の精神面を含めた社会形態を大きく変え
てしまう要因と考えられます。
この二つの生活様式を解析しなければ、今混迷を深め、資本主義の終焉を
予感させる現象が数多く現われている中で、私たちは本質を掴むことは出来なくなるのではないでしょう
か。
そうした意味からも、二つの生活様式を解析し、今起きている社会の混迷をできる限り原理的に見つ
めていきたいと思います。

 
 
 
2 二つの生活様式
この世の中に存在する生活の形態は、大きく別けて、大地の恵みを得て、自らの力で生きる場を創りなが
ら生活するあり方と資本主義的で商品を介在した生活のあり方の二つがあります。
つまり、人間が自然状態に適応し、調整しながら熟れ合ってきた、労働をして、生活する、という簡素な
自給生活と明治に入って近代化を求めた資本主義商品生産経済の、労働をして、賃金を得て、商品を購入
して、生活する、という私たちが現在生活している、商品で成り立っている労賃生活の二つの生活様式が
存在するということになりです。
この二つの生活様式が近代から現代にかけて、特に敗戦後の高度経済成長期にかけて大転換したことは、
今までの歴史の中で政治や権力の支配形態がいろいろ変っても、このように生活様式が大きく変わった時
代は存在しなかったのではないでしょうか。私は幸いにも、子供時代の自給生活が濃厚な約20年間と、
その後の人生の40数年間は労賃生活を体験することができました。
そして、1990年のバブル崩壊後の経済低迷の長期化、2008年9月のリーマンショックは、今まで
の資本主義社会に起こる不況とは何か違ったことを感じさせられるのでした。
90年のバブル崩壊は、商品経済のメカニズムの崩壊であり、08年
の金融危機は、金融資本主義の崩壊を意味するものであったと考えら
れます。つまり、資本主義の終わりの始まりを告げる現象と捉える出
来事であったのではないかということです。バブル崩壊後20年間、
経済成長の掛け声だけで、賃金の低下と失業率の増加は進み、200
7年度のOECD発表の貧困率は15,7%と世界30カ国中、アメリ
カに次いで4番目と経済の収縮度を深めております。生活の歴史的大
転換を高度経済成長の始まる1960年代とすれば、まだ半世紀足ら
ずです。そして、資本主義の成熟した先進諸国も、日本同様に収縮し
ていく経済の中で喘いでおります。今、欧米で起きている「99%と
1%」という格差に対する反対デモは、何を意味しているのか、それ
を解き明かすには、二つの生活様式の違いをここで明確にすることが
重要なことではないかと考えております。
先祖たちが、何千年何百年という永い時間をかけて、自然と熟れ合った自給生活をたかだか2,30年と
いう短い時間で、一方的に片寄った労賃生活に変えてしまったことへの解明は、資本主義後の社会の仕組
みを創っていくうえでも、特に重要なことになってくるのではないでしょうか。
   
 
1) 労賃生活様式
資本主義商品生産経済の競争を原理とした、労働をして、賃金を得て、商品を購入して、生活する、とい
う現在私たちが体現している、商品を介在した生活様式が労賃生活様式です。

労賃生活様式の中には、お金の介在と次の四つの機能が内存していると考えられます。

 <格差機能>
 <競争の働く機能>
 <2重の搾取機能>
 <お金に利子の付く機能>
これらを商品生産経済における4つの欲望機能と命名し、それぞれを解析してみます。
労働者が労働をして、賃金を得るということは、私たちの労働力という商品を売って賃金を得るというこ
とです。
労働力という商品は、商品ですから当然価格が付きます。
価格には、価格差が発生します。これが格差機能です。
そして、格差が発生することは、当然、競争がおのずと働くことになります。
これを競走機能と言います。
つまり、商品には、お金が介在し、格差機能と競争の働く機能が内存するということになります。
2重の搾取機能のうちの一つ目は、会社は、労働者の作った商品(製品)に製造販売価格をつけます。
価格の内訳は主に、材料代、労賃代、諸経費代、設備投資などの金利、利益、ここに一つ目の利益(搾取)
が発生します。
広辞苑によると、搾取とは、資本家が剰余価値の大部分を独占する、とあります。
剰余価値とは、労働力という商品価値とそれによって作られた商品の価格差、とあります。
二つ目は、製造販売価格を付けた製品を販売店(商店)に売ります。
販売店は、この製品に市場販売価格をつけて市場で販売します。
市場販売価格の内訳は主に、製造販売(製品購入)価格代、販売店員の労賃代、諸経費代、設備投資等の金
利、利益、ここにもう一つの利益(搾取)が発生します。これが、私たちが今生活している、4つの欲望機
能が存在した労賃生活の仕組みです。
<商品生産経済の仕組み>
不合理性を生み出す主な根源は、商品生産経済の、労働をして、賃金を得て、商品を購入して、生活する
という4つの欲望を内存した生活様式と、自分たちが作った商品を、自分たちがお金を出して、購入して
生活するという矛盾した生活の、二つの大きな要因を挙げることができるのではないかと考えております
その構造と仕組みを図解してみたいと思います。
     
 
 
 
) 労賃生活様式の構造
(価格競争と企業間競争を生みだす構造)27、

) 商品の需要と供給のバランス

需要>供給=価格上昇、賃金上昇、インフレ (バブル景気)
           (商品不足) 
需要<供給=価格低下、賃金低下、デフレ  (バブル崩壊) 景気対策
           (商品過剰)
資本主義商品生産経済に内存する競争原理の働きによって、商品過剰現象を起こし、周期的不況を起こす
という経済の構図です。

もう一つ重要なことは、自分たちが作った商品を、自分たちが消費しなければ、経済が回っていかないと
いう経済の構図です。
) 日本企業の構造(下請け的構造)

) 資本主義の周期的不況と収縮経済のモデル図

今、先進国と言われている国々は、経済をマクロ的に捕らえた時、収縮経済という泥沼に陥っている現象
が多くみられます。経済の収縮速度は、資本主義の商品生産経済という面では同じ道を歩んでいるのです
が、その国々の特徴や特質、つまり、競争の働き方の強弱によって、収縮速度の違いがみられるのではな
いかと考えられます。しかし、速度の差はあるにせよ、経済の収縮は確実に起こっているといえるのでは
ないでしょうか。
 
そして、商品経済の経済の収縮は、その文明の衰退の根本原因と言っても過言ではなく、商品経済の構造
的で原理的問題と捉えるべきことなのでしょう。

その現象が、先進諸国の財政赤字と高失業率という共通した資本主義病です。
この共通した病気の根源を根本から解明していかなければならないという問題が残されているということ
です。

<なぜ、経済が収縮していくのか、主な要因を挙げてみたいと思います>

一つには、商品から生み出される競争の働きによって、商品過剰現象を起こし、商品経済のメカニズムが
壊れていること
二つには、国際的価格競争によって、生産管理システムを含む生産技術の向上で、コストの高い人間を使
わない方向に進んでいること

三つには、単一生活様式を含む単一経済システムは、二つの生活の機能間相互作用を喪失させ、資本主義
の暴走を止めることができなくなっていること 

以上挙げました三つの経済収縮の要因は、何れも商品が生み出す競争の働きが根源となっており、商品経
済のメカニズムが壊れ、先進諸国は、フォーディズムと競争原理のジレンマに陥っているということが大
きな要因と言えるのではないでしょうか。
そして、経済を収縮させなければならない大きな要因として、大量生産、大量消費の拡大経済とCO₂削減
の問題を挙げておかなければならないでしょう。

<私たちは、どのような環境の下で生活しているのでしょうか>
大量生産、大量消費の経済の仕組みの、お金の介在した商品で成り立っている社会の仕組みの中で、労働
をして、賃金を得て、商品を購入して、生活する、という労賃生活をしていることについて述べてきまし
た。
こうした、私たちが生活している労賃生活様式の中には、搾取機能を内存した矛盾、格差機能を内存
した矛盾、競争の働く機能を内存した矛盾、「お金」に利子機能を内存した通貨システムの矛盾など、生
活の構造に仕組まれている以上4つの矛盾が、時間の経過と共に不合理性を生み出してくることが、社会
混迷の大きな要因と考えられます。
そして、90年のバブル崩壊後、日本経済は、経済の大波小波を繰り
返しながら確実に収縮しており、国の財政赤字は、1,000兆円に
なろうとしています。
借金大国日本、「お金がなければ何も解決でき
ない社会の仕組みは、八方ふさがり」これが今日の日本の現実です。
フランスの歴史人口学者エマニエル・トッド氏は、人間の能力に限界
があるのと同様、国にも合理性の限界があるのではないかと説いてい
ます。
 
 
この合理性とは、時間の経過と共に不合理性を生みだすものです。(合理性が不合理性を生む)ある時点
では、福祉教育などの社会保障のセーフティネットも充実し、経済的にも恵まれて幸福感を感じている間
に時代は刻々と流れ、その時々の社会制度が少しずつ合わなくなってくる。

そうすると、早く気が付いた人は制度改革を求め、遅い人は今までの制度で充分やれると主張し、対立は
起こるのですが、度重なる社会問題が起こるたびに緊急対策として目先の対策に明け暮れる。
そして、深刻な状況になってもイデオロギー対立は空虚となり、左派も右派も似たような対策しか打ち出
せないで、選挙は見せ掛けだけの対立だけを演じる。
まさに今日の日本を描写してはおりませんか。
この混迷した社会問題の解決を、現在の労賃生活を含む商品経済の仕組みを維持したまま、しかも、競争
を強める経済成長という限られた選択肢の中でしか思考できない危険な日本になってしまっていることで
す。つまり、商品の生み出す競争と、生活形態の中から生み出されてくる矛盾によって、商品経済のメカ
ニズムが壊れ、収縮していく経済の中で、喘ぎながら、生活をしなければならないという環境の下で生活
しているということです。この章の最後に、商品がなぜ、非人間的と呼ばれるのかについて少し述べてみ
ます。
) 自給生活様式
自給生活様式とは、自然界の大地と空間からの恵みを得て、自然界に熟れ合って、自分たちの生活は自か
らの力で生きる場を創りながら生活するあり方が基本的な生活のあり方であると考えております。

そしてそこには、協同協調を理念とした、労働をして、生活する、という労働と生活が一体となった、基
本的に商品という概念の薄い生活が、基本的な生活形態となっております。

●自給生活様式の中には、協同と協調のもとに生みだされる、三つの機能が内存しております。
 人間の欲望を調整する機能
 人間の信頼関係を蘇生する機能
 文化的自由時間を生み出す機能
この生活形態は、家族を含めた個人の自主決定によって労働をし、個人や家族に必要な食やエネルギーを
基本とした、モノを作ればよいということになります。
自給生活という生活する過程の中に、労賃生活の
ような、搾取機能、格差機能、競争の働く機能、そしてお金などの介在する場が基本的に存在しません。
つまり、基本的にお金の介在した商品という概念の薄い生活形態となっているのです。個人や家族だけで
出来ないこと、共同で使用する共有的なことは、地域の協同や協調の下で仕上げていく形態となっており
ます。
そして、その協同や協調が基本となって、共生的生産活動が成熟していくことになるのです。
また、生産技術の発展は、現代の資本主義的労賃生活の中では、一部の企業や一部の個人の利益に集中す
る仕組みとなっているのですが、自給生活での生産技術の向上で得られた利益は、労働時間の短縮となっ
て、文化的自由時間が増えていく仕組みとなっております。
つまり、自給生活様式という生活形態の中には、労働と生活が一体となっておりますから剰余価値とか利
益とか搾取とかの場が存在しないということで、富の蓄積という概念が薄いのです。

●自給生活活動のなかには、次世帯へ向けての持続可能な社会発展に必要な、4つの重要な要素が含まれ
ております。

 一つは、競争を生みだす「商品からの離脱」
 二つは、人間生活を律する「協同協調」
 三つは、二つの矛盾した概念を一層高い段階で調和統一する「自己止揚」
 四つは、人間の安全を保障する「相互扶助」
この四つの要素と先に述べました三つの機能は、協同協調を
基調とした生活と、自給生活の、労働をして、生活する、と
いう労働と生活が一体となった生活過程の簡素な生活形態が
基本となって、永い時間をかけて育成され、熟成されながら
出来あがってきたものではないかと考えられます。

この四つの要素と三つの機能は、資本主義制度のメカニズム
が壊れ、21世紀社会の産業を含めた大きな社会構造の転換
という視点で捉えた時、非常に重要な意味を持つことになる
のではないでしょうか。
 
 
●なぜ、自給生活が必要となってくるのでしょうか。
農を中心とした共生的自給生産経済の、労働をして、生活する、という協同協調を理念として、労働と生
活が一体となった自給生活の形態の中には、食べるモノだけではなく、地域や文化や自然環境、そして精
神世界を含めたモノ以外の生産をも行っているということです。

これら、お金にはならないが、人間が持続的に生活していくという視点で見れば、農的仕事を非効率とみ
なすことは、見当違いであり、何か他に意識的な作用が働いているといえるのではないかという思いがし
ます。例えば、富の集中意識、エゴイズムということが考えられます。
農を中心とした自給生活の中には、協同協調という人間生活の根
源的要素が必要不可欠な存在として含まれており、この協同協調
を欠いた生活は、動物の生活といっても過言ではないほど制限の
ない欲望むき出しの社会を想像するために、多くの努力は必要と
しないでしょう。
動物は、飼い主に飼いならされているから暴走
しないだけなのです。
私たち人間は、つい最近まで、自主的に欲
望の暴走を止める術を身に着けていたのです。
それが協同協調で
あったのですが、過剰なまでの商品によってかき消され、資本主
義の暴走を許してしまったのです。
協同とは、お互いに助け合っ
て、物事を成立させることです。私たち人間は、家族や地域がお
互いに助け合わなければ生活していけないということです。
協調とは、お互いに譲り合って、欲しいものを制限しながら、欲
望機能を育んでいくことです。
そして、古い時代の日本の自給生活には、協同協調のもとに相互扶助という、お金のかからない社会保障
制度が立派に存在しておりました。そうした中には、適度な制限や拘束のもとに成り立つ、自由と自主性
を持った生活が存在したのです。私たちが今生活している社会は、資本主義商品生産経済の労働をして、
賃金を得て、商品を購入して、生活する、という商品様を介在した労賃生活様式の、競争をしなければ生
活できないという競争が仕組まれた生活形態の中で生活している訳です。自給生活様式が、なぜいま必要
なのかという答えは、自給生活形態の中には、次世帯社会へ向けての持続可能な社会発展に必要な四つの
要素と三つの機能が含まれており、社会を持続的に発展させるエネルギーが生活の中に存在しているとい
うことです。
自給生活に存在する機能と要素は、資本主義制度のメカニズムが壊れ、21世紀社会を創設していくうえ
で、重要な機能であり要素であるということを述べてきました。
そして、現代社会の混迷の出発点の多く
が、競争を生みだす商品が根源となっているのですから「商品からの離脱」という視点が、まずは、私た
ちの生活の意識の中に備えられていなければ、持続可能な社会発展へ向けて、出発できないということに
なるのではないでしょうか。
また、資本主義の生みだす必要以上の量と速さは、商品を否定しなければ、
地球の存続も危ぶまれ、資本主義の暴走を止めるためにも、自給生活に存在する機能と要素は、どうして
も必要な存在となってくるのではないかと考えられます。世界の70億人という人口が、大量生産、大量
消費という欲望生活をした場合、地球はどうなるのかということを考えれば、自給生活をしなければなら
ないという意味が、直ぐ理解できるのではないでしょうか。
 
 
 

3 生活様式の変化と主な出来事 
 


 <20世紀の特徴>

●20世紀前半の特徴(戦争による国土拡大主義)近代における富国強兵政策は、軍事産業が発達、軍国主
義と国土拡大主義で戦争の道へ、世界中で鉄の弾が飛んだ。
経済は、資本主義が発達し、商品生産経済が進んだ。生活は、自給生活様式が中心であったが、商品生産
経済の発達に伴い、労賃生活様式の色彩が強くなってきた。第二次世界大戦の敗戦で国土は焼け野原とな
り、領土拡大主義に決着。 
●20世紀後半の特徴(商品生産経済のフォーディズム)
平和憲法を制定し、アメリカを目標に大量生産、大量消費、大量破棄型拡大経済の道へと進み、1960
年代から始まる高度経済成長は、70年から80年代にかけてフォーディズムを完成させ、経済大国とな
る。
80年代後半から市場原理主義が台頭し、IT技術と金融工学が結びついて、デリバティブ化したマネ
ーは、グローバリゼーションの名のもと、鉄の弾の変わりに、お金の弾が世界中を飛び回るようになり、
お金が一部の人間や国に集中するようになった。 
生活形態は、高度経済成長期の60年代から農山漁村から都市へ人間の大移動が始まると共に核家族化が
進み、自給生活様式は影を潜め、労賃生活が主流となった。90年のバブル崩壊により、大量生産、大量
消費、大量破棄型拡大経済のフォーディズムは終焉を迎え、世界経済は収縮経済の道を歩き始め、ヴァナ
キュラーな生活を失った労働者は、路頭に迷っている。そして、「99%と1%」という貧困層と富裕層
の究極的格差社会が、今先進諸国で進んでいるというのが、20世紀後半からの特徴と言えるのではない
でしょうか。それは単なる先進諸国の偶然の一致とか政策のミスというようなことではなく、生活形態の
片寄と、商品生産経済のメカニズム崩壊と無関係ではなく、商品の生み出すエゴイズムが根源となってい
ると言えるのではないでしょうか。
 
 
4 商品経済の商品が持つ非人間的側面
生活の過程において、商品の介在の有無が、二つの生活様式の根本的で最大の相違点であるということに
ついて述べました。その一つである資本主義的生活は、人間が労働力という商品を売って、お金を得て、
生活することでした。人間が労働力という商品を売るということは、人間が商品であるということになり
ます。なぜなら、人間から労働力だけを分離することができないからです。また、商品自体、意志が存在
しないのですから自主的に行動することはできません。
ですから、受動的な人間形態を創りあげてしまう
ということになります。
つまりこれが、商品で成り立っている資本主義的生活の側面であり、非人間的生活と言われる所以と言え
るのでしょう。商品が非人間的と言われる側面を、人口問題を例に挙げて説明してみましょう。
日本においては、高度経済成長期の60年代から経済の発展と共に人口減少が始まり、経済の発展した先
進諸国も同様に人口減少が進んでおります。そして、経済の発展が始まった、中国、韓国も先進諸国同様
に人口減少が始まりました。インド、アフリカなどの貧困国と言われる国々は、人口増加の傾向にありま
す。戦前の日本は、現在の経済(商品の量)と比較して、格段の違いがありました。
それにも拘らず人口は増加の傾向にありました。
こうして観てくると、先進諸国の人口減少は、単なる経済的問題
だけではなく、商品経済と大きく関わっている、奥の深い問題な
のではないかと考えられます。
もし、金銭的問題であるとするな
らば、金持ちの家庭では、子沢山である筈です。
人間が商品化さ
れ、性格までが受動的になる。環境に順応性の高いといわれる人
間は、金銭とは無関係に、商品が生活の中に極度なまでに充足さ
れることによる、人間の精神的内部的破壊を起こし、人間の尊い
感性も摩耗され、人間のあるべき姿を失い、人間の分断的思考は
人間本来の集団的生活をも忘れ去られて、消費中毒患者となった
人間は、子供を創ろうとしなくなる。
こうした人間の精神や人間
の集団生活をも破壊している商品を化物と言わせているのではな
いでしょうか。
人間のあるべき姿で言えば、人間は本来、自然の
大地からの恵みを自分の手で作り出して、何千年何百年と生活を
してきました。こうしたことは、私たちのDNAの中に刻み込まれ
ている筈です。

だがしかし、商品経済は、短時間に人間を商品化し、お金を商品化し、格差階級を創り、人間を奴隷化し
てきたと言えるのではないでしょうか。
こうした自然の摂理に逆らい「してはいけないことをしているの
ではないか」これは人間のあるべき姿とは言えない筈です。
商品という意味を人間と対峙させて、吟味してみなければいけないことなのでしょう。人間の商品化とい
うことは、人間が市場で売買されるということです。
例えば、A社において時給800円で契約して働き
ます。暇になれば解雇され、今度はB社に移って750円で契約して働きます。こうしたことが日常行わ
れております。
つまり私たちは、19世紀位までイギリスを始めヨーロッパやアメリカなどで盛んに行われていた奴隷制
の人身売買の構図と変わらないことを、21世紀に入った今日も、何の不思議とも思わず行われている生
活、これが商品の持つ非人間的な究極的側面と言えるのではないでしょうか。また商品には、お金の介在
と搾取機能という二つの形態が含まれていることを述べてきました。
そのひとつのお金という形態について、ここで少し触れてみます。お金が最初にできたのは、エジプト時
代に銀貨が出来たといわれております。その銀貨は、銀の純度が98%で、あらゆる商品と対価交換をし
していました。
 
例えば、銀貨1枚で羊1頭が交換できたとします、またパンは、10個を交換できたとします。
銀貨ができた当時は、銀の純度が98%でした。しかし、ある時王様が、銀貨の銀の純度を25%まで減
らしたといわれております。その時銀貨の価値は、4分の1に減りましたから、商品との対価価値という
ことで言えば、羊1頭につき4枚の銀貨を払わなければなりません。このままでの商売では、権力者たち
は、銀の純度を下げる意味がない筈です。日本においても、江戸の時代劇によく見られる、悪代官が金貨
の金の純度を落として金儲けをするという時代劇映画と同じことです。
  その時代の権力者は、銀の純度を25%まで減らした銀貨1枚で
羊1頭またはパン10個と交換したのです。
ここで通貨のトリックが始まるのです。
現代でいえば、例えば、1万円札(紙幣)は、1枚を印刷するのに
数十円と言われております。つまり、1万円札の価値は、数十円
の価値しかない通貨(紙幣)を数百倍にも膨らませて経済を成り立
たせてしているということになります例えば、日本銀行(日銀)
1,000兆円という財政赤字を減らすために、流通している通
貨を倍に増刷すれば、1,000兆円の財政赤字は500兆円に
減ることになります。そして私たちの預金も半額になるというこ
とです。こうしたお金のトリックが存在する危うい不安定な経済
社会の中で私たちは今、生活しているという現実です。
こうしたお金の危うさということで言えば、世界のGDPの総額が70数兆ドルと言われており、これに対
して世界の金融を動かしている、つまりヘッジファンドのお金が200数十兆ドルと言われており、その
巨大な商品化されたマネーで利益を得るために、世界の物価を混乱させていると言われております。

つまり商品を介在した生活の酷さ、非道さということについて、私たちは、商品の否定を含めた、根本的
な生活形態を変えていかなければ、報われる日は来ないということになるのではないでしょうか。

   
 

ハイブリッド社会の提案

小 貫 昭 男