矢立
祭祀考(やたてさいしこう)
<前事務局長の民俗レポート>
はじめに
椎葉村は広い。面積536平方キロ(役場資料より)という。が、平成の大合併後では、この広さもさほど珍し
いものではなくなった。 面積を数字としてだけ見れば、ほぼ神戸市の広さに匹敵する。東京23区よりひとまわり小さいくらいである。
だが、山と谷に隔てられた集落間を行き来してみれば、そのあまりの時間のかかりようによって、数倍、あるいは数十倍の広さとして実感されることだろう。
たとえば、私の住まう矢立(椎葉の南西部)と向山(椎葉の北西部)は、直線距離ではおよそ15kmしか離れていない。しかし、
矢立から向山まで車で行くとなると、いったん北東に峠越えの道を走り、村の中心部(上椎葉)に出て、さらに北に川沿いの道を走り、
それから西へ山に登る道を延々と走らねばならないのだ。平坦な直線距離であれば、15分で着くような距離しかないのに、実際は3時間ゆうにかかるのであ
る。
椎葉の集落は、大雑把にいくつかに分けられる。それぞれの集落群では、文化と習俗、言語が微妙に異なる。私の住居のある矢立は、
大きく「大河内」と呼ばれる集落群の中にある。ややこしいのは、この「大河内」という言葉が、この「集落群」を指す場合と、もっと広い範囲の
「大字としての地名」を指す場合とがあることである。ここでは、「大河内」を、文化、習俗を一定共通させた「集落群」の意味として使用する。
大字としての大河内を使用する場合は、その旨別途注記するものとする。
さて、ここでは、大河内の中のひとつの集落である「矢立(やたて)」のまつりについて、民俗学上の資料としても通用する形でまとめてみようと思う。
この文章をまとめるきっかけは、
2004年度の「世話役(「せわやき」と呼ぶ=年間を通じて祭祀の世話をする当番の家)」になったため、
これまで参加するのみであった矢立のまつりの準備から執行までに自ら携わる機会を与えられたこと。
次第に由来や伝承、祭祀のあり方などの伝統継承が薄れつつあるとの危機感を、矢立の住民が抱き始めており、現在わかっていることだけでも、
文書として残しておきたい・・・との意志が私に伝えられたこと。
である。
神事や由来については、すでに古老すら不明な点も多々ある。私の推測で解釈あるいは補った部分は、【作者
註】 にて記述し、地の文章については事実のみを客観的に記述するつもりである。
また、この文章は、一度に完成版を掲載するのではなく、このホームページ上で書き進めていく形をとり、これからしばらくかけて加筆を重ねていく
つもりである。つまり、今回ご覧になった内容が、いつか再びご覧になったときにはさらに補充されているはずである。気長にお付き合いいただきたい。
また、疑問点やご意見、ご教示などあれば、メールをいただければ幸いである。
T 概説
1.矢立の祭神
(1)雪矢神社(ゆきやじんしゃ)
矢立集会所の左横からその上へ回る坂道を登りつめると、2軒の家が並んでいる。左の家の庭先を抜けると鳥
居が見えるが、
そこが雪矢神社の正面参道である。ちなみに、この地方では神社を「じんじゃ」と呼ばず「じんしゃ」と呼び習わしているため、ルビ表記もそのようにしてい
る。
男女対の夫婦神を主神として祀る神社である。この夫婦神のことを「雪矢さん」と呼ぶ。「雪矢」は「征矢」とも書かれるが、
最近は「雪矢」で統一されている。

写真1 雪矢神社祭壇
神楽ができるほどの広さの社殿があり、正面には祭壇。その中央に、夫婦神を納めた小さな神殿がある。まつ
りの時のみこの神殿の扉は開かれ、 真綿にくるまれた木製のご神体(男性は衣冠束帯、女性は十二単か=左の写真)を拝むことができる。
この「雪矢さん」は、天神と同一視されている。つまり菅原道真信仰の流れをくんでいるわけである。
が、どうもそれだけでは説明しがたいものがある。天満宮と異なり夫婦神であり、大河内の他の集落に存在する神社や祠の祭神と、
親子や兄弟の関係にあるとも伝えられているからである。
【作者註】その祭神間の関係については、後日この文章を膨らます形で述べる予定である。それら「大河内の
神々」は、国家神道のもとに組織化された神々とは異なる、この地域独自の「地域神信仰」を体現しているのではなかろうか。
祭壇(写真1)には、夫婦神を納めた神殿に向かって右側に、山神(さんじん=山の神)、稲荷(いなり=田の神)の2神、
向かって左側に大神(だいじん=どのような神か不明)が祀られている。したがって、この社殿には、主神の雪矢天神も含め、4つの神が祀られているわけであ
る。
(2)地主堂(じぬしどう=「堂(どう)」と簡略化して呼ばれる)
矢立集会所上の坂道で最初に出てくる人家のすぐ下にある、木造の小さな堂。
神体(右の写真)は石彫彩色の、衣冠束帯坐像。矢立集落に最初に住み着き、骨を埋めた「地域の祖先神」として祀られている。
4畳ほどの広さのお堂の中に祭壇があり、石造りの像が3つ置かれている(写真左側の石像はその一つ)。
うち2つは古いご神体がそのまま置かれているものであり、本体は一つとみなされる。
堂の外には、苔むして風化した石が幾つか並んでいる。これは「地主さんの墓」と呼ばれている。また、その奥に大石の碑が立てられている。
碑文はすでに風化して読むことができない。いずれにしても、地主堂はこの墓所と密接に関連していることは間違いない。
地元の人々は、「地主さんは仏さんから神さんになった」と言う。明らかに最も古い家の開祖の墓を「祖先神」として祀っているわけである。
この墓所の主である「矢立氏」の子孫は、すでにこの土地には住まっていない。以前は集会所付近にあった屋敷に住まっていた ということである。
【作者註】神楽の幟に「矢立某」の奉納者名が染め抜かれているところを見ると、それほど古くない時代に
この地を離れ、いまだにこの地との何らかのかかわりを保っておられるものと思われる。
(3)荒神(こうじん)
雪矢神社を背後に抱える家と反対側(右側)の家の裏の森の中、大きな樫の木の根元に祀られている。伝承、
起源は不明である。
【作者註】森の地面に御幣を立てて祭られていることから、いわゆる「三宝荒神」(火の神、
竈の神)ではなく、「地荒神」ではないかと思われる。だとすれば、山の神、集落神、地の神としての性格があるのかもしれない。あるいは「牛馬神」か。いず
れにせよ、「荒神」と呼ぶからには「荒ぶる神」「祟り神」として恐れられるべき神であろう。後に述べる「カケグリ」も、「荒神さんは欲張りじゃけん」と、
荒神にだけは他の神と異なりたくさん供えるが、これは荒神のたたりを恐れたものと解釈することができる。また、大河内神楽には「荒神」という舞いがあり、
地域の人々の荒神さんへの畏れをかいま見ることができる(大河内神楽の項参照)。
(4)水神(すいじん)
雪矢神社参道の、鳥居をくぐったすぐの、カヤの木の下に祭られている。
端的に水の神である。伝承、起源は不明である。
【作者註】これとは別に、各家にも水神は祀られているが、全て水源に近い、あるいは水源に関わる場所に
祀られている。とすれば、この水神も、集落の水源に、なんらかかかわりがある場所なのかもしれない。
(5)ササワキ(漢字不明。「笹湧き」あるいは「笹脇」か?)
雪矢神社社殿のすぐ下に、次の「モリ」と並んで祀られている。「モリ」とは別に供え物をする。伝承、起
源、どのような神であるかは不明。
【作者註】西都市東米良の銀鏡(しろみ)地区では、「ササワキ」は御幣の形であって、流れ
潅頂として川に流すものというが、それ以外の民俗資料で「ササワキ」の名を見つけることが今のところできていない。椎葉の他の地区で同じ神が祀られている
かどうかも、寡聞にして知らない。ために、ササワキが何を意味するのか、どのような神であるのか、あるいは仏教の影響を受けたものか、など、分からないこ
とだらけである。
(6)モリ(漢字不明。「森」あるいは「杜」か?)
ササワキの項参照。起源、伝承不明。古老に聞いても「モリは森じゃろうかね?」と返ってくる。
【作者註】もし、この「モリ」が「ソシモリ」のこととすれば、牛頭天王(スサノオ)信仰と
かかわりがあるのかもしれない。が、「ササワキ」と並んで祀られていることについても考える必要があるだろう。大河内神楽には、「森」という舞があり、関
わりがあるものと思われる。しかし、これもまた分からないことだらけである。
(7)その他の神仏
次回以降執筆
2.祭具、供物
(1)神体としての御幣(ごひい)
「ごへい」ではなく、「ごひい」と呼び習わす。梶紙(かじがみ=梶の木から漉かれた和紙)を折り、小刀で
切って四角形や三角形が連なった複雑な形を作り、 それを篠竹にはさんだもの(写真1に、いくつか写っている)。
御幣とは、「神に捧げるもの」かと漠然と思っていたが、実は、神そのものを体現するものなのであった。
したがって、神それぞれで、御幣の形は違う。これは水神の御幣、これは山神の御幣・・・とはっきりと折り方、切り方が区別されているのである。
ご神体がない神を祀る場合、この御幣そのものが神として祭祀の対象となるわけである。
御幣は、年1回、冬祭(神楽)の際に新しいものが、祝人子(ほうりこ=神楽を舞う神人)によって共同作業で作成され、
それぞれの神の分が更新される。ただし、屋外に祭られる神々については、取り替えるのではなく、新しいものを加えていくという方法となる。
また、冬祭の際には、各家庭の水神への御幣も配布され、各家庭で大晦日に新しいものを加えて祀る。
御幣の形については、後日図示する予定である。
(2)カケグリ(漢字不明)
篠竹を節から上に3寸(約13cm)、下に1寸(約3cm)ほど切って、中に御神酒(焼酎)を入れたもの
(右の写真)。 神に供える御神酒の容器として使われる。祭祀のたびに新しい篠竹を切ってきて作られる。作るのは、世話役の仕事である。
祭神ごとのカケグリを供える数は決まっていて、以下のとおりである(特記がないものは2本を一組としたもの)。
●雪矢神社社殿内
主神:2組 山神:2組 稲荷:2組 大神:1組
●地主堂内
地主像:1組
●森の中に祀られた神
ササワキ:1組 モリ:1組 水神:1組 荒神:1組(ただし、通常年12本、閏年13本を一組としたもの)
冬祭の際には、各家庭の水神に供えるカケグリも水神御幣とともに配布される。配布されるカケグリには神社
本殿に備えられた御神酒が入っている。御幣と併せて「水神幣(すいじんび)」と呼ばれる。
【作者註】荒神に供えるカケグリの数は、旧暦の月の数(通
常年は12か月、3年に1度の閏年は13か月=二十三夜で供える餅の数もそれに従う)に他ならないと思われる。
(3)海のもの、山のもの・・・
カケグリ以外の供物は、雪矢神社主神と、地主との2つに供えられる。
雪矢神社主神に対してが最も本格的な供物であり、海のもの(魚)、山のもの(野菜)、果物2種と、必要に応じて餅が供えられる。
地主堂への供物も、海のもの、山のものという考え方であるが、具体的には、塩、米、煮干という軽い内容になっている。
3.年間の祭祀
(1)地主講
旧暦の3月17日に行なわれる祭。地主さんの命日だといわれる。地租神の祭りである。
神事(神主及び世話役で執り行う)ののち、集落の全員(老若男女)が集まって、酒を酌み交わす。
(2)さのぼり(さなぼり)
全戸の田植えが終了した頃を見計らって、世話役が日程を諮り調整して開催される祭り。豊作祈願の神事(神
主及び世話役執行)ののち、集落の全員が集まって、酒を酌み交わす。
(3)二十三夜
旧暦の9月23日、神事の後、月の出(深夜)を待ちながら酒を酌み交わす。
月待ちの祭り。餅を月の数(通常12個、閏年には13個)供えて、月祭りをする。男(壮年)のみの祭りである。十五夜の習慣はないが、二十三夜はちゃんと
した祭りとして執り行われる。
(4)神楽(冬まつり)
12月はじめに行なわれる、収穫を神に感謝する祭り。「秋祭り」とも呼ばれる。
雪矢神社から神を集会センターに移し、神楽を奉納する。3年に1度の「一コヤ(ひとこや)」と、それ以外の年の「半コヤ(はんこや)」があり、
一コヤのときは日没から夜明けまで、半コヤの場合は日没から深夜まで、神楽を舞う。地域以外の来客もある、集落最大の祭りである。
(5)酒迎え(さかむかえ)※
地蔵迎えともいい、近隣の北郷村にある宇納間地蔵の鎮防火災の札を迎える祭り。宇納間地蔵は、防火の霊験
あらたかということで、
近辺のみならず、熊本県、大分県からも、例大祭の参拝者は多い。この防火札は、各家庭に2枚、旧道の交わる場所(辻)に各1枚貼るのが習わしとなってい
る。
例年、くじ引きで代参者2名を決め、集落全体のお札を入手してもらうのだが、その慰労会と、地蔵への信仰の祭りとして、この行事がある。集落全員の祭り。
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※この記述について、九州ハイランド観光ガイド・インスト
ラクター協会副会長の井澤さん(熊本県在住)から、次のようなメールをいただきました。
「酒迎え」の表記ですが、私も以前はこのように書くと思っていま
した。「どうかくのか?」と尋ねられ、郷土史家の先生に聞きましたところ、集落の代表者がお参りしてお札をいただいてきたのを、村のはずれ(他の村との
境)まで出迎えて労った。だから「さかむかえ」「境迎え」と表記。
矢部の中川さんというおじいさんは『その「さかむきゃ」(私には
老人はこう発音したように聞こえました)の飲み方をした小さな原っぱのことを「さかむきゃばる」と呼んでいた』そうです。
こちらでの「境迎え」は、阿蘇神社にお参りしてお札をいただいて
きたときで、今は公民館で開催。
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以下未稿
4. 個別祭祀の態様
1.地主講
2.さのぼり(さなぼり)
3.二十三夜
4.神楽(冬まつり)
5.酒迎え(さかむかえ)
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