藤田経信 ( フジタ ツネノブ)
旧漢字では、藤田 經信 と書く。
藤田経信は日本の水産増殖学の祖といわれる。
藤田は東京帝国大学理学部動物学研究室教授は飯島魁
であった)を卒業後、農林省水産講習所技師を経て札幌農学校水産学科主任になり、
水産養殖に関する科学・技術を普及させた。後の藤田の専門は水産養殖であったが、早くから当時は着目されていなかった後鰓類の研究を行った。
この一連の三崎産後鰓類の研究は帝大の卒論で、藤田は
全9種の後鰓類を研究した が、恐らく本邦において、分類学的な階級も記載した初めての論文だと思われる。藤田は他にもアメフラシの
卵塊に関する優れた研究論文などがあるが、こちらも当時は稀だった発生学の実験論文として評価が高い。
1889年 (明治22年) 札幌農学校(後の東北帝国大学農科大学で現在の北海道大学)卒業
1892年 (明治25年) 東京帝国大学理学部動物学教室卒業。この時の教授は飯島魁であった。
1892年 (明治25年) うみうしの研究成果を発表。発表は明治27年まで断続的に続く。
1896年 (明治29年) アメフラシの卵塊に関する研究を行う。
1897年 (明治30年) 国が主催する第2回水産博覧会にて展示水槽の飼育管理にあたる。水槽の設計者は飯島が担当した。
1908年 (明治41年) 10月から1918年(大正7年)の3月まで東北帝国大学農科大学水産学科主任(主事)
1918年 (大正 7年) 4月から1920年(大正9年)の9月まで北海道帝国大学附属水産専門部主事