新しき幕明き
林達夫
われに慕はしきは眠ること、更に幕はしきは石となること、
迫害と屈辱とのつづく限りは。
見ず、聞かず、なべて感ぜず、それにもまさるさいはひは今のわれにはあらじ。
されば、われを揺り起すなかれ…… 物曰ふなら、声低く語れ!
――ミケルアンジェロ
戦後五年にしてようやく我々の政治の化けの皮もはげかかって来たようであるが、例によってそれが正体をあらわしてからやっと幻滅を感じそれに喰ってかかり始めた人々のあることは滑稽である。人のよい知識人が、五年前、「だまされていた」と大声で告白し、こんどこそは「だまされない」と健気な覚悟のほどを公衆の面前に示しているのを見かけたが、そういう口の下から又ぞろどうしても「だまされている」としか思えない軽挙妄動をぬけぬけとやっていたのだから、唖然として物を言う気にもなれない。えてして、政治にうとい、政治のことに深く思いを致したことのない人間ほど、軽はずみに政治にとびこみ、政治の犠牲になるというのが、わが国知識階級の常套である。政治くらい、人の善意を翻弄し、実践的勇気を悪用するものはない。真のデモクラシーとは、この政治のメカニズムから来る必然悪に対する人民の警戒と抑制とを意味するが、眉唾ものの政治的スローガンに手もなくころりと「だまされる」ところにどうでも人が頼らねばならぬ政治のおぞましい陥穽があるともいえよう。私は化けの皮をかぶっていない政治というものには、未だかつてお目にかかったことがない。その限りだけでは「ウォール・ストリートの政治」だって、クレムリンの政治だってさして変りはない。いずれも程度の差こそあれ羊の皮を着た狼なのである。
「戦後政治」の化けの皮をイの一番にはがすことを当然その任務の一つと心得ていると思われた陣営の人々が、太平洋戦争の規定において、占領軍の性格づけにおいて、到底我々が正気の沙汰とも思われぬ「たわ言」を吐いていたことは、当時私の少からぬ驚きであった。狐のばかし合いだとも受取られたが、どうやら本気でそれを言っていたらしいことは昨今の「自己批判」とやらによって遺憾ながら逆証明された形である。「奴隷の言葉」といった気の利いたものではないのだから、かなしい極みである。
戦後、人々が民主主義政治だといって大さわぎしていることに、私は少しも同調することができなかった。私にいわせれば、本質的には、そんなものは、ひとつの不手際な真似事、見せかけの政治ごっこにすぎなかったのである。いわば猿廻しに率いられる猿芝居も同然、仲間入りはもちろん真平だし、見ていると気が滅入りそうなたぐいの景観だった。肝腎な振り付けひとつ自分ではできないのが、猿ども一座の宿命だったのだ。そしてこの惨めさこそが、敗戦の瞬間、我々に約束された鉄の掟《おきて》、恐らくは今後何世紀かにわたって我々が多少とも悩み苦しまねばならぬ遺贈であったのだ。
あの戦争そのものについても私は一般とは少しく別な解釈をもつ人間であるが、そして私は決してその戦争を是認しているわけではないが、しかし戦争に敗れるということの暗い恐しさを、世界史の生きた先例の数々は私に前もって教えてくれていた。だから勝目のあるとも思われぬあの戦争に、それかといって事もなげに人々の言ったようにおいそれと負けることにも、私は堪えられない理不尽な思いに駆られていたのである。私はあの八月十五日全面降伏の報をきいたとき、文字通り滂沱《ぼうだ》として涙をとどめ得なかった。わが身のどこにそんなにもたくさんの涙がひそんでいるかと思われるほど、あとからあとから涙がこぼれ落ちた。恐らくそれまでの半生に私の流した涙の全量にも匹敵する量であったであろう。複雑な、しかも単純な遣り場のない無念さであった。私の心眼は日本の全過去と全未来とをありありと見てとってしまったのである。「日本よ、さらば」、それが私の感慨であり、心の心棒がそのとき音もなく真二つに折れてしまった。
嫌悪に充ち満ちた古い日本ではあったが、さてこれが永遠の訣別となると、惻隠《そくいん》の情のやみ難きもののあることは、コスモポリタンの我ながら驚いた人情の自然である。何かいたわってやりたいような心のこる気持で、私はその日その日を送っていたが、かかる心に映るぎすぎすとうわずった、跳ね上った言論の横行しはじめたことがどんなにやり切れなかったことだろう。また二の舞いかと心は沈む一方であったとき、私の心に素直に這入《はい》ってきてなぐさめになってくれた文章に、たった一つ川端康成氏の小さな感想文がある。島木健作を追悼して、「私の生涯は『出発まで』もなく、さうしてすでに終ったと、今は感ぜられてならない。古の山河にひとり還つてゆくだけである。私はもう死んだ者として、あはれな日本の美しさのほかのことは、これから一行も書かうとは思はない。……」と静かに語る氏の言葉ほど当時その不思議な重量感をもって私の肺腑をついたものはなかった。敗戦に打ちのめされてほとんど身を起すこともできないような痛々しいこの作家の「声低く語れ《パルラ・バッソ》」の葬送曲にくらべれば、他の浮々した発言はほとんどみな白々しい空語、空語、空語であった。
あの八月十五日の晩、私はドーデの『月曜物語』のなかにある「最後の授業」を読んでそこでまたこんどは鳴咽《おえつ》したことを想い起す。戦前、戦中、私は或る大学でアメリカ合衆国史を講じていて、当時としては公平至極に歪曲しないアメリカのすがたの闡明《せんめい》に努めたものだが、その日以来私はぴったりアメリカについて語ることをやめてしまった。もはや私如きものの出る幕ではなくなったからである。日本のアメリカ化は必至なものに思われた。新しき日本とはアメリカ化される日本のことであろう――そういうこれからの日本に私は何の興味も期待も持つことはできなかった。私は良かれ悪かれ昔気質の明治の子である。西洋に追いつき、追い越すということが、志ある我々「洋学派」の気概であった。「洋服乞食」に成り下ることは、私の矜持が許さない。「黙秘」も文筆家の一つの語り方というものであろう。事アメリカに関する限り、私は頑強に黙秘戦術をとろうと思った。コンフォルミスムには、由来私は無縁な人間であったのだ。
その時から早くも五年、私の杞憂は不幸にして悉《ことごと》く次から次へと適中した。その五年間最も驚くべきことの一つは、日本の問題が Occupied Japan 問題であるという一番明瞭な、一番肝腎な点を伏せた政治や文化に関する言動が圧倒的に風靡していたことである。この Occupied 抜きの Japan 論義ほど間の抜けた、ふざけたものはない。「奴隷の言葉」を使っていたと称する連中までが、そういう論義の仲間入りをしていたのだからあきれる。籠の中の日本共産党――私はその運命には満腔の同情をそそいだものだが、その「龍」を忘れて大言壮語するものに、たまたまその龍の存在を注意すると、私は極まって嘲笑され、叱咤されたものである。ソヴェート同盟を見ろ、中共シナを見るなどと言われて。まるで政治初等数学の正比例と反比例をもわきまえていないかに思われた。「マッカーサーの日本」――この簡単な政治地図に目を据えて政治を談ずるもの、少くともその地図を胸中に秘めて政治を誠刺するものがほとんど数えるほどしかなかったところに、この国の政治論義の度し難い低調さと不真面目さとがあった。戦争の真実を見得なかった連中は、やはり戦後の真実をも見得られなかったわけである。戦争後の精神的雰囲気の、あのうそのような軽さこそ、人民の指導的立場にある知識階級の政治的失格を雄弁に物語るものである。
尤も地球そのものがその意味では、その苦渋の皺深さにもかかわらず案外軽くなって来ているのかも知れない。愚民政治がその至るところに徹底してゆきつつあるからである。人民の目覚めという貴重な大波小波でさえ、一種の愚民政治の魔の湖に呪縛されつつある現状だから。レオパルジの書いた文章の一つに『ヘラクレスとアトラスとの対話』というのがある。ゼウスに命じられて、地球を担いでいるアトラスの肩休めのため身代りにやって来たヘラクレスに対して、アトラスは近頃地球がほかに軽くなったからその儀に及ばずと辞退する話である。やがてその軽くなった原因についての、このペシミスト特有の痛烈な皮肉に味つけられた二人の評定が始まるのであるが、私は少くとも代表的日本人とも呼ばれるほどの人々には、いまの日本の「重さ」に押されたアトラス的負荷感を示したおのずからなる姿勢がなくてはならぬはずだと思う。その意味でたしか一昨年の八月、敗戦三周年の感想として書かれた矢内原忠雄氏の『占領治下の日本』(『表現』)と題する一篇は当時批評家からはほとんど黙殺されたが、私の印象に強くのこった文章であった。少しばかり旧約の預言者じみたアクセントは気になったが、その全体に破っている圧しひしがれた先覚者のみが自ずと表現するアトラス的負荷感には心打たれるものがあった。 Occupation というものがどういうものであるかを本当に冷徹に知っているものの灼熱した精神的風土が、まことに当時稀有なことではあったが、そこに展開されていたのである。あらゆる立場の相違にもかかわらず、私はその点には氏に深い敬意を払わないわけにはいかなかった。
政治の化けの皮がはげかかってから、それを追及し、それに悲憤慷慨することはたやすい。定めし、幕末志士の現代廉価版が、これからこの国土に輩出することであろう。というのは、わが日本は、いまや二度目に「尊王攘夷」ないしは「尊王か攘夷か」の時代に足を踏み入れて来たようだから。だが、言い古されたことだが、大いなる歴史的事件は二度繰返す、一度目は悲劇として、二度目は道化芝居《ファルス》として。どうやら、その道化芝居がいよいよ幕を明けたようである。いままでの五年間はInterlude、否、その幕前の単なる準備にすぎなかったのである。