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平成21年10月24日 朝10時
近鉄橿原神宮前駅に参加者9名が参集しました。
今回は下記の通りの
約8キロのコースです。
橿原神宮前駅 ― 甘樫の丘 ―
飛鳥坐神社 ― 伝 板蓋宮跡 ― 川原寺 ― 橘寺 ―
近鉄岡寺駅
参加者は、竹中さん、玉村さん、岡嵜さん、山本さん、寺森さん、鉄野さん、岩崎さん
プラス父親に似ていない?素敵なお嬢さん、そして 西本(案内役)です。
一行は勇躍最初の目的地、甘樫の丘を目指して歩き出しました。途中スーパーに立ち寄って弁当、飲み物(アルコール類?)を調達し、孝元天皇陵(8代)を右に見ながら、さすがにみな強者揃い足取りは軽快そのものです。
ほどなくして甘樫の丘に到着、丘からの眺望は藤原京跡とそれを囲む大和三山(畝傍山、耳成山、香具山)や二上山が望まれ、また眼下には伝
板蓋宮跡、飛鳥寺等が広がり風光明媚です。丘には持統天皇が詠んだ百人一首の一番「春過ぎて、夏来るらし、白妙の、衣干すてふ、天の香具山」の句碑があります。訳しますと(衣替えの季節です。洗濯をした衣は緑で青々としている香具山の木々に干しましょう。)だそうです。
甘樫の丘:古代飛鳥を偲ぶロマンのシンボル。一作年の発掘調査で曽我父子の邸宅跡が見つかったとされています。
藤 原
京:中国で云う四神獣(青竜:東、白虎:西、朱雀:南、玄武:北)に守られ、大和三山に囲まれた日本最初の城郭都市(唐の長安を模倣)で持統天皇(天武天皇の皇后、天武天皇が没後即位。推古天皇(33代)斉明天皇に次ぐ女帝。)が建立しましたがわずか16年で平城京に遷都されました。
二 上
山:男山と女山から成っており秋分の日には石舞台(蘇我馬子の墓と云われています。)と二上山を結ぶ線上に太陽が沈むそうです。時の権力者馬子は自身の死後に魂が仏教で云う西方浄土(極楽)に向かう事を願って墓を造らせたのでしょうか?
余談ですが、本番に先立って今回のコースを試行しましたが、藤原京跡は周囲を山に囲まれた湿地帯です。何故、このような場所に都の建立を?と思う私に明日香村に住む古老が「稲作に一番必要なのは水」更に「渡来人、外国の使節は大阪湾から大和川−飛鳥川−を遡上して都に来た。交通が便利」との事。確かに平城京は
大和川−佐保川、平安京は淀川−加茂川の「河川交通」、説明に納得でした。

丘を降って飛鳥坐神社に向かいました。飛鳥坐神社の祭神は五穀豊穣の神様です。ここで昼食を摂る事にしましたが、何と用意された酒類は缶ビール18本、清酒2リットル。実りの秋の原風景をアルコールで清めつつ、和気藹々の談笑の中に同窓の固い絆を感じつつ昼宴は粛々と進んで・・・?謹んで神様に乾杯!!昼食ならぬ昼の宴が終わり飛鳥寺目指し再出発。一行の足取りは酒宴の後とは思えぬほど健脚そのもの、まさしく強者中の強者。恐れ入谷の鬼子母神
飛鳥坐神社:(アスカイ)毎年2月の第一日曜日に五穀豊穣、子孫繁栄の神事が催されます。
飛 鳥
寺:曽我馬子の創建になる日本最初の寺院で日本最古の木製大仏を収蔵しています。
伝 板蓋宮跡:(イタブキノミヤ
伝=土地の言伝えによると、つまり定かでない)天皇(斉明)が政務を執ったところで大化の改新(645年)の舞台です。時の権力者
曽我入鹿(現代版 小沢一朗?)を外国の使者が到着したとの虚言でおびき出し中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)が合力して討った場所と云われています。その時
中大兄皇子が刎ねた入鹿の首は1キロ程離れた飛鳥寺の側までとんで行ったそうです。(その場所には首塚があります)
川 原
寺:建立当時最大の寺院で発掘された紅殻格子は万葉博物館に収蔵されています。
橘 寺
:聖徳太子誕生の地と云われ、また境内に植えられている橘とは紀州蜜柑のルーツであり、垂仁天皇(11代)から不老長寿の食物を探すよう命じられた側近の田島守(タジマノモリ)が持ち帰った物と云われています。
さて、一行は益々健脚、奇妙な「亀石」を見学した一行の目に留まったのが土地の酒蔵元の「利き酒OK」の立看板。みんな何の躊躇もなく酒蔵へ直行、地酒3種類4号壜3本が瞬く間に空に。(鉄野、玉村、山本さんの至福の顔)蔵主のご母堂は齢90歳、肌は艶々スベスベ。思わず玉村さんが顔を撫で手を握り・・・感激。(ご利益があったかな・・・?)一同は利き酒に大満足。お礼の意味で清酒を10本程購入。

中宴を終えた一行は更に足取り軽く途中で八尺烏大明神に参拝して一路ゴールの岡寺駅へ。
岡寺駅に到着したもののタッチの差で電車は出発してしまい、次の電車は約20分待ち。意気軒昴の一行は橿原神宮駅までの道程約1.5キロを歩行に決定。
八尺烏:(ヤタガラス)サッカー日本代表のユニフォームの胸マークで有名ですが、出自は初代天皇
神武天皇が東征の際に3本足の烏が道案内をしたと言う事で天皇ゆかりの熊野大社、伊勢神宮、上、下賀茂神社に祀られています。
橿原神宮駅に到着後しばらく休憩した一行は今度は夜宴のできる店を探す事に。この時点で岩橋さん父娘、寺森さんが所要のため帰宅しました。駅前には店が少なく八方探して居酒屋「友栄」にたどり着くも17時の開店時間まで店に入れないとのつれない返事。ここで玉村さんの登場。曰く、「家の近くの友栄は何かと利用しているが今後一切止めてしまう!」と一喝。その後の店長の態度は推して知るべし・・・痛快。

この日は大阪和工会
総会日の2週間前で錦秋には時期尚早、木々の葉は緑色でしたが参加者一同「錦顔」の一日でした。
先輩、後輩交合の「歩行、遊行会」やはり同窓生は素晴らしい・・・感謝。
( S40年 機械科卒 西本
郁夫 記 )

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