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Love and Peace 2013年 その時々のオサムカラムコラム
Imagine all the people living life in peace John Lennon
               
赤字はワンポイントイメージのためで、リンクではありません。) 

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12月27日(金)
マー君
楽天のマー君田中投手のMLB移籍が騒がれているが、大丈夫なの?とちょっと不安だ。
移籍過程が不安なのではなく、マー君が新天地で期待通り活躍できるかが心配なのだ。
マー君の試合をそれほど見たことはないが、印象としてマー君はダルビッシュやかつての野茂や佐々木のように快刀乱麻、バッタバッタと打者から三振を奪いキリキリ舞いさせるタイプではないような気がするからだ。いわゆる打たせて取るタイプのピッチャーがメジャーでどの程度通用するのだろうか。日本で24連勝無敗の新記録とはいっても、かなり運が味方してくれた試合もあるし、今までの長イニング投球の悪影響はないのか。
専門家が見ると岩隈が成功している例もあるし心配はいらないのだろうが、できれば岩隈+ダルビッシュのような投手になって是非ともメジャーを沈黙させてもらいたいものだ。
なんにしても日本人が海外で活躍するのを見るのは快いものだ。これぞ愛国心?
江戸川のマー君は元気かな?
12月26日(木)
下の続き
俺「え、なにそれ、俺はお前の会社になんか行ったこともないよ、そのI氏と言う人も全然知らないよ」。
彼「なに言ってんのよ、輪転機を見学させたじゃないよ、あの頃I氏が担当のテレフォンカードを印刷してやったじゃん」。
俺「そんなこと言ったって、俺はそんな覚えはまるっきりないし、だいいちお前の会社の場所だって知らないぜ、とにかく行ったことないんだからそれはなにかの間違いだよ」。
彼「行ったって!、それならお前の奥さんに聞いてみなよ、奥さんなら絶対覚えてるから」。
なんて会話を交わしながら帰ってきたのだが、俺はもちろん彼の印刷会社にテレカの印刷を頼んだこともなければ、行った記憶もない。これは断言できるのだが、しかし、前にも書いたが人間思い違い記憶間違いと言うことはある。長年印刷業をやっていていろいろな取引業者と関わってきたので、もしかして忘れているということもわずかの可能性だがないことはない。俺は謙虚なので!そこでは自分の言い分を言い張らず、なんとなくその話題は終わったのでした。
家に帰ってこんな話題があったとうちの妻に言ったら、妻も、もちろんそんなことはない、K君は何か勘違いしてるんじゃないのと。わが社は彼の会社と取引は一度もなかったと。
しかし、あのときのK氏はかなりの確信というか、断言というか、昨日の事のようにはっきりと詳細に昔の出来事を話すのだった。しかも俺という個人をはっきりと出して言うのは何なんだろう。
たぶん彼には昔そのようなことがあったんだろうと思う。その相手が俺ではなく他の人で。
その当の相手とは最近付き合いがなくて、このごろよくアウトドアで付き合う印刷業の俺と記憶が入れ替わってしまったんだろうと思う。
それにしても彼の断定はこちらの言い分を全然聞かず、気の弱い俺は、もしかして俺の記憶違いか?と思わせるに十分だった。あのまま彼が更に強く言い張れば、こちらも、そうかなあ、そんなことはないんだけどお前がそれほど言うなら俺が忘れてしまったのかもしれないなあくらいは思ったかもしれない。それに、こちらもあまり言い張ると彼との関係も気まずいものになるといけないのでその場はなんとなく納めたのだった。
仲間との何気ないただの会話でもこれだ。冤罪を作り出すのは容易だ。

それにしても選挙で有権者の四分の一の支持しか得ていない自民党安倍首相は強気だなあ。
宗主国アメリカにまで逆らっちゃっていいの?
12月25日(水)
下の続き
Merry Christmas !
12月最後の連休はあわただしいがこれと言って緊急の仕事もない。世捨て村に行って先日山から引きずり出しておいた倒木を切って作りに、ついでにもし天然氷ができていればそれも採取してこようと、アウトドア好きの仲間と出掛けた。
冬至の日だ。途中柚子を少しだけ採取して露天柚子湯に入りましょなんてのんびりムードだ。
道路わきの山にはかなり数の多い野生猿の群れが木の実や何かを食べていた。大きな群れ猿の老若男女だ。車を降りて撮影しても全然警戒しないで逃げもしなかった。人は危害を加えないと知っていて慣れているのだろう。
世捨て村は雪景色だった。
薪を作り、ずりだしを食べ、柚子湯に入ってまだ気分はのんびりだ、しかし山の日の暮れは早い、道も凍結の恐れがある、早く帰らなきゃと実際はなかなかのんびりもしていられない。
さてその帰路の車中、一緒に行ったK氏がかつての職場の話題を出した。彼は大きな印刷関係の会社に勤めていたことがあるのだ。その当時この俺をその会社の工場に案内し、輪転機や何やらを見学させ、I氏と言う人を紹介したことがあったねと昔を懐かしむように言ったのだった。
続く
12月24日(火)
冤罪可能性
Merry Christmas!
まじめで気の弱い人ほど冤罪に巻き込まれやすいと思うことがまたまたあった。
別に犯罪に関係する冤罪ではないのだけれど、ははあ、これが孤立無援の取調室だったら全く身に覚えのないことでもウソの自白をしちゃうんだろうなあと思ったのだ。
同じようなことは前にもあった。仲間とキノコ採りに行った際、コンビニで買ったおにぎりが袋に入ってなくて、確かに買ったはずなのにと言ったが仲間は信じてくれず、ないんだから買ってなかったんだよ、思い違いじゃないのと押し切られてしまったことがあった。そのおにぎりは家に帰ってきてから車の中を探してみたら、隅の方に転がっていて発見されたが、もし出てこなかったら確かに買ったと言う俺の言い分は通らず、買ったのは思い違いということにされるところだった。
さて今度の「事件」はこうだ。
続く
12月11日(水)
柿保存法
我が家の柿は今年は去年ほど実らなかったが、よそ様では豊作だったらしい。知人の甘柿をたくさん採らせてもらった。さてこの柿をどうしよう。このまま置いても熟してしまうので柿酢にする手もあるが、何とか柿の味のまま保存できないか。渋柿でなく甘柿でも干し柿にできるが、干し柿はかなり完成までが面倒で時間もかかる。しかも外に吊るしておくので野鳥は来るし、長期間なので埃もたかるし、放射能もまだ漂っているだろう。ちょっと敬遠したい。
そこで以前もやって好評だった柿チップを作ることにした。前回までは竹のざるにスライスした柿を並べて天日に干した。スローフードだから時間はかかってもいいけれど、埃が問題だ。そこで、段ボール箱と布団乾燥器を利用して特製乾燥器を作った。

・箱下部に丸い穴を開け布団乾燥機の蛇腹を差し込む。
・上部には排気口の穴を開け、脱脂綿で覆う。
・大きい箱がなかったので、30cm×30cmの金網を6段  設置。もちろん取り外し可。
・手作り感100%、扉は紐で縛って熱気を逃がさない。
・これでいろいろな野菜や果実類をドライにできる。
・handmade dried kaki ,delicious !
・金網6枚で約1,200円、布団乾燥機約4,000円。
12月6日(金)
特定秘密保護法
特定秘密保護法案を作成した官僚と自民党はよほど慌てていたのだろう、普通なら「秘密」などというあからさまな語彙は入れず、「情報」というような語に代えてごまかすのが常套手段なのに、今回はなぜか「秘密」という不快で多くの国民に忌み嫌われるであろう言葉をそのまま使った。
東京新聞は昨年の2月から特定秘密法案の危険性を指摘して法案反対の論陣を張っていたが、他の新聞等のマスゴミはどうだったんだろうか。
成立確実になってから騒ぎ出したような気がしてならないが、これも戦前の暗黒時代に戻したい政府自民党・公明党の策略にやられたのかもしれない。
いくら野党が抵抗しても数の力で法案は成立する。成立したものは仕方がない、これからはこの法律を廃止する法律を成立させるキャンペーンを持続的に行わなければいけない。そして次の地方選挙や総選挙で、この天下の悪法を可決した自・公を勝たせないようにしなくてはいけない。
自民党のお偉いさんが「強行してでも会期内に成立させれば正月になれば国民はすっかり忘れている」と言ったと新聞に出ていたが、国民もなめられたものだ。
国民がこの自民・公明の暴挙を次の総選挙まで忘れないようにするのは容易ではないが、マスコミは今こそその良識を発揮し、持続的に問題提起し、廃止に向けて啓蒙し続けなくてはならない。マスゴミと言われないようになる絶好のチャンスだ、名誉挽回、汚名返上だ。
それにしても公明党の支持母体創価学会はかつてその創始者が治安維持法によって権力に弾圧され獄死したのを忘れたのだろうか。
11月7日(木)
本音のコラム
特定秘密保護法案に関して、様々な方面から批判が噴出しているのは当然だが、成立を推進している自民党などの国会議員はこの法案の持つ危険性を危惧しているのかいないのか、あるいはどう考えているのかがあまり伝わってこない。
と言うのはこの法案が当然当の国会議員をもやがては縛ってくる恐れがあるということを意識しているのかいないのかが語られていないからだ。伝わって来ないということは議員たちは何の心配もしていないということだろうが、そうならば大馬鹿どもだ。
その辺が不思議だったのだが、116日の東京新聞朝刊の「本音のコラム」で斎藤美奈子氏がそこを喝破して、議員に対して嘲笑と言うより大笑いしている。
今政権を担っていても、選挙で政権交代したときに野党になった政権党の議員たちがいくら国会で時の政府の秘密を追求しようとしても無駄だ。特定秘密なので答えられませんと言われればそれまでだからだ。自分で作った法律に縛られるのである。

さらに、政権党であっても閣僚へは今までの原発関連情報でも明らかなように、官僚からは重要な情報は上がって来ないので、閣僚が官僚に詳細な説明を求めてもこれは秘密事項なのでということで拒否されてしまう。
かくして日本は官僚が与党も野党も国民も、つまり日本の全権を掌握してしまう更なる官僚国家になるのだ。
斎藤美奈子という文芸評論家を東京新聞の「本音のコラム」で知ったが、なかなかに筋がある人で、文章も本職とあって読みやすくただ硬いだけでなく硬軟自在で面白い。政治にもそこらの御用政治評論家より数段事情に精通している才人だ。
こういう人に大いに論陣を張ってもらえば世の中も少しは良くなるのではないかと思う。
11月6日(水)
盗聴
ウソかホントか知らないが、電車の中で痴漢に遭わない女性は、そんな不快で卑劣な犯罪に遭わなくてラッキーと当然思っていながら、自分に魅力がないのではないかとも思って内心口惜しい気持ちもあるのではというというような話を以前雑誌かなんかで読んだことがある。
米国家安全保障局の世界の指導者に対する盗聴問題がいま世界中を騒然とさせているが、わが安倍晋三イケイケ戦略首相はその中に含まれているのだろうか。(安倍首相は何でも「戦略的」と付けたがる。意味不明だ。)
同盟国ドイツのメルケル首相の携帯電話も盗聴されていたらしいので、当然わが国の首相も盗聴されていると考えるのが自然だが、先に出した例ではないが、米国は日本の首相を盗聴しても何の魅力も利益もないし言いなりなので何の心配もないからと考えて盗聴されてなかったら、安倍総理も喜んでいいやら嘆いていいやら複雑だろう。「なんでオレの電話は盗聴してくれないんだ」と怒っているかもしれない。
そのどうも盗聴されていそうもない安倍総理がいよいよと言うか満を持して戦略的戦前回帰に猛進だ。国民より国家を人格として大事にする政策はアメリカの世界戦略に組み込まれてのことだろう。こんなことなら日本はアメリカ合衆国の1州になった方がいいんじゃないのか。その方がこのまま日本として進んでいくより国民にとっては安全で幸せかも知れない。
例えば、多くの国民や法律学者・文化人が反対を表明している特定秘密保護法案にしても、このまま法案が通れば本家のアメリカより日本国民にとっては厳しくなる。アメリカでは一定の期間を経れば公開されるように、一応情報公開にも配慮されているというし、まだ日本よりは民主的に思える。
アメリカの言うなりの自民党が唯一独自性をこだわっている憲法にしてもアメリカ合衆国日本州になれば米憲法でいいわけだから改憲に苦労しなくてもいいぞ。
痴漢とアメリカの盗聴は許すことはできないが、たとえ話にしては戦略的にまずかったかな。
10月17日(木)
安倍戦略的政権
民主党政権から再び自民党安倍政権になってキナ臭い動きが出てきた。どうも戦前の日本に戻す気らしい。
憲法改悪、それに時間がかかると思うと、解釈改憲で集団的自衛権容認だ。解釈改憲いわば解釈改法は非常に危険な発想で、法律の意味がなくなってくる。時の政権の都合のいいように法律を解釈してしまえばいいわけだからだ。
特定秘密保護法案もそうだ。秘密の特定は時の政権が指定すればどうにでもなってしまうし、情報の公開もなされないだろうから、特高警察の復活の恐れがある。非常に危険な法律だ。
政治も経済も先進国とは名ばかりで、むしろ未熟国なので、国民に直接寄与する政策ではなくて、政権・政府や組織を堅固に維持する政策を推進することが政府や企業の目的で、そうしさえすれば国民が幸福になると思っているらしい。考え方が逆で、国民が幸福になれば政権も安定し、消費者に利益還元すれば企業も発展し維持できる可能性が高いということに気が付かないらしい。
TPP、消費税増税、原発再稼働容認もすべてそれにつながってくる。
こうなってくると、公約違反により多くの支持者の大失望をかい、結果それによって前の自民党政権よりさらに劣悪な政権を作り出してしまった民主党の罪は大きい。
ところで、前安倍政権の「美しい国」はどこへ行ってしまったんだろう?
10月4日(金)

ベストセラー「里山資本主義(藻谷浩介・NHK取材班、角川書店)を読んだ。帯に「課題先進国を救う究極のバックアップシステムを提言」とある。マネー経済に支配されて何かモヤモヤした日常を送っている我々にとって目からうろこの提言だ。
すべてをマネーに換算して行動する「マネー資本主義」から貨幣に換算できなくてもそこにある価値を見出して生活する「里山資本主義」にこそ輝かしい未来があるという内容で、すでに実践している例を紹介している。
日本のいたるところで手入れされてない荒れ果てた山林(植林山)を目にする。あるいは手入れされていても放置されている間伐材、いつもそれを目にするたびにこの荒れた山林の木を何かに利用できないかと思っていたが、そのヒントも載っている。ペレットにして燃料にすればいいと。そんな発想が燃料革命を起こすのだと。
マネーに管理された生活で汲々としていると日々少しでも疑問に思っている人、いやそうでない人もこの本を読んでみることをお勧めする。

10月1日(火)
節約生活
5%でも大変なのに消費税が来年4月から8%に上がる。さらにそのあと10になるので自衛手段を考えなければいけない。電気料を何とか節約しようと、季節も爽やかになってきたので再び庭で薪でご飯を炊き始めた。ストレスも燃してしまうのだ。薪はもちろん買っているのではなく、庭木の剪定などで出た枝類だ。
私めはすでにかなり節約生活をしているがさらに考えなくてはいけない。
節約のほんの一例を挙げると、テレビはほとんど見ない。もっぱらNHKラジオだ。帰宅してラジオをつけたらたまたま安倍総理の記者会見をやっていたが、以前から安倍氏は経済問題になるとやたらと「エー、」を連発する。あまりに聞きづらいのでFMの音楽に替えた。
床屋なんてもう30年以上行ってない。ほーんの少し薄くなったとはいえまだかなり残っている髪だが、あんなものは電気カミソリについているトリマーでヒゲ剃りのついでにちょこっとやってしまえばどうってことない。ヒゲもいっそのこと伸ばし続けようか。電池の節約になる。
もちろんタバコなんていう野蛮で不健康なものは吸ったことがない。床屋とタバコで他の人よりかなり残っているはずな家計だが実感がないのはなぜだ。
不要な照明は消して回っているのは当然だ。回るほど広くない家だが。
かくなる上は下着なども毎日替えずに一週間は着続けてそのあとはひっくり返して着るというのはどうだ。臭くなっても命に係わることはないだろうが、清潔好きな私めには無理か。
いくら清潔好きと言っても毎日大汗かく仕事でもないので風呂なんて毎日入る必要もない。1週間に1度くらいにしようかな。雨が降ってきたら石鹸持って裸で外に出て洗えばタダだぞ。うん、これは夏にはできそうだ、ワイセツ容疑で捕まらないようにしなきゃ。俺が近所の顰蹙かって夕立に石鹸で体洗ってるのに、女房が毎日風呂沸かして入ってたんじゃ何にもなりゃしねえ、世の中うまく行かないもんだ。
?酒は日常は飲まないのでいいが、問題は誘われた時だ。人の付き合いも大事だが出費減少の方がもっと大事だ。これからは誘われた時は「奢ってくれれば行く」と宣言しよう。嫌われても出費削減だ。各種会議後によくある会費制の懇親会はすべて欠席だ。
節約、要するにケチになろう。既にたまにそんなことも言われているけど。節約とケチは違うなんてことも言うけれど、ケチこそ消費税上げ後の生活防衛の極意と心得るのだ。目指せロビンソンクルーソー、横井庄一。
山菜採りに鮎釣りにキノコ採り?これは食糧調達の手段だから続けるしかないね。

消費税が導入された時も5%になった時も同じようなことどこかで書いた気がするなあ。

9月30日(月)
前田智徳

孤高の天才打者わが広島カープの前田智徳選手が引退表明した。投手との戦いより怪我との戦いだった。残念だが毛ガニは勝てない、いや怪我には勝てないだ。前田はケガさえなければ、金本が言ってたように3000本安打は行ったんじゃなかろうか。それほどの大打者だった。
彼の打者としてのしびれるところは、日本一美しいと言われるホームランシーンだ。ホームランの軌道もそうだが、ホームランを打っても何事もなかったかのように、当然だと言わんばかりでダイヤモンドを回る。それがいい。並の打者はホームランが出たり、勝ったりするとまるで優勝したかのようにはしゃぎまわる。前田にはそんな軽薄な態度はない。孤高の天才打者たるゆえんだ。玄人好みの大打者なのだ。俺が玄人と言うつもりはないが。
前田は来季から解説者として再出発するらしいが、今までの経験を活かして沈滞するプロ野球の盛り上げに一役を担ってほしい。そしてやがては指導者として再びユニホームを着てほしい。
黙して語らないことが多かった前田が解説者としてうまくいくのか心配でもあるが、現役退いたら案外饒舌だったりして。
その前に広島はCSを勝ち抜き日本シリーズ進出、さらに日本シリーズも制して日本一だ!前田の花道を飾ろう!

9月20日(金)
プロ野球コミッショナー
組織のいわゆる偉い人というのは何をもって偉い人というのか、こちらは生活がエラいばかりだからさっぱり分からないが、偉い人の中にはかなりおかしな人もいるようだ。
週刊文春のコラムにその名もズバリ「今週のバカ」という欄があるが、この人は近いうちに取り上げられることになるだろうと思う。プロ野球コミッショナーの加藤良三氏だ。
よく飛ぶ統一球に自分の名前をサインしといて知らないとシラを切り、統一球問題は不祥事ではないと言っていた人が昨日突然辞意を表明した。
この人の記者会見はまるで何がなんだか分からない。新聞によると一問一答にこんなのがあった。
記者問「統一球問題は不祥事ではないのか」加藤氏答「事務的に、管理的には非常に大きな失敗はあったと申し上げてきた」問「なぜ今のタイミングで辞任するのか」答「第三者委員会には、私が知っている限りのことはすべて話をした。それを反映した報告書が出てくるという確信を持っている」問「辞任を決断した時期は」答「前々から申し上げているが、私はコミッショナー職に恋々としていることはなかった」問「統一球問題でコミッショナーとして責任を感じるか」答「コミッショナーとして統一球問題について、こういう展開になったことは非常に遺憾に思う。そして、関係された皆様にお詫びを申し上げたい。これは一貫して申し上げている」てな調子だ。こちらの理解力がないせいもあるだろうが、これでは記者の質問の答になってないし何がなんだか分からない。
加藤氏は駐米大使など務めた世間で言う偉い人だけれど、どうやら日本語を忘れてしまったらしい。こんな訳の分からないいい訳や答が通用するなら俺なんて今日からでもコミッショナーなんて務まるぜ。もっとも、通用しないから辞任する羽目になったのか。
ヤクルトのバレンティンはホームランが60本を超える勢いだが、どうも飛ぶボールという問題が出てしまってはいくら2位以下を圧倒的に離していても何かスッキリしない。加藤コミッショナーの責任は超重い。
9月16日(月)
自然の猛威に比べると人間は小さい、あまりにも無力だ。台風18号で被災された方々にはお見舞申し上げます。
私めが住んでいるところは近くに川もないし、もちろん海はないし、崩れる山もないので比較的安全だ。熊谷や行田あたりでは竜巻の被害があったが、入間市ではそれほど大きな被害は蒙らなかったのではないか。
それでも、日本列島各地の大きな被害に比べるとほんの些細なことですが、我が家でも物置にしている昔の米軍ハウスの屋根の瓦が剥がれたり、庭のタラの木が倒れた。
タラの木は柔らかい木なので根も頑丈でなく、これまでも何本も台風で倒された。今回もかなり揺れていたので、どうも倒れそうだなあ、でも今外へ出て補強するのも危険だしと思ってほっといたら案の定見事に倒れた。
根元を見たら今まで立っていたのが不思議なくらいで、中は腐っていて外側の皮の部分でかろうじてもっていたらしい。それが完全にブッツリと断裂していた。
今まで毎年タラの芽の初物を味わわせていただいてありがとうございましたというところですね。
台風が去った午後、チエンソーとナタを持ち出し、約15センチの太さの幹と枝を切って片付けた。棄てないで飯炊きの薪にでも利用しよう。
9月11日(水)
田中正造
足尾銅山鉱毒事件に半生をささげた田中正造翁が亡くなって100年がたつ。新聞には毎日のようにその関連記事が掲載されている。
田中正造翁の言葉「真の文明は山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし」。
これこそ100年以上前に唱えられたいつの時代にも通用する国家運営普遍の真理、日本の進むべき道だ、いや戻るべき道か。
9月10日(火)
東京オリンピック
安倍総理の「福島原発の汚染水は完全にブロックされていて、状況はコントロールされている」という言葉を信じてIOC委員は2020年のオリンピックを東京開催に決めた。
やはり何でも東京だよ。一都功成りて万村枯る。これで消費税も増税決定だね。
いや、もしかしたらここで国民の怒りを買っては元も子もないから、消費税増税は伸ばすかもしれない。どっちみちいずれは増税するんだからあわててやって支持率落とすこともないとね。
次は原発も東京へ増設だ。もちろん福島第一原発の汚染水も東京で処理だ。ついでに核燃料廃棄物処理施設も東京に作ろう。やはりなんてったって東京さ。
ン、待てよ、過疎の奥多摩も東京だ、小笠原などの島嶼部も東京だ。そんなところへ持ってこられても困るなあ。それにいざ事故が起きると隣の埼玉も住めなくなるか。
やっぱりどこでも原発はNOだ。
オリンピックの7年後には福島はおろか、東京中いや日本中に原発汚染水のタンクが林立し、その間を縫うようにしてマラソン競技が行われないように祈るばかりだ。
それにしても野田前総理の収束宣言といい、今度の安倍総理の発言といい、どうして偉い人は公の席で平気で事実でないことを言うんだろう。
9月9日(月)
下の続き
「舟を編む」?題名からだとどんな内容なのかさっぱり分からなかった。例えば「団地妻後ろから前から」なんていうのだと、ハハーン、団地の奥様が着物着付け教室でも開いているんだなとか想像もできるが、違うか、舟を編む?彼氏のために舟の形をしているセーターでも編む話か。
いや、もちろん全然違うのだ。これは日本語辞書の編纂の苦労の物語だ。辞書の名が「大渡海」、言葉の荒海を航海する船になぞらえてそれを編集するということだ。
適当に駄洒落も交えて辞書編集の詳細がよく分かる内容になっている。一応私めも印刷屋の端くれであるから、取材、編集、用紙選択、印刷、製本、などが出てくる内容はよく理解出来、辞書の編纂はこれほど大変なのかと勉強にもなった。
主人公が好きな女性と結ばれる過程はちょいと安易な描写になっているのが気になったが、なかなかに面白い内容の小説だ。
9月6日(金)
2012年本屋大賞「舟を編む」(三浦しをん著、光文社)を読んだ。
続く。
9月2日(月)
シリア介入
オバマ大統領はシリアに対して軍事介入を決断し、議会に対して承認を求めているが、アメリカの指導者は何とかして世界中で戦争をやろうとしている印象だ。
オバマといえばブッシュのイラク戦争を批判して大統領になったが、結局同じだ。
オバマは2009年にノーベル平和賞を受賞している平和の死者だ、いや使者だ。(誤変換になってしまった。)
8月26日(月)
プロボクシング

25日の日曜日、秩父荒川へ先日のリベンジに巨鮎を求めて行こうかと思ったが朝から雨。現地も前日から茶色の川になっているらしくて断念。まあいいや、今日は酷暑の疲れをとろう、休養だ。
というわけで午後7時のボクシング中継まで本を読んだり、小雨の中、庭の草取りをしたり、ピザを作ったりしてのんびりと過ごす。
そのボクシング、日本タイトルと東洋太平洋タイトル保持者との対戦は両者とも鳴り物入りで、前者がプロ転向後4戦目の井上、後者はオリンピック金メダリストでプロ初戦の村田だ。井上は初回から積極的にジャブを繰り出しチャンピオン田口を圧倒していく。チャンピオンもいいボクサーのようだが最初から井上というビッグネームに気押されたのか腰が引けていて、ああこれはだめだ相手にならないと思った。それにもかかわらず井上の攻めは単調で期待外れだった。世界はまだまだだが20歳と若い、プロでまだ4戦、これからの精進を期待しよう。僕の採点ではただ手数が多かったというだけで5点差で挑戦者井上の勝ちだと思っていたら3ジャッジもほぼ予想通り各3,5,6点差だった。
金メ
ダリスト村田は圧倒的な強さだった。これもチャンピオンである相手の柴田が最初から引いていた。1ラウンドにダウンを奪い2ラウンドに連打を浴びせレフェリーがとめて終わり。確かに本物の強さの印象だがプロ初戦で2ラウンドではまだわからない。ミドル級の世界は軽量級と違い世界には強者がゴロゴロいるので、これからの成長がないと世界を制することはできないが、楽しみなボクサーだ。
村田は勝った後も舞い上がることもせず終始礼儀正しかった。会場の4方向に丁寧にお辞儀をしていた。これに比べて亀田兄弟なんてのは見苦しい限りで、リングに上がらないでもらいたいね。
先頃行われたダブル世界戦八重樫東山中慎介、ノンタイトル戦長谷川穂積。八重樫はふがいない勝ち方、あれはチャンピオンのボクシングじゃないね。チャンピオン山中は圧倒的力で順当KO勝ち。いいボクシングをしていた。安心して見ていられるボクサーだ。長谷川穂積の世界再挑戦前哨戦は、予想通りKO勝ち、これも山中と同じくいいボクシングで、3階級制覇はいけるんじゃないか。

8月21日(水)
暑くても読書は出来る。
海賊とよばれた男」(百田尚樹著、講談社)、「のぼうの城」(和田竜著、小学館)を続けて読んだ。
「海賊・・・」は出光興産の創業者出光佐三氏の波乱に満ちた生涯を描いた力作で、こうまで波乱万丈、山あり谷ありの人生があるものかと感心しきりだ。現代で言えば孫正義氏に通じるところがあるのではないか。歴史に名を残す人はやはりどこか違う。2013年本屋大賞だけのことはある本だ。
「のぼうの城」。のぼうは、でくの坊の略で、今の埼玉県行田市にあった忍(おし)城代成田長親の歴史物語だ。
豊臣方の石田三成の圧倒的大軍勢とその水攻めから城と兵と農民を守ったでくの坊城代の物語。豊臣秀吉の天下平定の頃の歴史もよく分かり一気に読める。
それはそうと、甲子園の高校野球は準決勝の前に一日休養日を設けたが、このあと、つまり決勝の前も一日あけたほうがいいんじゃないの。
高野連と朝日新聞は金がありそうだからそのくらい日程が延びても何てことないんでは。
8月17日(土)
球数制限
甲子園で行われている高校野球、埼玉代表浦和学院は残念ながら1回戦敗退した。
浦和学院エースの小島投手は180球以上を投げて交代したが、足が吊っていたのか左足をしきりに伸ばしたりさすったりして辛そうだった。
高校生に180球以上も投げさせる監督はおかしい。監督は甲子園制覇が目標だが選手はその上があるだろう。小島君にとっては負けてよかったんだよ。これ以上勝つとさらに負担を強いられ将来がなくなる恐れがある。あのハンカチ王子のように。
小島投手は1回から明らかに不調で、終盤も苦しそうだったのに、べンチは交代要員の投手に投球練習もさせていなかった。
選抜で優勝したが明らかにあの監督の采配はおかしい。というより超炎天下であんなに球数を投げさせるのは投手に対する虐待だ。
感動したというお涙ちょうだいの報道が当たり前になっているが、その陰で大人に才能をつぶされる選手がたくさんいる。

早々と負けた才能ある選手、特に投手諸君、君たちの将来を考えると負けてよかったんだよ。
高校生以下の野球では投手は投球数制限を設けるべし。
8月12日(月)
世界陸上

モスクワで開催中の世界陸上と暑さのために寝不足だ。
開幕競技の女子マラソンで銅メダルの福士加代子選手のレース後のインタビューは最高だった。
のっけに「じいちゃん、ばあちゃん、お盆だよ」と言ったもんだ(そう言ったように僕には聞こえた)。あの選手は普段からそんな調子で楽しくていい。
人それぞれだが、入賞して顔をクシャクシャにして涙、涙の木崎選手より笑顔満開の福士は見ていて爽快だ。
ボルトが勝った100メートル決勝は遅い時間だったので見なかった、残念。
今夜はボクシングタイトルマッチとペルセウス座流星群でさらに寝不足になりそうだ。

7月24日(水)
サッカー、ボクシング
昨夜はマンチェスター・ユナイテッド(マンU)香川の凱旋試合だというのでテレビ観戦だ。
旅の疲れと、蒸し暑い気候の悪条件が重なったのか、はたまたただの練習試合で怪我をしないように力を抜いたのか、どうしちゃったんだいマンU。横浜F・マリノスに3-2の負けだ。
いやそんな言い方はマリノスに失礼か。
香川も後半途中から出場したがほとんど見せ場もなし。さらに納得がいかないのがMOM(マン・オブ・ザ・マッチ)に当の香川が選ばれたことだ。おいおい、いくら日本への凱旋でご褒美だといってもそれはないだろうに。
真剣にやって勝ったマリノスの選手に失礼だ。
入場料がいくらか知らないが、6万を超す大観衆も納得いかなかったに違いない。
どうやら日本のサッカー界もプロ野球界と同じに堕落した考えの連中が牛耳っているらしい。つまりその連中は昨日のマッチは遊びだと考えていたに違いない。マッチ遊びはやめようね。
そのあとの番組がプロボクシング亀田の世界戦だ。亀田ってまだやってたのか。ついでに見てやるか。
亀田の試合はいつ見てもつまらない。迫力がない。ジャブを出さない。クリーンヒットがあまりない。
相手が2回ダウンしたが、たまたまのタイミングで一瞬倒れたかのようだった。
しかし亀田は勝つ。強くもないが弱くもないという感じだ。打たれ強いこともあるようだ。なぜ対戦相手はそれほど強いとも思わない亀田に勝てないのか。
弱い対戦相手ばかり選んでいるとかつては批判されていたが、それでもいくらなんでも7回も防衛できないだろう。亀田に対する作戦がダメだからだ。
かつてカシアス・クレイと名乗っていたモハメド・アリは圧倒的不利の下馬評だったが、破壊的パンチの持ち主ソニー・リストンを「蝶のように舞い、蜂のように刺す」(
"Float like a butterfly, sting like a bee"華麗なステップと的確な数多くのジャブで倒した。
要するに、モハメド・アリのようなボクシングをすれば亀田など簡単に倒せるのだよ。
いつも言っているが、最近のボクシングはジャブをほとんど繰り出さないで勝とうとしている。それが間違いだ。
7月18日(木)
カラスの羽
ここに書くのも1ヶ月ぶりか。そういえば下の欄の発芽は地面に植えたけど、その後見てないがどうなっただろう。
今日は夕立ちがあって涼しくなると思いきや、すぐやんで、かえって蒸し暑くなってしまった。
その蒸し暑さの中、いつもの公園にジョギングに出かけた。ムンムンする中、約3キロスロージョギングしてきた。いつものコースでなく、不規則にあちこちジョギングして回った。
最近の猛暑の日はさすがに控えているが、多少の暑さでは出かけるのだ。目的があるのだ。
何かと言うとカラスの羽を拾うためだ。この近辺でもご他聞にもれず朝からガーガーとカラスがうるさい。ゴミは散らかすし、他では農作物の被害もある。被害といえばうちの兄貴がやってる家庭菜園ではトウモロコシをハクビシンに1つ残らずやられてしまったと怒り、嘆いていた。
公園にもカラスがたくさんいるので羽も落ちているだろうと。ところが意外にないもので、今日は1本だけ拾った。先日は2本あったが、いまのところ公園では3本、うちの庭に1本あっただけだ。
その羽をどうするかというと、カラス除けにはカラスの羽を立てておけばいいということを聞いたので実行するためだ。
知人が畑で試したところ確かに効果があって、その後カラスが寄り付かなくなったという。ホントかしら?
まあ羽を拾ってきて立てておくだけだから金も手間もかからないのでやってみようということになったのだ。
カラス被害に悩む皆さん、効果は保証しませんが、試してみてはいかが。
発芽観察6/19
だいぶ伸びてきたので庭に地植えしようと思う。やがて花が咲き、実がなるのだろうか。
発芽観察6/17
発芽観察6/15
発芽観察6/14
発芽観察6/13
発芽観察6/12
発芽観察6/11
発芽観察 6/10 数年前に友人から海外旅行のお土産に貰った食用の極小豆があったので、不要の灰皿に脱脂綿を敷き、水を浸して撒いてみた。豆の種類は不明。大きさ3、4ミリ。袋の中が元の豆。楊枝は大きさ比較。
6月14日(
ソロモンの偽証
宮部みゆき著「ソロモンの偽証(新潮社)をやっと読了した。長編だ。全3巻で2100ページ以上ある。
一人の中学生の死をめぐってその死がいじめによる他殺か、あるいは警察その他の公式見解の自殺が真実なのかを求めて当の中学校の生徒たちが課外活動ということで裁判を開くという物語だ。
長編で裁判物とくれば、先ごろ読んだ「
カラマーゾフの兄弟」を思い起させるが、実際描写が微に入り細をうがつことでもよく似ている。不必要と思われる描写が多くあるので、それを省けばもっと短くなっていたのではないか。ただし、「カラ・・・兄弟」に比べると外国の翻訳物ではないのでカタカナが少ないからずっと読みやすい。
物語は第2部までは起こった事件の事実を書いているのでそれなりに面白く、なかなかの発想の小説だと思えたが、第3部の裁判では、それまでの事実の蒸し返しの進行なので前2部に比べて冗漫の感は否めない。全体として宮部みゆきらしい筆力で読ませる佳作だとは思えるのだが、全編を通じて読者の私めの頭の片隅にこびりついて離れない
違和感はどうすることもできない。それは中学生が裁判をするという現実感のなさだ。
事実は小説より奇なりなのか、小説は事実より奇なりなのか、この小説は後者だろう。他に多くあるあまりに奇想天外な物語はかえって小説らしくて納得できるが、中学生に裁判となると現実的でもあるし、そんなことはあり得ないという思いもある。要するにそれほど現実離れしていないにもかかわらずありえないという中途半端な思いがずっと読書中頭から離れないのだ。それが小説だと言ってしまえばそれまでだが、
中学生の検事や弁護士や判事役に語らせる言葉は紛れもなく宮部みゆきの知識と知性だ。中学生が本物の検事や弁護士や判事と同等かそれ以上に学校の法廷で弁論を繰り広げる。それがどうも違和感があったのだ。なぜ中学生で、高校生ではいけなかったのか。高校生にすればさらにそれこそ現実的で臨場感あふれる物語になっていたと思われるので残念だ
2部までの事実描写には描かれていなかったのだが、物語の進行につれてなんとなく読者に何かあるぞと思わせていたのが、裁判の最終場面でアッと驚くでもないが、ちょっとした衝撃的な事実が明かされていく。しかしそれも当事者の一方的な証言であって事実はどうなのかという違和感が出てしまって、消化不良だ。
中学生がこの事件の真実を知りたいと思って始めた裁判が最後で真実は何なのか不明になってしまったのは、作者の意図なのか、あるいは題名の「ソロモンの偽証」に表れているのかそれこそ不明だ。ソロモンの偽証の意味が読了後も謎なのはそのせいか。
裁判の最終盤の弁護人=証人こそ
偽証しているのではないか。知恵(あるいは知力といってもいいが)あふれる弁護人こそがソロモンの偽証の意味ではないかと思えてくるのだ。
大長編にありがちな、落ちをどう持っていくか作者も分からなくなってしまったなんてことはないと思うが…。
6月11日(火)
仙台・塩釜
6/1-2、仙台、塩釜方面に行ってきた。被災地では各メディアを通じてとにかく東北に来てくださいと言っているので、恒例の年2回の同級生旅行の今年の一回目は東北だということになったのだ(この項別掲)。
仙台に一泊した。仙台の活気はすごくて、アーケード街の人の波には驚いた。昨年行った新潟古町のアーケードに比べると雲泥の差だ。人々の表情が生き生きとしている。帰路は高速道で日高インターを降り、狭山市、入間市と帰って来たが、その寂れようと言ったら悲しいくらいだ。大都市の仙台と比べるのは無理があるのはもちろん承知で、被災地でもないが、それにしても、狭山市・入間市も復興支援してもらいたいくらいだねとみんなで話したものだった。
塩釜復興市場も訪ねた。前回塩釜へ行ったのは2008年秋、塩釜港マリンゲートから船で
桂島へ渡ったのだ。その一角に長屋のようにプレハブが2棟向かい合って、15軒ほどの店が営業していた。
その復興市場だが、気持ちはわかるが、規模が違うのでGWに行った能登輪島の朝市ほどではないが、とにかく客への声掛けが激しくて、ちょっと引けてしまう。こちらは一応復興支援という名目で行っているのだから、いろいろと買う気持ちはある。でもあまりにしつこく声をかけられるとなんだかなあと思ってしまうのだ。結局控えめに品物を説明したりしてくれたお店でいろいろと購入したのだ。
単なる観光地化したような能登の輪島朝市とは違うのはわかっているのだが、このなんというか日本人の控え目さの美徳に慣れているわたくし共にとってはちょっと違和感があったのだ。
しかもメンバーが買った生鮮物の一部に新鮮でないものがあったというし。
それを言っちゃあおしまいよ、なのかなぁ。
6月6日(木)
老衰

俳優の長門勇氏が亡くなった
長門勇氏といえば「3匹の侍」。腕の立つ槍使いの侍で、田舎くさい風貌だがめっぽう強い役柄だったので人気を博した。拙者も若かりし頃毎週夢中になってテレビを見たものだ。
その長門勇氏、81歳で死去、老衰とあった。81歳で老衰!?、寿命というのはわからないものだ。
わが母親は99歳11か月で老衰死だった。いとこは今年81歳で毎日車の運転をし、結構遠出もして週末は一人で別荘に行って泊まってくる。
吾輩は81歳になるにはまだまだかなりあるが、それでも20年はない。いつ老衰になるかわからない。老衰でなくてもいつ動けなくなるかわからない。
今年も各地で鮎釣りが解禁している。動けるうちに早いとこ鮎釣りにでも出かけるとしよう。髪の毛はすでに老衰だし。そうは言ってもなかなか行けないんだよね。

5月26日(日)
(笑)
阿川佐和子の「聞く力」がロングセラーになっている。阿川氏は対談の名手と言われているらしいが、週刊文春の「阿川佐和子のこの人に会いたい」を読む限りにおいてはそれほどのもんかと思ってしまう。
対談を活字にしたのを読むのでは感じ方が違うのは当たり前だから、実際は相当の聞く力があるのだろう。
阿川氏の対談に限らず、最近気になっているのは発言の文章中の最後によく「(笑)」という説明が入ることだ。いちいち笑う場面をカッコつきで説明してくれなくても面白かったら読む人が自分で判断して笑うよ、余計なお世話だ。
話し言葉を文章にするのだから、実際には平板な表現になってしまい、笑っているのか怒っているのか、なんでもないか分からないときには「(笑)」は有効だろうが、当然笑っているだろうというときに(笑)は必要ない。
この(笑)を最後に入れるのはいつ頃から流行り出したのだろう。かつてはなかったように思われる。しかも、(笑)は頻繁に出てくるが、(怒)(泣)なんてのはあまり出てこない。対談だから笑う場面が圧倒的に多いのだろうが、そうでない場面もあるはずだ。
こっちの判断で笑ったり泣かせてくれ!
5月9日(木)
普段当たり前と考えていることがそうではないのだということに遭遇することがある。
買物をして領収証を書いてもらうとき、「宛名はどういたしましょう」なんて聞かれる。当然のことながら「シマザキ印刷でお願いします」と言う。ついでに「シマザキはカタカナです」という。
店の人は分かりましたと言って書き始めるのだが、シマザキ印まで行ってペンが止まる。の字が書けないのだ。これがよくある。こちらも慣れたもので、漢字の書き方を説明するのも面倒なのでそこらにある別の紙の端かなんかに書いて教えてやる。結構そういうことが多い。
こちらは印刷なんて漢字は基本中の基本だから、他の人も印刷という簡単な漢字くらい書けるのは当たり前と考えていた、というよりそんなことは考えもしなかった。
読めるけど書けない字は多い。特に最近はパソコンで変換すればすぐ出てくるので覚える必要もないのか。
皆さん、「印刷」くらいかけるようにしましょうね。
5月6日(月)
長嶋受賞者
小生の生活範囲では毎年この連休時期は若葉が一気に萌え、陽に映えて生き生きとし、心が洗われるようで気分爽快だ。ただし、洗われるというのは言葉のあやで、小生は皆さんと違って、皆さんて誰だ?常日頃清く正しい生活をしているので、洗われる必要はないのですよ。なんちゃって。
マスゴミのスポーツ報道も花盛りで、ゴルフの横峯や陸上短距離の高校生桐生選手もあるがなんと言っても日本は野球だ。
中村選手の2,000本安打達成も長嶋・松井の国民栄誉賞授賞式には霞んでしまうのは仕方ないか。
96番という背番号のユニフォーム姿の人が場違いだったが、授与者だからしょうがない。その安倍ちゃんの思惑は見事に当たり、これで参院選も圧勝だ。この一連のパフォーマンスの演出家はなかなかの切れ者だぞ。
それはさておいて、われらが長嶋選手はなぜいつも右手をポケットの中に入れているのだろう。右手を出したところを見たことはない。長嶋氏が病気に倒れ、懸命なリハビリの結果あそこまで回復したということは誰でも知っていることだ。昨日はちょっとつかえながらも言葉も発していた。政治家の巧言令色と違うからそれがまた感動を呼ぶのだ。
そんな長嶋氏が決して右手を出さないということは、相当の障害が残っているのだろうか。握手も左手でするし、もちろん始球式の際のスイングも左手一本で右手はポケットに入れたままだった。何かよほどの理由があるのだろうが、どうも違和感を感じてしまう。ぜんぜん動かなくてブラブラしていても右手はポケットから出した方がいいのではないかというのがこちらの勝手な思いだ。
4月25日(木)
国民栄誉賞
国民栄誉賞は政府以外の国民が決めよう。
死後授与は意味がないとか、なぜ松井と長嶋がとか国民栄誉賞は何かと物議をかもすが、時の政府の人気取りに利用されているので疑問が多いのだ。
調べたら国民栄誉賞は国民栄誉賞表彰規程に基づいており、その目的は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」と規定されている。表彰の対象は、「内閣総理大臣が本表彰の目的に照らして表彰することを適当と認めるもの」であり、かなり幅広い解釈が可能だ。最初の授賞者である王貞治が中華民国籍であったことからも明らかなように、日本国籍というのも要件にないらしい。
そこでオラは候補者を考えた。まず、やはりある程度知名度がないと賛同を得られないので、そこらの道路を毎日掃除しているおじさんとか、駅で酔っ払ってゲロはいてるサラリーマンを介抱している駅員さんとかは除外だ。
表彰規程はかなり幅広い解釈が可能であるらしいので、年齢もこの際考えないことにしよう。
とりあえずスポーツ界が多いのはマスゴミをにぎわすことが多いので仕方がないか。
まず先頃スキー女子ジャンプで大活躍した高梨沙羅だ。以下詳しい理由は省略。イチローは以前辞退しているらしいので今回は除外だ。マスゴミがあまり騒がないのでいまいち知名度がないが、オリンピック3連覇の大偉業を成し遂げた、柔道の野村忠宏こそ有資格者だ。彼が気の毒なのは、3連覇という前人未到の超偉業を成し遂げたにも拘らずマスゴミはたいした賛美をしないことだ。しかも内柴正人破廉恥柔道家や体罰問題もあっていまや柔道界からの受賞は不利になってしまった。彼の旬も過ぎてしまったし。そういう類の偉業を成し遂げたが埋もれてしまっている人はたくさんいる。逆に言うとそれだけ受賞者は運や時も見方にして評価されるということか。
北島康介、室伏広治、浅田真央。スポーツ界はまだまだいそうだ。箱根駅伝の超人的山の神柏原竜二はいまちょっと活躍を聞かないのでダメかな。やはり栄誉賞の授与もタイミングというものがあるなぁ。
松井が貰うならダルビッシュはいまや受賞候補1番手だ。埼玉県職員のマラソン川内優輝はまだ県民栄誉賞どまりか。吉田沙保里、え、もう貰ってるって?
最近インディカーレースで日本人初優勝の偉業を成し遂げた佐藤琢磨はどうよ。いまが旬だぜ。それに忘れてならないのは長友佑都、香川真司だ。
世界の巨匠になったビートたけしは事件を起こしているからだめか。
小沢征爾・村上春樹ら文化・芸術分野は文化勲章かな。
オラの乏しい知識でちょっと思いついただけでもこれだけ出てきた。まだまだいそうなので、みんなで考えよう。スポーツ以外で出てこないかな。
ぁ、そうそう、おじさんはよく知らないけど、若者に圧倒的な人気のAKB48なんてのにやったらAKBの選挙だけでなく、本当の選挙にも若者が行くようになるかもね。でもAKB48はスキャンダル不名誉賞か?
4月23日(火)
誤読
我が家にはいまだにブラウン菅式だがテレビは一応ある。バカバカしいのと節電のため見ないのでもっぱらラジオを流している。
ラジオを聴いていて思うのは、多分最近の傾向だろうが、いや、あるいは以前からそうだったのかもしれない、アナウンサーの原稿読み間違い読み直しが非常に多いということだ。
ラジオは当然ながら画面がないので流れてくる言葉に、特にニュースのときなどは集中する。分からない言葉は間違っていてもすぐ言い直して初めて気がつくが、それよりもイラつくのは当然こういう言葉が次に続くだろうとこちらの頭の中で文章が出ているのに間違えるときだ。
それが普通の文章だったり、地名だったり、人名だったりそれこそあらゆるジャンルで言い間違いが多い。例えばこれは実際にあったのではないが、ユースホステルをユースホステスと言い間違えるような類とか、これはラジオでなく大学入試に実際にあったことらしいが、大隈重信(おおくましげのぶ)を大隅重信(おおすみ重信)と言ってしまうような類だ。
単なる読み間違いもあるが、アナウンサーとしてだけでなく、一般人としても知っていなければいけないような人名や地名などを間違えることも多い。
会話の場合は読んでいるのではないので言い間違いはそれほど気にならないが、ニュースなどの原稿を読んでいるときの読み間違いは非常に気になる。思わず、そうじゃない、こうだろうがと口から出てしまうこともしばしばだ。
天下のNHK、アナウンサーの教育が足りないぞ。
どうでもいい事のようだが、ラジオ愛聴者にとっては結構気になるのである。
4月22日(月)
薄暮の公園
で、出たー!薄暮の公園にまた出たー。
お化け、ではない。しばらく見かけなかったジョギングママだ。後ろからザーッというような音が近づいてきた。ン、まさかまたあのベビーカーか?と思うまもなく、やはりベビーカーを右手で押して俺より3倍くらい速い速度で右側を走りぬけていった。
赤ちゃんの顔部分の上には覆いがあったので見えなかったが、ちゃんと足は2本ぶら下がっていた。多分寝ているのだろう、騒いでも泣いてもいなかった。
陽気が良くなってきたから再開したのか、でも今日は風はあるし寒いぞ。
明日は最初から反対回りをしてどんな女性か様子を見てやろう。
4月18日(木)
4/16の続き
こういう有難いお誘いを断るほど野暮な俺たちではない。それでは隣の竹を駆逐したりちょっとその辺で山菜を採取してからお邪魔しますと言って30分ほどして戻ってきたらまだ数人が待っていてくれて、なんとお酒だけでなく料理まで用意してくれているらしいではないか。
本殿に上らせて頂きご神体に榊を奉納すると、その手前には古めかしい木製の長卓が置かれ、上には料理、菓子、お酒が既に用意してあった。ほんの少し戴いたら辞去するつもりでいたのに、若い人が次から次にお酒をつけてきてくれる。いやはやうれしかったですなあ。これではいやでも戴かないわけにいかないじゃありませんか、いやじゃないけど。ほぼ毎年お参りしているとはいえ、ほとんど面識もない我らを歓待してくれる心意気が超うれしかった。
「ここ何年かみえませんでしたね」「ええ、季節の進み具合で筍も出ていないことがあるので、この2、3年は4月の2週目には来られなかったんですよ」
などと世間話や四方山話、山祇神社のいわれやこの集落のことなどをお聞きして和やかな一時を過ごしたのでありました。
山菜のページへ
筍や山菜は採れるし、温かい人情にも触れたし、いい一日でした。山祇様のご利益もきっと得られるに違いないと思うのであります。
テレビを捨てて外に出れば何かいいことがある。
4月17日(水)
誰の犯行

またやられた、らしい。
今朝新聞を取りに表に出たら石造りの水槽に乗せてあった斑入りのギボウシが植えてある鉢が落ちて割れていた。またアライグマかハクビシンが金魚を狙いにきたのだろう。その犯行除けに載せてあった物もずれていた。かなり重い石を載せてあるのにそれをどかして金魚を狙うとはなかなか大胆で力強い動物の犯行だ。
やつらにやられないようにするには完全に水槽を覆って更に重いものを載せないと駄目だ。そんなことになったら外で金魚を飼う意味がなくなる。困ったものだ。
アライグマは力が強くて、かなり重いものでも動かして水の中に入って犯行に及ぶらしいので油断できない。だからといって一晩中見張っているわけにも行かない。
幸い全部の金魚がやられてはいなかったが、小さいうちに購入してきてやっと大きくなった金魚だ、愛着があるのだ。鉢植えは落ちて割れてもまた植え替えればいいが、金魚さんは食べられてしまうといなくなってしまうのだ。
あいつらは魚がある程度大きくなったところを見計らって狙うから憎い。
畜生め!今度は肉食魚を飼ってアライグマをやっつけてもらおうか、無理か。アライグマやハクビシンの天敵で人間に優しいものはなんだろう。
4月16日(火)
下の続き
毎年同じ時期にほとんど同じコースで山菜を求めて野山を歩き回るが、テリトリー?がかなり広いのでなかなか回りきれない。ここ何年も行ってない場所もあるが効率よくまわるには端折る場所も出てくるわけだ。
その重要コースにあるのが入間市花の木にある山祇(やまずみ)神社だ。この神社の隣にあるのはヒノキの植林山で、さらにその隣には竹林がある。その竹林から竹が植林山に侵食してくるのでそれを駆除するのが我らの役目なのである。植林山の地主と我らの利益が一致するという次第だ。
この山祇神社は毎年4月の第2日曜日が例祭で、この日も氏子が集まって祭礼の真っ最中だった。こじんまりした神社なので祭礼と言っても大層なものではなく、氏子が揃って祭神に榊を奉納し、御神酒を嗜むといったものだ。
ちょうどそこへ我らが現れたわけだ。我らはその神社の祭礼を知っているので、前もって酒を用意してあるので恭しく奉納させていただいたのだ。毎年無事に山菜採りに来ることができるのも山祇様のお蔭と感謝しているのであります。
代表者らしき方が、「いつもお参りいただいてありがとうございます。どうぞお上がりいただいてお神酒でも召し上がって行ってください」と有難いお言葉。
続く。
4月15日(月)
山菜ラウンド
訂正:4月3日本欄の「連投は体罰」の項、体罰を虐待に言い換えます。

山菜の季節だ。この頃は季節の進み方が良く分からない。桜に代表される地表に出ている木や草に咲く花は今年は例年より早く咲いたので、大地から芽吹く草花や山菜もいつもより早いのでは思っていたが、確かに早いものもあるが、大半は意外に例年とそれほど変らない。
しかも、先週の日曜日と同じ所へ行ったが、1週間たってもそれほど成長していないし、新しい芽もあまり出ていなかった。
原因はいろいろありそうだが、遅霜があったりして気温が下がり気味だったことや降雨が少ないことも影響しているのだろう。
今年は芽吹きや成長が早いと思っていたが、結局例年とほとんど変らず、来週になっても十分山菜採りができるということだ。
いつもシオデを採取させてもらっている雑木林はもちろん承諾を戴いているところだ。その地続きの林を歩いていたら林の中で作業している人にあった。雑木林も放っておくと薮になってしまうので、下木を抜根したり、枯倒木を片付けたりしていたのだ。話をしたらその山林の持ち主で、地続きでも最初のところとは違う地主さんということが分かった。そこで、シオデを見せて、こんなものを採取させてもらってますといって承諾を求めたら、快く承諾してくれた。これが食べられるなんて知らなかった、というよりシオデそのものを知らなかったと言っていた。うれしいのはその場にあった春蘭も採取させてくれたことだ。薮の中で誰の目にも触れないで咲いているよりは鉢植えにでもされて多くの人に見てもらう方がいいと思ったか、あるいは春蘭なんて物にも興味がなくて採っていいといったのか分からないが、とにかく快く承諾してくれたことがうれしかった。
山菜採りは人様の土地の物を採取させてもらうことが多いので、たまたまそこに地主さんがいて承諾を求めるとほとんどの人がOKと言ってくれる。そういう時は気分がいいものだ。
この日はさらにうれしいことが待っていた。
続く。
4月4日(木)
郵便局
一昨日こんなことがあった。静岡の知人から、私宛に荷物を〒パックで送った、ただし旧住所で送ってしまったのでよろしく対処されたいと電話があった。
旧住所は私本人は現在住んではいないが子供たちが居住していて昼間は留守がちである。悪天候の中、不在で郵便配達人がまた荷物を持ち帰るのも気の毒だと思い、入間を管轄している狭山郵便局に、宛名住所は留守がちなのでまだ配達に出てなかったらすぐ近くの今電話をかけているこの住所に配達してくれと電話した。電話に出た局員の女性の話し方の応対は素晴らしいのだが、荷送り依頼人の許可を得なければそこの住所には配達できないの一点張りだ。しかもまだ荷物が狭山局にも川越局にも届いていないのでいつ配達できるかも含めて対処できないときた。(そのときは午前11時過ぎだった。あとで、〒パック追跡調査という便利な検索サイトが日本郵便のHPにあるのでそれで調べたら、気多郵便局受付が4/1 15:12、浜松西支店通過が20:15、川越西局通過が4/2 9:29 狭山局到着が12:39だった。そうです、私めが問い合わせているときには荷物は既に川越局にはとっくに到着し通過していたのです。ダマされた!)
だから、私が荷受人の本人で、本人がここに配達してくれといっているのだからいいんじゃないのと。もちろん伝票の宛名の住所は外に出てみれば見えるくらい近いところなので配達に手間もかからない。宛名本人なのだから免許証でも提示すれば確認できるので別人に誤配達する危険も皆無だ。それに宛名住所に届いても本人の私がいないので受け取り印は息子なりたまたまそにいた人物が押印するのであって、本人ではない、ここに持ってきてもらえば正真正銘の荷受人本人なのだから配達人にとってもよっぽど安心だ。
それを説明しても申し訳ないがダメだの一点張りだ。
静岡にまた電話して宛名住所の変更をしてもらうのもバカバカしいので、まあいいや、不在表があったら局に電話して対処してもらおうと諦めた。
あの分だと例えばすぐ隣の住居表示が違う我が家の家屋へ届いた荷物を縁側かなんかで気が付いたので、ハイここですよと言っても渡してもらえないということになる。そこは宛名の住所と違うので行けません、ここまで取りに来てくださいということになるのだ。
民間の宅急便などはもちろんそんなことはしない。私宛の荷物は住所が違おうが「こちらでいいですか」と言って持って来てくれる。他の事もかなり融通を利かしてくれる。
郵便局の正体見たりだね。だから〒パックはもう頼まないのだ。
そして昨日のことだ。別の所からの荷物がやはり〒パックで届いた。届く前が笑っちゃったよ。電話が鳴ったので出ると郵便局の配達人だった。そちらへ荷物を配達するのだがいいですかと言う。いいに決まってるじゃん、頼んだんだから。しかもだ、その電話は今会社のすぐ前にいるという。窓の外を見たらこちらを見て携帯電話を掛けている配達人が見えた。バッカじゃないの。入ってきて確認するほうがよっぽど確かだ。
ダメだね、郵便局は。
4月3日(水)
連投は体罰
*ダルビッシュ惜しかった、あと一人で完全試合、国民栄誉賞ものだったのに、全く残念だ。
それにしても日本の高校野球は相変わらずおかしいぞ。、完全に体の出来ているプロの選手でも投球数制限がある場合があるのに、高校投手は発達途上の体なのに連日連投につぐ連投だ。
浦和学院の優勝は埼玉県民としてうれしいが、決勝相手の済美・安楽投手はとても安楽どころではなく、苦痛の何物でもなかったのではないか。これは体罰ではないのか(丸坊主強制なども立派な?体罰だ)。彼の投球数は772球だそうだ。これではどんなに優秀な投手でも打たれる。打たれるだけならいいが、せっかくの才能が体と共に破壊されてしまう。せめて決勝は1日くらいは空けるべきだ。本当はそれでも足りないが。
かつて早実対駒大苫小牧の甲子園夏の大会決勝で、斉藤祐樹投手田中将大投手の対決で、斉藤投手の連投につぐ連投に対して、同じようにこれで貴重な才能がつぶされた旨書いたが、斉藤投手は大学までは通用したがプロではいまいち活躍のニュースがない。そのときなどの無理な連投や投げすぎが響いているのではないか。
甲子園や箱根駅伝がそのアスリートの最終目的ならいいが、その先を目指すには余りにも過酷過ぎる日本のスポーツ界だ。
4月2日(火)
エイプリルフール
4月1日に大うけするウソを考えていたら、これぞエイプリルフールというニュースが飛び込んできた。
長嶋と松井の国民栄誉賞のニュースだ。その後どうやらウソではなくて本当ということが判明したが、なにも4/1に発表しなくてもいいと思うのだ。
これでまたノムさんのボヤキが聞けるぞ。何しろプロ野球における実績では2人は野村氏に到底及ばないからね。
まあ、国民栄誉賞というのは時の政府の人気取り政策だから長嶋だろうが野村だろうがマー君だろうが斉藤祐樹(彼はどうしてるんだい、今シーズンは)だろうがどうでもいいが、それにしてもなかなかやることがうまいのが自民党安倍政権だ。
円安で株価を上げて一部の景気上昇をアピールして諸物価上昇を隠し、国民栄誉賞でまた沖縄の辺野古埋め立てや原発再稼動、消費税上げ、TPP、憲法改悪が背後に追いやられてしまい、参院選も大勝利、国民が気づいた時には後の祭りだ。
このしたたかさはとても民主党がいくら頑張っても太刀打ちできない。わかっているのにできない、まだ青かったのだ民主党は。
民主党が真に国民のためを思って参院選で少しでも数を増やすには、消費税増税を素直に謝罪し前言撤回、、憲法改悪阻止、TPP反対、原発再稼動反対・廃炉を主張して1から出直しでやるしかない。そして今度こそウソつかないで公約を厳守することだ。
そうしなければ民主党がなくなるのは目に見えている。
それにしても死んでから授与するよりはいいにしても、政権の人気取りは分かるけど、なぜ今このタイミングで長嶋、松井なんだ?5月5日の松井の引退試合の日に国民栄誉賞を授与して話題沸騰のその勢いで参院選に突入するつもりだな。
こうなったら民主党は早めに手を打って松井を口説き、民主党の目玉候補として立候補してもらうしかないね。もしかしたらしたたかな自民党は既にそうしているかもしれないが。(言っとくけどオイラは民主党支持者じゃないからね)
エイプリルフールは女子スキージャンプの高梨沙羅選手に国民栄誉賞が与えられたとでもすればよかったよ。そうすれば結構みんな騙されたんじゃないの。
3月13日(水)
帯に究極の警察小説完成と銘打った「64(ろくよん)」(横山秀夫著、文芸春秋社刊)を読み終わった。
私めは読書は主に床に就いてからする。少し前までは横を向いて読んでいて、それだと楽なので面白い本は長時間読めた。それが、いつの頃からか右目の奥の方の側頭部に痛みが走るようになり、特に酒を飲むとひどくなった。原因不明で、一応検査などもしたのだが異常なしということだった。もしかしてあの読書姿勢がいけないのでは、目に負担を強いてそれが頭痛の元なのではないかと考えて、今は仰向けになって両腕を伸ばして本を掲げて読むようにしているのである。そのせいか、なんとなく頭痛は治まっているような気もする。しかしこの両腕を上にして本を掲げて読む姿勢だと腕が疲れて長時間は読めない。そんなわけでこの「64」は非常に面白い内容なのだが、読み終わるのにずいぶん長い時間かかってしまった。
内容は、家出をした娘と父親である主人公の県警広報官と妻の葛藤、県警広報部と記者クラブとの反目と和解、県警警務部と刑事部の暗闘、本庁(警察庁)と地方警察の関係、そして新たな誘拐事件等々が時効寸前の誘拐殺人事件[64]と最後に結びつく社会派ミステリーだ。
一般的に小説は芥川賞と直木賞に代表される純文学大衆文学に分けられているが、その区別が意味があるのかどうかは別として、純文学よりミステリーなどの大衆小説のほうがより綿密な取材とストーリーのアイデア、その内容の整合性が求められるのではないか。「ジェノサイド」その他の高野和明の作品もそうだが、この作品もどこでどうやったらこのような内容を取材し、それに基づき様々な要素をちりばめて物語として構築できたのか驚嘆に値する。しかも最後に絡み合っていたすべての事件や出来事の糸がほぐれてきて合致するのはまるで難問の数式を解いていくようだ。
この作品には続編があるのだろう。主人公夫婦の娘はいまだ失踪したままだし、誘拐殺人事件[6]の容疑者の名前は上がったが真犯人としては確定していないので逮捕までいっていないのが読者としては読了してもどかしい、消化不良だ。
続編を期待しよう。
3月11日(月)
違憲判決
昨年の総選挙における一票の格差をめぐる違憲、選挙無効の判断を求める裁判で東京高裁は6日、札幌高裁は7日、ともに違憲の判断をした。09年衆院選の最高裁判断の違憲「状態」からさらに踏み込んで違憲とした。ただし選挙無効請求については認めなかった。これからも各裁判所で続々と違憲の判断がなされるはずだ。選挙無効の判断が出される可能性もある。
選挙無効を認めず有効としたことについて、公益に重大な障害を生じる場合は、違法の宣言だけにとどめることができる「事情判決の論理」を適用し、選挙自体は有効と結論づけた。事情判決の論理なんて法律用語は初めて聞いた。選挙有効のほうが公益上重大な損害を生じるという論理はないのか。
これは例えれば、スピード違反を犯した運転手に、既に走り終わっており、事故もなく実害がないので違反の事実は判断するけれど処罰はなしとするようなものだと思うがいかがか。それならスピード違反に限らずほとんど実害のない法律違反については罰するべきではないと思う。
憲法の番人たる裁判所がこんなあいまいな判決をするから国会は全然痛くも痒くもないので相変わらず国の基本たる法律に違反を続けている。
違憲国会が堂々とまかり通って国民のすべての生活に作用しているのはおかしくないか。
さらに、違憲選挙で選ばれた自民党が憲法改正を言うのはブラックジョークでしかない。
日本国憲法第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
3月10日(日)
法名
オラの高校時代の同級生にYという人物がいる。彼は信州大学出だから今の都知事の当時の行状も知っている。そんなことはどうでもよろしい。彼はこよなく山を愛していて、時たま山登りに出かけている。たまには東南アジア辺りへも山ではなく遊びに行って、ナマズを釣りに行くんだとかすぐ分かる嘘をついたりするのだ。彼が釣りをするとはついぞ聞いたこともない、が、そんなこともどうでもよろしい。
彼は信州大学出だから真宗というわけではないが、とにかく彼の家は浄土真宗らしい。真宗は戒名とは意味も違う法名というのをつけるそうだ。彼はオラの戒名をいたく気に入って、俺にも頼むよと言ったかどうかは忘れたが、とにかくオラは彼のためにありがたい法名を考え、授けようと思うのだ。
眠獣院釋晴山」でどうだ。
なぜ眠で始まるか。彼の特技は、特技?まあいいや、3秒でどこでも寝られることだ。食事中だろうが勉強中だろうが山で歩きながらだろうが、セック○中だろうが(これは想像)即眠ってしまう。眠っている最中でもさらに眠ってしまうのだから何がなんだか分からない。だからまず眠の字だ。次の獣。彼は高校時代の恩師に○○○(苗字)けだものと呼ばれた。山男だけにやることが動物的なのである。方向感覚も動物的で、初めて行ったキノコ山で迷ってもいつの間にか戻ってしまう。しかもよく迷う。迷うと言うより野生動物と同じでそれが普通の行動なのだろう。けものと言わないでけだものと言ったのは単なる語呂であろうと思われる。けだものの方があくどい感じはするが。それで獣だ。晴は名前の一字、山は言うまでもない。
こんな有難い法名なので、本来なら法名料50万円くらい頂きたいが、いつもお世話になっているので、大まけにまけて5万円でいいよ。今度来るとき持ってきてね。なに、勝手につけたのだから逆に貰いたいだって?それはないよ、こんなに時間つぶしたのに。合掌。
3月7日(木)
下の続き
大湖慈樹の「」を皆様は私めに関係のないように思われるでしょうが、さにあらず、何を隠そうわたくしのこの世の森羅万象に対する慈愛溢れる日常を表しているのである、と勝手に思っているのである。
そんなことで魚茸印臀野吏焚大湖慈樹、どうでしょうねえ。
実は最初は魚茸隠野吏焚湖慈だったのだが、院号居士は9文字だってんであとから樹を足し、さらにいかにもありがたい戒名のように2文字足して11文字にし、隠の字も変えた。
何が深遠な意味だ!って?俺も思いますです。
本当の意味は、こんなバカバカしい戒名のやつは立ち入り禁止だって閻魔様がこの世にまた戻してくれないかって期待してつけたのだよ。「帰ってきたヨッパライ」みたいに。
こういうことを書くと読者の中には真面目に本気にする人がいるんだよね。
言っておくけど、遊びだからね。バカバカしいって思う人が正常なんだからね。
って書くとまた、遊びで戒名考えるなって怒られちゃうかもね。
でも皆さんも自分の戒名を考えて見たら。楽しいよ。
ついでといっては何ですが、明日は友人の戒名を考えてあげましょう。乞う、ご期待。
続く
3月6日(水)
下の続き
魚茸野焚湖樹はアウトドア遊びの関連漢字から採った。
印は院にするより印刷業だから印だろうと。臀、これが傑作なのだ(「でん」だけで変換すると臀は出てこない。臀部と打って部を除くというまことにややこしいわがパソコン漢字だ)。かなり以前、池袋の地下にあるスナックでのことだ。そこはたまに高校時代の恩師に連れて行ってもらう店で、ママさんは顔なじみだ。帰るとき、階段を上がっていると、そのママさんが「いいお尻の格好してるわね」とノタマッタのだ。別に裸の尻で階段を上がったわけではないぞ。ズボンの上から見て格好良かったんだから、裸ならもっとカッコいいんだろうなと、普段自分の尻なんぞ見たことがないからニヤニヤしたのだった。それ以来、温泉になぞ行ったとき以外は誰に見せることもないが、オラのお尻はカッコいいんだぞとひそかに自信を持っているのだ。人間なんて単純だ、いや単純なのは俺か、他人の一言でなんだか知らないが自信を持ってしまうぞ。そんなことはこの際どうでもいい。

で、俺様の場合は殿ではなく臀だろうと、印臀にしたのであります。
最初は淫臀または陰臀にしようと思ったのだけれど、これだとまるで三遊亭小遊三みたいなのでやめたのだ。
続く
3月5日(火)
下の続き
ただし、自分でつけたものが果たしてお寺さんに認められるのかという大問題があるのだが、なーに、自分のことは自分でするのだ。むしろこちらでつけたのだから、お寺さんに手間を取らせない分戒名料をもらいたいくらいなのだ。もちろん後継者にも影響を与えては困るのは確認をしなくちゃいけないけど。
それに、葬式なんてものも一切不要だと考えているし、もちろんお経もだ。読経が必要なら自分で般若心経かなんかを録音しておいてそれを流させるさ。そんな考えだから戒名も自分で面白おかしくつければいいと思うのだ。
一般的には戒名のつけ方には一定の決まりがあるらしいが、熱心な仏教信者じゃないし、そんなことはどうでもいいと思うのだが、それでも、一応自分の好きだった分野の漢字を入れたり、名前を入れたりは必要だろう。
ジャーン、ジャジャジャジャーン(銅鑼の音)お待たせしました、そんなことで我輩が考えたのがこれだ!
魚茸印臀野吏焚大湖慈樹」。一応いわゆる院殿大居士なのだ、字は違うけど。

「ぎょじょういんでんやりふんだいこじき」と読むのだ。樹は「じゅ」だろうけど、「き」と読んで、大きいこじきなのだ。茸を「じょう」と読むのは戒名研究で知ったのだ、研究などしてないけど。
ではこの戒名に込められた遠い宇宙の果てを髣髴とさせる深遠な意味をご説明致しましょう。
続く
3月4日(月)
戒名
週刊誌をめくっていたら、著名人の戒名とその値段の推定が出ていた。
その中で、おおっ!と思わず言ってしまったのが、先ごろ亡くなった元横綱
大鵬の「大道院殿忍受錬成日鵬大居士」で、推定戒名料が500万円以上とあった。そのほかにも数十万円から数百万円まで、恐ろしい値段が出ていた。我輩ならこんな戒名をつけられては(そんな心配はまるっきり無用だが)畏れ多くてかえって迷わず成仏できないのではないか。後継者が後々まで故人の戒名の位に影響を受けると言うし。
わが父親は「真政時光信士」だ。父は真面目に(と思う)市会議員をやっていたので「真政と光」、名前の時治から一字を取って「時」を入れたのだろう。母親はこれがまた畏れ多い戒名で、
100歳目前の9911カ月で亡くなったので、白寿だった。そして名前が鶴子。戒名は「寿白鶴翔信女」だ。百歳目前の鶴が天国へ召されて飛翔していくのはおめでたいということのような意味でつけたとご住職は説明された。普通戒名に白という字は使わないというようなこともあるようだが、白寿と鶴子をかけておめでたい白鶴という表現にしてくれたらしい。
さて、そこで我輩も自分の戒名を自ら考えた。本当は戒名なんてものははなから要らないと思ってはいるのだが、どうせ自分の意思の及ばないところで他人につけられてしまうなら、自分で考えようと。
続く
2月21日(木)
読みました「カラマーゾフの妹」(高野史緒著・講談社刊)。驚愕の大どんでん返し、って言うか、あっと驚く親父殺しの真犯人。
さすが著者はよく原作、もちろん訳書だが、を理解している。といってもこちらが理解していないのでそれがその通りなのかは分からないが、あの長編を読み通すだけでも大変なのに、オイラなんてぜんぜん気がつかなかったことを細部まで疑問に思いそれを元に推理を展開し、畏れ多くも世紀の名作ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の続編の完成に挑んでいる。
なかなかの労作で名作だ。この本を読めば元の「〜兄弟」を読まなくてもその内容はあらかた理解できるくらいだ。しかし、ドストエフスキー(高野氏はこれを前任者と呼んでいる)の原作は宗教と人間の関係を軸にあらゆる分野の問題を提起している(もちろんミステリーの要素も)が、そこまでは至っていないのかも。前任者が提起し主張しているから必要ないと言えばそれまでだが。
途中からかなり話は飛躍して、巨大コンピューター装置や宇宙ロケットが出てくるのには違和感があったが、面白く読める小説だ。
著者は高野姓だが、ミステリーバイオレンスハードボイルドの最高峰あの高野和明氏と関係があるのだろうか。
次の寝る前読書は帯に”究極の警察小説”とある「64(ロクヨン)」(横山秀夫著・文芸春秋刊)だ。
2月19日(火)
臨時ニュース
日本人の冬の夜はコタツだよ。寒風吹きすさぶ公園のジョギングを、これではかえって体に良くないと思い、早めに切り上げて夕食、満腹で快い疲れの残る体でコタツに当たってぬくぬくしていると脳は居眠りを要求する。耳元ではNHKラジオが何か2人の会話の番組で音楽を流しているのを夢うつつに聞いていた。と、突然その会話を中断してニュースが飛び込んできた。何事か、安倍総理がまた政権投げ出したか。はたまた隕石が原発を襲ったか。いや、そうではなかった。関東地方に午後9時27分頃弱い地震が有ったというそれだけのニュースだ。ン、ぜんぜん気がつかなかったぞ。しかも埼玉県南部は震度3だという。そんなばかな、我が家はちょっとの地震でも揺れるあばら家だど、気がつかないはずはないど、って、威張ってどうする。
この地震で津波の心配はないとも言っていた。震源地は千葉県沖何キロとか。被害ももちろんないのだろう、他の番組では何も言ってない。こんな軽微で揺れも感じない地震を割り込んで無理やり報道する意味があるのか、NHKよ。地震の規模、揺れに関係なくパブロフの犬のごとく、はい地震、はい臨時ニュースの条件反射か。
いつも言っているようにこんなことを繰り返しているからいざ大地震が来た時報道しても、どうせ大したことないだろうと人々は逃げ遅れたりするのだ。
全くマスゴミは相変わらず考えなしだ。少しは考えろよ、NHK。
2月11日(月)

おじさんは忙しい。植木屋さんで忙しい。先週切った枇杷をさらに短くした。有能な相棒がチエンソー持参で国立から馳せ参じて敢行。ついでに玄関脇の棕櫚が余りに高くなりすぎたのでこれも地上高1mくらいのところで切った。さらに電線に触れそうなも剪定。これで一応の剪定完結、すっきりした。
その前に、午前中は近所の雑木林の伐採木を許可を得ていただいてきた。これは薪ストーブ用のと、椎茸、平茸植菌用の原木だ。伐採された巨木をチエンソーで切断し軽トラに乗せる。これも重労働だ。
おじさんは休日ものんびりできない。
コナラだが大きい 武蔵野の雑木林も減少中 枇杷は先週よりさらにスッキリ 棕櫚も植木鉢置き台に
2月8日(金)
2/6の続き
ああスッキリした!
木は見上げるとそれほどでもないが、いざ登って上から見下ろすと思った以上に高く感じるので怖い。しかも3日は風が強くて上の方はかなり揺れた。そんな条件の中で枝を切ろうというのだからおじさんは大変だ。
上向いてのこぎりで切ると切りくずが顔に降りかかる。枇杷には既に花が付いているのでその花粉状のものも舞ってくる。枝に足を掛けての作業だからバランスをとるのも大変。
落ちないように慎重にバサバサ切って、あとは地上にいる一族が総出で片づけだ。一人じゃとても能率が悪い。大勢でやるのが一番だ。
そんなわけで大方の枝は切った。あとは幹をある程度の所から切れば10年くらいはほっといても大丈夫だろうというわけ。
剪定始め 残がいも多量 柿(手前)と元米軍ハウス 終了間近
2月7日(木)
津波
下の欄の続きはまたあとで。
昨日ソロモン諸島で地震があり、日本でも津波注意報やらが発令された。震源地近くでは残念ながら死者も出て被害があったらしいが、日本では津波が多少到達したらしいが幸い被害はなかった模様だ。
その津波だが、いつも疑問に思っていたのは、津波と普通の波の違いだ。ネットで調べたら、波長の長さとか速さの違いで、うまく表現できないが、水の塊が移動して襲ってくるのが津波、水の表面だけが来るのが普通の波というようなことらしい。
それはまあ何とか理解したが、まだ分からないのは波の高さだ。2センチとか3センチの高さの津波を観測したとか報道されるその高さだ。
わが埼玉県は海なし県だ。海といえばみずうみで、生まれてこの方本当の海を見たことがない、なんていうことはもちろんなくて、波がピチャンピチャンしていることだって知っているよーだ、って威張ってどうする。数センチの津波の高さと普通の波との違いが分かるのだろうか。海水面はいつでも一定していることはなくて、常に高低している。数センチの高さの津波はどこを基準にして計るのだろう。数センチでなくてもそうだが。えーん、文章力がなくてうまく疑問が書けないよう。
2月6日(水)
教訓:家の周りには大きくなる木を植えるな。
先週のキウイの剪定に続いて、3日は枇杷の木を、幹も枝もバサバサ切った。この枇杷は実生で、種をそこらに捨てておいたら生えてきたもので、いつの間にか既に平屋の屋根の高さを越えている。
この実は市販のものより味が深くて美味しいのだが、間引きもしないので小さい。しかも上の方に生る実は結局取れないので鳥やらハクビシンやらの餌になってしまう。葉は屋根や樋にたまるし、大きくなるといいことはない。
枇杷は常緑樹なのでいつも葉が多く、伐採してもその後始末が大変だ。キウイの残骸もまだそのままだというのに。
←これでも20%くらい切った状態。手前の木は柿。
続く。
1月31日(木)
下の続き
長い!物語はほとんどが会話の場面だが、その会話が長い!一人の話が長い、長すぎる。だから斜め読み、読み飛ばしだ。そうしないと読み終わるのに何年かかるか分からない。このコラムが長くてつまらないなんて言ってる人は「カラ兄」読んでご覧なさい、これなんて瞬き程度だよ。
特にイワンが語る大審問官のくだりと後半の裁判における検事の論告と弁護士の弁護は超超長い。
余りに延々と続くので、ドストエフスキーよ、いい加減にしろと言いたくなるのであった。
また、外国文学は当然だが、登場人物がカタカナだ。どうもあたくしはこれになじめない。しかも、同一人物の名前が愛称も含めていくつもあって、どれが誰だか良く分からない。
描写が細かい、内容の反復が多い。とにかく読み終わるのに苦労した。これに難儀するようでは世界文学史上の傑作を読む資格はないかな。
なぜ、そんな思いをして「カラマーゾフの兄弟」を読もうとしたか、これには深ーいわけがあるのだ。いやそれほど深くもないけど。
第58回江戸川乱歩賞受賞作、高野史緒著「カラマーゾフの妹」を読むためなのである。
ドストエフスキーの原作は第1部で、続編の予定があったらしいが、作者が死去してその物語は幻になってしまった。その続編をミステリー仕立てで完成させたのが高野史緒氏なのである。それを読むにはやはり本家の「カラ兄」を読まなきゃというわけなのでした。
昨日から読み出したが、乱歩賞の選考経過も書かれていた。その中で驚いたのは、誰だったか選考委員の中に原作を読んでいなかった人が一人いたことだ。なーんだ、そんなことでよかったんならいきなり「〜妹」を読めばよかった。
でも、何ページか本文を読んだが、原作を読んでいるので人物なり背景なりの予備知識があるし、本家よりはるかに読みやすく分かりやすいので期待が持てる。さあ。今夜も寝る前に読書だ。
1月29日(火)
カラマーゾフの兄弟
ついに読了した。いわずと知れたドストエフスキーの不朽の名作「カラマーゾフの兄弟」(新潮文庫・全3巻、原卓也訳)。「罪と罰」はとっくの昔に読んでいて、ラスコーリニコフなんていう名は今でもすらっと出てくるほどだが、「カラ兄」は読んでいなかったのだ。
長編だ。全巻読み通すのは相当の忍耐力が要った、わたくしにとって。「神と人間という根本問題を据え置いた世界文学屈指の名作」なんて事がカバーに書いてあり、また、wikipediaによると、=哲学者のルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、第一次世界大戦従軍時の数少ない私物の一つが本書であり「最低でも50回は精読した」と言っている。作家の村上春樹は「これまでの人生で巡り合った最も重要な本の3冊」のうちの1冊として本書を挙げている。また、東京大学の教員を対象に行われたアンケートでは、全ての分野の本の中で『カラマーゾフの兄弟』が「新入生に読ませたい本」の1位に選ばれてもいる=と記してあるが、わたくしのような浅学菲才の凡人にはその価値がさっぱり分からない。
読み終わってまず感じたことは、こちらの作品を「罪と罰」という題名にすればよかったのではないかということ。
考えがまとまらないので後日に続く。
1月28日(月)
キウイの剪定

ああ、スッキリした
安息日であるはずの日曜日もなかなかボーっとしていられない僕なのです。先週も先々週も薪作り、昨日はキウイの剪定でした。
蔓性樹木というのは成長が早くて昨年も思い切ってバサバサ切ったつもりなのに1年経つとジャングル状態に伸びて絡まってしまう。そこで今年は昨年以上に思い切って伐採した。
車庫の上に棚が作ってあってそこからさらに伸びて家の屋根の上にまではびこってしまった。屋根には良くないかもしれないが、毎年の夏の猛暑よけに利用しようと、そこだけは遠慮がちに剪定だ。できれば実も生らし、日除けにも利用、その上あまり枝、蔓が密集しないように剪定しようというのだから欲張りで難しい。しかし、昨年まではネットでキウイの剪定の仕方なんぞを引っ張り出して一応それにならったりして剪定したのだが、今年はそういうものは総て無視、結果的に実ってくれればそれでいいという感じだ。
かなりさっぱりしたが、まだ切り足りないかもしれない。実りもどうなるかわからない。そして問題は、剪定で出た車庫の上に積み上げてある膨大な量の枝や蔓は一体いつ片付けるんだ?
1月27日(日)
辛島美登里
昨晩は辛島美登里のトーク&ライブコンサートに行ってきた。チケットを、行けなくなった知人からいただいたのだ。辛島美登里の名はなんとなく知っているという程度で、もちろんコンサートは初めて。
はっきり言ってつまらなかった。トークがぜんぜん面白くなく盛り上がらなくて、自分の生い立ちや生き方をほとんどジョークも交えず話すだけだ。2部構成で、1部1時間で歌った曲は3曲のみ。あとはずっと面白くないトーク。唯一場内がざわめいたのは辛島が52歳だと言った時だけだ。ほとんどの人がシーンと身動きひとつせず、多分そのうち話が盛り上がるだろうと固唾を呑んで見守っているという状態だ。そんな状態で1部は終わった。女性の観客が多いのでアラフォーの女性の話だ。男のワシには何の興味もない話だ。
1部で身に着けていた衣装もうちの連れ合いに言わせるときわめて地味で(ワシにはこれも何の興味もなかった)、2部でコンサートらしいオレンジ色の衣装になったときには連れ合いの隣の女性もホッとしたと言っていた。
楽しいことを期待して行っているのに期待はずれの辛さ。それで辛の字が付くのか。
話し言葉ははっきりして声もいいが、内容と話し方がつまらない(本人は楽しいと思っているのだろうが)ので、トークなどせずもっと曲を多くすれば良かったのに。
2部は小田和正の曲を主に歌って、トークも1部より少なかったので良かった。歌はなかなかいいのに惜しい。彼女は大ホールより小ホールのコンサートのほうがいいと思う。それよりCDの方がいいかも。
ステージにはピアノが1台のみ。彼女が弾きながら歌うのだ。ソロコンサートというのは他に凝視するべきものがないので非常に飽きる。いつだったかナルシソ・イエペスのコンサートでは寝てしまって、なんと演奏中に地震があって、それで起こされたことがあったっけ。
中村紘子のソロコンサートも眠ってしまった。両名ともすばらしい演奏なので眠くなってしまうのだ。
昨夜は寝はしなかったが目を開けている必要もないので瞑目して聴く歌は良かった。
話すなら、さだまさしほど漫談調でなくてもいいから楽しいトークをして欲しいものだ。
アンコールの曲は大震災以来歌っていて、CD収益金は復興支援にまわすという「手をつなごう」という曲。その曲では観客に立ち上がって隣同士で手をつなぎ、その手を大きく上に挙げて離し花が咲くしぐさまでしてくださいと要求されてしまった。強制ではないけれどああいう場面では一人座っている訳にいかないからほとんど強制だ。おかげでワシは左隣の愚妻とは○年振りに手に触れたよ。何しろ最後がいつだったか記憶にないからね。江戸時代かもしれない。それはいいけれど、右隣はおじさんで、みんなもやっているものだから、どこの誰とも知らないおじさんと手をつなぐはめになっちゃったよ。これには参ったね。ワシの手は脂性汗性でいつもネットリジットリしているから、隣のおじさんは気持ち悪かったろうなあ。家帰って相当しつこく殺菌石鹸で手を洗ったことだろう。でもワシが悪いんじゃないからね。
そんなわけなので、この次にもし只券があると言われても結構ですと言うと思う。
ただし、辛島美登里さんの名誉のために言っておきますが、つまらないと思ったのはワシだけだったかもしれない。それが証拠に、休憩時間にロビーに出た連れ合いは、「『いいお話ね』と頷きあっている女性グループがいた」と言っていた。「いろいろな人がいるわね、ファンクラブの人かしら」とも。
1月25日(金)
記憶力
ある研究グループは、空腹状態になると記憶力がアップする仕組みを、ヒトの記憶メカニズムと共通性をもつショウジョウバエを使った実験で明らかにした、という科学ニュースがあった。
そんなことはハエを使わなくったって人間はとっくの昔に分かっていたんではないかとオラは思うのだが違うかな。
オラの理解はこうだ。満腹になると食べたものを消化吸収をするために胃腸を活発にする必要があるので血液がそっちの方に集中するので脳はお留守になる、それで眠くなったり物覚えが悪くなったり集中力が緩慢になったりする。だから学習やスポーツに限らず心身を効率的に活動させるためには満腹時はいけない、むしろ空腹時の方がいい、ということだ。
しかしどうもことはそう単純ではないらしいが、オラにはとても詳しく説明する知識がないので、興味がある人で暇をもてあましている人、あるいは妻や愛人の名前や誕生日、また現総理大臣やAKB48のメンバー全員の名前などをいまだに覚えられない人は次をクリックしてみてちょうだいな。少しは参考になるかもしれません。
http://scienceportal.jp/news/daily/1301/1301251.html
1月24日(木)
憲法改正
自主憲法制定は自民党の結党以来の党是で、特に安倍氏は自分の手で何とか道筋を、できることなら一気に改正までと考えているのだろう。
現行憲法が終戦後に連合国、特に亜米利加に押し付けられたものだから自主憲法を制定するというのが改正論者の改憲の理由のひとつらしい。
現憲法にも改正の条項はあるので、社会体制や情勢の変遷に応じて改正することが悪だとも思わないし、現に各条文も現代日本に合わないのがあるのも確かだが、その是非を問わないで、ただ押し付けられたから改正しようというのはおかしいと思わないか。しかも日本国憲法理念は日本というより人類普遍のものと思われるのに。
押し付けられたものであろうがなかろうが素晴らしい物は素晴らしいし、駄目なものは駄目だ。
大体に於いてだ、日本の政治、特に自民党は亜米利加様の言うことは何でも聞くポチではないの。押し付けられたから駄目だと言うなら日本中にある米軍基地はどうなのよ。特に沖縄はどうなのよ。オスプレイはどうなのよ。まさか、よくいらっしゃいました、ぜひ思う存分基地をお使いください、オスプレイも気の済むまで飛ばして訓練してくださいませ、って言ってるんじゃないだろうな。
いや、言ってるのか。
日本の政治も経済も、古い話で恐縮だが給食の脱脂粉乳もみんな亜米利加様の押し付けじゃないの。TPPだってそうなるに決まっている。
日本国民が迷惑しているアメリカの押し付け総てを対象に廃棄、改正、改良とするならまだ分かるが、憲法だけを取り上げるのはおかしいと思わないのか。しかも大多数の国民に支持されている世界に誇るべき平和憲法を。
日本国憲法云々の前に改革すべき押し付けられたものがたくさんあるでしょうに。
押し付けられたわけじゃないけど、日本で初めてくらいに飲んだコカコーラ(私めがお坊ちゃま君だった頃、家の隣も周りも米軍ハウスだった)は、最初不思議な薬のような味で、やがて病み付きになったね。
1月23日(水)
戦略的互恵関係
お坊ちゃま宰相はどのお方もおおらかなお育ちであらせられますので、細かい事柄、特に言葉には無頓着なことは今まで実証されましたが、その割には現総理は潰瘍性大腸炎なる病に苦しんでおられたようですが、これはいろいろと細かいことが気になるストレスには関係ないのでしょうか。今は行け行けドンドン、絶好調なのでストレスとは無縁でしょうが。
その安倍総理に関して前から気になっていて分かるようでよく分からない言葉に「戦略的互恵関係」というのがあります。
小泉総理のときに冷え切った日中関係を仕切り直しさせようと安倍氏が打ち出した、日中両国のさまざまな事柄でお互いが利益を得、日中関係を発展させようというものらしい。
それはそれで結構なことだとは思いますが、互恵は分かりますが、その前に戦略的と付くのがどうもしっくり来ないのです。
戦略とは戦いの方法とか、戦い方とかいう事でしょう。戦いの計略とも言えるかもしれません。実際はもちろん当時両国は戦っているわけではなかった(現在は危ない状態だが)のになぜ戦略的?しかもお互いの利益?こういう相反する言葉が並んでいるのがどうもよく分かりません。
お互いの利益になるように議論を戦わせてより良い方向に持って行きましょうということの意味で「戦略的」なのでしょうか。
そんなわけの分からない言葉を使うより、「友好的互恵関係」と言った方がよっぽどすっきりすると思うのですがいかがでしょうか。
もっとも政治・行政の言葉はその言葉と正反対の意味で使うことが間々あるのでその類かもしれませんね。一例:前向きに善処=何もやらない。自立支援=自立阻害。国民保護=国民抑圧。
それでいくと「友好的害悪関係」でしょうか。余計分からなくなりました。
どうも安倍氏は「戦略的」という言葉がお好きなようですね。
1月22日(火)
どこで切ったのか、かなりの量の枝が目的のコナラ(と言ってもむしろ大楢だが。ちなみにコナラとミズナラは違う種類の木です)に被さっていて、それをどかすのが一苦労。それだけで大汗をかいてしまった。外気温は零度近いというのに。
それでもなんとか下から薪になりそうな比較的太い木を取り出し裁断、車いっぱい集めた。
このときは2人だった。それが先週の13日で(←)、まだ下にはゴロ太いのがあったので20日に(↓)3人で出直したのであった。
3人になると作業もかなりはかどる。チエンソーを2人で駆使し、一人は木を引っ張り出したり、裁断した丸太を転がしたり、車に積んだりだ。
チエンソーも切れないとホント苦労する。頻繁に研ぐのだが何せ素人、すぐ切れなくなってしまう。それにコナラは太く硬い。
作業に取り掛かると写真を撮れる暇も余りない。このあと自宅の桑と朴の木を伐採したのだが、高い木によじ登り、やはりチエンソーや鋸を使ったのでカメラを持つことも出来なかった。おまけにそこは生活空間、家屋がある場所なのでめったやたらと切るわけにいかない、小枝を先に切って落としたり、太い枝は遠くからロープで引っ張って家を損傷しないようにしたりして大変なのであった。したがってその画像はなし。
樹木伐採シリーズ、来週はキウイと枇杷の剪定の予定だ。
足場が悪いのによく切りました

お尻を撮ったのではない

チエンソーの目立ては大事だ
1月21日(月)
↑は去年の様子

まずジョギングだ。2日間休んだ間にコース上の雪もほとんど融けて、今日は走りやすかった。とたんに人も増えて、ジョガーもお犬様の散歩も16日よりは多かった。
昨日はなぜやらなかったかと言うと重労働で疲労困憊だったためだ。先週の日曜に続いて、昨日も某所へ薪調達に行って来たのである。しかもそのあと我輩の家の庭にあるの木といつの間にか巨大化したの木を切ったのであった。
この時季は調達で大変だ。我輩のところは引っ越してからは薪ストーブはないのだが、仲間の薪ストーブ用に調達人足なのだ。何しろ巨木をチエンソーで切ったり、それを車に積んだりしなければならないので2人より3人、3人より4人と、人足が多いほど作業がはかどるのだ。
市内某所の駐車場には伐採した巨大な松やらコナラなどが去年から横倒してある。それを太鼓に切り運び出すのだ。ここは市の管轄の場所で、これらを業者に頼んで始末するには市民の税金を使わなければならない。そこで薪が必要なわれらが税金節約のために依頼されたというわけだ。つまり少しでもここの木が減れば市にとっても願ったりと言うわけなのである。近いし、いつ行ってもいいし、お好きな木をどうぞというわけでわれらにとっても好都合、去年からかれこれ5度くらい行っただろうか。
松は不要なのでコナラだけを巨松の下からてこなど使って移動し切る。これがまた重いのなんのって。おまけに昨年はなかった剪定した小枝が積み上げてあって(←)、それを除去しながら下にある巨木を出さなければならないからまことに重労働なのである。
正月早々こんな他の人はまず敬遠するであろう悪条件の重労働をやってる物好きなおじさんはいない。暮れの餅つき、明けての出張お赤飯といい、連続でまったく物好きなこった。
続く。
1月16日(水)
雪の公園
ジョギングだ。さすがに昨日はやらなかったが、今日は行って来た。
午後6時半過ぎ、コースは半分雪無し、半分雪が凍った状態といったところ。コースの内側の芝生の広場は一面銀世界だ。日向と日陰、アスファルトとアンツーカー、芝生では雪の残り方がずいぶん違う。
そのコースを2周して来た。1週1580メートル。雪が残っているところはアイスバーンで、滑る。そこを転倒しないようにバランスをとりながらジョグするのはとてもいい運動だと勝手に思って走ったのだ。照明はあっても暗いので足元が良く見えないから慎重に走ったのでちょいと危ない目にあったが、一度も転ばなかった。かなり滑りそうなところはコースの内側に残っている比較的やわらかい雪の上を走ると両足にザクザク抵抗があるが滑らないのでそこを選んで走った。ここも普通に走るのよりはかなりのエネルギーを消耗してよさそうだ。
こんな悪条件の日に走っている物好きはいない。いや、いた。誰だ?この俺だ。実のところジョガーは俺様のほかに一人いた。見上げた根性だ。それともジョギング中毒か。俺は違うか?今日は一方向周回で対向しないので会わなかったのかもしれないが。
それと、歩いている人は2人ほどいた。こういう日は走らず歩いたほうが安全でいいかも。
さすがにお犬様の散歩はいなかった。
という降雪2日後の夜の公園の状況でした。
ジョギングのあとの夕食はうまいぞ。
1月15日(火)
新聞
前にも書いた事があると思うが、世の中には感心するいろいろ偉い人がいるが、雪の日や台風の日の朝の新聞配達もそうだ。
今朝6時、まだ暗い。新聞を取りに庭に出てみると、昨日の雪はバリバリに凍っていた。さすがに今朝は遅れるんだろうと思ったのだが、さにあらず、ちゃんと新聞受けの中に入っていた。全く感心する。幹線道路も雪は残っていて凍結している。まして狭い路地はガチガチに凍っている。新聞社を出てからいろいろな輸送手段を経て各家庭に届くのだろうが、普段身近な新聞だけに特に感じる。末端の配達人はたぶんバイクで配達しているんだろうが転倒などしなかっただろうか。
日本人の知性は新聞配達人によっていると言っても過言ではない。使命は重大だ。多少遅れてもかまいませんから今後も気をつけてよろしくお願いします。
新聞に代表される紙媒体の活字が世の中から消えたら世の中はどうなっちゃうんだろう。印刷屋は消滅する恐れがあるが、それよりも、人間はストレスが増大し、堕落するのではないかと思う。
そんな流れになりつつあるが、いつまでもがんばれ新聞とその配達人殿。
今年はあんまり絡まないで誉めちゃおうかな。
1月10日(木)
真冬
寒い日が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。今日は110番の日です。だからと言ってやたらと110番しないようにしましょう。
このごろの寒さで、よく天気予報では「真冬並みの寒さ」とか「真冬の寒さ」と言っていますが、今が真冬なんだから「並み」はないだろう、真冬に真冬の寒さは当たり前だろう、なんていつも思っていました。
昔、ディック・ミネという歌手がいましたが、「ディック・ミネは馬並みだ」なんてことも言われていたようです。並みというのは馬の様だという意味で、馬ではないんですね。でもいくら大きいと言っても、馬並み、まさかね。
だから、真冬並みというのは真冬でない時に起こるのですから真冬には起こり得ないんですね。
いつもそんな疑問を抱きながら天気予報を聞いているのでしたが、今夜のNHKラジオの天気予報では、ステキな(と思う)お天気お姉さんが真冬の定義を、大寒(1/20)から立春(2/5)までとはっきり言っていた。なるほどそれなら納得。
ネットで調べてもいまいちはっきりした真冬の定義と時期が分からなかったが、これですっきり疑問解消だ。さすがはNHK、ラジオは無料だし、邪魔なコマーシャルは入らないし、いいぞ!
ついでにテレビも無料にすれば見るぞ。コマーシャルがないんだから無理か。そういえば最近うちではテレビを見てないのにNHK受信料は払っている、これは何とかしなきゃ。
1月4日(金)
箱根駅伝
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
テレビはほとんど見ないが、ビッグスポーツイベントは見るのだ。昨年の暮れはボクシング、正月は箱根駅伝だ。それ以外は大掃除やらの正月準備と読書だ。読書は「狭山事件の真実」(鎌田慧著、岩波書店)、「カラマーゾフの兄弟(下)」新潮文庫だ。これについては後日。
ボクシングは5試合もタイトルマッチがあると見るのも疲れるが、なかなかいい試合があったので良かった。井岡、内山はさすがに強い。河野は劣勢から一発逆転で新王者になった。
箱根駅伝は今年もいろいろなドラマがあった。わが母校は8区までは首位を狙う勢いで期待を持たせたが、残念9、10の最終区で失速し、7位に沈んだ。箱根には魔物が潜んでいる。調子のいい者でも20キロの間にはいろいろな悪条件が重なるとあっという間にブレーキだ。
シード権は確保したので来年はぜひとも優勝を狙って欲しいものだ。
おじさんは正月早々からその箱根駅伝に文句を言いたいのだ。
往路の最終区の5区で城西大と中央大が途中棄権になった。5区はあの過酷な山登りだ。
数年前まで芦ノ湖に毎年釣りに出かけていたのであの道は良く知っているが、車で走ってもかなりきついのぼりだ。それを走って登るのだから並大抵の努力では出来ない。だから途中棄権が出ても不思議ではない、それほどすごい区間だ。
近年の箱根駅伝は、大抵5区の結果がレース最終結果に結びつく。5区を制した大学が総合優勝になる例が多い。今年もそうだった。5区以外をそこそこ手堅く走りきって5区に怪物を配したチームが勝つ。各チームもそんなことはとっくの昔に分かっているだろうから、今後も5区の山登りの専門選手を養成するのが優勝への道になるだろう。どうしたらあの登りを他の大学より早く走れるか、それが問題だ。あの登りは獣のように四つ足になって走るなんてのはどうだ。2本より4本のほうが早くないか。
5区だけ独立した別レースにするのも面白いかもしれない。
そんなことはどうでもいいのだ。おじさんの言いたいのは、途中棄権して襷が繋がらないと個人記録も含めて総ての記録がオジャンになるのはおかしいのではないかということなのだ。
往路で途中棄権した2大学ももちろん復路はオープン参加として出場していて、8区で中央大学の永井選手は区間1位の力走だった。普通にスタートして普通にレースをしているのだから、この区間賞は永井選手に与えるべきだと思う。2位の青学大高橋選手が区間賞になるのだが、彼は永井選手より36秒遅い。ハンディがなく負けて区間賞を貰うのも複雑な心境だろう。記録が個人としてもチームとしても参考としてしか残らないことを知っていて力走した永井選手はまことに偉い!
襷が繋がらなかったのだから総合優勝は有り得ないとしても、往路、復路は別々に優勝が決まる。復路成績と個人賞は断固与えるべきだと思う。
襷が繋がらないのが何ほどのもんじゃい。そういうのが駅伝さ。あっそう。