101匹あんちゃん大行進(1996)
【概要】
いじめに遭った人を一番苦しめるのは「いじめに遭ってしまった」という恐怖の記憶。忘れようとしてふっと恐ろしい記憶がよみがえる。よみがえった恐ろしい記憶のなかで、「もしかして自分は、真実、排除されても仕方のない、気味の悪い存在なのかもしれない・・・」と考えなくてもいいことを考える。
自分の中にあって自分を苦しめる記憶というものを削り取る方法には、記憶ぐるみ自分を抹消する「自殺」という方法もある。だが、僕はもうそんな方法をとらない。
回復する道は、もう不要になってしまった恐怖の記憶を自分の力で削り取ってしまうことである。
【連載中断の経緯など】
連載中断の経緯が原因で、単行本化されない人生相談。
『貧乏は正しい!』の連載終了後、橋本治は引き続きヤングサンデーで新連載『101匹あんちゃん大行進』を開始した。
相談者は主に若い男の子。たとえば「年上の男性が怖くてたまらないのです」という相談に対する回答は「これはホモに関する悩みです。」、また、女性とは関係するが橋本治以外の男性とは関係しない男性を「ホモ的には童貞だから、『男の子』と呼ぶ」といった斬新。
しかし、わずか数回目で、橋本治個人を侮辱する、相談の形をした中傷と脅迫が来た。橋本治は回答し、その回をもって連載を中断し終了。
【オミカンヒメ流の再現】
以下、オミカンヒメが、曖昧になってしまった記憶を頼りに、この最終回の相談と回答をここに再現する。
相談
「今まで俺はテメエが何をほざこうとも包茎のたわごとだと思ってシカトしてきた。が、近頃イジめられている人に対してのテメエの態度、ほざき方にゆるせねえ物を感じる。テメエはいじめられた人達に対して、情けねえだのまとも以下だのとほざいているが、俺にはテメエがいじめられている人達をなめているとしか思えねえ。言い返せねえと思う人にしか悪口をほざけねえんじゃ、イジメをしてるような、女に見向きもされねえ童貞と同じだ。テメエも童貞だ。だいたい悪いのは無能な学校の老いぼれどもやイジメをしている童貞どもなのに、そいつらに対してはなにもほざけねえのか。前にテメエは「あと一歩で文部省とサシの勝負っつうところまで行ってる」とほざきやがったが、だったら文部省に文句をほざいてみやがれ。文部省がこええのか。それとももう負かされたのか?それからテメエは週刊文春で「女と恋愛したことがありません。出来ないと思う」とかほざきやがったよな。カッコ悪い。この童貞が。それから「同棲してた」とかほざいたが、女と恋愛できねえんじゃ、当然男だな。テメエは童貞の上にホモか?情けねえのはテメエだ。反論がねえんならワビを入れろ。俺は無論、イジめられた事もねえ上に、今も俺をイジめれる奴なんかいねえ。しかしイジメをなくしたいとおもってる俺にとっては、テメエのほざき方が許せねえ。イジめてる童貞なんかと同じハンパな事したらテメエをブッ潰す。」
回答
(注:これはオミカンヒメの記憶による再現です。オミカンヒメは橋本治に心酔しているため、かえって細部に拘泥し過ぎたり、要旨を把握できていなかったりもします。しかし、原文が正確に思い出せないとはいえ、再現は1つの文章として完成させる必要があります。よって、不正確とは自覚しながら、書きました。そのような不正確な再現であるため、橋本治の原文とはかなり違っております点を、ご了承ください。)
「私に死ねというわけですね。嫌ですね。
この投書を受け取ったのが今じゃなく、以前だったらどうだったろうか考えた。10年前だったら大丈夫だったろう。でも12年前だったらどうだったろう。「馬鹿野郎」と叫んでこの手紙を破り捨て、でも「結局その通りだ」と言ってこの手紙の言う通り自殺していただろう。
ホモでしかない人間はそのことを責められるのがうれしくはない。(注:左部分は原文と明らかに違います。オミカンヒメはここの細部をよく覚えていません。よって、10分の1くらいに要約しました。しかし、原文とはかなり違っています)なぜなら、世間でホモと呼ばれる人たちはあまり素敵でない。「オメーがオカマなんだよ」と言われ「違う」と思いながらも、涙が流れる。今ではこんな投書は怖くも何ともないけれど。ここに登場した手紙は充分に人を一人殺せる手紙なんです。この手紙はホモと呼ばれる男へのいじめなんですよ。いじめの証拠はちゃんとあったんです。いじめの被害者が自殺して、いじめの証拠があったのかないのか問題になるが、そんなことを問題にしてももう遅い。証拠が見つかった頃には被害者はもうボロボロになって死んでいる。いじめの理由とされるのは、たいてい、その人間の本質的部分である。“自分そのもの”でしかないような部分を「気持悪い」と責められて、自分を直しようなんてない。(注:左部分も原文をよく覚えていないので、要旨を曖昧に書きました)
いじめの被害に遭ったひとたちがどれほどの傷と悔しさを抱いて生きているかは簡単にわかる。わかって、でもしかし、簡単に声なんかかけられない。いじめの被害に遭った人達は自分の外部を「絶対に信じない!」と思っているからである。いじめの被害に遭った人間に声をかけられるのは、いじめの被害に遭った人間だけだ。
僕は人をいじめて自殺させるヤツラの気持がわからなかった。それをする彼らの内部には悲しい不幸があるのだろう。と思い、僕はそれ以上彼らの不幸を考えたくなかった。ただ、自分のしたことがあんな結果を招いて、彼らはどう思っているのか。僕にはそれだけがわからなかった。でももうその答えがわかる。やつらは笑うんだ。「バーカ」って。
いじめに遭った人を一番苦しめるのは「いじめに遭ってしまった」という恐怖の記憶だ。忘れようとして忘れられない。忘れようとしてふっと恐ろしい記憶がよみがえる。よみがえった恐ろしい記憶のなかで、「もしかして自分は、真実、排除されても仕方のない、気味の悪い存在なのかもしれない・・・」と考えなくてもいいことを考える。それから回復する道は、もう不要になってしまった恐怖の記憶を自分の力で削り取ってしまうことだ。
自分の中にあって自分を苦しめる記憶というものを削り取る方法には、記憶ぐるみ自分を抹消する「自殺」という方法もある。だが、僕はもうそんな方法をとらない。だから言う、「もう二度とこんなもの見ようとは思わない!」
この連載を始めたのもこういう投書が来るんじゃないかという予感があったからだ。そういうものが来たらその相手とちゃんと対決して、ちゃんと拒絶ということをしよう、と考えていた。そしてそれは来た。この手紙を押しつけられて、胸は今でもドキドキと震えるけれども、僕は言う。もう僕はこんなくだらないものと付き合おうとは思わない。
「愚かな若者とは決して一緒にならない」と30年前高校を出る時に誓った。今そのことが達成できる。そのような若者と出会う可能性のある場は今の僕にとってこのヤングサンデーだけなのだ。僕は二度といじめに関して発言することは無いだろう。
この連載はこれで終りです。この連載が単行本になることは永遠にありません。私は人生も作家もやめません。しかし、ここには二度と姿を現しません。自分の生きてきた人生の質にかけてこのことは主張します。今の僕には生きていける場がいくらでもある。もうあの気持悪い顔を見なくて済むのか、と安心してください。
いじめに遭ったからって自殺なんかするんじゃないよ。いじめに遭ったら強くなるしかない。強くなるというのは実はとてもつらいことだ。いいことなんか1つもないよ。つらいことばかりだよ。でも強くなるしかない。いつか自由に生きることができる場所に辿りつくとはできるんだ。
残念ながら私は蹴飛ばされれば「痛い」と思い、つばを吐きかければ「悲しい」と思うごく普通の人間です。知らなかったですまないことがこの世にはあるんだ。じゃね。」
【その直後】
この記事の中の外枠にはヤングサンデーの「それでも101匹は吠え続ける」だの「橋本治様、至急ヤングサンデー編集部までご連絡下さい」といった文言が載せられていた。
当時私は、投書者よりも、投書を橋本治に押し付けたヤングサンデーの編集部に腹が立った。せっかく面白く読んでいたのにひどいわ。
【追憶】
『日出処の天子』の山岸凉子が毎日新聞でインタビュー記事を捏造された事件を連想。101匹あんちゃん最終回は別に捏造ではないけれども。
1996年2月にこの101匹あんちゃん最終回を雑誌で読んだ。悲痛な回答を読んだ時の胸の動悸を、覚えている。今、自分で書いた上記再現をたまに読み返す。読み返すたびにいつも、雑誌でオリジナルを読んだ時と変わらない動悸が。