ぼくらの東京物語1996
貧乏は正しい!シリ−ズ第3巻。
幼時から肌で抱いている違和感・疑問は数多くある。違和感・疑問は苦しい。しかし、長く生きれば謎解きの喜びがあるから、違和感・疑問は喜びの源でもある。ちょうど、仕事というものが、途中過程では焦りのストレスをもたらすが、終了後は達成の快感をもたらす、それと似ている。苦しみの原因が、持ち堪えれば、やがて来たる歓喜の源にもなりうるのだから、生きていることにやはり感謝しよう。
【オミカンヒメの回想】
『ぼくらの東京物語』によって、私は、幼時から抱いていたある恐怖から解放された。以下、その話をする。
多くの日本人がそうであるように、私の先祖もまた農民だった。伯父と伯母は畑を耕していた。親に連れられて祖父母の家に帰省すると、伯父と伯母は畑に出ていた。帰省が終って、都会の家に帰って、しかし、田舎の親戚が遠くから私を責めているような気がした。私も田舎に住んで農業をやるべきなのに、その苦行を彼等だけに押しつけてラクをしているので、ものすごく非難されているような気がした。その恐怖は消えなかったので、幼い私はそれに慣れるしかなかった。慣れた恐怖が、持病のように自分を腐食させていくようだった。一方で、まだ幼い自分がこのような恐怖を背負うことが、腹立たしかった。
『ぼくらの東京物語』がこの恐怖を払拭してくれたのだった。つまり、本書によると、都会に住んでいる人間は、本当はここは住むべきところではないという思いを抱いているものだそうだ。ということは、オミカンヒメのような恐怖を抱いている人間は、日本人の中では多数派ということだ。よって、オミカンヒメの罪ではなく、これは社会問題だったのだ。かくして、オミカンヒメは自分ひとりの恐怖を社会問題に還元し、解放されたのでした。
「恐怖を克服しなくてなんの人間か」と橋本治は『天使のウインク』で書く。