蓮と刀1982
【内容紹介】
本書のテーマは、「どうして男は“自分”をこわがるのか? 」である。“ホモであること”を分析の対象にしているのは、そこが男性の“自分”がむき出しになる部分であるからに過ぎないであろう。
本書の前半は、フロイトやユングなどの心理学者を取り上げる。これらの心理学の権威が、同性愛の分析についてはいかに無能だったか。
中盤は、トーマス・マン『ベニスに死す』や夏目漱石『こころ』などの名作を取り上げる。官能に溺れて時間感覚を失ってしまった、化粧する老人。親友と恋を争い、親友の自殺によって勝利したが、結婚後に、自分が恋していたのは妻ではなく親友のほうであったと気づく明治の青年。
後半は、ホモ雑誌の文通欄を題材に、日本の男を「おじいさん」「おじさん」「おとうさん」「おにいちゃん」「親戚のおにいちゃん」「ぼっちゃん」「おねえさん(女装者)」などに分類。この分類は、もちろん、世代によるものではない。精神構造によるものである。たとえば、家父長制の下で、人を踏みつけにしてもお咎めなしという特権を当然のものとしている男が、「おじいさん」である。また、“家子長制”の下で、何の制約も受けずデカイ顔をしているのが、「おぼっちゃん」である。など。
【感想】
評判どおりの名著だと思う。名著過ぎて、感想が書けない。
この本を読んだ後、中学時代に熟読した夏目漱石『こころ』を再読してみた。すると、本当にホモ小説に思えたからびっくりした。親友のKが夜中に「私」の寝姿を凝視していた、だの、図書室で「私」にやたらベタベタしてきた、だの。これらのエピソードから思うに、Kのほうでは明確に「私」を恋していて、「お嬢さんへの恋」は「私」を牽制するためのカモフラージュで、自殺の原因は「私」に失恋したことだったのか?
【おまけ】
橋本治の新刊を一晩中読みふけりたい私。メシより好きな橋本治。読者というよりも狂信者のような私。橋本治に狂うマニア女より。