無意味な年 無意味な思想(1997)
【概要】
時代は変わり、そして変わりきれなかった。
1993年(平成5年)、自民党独裁体制は終焉。自民党は、連立政権を構成する一政党や、野党に転落。時代は変わった。
しかし、1996年、再び自民党内閣が成立。時代は変わりきれなかった。
本書は、上記政変の前年の1992年の時評に、政変がふりだしに戻った翌年1997年に加筆されたもの。
【内容紹介】
本書に登場する1992年のトピックを、限定して紹介する。
平成大不況の風が冷たく吹き始めた1992年。(注:平成大不況は2003年まで続いた)
38年間続いた自民党独裁体制のラストエンペラーとなる宮沢喜一は酒乱、オヤジ系の週刊誌の読者のみぞ知る。(注:宮沢喜一元首相は2007年死去)
米輸入自由化という問題はなぜ難解か。日本の農業がガタガタになっているからである。日本の農業がガタガタになったのは、労働条件のひどさのために人が離れたからである。耳にタコの出来た「嫁不足」は、「人が離れた」のひとつに過ぎない。若い男もまた、労働条件のひどさのために農業を離れた。「労働の場」という問題を、「家庭」の問題にすりかえたままでいれば、問題解決の糸口は見えない。(注:1994年に米輸入部分自由化・2005年頃に農業規制緩和)
「PKO法案」ではまだ実現しなかった自衛隊海外派遣は、「いざ戦闘状態となったら撤退させる」を前提としていたが、だがしかし、「いざ戦闘状態となったら撤退させる」は、実は「敵前逃亡」という行為である。銃殺刑にあたる最大の軍隊規律違反を自衛隊員という日本の若い男に強制するほど、日本は「戦争」がわからなくなっていたという恐ろしさ。(注:2003年に自衛隊海外派遣は実現)
不景気なのに貿易黒字は史上二番目だが、バブルがはじけて外国から買い物しなくなったからだけの話。輸入を増やせと外圧をかけられても、しかし、いらないものはいらない。
AV機器が売れないのは不景気のせいではない。
本文より・・・
こういうものは、需要が一巡しちゃったら、もういらないでしょうが。(中略)「ビデオは最早生活の必需品だ」って言ったって、洗濯機や炊飯器やトースターに比べりゃ、必需品度は低いのよ。(中略)いらなくなったボロの電気釜をポイと捨てるやつはいても、古いビデオデッキを捨てるやつはいませんよ。(以上、本文より)
ヘアーヌード写真ブームで警視庁は芸術性の高さを審査、エイズ教育が必要な時代なのに「人間の体はヘアーが生えている、そういうもんだからそれでいいじゃないか」には未だし。
従軍慰安婦の補償問題。親父(大日本帝国)はとうの昔に死んでて、息子(日本国)は息子で別人格なのだが、日本は映画『サイコ』のアンソニー・パーキンスのように親と自分を同一視してワケのワカンナイことを言っている。
アメリカの次期大統領はクリストファー・ウォーケンの顔にロバート・レッドフォードの目をはめ込んだようなクリントン、妻と娘がいつも一緒、ああも個人主義が強い国でああも家庭のイメージが強いというアメリカの矛盾。(注:クリントン大統領の在任は1993年〜2001年)。
バルセロナオリンピック、「痛みこそが自分」で他人の思惑から自由になったであろう柔道金メダル。
暴力団新法施行、しかし、暴力団員の多くは好きでになるわけではなく、しかたなくなるという問題は解決するのか?問題は1995年のオウム真理教事件以後、カルト宗教の元信者たちは世の中へ戻れるのか?へ広がる。世の中はその人間をなんらかの形で排除したのである。その排除構造を放置していてもいいのだろうか?
最後の実力者・金丸信は、佐川急便から五億円もらったことをアッサリ認め、自民党副総裁をやめちゃったが、派閥の会長は引きとめられてやめなかった。金丸以外に実力者がいないから。すなわち、日本の政治を見る知性は、「実力者」が超法規的存在でしかないことを見過ごしてしまう前近代的な知性である。自民党もまた、有権者によって成立している政党ではなくて、実力者によって成立している前近代的政党である。そして、そのような前近代がもう役に立たないから、金丸以降に実力者は生まれないのである。絶滅の危機に瀕したトキ(実力者)最後の1羽(金丸)は、卵(海部・宮沢・小沢etc)を点検するが、一向に卵は孵化しない。実力者の担っていた役割を新たに担うべきなのは有権者で、その力を持つことが民主主義の根本なのである。(注:金丸信氏は1996年死去)
【感想】
本書の最大のテーマは自民党の派閥と思われるが、「前近代的知性」が不足なオミカンヒメは消化できなかったことを白状する。社会生活には「前近代的知性」も必要であることは痛感しているのだが。