桃尻娘1978

 『桃尻娘』第1章は橋本治が29歳の時の処女作である。女子高生・榊原玲奈の一人称。女子高生の凶暴な知性を鮮明に描いた。

 若い娘の凶暴が現在では当たり前になってしまったので、『桃尻娘』の衝撃は、現在では説明しにくい。が、あえて説明すれば、社会生活に束縛されないゆえの無制限な直感。幼さを脱した直後の、人生への吹き上がるような期待。自分でも制御できない元気。その反面、半分は大人になってしまった時期の、けだるさ。たまらない疲労感。
 素敵ではない年上の女への嫌悪感。縦軸の、口に出せない、嫌悪感。自分が女になってゆくからこその、嫌悪感。自分の中にうごめく、生臭さと躍動感。異性への憧憬と憎悪。
 自分自身がたまらなく不潔にも感じられる反面、「年頃の娘」という輝きの時期にもいる。その矛盾。自己嫌悪とナルシシズム。そして、自己嫌悪でもナルシシズムでもない、平坦な日常。それを可能にしてくれる、友人という横軸。
 開放されているような、閉塞しているような、混沌の時間。少女期に特有の、「ヘンに明晰な混沌」という知性。

 オミカンヒメの私見だが、桃尻娘=榊原玲奈の源流は、『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラであろう。
 10代のスカーレットが上流社会の長幼の序や男尊女卑に上辺は順応しつつ、内心では疑問で一杯になったり怒ったり笑ったりする。そのモノローグはギャク満載で、桃尻娘=の榊原玲奈のモノローグとよく似ている。

 ところで発表当時、女子高生への社会的認知度は低かったらしい。選考委員の一人は「わたしはこの主人公にリアリティーを感じなかった」と評したそうである。
 『桃尻娘』本書の約10年後、橋本治は『’89』で語る。存在しても存在を認知されていなかった「女の子」というものを存在させただけで、社会的には凄い反感があった旨。

 本書はまた、「男の子」を存在させ始めてもいる。橋本治によると、家庭と学校が女社会になったため、男の子は「男の子」であることを奪われ、無性の「男性に属する子供」に順応させられた。しかし、「男の子」は、同性愛の男子高生・木川田源一の形で存在し始めた。



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