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2006.1.7開始

朝日新聞 2006年2月5日朝刊 「勝ち負けはやじ馬の線引き」2006.3.11記
【本文抜粋紹介】
本文より・・・
   貧乏って慣れるんですよ。(中略)でも、豊かさには慣れないから、欲望はどんどん増殖していくしかない。(中略)
 自分を「負け組」だと言わない人は、いつか「勝ち組」になれるんじゃないかっていうほのかな期待感でいたりするんですよね。
 私はそもそも、南米移民の中に「日本は戦争に負けていない、勝ったのだと信じる事実誤認派」と「負けを認めた事実認識派」がいた―という元々の意味でしか思ってないので、ずいぶんものを知らない人たちが出てきてしまったなあ、と感じてはいましたが・・・。
 経済の人間は、こんな言葉をやすやすと使わないと思う。勝ち負けで線引きしたって、そう簡単に勝ち組が増えて景気が良くなるわけでもなし。少なくとも当事者じゃなくて、「やじ馬のジャッジ」でしょうね。





毎日新聞 2006年1月4日・5日夕刊 「団塊を知らない子供たちへ」2006.1.7記
【内容紹介】
 養老孟司との対談。面白かった五箇所を抜粋。

 第一に、ものを考えることについて。
本文より・・・
 体でものを考える習慣のない人が多くなった。


 第二に、微妙な認識力について。
本文より・・・
 微妙な違いって本当に微妙なもので、理性の問題ではなく、その人の中にしかないんですよ。(中略)昔の女性が親からもらった着物を愛するというのは我が身を愛するのと同じです。(中略)肉体の中にひそむ存在感。それがエロスだと思うけど。


 第三に、メールについて。
本文より・・・
 メールの言葉は記号ですよ。文章じゃない。文章は行間を読むことによって初めて文章だ、ということがわからない人ばかりです。

 ここは、『浮上せよと活字は言う』最終章の、「感情が言葉に濃厚な意味をもたせ、それゆえにこそ、人は人の言葉に耳を傾けることができる」旨の箇所の、バリエーションだろうか。

 第四に、2005年に女子高生が母親に劇物タリウムを飲ませたという事件について。
本文より・・・
 事件を起こした女子生徒は、“女”がいやなんでしょうね。自分をブログで「僕」って呼んでました。「自分が女だと外で弱くていじめられるから仮想で男にして、家にいる弱い女は母親だから、それを攻撃する」ということだ。それくらい外が見えないんだな。自分の半径1・5メートルくらいしか見えない。真っ暗だから「いつ敵から攻撃を仕掛けられるか分からない」って、おずおずしているんだろうな。その意味で世の中がバーチャルになっている。


 第五に、子供を大人が愛さないため、子供に愛嬌がないことについて。
本文より・・・
 子供がバカであることを大人が愛してくれないことは、とても寒くてつらいことです。(中略)「多少過去がキズ物でもしようがないから、生きていけよ」の方がいい。キズ物でも生きていける未来が明確ではないから、人の過去を突っつき回すとしか思えないですよ。(中略)人間、バカでも生きられるように愛嬌があるのに、今の子にはそれがない。

 「大人は若い世代のために平然と破綻状態をさらす必要がある」という橋本治の以前からの主張が、再び。





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