ぼくらのSEX(1993)

【概要】
 SEX(性)とは、生きていくための力。必要な他人と関わっていくための、美しくて強いエネルギー。「自分はまだなにもしていないから、このまま死ぬのは恐い」という未練を残さないために、充実した人生を送るエネルギー。


【要約】
 SEXとは、人間が生きていくためのエネルギー。「性」=「心」+「生」=生きる心。

 SEXの基本はオナニー。オナニーの後にはみじめさがやってくる。自分というものは時としてみじめで、人間が自分の手で自分の人生を切り開いていくものである以上、それはしかたのないことである。オナニーはそのような自分を知る行為。このように、人は一人でもSEXをする。

 他人とするSEXでは、「他人とのつきあい方」が問題となってくる。よほどのことでもないかぎり、全然愛情のわかない人間とは「SEXをしたい」とは思わない。逆に、「好き」だからといって、必ずSEXするわけでもない。そうなると友情と恋愛の間には明確な一線はひけない。区別するなら「友情はSEXをあまり期待しない恋愛」である。
 対するに、SEXを期待する「恋」とは、「取り引き」であり、お互いに自分にないものを相手から与えてもらう関係。
 与えられる安らぎ。自分で自分のことを考え続けると、混乱してつらくなる。自分を受け入れてくれる人とSEXをすると、混乱していた頭は静まってしまう。そのように全身でホッとしたい。この欲望を充足させようとする行為全体を、恋とも呼ぶ。

 しかし反面、SEXした後には「なんかメンドーだな」という感覚も生まれる。「メンドーな感じ」を遮断してくれる、「ラブホテル」という「SEXをするための場所」は存在する。しかし、「ラブホテル」へ行くのを普通にしてしまうのは危険である。「メンドーな感じ」は必然があって生まれているからである。すなわち、「この人とどういう関係を結んで、この先をどう生きていくか」をちゃんと考えるためである。

 SEXは「この人となら死んでもいい」という覚悟の出来る相手とだけすること。AIDSが登場した現代では、SEXは死といつ結びつくかわからないからである。いつの時代も愛というものは純粋で危険で、愛ゆえに命を落とした人はいくらでもいる。

 異性とのSEXは「人間の親になる」覚悟を要する。人間が性的な存在であることを主体的に把握すると、すべての女性は未婚の母でもありうる。(「女性の純潔」の一方的な強調は、女性が男性の所有物である時代のものである)
 しかし、結婚したい人が結婚するのは全然まちがいではない。「ちゃんとした人間になる」は別に「孤独になる」と同じではない。他人と一緒になって、他人の中で自分をつかまえるという方法もある。会社に就職して自分をつかまえると同じように、結婚して他人との関係によって自分をつかまえていく方法もある。「自分」を持ってしまった人間にとって、今の世の中はかなり生きにくいものであるが、しかし、「自分を持っている」ということはとっても強いことなのだから、「自分」をもとにして世の中を変えていけばいい。


 以下、「ファザコン」「マザコン」・同性愛・AIDS・性教育等について。

 「ファザコン」「マザコン」について。人間は誰でも「ファザコン」「マザコン」である。大人はけっこう大変な「義務」「仕事」「役目」を持っているから、大人には「人に甘える」が必要。SEXの中には「相手に甘える」という行為も含まれている。

 同性愛について。同性愛は人間の成長過程のひとつで、別に異常ではない。人間の成長は「自己愛→自己嫌悪→自己愛→同性愛→同性嫌悪→同性愛→異性愛→異性嫌悪→異性愛→自己愛」(他のバリエーションあり)。「自分で嫌いになったものは自分で愛せるようになる」と「愛する対象を少しずつ広げて、自分の世界を広くしていく」の2つをしながら、最終的に「生きててよかった」と自分を愛する。

 AIDSについて。AIDSは「他人とつきあってはいけない」という病気ではない。「誰とでも無差別に仲良くしてしまうと自分というものがなくなってしまうから、自分に必要な他人と勇気をもってつきあう必要がある」を人間に告げる病気である。

 性教育について。AIDSウイルスはとても弱い病原菌で、よほどのムチャをしなければうつらない。AIDSはSEXでうつる。SEXは「よほどのムチャ」のひとつである。それでも人間が「火」を捨てないように、人間はSEXを捨てない。人間にとってSEXが必要だからである。「危険だけれど必要なもの」を使いこなすためには、それを「知る」が不可欠である。だから今の時代には、ちゃんとした性教育が必要なのである。


【感想】
 オミカンヒメのイメージする性教育の一般論の両極端は、1つは意識的な女性キャラによる冷たい即物的な授業のイメージ、もう1つは権威的な年配男性キャラによる「先に恋愛感情の夢を教えるべきじゃないかと思う」というボカシのイメージ。本書はこの両極端を網羅して、身も蓋もなく科学的でありながら、感情面も充実のフォロー。

 それにしても、性と心をセットで真剣に考えるのは、大人になっても恥かしい。




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