双調平家物語8巻(2001)
「禅閤に、お会いしたい。死ぬ前に一目、禅閤に―」(「頼長最期」より)
【内容紹介】
8巻は、武者の世の到来として名高い、保元の乱。1156年7月10日夜〜11日夜明け前。夜明け前に進軍が始まり、朝の光の中でもう決着がついているほどの短さが、保元の乱なのである。
鳥羽上皇は、后と祖父の密通で誕生した第一皇子「叔父子」崇徳上皇を憎み、その血筋を帝位からしりぞけ、暗愚な第四皇子を即位させる。後に「日本一の大天狗」へと変貌する後白河天皇である。
そして、鳥羽上皇崩御。遺言「閉眼の後、朕が顔を新院に拝させるな」によって、崇徳上皇(新院)は臨終の場から退けられる。
保元の乱は、ここから始まる。
関白・藤原忠通は、異母弟の左大臣・藤原頼長と父・藤原忠実を、後白河天皇調伏の罪によって告発。
頼長は崇徳上皇に接近。
崇徳上皇方。
崇徳上皇(新院)は清和源氏の棟梁・源為義を白河北殿に召し出すため、藤原教長を使いに出す。
父・為義は左大臣頼長に仕え、しかし、嫡男・義朝は関白忠通に仕えていた。
いやがる為義「我は六十路。2年前に官も解かれました。役目は嫡男・義朝に譲りましたも同然。お召しには応えがたく存じます」
教長(息を呑む)
ナレーション―平安の都に初の合戦が起こる以前、誰も彼もが従前にのっとって。我が身の安泰を策していた。合戦の後には「新院方」と呼ばれるようになる者達も、好んで新院にお味方したのではない。ただ、「新院に仕える」という従前のあり方にのっとって、合戦という破局へと導かれたのである。
教長「それならば、左府(頼長)のお召しとして、新院の御所へ参上せよ。そなたは左府に仕える身」
為義「でございますなら、私ではなく、八男の為朝(ためとも)を参らせたく存じ上げます」
教長(目をむく)
為義「今、都一の武者は、嫡男・義朝。八男・為朝ばかりは抜きん出て強弓を引きます。義朝に敵うる者は、都では、為朝ばかり」
教長「黙れ!お召しは為義、そなたである。為朝であれ誰であれ、一族郎等を率いて新院の御所へ参上いたせ」
為義「・・・・・・・かしこまりましてございます」
後白河天皇方。参上したのは、関白・忠通、その息子、後白河天皇の乳母の夫・入道信西、源義朝(源為義の嫡男)・平清盛ら。
当時戦闘に勝つやり方は、暗い内に敵陣を包囲し火を放つ「夜討ち」である。この点につき、上皇方の八男・為朝も、天皇方の嫡男・義朝も作戦会議で同じことを言う。
上皇方の作戦会議では、変人の左大臣・頼長が為朝の言を採用しなかった。
しかし、天皇方にはただ一人、戦闘の意味を理解する王朝貴族がいたのである。入道信西。頼長と並ぶ博学の男である。
関白・忠通は、信西に迫られ、義朝に迫られ、開戦へのゴーサインを出す。
源義朝・平清盛は、白河北殿を夜襲し上皇方を破った。
源義朝は白河北殿に火を放ち、崇徳上皇は逃亡して出家、仁和寺に幽閉される。藤原頼長は矢傷を負う。
死を間近にした頼長が求めたのは、妻でも妾でも子でも(男の)愛人でもなく、彼を溺愛した老父。
「頼長最期」本文より・・・
耳を近づける経憲に向い、かすれた声で頼長は言った。
「禅閤に、お会いしたい。死ぬ前に一目、禅閤に―」
荒屋にさし込む朝の光が、頼長の瞳を透かすように輝かせる。(中略)
「経憲―」と言ってすがる頼長の表情が、経憲を決断させた。(以上、本文より)
しかし、老父・忠実は、摂関家の長である愛児が実戦で矢傷を追うという事態に、恐怖し、対面を拒絶する。
父の拒絶を聞き涙した重傷の頼長は、翌日の昼、世を去る。享年37歳。
為義(天下を掌する摂関家が、まさか天下を二分するような愚かな争いを繰り広げるとは思わなかった)
為義は嫡男・義朝の自邸に逃げ入るが−。
信西は義朝に父を処刑させることを考えていたのである。
信西は、346年ぶりに死罪を復活させるのである。
信西「時に、播磨殿(平清盛)は、叔父御(新院の将・平忠正)を斬ることがお出来かな?」
清盛「いかにも」
信西「我が朝に、死罪が廃されて久しい。嵯峨帝の御世の藤原薬子の乱は、帝の兄・平城上皇の謀反である。兄上皇が弟帝へ謀反。今回の合戦も同じである。薬子の兄・仲成は死罪となった。それ以来、死罪は346年行われてはいない。私はこれを復活させようと思う」
清盛「それはいかなるお考えで?」
信西「お主上のお心を騒がせ奉る乱というものが、どれほどの重罪か。律令によれば死罪。それを知らしめるため」
清盛「いかにも」
信西「私は義朝に父(為義)を斬らせる。それが法であることを呑みこませるために、まずは播磨殿が叔父を斬る」
清盛「いかにもたやすくて候」
【感想】
前7巻までは王朝絵巻だが、本巻は合戦シーン炸裂。
平安京初の合戦・保元の乱を描いた8巻の最大のテーマは、上層部が争うために下がこうむる大迷惑、であろう。
合戦前、藤原氏・源氏・平氏等は、ある者は帝・関白に仕え、ある者は上皇・左大臣に仕えていた。「帝・関白」VS「上皇・左大臣」の合戦となったため、別に争いたくもない身内同士が、敵味方となってしまい、大迷惑。
大迷惑をこうむった代表例が、源為義。左大臣頼長に真面目に仕えたために、結果、嫡男・義朝に殺されてしまうこととなり、あまりにも可哀相である。これはひどい。
平清盛も可哀相だ。上皇方だった叔父を斬らされていた。
一族が敵味方となって戦ったのが保元の乱だが、双調は、別に好んで敵味方となったのではないという点を強調している。「走狗招喚」の「合戦の後には「新院方」と呼ばれるようになる者達も、好んで新院にお味方したのではない。ただ、「新院に仕える」という従前のあり方にのっとって、合戦という破局へと導かれたのである」旨の箇所には、オミカンヒメも「そうね、その通り」と
うなってしまった。
ここでオミカンヒメが連想したのは、時代は飛ぶが、現代の民族紛争についての新聞記事によく見かける民間人のコメント―「戦争が始まる前は民族の違いなんか意識しないで、隣人として仲良く付き合っていた」である。
現代の民族紛争でも保元の乱でも、「民間人」や「下」は、それまでは別に争わず仲良くもしていたのに、したくもない敵味方の対立をさせられている。
ということは、戦争というものは、一般人にとっては、したくもないのに思いがけなく巻きこまれるもの、なのだろうか?臆病なオミカンヒメにはよくわからない。
8巻でオミカンヒメが泣けたシーンは、悪左府・頼長の最期。7巻・8巻を読んでオミカンヒメは藤原頼長という人がすっかり好きになってしまった。
対するに信西という人には、オミカンヒメは、その冷酷さにゾッとする。しかし、橋本治が『双調平家物語ノート』シリーズの中で「頭がいい」と絶賛しているのはたった二人で、その一人がこの信西である(もう一人は藤原不比等)。たしかに、博学の信西は、前代未悶の事態への対処が、冴えている。実戦となれば摂関家の超越は失われるだろうという、恐ろしいほどの予想力。真実頭がいいということとは、不測の事態に対して筋の通った対処を、迅速にできるということ。それを体現する信西。時代遅れの貴公子・頼長と好対照である。
その信西の陰謀によって、関白・忠通は窮地へ陥れられる。すなわち、実父と実弟を告発していた関白・忠通は、保元の乱集結直後、「バーカ、お前の一族は罪の一族となった、父と弟の罪に連座させられたくなければ、朝廷の命により氏の長者となれ」との命を受け入れざるを得なくなり、摂関家の超越を奪われてしまう。
オミカンヒメは頼長が好きなので、頼長をイジメた忠通が自分で自分の首を絞める結果になってスーッとした。冷酷な信西、パチパチ(拍手)。
だが、信西がそのように摂関家を追い詰めることができたのは、主に、後白河天皇の乳母の夫であったことによる。後白河天皇の即位によってタナボタ的に権勢を得た信西は、次の平治の乱で敗死するのである。
8巻から9巻10巻へと読み進むと、信西の生涯は「急に権勢を得ることは危険である、権勢を得た本人も自滅の危険がある」ということを暗示しているのかと思われる。