05.12 今年の総括 「壁が低くなる、高くなる。」
05.12 今日のプチ心理学 「外交について考える。」
05.11 今日の檄! 「がんばれスバル」
05.11 今日の昔話 「とうもろこし」 
05.10 今日の特選品 「デジタルウォッチ」 05.10
05.10 今日の記事から 「外来語の言い換え」 
05.9 今日の批評 「ヤマハモーターサイクル」 
05.9 今日の予想 「総選挙の結果」 
05.8 今日のエッセー 「アイロンかけ」
05.8 今日のクレイム 「ニフティの決定には納得できない」
05.7 今日のトピック 「クールビズ」
05.7 今日の推論 「同窓会の魅力と魔力」 
05.6 今日の再論  「<議員の服装に未来を問う。01.8>について」 
05.6 今日の挑発的言辞 「靖国神社問題に思う。」 
05.5 今日の少数意見 「JR西日本事故に思う。」
05.5 今日のネタ 「クルマにまつわる三不思議」
05.4 今日の政治談義 「日本の常任理事国入り」
05.4 今日の疑念 「私って変?」 
05.3 今日の考え  「駅員のあいさつに考えた。」
05.3 今日の企画  「商品比較のテレビ番組」
05.2 今日の演説  「がんばれ、ホリエモン。」
05.2 今日のつぶやき 「ファッションを商う。」
05.1 今日のテレビ 「鉄腕ダッシュその後」
05.1 (続)04.4 今日の音楽評論 「今、シングルレコードが旬だ。」
04.12 今年之私的重大出来事
04.12 今日の製品 「電気カミソリ」
04.11 今日のコンサート 「FUNKY FOX」
04.11 今日の感想 「何故バイクツーリング?」
04.10 今日の選曲  「過去を懐かしむ歌」
04.10 今日のツーリングレポート 「雑誌原稿用下書き」
04.9 今日のアイディア 「新しい極刑制度」
04.9 今日の異議 「業界用語の使われ方」
04.8 今日の戯れ歌 「雨にも負けずに、風にも負けずに」
04.8 今日のトピック 「帰省渋滞」
04.7 今日の夢想 「定年後には・・」
04.7 今日の映画 「ハリーポッターと賢者の石」
04.6 今年前半を振り返る。
04.6 今日の心境 「5年が経って。」
04.5 今日の珍問三つ 
04.5 今日のスポーツ 「女性の活躍について」
04.4 今日の音楽評論 「今、シングルレコードが旬だ。」
04.4 今日の思惟 「住む、生きる。」
04.3 今日の研究 「名前の呼び方」
04.3 今日のキャッチコピー 「台所の窓は世界に通ず。他」
04.2 今日の一曲 「ハトマメ」
04.2 今日の古傷 「早すぎた買い物」
04.1 今日の遠吠え 「いらんとおもーが、よーわからん。」
04.1 今日のショッピング「幻のビデオカメラ」続編 
03.12 今年の私的ベスト
03.12 今日の苦情  「顧客満足とは」
03.11  今日の結論  「デジカメはまだ替えない。」
03.11  今日の実感  「ケータイはいらない。」
03.10  今日のショッピング  「幻のビデオカメラ」
03.10  今日の願望  「漫画、劇画の批評媒体があるべきだ。」
03.9  今日の箴言  「リアリストはロマンチストである。」
03.9 今日の欲しいモノNO.6  「半袖ワイシャツ」
03.8 今日の寸評 「万景峰号」
03.8 今日の迷言 「地球から考える、子宮から考える。」
03.7 今日の問い 「三つの<なんでだろー>」
03.7 今日の文句「民間企業を悪者扱いするな。」
03.6  今日の考察 「工業製品における目的と手段について」
03.6  今日の話題 「音楽ネタふたつ」
03.5  今日の推察 「住みよい街」 
03.5  今日の推薦  「銭形金太郎」
03.4 今日の新説 「なぜ洋楽の人気が低下したか。」
03.4 今日の言葉 「S,A.R.S.」
03.3  今日の時評 「イラク攻撃」 
03.3 今日の推薦図書「スバルは何を創ったか。」
03.2 今日の不思議 「小ネタ三つ」
03.2  今日の洞察 「30年間」
03.1 今日の告白 「私相撲の味方です。」
03.1 今日の偶感 「長寿の品々」
02.12  今年のエンタテインメントを振り返る。
02.12  今日の新企画 「ニュース番組」
02.11  今日の異論 「CDが売れない理由について」
02.11  今日の欲しいモノ5 「マウンテンパーカ」
02.10  今日のコメント2 「北朝鮮拉致被害者」 
02.10  今日の愚問 「何で食べてるの?」
02.9 今日の随想 「これには勝てない。」
02.9 今日の迷妄 「仙台でのある日」
02.8 今日の欲しいモノ4 「デジカメ」
02.8 今日の提唱 「マニュアリズム」
02.7 今日の思索 「保守と革新」
02.7  今日の感動 「自転車は面白い。」 
02.6  今日の政談3  「福田康夫と防衛庁を弁護する。」
02.6  今日の身辺雑記 「私も親バカ」 
02.5  今日の雑感 「鼻の手術その後」
02.5  今日の音楽2 「元ちとせ」
02.4  今日は転載 「インターネットとヒットチャ−ト」 
02.4  今日のレポート 「しっかり!警察。」 
02.3  今日の危惧 「明日の社会は危うい。」 
02.2  今日のオススメ「鉄腕ダッシュ」
02.2  今日の要望 「鉄道各社殿」 
02.1  今日のコメント 「スバルの電気自動車」
02.1  今日の所感
01.12  今日の慨嘆  「今年も過ぎ行く。」 
01.12  今日の大絶賛 「テレビ東京」
01.11  今日の反省 「冬は寒い」 
01.11  今日の発案  「音楽のジャンル」  
01.10  今日の迷論  「選挙権」
01.10  今日の素朴な疑問  「製品寿命」 
01.9  今日の妄言  「テロは簡単にできる?!」
01.9  今日はアトランダム 
01.8  今日の一押し 「みさかの湯」
01.8  今日の主張  「議員の服装に未来を問う。」
01.7  今日の断言  「ヒゲが似合わない人がいる。」
01.7  今日の違和感 「あいさつに思う。」
01.6  今日も自慢 「やっぱりスバリストは偉い。」
01.6  今日の政談2 「田中真紀子を弁護する。」
01.5  今日の報告 「<家を建てます。>その後」
01.5  今日のベタボメ 「プロジェクトX <スバル360>」
01.4  今日の商品2 「MUJI+CAR」
01.4 今日の音楽 「明日があるさ」
01.3  今日のこだわり 「食事」編 
01.3 今日の試論2 「賃借、所有、収集 その2」 
01.2  今日の試論 「賃借、所有、収集」
01.2 今日の妄想 「民主主義」
01.1  今日の購入品 「カジュアルウォッチ」 
01.1 今年の決意
00.12  今年のベスト
00.12  今日の欲しいモノ 3 「セカンドカー、かばん」
00.11  今日の評論 「芸能人、家族」
00.11  今日の欲しいモノ 2 「音響関連機器二つ」
00・10  今日の提案 「ペットボトルへの課税強化」
00・10  今日の自慢 「ホリグチオサム」
00・9 今日の懺悔 「皆様ごめんなさい。」
00・9 今日の難問 「人は何故間食をするのか。」
00・8 今日の宣言 「家を建てます。」
00・8 今日のヒラメキ 「猛暑に思った。」
00・7 今日の予言 「本音、本能の時代へ」
00・7 今日の観察 「ブックオフにて」
00・6 今日の分析 「クルマの愛し方」
00・6 今日の提言 「カラオケの楽しみ方」
00・5 今日の商品 「ニコンS3」
00・5 今日の政談 「在日外国人のこと」
00・4 今日の買い物 「ファックス」
00・4 今日の復刻2 「野球が嫌い。」
00・3 今日の疑問 「国旗への礼」
00・3 今日の復刻 「沢田研二賛歌 <東京マイナー倶楽部>より」
00・2 今日の発見 「マイルール(ズ)」
00・2 今日の暴論 「省エネ、省資源は簡単だ。」
00・1 今日のショッピング 「時計」
00・1 今日の思い付き 「我々は言葉と音楽を軽視している。」
99・12 今日のあげあし取り 「CDタイトル他の表記方法について」
99・12 今日のノスタルジー 「あの頃の師走」
99・11 今日の工夫 「時間が欲しい。」
99・11 今日の迷い 「このCD買うべきか買わざるべきか。」
99・10 今日の暴言 「窓を開けろ。」
99・10 今日の決め付け 「バブル崩壊万歳」
99・9 今日の欲しいモノ 「カメラ」、「洋服」
99・8 今日の偏見 「ゴルフは嫌いだ。」
99・7 今日のイチャモン 「若者の服装センスは間違ってる。」
99・6 今日の独断 「3ナンバーのクルマの税金をあげよう。」
99・6 今日の発言 「小室哲哉は作詞を止めるべきだ。」
99・6 「我がスバリスト宣言」

今年の総括 「壁が低くなる、高くなる。」 05.12
先日、駅で新幹線の指定席を機械で予約しようとして驚いた。以前と異なっていつの間にか、一車両の座席の空き具合が画面上、図で示されているのだ。つまり先頭から最後尾まで、窓側・通路側、どこが空いているか一目瞭然である。かつて、こういうもっともらしい話があった。車両の先頭か最後尾は、突然のVIPの乗車やシートが故障した時の予備として、予約は受け付けないようにしている云々。何だ、あれはやっぱり嘘だったのか。まあ、その当否はともかく、いわばある意味JRにとっては内部情報の公開をしても顧客サービスを図ったということになるのだろうか。境がなくなるといえば「インタードメスティック」なる言葉も以前聞いた。例えば日本での牛肉の輸入基準などというものも、本来は国内基準であって外部からとやかくいわれる筋のものではないとも思われるが、現在はそういういうわけにはいかないようだ。グローバルスタンダードというものに従わないと世界の仲間はずれになるらしい。もっとも境界が低くなる、なくなるというのにはもちろん良いこともある訳で、第一は健常者も障害者も分け隔てなく行動できるように環境を整えようとするバリアフリーの動きである。人間必ず老いるものだし、またいつ事故に遭うかわからぬ物騒な世の中を思えば、これは大賛成である。技術の進歩と世の中が豊かになったための、数少ない?成果といえるだろう。またスポーツの世界での無境界化といっていいのか、ジェンダーフリーというのか、今年はゴルフと野球において男女が同じ土俵で競い合った例があった。なにもここまでとも思うが、世の流れに逆らった反動主義者と見なされるのがいやで言挙げしにくい向きもあるのだろう。さらに今年世の中を暗くした話題として、親による子の虐待や配偶者間の暴行事件があった。振り返ってみれば、それぞれ過去においては家庭内の私的な問題として、他人がとやかく言うべきではなく、せいぜい隣近所の中で世話好きな人が仲裁に入ったくらいのものではなかったか。昔「夫婦喧嘩は犬も喰わぬ」といわれたものが、今やそれがDV(ドメスティックヴァイオレンス)と英語を使って表さなくてはいけない。そういえばクールビズも服装の越境現象と言えようか?一方、4月に個人情報保護法が施行されて以来、個人の情報を極力囲い込もうとする傾向にあるようだ。従来ならたやすく知りえた他人様のことが、手軽には知りえぬ情報と化した。このままでは益々「隣は何をする人ぞ」という傾向を助長するのではないだろうか?

  今日のプチ心理学 「外交について考える。」 05.12
小泉首相の靖国参拝問題が影響して、中国や韓国との関係がギクシャクしたまま、いっこうに好転する気配がないようだ。このことについては、05.6で触れたので改めて論ずるのではなく、別な見方をしてみたい。それは論理と感情の関係である。例えば現在の中国(=中華人民共和国)のことを支那とか「シナ」と呼ぶ人がいる。歴史的経緯を調べても、また英語・フランス語での表記は過去現在それぞれCHINA、CHINEであることからすると、そのこと自体、確かに論理的には正しいことのようだ。一方呼ばれる立場の中国人は「シナ」という呼称を、差別的であるとして嫌っているとのことである。支那や「シナ」に何かそういう印象を与える何かがあるのだろう。前述の英仏語表記に抵抗せず、日本語での言い方に反発するのは逆差別だと息巻く向きもあるかもしれない。しかし何と呼ばれるかについての一番の当事者は呼ばれる人々である。同様な問題として、例えば身体に障害を持つ人たちの呼称である。昔は「チンバ」「ビッコ」などと呼ぶときに殊更蔑みの感情はなかったはずである。しかしいつのころか「視覚障害者」などと言い換えるようになった。このことを指して(さらにはアメリカのPCという言葉使い等)、現実から単に目を背けることに過ぎず、事実を覆い隠すことにつながるとして反対する人たちもいる。だが、やはりこれもポイントは呼ばれる人たちの気持ちではないだろうか。論理として正しいからといって、相手の理解は得られても納得はしてもらえない。感情・情緒・気持ちというようなもの、今風にいって左脳ではなく右脳に属する部分については、論理・理屈といった左脳へのアプローチでは効果は発揮しにくいのではないか。となれば時には感情論が論理に優先することがあってもやむをえないかもしれない。で、冒頭の靖国問題である。靖国神社に自国を侵略した張本人が祀られているとする中・韓国民は、この問題の当事者としての資格がある。ゆえに小泉首相よ、あなたはまず精緻な論理を以って参拝について仔細に説明説得の努力をすべきである。更に、その上で情動的アプローチをも付け加えるべきであろう。今のままでは、単純な暴論で押し切り(私はあなたの論理は間違っていると思う)、あえて中国韓国の感情を害するリスクを犯そうとしているいようにしか、私には見えない。

今日の檄! 「がんばれスバル」 05.11
このところスバル=富士重工周辺が喧しいと感じている。やれトヨタが大株主になったとか、主要メーカー中数少ない業績不振(減収減益)により人員整理であるとか・・しかし新聞で公表された数字を見る限り、赤字ではなく、またそれほど利益率が低いわけではない。個人的には、モデルチェンジの端境期ということと軽自動車の不振が原因だろうと分析している。確かにレガシー・インプレッサだけではいつか飽きられる時は来るものだし、R−2はあまりにも失敗作だった。(次期プレオに期待大、R−2批判については別サイト「堀口家ガレージ」を訪れたし。)そこで提案である。スバルはBMWミニに習って、あのてんとう虫こと360を現代版として復活させるのである。つまり今のラインアップに欠けている1000〜1300クラスにジャスティ以来の参入を行うのだ。当然R−2の二の舞を心配する向きもあろうことは承知している。だからこそサブロクなのである。この際オリジナルデザインをあきらめ、柳の下のドジョウを狙うのだ。今でもあの形には老若男女に人気があるのは、旧車会などで集める熱い視線の数々で立証されていると言っていい。だからこそ最新テクノロジーで作り変え、市場に出せばよい。実はかつてのモーターショーで「エルテン」というモデルが発表されたことがあり、覚えている方はいないだろうか?そうあのイメージでハイブリッドも面白い。もちろん、理想は懐かしの1000の水平対抗を使ってもらいたいが、それがコスト的に無理ならジャスティの直列3気筒を使ってもかまわないと思う。走りを追及しない!クルマとして発売するという富士重工としては逆転の発想だってして欲しい。いっそのこと、主要コンポーネントをヴィッツやブーンから流用するという手もあるし、もっと、もっと思い切ってトヨタグループのどこかにOEMで作ってもらう禁じ手?だってためらうべきではない。かつてのOEMトラビックが売れなかったのは三列SUVだったからで、SUVの買い手は走りよりも使い勝手にうるさく、ウォークスルーができず4WDもないは、では如何にスバリストでも、買わなかったのは無理もなかった。しかし極端に言えばリッターカークラスにはとにかくカッコで勝負だ。かつてヴィヴィオのビストロが良く売れたころを思い起こすのも良い。ニュービートル/ミニからミラ・ジーノ、ラパン、そしてミツオカ車等々に至るまでレトロカーはブームでなく一つのジャンルになっている。

今日の昔話 「とうもろこし」 05.11
最近ちょくちょくお世話になるのが「99ショップ」、いわゆる生鮮コンビニである。以前はコンビニは値が高いというイメージのためあまり利用せず、もっぱらスーパーで買い物をしていた。ところが偶然はいってみて、当たり前だがほぼ100円均一でいろんな食品が買えるので、すっかりハマッてしまった。例えば、自分の好きな5品(パックライスにおかず4品とか)を選べば文句なしだが、これが525円なのである。実際には4品で満足することもあるので極めて経済的である。何といっても一点が100円なので、その場で「これだけ食ったらいくら」とたちどころに暗算できるのがとても心地よい。ところで、そこの扱い品目での私の一押しとして(他では見かけたことがないので)、真空パックのとうもろこしを挙げたい。元々とうもろこしは好物でお祭りの露天ではイカの丸焼きと並び立つ二大必須購入品であるが、それがまさかこんな簡単に好きなときに食べられようとは(何とレンジで2分のチンでOK)思いもしなかった。茹で上がりの状態なので、一工夫して醤油をかけて焼くという手もあろうが、そのままで十分いける。しかし昔のとうもろこし(私の生まれ育ったところでは「もろこし」といった)はもう少し乾燥していて硬く、指で一粒ずつ身を落とすことができた。今の柔らかく水っぽいものでなくて、もう一度あの味を味わいたい気がする。醤油焼きには昔の品種のほうが合っていると考えるのは私だけなのだろうか?そういえば昔の夏みかんは口が曲がる?と思わんばかりに酸っぱかった。親は確か重曹をかけて食べていたのではなかったか。あれはあれで涼しさを感じさせてくれ、決して嫌いではなかった。などというと次から次と話題は尽きそうにない。昔の給食を再現して食べさせる店もあるそうだから、「食」というのは記憶に染み付いて抜けないものなのだろう。


今日の特選品 「デジタルウォッチ」 05.10
めったにしない衝動買いをした。とはいえ、必ずしも100%衝動的とは言えない。カジュアルタイプのアルバブランドの時計を一つ持っているのだが、それの夜光塗料の効き目が弱く、私の老眼では暗闇でほとんど時間がわからない。だから別のも欲しいとは思っていた。しかしアルバは夜間以外では何の問題もなく太陽電池作動なので、ほっといても止まることはない。だが、ヨドバシカメラでこのマルマンのデジタルウォッチを見たときには、もう買う気になっていた。なんたって1980円で「光駆動」(=充電機能はなく電池併用)、バックライト付きなのだ。アルバ(10気圧)と違って5気圧防水とか、デザインのひどさとか気になったが、値段が値段だ。それにしてもアルバ(針式)にはないストップウォッチ機能やアラームまであるのには驚く。ところで、私は安物は嫌いである。大きな理由として、安物はすぐ飽きるか壊れるかして、結局ゴミとなり、つまり「銭失い」になり、地球環境的見地から見てマイナスだからである。だからこの腕時計を買う気になったものの、そこで10分は迷った(と思う。)しかし結局欲望に負けて買ってしまった。これは安物ではない、チープシックだと言い訳して。さて使用後の状況を書こう。大正解であった。まずバックライトが効き暗いところで良く見える。これはデジタル表示のせいもあろう。これだけで十分といえるが、気になっていた電池の問題、「光駆動」のため暗闇は電池を使い、通常5年間の寿命ということ。案の定買ってすぐ電池がなくなったが、嬉しい誤算で電池交換が簡単であった。自分で裏蓋をはずして交換できたのである(しかも100円ショップのボタン電池仕様。)やっぱりチープシックだと思いませんか?ということで本コーナーで初めて写真を載せる。

今日の記事から 「外来語の言い換え」 05.10
国立国語研究所から今回で第4回目かという外来語の言い換え案として35の例が発表された。ただ記事には作業の対象となる自治体からのアンケートについても書かれていて、取り組み自体あまり進んでいないという。さもありなんと私は思う。「カタカナ言葉が多く分かりにくい」という小泉首相の指摘から始まったというが、役所、官僚にとってはズバリ「わかりにくさ」こそカタカナ言葉多様の目的ではないだろうか。「本件のテクノロジーアセスメントのオペレーションには若干のリードタイムが必要かと思われます」のように一般人を煙に巻くのが本意。実態は「事前の技術的調査を実行するには時間も(あるいは金もヤル気も)ない」というところを、例えば覆い隠したいのに外来語はピッタリかもしれない。そもそも主語や単数・複数、あるいは時制の観念が少ない・薄いとかいわれている日本語にドップリひたっている日本人、そしてだからこそ慮る文化を育んだという日本という土壌においては、言語に明瞭・明晰さというものはあまり期待されていないのではないか、とすら思う。05.3にも書いたが我が国は「俺の目を見ろ、何も言うな」の社会であって、言葉・ロゴスで理詰めに物事を進めるのは良しとされていないようだ。「言挙(ことあげ)」は好まれないともいえよう。とすれば大和言葉よりも漢語、漢語よりも外来語で表現することにより、メッセージをオブラートにくるんであいまいにし、多様な解釈を許すことにより、当面の対立を避けたり、先延ばしすることが多々起こるのは日本社会の特徴であると思う。また大胆にいうと、今までは国民各層、老若男女はたまた企業・国民の間で利害が反することが比較的少なく、あるいは目立たず、あるいはその対立が経済成長により埋められて来た、いわば言葉の矛盾が経済により溶解されて来たとでも言うべきか。しかし時代は変わり階層化社会とか世代間対立がいわれる低成長下の今こそ、厳しく言葉の意味が問われるべきであろう。となれば誰にも分かり易く、ということは問題点を先鋭化させるリスクを負ってでも、(アカウンタビリティと言わず)説明責任を立法・行政に携わる者は果たすべきである。英語でもフランス語を混ぜることによりあるニュアンスを醸し出すことはあるそうだが、こと日本語の文脈での外来語使用はそれとは別種の色彩が強い気がしてならない。

今日の批評 「ヤマハモーターサイクル」 05.9
このごろ自分の中でまたバイクの浮気虫が動き出したようだ。とはいえ今の経済状態やら家族のことを思えば、新車などはとんでもなく、中古車をそれも250CCクラスで、あれやこれやと物色してみる。現在は新車の250CCというのはどんどんラインからはずされていて、当然、中古車の方が選択肢は遥かに広い。改めて各社の過去現在のラインアップを眺めてみると、メーカーカラーといったものの存在に気付く。ヤマハについていうと「場面最適たるべし」とでもいうべきメーカーの強い(勝手な)主張(思い込み)が感じられる。例えばアメリカン、というゆったりタイプなら徹底して中低速での使い勝手とスタイリングを重視する。だから水冷エンジンにすればもっと回るはずなのに敢えて空冷エンジンを採用する。トレッキングタイプも同様だ。パワーではなくトルク重視。他では、250ではないが例えばSRもその典型。性能より雰囲気重視でセルも付けず、性能も上げず、スタイルも変えず、乗られるべき条件が設定されている。といってレーサータイプはひたすらブン回るだけ、ではなく、そこそこ低速でも不自由さや不安定さを感じさせないだけの配慮というか自己規制はあるようだ。その点がスズキ、カワサキとは違う感じがする。この2社は極端というか過激というか、お客の要望を先取りしている、あるいはおもねっているような割り切りがあり、そこらが逆にメーカーの主張というかポリシーであり魅力になっているようでもある。その点対照的なのはホンダだろう。トヨタ車の80点主義とやらに似て、万事にそつがない。1万を遥かに越える高回転が可能でありつつ、しっかり低速走行も楽しめるようなVTRが良い例である。だからどの機種を選んでも、それは、本来の用途以外の使い方をしてもそこそこ楽しめるようにしてくれるようだ。となると「二兎を追うものは一兎も得ず」の例え通り、十徳ナイフが単品工具に及ばないように考えると、長距離高速ツーリングにはジール、林道を楽しみたいのならセロー、どうしてもデュアルパーパスを狙いたいならSRVか、大穴でアメリカンのヴィラーゴ、というのがシーン別マイベスト250バイクになる。しかし、これは金があって置き場所にも困らないという条件つきの話である。私の世界ではない。これ1台となると前言撤回ホンダのVツインかなと言わざるを得ないのは少々悲しい。いっそのことヤマハは究極のオールラウンダーみたいなヤツをポストスクーターブームを見越して開発しないものか?そういえば昔ヤマハスキーに「オールラウンド」という板があったではないか!

今日の予想 「総選挙の結果」 05.9
今は9月11日の昼、投票の最中であり、まだ結果は当然不明である。とはいえ土壇場になっての話であるから、当たる確率は高いに決まっていると言われるのを承知の上で書く。何故なら今日の日経の読書欄に素晴らしい書評があり、それに刺激され日頃あまり書かないことを書きたくなったからだ。それはヒトラーの演説を中心とするナチスドイツの言語を分析した書物について触れている。すなわち孫引きすれば「大衆の情緒的感性に最も効果的なこたえ方は、物事を単純化して示し、繰り返ししつつ、大胆に断定すること」だと言う。正に今の小泉劇場と揶揄される手法そのままである。問題は第1次大戦後のドイツと現在の日本では相当の経済を始めとする諸々の状況的差異があることだ。しかしある意味今の日本人も、一種の閉塞感、不安感に苛まれているのは間違いないと思われ、小泉劇場が相当のインパクトを与えたのはいくつかの世論調査が証明している。投票率が高ければ与党有利などとすら言われるほどだ。もう少しその背景を考えると、過去の選挙が国民に取って確かに争点がわかりにくく、政治評論家に解説してもらっても、選択肢が選びにくいと思われすぎたことがあろう。が、今回は解説者が不要と思える単純になったと思わされ、しかも自分の選択で自ら勝ち馬に乗れるかも知れない。<自らが状況を変えられる>という思い込みである。また潜在的に官僚=公務員に対する嫉妬、羨望、妬みが国民(私も含み)にはあると考えられ、よって郵政民営化がそれを解消してくれるのでは、という希望的観測が生まれる。また幸か不幸か、過去において国民自ら政治的選択を誤った苦い自覚がない、別の言い方をすれば、近年経済一流・政治三流と言われ続けたこの国においては、政治が重要視されていないのではないか。
 等々思いやると、やはり、今回は浮動票、無党派層は自民党、与党に向かうものと予想され、小泉大勝利との予測をもって結論付けざるをえない。
*それにしてもこんな時も(皇太子に赤ちゃん誕生の時もそうだった!)特別番組を組まずレギュラーで済ますTV東京よ、あんたはえらい!!どうせ時間が経てば結果はわかる、早く知ってそれがなんぼのモノと思う私のような人間(今たまたま系列局がない所に住んでいる)は今夜のためにレンタルビデオ屋へと走るのだった。

今日のエッセー 「アイロンかけ」 05.8 
故伊丹一三のエッセイに確か「フランスパンの一撃」というタイトルのものがあった。彼曰く、「二十歳を過ぎて初めてフランスパンを食べ、そのうまさに驚き、そのことによりパンとは何か塗って食べるものという既成概念を打ち砕かれた。いい歳をしてパンごときにそれまでの固定観念をひっくり返されるのは愉快なことではない云々」というような内容だったと思う。実は私も同じような経験を、50を過ぎてすることにあろうとは考えなかった。それは何によってか、というとアイロンである。この季節、毎日半袖シャツを着るのだが、今年は深い考えもせず、例年になく綿100%を、3,4枚も買った。この手はそれまでの手持ちの混紡の形状記憶タイプに対し、いうまでもなくシワが数多く付く。実際に着だしてからそれに気付き、急遽通販でスチームアイロン、店頭でアイロン台を合計で4000円ほどで入手した。振り返ってみれば小学校の家庭科でも教わったことも家でさわったこともなく、わが人生で初体験である。そして結果的に「フランスパンの一撃」ならぬアイロンで一撃食らったという次第であった。使ってみればしわが見る見るなくなって、美しく平らな平面(当たり前だ)が眼前というか眼下に広がって行く。愉快、壮快。使用してみて世の中にこんなに面白いことが、身近にあったのかと驚いた。既成概念を打ち砕かれた、とはいわないものの、目を開かれたというか、新発見には間違いない。齢50を過ぎれば「天地の下に新たなるはなし」という風に思い込みがちであったが、新たなるフロンティアを見出したとは大げさか。となれば、この先のわが人生にもまだ新たなる出会いが待っているかも知れない。そう思えば、何か勇気と希望が湧いてくるようなのは錯覚か。しかし面白いことにも終わりは来るもので、後片付けが面倒なのは料理といっしょであった。

今日のクレイム 「ニフティの決定には納得できない。」05.8
先般突然プロバイダーのニフティからメールがあり、ホームページ作成支援サービスを来年5月を以って止めるとの通告があった。つまりサーバーは従来同様用意するがメンテはユーザーが自力でということのようだ。ご丁寧にHP作成ソフト数種の斡旋販売の案内もあった。これはあまりにも一方的な措置ではないだろうか?大体ニフティはこの度終えるというサービスの以前にも同様なサービスを大いに勧めて提供しておきながら、新しくなった改訂版の方が使い良いとか何とかいって、強制的に替えさせられ、私はURLの変更を余儀なくされた苦い経験をしている。それでもその時はウェブ上でサイトのメンテができたので渋々従ったのだが、今回はそれすらできないのだから、二重生活を送っている私には大問題である。それに今更専用ソフトを買ったり、FTP転送の手順など覚えたくもない。それにしてもヤフーやライブドアでできる無料サービスを、毎月大枚巻き上げているニフティでやれないというのは腑に落ちない。こういうお客に尻を捲くるようなやり方をしても、退会などしてアドレス変更の不便さを犯すヤツはいまいという不遜な考え方がニフティサイドの根底にあるのだろう。(実際私はニフティアドレス歴10年です。)返す返すも腹が立つ。もちろん約款とやらにはちゃんと、一方的なサービス変更もありうるというような条文があるのだろうが、商道徳に照らしてもいかがなものか?それに詳しくは知らないが、もし既存の法律に抵触する恐れあればそんな条文は無効だろう。一体、こんなことだからIT企業は底が浅いと揶揄されて一人前の会社扱いされないのではないのではないか?こういう会社には何らかの社会的制裁のようなものが下されてしかるべきだと思う。

今日のトピック 「クールビズ」05.7
前々回でも取り上げたが、「クールビズ」と称されるファッションを街で見かけるようになってから、約2ヶ月が経過した。小泉総理を始めとして内閣閣僚、国会議員諸氏も大勢着用しているのがTV等でも確認でき、かつての省エネルックより普及しつつあるようである。面白いものでクールビズ着用度合いが総理との距離感を示しているようでもあって、抵抗勢力と見なされている方々や野党議員はあまり着ていなようだ。こんなことで反旗を翻しているつもりだとしたら下らない。何度も言うが、日本の夏は熱帯の夏であって、それにふさわしい服飾文化を考えるべき時代である。しかも省エネは地球レベルのテーマであろう。こういう時こそ是々非々で、認めるべきところは賛同し、政策面で堂々と反駁したら良いのだ。それにしても、温度設定を高めるためと言いながら、TVで見る議員諸氏は揃いも揃って長袖だったり上着着用、というのはいかがなものか。見ている方にさえ暑苦しく見え、これならむしろ半袖にネクタイの方が涼しげに見える、いや実際に着用者の体感温度は低いはずである。大体、ネクタイさえはずせばクールビズ、などと勘違いされているのではないだろうか?こういうのは正に本末転倒と思う。それにしてもクールビズのつもりで着用される男性諸氏の服装、TVで見ても街で見ても興味深い。ボタンダウンの普及率が増えたのは確実なようだが、古くからの愛用者たる元トラッドボーイ今オヤジはこの急増ぶりに苦々しい思いをしているに違いない。またクレリックシャツという襟だけが白いシャツも国会議員の間で愛好者を増加させているような気がする。その他百花繚乱という感じではあるが過渡期ゆえのことだろう。それでもなお、この時期に及んでもスーツ着用の皆さんはご苦労さんというしかない。反時代的という言葉は私は元々好意的な意味で使いたい方だが、今においてのみ、そういう重装備の方々に批判的な意味で捧げたいと思う。また、サマースーツといわれる薄手の上着で裏地を省略したものは、光の加減で後ろから見てワイシャツが透けて見えることが多いが、あれではファッショナブルとも言い難いのではないだろうか?

今日の推論 「同窓会の魅力と魔力」 05.7
今週は高校の同窓会と仕事でのOB会がたまたま連続することとなった。それぞれそれなりに物入りなので、義理や単なるおつきあいでは、出席する気はない。逆に、むしろ日日が迫るのを楽しみしているようでもあった。で、例えば高校の同窓会では、それこそ卒業以来30年以上ぶりの出会いだったりする訳である。こうなると、例えば3年間一度も言葉を交わすことがなかった相手であれば、ほとんど初対面に近い。場合によっては顔さえほとんど覚えていないようなケースもあった。しかし面白いもので、それぞれの当時の担任の話や共通の知人の話をして行くと、あたかもその頃からの知り合いであったように錯覚してしまう。まあ酒のせいということもあるが、同窓会には一種の魔力のようなものがある。で、つらつら考えてみるに、それは、時間、境遇を共有したということ、それも互いに感受性が最も豊かであった頃を、ともに過ごしたということから来ているのだろう。またそのことを、今に至っても多少引きずっている(覚えているとは微妙に違う)ことも一つのポイントだ。であるから、中年にとっての同窓会は、小学校や中学校ではなく高校か大学のそれでなくてはならないのだろう。そういえば実体験はないが、戦友会なるものも相当盛り上がるもののようだ。当然といえば当然だが、生死という極限での体験の共有に並ぶものはない。我々は受験戦争の戦友、などと間違っても言えない。
さて一旦過去にトリップして当時の自分や周囲に思いを馳せると、時間というフィルターにより、都合の悪いことや不愉快な部分は取り除いてくれることが多い。また話す相手もその辺は慮ってくれる。今は身過ぎ世過ぎの身なれども、あの頃は青雲の志ありて・・とばかり、お互い喧々諤々となる訳だ。とは言いつつも実際お互いに現実の愚痴を言い募るような例はあまりない。そのことは決して後味が良くないことを知っているからである。そうこうするうちに時間が来て会はお開きになる。参加者は現実に引き戻される。もう少し時間旅行を楽しみたい者は二次会三次会と繰り出すことになる。このあたりも魔力という所以だろうか?

今日の再論  「<議員の服装に未来を問う。01.8>について」 05.6
声を大にして自慢したいが、標題の通り平成13年の8月に私は、省エネの必要性を訴えて、<例えば議場のエアコンの温度設定を上げ、服装を調節して省エネに努めるべきである。>とここに書いた。それが約4年後にしてやっと実現された。喜ばしいと言うべきか、このスローペースを憂うべきか。まあ、とにかく千里の道も一歩から、の喩えとおり、これが世の中を変えるキッカケになると信じよう。しかし肝心のセンセイ方のセンスの悪さというのは想像以上いや以下であった。とにかく普段着ているシャツを着たけどネクタイはしなかったとか、妙な格好の襟のものとか。如何に所詮、洋服なんぞは<日本人に合うはずがない(これも01,8に既述)>とはいえ、もうちょっとスタイリストを雇うとか何とかならなかったのか。新聞の解説記事によれば、襟の高さが高くなくてはならないとか書いてあったが、そうとも言えないと思う。私が思うに、自衛隊の幹部が着用している開襟シャツのようなものも襟は低いが、お勧めではないだろうか。確か民間航空のパイロットも似たようなものを着ているはずである。もっとも、皆がこれを着て国会が自衛隊員に占拠されたみたいになっても困る。<いまさら着物に戻れる訳もない>とも、かつて書いたが、いっそ夏用の和服を、目立ちたがりのコイズミさんに着てもらうの一計かもしれない。例えば大島紬が夏向きかどうか、とんとそっち方面は無知ゆえ良くわからないが、これを機会にわが民族の衣装を再考する良い機会であることは間違いない。結果として和服業界が潤えば、国民経済的にも真に喜ばしいことである。

今日の挑発的言辞 「靖国神社問題に思う。」 05.6
小泉首相の靖国神社参拝問題が最近大きな問題になっている。しかしここには大きな食い違いというか、あまり多くの人が触れたがらぬことがあるように思う。大体首相やその周辺が言う「戦争犠牲者を弔うのがなぜ悪い」との表現自体が欺瞞である。誰も戦争犠牲者を弔うことに反対しているわけではあるまい。要するに、靖国に祀られているA級戦争犯罪人が焦点になっているのではないだろうか。中国(あるいは韓国等)では、一般戦死日本人はA級戦争犯罪人の犠牲者という見方をしている一方、首相やその周辺の本音は、東條首相始めとするA級戦争犯罪人も含めた戦死者全員が戦争の犠牲者だというとらえ方なのだろう。もっといえば戦勝国による極東軍事裁判なるものは認めていないとまで言いたいに違いない。それゆえ当然「分祀」についても反対なのである。しかし苦しいのは、もし極東軍事裁判は認めないといったら、旧戦勝国であるところの英・米・露に対しても、ある意味敵対する立場にならざるを得ないことである。そこで姑息な二枚舌を労している訳だ。  しかしここまで本音と建前を使い分ける国家とは一体どういう存在なのか?大体憲法では「国家は・・いかなる宗教的活動もしてはならない」と決められていて、総理大臣が神社参拝をして良いのか?  ここに至ればいっそ極東軍事裁判の見直しを提唱するとか、憲法9条のみならず20条の改正をも世に問うべきが与党の立場ではないか。改めてこれらを争点に国会解散でも行なうのが真の民主主義ではないだろうか?

今日の少数意見 「JR西日本事故に思う。」05.5 
 先日の尼崎の鉄道事故は大惨事であった。そのことは間違いないし、JR西日本の責任は言うまでもなく重大である。しかし無限責任ではない。その限界とは何か。例えば被害者への補償の問題がある。変な例えで申し訳ないが、片足を失った被害者から足1本を返せと言われても、JR側が何十億の費用をかけてもさすがに人体の再生はできないわけで、そこは金額換算しての補償という形をとらざるをえないのは当然だろう。事故への対応も同様に考えないのは何故だろうと思う。今回、事故直後あるいは数日後に、JR社員の行動が問題になった。さすがに天王寺車掌区の会社主催というボーリング大会はいかがなものかとは思うが、広島あたりのほぼ私的な懇親会までとやかく言うのは行き過ぎではないだろうか。しかも事故犠牲者に対し黙祷をしたとのことだから、参加者には申し訳なさという自覚を踏まえていた。とかく一旦事故、事件が起きると、拡大された関係者全員に限りなく責任があるが如くとらえるのは変ではないか。過去の凶悪事件において、犯人の親兄弟等がいたたまれずに別の土地に引っ越したり、あるいはスポーツで有名な高校などで、選手ではない生徒が不祥事を起こしたことにより、そのクラブが活動を自粛したり等々も、今回のJRの事例に共通するものを感じる。一種の連帯責任というものだろうか。くどいようだが、JRは全力を持って遺族や関係者への応対やら謝罪に当たるべきである。が、その社員の私的な部分にまで言及すべきではないと思う。逆に業務上のモラルについては、JR西日本以外のすべての鉄道各社は、改めて自ら問い直すべきではないだろうか。
 それにしても記者会見での読売の記者だとかのJR担当者への罵詈雑言はひどかった。「ジャーナリスト」の正体見たり、とさえ感じられた。

今日のネタ 「クルマにまつわる三不思議」 05.5 
@ 何故車体の色にはメタリックカラーが多用されるのか?別にそういう統計が出ている訳ではないが、私の印象ではキンキラした塗装のクルマが明らかに増えていると思う。メーカーの意図としては高級感を出そうということなのかもしれないが、これは勘違いである。高級車と分類されるような高額な車種はともかく、大衆車クラスや、まして軽自動車には逆効果で、妙に成金趣味ぽくなってしまっていると思う。私はもっとメタリックではなくヨーロッパ車にありそうな普通の色(三本和彦のいうソリッドカラーか?)がもっとあって良いと感じるのだが。 A @の最たるものとしてスバルがある。スバリストとしてカタログはこまめに見ているのだが、ここは白と赤以外はすべてマイカとかいう混ぜ物入りの、早い話がキラキラ塗装である。このことを見てもこの会社のマーケティングセンスのひどさがわかる。技術志向の企業にありがちな(Y社も?)悪い体質だろう。そもそも去年発売の軽R2、R1の販売不振に示されている。他社のようにキャパ一杯という発想を避けてニッチを狙うという意図は妥当だ。ではなぜ既存車種並みの高い販売目標をかかげるのか。そしてまた、ありきたりの広告宣伝内容なのか。理解に苦しむ。 B トヨタマークUの後継車マークXはなぜ「エックス」なのか。ここは一つマーク「テン」と読んでもらいたいものだ。なんとなれば「マーク〜」というネーミングの仕方にはイギリスの戦車の素晴らしい歴史があるからだ。例えば、第二次大戦終了直後より主力戦車となった「センチュリオン」シリーズはマーク1から13まで生産されたのである。(もちろん数字の部分はローマ数字で表記されていた。)特にその中でもマークX(テン)は、1962年からメインシリーズとして長く量産されたようだからこそ、まーくてん、と呼んでもらいたいと思う。

今日の政治談義 「日本の常任理事国入り」 05.4
中国での反日デモのキッカケとなったと言われる日本の常任理事国入りについて考えた。が、よくわからない。なぜなら、今まで注意して新聞などを見てきたが、詳しい解説記事などをあまりなかったからである。一体、このことはわが国益に資するものであるや否や、誰も説明してくれてない気がする。私の素人考えで想像するに、メリットとしては、更なる大国として位置付けられ、国連常任理事国として発言が注目され世界のメディアで頻繁に取り上げられる、結果として国民に一流大国気分を味わせてくれる位にしか思い浮かばない。常任理事国民はどこの国へもビザなしで入国できる・・なんて訳はあるまいし、本当になんの得があるのだろう。逆にデメリットは、まず金がかかりそうなこと。新聞報道では既にいくつかのAAの発展途上国に無償援助か低利融資か忘れたが、経済援助の約束をしたとか、するとか出ていた。冗談ではない。未だに中国に政府開発援助をしているなどというのもどうかと思っていたら、近い将来には止めるらしい、それで当たり前と頷くまもなく次の援助対象国などとはふざけるな、である。少子高齢化が加速度的に進む一方、国債残高は一向に減らぬ我が国。そこにそんな余裕も資格もなかろうと思うのだがー。最大のデメリットは日本という国が恥さらしになることだと思う。既に常任理事国の中にアメリカがもう一つふえるだけ、と揶揄する論調もあるが、ある意味もっともといわざるをえない。つまりこの国には黒船の一軒を挙げるに留まらず、伝統的に外交下手ではないかということである。単純にいって自分の頭のハエ(=自国外交)もうまく追えないのにヨソの家ではないだろう、ということか。更にいえば、この国の政治家、官僚その他もろもろに、真に天下国家→世界を構想できる人材がいるのであろうか?常に党益、省益、地元益かなんか知らぬが、自分が所属の地域、団体、組織への利益誘導しか頭にない面々ばかりではないか。国家の一大事たる先だっての戦争においてさえ、戦略よりも陸、海軍の都合が優先されたのは有名な話であろう。「常任理事国」は、この国にとり身分不相応であって、「普通の国」であれさえすれば十分であると、思う。

今日の疑念 「私って変?」 05.4
私、妻一人子一人のごく実直なサラリーマンです、と思っているのは私だけ?ということはないと自負しております。が、こんな私でも「私って変?」とおもう瞬間があります。それは一種の破壊衝動とでも呼ぶべき、ある凶暴な気持ちが時に、心の中で湧き上がることがあるからです。例えば、卒業式やら葬式などの極めて厳粛な雰囲気の中、突然ここには書けないような下品な言葉を大声で発したくなる気持ち。はたまた、JRのホームで到着を待つ人々を、正に電車が着こうとするその瞬間に後ろから押し出したくなる感覚とか。もちろんそれを押し留める理性が当然持っているわけだから、絶対に実行するはずもないのですが。いつそれらの感情が発生したか思いおこしてみると、特にストレスとかを感じていた、あるいは深い悩みがあったというような時期ではなかったようです。逆に比較的に暇なころ、あるいは何か満ち足りた気分でいたころではなかったと思います。いわゆる「小人閑居して不善をなす」というやつでしょうか。それにしても、覚醒剤を使ったあげくの凶行云々という犯罪についての報道を、今までに何度か目にしましたが、想像してみるに覚醒剤の怖さは人間から理性という「たが」を緩めてしまうことにあるのでしょう。仙台の商店街でのトラック暴走事故のTVを見て、そんなことをふと考えてしまいました。

今日の考え  「駅員のあいさつに考えた。」05.3 
いつも利用する地下鉄の駅の駅員は、毎朝大声で「おはようございます」とあいさつをしてくれる。しかしそれに対し「おはよう」などと返事を返す者は、私を含め誰もいない。皆ほとんど無視をして通り過ぎるばかりである。それに対し駅員はどう思っているのか。空しく感じているのか、それともお客とはそんなもの、単なる仕事と割り切っているのか。その表情からは読み取れないが、今朝もひたすら改札口で声を出し続けている。ふと私は思う、こういうことは日本以外でもよくあることなのであろうかと。寡聞にして詳しく聞いたことはない。自分自身の、そう多くはない海外経験から言えることは、日本では普通あまりあいさつをしない場面で、逆に、良く言葉をかけられたことである。例えば、ちょっとしたすれ違いざまの通行人からだったり、あるいは店員やら売り子からだったり。こういう言葉というかあいさつにおける彼我の違いは何を意味するのだろうか。我が方に「物言えば唇寒し」あれば彼方にもSilence is golden.あり、共通する部分もある一方、異なるところもありそうだ。例えば「俺の目を見ろ、何も言うな」などはどうだ。これは我が風土における言葉への不信感というか、一種の軽視を示していないだろうか。このことは小泉首相のかつての「あの程度の公約違反はたいしたことではない」発言につながるものといえないだろうか。ここでふと思いついて広辞苑を見ると、「言挙(ことあげ):言葉に出して言い立てること」とあるが、明らかに否定的ニュアンスが感じて取れる。民主主義の基本ともいえる論戦といったようなものは、この国には馴染まないものだろうか。言葉、もっといえば文章でもって相手を説得する、あるいはコミュニケーションをとる、さらには規則が示されている。これらのことが近代社会の基本であろう。メシ、フロ、ネルだけで済むのは身内の間だけである。たかがあいさつ、たかが言葉、で聞き流して済ましているうちは、健全な社会ができあがらないというのはうがち過ぎであろうか?

今日の企画  「商品比較のテレビ番組」 05.3 
これといって見たいTV番組がないときに通販チャンネルを選んで、しばらくの間見入ってしまうことがある。それは、買う気がなくても単純に番組としておもしろいからである。確かに、世に商品情報は新聞雑誌にも多いし、店頭でカタログは簡単に入手できる。しかしテレビでタレント?から懇切丁寧に実演交じりで説明されると、自分で活字を読み下すより、はるかにわかり易い。であれば最初から商品紹介、つまり各社の同等品を集めて公平、客観的に解説するTV番組があってしかるべきではないかと思える。これまでいわば商品比較の番組がなかったのは、万が一商品の優劣が露骨に示されたときの、劣位のメーカーからの反発を恐れていたのだろうと思う。しかし今、世の中も複雑、商品も多種類、多機能で、今こそ選択・決断の難しい時代はかつてなかった気がする。そんな折、真の意味でのこの「情報」番組は確実に一定の視聴率は稼げると思うが、いかがであろうか?CM収入で成り立っている民間放送でできることには限界はあるにしても、その限界の中でもやりようによってはこの種の番組作りは十分可能であると思われる。例えばテレビを取り上げる時のことを考えてみよう。一つはデータだけ示して、結論を出さないことである。つまり画質が良いのはA社、B社、C社・・の順であり、音質はB、C、A・・、使いやすさはC、B、Aの順である等々、各社一長一短のような結論付けをすることである。もっとも結果的にどの項目をとってもA社が断然抜きん出ているケースがあるかもしれない。その時は正直に「この中に抜群にお勧めの商品がありましたが、それは当社が民放である性格上、残念ながらここで特定はできません」と告白して、極力正確な商品情報、データの紹介で終えることにするのだ。それで十分であり、その方が番組の信頼性を高めることになるだろう。さらにいえば番組自体のスポンサーも、番組で絶対取り上げないであろう商品商材の会社でなければならない。例えば煙草は取り上げないだろうからJTとかあるいは旅行も考えられないからJR各社とか。はたまた絵になりにくいので損保生保も対象にしないこととしてそれらの企業とかは、いかがなものか。今、テレビに求められるものは何か、といえば真実ではなく「事実」ではないか。世の中のあらゆる権威、既成概念がひっくり返されそうな今こそ、視聴者は「実体」を求めているのだと思う。

今日の演説  「がんばれ、ホリエモン。」05.2 
ライブドア堀江社長によるニッポン放送買収問題が今メディアを騒がせている。特に財界人や国会議員からの、いわばバッシングが目立つようだ。曰く「金で何でも買えるという姿勢は間違いだ」とか「ビジネスはゲームじゃない」はたまた云々かんぬん。私のように外野席で見ていると、何かオヤジというかジーさんが若者に向けて説教を垂れているように見えなくもない。そういえば堀江社長は丁度彼らの息子くらいの年齢なのだろう。しかし私が思うに、近代資本主義の良さは、身分出自国籍年齢等関係なく、お金がありリスク覚悟で一定のルールを守りさえすれば、誰でも参加できるという、極めて民主的なことではないだろうか。確かに堀江社長の手法はルールの盲点のようなところを突いたのかもしれないが、ル−ル違反ではない。どうも私の見るところ、堀江社長に代表されるようなITビジネス等で成長途上の企業人(孫、三木谷社長等)に対するやっかみのようなものが、今回の騒動の背後にあるように思えて仕方ない。しかし考えて欲しい、昨今伝統的な企業である三菱自動車やUFJ銀行等の一連の不祥事を引き起こしたのは、今回の批判者とほぼ同世代の経営陣である。(往々にして以上のような企業には「地域社会に貢献して」などという立派な社訓があるのが常だ。)企業が問われるべきは結果責任であって、道徳やマナー、ましては経営者の身なりなどをあげつらうのは筋違いである。ビジネスはある意味戦争に似た危険なゲームであるというのは、経営者でなくてもサラリーマンなら誰でも日々実感しているはずである。好むと好まざるにかかわらずグローバル化の時代、今回の主役が外資であったら同じような文句を、財界人は言ったのだろうか。彼らから見れば相手が若造(それも日本人)だったから、というのが真相ではないだろうか。国会議員等有識者?も事態が国民・国家にとって好ましくないと判断するのであれば、法整備に先ず動くべきであると思う。それにしても堀江社長を非難する人々の肝に銘じて欲しいのは、今の日本の若者を育てたのも、あるいは若者が見習っているのも、もっといえば教育制度、社会制度・風潮を作ったのもすべて自分たちではなかったかといことである。

今日のつぶやき 「ファッションを商う。」05.2
ただ今世間はバーゲンシーズンである。特に洋服については、日頃出不精の私も妙に心が浮き立つ。この時期であれば、普段は人影まばらで足を踏み入れにくいデパートの男物の洋服売り場にも、抵抗なくうろつけるからだ。前にも書いたが、大体私くらいの年になると、衣服については、欲しいもの・買いたいものに悩むことはあまりない。なぜなら出かける以前に、あるリストがほぼ出来上がっているといえるからだ。つまり、新たなアイテムを買い足すことより、前からの手持ちが古くなった、サイズが合わなくなった等の事情で、代替するケースが圧倒的に多いからである。ある程度あんな物、こんな形と具体化しているのである。で、この冬の私について言うと以下の三つの商品を買いたかった。1:タータンチェックのフラノのスラックス、2:ビエラ地のシャツ(チェック柄、なるべく白っぽい色、レギュラーカラー)、3:ニットタイ(ウール、ホリゾンタルストライプ)。理由としては1については現有品のサイズが合わなくなったため、2は愛用品を紛失したので(多分、配偶者が処分)、3:手持ちのニットタイが無地がほとんどなので、これについては前言と異なり買い増しとして、である。で、わかる人はおわかりだろうが、以上はいわゆるトラッド(懐かしい言い方ではアイビーも可か)と分類される商品である。さて、トラッド=TRADITIONであって、辞書では「伝統」という和訳が始めに出てくるわけで、時代変われど、継続するはずのものであろう。早い話が「伝統的な」商品である以上、10年、20年前に販売していたものは今でも買えなくてはならない。ところがそうはいかないのが、厳しき流通業競争、はたまた哀しき現代大量消費社会というべきか?(あるいは日本だけにおける状況というべきか、英米ではいかなることになっているのだあろうか?)実は残念ながらどれもまだ見つかっていない。しいていえば1はフラノではなく、一般的なウール地ではあれば存在し、やむをえずそれで妥協するつもりではあるが。2については何とか近い商品を見つけるも売り切れてしまった。3において言えば斜めストライプはあったが、水平タイプはいまだ発見せず、である。改めて推測するのは洋服販売(特に男性向け)の、難しさである。如何にトラッドショップを標榜して本当に十年一日同じものばかりを並べていたのでは客に飽きられるであろうし、といって品揃えのテイストを変えすぎては見放されるだろう。いわば定番品と流行品のバランスのとり方であろうか。しかしネット販売であれば頑固に定番品のみという形態も可能でありそうな気がする、が、サイズ合わせせず、質感も確かめずに入手するという通販自体に私自身が馴染めないので、これも今一つ腑に落ちない。商いの難しさを慮る。

今日のテレビ 「鉄腕ダッシュその後」05.1
日テレの日曜「鉄腕ダッシュ」がますます盛り上がっている。というのは、その中の1コーナー「ダッシュ村」についてであるが。最初は食料のことだけに留まっていたが、今や綿やら瓦、食器、紙などと衣食住のさまざまな領域にまで手を広げている。結果として、LIVE(生活する、生きる)ということは、ある時代までは、は絵空事ではなく自らの手を使って(体を張って)行なっていたのだということを、堅苦しさを感じさせずに、エンタテインメントとして伝えてくれる(しかも日曜のゴールデンタイムに)。前にも書いたがこのことは凄いと思う。しかし、あえて再度言うが、「食」については、もう一歩踏み込んで、早く合鴨をさばくところを取り上げて欲しいと思う。肉食を通して我々の食生活は他の生き物の犠牲の上に成り立っているのだ、ということを伝えて欲しいと思う。それにしてもダッシュ村は福島あたりにあるらしいのだが、一般の希望者に体験入村のようなことはできないのだろうか?思い切って小・中・高生あたりを1ヶ月くらい放り込んでみるのはどうだろうか?この間の新巻鮭作りをやれば化学の「浸透圧」なんてのは一発で覚えると思う。テレビゲームみたいなバーチャルな体験ではなくリアルな体験は若いうちにこそすべきだと思うのだが。

(続)今日の音楽評論 「今、シングルレコードが旬だ。」 (04.4) 05.1
去年はシングルレコードと、途中からシングルCDに、私は目一杯ハマってしまったのだが、なぜなのか改めて考えてみた。一つは言うまでもなく、昔から欲しかったモノが今、値段的にこなれてきたというのがある。(これは4月に書いた。)二つ目はカセット音源の劣化への心配がある。実は既に一つ、レンタルレコード!からのダビングで作った「チューリップ」のベストのカセットテープが切れてしまった。そこで過去のレンタルダビングに限らずエアチェック!(懐かしい)も含めた数々のカセットへの対策を講じる必要を感じ出したということなのである。つまり、いえば今のシングル漁りはテープからディスクに置き換えて行く作業なのであろうか。だからMDにダビングしたり、CDに焼いてしまえばセカンドベストとして少しは安心する。ところで今買い漁っているものを見ると、世間的には大物グループやビッグアーティストが当然多い。いうまでもなく、自分としてはアルバムCDを持ってない歌手、アーティストがまだまだ多いからである。しかし彼らはそれほど好きではないが、楽曲自体には今更ながら、ジャンルに関係なく素晴らしくて私好み、というものがあるからそのシングルは押さえておかないと、手が出てしまう。また好きなミュージシャンであってアルバムCDを持っていても、それらのアルバムに未収録だから、という曲もある。もう一ついわれ因縁の故に買ったというのも少なからずある。(例えば今、旬の芸人ヒロシのBGMだからとか、放送禁止だったからとか。)別にウンチクを披露したくてという訳ではないが、つい財布を緩めてしまうのも値段が値段だからであろう。それから特に好きない楽曲にしても、大ヒット曲だったはずだが自分が良く知らないから買おうというのも同じ理由である。また格別良い曲でなくても、ある特定の出来事や思い出に強く結びついている曲というのも買わずにいられない。しかしいくら安いといってもさすがにこの頃はダブッて買うのが心配で、最近は手持ちシングル曲のリストを作って持ち歩いている。が、それでも所有するアルバムにはいっているかどうかまではわからない。今のところダブリ買いはほとんどなく、結構自慢できることだと思う。さていつまで私はシングル漁りを続けるのであろうか。一つの区切りとしては手持ちのカセット音源がすべてディスク化される時期である。が、それらにもなく私の心のどこかにしまわれたままの、いわば「音の記憶」は、レコードショップで実際にレコードやCDを目にした途端、掘り返される訳で、それらの店への出入りを止めない限りは永遠に続くものだろうか。ちょと怖い。

今年之私的重大出来事 04.12 
2月:シングルレコード13枚購入を岩手県のある店で購入、以降シングル漁りににハマり、遂にはシングルCDまで手を出し、年間トータル100枚近くを買った。まだ一部しかリストアップしていないが、宜しければ「堀口家視聴覚室」まで) 2月:床屋の回数ふやし始めた。多分20年以上にわたり年間3回だった頻度を、以降2ヶ月に1回のペースになった。すべてQBハウスのお陰である。
4月:6月のコーナーでも触れたが、愛用品が次々に壊れ始めた。先ずはMDプレーやー、以降腕時計、カセットデッキ、電気かみそりなど続々。散在の一年であった。
5月:初めてヤフーオークションにトライして、バイクのミニカウルを落札、6月にはデジカメを販売した。
5月:モルモン教会で英語レッスンを始めた。前から習おうと思っていたので、駅前でチラシをもらったのをキッカケにスタート。思ったほど宗教臭くはなく、今も続けている。もちろん無料である。
7月:バイクで磐梯吾妻周辺をを約440km走行。恐らく私の日帰りツーリングとしては最長距離かと思われる。もう一度機会があれば、通り過ぎた桧原湖に行きたい。
9月:長年のあこがれだった皮ジャンを遂に購入。それも懐かしのアメ横、中田商店にてであった。
9月:娘に母親不在時、初めて昼食を作ってもらった。メニューはカレーで、私が今まで食べた中で最高の味であったことは言うまでもない。


今日の製品 「電気カミソリ」04.12
調べればある程度わかるだろうが(前にも書いたが30歳直前からメモをこまめに書いている)、記録に残っているだけで恐らく7台目になる電気カミソリを買った。現在の住まいに2台(一つは旅行用)、あと1台は実家に所有し、つまり差し引き4台がこの約20年間に壊れて捨てたことになる。思えば古いものほど長持ちした気がする。確かに昔は永く使ったのでマメに刃を買い換えていたのだが、いつのころからか止めてしまった。一つには本体の価格が下がってきて、刃を買うのがバカバカしくなったことがある。この20年で一番古いのはブラウンで交流式だが、これが一番の長寿命であった。考えれば電源は大事な問題で、そのブラウンはモーターの故障であきらめたのだが、それ以外の残り3台は充電池がおかしくなった。つまりメカニズムがイカレるよりも電源のほうが先にイッてしまう訳だ。では理想の電気カミソリとは何かといえば 、もちろん切れ味のことはその基準からはずせないことは間違いない。しかし優先順位1位かというとそれは疑問である。いくら切れ味が良くても電池寿命があっという間に尽きるようでは論外だし(コードレスは便利なので今更交流式には戻れない)、それに今時切れ味の悪いカミソリなどというものは考えられない。現に手持ちの中では、旅行用の乾電池式の一番小型のものがベストのような気がする。(ちなみに私のヒゲの濃さは日本人男性の平均より少々上かと判断している。)だから電気カミソリメーカーが今考えるべきは充電池の耐久性ではなかろうか?その上に替え刃の値段を下げることで、長期使用においての優位性を打ち出すべきではないだろうか?さらにいうと下らぬ剃り味競争やらで、あたら刃の数を増やしたり、自動洗浄など妙な機能を追加すべきではないと思う。何年か前に水洗い可能になったのは電気カミソリの歴史上革命的 なことだったと思うが、これでもう進化は十分である。基本に忠実であってほしい。もし、強いてあげるならデザインであろうか?店頭で見ればどのメーカーもシルバーを中心にした色使いを含め、ワンパターンである。ここは奮起を願いたい。

今日のコンサート 「FUNKY FOX」 04.11
久しぶりに、恐らく15年ぶりくらいかと思うが、コンサートに出かけた。日本に滞在中のカナダ人の知り合いがいて、その男が毎日結構ヒマしていたので、たまたまチケットが手に入ったこともあり、声をかけていっしょに行ったという次第である。上記はグループ(正確にはデュオ)名で、二人のエレクトーンプレーヤーである。エレクトーンというと、ほとんどの人は野球場とか結婚式のBGMを思い浮かべ、長時間のコンサートといえば、退屈なものと想像するかもしれない。しかしバンド名に表わせられるようなファンキーな16ビートから、ジャズの4ビート、 あるいは荘厳なクラシックのシンフォニー、はたまたスクリーンテーマとさまざまなジャンルを演奏し、90分間楽しむことができた。特に上述のカナダ人にとっての驚きは演奏ジャンルもさることながら、2台の楽器から繰り出されるサウンドというか音の多種多様さであったようだ。エレクトーンは商品名であるので、普通には「電子オルガン」と新聞・雑誌等では記載されることが多く、また楽器自体が一見それらしい形状のため、よもやエレキギターやサックスの 音が出るとは思えないのも無理はないかもしれない。この辺はメーカーの怠慢で本来はマスコミ・メディア関係者には「エレクトーンと表記できない場合には(三段式)電子キーボードと記載ください」とでも要請すべきではないだろうか。さすがにデザインは最近モデルチェンジして今風になり、「オルガン」イメージは払拭されたが、あとはそのイメージをどう世の中に知らしめていくつもりなのだろうか?先日のTVコマーシャルを見る限りは、高校生くらいの男の子を狙っているようだが、そのためにはエレクトーンという楽器を使ったアーティストというか早い話がタレントが、テレビに頻繁に出てくるようでないと難しいと思う。ドリカムと小室哲也が使っているらしいのだが、「らしい」うちはまだまだである。頻出して一般化して初めてこの楽器の存在や特性が認知されたことになる。彼らFUNKY FOXの言葉の端々に楽器の、あるいはエレクトーン音楽といったものへのマイナーであることの嘆きが感じられたが、その責任は偏にメーカーにあろう。すっかりコンサートの話のはずが、楽器の話になってしまった。付言すれば、彼らは既存の曲ばかりでなくオリジナル曲もいくつか演奏したが、なかなかのメロディーメーカーであって、(特に加曾利氏?)プロモーション次第ではいろんなメディアの、例えばテレビ番組のテーマ音楽あたりでもっと起用してもらえるのではないかと思える。インストグループとして、例えばGクレフとか、スカパラみたいな人気になっても決して不思議ではない気がした。

今日の感想 「何故バイクツーリング?」 04.11
冬の到来ももう間近、そろそろバイクを冬眠させようかと思う。寒い時期のツーリング はさすがに遠慮したい。それにしても今年は良く乗った。この2年半弱で東北の有名 観光地の大半は踏破したといっても過言ではない。(もっともこの中には、出張の ついでに立ち寄ったというところも含まれているので、すべてがバイクでの訪問と いう訳ではないが。)バイクツーリングの魅力はなんといっても、その機動力であろう。思い立ったときに(天気予報によるが)、身軽に自宅から現地に直行し、目的地の目と鼻の先までアクセスできるといったことがまずあげられる。次に、これは他のライダーもよく言うように、季節を実感させられるということがある。つまり、春には花の匂い、はたまた夏の暑さ、雨の降りそうな匂い、あるいは秋の気配などといったようなものが体感させらるのだ。しかもそれらは、道々を行き過ぎる折々に、その土地土地の 特有の雰囲気であり匂いであったりすることを私に教えてくれる。そしてその変化で自分が移動をしている、ということを体感できる。正確には一歩一歩ではないものの、自分が確実に目的地に近づいている、あるいは遠ざかっていることをわからせてくれる。この感覚は普通の乗用車でCDでもかけながら、あるいは同乗者とおしゃべりしながらなどのドライブでは感じにくいものではないだろうか。(強いて言えばオープンカーなら近いものを味わえるかもしれないが。)大げさに言うならば、バーチャルな移動ではなくリアルなといっていい移動であると思う。ちなみにピンは徒歩でキリは航空機か?02.8の本欄「マニュアリズム」でも触れたが、我々の生活のすべてがブラックボックス化され、現実感が薄れそうな日々の中で私は、少しでも現実、実態というものを把握していたいと思う。ネットというバーチャルな空間でこんなことを書くのは矛盾していることは承知しつつも。

今日の選曲  「過去を懐かしむ歌」 04.10 
秋である。人恋しい季節である。いやでもロマンチックになってしまう。酒を飲みたい、飲んで酔いたい、酔えば歌でも歌いたい。そんな時何を歌う?で、題してズバリ過去を振り返る歌一覧。ちなみにこれらを私は、レンタルレコード!からカセットテープ!にダビングしたものまで含めればすべて音源を所有しているので、音源データにしてここに公開したいほどである。 が、それは著作権法及び私の能力から許されず、タイトルを列挙するに留めたい。(以下タイトル50音順)
YaYa〜あの時代を忘れない : サザンオールスターズ | あの唄はもう唄わないのですか : 風 | あの頃のまま : ブレッド&バター | いちご白書をもう一度 : バンバン | 栄光の架け橋 : ゆず | 大きな玉ねぎの下で : 爆風スランプ | 思い出がいっぱい : H2O | 思えば遠くへきたもんだ : 海援隊 | くるみ : ミスターチルドレン | 壊れかけのラヂオ : 稲垣潤一 | 最後の春休み : 松任谷由美 | 島人ぬ宝 : ビギン | 少年時代 : 井上陽水 | 白い写真館 : 中村雅俊 | シングルベッド : しゃ乱Q | 人生を語らず : 吉田拓郎 | 過ぎてしまえば : 森田幸一とトップギャラン | 卒業写真 : ハイファイセット | 時の過ぎ行くままに : 沢田研二 | 泣きながら恋をしたころ : ヴィレッジシンガーズ | 夏の日の1993 : クラス | 二人は若かった : 尾崎紀世彦 | ヘッドライト・テールライト : 中島みゆき | ロックダム : アルフィー |
*一押しは懐かしきラブソング(タイガースメモリアルクラブバンド)である。

今日のツーリングレポート 「雑誌原稿用下書き」 04.10
人は何故バイクで旅に出るのだろうか?普通は景色の良い道がある、あるいはいい温泉が・宿があるなどといった理由がほとんど だろう。ところがうまい酒を飲みたいからバイクで出かけると言ったら人はどう思うのだろうか?そんなヤツがいるのかって?そう、いるんだなあ、これが。そう、それは私です。もっともその酒というのは半端なものじゃない。何せ東日本では、そこでしか「合法的に」飲酒できない、ほとんど究極と言っていいレアアイテムなのである。もったいぶらないでズバリ言ってしまおう、その酒とは「どぶろく」のことである。早い話が清酒の元みたいなものなので、酒を醸造している土地では、正確には醸造元では、関係者にとって手に入れる、あるいは飲むことは簡単なことなのかもしれない。しかしそれらを商行為として利用することは酒税法違反なのである。(もしかしたら自家使用も不法かも?)
さて話が長くなるが、小泉内閣の構造改革路線の一環というわけで、構造特区というのが国内各地にいくつか設けられつつあるのはご存知だろう。その一つとして岩手県遠野市が「どぶろく特区」に名乗りをあげてメデタクも認められたという訳である。ところがどっこい、厳しいお役所の規定が災いし、実際に商売にしようとしたのは一軒の民宿だけだったという次第。で、ここまで長々読まされた方々はなかなかツーリングの話にならないとか、そんなとこJRで行って駅からタクシーにでも乗って行けばそれで済む話では、と思いの向きもあろう。実は私も出張帰りにでも立ち寄ることも考えた。しかしそうは問屋が卸さない。岩手県は広く四国4県分の面積があり、遠野市のその民宿「ミルクイン江川」も駅からタクシーで軽く30分、5000円は下らぬという。また送迎サービスなどあるような腑抜けた観光民宿でもなさそうだ。それなら腹据えてバイクで行くしかないではないか!!注)筆者は仙台を拠点に東北3県をテリトリーとするセールスマン、普段の営業の移動手段はJR等の公共輸送機関である。また単身赴任中であり、クルマは横浜の実家においたままで仙台には所有していない。
8月28日朝9時過ぎという遅い時間帯といえ気分はいざ出発。目的地が近場であり早起きする必要がなくとも1年ぶりの宿泊ツーリング、前途安全であれと神妙な気持になる。降水確率(今日10%明日30%)よ、大きくはずれるな。仙台を発ち東北道泉インターから先ず向かうは盛岡。商用で良く訪れるといっても市内をゆっくり見たことはなかった。で今回の観光ポイントは岩手公園と岩手銀行跡地大して飛ばしたわけでもないのに、11時前には付いてしまった。愛用のペンタックスを片手にじっくり散策。私は城跡とかレトロ建築は大好きな方なので、じっくり見れて大満足であった。で昼飯はなぜか名物わんこそばでも冷麺でもなく、長崎チャンポン。冒頭の文章からすると私はグルメであるかのような錯覚を与えたかもしれないが、実はその反対。特にツーリング中は食欲自体が低下するタイプだ。
ということでさっさと次の目的地浄土が浜へ。ここからは国道*号線をひたすら一直線となる。大体百ちょっとの距離なので、つい首都圏でのクルマの運転感覚に影響されて2時間半見れば大丈夫なんて思ったのが嬉しい誤算。土曜なのに道がガラ空きのせいもあって2時間弱で到着。これでは「高速道路はもう不要」に頷きたくもなる。それにしても*号線は気持が良かった。さて浄土が浜といえば三陸の代表的景勝地、ということでリアス式海岸を見るべく遊覧船に乗る。**円と高かったがもう2度は来ないだろうと思い決断する。50分程の見物の後もゆっくりできそうとのことで、海岸あたりを散歩、出発したのは4時近くだった。ここから遠野へ下るには国道O号線と県道経由で1時間と予想した。実際遠野市内には5時頃には入り予定通りな訳で、JRの駅を見物して土産まで買う余裕すらあった。ところがそこから民宿までが一苦労。住所はもちろんわかっていたのでネットの地図サイトでチェックしておいたのだが、そうは問屋が卸さない。なにせ都会地と異なり目印が少なくミスコースしても間違いに気付きにくい上に一度間違うととんでもない距離を走ってしまう。ということで市内から30分のはずが1時間かかってしまった。
何はともあれ着いたらまずはお風呂にと言うことで入浴させて「いただく。」というのは当たり前かもしれないが、家族の人と同じ風呂を一番に使う訳で、何か申し訳ない気になる。そういえば部屋も宿泊者のための部屋ではなく、あくまで普段使ってない部屋という感じだ。何となく親戚の田舎に来たようにも錯覚しそうでもあった。さてお待ちかねの夕食タイム。なにはともあれ日本で最も売れてるブランドの冗談もある「トリアエズ」ビールである。実際は、私の嫌いなスーパードライではなく一番絞りで、まずこれに感激。メニューは、先ず採りたてのとうもろこしに裏で養殖してると言うイワナのから揚げとその煮物。さらに近所でとれるというキノコ、山菜の類。グルメではないものだから品種は聞いたが忘れた。ただひたすらに飲みかつ喰らう。「うまい。」極めつけは熊の肉とアスパラの炒めもの。やや固めながら牛に似てイケる。獲りたて!だと柔らかいが、残念ながら春に捕獲したものの冷凍だとのこと。ここらでビール中瓶が空いて、「どぶろく」をオーダーする。料理の方もいよいよ大詰め、山菜御飯にすいとんのようなもの(これも名前失念)やら漬物などなど。出てきたどぶろくは3合瓶入り!多すぎないかと懸念しつつまずは一口。ううっ効く!清酒よりは度数が高そうである。それに濃い。食い過ぎたとも思った。これには軽いつまみがベストマッチングではなかろうか。浅漬けや塩で十分、とさえ感じられた。とはいえまだ料理はかなり残っている。1合飲み終わったあたりで主人に持ち帰れないか尋ねてみる。何と返って来た答が驚くことに「酒税法違反だからダメ。」つまり持ち帰ることは販売行為であって、この「ミルクイン江川」さんには宿泊客に提供するという形での免許しかないそうなのである。宿の主人に違法行為を強制できまい、私はかくてちびりちびりと時間をかけて飲み干したのであった。ちなみに料理の方も完食したが、さすがに山菜御飯だけは翌日の昼食用に握っていただいた。(8月とはいえ肌寒い日で問題なしと思えたので)
翌29日、ついに小雨が降っている。朝食には宿の名前にふさわしく牛乳がでた。これももどぶろく同様濃く、見てくれが似ているので思わず苦笑い。合羽を着て、いよいよ河童伝説の町遠野市を見物のため宿を出発。時刻は、目的のエリアに早く着いても、有名な建物などは10時でないと開かないので9時過ぎであった。<以下略>


今日のアイディア 「新しい極刑制度」04.9 
宅間守の死刑が執行された。通常より早いといわれるこの死刑について被害者の親はどんな気持でおられるのだろうか?私が被害者の父親であったなら、おそらく私の腑に落ちるものではないだろうと想像する。宅間が死ぬ前にせめて土下座させるとか、その顔を一発でも殴ってやりたかったというのが、子どもの命を危められた者の本音ではないだろうか。とはいえ私は死刑制度そのものには反対で廃止すべきものと思っている。誤審の危険性を思えば取り返しの付かない事態も十分ありうるからだ。しかし根本的には、凶悪事件の抑止策としての有効性が疑わしいとも思えるからだ。例えば先日の長野県高森町の老人4,5人を殺害した事件について検討しよう。犯人にとって3人目を殺した段階で刑罰のことを考えたに違いない。「どうせオレは死刑だろう。」一旦そう思ってしまうと4人目も5人目の被害者に対しても、危害を加えるのに犯人は抵抗がなくなっていたのではないのだろうか?で、私の考える究極の極刑は、リンチが加味された終身刑(但し無実が証明されるまで絶対に減刑なし)である。加害者は刑に服す期間において被害者側からリンチを受ける義務を負うものとするのである。つまり被害者が5人いれば例えば年1回5年間において、加害者は危害を耐えなければならない。その意味で復讐しようとする被害者も加害者の命を奪うことは許されないものとする。さて被害者側に許される身体的危害とはなんだろうか?イスラムのように眼には眼、歯には歯というわけにはゆくまい。例えば指一本の切断とか致命的箇所以外への銃弾一発などはどうであろうか。刑執行後は加害者というか服役者に対しては生命の維持に必要な治療がされる。死なせることが目的ではないからだ。また。もちろん執行者がだれか絶対にわからないような工夫も必要だ。これであれば万一犯人が無実だと突然判明しても、ある程度お金による補償は可能と思われ、最悪の事態も避けられるとは思うのだが。

今日の異議 「業界用語の使われ方」 04.9
昨日(9・4)の朝日新聞夕刊で唐沢俊一という人が、業界の符丁のようなことばが、職場の外へ出るのは良くないというようなことを書いていた。そういえばかつて、故伊丹十三がそのエッセイの中で、寿司屋で「あがり」とか「むらさき」などとお客は言うべきでないと、書いていたことも思い出した。かくいう私もほぼ3年前の01.7の本欄に「今日の違和感」と題して、一般家庭でも使われ始めた「お世話になります」に対する違和感を表明したものだ。以上のことから見て、ある限られた社会、組織での用語が、さらに広まり拡散して行く傾向というものは、基本的に止められないことなのだろうか?唐沢氏の指摘(出版界について触れていた)を待つまでもなく、私が最近感じるのはTV、放送局等いわゆるギョーカイことばの氾濫である。いわく「オシている」、「マキでいこう」、「キャラがカブる」、「今カミそうだった」等々。これらは一般的な表現で、例えば進行が遅れているとか、早める、あるいは性格が似通っている、言いよどむ・間違えるなどで十分ニュアンス含め代用できると思う。なのに敢えてギョーカイ用語を使うことの背景には、かつてはうかがい知れぬ別世界と思われていた、例えば芸能界の裏側が、世の中一般に今やさらけ出されて、特殊な世界ではない(つまりその気になれば、運が良ければあなたも住人になれる)と世の中一般に考えられていることの表れなのだろうか。とはいいつつも、午後出社の時に「おはようございます」とは言うほどにはギョーカイ風に徹しきっている訳では我々はないわけで、だから「キャラがたっている」などというのには、やはり違和感を感じざるを得ない。

今日の戯れ歌 「雨にも負けずに、風にも負けずに」 04.8
雨にも負けずに風にも負けずに、夏の暑さ、冬の寒さに耐える力もあるが、黙って一人我慢していると、周囲への思いやりがないと言われる。
東では優柔不断といわれ、西では思慮深いと思われ、北では決断力があると誉められ、南では我慢ができないやつと笑われる。
山に登り、周囲の意見を聞けばリーダーシップがないと責められ、海で進路につき皆の意見をまとめれば指導力があると称えられる。
町で求められ口を開けば独創的といわれ、村の寄り合いでしゃべれば変わったヤツとあざ笑われる。
左を向いて主張すれば一人よがりといわれ、右を向いて話せば熱い思いがこもっているといわれ、下向きでは良く配慮されていると称され、上向きでは意思が見えないと評される。
しつこくこだわれば熱心だと後から言われるが、その場ではしつこいと嫌われる。
淡々と済ませば頭の回転が速いとその時いわれるが、やる気がなかったのだと後々くさされる。
そういう人に私はなりたいと自分では思うが、もうなっていると人は言う。
とかくこの世は住みにくい。悟りの境地まではまだ遠い。それでも何でも生きてりゃいいのさ。僕の前に道はなく後ろにしかできないもの。相対主義と絶対主義の壁を超え、今日も道を造りていざ往かん。

今日のトピック  「帰省渋滞」04.8
毎年の夏冬、正確には8月中旬の盆休みといわれるころと、年末年始にかけて、100キロ離れた実家を訪れている。この習慣は一人暮らしを始めた頃から続いているわけだが、精度は最近の方が増しているようだ。つまり若かりし頃は、しばしば夏冬のどちらか一方だったり、ときにはスキップしたりしたものだが、子持ちになって以降は皆勤賞である。何故なのかと考えてみれば、孫を連れその顔を(せめて年2回)親に見せるのは子の義務とかつては思っていた。しかし孫が思春期を迎え、いわゆる「可愛い盛り」を過ぎても。この習慣は欠かせないように感じている。改めて思うのは、里帰りは自分のためではないだろうか?学生になり親元を離れ、社会人になり国内各地を転々とし、そして所帯を持ってから転勤を繰り返すうち、いつか親には特に相談もせず別の地に居を構え早3年が経つ。そんな自分のルーツを確認するための作業が必要なのだろうと感じる。生まれ育った家に、ほんの一日二日でも滞在し、多少間取り、内装は変わっていてもあの頃と変わらぬ天井の染みや柱の傷を見れば、妙に安心するものだ。そして昔馴染みの友人たちと昔話に話が咲かせれば申し分がない。紆余曲折、幾星霜、七転八倒、右顧左眄?、迷い戸惑いつつ決して順風万般とはいえない30有余年の過去を振り返るにはふさわしい場所なのだろう。さらにいえばこの儀式を執り行うにはそれなりの心の準備期間が必要に思える。つまり、あまりに短時間に現地に向かうべきではないように思う。幸い我が家では2時間半ほどかかるのだが、この位がほど良いようだ。さらにはなるべく公共交通機関を利用しない方が好ましい気がする。まあ一般的にはクルマだろうが、自力で到着するという形が良いと思う。その方が現在の住まいと郷里の距離感、そしてその間を今まさに埋めているというイメージが明確になる。時には高速道路の 渋滞さえ、その演出(吾ただ今故郷に向かわんとす)の手助けとなる。それを乗り越え難行苦行の末、自分のルーツたる生家にたどり着く。それほど現住所と実家の距離が離れてない人などは、一度歩いてとか自転車で親を訪れてみると言うのはいかがであろうか。大渋滞にもめげず帰省する世の他のオトーサンの気持が多少なりともわかるのではないだろうか。毎回毎回ニュースでこの時期おなじみの帰省ラッシュの報に接するたび、このことが決して苦痛でない人たちが存在するとの確信を強くする。

今日の夢想  「定年後には・・」 04.7
まずクルマを買い換えよう。人生最後の選択(多分)とはいえ、当然スバルになるだろうが、問題は車種だ。が、エンジンは水平対抗6気筒が第1候補。いや。そのころになっても血の気が多いだろうから、4気筒のターボバージョンかなあ。悩みどころだ。車体的には、どうせ夫婦2人しか乗らないことだろうから、クーペモデルがいいかもしれない。そうかつてのSVXのような。しかし果たして、そのころスバルから、今はないそんな車種が発売されているのだろうか。いっそ最終車はスバルを離れてオープンカー、それも外車にでもしてみるか?さてクルマを手に入れたら、どこへ行くか。有力な最初の目的地は中部日本、正確にはまず飛騨高山を訪れてみたい。なにせ北海道から九州まで転勤の多い暮らしをして、日本各地足の踏み入れてないエリアは少なく、唯一未踏の地が多いのは中日本を中心とするエリアである。が、高山は実は学生時代に行ったことがあるものの、ひどく感激した記憶があるから再訪したいのである。で、それから北陸に進むか、はたまた紀伊方面へ南下するか?もちろん海外旅行も予定したい。ちなみに家族旅行も含め現在までに行った国は英米仏豪シンガポールと結構多岐にわたっているものの駆け足旅行が多く、できれば長期滞在をしてみたいものだが、問題は定年後の財布の状態・健康状態で、どうしても短期滞在のみとなればロンドンを先ずあげたい。なぜなら学生時代に4週間ホームステイをしたことがあり、いわばゼンチメンタルジャーニーをしてみたいと思っているのだ。ロンドンは古いものを保存する街と聞いているので、今でも当時の面影が残っているのではと想像するからである。それすら叶わぬほどの経済・健康状態であるとすると同じ感傷旅行の路線で広島に行こう。新入社員として4年を過ごしたところで、あるかどうかわからぬが寮(当然その跡地)を探し当てたいと思う。さて飛び歩いてばかりの生活ばかりではなかろうから、自宅にては何をしよう。今一番やりたいのはアナログメディアのデジタル化である。まずはカセットテープ。現在約80本ほどのものがあり、これをCDにしたいと思う。これでも再発されて来ているCDで同種のものは数えておらず、いわゆる一発屋的なものや普通のベスト盤などにはない、いわば裏ヒット的なものが多く、なんとか保存しておきたいと考えている。悩むのはそのうちどんな曲も一曲ダウンロードが可能になるかもしれないということで、そうなれば慌てることはないのだ。とにかくテープの耐久性が心配なので、同様なことはビデオメディアにもいえる。8ミリビデオは貴重な家族の映像があり、VHSでも結構マイナー映画が保存されている。いってみれば時間との戦いなのだが、以上を本気でやろうとすればメチャクチャ時間がかかる。だから、定年になったらと思うわけなのだ。とはいえあくまで前提は、定年後に悠悠自適な生活ができることである。今はそんなことは言える道理もなく、ただあまりの暑さに、たたボーっと夢想してしまっただけのことである。

今日の映画 「ハリーポッターと賢者の石」 04.7
先日「ハリーポッター」の映画(正確には「〜と賢者の石」)をテレビで見ました。といっても実際には、ビデオに録画した日のそのまた約2週間後でしたが。世界的大ベストセラーなので、読むのは面倒くさいけど中身くらい知らなくてはと思っていたら、テレビで映画を放送するというのでチェックしてみたという訳です。 見終えてまず感じたのは、当たり前ですがイギリス(正確にはイングランドというべきのような気もしますが深く調べてはいないので便宜上そうはしません。以下同様)が舞台の話なのだということです。「ハリーポッター」が世界で爆発的にヒットした訳はそのストーリー展開やら、謎解きの面白さのせいのようですが、少なくとも映画を見る限りでは、それらはさして魅力的には感じられませんでした。私にとって心惹かれたのは、児童向けの読み物として書かれたにせよ、やはり全編に漂うイギリス風味とでも呼ぶべきそのテイストでしょう。 例えば魔法学校内でのスポーツの扱いです。その全校挙げての力のはいりよう(教育における比重?)、そして生徒のテンションは並大抵ではありません。スポーツを競技とか運動と単純に翻訳できないことが良くわかります。おそらくイギリス式教育なるものではスポーツは間違いなく主要3教科にはいるのでしょう。 そしてファッションのこと。ハリーの寮?はオレンジとえんじのツートーン、かたや憎まれ役の寮は濃淡の緑をシンボルカラーとした見事なブリティッシュトラッドスタイル全面展開です。確かネクタイのストライプ柄は英米で、左→右か右→左か、下がり方が違うなどと、かつて自分がアイビー小僧だったころファッション雑誌で読んだことを思い出しました。それにしてもこれだけのヒット作品の割には世の中のファッションにはあまり影響を与えなかったようなのは不思議です。 違和感を感じたことに、これだけイギリスのパブリックスクールをモデルにしているようなのに、生徒や職員の中に有色人種がいたことがあります。確か16〜18世紀ごろのイギリスは、帝国主義華やかなりし時代で、当時のアフリカ・アジアの人々は虐げられ搾取され、はなはだしくは奴隷にされていたはずです。それらの犠牲のおかげで、イギリスに富は集中し、繁栄したのでしょう。だから、いかに現代という時代設定であるにせよ、魔法学校の建物、調度品、衣装等すべてが往時のままなので、何かしっくりしません。 また、イギリスは伝統的な階級社会ということで、容姿・ことばで階級の上下を示そうとしているのではないかなどと画面から感じました。例えばハリーのカタキ役たるイイトコの子が金髪なのは、その1例ではないでしょうか。ただ言葉については、私の英語聞き取り能力のせいではっきり断言できませんが。 英語についていえば、イギリス英語それも学校の場面が多いせいもあるでしょうが、もってまわった言い方が多用されているようなに気がします。こういうのはunderstatementというのでしょう、辞書には「〜英国人の言語表現の1つの特徴〜」とありました。控えめな表現、謙譲語という意味では、「愚妻」とか「何もございませんが・・」という日本語に近いのかなと思いました。もっともこんな日本語の使い手はもう少数民族なのかもしれませんが。また生徒に対して一般に教師がMr. Potter のように敬称を付けていたことも印象的でした。 最後にもうひとつだけ面白かったところをあげると、魔法学校にところどころ近代的な機械らしきもの(例えばスコアボード)が出てくるのですが、メカニカルに機能するのに材質は木だったり石だったりするのが、妙におかしく、古いアメリカのTVアニメ「原始家族」?を思い出してしまいました。
P.S. それにしても英語の聴き取りは難しく、もともと大してない自信がまたまた萎んだ次第です。

今年前半を振り返る。04,6
一言で言って「散財の半年」であった。順番に記すと、電子辞書、デジカメ、腕時計、カセットデッキなどが乏しい小遣いから個人用に 購入したものである。もっとも実際に入手したのは5〜6月にかけてであるが、買うべしや否やと考え出してきた のは今年にはいってである。元々あまり購買力がないのと慎重な性格のせいで、これほど物を買うことはないのだが なぜだろうか振り返って見る。
<電子辞書>生涯で初めて、の品である。それまでは電子手帳を持ったことがあり、それのオプションで辞書カードを 買って使ったことはあるが、語彙数がとても少なかった。もっともそれも紛失してしまったのだが。なぜ買う気になったかといえば、英語の語彙を増やそうとかねてから思っていたこと、もう一つは老眼がひどくなり文字の拡大機能に魅かれたことである。今一生懸命「単語帳機能」というものを利用してボキャビルに努めている。
<デジカメ>03年11月のここに、デジカメはまだ買い換えないなどといっておいて、手の平を返すようで気が引けるが、こればっかりは衝動買いだから許してもらいたい。それほどカシオエクシリムEX−M2は、似たもの (薄型で、MP−3再生機能付き)がパナソニック位しかなく、しかも圧倒的に安くなっていたからだ。そうでなければ買わなかったと思う。ちなみに現在同機種は製造中止し後継機種もなし。
<腕時計>やむをえぬ買い替えである。さらば愛しき腕時計たち を見てもらえばわかるが、20年来の愛用品が相次いでお陀仏とあれば、 しょうがない。買う方だって、旧来の品には愛着があり断腸の思いである。ちなみに今度の品は充電機能はともかく、 LEDバックライト付きというのがお気に入りである。何せ老眼になると暗いところで時間を判断するのは至難の業 であるからだ。しかもカジュアルでなくビジネスウォッチ風のデザインが良かった。
<カセットデッキ>これも前の品がこわれたのだから仕方がない。86年購入のWデッキが片チャンネルしか録音できなくなってしまったのだ。また同じWリバース録音再生デッキを探して調べたら、もうTEAC製1機種しかなかった。ということで 同一メーカー品での、多分、生涯最後のCD買い替えとなった。最低価格は店頭で買うのもネットで買うのも同じ金額 なので、当然ネット注文をした。
さて、なぜこれほど一気に買ったのか考えたが、手持ちの品に寿命が来た以外にはその理由がわからない。多少、単身赴任のストレス解消のためという気がしない訳ではないが・・・

今日の心境 「5年が経って。」 04.6
この6月で本サイトも6年目に突入することとなった。これまで漫然と駄文を垂れ流してきたが、改めてその心持などを振り返ってみる。思えば6年前、40代後半になり、つまり平均寿命の半分以上を生きて、意識しだしたのは「死」であった。とはいえ自分の肉体の死、あるいは死に伴なう肉体的苦痛についてはあまり考えなかった。それよりもむしろ、死が巻き起こすことに思いを馳せた。まず本人が生きていたならやりたかったはずのことは当然不可能になる。趣味やライフワークの強制終了である。家族・肉親を悲しませるのはもちろん、彼らとのコミュニケーションも当然無理になる。家族とて存命中の私のことをすべて知っていたわけではないのに。しかし何が6年前の私に「死」を恐れさせたかというと、「私という存在」が「一巻の終わり」になることよってこの世から忘れ去られてしまうということである。当たり前といえば当たり前の事実が、私には耐えがたかったのであった。「忘却」によってヒトは脳細胞をリフレッシュさせ、次なる活動に備えるとの説明をかつて聞いたことがあるが、それが受け入れないのであろう。(もっとも人間の脳はフルには活用されてないとの話もあるようだが。)まあそれ位、私はわがままというべきか、寂しがりやの甘ったれなのか。
 てな訳で、私はこうして誰かに届け、誰かの心に残れとばかり、ここに書き続けるのである。万が一の時にはこのサイトはどうなるのだろうとかは余り考えぬようにしながら。(そういえばこのあとバイクでチョイ乗りしようと思うが、事故には気をつけようと思う。)

今日の珍問三つ 04.5
<お祭りの掛け声>いよいよ夏の到来を感じさせる季節になったが、「夏」となれば祭りであろうか。前から感じていることだが祭りの掛け声は「わっしょい」か「そいや」か?私個人は「わっしょい」しか言ったことがない(といってもガキの頃だから随分昔の話であるが。)だから「そいや」には違和感がある。ところが最近TVのニュースで見聞きする限りは「そいや」が主流のように感じられる。こういうことには当然、方言とか地方色のようなものがあってもよいと思うのだが、「わっしょい」と「そいや」の地方分布はどうなっているのだろう?もちろん他の声の掛け方もあるのかもしれないが。ちなみに昭和30年代(だと思う)の美空ひばりのヒット曲「お祭りマンボ」では「わっしょう、わっしょい」と歌われていた。これ、後でジャニーズ系の誰かがカバーしたのではなかったかな。
<男の子の香り>夏になって汗ばむころになると、オヤジ臭いなどといわれぬよう、私もオーデコロンを時々使ったりする。ところでここ1,2年、いやもっと前からのことなのか、若い男の子たちの「香り発散度」は相当なものではないだろうか?つまり、これはもちろん香水やコロンだけの問題ではなく、ヘヤトニック、整髪料(ううん古い表現?)の類も含まれると思うが、はっきりいって匂いがきつくなってきていると思う。彼らの衣服はどうかというと、綺麗、キチンというイメージではなく、むしろラフというか無造作風なファッションだし、ヘアスタイルだって、モサモサだったり、あるいは不規則に直立させたりと、手を入れてない風である。なのにすれ違う若者たちから甘かったり、さわやか系だったりの香りが強烈に漂ってくるのはなざなのだろうか?それほどまでに彼らは体臭に過敏で、他人(女性?)に嫌われることを恐れているのだろうか?
<月極駐車場>「つきぎめ」駐車場はいつから「月極」と表わされるようになったのだろうか?「極」という漢字は他にあまり見ないことばで「月極」だけだと確かに固有名詞と取りかねず、<月極駐車場>という駐車場の全国チェーンと解釈した人がいるという話も信じたくなる。月毎に貸し借りを決めている、のだから、<月決め駐車場>の方が一般的だと私には思えるのだが。手元の角川国語辞典やMS−IMEには確かに「極める」という表し方もあるが、キワメルという読み方以外にはほとんど私は知らないのである。

今日のスポーツ 「女性の活躍について」 04.5
日本の女子バレーボールチームがアテネオリンピックへ出場することとなった。新聞によればソフトボール、バスケット、サッカーなども女子チームの参加が決まっているとのことで、めでたいことであろう。で、ふと感じるのは、スポーツの世界においては女性の活躍の方が目立つというべきか、あるいは明確に言って、男性より活躍しているというべきなのだろうかということである。団体スポーツ以外にも柔道の谷(田村)亮子、卓球の福原愛、テニスの平松愛、はたまたレスリングの浜口などの好成績の報道に接する度にそう思う。また確かウィンタースポーツのスケート(フィギュア)やスキー(モーグル)でも女子の方が世界のランクは上ではなかったろうか?もし、スポーツの世界においては(他のフィールドもそうだ、との指摘もありそうだが)女性の方が活躍している=世界ランクは上であるとすると何故だろうか?大胆な推理(独断と偏見)をしてみる。かつてスポーツで好成績をあげた選手を調査した結果、長男より次男が多いというデータをTVの番組で見たことがある。朧気で詳しくは覚えていないが、メンタル面で有利であるというような解説があったように思う。つまり何らかの女性特有のパーソナリティが大試合において男性より優位に働いているのではないかということである。というと性差別的発言としてとらえる向きもあろうが、脳における性差は科学的にある程度証明された事実ではなかったろうか。「地図を読めない女、人の話を聞かない男」なるベストセラーもあった。ではもし女性の心理的要因が有利な面があるとしても、問題は何故それが日本特有だといえるのか、あるいは、いってしまえば何ゆえ「日本男児は本番に弱いのか?」ズバリ決め付けてしまおう。我ら日本男児は女子に比べ「思いっきりが悪い。」ここ一番の決断力、集中力がない。ある意味女性より女々しいともいえる。以上に論拠はなく、先ほどいったように申し訳ないが全くの独断である。我が短ざる人生からの推断である。そういえば読みかけの藤原新也のエッセーにこんな記述があった。「ひきこもりに女はいない。」何か暗示するものがあるようだ。

今日の音楽評論 「今シングルレコードが旬だ。」 04.4
今、久しぶりにシングルレコード漁りにハマッている。何故か。価格がこなれてきているからだ。例えばこの間とある雑居ビルで開かれた中古ショップ合同フェア(CDの方が、扱い品数では当然多かったが)では、200円均一で大量に売られていた。また近所のブックオフでも最近はアナログレコードを置きだして、シングルに100〜400円程度の値付けをしている。一番驚いたのはY県T市(絶対教えたくない)のハードオフ。ここではほとんどのシングルレコードが42円(税込み)だ。出張の帰りに立ち寄って、帰路に乗車予定の長距離バスの便を最終まで延ばし20枚買った、でも総計905円!値段がかつてより下がって来ている原因は、CD全盛の時代に当然ながら、レコードプレーヤを持ち続けている人が減ってきているのが大きいのだろう。もう一つ考えられるのは、最近、CD全集やコンピレーション物で昔懐かしい音源、楽曲が取り上げられて発売されていることが影響していると思う。昔のように中古店めぐりをしなくてもカタログや新聞、ネット通販なので簡単に手に入るようになった訳だ。広告で曲目リストを見ると、あの人のあの曲が!今になって!と驚くことも、このところ多い。では何故私はシングルレコードにこだわるのか。いうまでもなく、それら再発されるCD商品では満足できないからだ。発売されるもののほとんどは、売れ線の曲しか取り上げていないのである。有名歌手といえど全曲というのは難しくオミットされる曲だって当然ある。しかしその漏れた1曲こそがマイフェイバリットだったりするのである。また仮に収録されていたとしても、持っていない1曲のために大枚ウン千円(万円?)を支払ってダブった曲の分まで買うほど酔狂ではない。それに一発屋と称されるアーティストの曲はまだまだCD化されていない方が多い。いずれ近い将来においては、洋楽、邦楽問わずネットで検索してダウンロードという方法が究極のベストな1曲入手方法なのだろう。しかし音楽はデータだけ手に入れて満足できるものではないというのが私の持論である。(事実、私はレンタルでダビングした後でも、気に入ったアルバムCDは改めて購入することもままある。)同様に、懐かしの1曲は歌詞ジャケットとともにビニール袋に収められている、という形で所有したいと思うのである。尚、上記の戦利品は、近々別サイトの我が視聴覚室にて公開予定である。興味のある方はそちらもご覧あれ。

今日の思惟 「住む、生きる。」 04.4
単身赴任という二重生活を送っていると考えざるを得ないことがある。「住む」と「生きる」ことの関係についてである。いうまでもなく「住む」=生活している時間は、圧倒的に赴任先である東北の地の方が長い。しかし彼の地での私は何か地に足が付いてない感じを終始持ち続けている。仕事以外の時間においては、徒に時の過ぎるのを待つ感じがしている。寮に帰っても、あるいは休日も自分なりの余暇の過ごし方で楽しんでいるのであるが、何か一抹の空しさ、欠落感のようなものを感じる。何ゆえか?答えの一つは、やはり仮寝の身ということがあるだろう。いつかはこの地を去る身、と思えば食事とか読書のような時でさえ、「心ここにあらず」集中できないことがある。一人暮らしになれば家族に煩わされず、アレとコレとなどと来る前は考えていたが、予想はずれであった。それに、赴任先たる寮には必要最低限のものしか持ってきてないので何をするにも不自由である。欲求不満である。致命的なのは、パソコンを所有してないこと。ちょっとしたことは会社のPCで休み時間にででもできるとしても、例えばHPのアップロードは当然無理として、情報収集、ヤフオクの利用、等インターネットが使えないのは、現代において誠に辛いものがある。(97年製W95のサブノートはあるが、スタンドアローンとしてワープロ代わりでの使用のみ。結果帰省した時はPCの前に座る時間が長い。)答えの二つ目としては従来の友人知人との関係が遠ざかりがちになることだ。これも覚悟はしていたが、やはり寂しいものである。やはり住むということは地に足の付いた生活をすることなのだろう。不安定な生活をする限りにおいては、「生きている」実感に乏しいのはやむを得ないことなのだろうか?

今日の研究 「名前の呼び方」 04.3
小寺久美子さんというエレクトーンプレーヤーがいる。業界ではそれなりに名前の売れている方である。ところでその姓は「こてら」と読むのを私はつい最近知った。ずーっと「こでら」であると信じていたし、周囲もそう読んでいたのである。たまたまご本人にお会いする機会があり、お話をうかがったところ、自身はあまり気にする風もなく、あまり呼ばれ方について一々訂正するするというようなことはしないとのことだった。一体日本人は名前の読み方には無頓着のようで、例えば我が会社の近くに生家が今でもある、詩人の土井晩翠 は「どい」か「つちい」か意見が分かれているようだ。そもそも、国の名前に2種類の発音がある国、なんぞというものがわが国以外にあるのだろうか?そこを真面目に学内で検討して何年か前にはっきりさせたのは「にほん」日本大学である。お札の表示において、昔からはっきりしているのは「にっぽん」日本銀行なのだが、日本銀行総裁となると「にほんぎんこうそうさい」とニュースでは言っている。ああ、ややこしい。
唐突だが俳優の古谷一行は「いっこう」か「かずゆき」か。まさか「いちぎょう」ではあるまいと思うが、一向に私にわからない。せっかく、ひらがなという表音文字を日本文化は持っているのに、何故に我々は発音に対しては無関心なのだろうか。
余談だが漢字文化圏の台湾では当社子会社を台湾山葉〜公司と表意的(親会社の創業者の姓を明示)に表記するのに対し、大陸中国では例えば天津<雅馬哈>〜公司と「ヤマハ」の音をなぞった表音的な表わし方なのは面白い。
日本人は英語での会話においても、ある単語やフレーズを外国人から説明を受けて、発音や意味が大体理解できたとしても、それでは納得せずスペリングを実際に書いてもらわないと、理解した気にならない人が大半ではないだろうか。これらを例として日本語は視覚型言語なのだという人がいる。そのために日本人は世界的に見て、極めて文盲率が低い国民なのだとも聞いたことがある。確かに日本語では同一音に対し多様な表し方ができ、同音異義語が多い。 一方例えばパスポートの英語表記では、伊藤ユカも伊東優香も井東由佳もITO YUKAで1種類しかない。(つい最近ITOHも外務省が認めたらしいが、定かではない、ご存知の方お教えください。)もっとも「赤毛のアン」では”私の「アン」はANNではなくてANNEよ”というセリフがあった気がするが。彼女はスペル=見てくれにこだわったわけだ。
またまた余談だが、ここ10年ぐらいの子どもの名づけ方の傾向を見ると明らかに表音主義ではないかと思う。つまり先に「あやか」とか「ゆうた」とかの音の響きやゴロで名を決めて、後から漢字をあてはめているのではないだろうか。(ちなみにウチの娘の名前もそれですが、ひらがなのままです。)たかが名前されど名前。かつての流行り言葉にアイデンティティというのがあった。例えばアマゾンのジャングルにでも突然素っ裸でワープしたとしよう。そのとき「オマエハナニモノダ?」と問われた時、それに答えて名前を名乗ろうする時、「いっこう」か「かずゆき」のどちらかで呼んでくれということになるのだろうか?もっともはるか昔の時代には(上流階級において?)名前を公然と呼ぶことがタブーであったようだ。そこで肩書きや住んでいる地名や方角等に代えて呼んだとのことである。「僕って何、あなたは誰」を追い求め、考え抜くことが一種の哲学だとすると、名前の読み方はそうそうおろそかには出来ないことのような気がする。

今日のキャッチコピー 「台所の窓は世界に通ず。他」 04.3
時々ふと妙なフレーズを思いついて一人苦笑することがある。例えばこのペ−ジの下の方にあるように<子宮から考える、地球から考える。>とか<リアリストはロマンチストである。>などと閃いて、その言わんとすることを書き連ねたりする。こんなのもあった。<台所の窓は世界に通ず。>これは何を言いたかったかというと、一時期女性は社会進出をすべきなどと盛んに言われた頃に、なんとなくそのアンチテーゼとして考え付いたものだ。つまり外に出て働くこと自体は重要とはいえないのではないか。社会で男と同じように中毒のように働き、同じように疎外されるのならばそのことにどれほどの意味があるのか。あるいは、それほど、例えば主婦専業はとるに足らぬ「遅れた」地位なのか。逆に主婦であれ、内職であれ、家庭に留まっていることで見えて来ることはないのかと言いたかったのである。つまり南海の孤島ならいざしらず、一般家庭にいたとしても世の動きと無縁であることはありえず、アンテナを高くすれば世の動きが良く見えるはずだろう。衣食住、健康のどれをとっても、世界の環境問題や政治問題と密接に結びついていることがわかるであろう。「インタードメスティック」とはこういうことをいうのではないかと思う。しかもかっては「理解する」だけであったものが、今はその気になればさまざまなメディアを通し、自ら働きかけることができる。要するに、女性(に限らないが)の自立とは、その「場」の問題ではないと言いたかった訳である。も一つオマケに<指先と世渡りは不器用。>てのはどうだ。これは堀口の自己紹介のキャッチフレーズ。来し方を振り返った自分なりの総括である。実際、手先は不器用で古いクルマに乗ってながら、メンテは自分を信じず業者に任せきりだったりする。また上司とのつきあいも上手とはいえず、会社での出世が超スローなのもそのせいかなどと思ってしまう訳である。

今日の一曲 「ハトマメ」04.2 
これは日曜7時TBSの「さんまのスーパーからくりTV]のエンディングテーマ」の曲で出演者のセイン・カミュなどが歌っているものである。私はシングルCDはほとんどレンタルで済まして、めったに買わないが、これについてはエアロスミスの映画「ハルマゲドン」のテーマ曲以来久しぶりに購入した。なぜなら歌詞が単純に気に入ったからである。<ごめんねと言いたい時、ありがとうと言えない時、何も言えなかったあの日、僕は英語を習うと決めた>云々、安っぽいヒューマニズムと言われればそれまでだが、素朴な歌詞だからこそ良かったという面もある。これは槇原敬之の作詞であるが、槇原作品といえば「世界に一つだけの花」はあまりに有名だ。これも安直な詩である といった批判を読んだ気がする。しかしたかがポップミュージックされどポップミュージック、一般大衆にどう受け止められるかという点が一番大事なのではないか。以前にもここに書いたが、文学のジャンルに純文学・大衆文学 の分類があるように、この曲は良質の大衆音楽だと思う。昨今のヒット曲の詩がしばしば独り善がりのようで、わかりにくいものが多い気がするのは私だけであろうか。また曲と詩のマッチングが優れて、理屈抜きに覚えやすく口ずさんで心地良いのも良い。特に気持ちよいのは<Those are peas for the birds. But I couldn't say the words.><Say hello to the world! I can say it to the world!>の部分の英詩がリズムにしっかり乗り、韻をきっちり踏んでいることである。これは槇原作詞というが、もしかしたらセインが手を加えているのかもしれないけれど、いわゆる「流行歌」には珍しいと思う。それにしても結構売れているらしく、いい歳のオッサンが5軒以上の店を回って「ハトマメ」ありますか?と聞いて回らざるを得なかったのはチョト恥ずかしかった。照れ隠しで1軒目でホルストの惑星のはいったCDを買ってしまった。750円と安かったこともあるが、もう一つの理由もわかる 方にはわかるであろうか。

今日の古傷 「早すぎた買い物」 04.2
<テレビ電話> 88年、娘まりえがまだ2歳にもならないころ関西に転勤になり、孫の顔が見られないのはかわいそうなので親孝行をと思って、静止画テレビ電話を買った。それもそれぞれの実家に、そして 当然我が家にも必要なので計3台をそろえたのだった。ところがこれが大はずれ、電話回線で音声を使っているときは画像は送れず、写真が送られている時はしゃべれず、そのスピードは1枚送るのに確か5秒ほど かかりカッタルいことこのうえなし。まあ今日のようなブロードバンド時代を夢にも思わなかった頃なのでやむえなかったと思う。
<ポンプ内蔵マットレス> 3年ほど前、テレビの通販番組で見て気に入り、アメリカ製だったので、これなら現地に住んで近く帰国予定の弟に頼んで買ってもらうのが安かろうと、早速頼んだ。確かテレビの 通販商品より1割近く安かった(1万円ちょっと)記憶はあるが、その後結構人気が出た商品とみえて、あちこちの媒体で販売するようになり値が下がったきて、今は1万円を切っているうえに、機能的にも 乾電池・充電池式とやらでアウトドア可とか充実してきている。買ってみたもののそれほど来客がそう多いわけでもなく、必要度を考えてももうちょっと待ってからでも良かった。
<防水CDプレーヤー> これも雑誌の通販で見てやはり3年前気に入ってメーカー不明のまま注文したが、その後国産メーカーから2,3種発売され、やはりというべきかそちらのほうが良い。例えば単3電池仕様(私のは単2)で充電池が使いやすい、とかCD−R再生可能とか。最近ボーカルフェイド機能付きというのも出た。(風呂場でカラオケができる。)やはり早まったとの感は否めない。
<HD内蔵CDレコーダー> ヤマハCDR−HD1000.これは典型的な「もうちょっと待てば」パターン。知人の言うとおりにすべきだった。買って10ヶ月ほど後のモデルチェンジで値は下がり、HDの容量は ふえ、決定的にはCCCDが再生可能となった。くやしーーーい!!

今日の遠吠え 「いらんとおもーが、よーわからん。」 04.1
▲雪が積もって道が狭くなると、腹が立つのは大型車である。「お前がデカイから こっちが迷惑するんだ」と言いたくなる。3ナンバーの税金が下がってから、 クルマのサイズが大きくなる一方だと、前にも書いた。さらに最近は3列シート のクルマの人気があるようで、一向にこの傾向が止む気配がない。大体ミニバン とかいっても我が家のことを考えても(ちなみに我が家のプレーリーは5ナン バー)サードシートを使うのは年に一度くらいだ。さらにはオフロードタイプも 幅が広いのが多い。あのテを使わずとも、またリゾートへでもほとんどの場所に 行けるはずなのだが。
▲街に行きデパートやショッピングセンターでいつも感じるのは、何故 女性もの衣類を扱う店ばかりがこんなに多いのかということである。男女の人口は ほぼ等しいのに衣服を扱う店舗は、女性向は男性のざっと5倍以上はあるだろう 人間は中身で勝負、なんてエエカッコシーをする気はないが、女性が社会に進出 し雇用均等法の時代になっても変わらないのは妙な気がするのは私だけか?
▲さらにアホかと思うのはブランド品に血眼になる(らしい)心理である。確か に一定のブランドにはそれなりの品質が保証されているのだろうが、しかし機能 的には同等と思われる他の品の、数(十)倍の金を払う価値があるのかがわから ない。(もちろん価値があっても我が家には買えないが。)もっと腹立たしいの は、そのブランドロゴなりデザイナーの名前が、これ見よがしになっている デザインである。何で金を支払って他人の宣伝をしなきゃいけないのか。
▲も一つわからんのが、スポーツジムという存在である。私はあそこに行く人は 有名芸能人かスポーツ選手かと思っていた。外では人目を気にして運動できない人、 はたまた筋肉を鍛える必要性が極めて高い人が利用する ものと考えていた。というのは、一般人はその気になればある程度のエクサ サイズは可能ではないだろうか。散歩以外にも通勤や買い物を歩いてするだけでもかなりの運動量 だろう(もちろん例えばエレベーターやエスカレーターは使わないのがよい。) さらにはラジオ体操やダンベルを使っての運動という手もある。水泳を除いて かなりのことは決意一つで可能ではないかと思う。
▲さらには別荘とかリゾートマンションの類。あれはほんの一握りの大金持ちの (暇も相当にある)ものではないか。これは要するに家を2件持つということであって、例えば家財 道具の品数だけでも極端にいって2倍必要になる訳である(短期滞在であれば別 だが)。さらには維持費は住んでいない時もかかる訳で、中・小金持ちでは無理 ではないか。それに所有してしまえば、ある程度は利用しないわけにはいかず、夏も 冬も同じ場所でバカンスということになりかねない。夏はダイビング、冬はスキ ー、はたまた時には海外でブランド品のショッピングを、という人はどうすれば いいのだろう。本当にわからん、わからん。

今日のショッピング「幻のビデオカメラ」続編 04.1
去年の10月のつづきである。年末の旅行を前に、調子の悪いビデオカメラをだましだまし使うのはやはり不安に なった。前回に書いたように、ここはやはり8ミリビデオカメラにこだわりたいが、中古に活路を見つけるしか なさそうである。そこでビデオカメラ専門誌を見ると、中古を扱う店の広告が出ていた(但し秋葉原)。そのURL からネットでチェックしてみるもHP上ではデジタルの記載はなかった。が、電話で確かめると8ミリも何機種かある とのこと!これは行くしかない!と冬休み初日に早速アキバへ。まず念のため新品を求め、海外家電専門店を訪れると 何と驚くことにあれほど探しまくったデジタル8モデルが売られていた!!(もちろんモノラル8ミリタイプも。) しかも5万そこそこで!次に広告の中古AV店を訪問。あるある8ミリビデオカメラが約7〜8台。う〜ん、しばし 悩む私であった。
<結果>SONY98年モデルCCD−TRV825Kを17800円で購入した。なぜ新品のデジタル8に しなかったかというと、このフォーマットの先行きに不安を感じたことと、海外モデルには1年間の無料保証が つかないこと、それになんといっても使用頻度のこと、娘も大きくなりあまり以前ほど使わなくなっている。さらに は前にも書いたが、次期フォーマット(ディスクまたはカードメディア)のビデオカメラ(現在の三洋EXACTY のようなもの)がもうすぐ主流になると思うからである。よって今はやはり8ミリビデオ(但しステレオ音声)に こだわり、値段で決めたということである。

今年の私的ベスト 03.12
「最高のランチ」それは夏のある週末、配偶者が外出し娘まりえと二人になった日のこと。娘は試験勉強に一生懸命ということで、私が結婚以来恐らく初めて料理をすることになった。メニューはソース焼きそば、もちろん市販品をちょっとアレンジしただけのものだったが。しかしまりえはいつもグータラな父親を少し見直したようでもあり、私も娘と二人きりのランチというのも久しぶりで妙に緊張してしまった。記憶に残る昼食になるであろう。
「ソングオヴディイヤー」平井堅の<RING>。発売されたのは2002年だが、私が耳にしてCDレンタルしたのは今年。彼はアップテンポの曲も書くが、バラードの方がよいと思うには私だけであろうか。同じ平井の<Life is ..>もタイトル以外は良い。あとSCOOP ON SOMEBODYというグループもちょっと気になっていて、今彼らの過去のシングルコレクションを聞いている。
「美形芸能人NO.1」NHKの某語学番組のアシスタント浅沼裕美、ズバリ「エキゾチック」という表現はこの人のためといって過言でない、美形です。見とれて肝心の内容が上の空になってしまうのが欠点というか難点。あと、秋の番組改変で消えてしまう前の日テレ夜11ごろのニュース「きょうの出来事」のアナウンサー小野寺麻里。今はどこに出ているのだろうか、寂しい。
「ちょっと自慢NO.1」このサイト(それも裏サイトの方)が秋に1万ヒットを達成したこと。また、逆に表側が<堀口家>で検索をかけると(ex,yahoo)トップに表示されること。思えば4年少々かかってだから、亀に似た歩みではある。偏った内容なのによくもまあこれだけ、というのが正直な感想だ。
「ちょっと自慢NO.2」解剖学者の養老孟司には私を含め少なからぬコアな読者がいたのだろうが、今年ここまで大ブレークするとは驚きである。知人何人かに「バカの壁」を勧めたのはベストセラーになる直前だったのはちょっと自慢したい。
「一番めでたいこと」スバルレガシーがカー・オヴ・ディ・イヤーに選ばれたのは喜びと同時に驚きでもあった。何で今頃,と思わないでもない。しかしある意味、人間だって地味でも愚直に信じた道を行けば人はいつか認めてくれる、そういうことを示したいと誰かが考えたのだろう、そんな気がする。そういえばインプレッサがWRCでドライバーズタイトルを取った年でもあった。

今日の苦情  「顧客満足とは」03.12
昨今のはやりのマーケティング用語で、カスタマーサティスファクションなどともいう。しかしこの考え方はまだまだ 定着していないと思う。以前に、「何故スキー場にBGMを流すのか」という疑問を書いたことがある。つまりスキーを しに来ている客にとって、聞きたくもないかもしれない音楽を延々流されるのは苦痛なのではないか、と。しかしスキー 場は途中でゲレンデから引き上げられることができ、結果、音楽を聞かなくてすむこともあろう。この間、私は逃げ場のない最悪のケースに 遭遇してしまった。場所は岩手県、宮古から 盛岡行きの岩手県北バス車中の2時間10数分、見たくも聞きたくもないTV番組を、行きと帰りの往復で見せられてしまった。放映内容は 確か国会中継が往きで帰りがなんかのワイドショーだったように思う。その手の番組が好きな人には退屈しのぎでよかったの だろうが、興味のない私にはたまらない。眠りることもできず、読書もままならず。しかも電波状態が悪いのだろう、雑音が ひどかった。おそらく運転手の好意と言うか善意なのだろうが、乗客に対する配慮が不足しているというか、想像力がない (TVを嫌う人がいるなどとは思いもつかない)のだろう。もちろん、苦情を言ってスイッチを切るなりボリュームを下げてもらう ことも考えられるが、ハンドルを握っている人(=命を預けている人)に物申すのは勇気がいることである。私にはできなかった。 そういえば約10年前、博多発湯布院行きの特別列車「ゆふいんの森」号に乗ったときも、BGMが延々流されたので(しかもカセット テープが絶対に間延びしていたはず)車掌にクレームをつけたことがある。この時も車掌は他の客からは申し入れなしとして 、私の要望を断固拒否したのであった。今も「ゆふいんの森」号車中ではふらついた音楽?のようなものが流れているのだろうか?

今日の結論  「デジカメはまだ替えない。」 03.11 
02年8月の本コラムに「(良い)デジカメが欲しい。」と書いておきながら、今日は逆のコメントである。リコーのG4ワイドという機種がつい先月くらいに発売されて、私の理想とするコンパクトでかつ広角撮影が可能な機種がやっと出現したにもかかわらず、当時とは気持が変わってしまった。理由1.やはりフィルムカメラの方が画質が良い。プロ用は別として、現在のデジカメは如何にそこに追いつけるのかをまだ競っているのである。理由2.印刷が結構面倒くさい。PCを立ち上げソフトを起動し画質を選び・・という作業はモノグサな私にはかったるい。もっとも専用プリンタを買えばいいのだろうが、別に1台というのも勿体ない。理由3.現像コストが決して安くない。例えば印画紙が高すぎる。確か1枚あたり30円ぐらいではなかったか。サードパーティの会社にがんばってもらって、せめて1枚10円ぐらいでないと使えない。それにプリンタカートリッジのコストもある。その他の理由として我が家 にはスキャナーもあるので、HPに写真をアップするのも簡単にできるし、前にも書いた通り数年前の35万!画素の古いデジカメが健在なので、取り敢えず1枚ってのも可能。さらにさらにいざ、となればデジカメがこれだけ普及すると、どうしてもデジカメでなければという場合(そんなんあるか?)簡単に借りられる。ということで、すくなくとも我が家では買い替えは当分先である。
といいつつ04年5月カシオEX−M2を買ってしまった。これには訳があって、ということで詳しくはまた・・・

今日の実感  「ケータイはいらない。」 03.11
ますます普及率が高まって、一家に1台から一人1台にもうすぐなるらしい携帯電話。しかも、もはや単なる「持ち運びができる電話機」という域を越えて、「ケータイ」と表わすのがふさわしい別物へと変化しているのでは ないだろうか。ハード及びソフトメーカーも次々と新しい機能を盛り込んだり、ユニークな使い方を開発している。こうなると、どんな電気製品についても言えることだが、使いこなせないという人々が出てきて、そこを突いたのが TU−KAのコマーシャル(松本人志起用の通話重視を訴える内容のもの)だろう。ところで、我が家では所有しているのは娘一人である。私も配偶者も必要を感じないからである。(もっともサラリーマンたる私は会社より貸与 されているが、それは当然業務用としてである。)配偶者はパートタイマーでもあるのだが、連絡を取るのは家か勤務先でほぼ可能である。単身赴任で外出が多い私についての彼女からの連絡は、原則的にオフィスか寮の自室の 固定!電話宛てがほとんどである。緊急だからと会社のケータイにかけてきたケースはほとんどない。もちろんこれは幸いなことに、そういう事態にならなかったということもある。つまり私見ではケータイというのは緊急時の ための「保険」といっていいのだろう。とすれば、非常時は連絡が取れずともやむをえないという覚悟さえあればケータイを持つ必要はない(災害時はむしろ公衆電話がつながり易いということも聞いた。)過去の経験からしても、 旅行時にはケータイがあればと思うこともあったが、これもレンタルで済むことだった。本人の希望と親馬鹿な配慮から娘にはこの春からケータイを認めたが、それで我が家は十分だと、今も思う。通話以外のケータイの機能は PC等で十分なのは言わずもがなである。

今日のショッピング 「幻のビデオカメラ」 03.10
買って丸9年になろうとする京セラブランド(ソニーOEM)の8ミリビデオカメラが遂に寿命を迎えた。正確には何回目かの故障なので直せば済む話だが、修理見積りをしてもらったところ、3万円弱ということなので、修理をあきらめたということなのだ。さてそれからが驚きの連続であった。何と8ミリタイプの現行商品はソニー1機種のみ、それもモノラルなのである。その機種は確かに手頃の価格(4万弱)ではあるが、モノラルでは過去に取り溜めたテープの、例えば、娘の発表会の部分についてなどは再生して不満を感じるだろうと思われた。そこで現代において頼みの綱はインターネット!!どこかにデッドストックがあるに違いないと睨みをつけた訳である。ところがネットサーフィンしてみてまたまたビックリ!見事に完売、品切れの文字にばかり行き 当たる。(ちなみに狙いをつけた機種はDCR−TRV240K、これはアナログ8ミリと互換性のあるデジタルビデオで、夏ごろまでは販売されていたタイプ)途方に暮れたころにふと見つけたソニーショップの看板、ダメモトで飛び込んでみたらソニー福島工場の工場売店ショップに1台展示品があるとのこと(それも何ヶ月か不動の品)。そこで即決すればそれで終わった話なのだが、優柔不断の私としては「一晩考えさせてくれ。」実は別のルートにも声をかけていたので、その情報を確認してみてからと思ったのが結果的には間違い。翌々日に電話してみると、「すいません、福島の方で売れちゃいました。押さえておかなかったもので・・」とのこと。ほんまかいな。「こりゃあもう あきらめてヤフオクあたりの中古8ミリにするかなあ、でも故障したってクレームお断りだもんなあ」と考え、ハードオフはどうかと1軒目に行くも8ミリは在庫なく、そこにあった他店舗3軒に電話するも同様。万事休す、としばらく考えあぐねた結果、何気なく修理見積りから戻って来て以来ほったらかしの、例のビデオカメラにコードをつないで動かしてみる。やや、動くぞ!!もしかしてと一晩フル充電してみれば、バッテリーでもバッチリ。 なんじゃこりゃ!!「基盤不良で2万9千円」はどうなった!!!確かに本体が8ミリカセットを受け付けない、という今回の状態になった時は充電量が減っていた時ではあったのだが・・・ということでしばらく使おう。でも念の ため良い代替品を用意しておかなくては。なんせDVにダビングすると、一本1500円くらい取られる由。家には過去のテープが20本くらいあるのだから、しばらく8ミリフォーマットは大事にしたい。今のDVにしたところで あと数年の命だと踏んでいるからである。

今日の願望  「漫画、劇画の批評媒体があるべきだ。」 03,10
今週NHKの衛星放送でまた「BS漫画夜話」を放送している。これは私の好きな番組の一つで、要するに漫画もしくは劇画(以下マンガ)の評論番組である。深夜に放映されるときはビデオで録画していたほどだった。「また」というのは不定期に放送されるからであり、できれば定期化してもらいたいくらいである。考えて見れば、小説や俳句、短歌といった文芸については新聞の文芸欄で批評されるし映画やオペラ、舞台なども新聞にはほぼ定期的に取り上げられれていると思うのに、これらより遥かに対象人口が多いはずのマンガ を紹介・批評する(専門紙・誌ではない)マス媒体が、何故ないのだろうか。確かに大昔はマンガは子どももしくは学生・若者向けのものとされた時代もあった。しかし今はそんな頃ではないのはいうまでもない。いやそれどころかマンガ本は日本の代表的な文化とされて、海外にもアニメ映画とともに紹介いや立派な産業として輸出され外貨を稼いでるのはよく知られよう。マンガは一時はCOMICの訳語を与えられ、海外のコミックスと同一視されたこともあったが、その独特の内容的深さ、表現内容や手法の多様性等が評価され、今は GRAPHIC NOVELと翻訳されることが多いとのことである。紙媒体に静止画と文字の組み合わせで表現されるメディアとしてのマンガ。私などは 感動のあまりしばらくそのページを見つめ続けることさえある媒体。個人的に 残念なのはここ数年私がマンガを読むチャンスが減っている、言い換えれば読む環境がなくなっている、具体的には、以前ほど喫茶店にはいる機会がないこと、及び周囲に貸してくれる友人がいなくなっていること等である。これはマンガが書き下ろしという形で出版されることがなく、まず週刊・月刊雑誌等で発表されるという媒体の性質上やむをえないことだろう。だからこそ優れた作品を一般に正しく評価し紹介してもらいたい、そういう場を設けて欲しいと切に望むものである。

今日の箴言  「リアリストはロマンチストである。」 03.9
自分は冷静な現実主義者あるいは合理主義者かな、と思う。ありとあらゆる、自分の頭の中で考えられうる事態を想定し、過去の事例を振り返り、他人の意見を聞き、さまざまなメディアでデータを調べる。その上で、一時の感情や雰囲気などに流されずに的確な判断を下し、行動に移す、そういう人間でありたいと努めている。その結果他人にはクールとか冷たい、はたまた妥協しやすいとか中途半端だとかという印象を与えている、そんな人が結構いるのではないだろうか。しかし私見によれば、徹底した現実主義者あるいは合理主義者は常に100%を追い求める完全主義、理想主義の人であり、ある意味ロマンティストでもある。つまり完璧主義者には、100%のものでなければ、99%も50%も100に満たないという点では等価であり、同意である。理想には極力近いのが好ましいにちがいないが、そこに到達するのが当面無理とあらば、折り合いをつけることにためらいがなく、そのため妥協することに対しても、抵抗どころか、挫折感や敗北感もない。まずは理想に一歩近づくこと、大事なのは0よりは10、10よりは20進むことであって、100に到達するのに時間がかかるのは覚悟の上である。しかもロマンティストの追い求めるロマンは多岐に渡って、実現に要するエネルギーも半端ではない。周囲から見ればドンキホーテのような人物、あるいは「夢見る夢子さん」に見えることだろう。ひょっとして、まさか、もしかして、万が一、小泉純一郎もそんな人?よもやそんなことはあるまいと思うが。いやこれはつまらぬ冗談であった。

今日の欲しいモノNO.6  「半袖ワイシャツ」 03.9
ちょうど4年前の<99・9 今日の欲しいモノ「カメラ」、「洋服」>にも書いたことを、またぞろ書かねばならない。それは衣服のこと、具体的にいうと、ネクタイをする時に着る半袖のシャツである。そんなものいくらでもあるのにと、お考えの向きも居て当然だろう。が、私の欲しいのは公共輸送機関関係者、早い話が飛行機のパイロットやスチュワード、はたまたJRや私鉄の運転手、乗務員等々が着用しているアレである。といってちっとも「早い話」でなかった。ディテールを記せば、ごく普通の半袖ワイシャツにポケットが二つ両胸に付いていおり、できれば肩章があるとよく、但し素材は綿100%が望ましい。こう書いてみればなあんだ、の話である。が、デパート、シャツ専門店にお出かけあれ。つい10年前には当たり前のように見られたデザインの、それらは今どこにもない(私自身が体験している。)残暑がぶり返した今日この頃、現代のサラリーマンに最もふさわしい服装だと思う。(理由について詳しくは<01.8今日の主張「議員の服装に未来を問う。」>をお読みください。)
 前回の「欲しいモノ」の繰り返しになるのが残念であるが、流行にはあまり左右されないはずの男性の服装が 何かに一辺倒になるのは遺憾である。ここまで書いてフト思いついた。制服専門店というのがあるようだ、そこを探して行ってみよう。確かワークマン?とかいう名前ではなかったか?変なネーミングの店だがやむをえまい。

今日の寸評 「万景峰号」  03.8
「大山鳴動鼠一匹」と言っていいのか悪いのかよくわからないが、とにかく入港して出港したのだから一段落なのだろう。他にも連絡船はあるらしいが、この船が一つのシンボルになっているらしい。民間レベルの交流のためだとか渡航者の人権は守られるべきだと入港に賛成する意見。あるいは拉致が解決するまでは制裁の一環として、はたまた麻薬が持ち込まれるとか、逆に兵器に転用されるような部品が流出するとして反対する人々がいる。私は万景峰号の入港は認めるべきだと思う。この船の存在は北朝鮮との一つの太いパイプだと思うからである。外交は交渉、駆け引きである。いろいろな形でコミュネケーションを図るべきであると考える。強腰で強行策を取るばかりで効果があるのだろうか。適切な比喩ではないかもしれないが、ハイジャック犯人との交渉を想像してみてもらいたい。強攻策をちらつかせながら、一方で、食料他の犯人の要求も聞き入れている。交渉のパイプは、種類が多い方が多様な手段が取れて良いのでないだろうか。敢えて選択の幅を狭めることはないと思う。心配されるような品々の出入りは監視体制を強化すれば防げるのではないだろうか。(今までおざなりだったとすればそれはそれで妙だが。)

今日の迷言 「地球から考える、子宮から考える。」 03.8
昔、まだ新入社員だったころ「男は地球から考え、女は子宮から考える」といって女性陣から顰蹙を買ったことがある。若気の至りというか思慮のなさというべきか、要するに男は大所高所から思慮をめぐらすのに対し、女は浅知恵だとか言いたかったのだろう。あるいは女にもてないひがみだったのかもしれない。が、今思い起こしてみると「子宮からの発想」いわば肉体的感覚は否定すべきものではない。いや現代人は「人間は動物なのであり、子宮は地球に依存している」とも思うべきではないかとか、最近考えるようになった。メディアからの情報が溢れる今日、それらを通していっぱしの知識人になったかのように錯覚したり、あるいは単なるコンピュータシミュレーションで実際の場合の可否が判断できるなどと思い込むような状況に、我々は陥っていないだろうか。左脳で、あらゆるデータを収集、駆使し、マクロの立場から論理的かつ合理的な判断を下すことは、確かに必要である。しかし忘れてならないのは、所詮今の科学技術で集められる情報は自然界の100%を網羅しているわけではなく、そのすべてを説明、解決できる理論も現在ない。既存の事例、過去の事実に基づいて判断しているに過ぎない。例えば、右脳で感ずるといわれる「気」や気配のすべてが、今の科学で解明できないからといって存在しないことにはならないだろう。何故なら,皮膚感覚(肉体で感じる、「気」がする)が存在するということは否定できないからだ。このことは科学や学問の世界にとどまらない。政治の世界において核武装やら戦争責任についての発言は、人を殺す(例えばナイフの刺し応え)ことの感触や、殺される傷み(例えば爆弾火災の熱さ)に思いを馳せながら、行なわれるべきではないだろうか。「他人事」感覚で理屈として、軽々しく論ぜられることが多くはないか。明日はわが身ではないか。歴史に学ぶことは歴史を繰り返さないことでもあると思う。

今日の問い 「三つの<なんでだろー>」 03.7
1.総選挙が近いらしい。選挙といえば候補者のスタイルが気になる。特に不思議なのは揃いも揃って手にはめる白い手袋である。あれは一体何の意味があるだろうか?確かに目立つのは間違いないが、手袋をしなくてもタスキを肩にかけているのだから見誤ることはないだろうに。ではタスキもなく手袋をしないと候補者に見えない人とはどういう存在なのかとも思ってしまう。それだけ知名度もなく地味な人ということか。が、それはそれで好感度が高い気もするのだが(もちろん、演説に説得力がある場合だが。)
2、で、車(この場合選挙カーに限らない)に書かれる文字のことである。今年2003年と21世紀にはいっても相変わらず、車の先頭から文字を読ませるものが結構街を走っている。つまり運転先側のサイドでは右から左に流れるものである。戦後生まれが大多数を占める今現在、「車の先頭から文字を読ませる」などというポリシー?はいい加減止めてもどこからも文句は来ないと思うのだが、何へのこだわりか不思議である。
3、これもしょーもないといえばそれだけの話。栃木県のHONDAのサーキットはなぜツインリン「ク」モテギというのだろうか。英語表記はTWIN RING MOTEGIで、命名の由来は二つのサーキットコースが指輪のように存在するから、と聞いたことがある。単なるミスとは思えないが、何故なのか?電話して聞いてみればすむ話ではあるのだが。

今日の文句「民間企業を悪者扱いするな。」 03.7
小泉構造改革構想の一環として、地方活性化のためのいわゆる「特区」造りは、尻すぼみになりそうである。やはり中央官僚の抵抗は根強いのだろう。特に農業、教育、医療、といった許認可項目が多そうな分野で、特にその傾向が目立つようだ。しかしある大臣のコメントのなかに気になるものがあった。いわく「民間企業は営利を目的とする主体であるゆえ、国民の生命に直結するこの領域にはタッチさせない云々。」一体いつからこの国は社会主義になったのか。驚くべき「お上」発想である。大体現代社会において民間企業の存在なくして、例えば我々の衣食住の生産・流通・管理等どれ一つとして成立しえない。また例え利益の追求が企業の本来の目的であるにせよ、その過程において、この情報社会においては、非合法振る舞いは許されないし(独禁法、公取の存在を想起せよ)、万一そのような企業は厳しい競争化において生き残れないことは、先だっての雪印を見れば明らかであろう。仮に違法な行為でなくとも、イメージダウン→ブランド失墜というのも企業は恐れて、その行動は慎重である。逆に、JA等の組合、学校法人、病院、はたまた宗教法人等の非営利団体の不祥事こそ枚挙に暇がない。さらには、第三セクターの惨めな実態もいくつかは周知の事実である。聞くところによれば、海外においては水道事業や、極端な例では刑務所すら民間企業が運営しているそうである。民間企業のやり方がすべて正しいというわけではないが、限られた地域でのみならずただ一つの分野の例外もなく、すべて公的法人のみで業務を行なうというのは民間蔑視ではないだろうか。一民間企業のサラリーマンとしてとても黙っていられない

今日の考察 「工業製品における目的と手段について」  03.6
今日、レガシーの試乗会にお台場まで行き、B4のターボとNAモデルの2車種に試乗できた。両方ともオートマにしか乗れなかったのは残念であったが、今回のモデルチェンジが、いろんなメディアにおいて賞賛されている訳が体感できた。特にデザインが良くなり、新たなファン層を獲得するのではないだろうか。もっとも古くからのスバリストといわれる人たちの一部は、カッコ悪いからこそスバルだなどと極論する人もいるようだが。確実に賛否両論ありそうなのは排気音である。今回排気管の設計変更で、俗にスバルサウンドと称されるものがマフラーからほぼ聞こえなくなってしまっているのだ。かつてはエキパイが不等長であるからこそ「脈動効果」により、若干騒音の問題はあるが、排気効率が上がり、吸気の引きが良くなるとの説明を聞いたことがある。今回の説明では、排気効率を一層向上させながら、音の問題も改善させたとのことであった。それが間違いでないのならば、静かになったこと自体は喜ぶべきことではないか。とかくスバルといえば水平対抗エンジンと4輪駆動というメカニズムが取り上げられることが多い。しかしスバルというクルマの本質は「より良いクルマ」に、という目的が(少なくともかっては)採算を軽視しても、体現化されていることにあり、フラット4や四駆はあくまでその「手段」でしかないと、私は思っている。故にレガシーが万一将来水平対抗でなくなったとしても、それはそれで大いに期待できるものではないかと思う(但し富士重工という企業の経営姿勢が激変しない前提で。)
 余談であるが、スペックにおいて劣っていても、結果としての製品が素晴らしいもの、あるいは逆に優秀なメカでありながら優れた性能が実現されてないといったことがありがちな工業製品は他にもないでろうか。例えばバイク、カメラ、オーディオ、楽器等々。モノ選びの難しさが想起される。

今日の話題 「音楽ネタふたつ」 03.6
今回は別ページでCDについて更新したので、その関連ネタを書こう。 1、 今売れ筋のCDにはコンピもの(ベストあるいは企画編集モノ)が必ずはいっているようだ。不況時には、「知っている曲がはいっている」とか「役に立つ」といったお得感が求められているのだろう。そこで私が考えた新企画を一発。ズバリ「別れ」シリーズ、である。カラオケボックスで歌本をめくって見ると、頭に別れのタイトルのついた曲がやたら多い。つまり別れのシチュエーションが歌の題材になりやすいのだろうし、また実際にカラオケで歌を歌う機会も送別会など良くある訳だ。そこで余多あるであろう別れの曲を、古今東西のシリーズ化するのはどうだろうか?例えば「別れの歌、演歌編」、「別れの歌、フォーク編」、「別れの歌、J−POP編」、もちろん、海外のロック・ポップス編もあってよい。数が足りなくなる恐れが万一ある時は「別れ、GOOD−BYE」などを、タイトルでなくても、歌詞にはいっているかどうか検索すればいくらでもありそうな気がする。ちなみに今ヒット中の森山直太郎の「さくら」も別れがテーマである。
2.ロシアの女性デュオt.A.T.u.をご存知だろうか。今、洋楽としては珍しく日本のチャートでも上位ランキングにいる。曲は聴きやすいポップスなのだが、ここでの話題は音楽面ではなくそのファッションである。高校生という年齢もあるのかもしれないが、白のブラウスにネクタイ、チェックの超ミニスカートとほとんど日本の女子高生の格好といっていい。(そういえばビデオ収録に高校生エキストラを動員したとニュースネタになった。)街角で見かける能天気な同胞とロシアの跳んでるオネーチャンが、今や空間を越えた共時性を示しているということなのだろうか。オヤジよりロシアの高校生との方が話が通じると内の娘も思っている、などと言うのは考えすぎだろうか?

今日の推察 「住みよい街」 03.5
仙台赴任以来初めて、台原森林公園に行ってきた。寮からはそう遠くないところで、前から行ってみたいとは思っていたが何となくチャンスがなく、今日になった。「素晴らしい」としか形容出来ないのが情けないほど、良い。広々とした森の中に、ジョギングコース、フィールドアスレチック施設、野外音楽堂に加え、「森林公園」だからもちろん小池や噴水、あずまやなども整っている。私の一押しはジョギングコースで、実はこのコース、自転車でも走れるのだ。適度なアップダウンのルートを、森林浴しながらペダルを漕ぐのは実に爽快だった。こういう経験ができるのは、たいてい、車で自転車を運んで何時間かドライブしてから、と思い込んでいた私には感動ものでさえあった。惜しむらくは距離は少し短いことだが、アクセスの良さ、おまけに無料!なのだから文句は言えまい。それにしてもこの場所は仙台中心から地下鉄で4、5駅、わずか10分前後である。こういう自然環境と東北一番の経済規模を両立させているのだから、ここを永住の地と定めてしまう、他県出身者がいるのも肯ける。いつも思うが仙台のように100万人位の都市が一番住み良いのだろう。これは札幌、広島、福岡の3市(仙台含めば4市)の居住経験者(=私)が言うのだから間違いない。結果、北海道、東北、中国、九州それぞれのエリアで、以上4市に人口が集中するのは無理からぬ事のように感じられた。

今日の推薦  「銭形金太郎」 03。05
人は本性として覗き趣味がある、と思う。そこにつけこんだと言って言い過ぎでないのが朝のワイドショーだろう。これとは別の切り口で視聴者の興味を引くのが、テレビ朝日系列の木曜夜11時15分からの30分番組「銭形金太郎」 だ。一言で説明すると、若手芸人がレポーターになって一般人の貧乏暮らしを紹介する番組である。私も見始めた頃は半ば覗き趣味でリモコンを合わせていたのだが、その内ハマッてしまった。何が面白いかといって他人様の暮らしぶりを垣間見ることそれ自体確かに面白いが、それ以上のものがあるからだ。キーワードとしての「貧乏」が「貧乏」というよりもむしろ「ビンボー」と呼ぶべきものになっているケースがほとんどだからである。月収が番組中で紹介されるが、中には10万以上を取る者もおり、家賃を考えれば決して窮乏を強いられる生活にはならないだろう。なのに何故耐乏生活を送っているのか。それは支出内容のためである。衣食住といった生活上の基本的支出以外に趣味のための費用や、月謝等にかける部分が大きなパーセンテージを占めているからである。つまり俳優になるとか、映画作りを目指すとか、いわば一つの思いを成し遂げんがために苦しい生活をしている訳で、一様に暗さは見られない。そのためか出演者の年齢や性別も思いのほか多様である。TV画面を見ていると、つい学生時代を思い出し、就職などせずあのまま暮らしていたらと、一瞬頭がフラッシュバックしてしまう。また主演者のビンボー暮らしの知恵の数々も、さして役立つとも思えぬもののユーモラスであり、そこにツッコミを入れる若手芸人との掛け合いも楽しい。立派なエンタテインメントになっており、「ヨネスケの突撃晩ごはん」とは違うと思う。

今日の新説 「なぜ洋楽の人気が低下したか」 03.4
日本において、なぜ以前ほど英米の曲がはやらなくなったのだろうか。海外の音楽シーンの影響力が低下したのではないと思う。ズバリ、結論を言おう、英米のヒット曲の内容が変わった、つまり、良いメロディーの曲が作られなくなったからである。言い換えれば、メロディーが良い=記憶に残る=鼻歌に出る=メディアを買おう、という図式が成立しなくなったからである。例えば先週のアメリカのビルボードを見てみると、ヒップホップと分類される、メロディーが聞き取りにくい、リズムが強調される曲がトップ10中の6曲を占めている。元来「日本人好みの」などという表現がなどと楽曲を表現することばがあった。私見によればこれはスロー〜ミディアムテンポの、メロディーがきれいで覚えやすい、特にバラードを指す言葉ではなかったろうか。その隙間を埋めるかのように、いわゆるJ−POPがメロディアスな曲調かつサウンドは海外の流行を取り入れた形で、メディアに溢れた結果、海外勢を駆逐したというのが実情だろう。大体、英語は強弱のリズムの言語で、日本語は音の高低が特徴的な言語とは定説のようで、ポピュラーソング(=流行歌)が作者や聴き手の母語に大きく影響されるのは当然だろう。現在の英米のヒット曲が日本人好みでなくなったということである。もちろんドラゴンアッシュ等日本人による日本製ヒップホップやラップも国内チャートを賑わしたが、大勢にはなりえず、また長続きもしないものと思われる。

今日の言葉 「S,A.R.S.」 03.4
severe acute respiratory syndrome の略が これと知ったのはつい最近である。思えば acquired immune deficiency syndrome がエイズの略称として有名?になったのもそう遠いことではない。が果たして今でも新聞に記事になったとき正式名称も表記されるだろうかと、ふと思った。なぜかといえば、時々英字新聞を読んで気づくことに、団体などの正式呼称の記載に相当こだわっているのではないかということである。NATOは当然として、国連は United Nations, IBMは International Business Machines という具合に常識のある成人なら知っていて当たり前というような名称にも必ずといっていいほど正式名を先に書いている。翻って我が日本語メディアで、例えば東日本旅客鉄道<株>(JR東日本)とか日本労働組合総連合会(連合)などということを記載された記事は、あまり 見ない。では、こういった英語におけるネーミングへのこだわりとは何に起因するのかと思う。西洋人は契約書など細かいことにウルサイなどという俗論も片方であるが、なにゆえであろうか。一方我が民族は、日本人論にありがちな表現をもってすれば、「くどさ」を嫌い、あえて言挙げせず、単純な言い回しを好む傾向の現れということなのだろうか。

今日の時評 「イラク攻撃」03.3
時節柄イラク問題にいつか触れねばならないと思っていたが、遂にアメリカ他3国の攻撃が開始された。国連勧告への違反だからといって各国の同意も得ずに、いきなり軍事攻撃という米英豪こそ国連憲章に違反しているのではなかろうか。それゆえ、その3国にこそ湾岸紛争のときのイラクに対するように制裁措置を取るべきなどと思ったりしてしまう。具体的証拠もなしでテロの仮想支援国攻撃=自国防衛という論理はどうみても無理があると思う。それにしてもそういう無理なこじつけを支持せざるを得ないという「苦渋の選択」を強いられて、支援をする羽目になる所以の、日米安保条約というのも再考すべきなのだろうか。要するに朝鮮問題が起きる前に保険をかけるということなのだろう。しかしこの理屈、「あんさんには何の恨みもございませんが、渡世の義理というヤツで・・・」というヤクザの口上に似ていないだろうか。いっそ日米安保を廃棄をして、北朝鮮のミサイル等の攻撃に対応できるだけの自前の兵器、防衛体制を整える方が筋という気もする。しかし我が国にそれだけの覚悟があるのだろうか。それにしてもテレビのニュースで多くのイラク人が爆撃の犠牲になるのを座して見ている私、というのは一体何なのだろう。

今日の推薦図書「スバルは何を創ったか」 03.3
先月発売の上記(影山夙著、山海堂刊、2800円)はスバリストのみならず車に関心のある人必読の書である。これまで幾たびか、さまざまな媒体でスバルの車作りの歴史について語られて来たと思うが、本書はその集大成といって良い。360、1000以外の試作車やそれらを生み出した基本技術の数々が貴重な写真や資料と共に記載されている。一読すれば、レガシー、インプレッサのルーツであるに留まらず、例えば、中小型乗用車のほぼ大半である前輪駆動車の先祖はここにありと、改めて確認できるだろう。当時の内外の他車にも触れられているので、改めてスバルの先進性が実感できる。本書の性格上立ち読みは無理かと思われるので、速やかにオンライン発注すべし。

今日の不思議 「小ネタ三つ」 03.2
1.時々駅で演説をする政党関係者がいるが、この冬の最中にコートなしでがんばっている。が、あれはやせ我慢にちがいなく、さもなくばハイテクスポーツ下着を着込んでいるかカイロを身に巻いているのだろう。しかしそうまでしてコートを着ないのは何故?コートを来たからといって失礼になるなどと思うのは勘違いではないか。(余談だが葬儀などでもコートなしでの参列などは日本だけの風習ではないかと思う。)そんなことを我慢するくらいなら、業者の賄賂に負けるな。それにしても、この風習は不思議だ。
2.バスケットボールで有名(だと思う)「シャンソン化粧品」は本当に化粧品で商売をしているのだろうか。寡聞にしてどこかで売っているとか使っているとか話を聞いたことがないし、一度もスーパーやデパート、はたまた通販の広告でも見たことがない。でもバスケットボールのチームが持てるほどの会社(らしい)というのが不思議だ。
3、TVのニュースやドキュメンタリーなどで関係者にインタビューする場面がある。すると頻繁に出てくるというか、よく使われる言い方が、「・・・というのが実状(現状)です。」個人的意見でなく客観的事実なら、なぜ「・・・です」でないのか。本当にそんなもってまわった言い方をする必要があるのか不思議だ。

今日の洞察 「30年間」 03.2
誕生日を迎えて、30年前をふと振り返ってみた。あの頃の私にとって2003年はSFの世界に思えたと言っていい。しかし今考えるとそんなに変わっただろうか。例えば衣食住をとってみよう。洋服は確かに73年当時の映像を見ればディテールの古さは否めないものの、ミニとマキシが混在するなど今日の多様性に通ずるものがある。食べ物にしてもインスタントが大いに巾をきかせるようになったものの、「スローフード」の運動など、今その揺り戻しの傾向がある。住宅においてもIT化の傾向はあるとしても劇的に変化した訳ではなく、快適さや省エネ化を追求する点で当時と大いに共通している。家電製品についてもデジタル化により、基本性能が大幅に良くなっているが、まったく夢にも思わぬほどの新たな機能商品、といえるものは少ない。(ビデオは業務用があり家庭用の発売が報道されていたし、ケータイはポケベルの発展系といえるし、FAXも結構知られていた。)強いて、当時には考えられもしなかったものといえばパソコンの普及とメールでのコミュニケーションくらいだろうか。とはいえ相変わらず新聞を取り、TVで一喜一憂だとか、年賀状のやり取りをしているという私の生活は、30年前の頃と全く同じである。もしかして、さらにさかのぼって1943年を1973年時点で、私と同年齢の人が振り返っても同じことを考えたかもしれない、と今思った。アマツチノシタニアラタシキコトハナシ、とはこういうことをいうのかと思った。

今日の告白 「私相撲の味方です。」 03.1
とうとう朝青龍が優勝した。喜ばしいと思う。といっても特に朝青龍のファンという訳ではなく、彼のような取り口(スピーディーな技能派)が好きなのである。思えば小学生のころは相撲が好きで、全力士の名前と顔を覚えていたと思う。そして当時は朝青龍タイプのような力士が結構多かったように記憶している(ここで当時のいわゆる技能派力士の名前が、スラスラ出てこないのは誠に残念だ。)ところがいつの頃か力士の大型化のせいもあろうが、取り組みが単調になったようで、決まり手も押し出しや寄り切りばかりになったような気がする。特にウッチャリがほとんど見られなくなったようだ。そのことも相撲人気の低落につながったのだろうか。ところでかっての若貴ブームは何だったのか。若乃花は注目すべき成績をあげず短命な横綱に終わってしまった。貴乃花は成績は良かったものの常にスキャンダルに見舞われた。ジャーナリズムの食い物にされたということなのだろうか。そこへ目出度くもニューヒーローの誕生である。考えて見れば、相撲は体重でクラス分けしない唯一といってよい格闘技である。「柔よく剛を制す」という言葉を柔道から奪ってしまった潔い スポーツだ。「大型化」も「技巧派」も海外からというのは皮肉だが、是非第二、第三の朝青龍の出現を期待したい。

今日の偶感 「長寿の品々」 03.1
私は物持ちがいい方ではないかと思う。このサイトをよく読まれる方はお気付きかもしれないが古いものをしつこく持ち続けている。中古車を18年、オーディオではスピーカーが一番古くて24年、次がチューナーとレコードプレーヤー!で20年使いつづけており、一眼レフは3年前買い替えるまで18年半愛用し、バイクも同様初代を19年乗りつづけた等々。甚だしきは衣服でセーターなどは高校生時代のものを極まれに着るし、ウールのオーバーは今24歳で完全な現役でいる。以上のことが示すのは、私がモノを余り買わない、正確には安易に買い増しをせずに先々を考えて買うということではないかと思う。つまり私が買い物をする時は、何かの寿命が尽きてそれを補う時がほとんどだということである。時間をさかのぼれば何時頃からか、自分の頭の中に必要物リストが出来上がっていて、私の消費生活はそこを単純に埋めてきただけなのだろう。自慢になるがタンスの肥やしやバザーに出したいものがない。こんな暮らしがこれからの世の中に必要かと思うのだが、詳しくは改めて以下をまたお読み下さい。
<01.3 今日の試論2 「賃借、所有、収集 その2」、01.2  今日の試論 「賃借、所有、収集」>

今年のエンタテインメントを振り返る。 02.12
SINGER OF THE YEAR
「元ちとせ」人間の声は最高の楽器であると言われるが、正にその通りと実感させた歌声であった。末永く活躍して欲しい。次点として、中島美果の声にも魅了されたことを付記したい。
SINGLE OF THE YEAR
「キラキラ:小田和正」久々の傑作だと思う。いつもながらの透明感のある曲調が朝の目覚まし曲にはピッタリだった。
BEST NEW TV PROGRAMME
「やしがにのウィンク」内村光良と飯島直子をメインに、春頃に始まり、金曜の夜11:30からフジテレビ系列から放映されていたが、半年ほどで中止になってしまい残念である。言ってしまえば、投稿ビデオ番組なのだが、TV関係者等による一分ほどのオリジナル作品が10本流され、ブラック、シュールあるいはエロ、グロと結構マニアックなものだった。復活を望む。
WORST IDOL
「眉毛を剃った山川恵理佳」ストレートな発言が微笑ましかった私の2年前のベストバラドルが、ある日突然そのメークを変えていて驚いた、というよりショックだった。はっきりいって似合わないと思う。彼女のイメージダウンである

今日の新企画 「ニュース番組」 02.12
秋のTV番組の改編も終わってしばらく経ったが、今回もこれといって面白そうなものはなかったようだ。もともとニュース以外はあまり見る機会もないので気付かないだけかもしれないが。しかしニュースについては是非実現して欲しい企画がある。それは極力あらゆる出来事を網羅するニュース番組である。というのも夜11時台のニュースの時間帯に、リモコンで各社ザッピングして気が付くが、局によって、ニュースの取りこぼしがあるからである。例えばスポーツについていうと、ある局ではゴルフの様子を伝えず、あるニュース番組ではJリーグは流さずといった具合だ。恐らく協賛、後援等の営業上の理由もあるのだろう。またタイミング的に遅くて新聞の後になり、TVで取り上げる必要はないと判断される時もあろう。しかしニュース番組の固定客<ニュースはこの時間のコレ、と決めている人>を獲得しようと思うなら、細大漏らさず、例え一日遅れであっても伝えるという方針を取って欲しい。これだけ見てればOK、となれば見逃しそうな時は録画して、あとで見直したいとさえ思うに違いない。営業上の障害は各社バーター等の協定で解決してもらって、何とか実現してもらえないか。タイトルは「オールニュースダイジェスト<これ一本!>」でいかがなものか?ちなみに画面にアナウンサー、キャスター、パーソナリティ等一切不要。原稿をきれいな発音で読めるナレーションさえあればよいから、制作費も安くつくと思う。

今日の異論 「CDが売れない理由について」 02.11
今CDが売れなくなったという。そしてその理由として主に二つあげられており、一つはレンタルCDのダビングの普及、もう一つはインターネット上のデータでの無償のやりとりだとされている。確かに個人的にレンタルショップは大いに利用しているが、だからといって全てレンタルで済ましている訳ではない。私の場合は「試聴」のために借りるというケースが大半である。つまり、購入に値するかどうかのいわば値踏みである。シングルについては来るべきベストアルバムの発売に備えてアルバムは買っても本当に聞きこむか否か判断するのである。私は衝動買いとかいわゆるジャケ買いができない。それに増える一方の枚数を抑制しなければという気もある。もちろん財布のヒモを厳しくしなくてはならないのは、何処も同じだろう。故に「レンタルしてMDやコピーCDがあっても改めて正規の商品CDを購入する」ということが私には良くある。私にとって音源だけでなく、ジャケット、歌詞カード、解説等を含めたパッケージとして手元に置かないと、そのアーティストへの共感を表明した気になれない。大げさに言うとミュージシャンへの支持の意思表示としての商品購入ということであろうか。はすっぱに言えば、お高く留まってると売れないよ、ということなのだろう。

今日の欲しいモノ5 「マウンテンパーカ」 02.11
今年は寒さの訪れが早く、また7月以来東北地区に住み始めたこともあり、コートを着るのが前年より早い。私のコートの内,仕事着ローテーションは3着なのだが、その内一番カジュアルなものを買い換えようと思い立った。それはアシックス製TARAS BOULBA ブランドの、早い話がアメリカ、シェラデザインのコピーモデルのマウンテンパーカである。まず郊外ディスカウント系スポーツ店を2,3まわってみたが、どこも置いていないのに驚いた。ほとんどスノボーウェアばかりで占められ ているのである。これと、パーカ、似ているようで細かい作りや雰囲気が違う。これではならじ登山、アウトドア系ならばと、新しい土地ゆえ電話帳でチェックし、訪問。やっと2店で見つけることができた。が、しかしどちらも純正シェラデザイン1種のみで、かつてのコピーモデルや類似モデルが皆無なのである。あのTARAS BOULBAも今は変身してオリジナルの道を目指しているようだが、私の好みではない。私の求めているのは買ったころ(約13,4年前)のあのシェラデザインに代表されるトラッドなスタイルである。ではシェラを買えばよさそうなものだが、値段がほとんど定価27500円というのが気にくわない。ネットで検索してみたが、好みの色(紺)やサイズ(アメリカS)では出ていない。どうしたものか。 で、ここまで書いたところで横浜に帰省。結局、家の近くのスポーツショップで黒のシェラを税込み13440円で買いました。本当は紺が欲しかったけど安さに負けました、チャンチャン。 

今日のコメント2 「北朝鮮拉致被害者」 02.10
毎日毎日メディアに追い回されている帰国された上記の方々には、お気の毒としかいいようがない。何とか各社ここは日本人お得意の談合とかカルテルで、取材担当者の数を制限したらどうなのか。それにしても、それぞれの郷里の人々の歓迎振りもまた大変なものだ。ふと思うのだが、被害者の皆さんはたまたま大都会に当時住んではいなかったのだが、これがもし東京都民だったらどうだったのだろうかということである。例えば万が一、都民が世田谷あたりで拉致されたとして、そして同じように帰って来たときにも、こんな歓迎騒ぎになっただろうか。そうはならない気がする。まず歓迎しようにも、当時の隣人、学校の同級生がもう世田谷にはいない可能性が高い。地価の上昇率が全然違うので、土地を売ってもっと郊外に引っ越した人が多いのではないか。結果、街の様子の変わりようも地方の比ではない。「暖かく迎えてくれる昔の山河」どころか、面影が全くない可能性が高いのではないだろうか。単に「人情」の問題ではないと思う。 そういえば、マツタケはどうなったのだろうか。外交儀礼として持ち帰ったのはけしからん、という人がいるらしいが、愚か者である。賠償額の一部として受け取ったことにすればよいのだ。そして市場で一番高値の時に売却し、その全額を拉致被害者で平等に分ければよいだけの話である。文句のある方は自分で買い取って、そのマツタケを捨ててから発言してもらいたい。

今日の愚問 「何で食べてるの?」 02.10
一体この人は何で飯を食う、何で稼いでるのかと思うことがある。代表的なのは政治家だろう。もちろん、自民党に代表される、いわゆる保守系は会社顧問とか団体役員とか、怪しげな形で稼いでいるのだろうことはわかる。しかし例えば共産党やら無所属の、いわゆる「革新」とか「進歩派」の人などは生活費はどうしているのか。議員歳費とかを見ると一般サラリーマンより高給取りではあるが、政治活動に伴う出費が相当あるらしいので、それだけでは生活できないのではと思う。(独身だったらどうにかなるのか?)まさか支援者やら後援会はそんなプライベートなところまでは関与しないだろう。政治家以外にも、住民運動リーダーとかボランティア活動に全エネルギーを注いでいる皆様方、個人的には中に本当に頭が下がる気のする方もおられるが、それにしても気になる。御家族の皆さんはどうなさっていらっしゃるのか?そういえばTVの「筋肉番付」のマッチョの人は鉄工所アルバイトとなっていて、良くやるよ、と思ったが、何のことはない、奥さんのお父さんの会社と後でわかって、興醒めしてしまった。

今日の随想 「これには勝てない。」 02.9
この季節、道を歩けば、あちらこちらでキンモクセイが香る。私は全くこの香りに弱い。正確に言えば、一気に気持が学生時代にワープしてしまい、例えば考え事など中断してしまうのである。心ここに在らず、となってしまう。例えのベクトルは違うが、今話題のアザラシのタマちゃんもそれに近い存在ではないだろうか。ニュースに出れば、その前の話題がどんな深刻なテーマであったとしても彼女(彼?)のシーンが映されれば、その愛くるしさで一気に前のシリアスさが吹き飛んでしまう。手っ取り早い視聴率稼ぎは「子供と動物」といわれる所以だろう。そういえば私だってやはり娘に物をねだられたら、(最近会話が少ないので)今は無条件で買い与えそうな気がする。さらにまた話はとんで、平井堅「大きな古時計」である。これまた、いかにもの懐かしソングで、キャッチーである。当然のようにヒットしているが、何かズルイ感じがする。何か松井が筋肉増強剤を使って飛距離アップを図っていたのがバレた、そんなニュアンスを感じる。元々平井がこの曲を自分のルーツのように考えて、どうしても取り上げたかった曲だそうだが。だからといってシングルカットすることはないだろう、と思うのは私だけだろうか?

今日の迷妄 「仙台でのある一日」 02.9
仙台暮らしも早二ヶ月を過ぎようとする某月某日、「仙台市健康増進センター」を訪れた。ここは千円で泳げて風呂に入れ、しかもアスレチックも利用OKという。泳ぐのは1年ぶり以上なので、情けないことに50mも泳ぐと息も絶え絶え、よってすぐ隣の風呂にすぐ一旦退避。ここの風呂は正確には「アクアエリア」といい、かぶり湯ドライサウナミストサウナ高温浴低温浴冷水浴箱蒸し気泡浴うたせ湯渦流浴寝湯圧注浴と、10種類以上もひしめきあっている。但し水着着用が義務なのは、やや残念。とはいえそのためか混浴?!になっている。行ったことはないが、クアハウスと称するものも、こうなのだろうか。それにしても男女仲良くサウナに入るというのも何か妙なものである。ほぼ半裸に近い姿というのは不思議だ、年令身分不詳に見える。既婚未婚主婦OL 大人学生、一瞬、いや目を凝らしても、判断に迷う。女から見た我々はどう見えているのだろうか。ここでふと妄想がよぎる。このまま拉致されて、山奥かなんかに置去りにされたら、はたまた突然四次元ワープして未開の地に送り込まれたとしたら、回りは自分をどう思うのだろう、そして私は自分を正しく説明できるだろうか、、、おやおや、長湯でのぼせてしまったのだろうか。

今日の欲しいモノ4 「デジカメ」 02.8
今更デジカメ?と思われた方もいるかもしれない。もちろん2台目として、である。今持っているのは何と35万画素、出始めの物なので、いい加減買い換えたい訳だ。ところがである、私の望むものがない。これだけいろんなメーカーから数多くの機種が出ているにもかかわらずである。私の条件はそんなに厳しくない。35ミリ銀塩カメラ換算で焦点距離28ミリ以下のもの、あるいは広角レンズ装着で同等のスペックになりうるものであって軽量コンパクトなもの、これだけである。しかし今のところ、ない。一番近いのはニコンクールピクス775、ソニーP50あたり。どちらも広角レンズが付けられるがニコンはそうすると内臓フラッシュが、レンズが邪魔して使えない。ソニーは、それでは軽量コンパクトにはほど遠い(それにもう製造中止?)。大体コンパクトカメラは室内でのスナップあたりに一番良く使われるものではないだろうか。となればワイド&フラッシュ撮影は必然である。メーカーの設計の方には頑張ってもらって、イージーに使えて持ち易い形で是非実現してもらいたいと思う

今日の提唱 「マニュアリズム」 02.8
最近良く聞く言葉に「スローフード」がある。これはいうまでもなくファーストフードを念頭に置いている訳で、いわば「ゆっくり、手間暇かけて食事しよう」ひいては、ゆとりと潤いのある生活をしよう、などというところまで示唆しているのだろう。私はこれに加えて「マニュアリ ズム」なるものを提唱したい。この意味は大げさにいって、反オートマチック主義である。料理はレンジでチンではなく、ガス器具を使うとか、自動ドアではなく回転ドア、オートマ車ではなくマニュアルシフト等々に表されるライフスタイルを指している。パソコン上でこんなことをいうのは矛盾しているとの謗りは免れないかもしれないが、それでも最低限自分で出来ることは極力しよう、という心構えをいうのである。他人の作った物とか仕組みやマニュアル通りではなく、manual labor(手仕事、筋肉労働の意)に努めたいという意味なのである。現代人の生活は24時間ほとんどオートマライフである。回りは自動化された機器に満ちているといってよい。その中で「マニュアリズム」を通すことで改めて真に自分にとって必要な物事が見えるかもしれない。そして今まで肥大する一方のブラックボックス化された生活、エネルギー浪費社会に歯止めがかかるのではないかと思う。

今日の思索 「保守と革新」 02.7
お気付きの方も多いと思うが、私はコレクターである。収集ということ、物を集め保存するということは、当然、集めた物に対する愛情なくしてはありえない。収集物は日毎に古びていく。となれば収集家=コレクター、イコール「結果として」古い物愛好家といって間違いない。しかし、人にもよるが例えば私などは、新しいもの(新製品、新しいシステム等)が嫌いではない。双方が同じように好きでありながら、コレクターでない人より古い物に対する愛情が濃い、と表現すればよいであろうか。手前味噌ではあるが、古い物を大事にするが故、新しい物事に対する眼が厳しい気がする。その意味では保守主義者といえるかもしれない。かつては保守=頑固、古臭い、革新=先進、未来のイメージが強かった。今においても、いや特に閉塞感のある21世紀に入ってからは 特に、軽率に新技術、新形態、新手法に目を奪われ勝ちなようである。しかし科学技術の暴走の抑制、あるいは省資源等の観点からいっても、例えば「温故知新」という言葉は依然有効に思える。今こそ保守主義が見直されるべきではないかと思う。

今日の感動 「自転車は面白い。」 02.7
今月より初の単身赴任ライフを始めた訳だが、お陰でまた新しくハマリそうなものがある。自転車だ。それまでは家族と共用のママチャリに乗っていたのが、一人暮らしとなればそんなのに乗れるかと、スポーツタイプを新規に買ったのである。MTBタイプではなく、細身のタイヤで21段ギア、バーハンドル仕様(本当はドロップハンドルにしようかと思ったが勇気がなかった)、総重量13kgというスペック、走る時には結構きつい前傾姿勢になる。とはいえ所詮自転車、と思って乗ったら何と これが大違いだった。タイヤの細さと軽さのせいとデキのいいミッション!?のせいか、走る走る。住んでるあたりはそこそこアップダウンのあるエリアなのだが、何の苦もなく上る上る。もっと驚くのはブレーキ性能、あまりの効きの良さに、ママチャリの感覚で握ったら、ほとんどスリップしかけたほどだった。はるか昔の高校生のころも似たようなタイプに乗っていたのだが、格段に進歩している気がする。クルマ、バイクに加えて、自転車ツーリングというべきか、サイクリングというか、 近距離といわず遠出もしてみようかとさえ思い始めている。

今日の政談3  「福田康夫と防衛庁を弁護する。」 02.6
新聞の政治面を賑わす二つの話題について、敢えて上記二者を弁護したい。まず福田発言であるが、これは彼の法解釈論ではないのか。当否は別として、法理論の上では核兵器の保有が許されるという福田の解釈を、彼が表明したに過ぎない。政策・方針としてはこれを採らないと言っている以上、この意見が誤りだというのはともかく、発言の撤回を迫るのは筋違いである。大げさにいえば言論・思想の自由を侵害するものだ。政府の一員としての発言として多少軽率かもしれないが、個人的信条を述べる自由は守られなければならない。「物言えば唇寒し」という風潮こそ断固拒否すべきである。さて、防衛庁の情報公開請求者に対する扱いについて。これも私は正当と考える。防衛庁の情報といえば内容によってはわが国の防衛、安全問題に影響を及ぼしかねない。となればスパイ対策も講じられてしかるべきではないか。情報請求者の素性等を確認、チェックし、あるいはそう明言してもよいのではないだろうか。内部の資料として公開しないのならば、外部への牽制としても有効かと 思う

今日の身辺雑記 「私も親バカ」 02.6
私は活字中毒者である。娘まりえも同じく例えば新聞が好きで、朝一で朝日の取り合いをしている。当然、娘に譲るのだが、彼女は済まないと思うのか、重大事件については大声で報告してくれる。私は割合メカに強い方かと思うが、マニュアル派で、まずそれを読んでから操作する。まりえも同様。そして買い与えたミニコンやおさがりのワープロもフルに使いこなす。ちなみに、妻みゆきはビデオデッキでタイマー予約ができないというメカ音痴である。テレビ番組の好みも妻と父子は対照的で、みゆきはNHK好みで、あまりチャンネルを変えないが、我々(こう言えるのは嬉しい)はバラエティ好きということもあり、民放が多く、しかも飽きっぽいのかリモコンですぐ変える。また、まりえの部屋を見ると、きれいに片付いているのは当然として、その整理方法に、ある 「思想」が感じられる。しかるに妻の部屋の整頓法にはそれはなく、取り敢えず」という感は否めない。その他、血液型やアトピー体質とか髪の毛の生え方とか肉体的な共通項も多い。唯一といって良い違いは朝食の好みで、私はパン、まりえはご飯党ということである。

今日の雑感 「鼻の手術その後」02.5
一部の方はご存知のように(年頭にこのサイトでも報じた)私は去年の12月に蓄膿症の手術をした。直後しばらくは「鼻の通りが良くなったなあ」程度であった。そして春の花粉症の時期も「うん、今年は症状が軽いぞ」であった。ところが今になり花粉症の影響から完全に抜けてみて大いに実感することがある。それは嗅覚の飛躍的な向上である。思えばいつ以来であろうか。鼻に異常を感じたころは、鼻づまりと嗅覚の鈍さが悩みであった。とはいえ全く匂わない訳ではなく弱く、また臭いの感じ方が日によって一定しなかった。しかし現在は前の感覚からすると過敏な程である。料理におけるスパイス、紅茶に混ぜられたハーブの香り。あるいはまたオートバイで通過する道々での、刻々と変わる匂い。ああ世界は感動に満ちているなどと、大げさに言ってみたくなる。しかし禍福は糾える縄の如し。満員電車内の整髪料と体臭のまざったもの、あるいは公衆トイレの臭い、はたまた他人の口臭。過去には大して気にならなかったことが、今は違う。もしかして自分も発生源なのでは?新たな悩みの出現である。「無知の幸せ」、そんな言葉があるかどうかは知らないが、あっても不思議ではない、などと思う昨今である。

今日の音楽2 「元ちとせ」02.5
ここ2,3年私の自慢はヒット曲を予言してきたことである。過去、ミーシャ、宇多田ヒカル、椎名林檎のブレークを予感し見事に当たった。そして今回は元ちとせである。01.11の本欄にも書いたが、「元」は私のジャンルでいうと今は「純音楽」「聞き込む音楽」である。声の生々しさが正に捕らえて離さない。歌詞はそれほどのメッセージ性は感じさせないのだが、何といっても圧倒的なのは、声の持つ表現力である。アイドル、J-POPなども私は好んで聞くのだが、明らかにジャンル、世界が違うと思う。「元」には、ただ歌うこと、への強い衝動や欲求、必然性が感じられる。そして当然聞く側にそれらが伝わってくるのだ。もちろん。時間を経るに従い、彼女も普通の芸能人となり、その歌も、やはり01.11で触れたことだが、私の中では「大衆音楽」と して位置づけられる(もちろんそれは否定的な意味ではない)ことになるのかもしれないが、もう少しそのインパクトを持ち続けて、日本の音楽シーンの中でユニークな存在であってほしいなどと、今は願うばかりである

今日は転載 「インターネットとヒットチャ−ト」 02.4
オリジナルはワシントンポストに載った(日付不明)記事が、4/17付けのデイリーヨミウリに転載されたものです。
THE UNIVERSITY OF CONNECTICUT とTHE STATE UNIVERSITY OF NEW YORK のRESEACH TEAM による1991年から2000年にかけてのビルボードのトップ200の分析を行なった。彼らの分析によれば、" the dominance of a few music superstars is decreasing and their hold on music sales is slipping" とのこと。具体的なデータとして、週間アルバムセールスを分析して、年間での新人アーティストの比率が上記9年間に31.5%増加したとしている。特に99年についていうと4人に一人が新人だそうである。同チームの、インターネットの利用とCD購入状況についての別の調査では、これを裏付ける結果を示している。つまり、 ネットからのダウンロードやサンプリングは、知名度の低いアーティストのCDについてはその購入に向かわせ、有名スターについてはマイナスもしくは良い影響を与えていないとしている。"it's nerve-racking time to be a pop music superstar. But it may be the best time ever for new performers..." との結論であった。拙い抄訳でしたので原典にあたりたい方もいらっしゃるでしょう。リーダーはRAM GOPAL OF THE UNIVERSITY OF CONNECTICUTとありましたので、ネットで検索してみたらいかがでしょうか。

今日のレポート 「しっかり!警察」 02.4
先月、家の近所で運転免許証入りの手帳を落としてしまった。結果的には幸いにして見つかったのだが、問題はその見つかり方である。実は落とした翌々日に紛失届を駅前の交番に提出していた。なぜ当日や次の日ではなかったかというと免許証や名刺がはいっているのだから、交番に 届いていれば即自宅に連絡があるのだろうという、今思えば甘い考えがあったからである。もっとも交番の警官との応対のなか、「こりゃ無理かな」と思い始めた。なぜなら、その警官の照会方法に驚いたからである。遺失物を調べるとならば、パソコンあたりで品名と場所、日時を入力して検索、と想像した私がバカでした、なんと昔の役場のお役人さんが使いそうな黒い厚紙の台帳をめくってみて「ありません」というのだ。結局届けて4日後、何の音沙汰もないことに決意を固め、とうとう運転免許センターへ再交付の申請に出向いた。で、またまた驚かされた。ここではさすがに帳簿ではなくパソコンのようだが、私の住所管轄の警察に免許証の届けが出ているとのこと。しかも落としたその日の内にだという。おいおい一体ニッポン警察はどーなってるの!署に取りに行って3度目の驚き、「お宅に連絡の葉書(!!)を出したんですけど」だって。も一つおまけの驚き、今日現在まだその葉書届いてません。

今日の偶感 「日本人、韓国人」 02.3
我々日本人、こういう言い方は私以外の日本人には失礼かもしれない。お前と一緒にするなと。また日本国籍を最近取得の人、あるいは最近日本に帰化した人も、一括りにするなと怒るであろう。いわゆる十把一絡げ(この言葉、広辞苑では「じゅっぱ」ではなく「じっぱひとからげ」 MS-IMEでは一発変換されなかった)のこの言い方が、日本特有なのかどうかは一先ず措こう。言い方を替え、大多数の日本人は、初めて会う白人についてはその国籍がわからず、取りあえず確率でいってアメリカ人ではないかと考えてしまうことはないだろうか。逆に彼ら(これも大雑把な言い方だ)からすると日本人、韓国人、中国人などの黄色人種も見分けにくいようだ。(かって2,3人のカナダ、オーストラリア人から聞いたことがある。)しかし、私は気付いた、少なくとも 日本人と韓国人は見分けられると。但し一つの条件がある。それはそれぞれの人にインタビューをすることである。テーマの軽重を問わず、間違いや誤解を恐れず堂々と理路整然と答えるグループと、何となくはぐらかしたり、あいまいだったり、あるいは慎重なあまり自信がなさそうに聞こえるグループ、この二つに大きく分かれるはずである。で、前者の99%が韓国人、後者の99%が日本人である。原因は何か。同じ儒教の影響を受けながら何故このように異なった性格を持つに至ったか。これについては、また後日ということにさせていただきたい。

今日の危惧 「明日の社会は危うい。」 02.3
「ケータイ」といえば携帯電話器を意味するようになって久しい。普及率も上がり若者の間では持ってないほうが圧倒的に少なく人間関係に影響するほどだという。ケータイの番号を教えあうかないか、電話帳に番号が登録されているかいないか、そこらで友達か否かの分類がされているのだろう。電車の中または街中にかかわらず、通話中の彼らにはケータイの相手のことしか頭にない。視線が合おうが、ぶつかりそうになろうが現実の目の前は、存在しないに等しい。「カンケーない」のだろう。ウェアラブルコンピューター等のハードウェアの進歩でこの傾向は益々強まり、今自分が実際どこにいるかということに関わりなく、自分に必要な相手とコミュニケーションが取れる、情報が得られる、用事がすむようになる。言い替えると自分の周囲にある存在が無価値になる、 そんな社会になるのだろうか。いやそうではあるまい、生身のカラダが移動しているのだ。何らかのアクシデントあれば、肉体だけしか頼るものはなく一人では無力なことも多い。阪神淡路大震災が良い例だ。そう思うと、せめて子ども達には学校でもヒューマンリレーション学のようなものを教える必要があるのではないだろうか。つい最近まで、地域社会では幼児に対しては誰彼となく「こんにちは」と話しかけ、親も「<こんにちは>でしょ」と諭したものだった。配偶者の話ではあいさつをしない子どもが多いという。このままではヤバイ、とマジに思う。

今日のオススメ 「鉄腕ダッシュ」 02.2
日曜夜7時といえば我が家では日テレ「鉄腕ダッシュ」はたまたTBS「さんまのからくりTV」を見るのが定番である。ここのところは前者をリアルタイムで後者をビデオにとり後の時間で再生するというパターンが多い。で、オススメというのは「鉄腕ダッシュ」の「ダッシュ村」のコーナーである。星の数ほどの過去のテレビ番組で、農業そのものをエンタテインメントの中心にした番組はなかったのではないだろうか。畑作りに始まり種まき、収穫、調理、保存等の「食」、及び家造りや 燃料の確保活用などの「住」を中心に「生きる」ことの原点、本質というべき部分を、TOKIOというベストのキャラクターを得て「娯楽」として21世紀の茶の間に提示している。結果、都会で暮らす現代人にとって強烈なメッセージになってないだろうか。そもそもはここから始まっているのだと。戻れないのはなぜ、とか。今後の展開で望むのは動物の扱いもラディカルに行なって欲しいということである。いずれ起こるであろう山羊の出産とか、鴨を処分する場面もなるべく逃げずに放映してもらいたいものだ。「命」にもっとも肉迫する場面をはずしてはいけない。オブラートの包み方で、日曜夜7時といえど可能だと思う。

今日の要望 「鉄道各社殿」 02.2
久しぶりに風邪をひいた。もっともどこかに書いたが、日頃の心がけの賜物?で会社を完全に休むほどに悪化することはない。そのため結構しんどい体調を我慢しながら、あちこち仕事に動き回る。そこで改めて気付くのは駅のベンチの少なさである。熱によるかったるさと、そして今回は関節というか筋肉の痛みで、10分立つのも辛い。さらにはビジネスバッグの重みもこたえるものだ。もっとも階段の上り下りも消耗するが、これは最近のバリアフリー化のお蔭でエスカレーターやエレベー ターが普及してきているので、かなり助かる。考えてみれば明かにコストの高い設備がこれだけ設置しているのだから、椅子やベンチはもっと数が多くていい。しかし例えばJR南武線溝の口駅上りホーム、あの長さでベンチ6個はどう考えても少ない。いや、あってもイタズラや故意にこわされるため、あえて少なめにしているのかと想像してもみる。また手すりや階段付近は荷物を置けないようR加工したり急な傾斜を付けているところが多い。障害の重い人には優しく、軽い人にはそれなり、ということなのか。恐らくは忘れ物が増えないようにとか掃除の手間を省くため、というのが理由だと思うが正に本末転倒である。人間は一気に重い障害者になる訳ではない。あらゆる人に優しくという発想で駅を改良しないと鉄道離れがまだ進むのではないだろうか。

今日のコメント 02.1 「スバルの電気自動車」
新聞発表がされたのでご存知の方も多いと思うが、スバリストとしてはどうしても一言コメントしておかなくてはならない。何といってもポイントは初の「シリーズ」形式ということ。簡単にいってガソリンエンジンを発電のみに使い、電気モーターだけで走行する。現行のハイブリッド形式電気自動車は両方を使い分けて走るので、大きく異なっている。最大の相違はバッテリーの量。シリーズ形式では常にガソリンエンジンで発電されるので、少しの蓄電池で十分とのことだ。これは極めて重要なことである。ドライバーなら知っているように普通のクルマでもバッテリーには寿命がある。ましてや電気自動車となればその量は半端ではない。もしこれから電気自動車が大量に普及しだしたら、その廃却が社会問題になるのは明らかだ。以前にもこの欄に書いたが、環境問題のパラドックスがここにも示されている。環境に「優しい」ことの難しさが改めて理解できる。そして消費者として商品の価値を見抜く眼が求められている、といっても過言でない。 それにしてもやっぱりスバルはエライ。

今日の所感 02.1 
ある程度の年齢で何かを発見するのは、不愉快な時と快い時があるのではないだろうか。あれは社会人何年目だったか。寒い冬の日に、それまで面倒がって放っておいたオフクロが買ってくれたマフラーを、何となく首にまいたら、暖かい!布一枚でこんなに違うのか。親の言うことは聞くもんだ、とそのときはそう思った。そして、30代前半のある冬、デパートのバーゲンで深く考えずにカシミヤ混紡のベストを買った。これまたそれまでのウールより全然あったかいよ、ポカポカする、本気でそう感じた。なるほどウールにもピンからキリまである訳だ。あとで山羊や鹿の毛のセーターはもっと凄いらしいと知った。どうしてこういうことを家庭科で教えてくれなかったのだろうと、その時思った。もう一つ、これは故伊丹十三の二番煎じになるので、あまり言いたくないが、学生時代にパリで食ったフランスパンの素のうまさ!それまでパンには何か塗るものという思い込みを簡単に覆された。(伊丹は「フランスパンの一撃」というエッセイを書いている。)こうしてみると思い込みがひっくり返されて、イヤな思いをしたことはなかったのかもしれない。新年を迎え齢を重ねても、また、まだ、眼を開かれる経験ができる、そう期待したいと思う。今年もそんな風に生きたい、と思う。

今日の慨嘆  「今年も過ぎ行く。」  01.12

電車の中で、街頭で、そう、20代後半かと見える爽やかな美形の女性に、ふと心ときめくことがある。視線を注ぎながらつい妄想は広がって行く。もし結婚したら、こんな家庭になるのかあ、こんな会話をするのかな、、。で突然向かいのガラス窓に、店のショーウィンドに己の姿を見、愕然として白日夢は終わり、現実に戻る。いかん、いかん、オレは妻子持ちであった。それに白髪混じりのこのオジサンと彼女では、どう見ても不倫か援助交際である。そうなのだ、歳を取って体力容貌が衰えようとも、どうしてもそれに追いつかないのが頭の中身である。同じ ようにクラス会やらOB会でも同じ思いをする。確かに風貌は変われども、昔の仲間と久しぶりに会い談論風発、気持はあの頃にフラッシュバック、飲めや歌えやの大騒ぎ。しかし翌日気がつくのは酔い覚めのスピードの遅さである。確実に体力は落ちているのだ。変わり行くわが身と、それに気付かない、それを認めたくない我が頭と気持。嗚呼そんなことに関わりなく、確実に時は今年も過ぎて行く。

今日の大絶賛 「テレビ東京」  01.12
テレビ東京は偉い!12月1日土曜の7時というゴールデンタイム、他のメジャー局が赤ちゃん誕生報道一色のなか、唯一(すいません、TV神奈川とMXTV様)通常番組を流したのだった。いくら今回の報道が国民の関心を集めていたといえ、おそらく性別と出産の状況それ以上のことに関心を持つ人の%はどれくらいだろうか?仮に贔屓目で70%とふんでも、それをNHK,日テレ、TBS,フジ、テレ朝で5等分すればたかが14%である。これでは普段の土曜7時の視聴率より落ちるのではないのだろうか。そこへゆくとTV東京は残りの30%の、控えめに見て半分取ったとすれば15%となる。これは通常の数字からすれば上出来ではないか。大体、一つの題材に全主要局(再度御免TVK&MTXTV)が集中するというのはメディアとして自殺行為ではないの だろうか。ニュースの中で出産について報じているのだから、特番にしてまで足並みを揃えるというのは納得がいかない。その中であえて護送船団にならず我が路を行くTV東京のあり方は今後の我が国の企業のあり方を示すもの、といったら言い過ぎだろうか。
**後日のビデオリサーチによると、視聴率についての私の「予言」は当たっていた。

今日の反省 「冬は寒い」 01.11
新居で初の冬を迎えようとしている。そこで初めて、いや久しぶりに気付いた。「冬は寒い!」と。思えば、木造の独身寮を出たあとの一人暮しから始まり約二十年、ずーっと鉄筋の集合住宅であった。そして再び木造住宅に住み始めて経験する寒さ。もちろん、新築の家であるから、それなりの断熱材やら工夫(ペアガラス、床暖房など)はされているのだが、やはり鉄筋マンションの例えば3階の部屋、上下左右を他の居室に囲まれた環境から比べれば、はっきり、寒い。もっとも子どもの 頃の我が家はもっと寒かった(時代が違い設備がお粗末だったといえばそれまでだが。)しかし、思うに当たり前のことに改めて気がつかされるというのは、別の意味で快い。養老猛氏のいう「脳化社会」に生きて、夏は暑く冬は寒いという、ごく基本的なことすら忘れている存在に、人間が成り果ててはいけない、そう考えさせられた。

今日の発案  「音楽のジャンル」  01.11

音楽を分類する時は、普通クラシック、ジャズ、歌謡曲とかのようにその製作者、送り手の音楽的属性で分けることが多い。しかし受け手の立場からの分類があってもよいのではないだろうか。私には例えば「純音楽」「大衆音楽」「BGMとしての音楽」「聞き込む音楽」等がある。「純音楽」とは音楽とはなんぞやとか考えさせたり、衝撃を与えたりして集中して聞くことを余儀なくさせる。例えば登場当時のパンクロック、はたまた評論家が絶賛するかってのプログレ、オルタナなど、あるいは私にとって多くのオペラ。「大衆音楽」はいわゆるJ-POPなど。バロック、はたまたフージョンは私にとって「BGMとしての音楽」である。「聞き込む音楽」は娘まりえの弾くピアノ曲、ラジオで突然かかるナツメロなどか。その他一般的にいって、肉声に近い唱法の ボーカル(ラップ、ど演歌、古いブルースなど)はBGMになり得ず、つい聞き込むか、しばし「邪魔者」としてスイッチを切られがちな「純音楽」かのどちらか、となる。尚、以上は私にとってどれもが必要なもので、一時「純音楽」であるものがそのうち「大衆音楽」や「BGMとしての音楽」に変わることは良くあるのだ。

今日の迷論  「選挙権」  01.10
  国会では選挙制度の改革とやらで、中選挙区の復活云々と何やら騒がしいようだ。しかし私に言わせれば、選挙区の前に選挙権の問題を取り上げるべきだと思うのだ。今の制度では二十歳になればほぼ無条件で与えられる、取り上げられることはまずないのだが、これは問題ありと言いたい。それはどういうときに感ずるときかというと、テレビで非常識というか無知(無恥?)を目の当たりにする時-例えば「クイズ赤恥青恥」及び「さんまのカラクリテレビ<ご長寿早押しクイズ>」を見るときなどである。それらに出演する若者あるいは老人の中には、立候補者の適否、良し悪しなどを判断するには明らかに無理な人がいる。住民投票、国民審査などもってのほかである。いたずらに投票率など高くない方が良いと、こういうときには思う。さてそこで提案である。投票にはクイズを付随させるのだ。例えば「イギリスの首相は?」などと簡単なものを一、ニ答えさせ正解者の投票を有効票とし、誤答の者の票はすべて無効とするのである。我ながら名案だと思うがいかがであろうか?

今日の素朴な疑問  「製品寿命」  01.10
エプソンのスキャナーがオシャカになった。正確には修理の見積もりが購入額の¥12668(税込み、10%のポイントバック除く)を大幅に越え、¥16000というので、廃棄処分を依頼した。大体購入13ヶ月で故障というのが気に入らない。もう1ヵ月前なら保証期間だったのに。そういえば最初に買ったプリンター(エプソン)は3年持たず、次のアルプスは1年足らずの寿命だった。一体メイドインジャパンの信頼性はどうなったのだろうか。もしかしてアジアメイドかもしれないが、品質管理を信じてジャパニーズブランドを買っている消費者も多いであろうに。もっとも私のAV商品もここまで短くないがそれなりの故障歴がある。ソニーMDデッキは購入後5年で不動になり、サンヨービデオデッキは1年7ヶ月でヘッド交換、一方東芝ビデオデッキは同じく7年半であった。京セラ8ミリビデオカメラ(ソニーOEM)は3年弱でトラブり9000円近く修理費を取られた。ちなみにヤマハCDデッキは購入12年にしてトレイのベルトの寿命が尽きつつあるところだが、リモカンは6年経つ前に尽きた。こんな私は使い方が乱暴なのか、製品に恵まれないのか、ユーザーとして平均的な状況なのか?

今日の妄言  「テロは簡単にできる?!」 01.9
凄い、まさかテレビで、生で、旅客機が高層ビルに突っ込むのを見るとは。マスメディアではアメリカの厳重な警戒をよくぞかいくぐって-という表現をしているが、ちょっと首をかしげてしまう。考えてみればわかると思うが、空港に働く人というのは相当な数だろう。であれば、そこに職を得て、来るべき日々までテロのトレーニングに励む者がいたとしても、そう不思議なことではない。また手っ取り早く関係者を買収して手引きさせて忍び込むというのも、そう難しいことではない気がする。話題は変わるが、前からカメラの望遠レンズというのも狙撃の良い武器になるのではと思っていた。なにせ白昼堂々とVIPに対し遠くから狙いを定めることが出来るのである。もし、レンズを改造したライフルや小型ミサイルだったらと考えるとああ恐ろしい。テロリストが5年計画で写真学校あたりを卒業して新聞社などに就職していたらとか、あるいは誰かに脅迫されて普通のカメラマンが暗殺を命じられていたらとか........

今日はアトランダム 01.9
今日は涼しいが、猛暑の後遺症かまだ夏バテ気味である。ここに書くネタもあまり思い浮かばない。そこで、適当に順不同で前から思っていたことなどを...提案一.RELAXATIONをリラク「セ」ーションと言い、リラク「ゼ」ーションと呼ぶのを止めよう。所詮カタカナでは英語の発音は正しくは表わせないのは百も承知、といえリラクゼーションは気持悪すぎる。 疑問一.どうして別荘を所有するのか。もちろん、そんな身分ではないのだが、相当の浪費家か物好きの買い物では、と疑っている。万が一、私が大金持ちになったとして別荘を持ったとき、そこにある程度以上行かなくてはと思うだろうが、それでは国内や外国を旅行する時間がなくなるのではないか。大体同じ場所ばかりに滞在するのは飽きると思ってしまうのだが。それならそこの豪華ホテルでも一定期間借り切った方がいい。 報告一.雑誌NAVI9月号によると、フォルクスワーゲンの技術者がミニカー構想の参考として国産の軽自動車をすべてチェックした結果のベストはスバルプレオであった云々が書かれていた。

今日の一押し 「みさかの湯」  01.8
   大体今までこのサイトで物事を誉めたことはほとんどなかったように思う。が、今日は珍しくオススメの場所を挙げる。我が家は日帰りの温泉が好きで結構あちこち出没しているので、結構眼が肥えている方だと言って良い、いやそう断言しよう。その我が家が勧めるのだから是非皆さん、行ってみてください。推薦理由1.料金(¥700)が安い。2.湯の種類が多い(普通の湯船、露天風呂、気泡湯、寝湯、打たせ湯、水風呂、ドライサウナ、ミストサウナ、塩サウナ)。3.休憩所がゆったりしていて、食事の料金が安い(もつ煮、おでん等が¥300など)。4.温泉として推薦するのだから当然だが、源泉が熱く豊富、新しいのできれいと、以上いいことづくしであるが、一言欠点を。それは公営の性格上やむをえないのか、年末年始が休業であることである。それを承知の上で一度お立ち寄りください。山梨県御坂町成田2200、TEL055-261-6166、中央高速一宮御坂インターから車で道を探しながらで10分です。

今日の主張  「議員の服装に未来を問う。」   01.8
現在、100%男性国会議員の服装はスーツである。議員はいろんなことに自覚的であるべきと思うのだが、この日本の猛暑の中、大汗をかきながらスーツを着込んで街頭演説をすること、エアコンをフルに効かせて上着を着て議場にいることについて、どう考えているのか聞いてみたい気がする。いわくこれが議員の正装であり、半袖シャツでは選挙民に失礼だからなどと答えるのであろうか。勘違いをしてはいけない、有権者は皆さんに天下国家の行く末を論じ、正しい立法、施策がなされることを望むのみでそれ以下でも以上でもない。今、という時代に敏感なのであるならば、例えば議場のエアコンの温度設定を上げ、服装を調節して省エネに努めるべきである。国会がそうなれば、地方議会に、次いで、延いては一般社会へも波及するであろう。ことは単に服装のみを言うのではない。我々はいや地球環境的にいってそういうライフスタイル自体から問われている、という認識をまず議員が示すべきなのだ。大体スーツなんぞは英語のように西欧の一文化がたまたま経済力に伴って世界に広がったというだけで、日本に、日本人に合うはずがない。とはいえいまさら着物に戻れる訳もないから、国内においては我々流にアレンジしてゆくほかはないのではないだろうか。といって昔の省エネスーツは勘弁して欲しいが。

今日の断言  「ヒゲが似合わない人がいる。」  01.7
決め付けてしまうと、何年か前の映画「レオン」でジャン・レノが受けたのをキッカケに、男のヒゲが一種お洒落と見られ始めた。それも、わかる人はわかると思うが、フルに伸ばすのではなく、中途半端が良いとされているようだ。結果、中田英寿やイチローはいうに及ばず、一流未満の芸能人にまで広がり始めている。が、断言してしまうと、ヒゲが似合わない人がいる。似合わないのは、ヒゲが濃くない(まばらだったり、部分的にしか生えずもみ上げ・あご・口ひげがつながらない)人、ヒゲ質?が直毛剛毛の人、童顔若作りの人、実際に若い人などである。以上の人が生やすヒゲは貧乏臭いか汚らしい。一般的にいってモンゴロイドには適したヒゲ質の人は少ない。ある意味白人もしくは黒人の特権ではないだろうか。例外としては、ある風格を感じさせる何かを持っている人は許されるような気もするが、それには人生の年輪とでもいうようなものが必要だろう。ちなみに中田やイチローは癖毛のようだし、何と言っても、世界の-で、通るのだから何をしてもOKではないだろうか。

今日の違和感 「あいさつに思う。」  01.7
決まり文句とかあいさつの符牒といったようなものがある。「毎度お世話になります。」「どちらまで?」「ちょっとそこまで。」といった類である。しかし最近こういった、常套語ともいうべきものが、幅を利かせすぎといるのではないかと思う。例えば冒頭の「毎度お世話になります」、これは元々ビジネス用語のようだったはずなのに、家庭にまではいりこみ、親同士、親と教師・習い事先といった関係においてまで使われている。私は昔からの時候の挨拶やら時間帯による「おはよう、今晩は」で十分であると思う。も一つ気になるのはビジネスシーンでの「お疲れ様」の多用である。これは基本的に身内同士(同じ企業、職場)で使われているようだが、朝の10時からは言われたくないものだ。以上に関連した記事がたまたま昨日の朝日新聞に載っていた。若者の間の過剰な敬語についてである。要するに人間関係に距離を置こうとする傾向との分析だが、この決まり符牒の氾濫ともいうべき傾向にもあてはまるのではないだろうか。

今日も自慢  「やっぱりスバリストは偉い。」  01.6
J.A.F.の機関誌「JAF MATE」6月号にやっぱり、という記事が出ていたので是非紹介したい。それは昨2000年に販売された輸入車と軽を除いた乗用車のデータである。クルマのどんなデータかといえば、メーカー別オートマ(AT)車の比率が書かれていた。まず驚くのはトータルで91.2%という数字である。いかにドライバーが安楽指向なのかを示しているといっていいだろう。でメーカー順位だ。トップは三菱の95.2%次いでホンダが94,2%、以下スズキ、トヨタ、いすゞまで90%をキープ、日産で89.5%、さらにマツダ、ダイハツ84.9%と来る。最低というべきか逆にマニュアル比率トップというべきか、富士重工(=スバル)はダントツの74.3%!!もう何が言いたいか明白であろう。スバリストは、クルマを、移動の手段としてよりも運転そのものを目的とするドライバーであるといって過言でなく、スバル車はそれに応える存在なのだと。

今日の政談2 「田中真紀子を弁護する。」  01.6
真紀子バッシングが続いている。いわく外交の基本方針を逸脱した、事前の根回しがない等々。しかし、まず問われなくてはならないのは、何ゆえこれらの情報がもれたのか誰がもらしたかということである。「機密の漏洩」であれば、これこそ外交上の信義にもとるというものではないか。では公表が前提の発言だとしたら、外相の発言内容の問題とは何なのか。私の結論を先に言うと「観測気球」と受け止めるべきであって、問題視すべきものではないと思う。ミサイル防衛網も対中国への一連の発言も、田中個人の信念を当事国や関係国、はたまた国内に問うたものであって、方針転換の表明や決定事項の変更連絡ではない。内容の是非はともかく、この程度の発言は公人であっても許されるべきであると考える。例えば、何かを決定するに当たって、事前に牽制球を投げたり、警告を発したり、探りをいれるというのは当然ではないだろうか。

今日の報告 「<家を建てます。>その後」  01.5
00.8に一戸建てを取得するに至った理由を大まかに記したが、引越したこともあり改めて詳しくレポートしたい。まずは以前の賃貸マンションは62平米と狭かったことが大きい。娘が中学生になったこともあり、私はLDKに寝て、極端な話、枕はテーブルのほとんど下に位置した。娘にとっても思春期であり、自立への一歩として個人の空間が必要と思われた。経済的にも某地方に所有するマンションのローンが完済しており、家賃収入と多少の蓄えがあったことも当然理由の一つだ。ということで99年秋より探し始めた。娘の中学に通える範囲で3000万円台なおかつ駅から徒歩圏の二階建て30坪等の条件なので当然中古しかないと思っていた。およそ6,7件見たところで上記を満たしたとしても他の条件(建物の具合、環境など)の悪さにほとんど諦めかけた時、何と電柱のハリガミで知ったのが現在の建売である。新築4200万円を、頭金1000万円を工面し残額プラス諸費用を25年ローンということで契約したのが00.8、ということである。それにしても基礎工事が昨年10月にスタートし建築に着手したのが2月、で入居後の今も一部工事未了という超スローペースについて別途書く機会があれば.......

今日のベタボメ 「プロジェクトX <スバル360>」 01.5
NHKの番組「プロジェクトX」はオヤジたちから熱い支持を浴びているという。大体番組コンセプトは新聞の番組紹介の記事から想像がつくので特に興味があるテーマ以外は見ないが、「特別」な時が遂にやってきた。「スバル」が取り上げられるのである。本ページを最初からご覧の方ならお気付きのように、私はスバリストであるからして、当然ビデオの用意をしつつリアルタイムで見た。実にツボを押さえた番組であった。商品開発にかける男達の夢、それを支える家族への思い。正にオヤジロマンティストの心を見事に掴んでいる。しかし中年メーカー営業マンとしての私を感動させるものは百瀬氏始め開発陣のモノ造りに注ぐ情熱の源である。造りたいモノ=世に送りたいモノとして明確であって説得力がある。40年以上昔と今では当然事情が異なるとはいえ、消費者に真に必要なものをを我々は提供できているだろうか。番組が投げかけるもう一つの問いもまた重い。

今日の商品2 「MUJI+CAR」  01.4
日産パオのコンセプトを煮詰め、無印良品のブランドで発売したらと、99年の8月に書いたことがある。それから遅れること約2年、MUJI+CAR1000の名称で発売された。奇しくもパオと同じく日産マーチがベースになっている。早速HPにアクセスし、仕様等をチェックしたのだが、正直ガッカリした。「無印良品」の名が泣こうというものではないか。ベースとなったマーチと余りにも差がなさ過ぎる。まあ1000台限定では大した変更はできないとしてもせめて内装には一工夫欲しかった(例えばシート生地とかステアリング)。またバンパーを無塗装にしたのに、ホイールキャップや電動ミラー・ウィンドウがつくというのはコンセプトとして矛盾してないだろうか。思うに「無印良品」のクルマを買おうとする客はもう少し高くても「それなり」に「らしい」ものを求めているのではないだろうか。売れない気がする。

今日の音楽 「明日があるさ」 01.4
「明日があるさ」が流行っている。しかもウルフルズとR−JAPANの二つともだ。TVのCMソングになったというのは大きいが、やはり中村八大による原曲の良さは否定できないと思う。(ああ惜しい人を亡くした。SUKIYAKIに表わされるように、この人の曲は日本のスタンダードになるものが多い。去年出たCD全集やっぱり買おうかな。)もう一つ詞のストーリー性を挙げるべきだろう。今、ふと考えてみて物語を感じさせる歌詞といえば、ユーミン・みゆきがすぐ思い付くのだが他は一生懸命考えてもなかなか思い浮かばない。それに「明日が−」は、わかり易さ、内容の卑俗さといったような点から、それらとも異質である。現在の売れ線の曲の大半は楽曲(メロディ、アレンジ)をセールポイントにしているのではないだろうか。そういう流れの中で今回の「明日が−」のヒットは、一種語り物というようなものに対するリスナーの潜在的欲求を示したような気がする。

今日のこだわり 「食事」編 01.3
春めいた風が吹き、ビールがうまい季節が近い。我が家は決して金持ちではないが、ここは「ビ−ル」に拘って、発泡酒であってはいけない。はっきりいって私は味覚音痴の方だと思うが、ここは妥協したくない。もっともブランドには執着せず、その時々で一番安いのを買っている。ついこの間までは、ダイエーの「バーゲンブロイ」缶1ケース2980円だったが、最近は酒のディスカウント店で「カールスバーグ」同じく3180円である(ダイエーが同ブランド品を発泡酒に変えたので)。ところが昨日別の量販店で買ったのはドイツ産なのに「芳醇物語」という名の、何と麦芽100%のもので、3280円!当分これになるだろう。で、つまみであるが、ビールとくれば揚げ物、乾きモノが私の好みだ。もっとも、いい刺身が安かったとか野菜たっぷりの鍋には日本酒、それも米100%でいきたい。はたまた我が家には珍しくコッテリ肉料理ときたら、ここは赤ワインではないだろうか。なんぞとここまで書くと相当食事にはウルサイ奴と思われるかもしれないが、実際はそんなことは全くない。外食では順番待ちのないところを選んで入る。とはいえ週末の夜、街道沿いといえども敢えてそうするのは、それなりの拘りだろうか。

今日の試論2 「賃借、所有、収集 その2」  01.3
前回の試論を飛躍させると、別の、まるで逆の発想の存在にも行き着くことはないだろうか。つまり極力モノを持たず集めずという生き方である。かつて「引き算の思想」という本を書店で見掛けたことがある。また一時「清貧」という言葉が一世を風靡した。つまり「経済力と対象への情熱の片方あるいは両方が」それほどでもない商品については借りることで済ませられるのか。毎日身の回りで使う日用品などについてはまず無理である。しかしクルマとか住まいとかいった耐久消費財が、買い替えられ廃却されることなく長期に渡って使い続けられるとしたら、省エネ省資源となるのは間違いない。CDや本だってデジタルデータでの購入やレンタルの方が確実に石油使用量は少ない。単純に、所有>賃借という流れが望ましいと仮定したとき、どういう条件下で、そういう流れができるのであろうか。一つは消費者がその消費行動に自覚的になる(今、なぜ、これを借りずに買う必要があるかをしっかり納得している)ことではないだろうか。また当局がこの流れを作ろうとするなら、購入行為と賃借行為のそれぞれの価格についての消費税に大幅な差を付けることだろうか。

今日の試論 「賃借、所有、収集」  01.2
前回私がCDを一気に10枚買ったことを書いたが、いずれそういうことはなくなるのだろうか。つまり近い将来、音楽はダウンロードしてデータで「買う」のか、はたまた聴きたい時だけ専門のサイトにアクセスして無料でその場で聴くというのが一般的になるのか。私はかって貸本屋があちこちあった時代を知っている。何故なくなってしまったのかと考えるに経済成長とともに本の値段が相対的に安くなり、皆が借りるより買うほうを選んだということなのだろう。話が飛躍するが、住居についてはどうなのか。一生賃貸を選ぶ人もバブル崩壊以降また増えつつあるとかいう。はたまた話は飛び、この間のテレビにミニカーやお茶の空き缶はたまた、名刺やらを集めている一人のコレクターが出ていた。その情熱溢れるオシャベリにふと閃いた結論がコレ。「経済力と対象への情熱の片方あるいは両方が増せば賃借>所有>収集へと移行する。」私の場合は別サイトを見てもらいたいのだが、この1月、2月の頃、20年近くに渡り年1回必ず買い続けてきた本、雑誌がある。ミュージックマガジン(昨年ベスト)、現代歌謡曲全集(年度版)、モーターサイクリスト(春のニューモデル特集)と、見事に私の試論を証明している。

今日の妄想 「民主主義」 01.2
恒例のボーナス期のCD一気買い、1ヶ月遅れで先日済ませた(視聴覚室参照)。ふと思うと下記「マイルールズ(00.2)」にもある如く、私の行動にはあるパターンがある。唐突だが、サマーセット・モームの小説には南方に一人左遷された英国ビジネスマンの話があり、その人は南国の太陽の下でも本国と同じ洋服で同じ時間に同じメニューの食事をとるのだという。ここで一つの妄想が湧く。各人が自分の信条やルールを持つ。するといつかどこかでだれかとぶつかる。そこで話し合いの上、ある妥協案が出来上る。これの繰り返しがいつの日か議会、そして法律といったようなものにつながって行くのかと。つまりすべては自分の気持、予定といったようなものから始まるのではないか。それらの折衷、犠牲の上の成り立ちでできた規則は重く、守られるべきものであって破る者への罰則は厳しくならざるをえない。逆にいえばどうでもよいような規則が作られる訳はない。なるほど議会制度は頑固な英国人のライフスタイルを基礎にしているのか。

今日の購入品 「カジュアルウォッチ」 01.1
アルバブランド(セイコー製)の腕時計が突然止まってしまった。95年6月に4000円チョイで買ったものなので、修理せず買い替えを考える。5年半の寿命だった(それにしても最近の商品はこわれ安くなったように思うのは私だけ?)。私がカジュアルウォッチに求める条件はビジネス用のものとは違う。何故なら使い方が乱暴だろうし、飽きてもかまわないくらい安くなくてはいけないし、当然、維持費はかけたくない。となると必然的に10気圧防水、電池交換が不要、暗いところでも見える、デザインが面白いなどの条件が付く。という訳でカメラ店を2軒見て、またぞろアルバのフィールドギアというのを選び8400円(税抜き)で買った。ありきたりのデザイン以外はほぼ条件通り。しかし予想外に選択の範囲が狭く、各時計メーカー企画担当者の奮起 を望みたいと思う。「なかなかピンとくるヤツなかったよ。」

今年の決意 01.1
ああ、また年を越してしまった。今年からは21世紀だという。所詮、暦・カレンダーなぞは人間様の約束事、大体「世紀」という概念は世界地理上ではごく一部。と、大見得をきっても年々歳々、年末年始が苦痛になる。それは、要するに一言で言って、平均寿命の半分以上を生きてしまったので、これからは「死」が近付いて来る、そのこと錯覚させる時期であるからである。また、特に今年は我が生誕日が半世紀目に突入する年にあたり、感慨もひとしおといったところ。そこで柄にもなく、ひとつ決めてしまったことがある。それは前からの自分のライフスタイルを確認することにするにすぎない,というか補強することである。などと勿体をつけているが,つまり,自分らしく,自然体 でありたいということで,新年より髪を染めるのを止めた。今までは白髪は職場で違和感を感じさせるという屁理屈をつけていたが,早い話が面倒くさいので,おしまい。皆様,ビックリさせたらごめんなさい。ということで今年も宜しく。

今年のベスト 00.12
今年も押し迫りあと数日で2000年も終わる。そこで今年を振り返り私のベストをいくつか上げよう。先ずタレント部門。<バラドル>今年の私の一押しは山川恵里佳である。この娘は一見いわゆる天然ボケ風でありながら、田舎のしっかり者という感じでケレン、嫌みがない。なんで芸能界なんぞに入ったのかと思わせる。ホノボノ安らぎ系という分類を開拓した功績は大である。<キャスター>ズバリ、テレ朝「やじうまワイド」のヨーコ・ゼッターランドである。名前の通りハーフなのだが余りバタ臭さがなく、純日本美人のようでもある。芸能界の中でもピカイチの久しぶりの「美形」ではないだろうか。しかも人妻というのが驚きでさえある。顔に見とれる余りニュースの内容が上の空、というのが欠点ともいえるが。さて最後は<今年の一曲>。売れ行きではTSUNAMI、桜坂が今年のそれぞれ一、二位であるが、私にいわせればどちらも駄曲である。セルフパクリであってインパクトがない。オススメは山崎まさよし「明日の風」である。一聴、メロディの斬新さと共に空に昇るかのようなようで、リスナーに気持の広がりを感じさせる。
ということで良い年を来年も期待したいものだ。

今日の欲しいモノ 3 「セカンドカー、かばん」 00.12
<セカンドカー>我がHPガレージでご存知のとおりファーストカーはスバルである。がセカンドカーは全然関係なく私の勝手をいわせてもらう。セカンドであるから走りは全く関係なく、見てくれとデザインだけが決め手である。先ず外観、レトロ感覚の当然4ドアセダンでジャガーのイメージ、色はアイボリー、全高は高め(Aピラーを立てる)、グリルくっきり。内装は前後席ベンチ シートで赤の皮張り。前にもキッチリ3人座れるようにシフトはコラム、となるとエンジンは必然的にFF横置きか。また安全を考えるとエアバッグは前にトリプル?これ以外はあまり要求はないのでゼロから作らなくても既存のモデルからでも転用できそうだ。ボディのイメージは日産のクルーが近いがFRなのでダメ。トヨタのビスタがボディデザインを変えられたら良い素材になるかも知れない。
<ビジネスマン用旅行鞄>出張用となると、これもなかなか良いものがない。何が不満かというと書類収納部と日用品・衣類スペースが一つになっていて、切り離すことが出来ないものばかりだからである。つまり今のカバンでは、同じホテルに連泊する時などでも、仕事に必要なものばかり持って行きさえすればよいのに余計なものまで持たざる得ない。双子のようなカバン、つまりほぼ同じようなサイズで、ジッパーかバックルか何かで簡単に分離結合が可能なもの、こんなものが欲しい。出張準備も後片付けも簡単になること間違いないからだ。

今日の評論 「芸能人、家族」  00.11
ワイドショーや週刊誌を最近騒がしている話題の中に、三田佳子と川中美幸が良く取り沙汰されている。ところがよくよく注意してみるまでもなく、本人が何かしでかしたことではないのに気付く。つまり家族(三田の息子と川中の夫)が「事件」を起こしたのである。それぞれが覚醒剤を使用したということで、直接誰かを傷つけたというような刑事事件はなく、大きな経済的損害を与えたというような民事事件でもない。要するにいってしまえば有名芸能人であるがゆえの、いわゆる有名税を払わされているということなのだろうか。しかし、日本では良くあることとはいえ、これはあまりにも当人たちには可愛そうではないか。大体三田の息子は二十歳すぎ、川中の夫は立派なオヤジであって、一人の独立した社会人としての責任を負うべきで、家族には直接の関係はない。三田に(報道が事実であれば)子を甘やかせた傾向があったとしても、いい年した息子の交友関係まで口を出すのはもっとおかしい。ましてや川中とその夫というのは夫婦であって、いわば他人である。何ゆえこうまでバッシングされなくてはならないのだろうか。家族を十把人からげにして非難する ようなことは、いい加減に止めたらと思うのだが。

今日の欲しいモノ 2 「音響関連機器二つ」 00.11
< 対携帯機器妨害電波発生器 >何が不愉快かといって、相変わらずの電車内のウォークマン系の機器から漏れるシャカシャカ音及び携帯電話の話し声はイラつかせる。といって注意するほどの勇気も持ちあわせない。こんな私を含めた小市民から絶対歓迎されると思うのがコレである。つまりうるさい、と思ったらこっそりスイッチを入れる、すると周囲数メートルにある関連機器の音にノイズが混ざり、使うには不愉快な状態にせしめる、といった具合なのだ。ポイントは本当に必要な会話は続けることが可能な点である。< 防水CDラジカセ >ありそうでないのがCD付きタイプ。どんな時に使いたいかといえば、私は風呂の中である。もう今オーディオフォーマットはカセットの時代ではなく、CDまたはMDであろう。となれば何故未だ発売されないのか誠に不可解である(防水テレビはあるのに)。風呂の中で音楽を聴きたいというのはそんなに少数派なのだろうか。通勤通学であれだけのリスナーがいるのだから潜在需要はあると思う。贅沢をいえば、スイッチの切り替えで液晶画面に歌詞表示が出たりしたら、カラオケの練習にもなり申し分ない。とはいえ風呂場に置く、というコンセプトからしてコンパクトでなくてはいけないので、カセットはなくともCDとFMだけでも是非実現させて欲しいものである。

今日の提案 「ペットボトルへの課税強化」 00・10
先日とある100人以上の研修会に参加して驚いた。人数の割にはやや狭い部屋のせいかちょっと暑いかな位の温度だったのだが、各参加者のテーブルの上にペットボトルが、大げさに言えば乱立していたのである。テーブルは3人掛け、スタートほぼ直後の光景である。つまり、その日はそこで、短時間に、ラフな計算で40本近くのペットボトル飲料が消費されることになった訳である。そう考えた私は愕然とした。これはいかんぞ、断じていかん。これ以上リサイクルできないものが増えたらどうなるのか。ちなみに会場のロビーには給茶器があり、「無料」で冷たいほうじ茶か烏龍茶が飲めたのである。それなのに、である。もちろん缶製品に比べれば、飲みきれないときに持ち帰れるなどのペットボトルの利点は認めよう。また1リットル以上となると代替は難しい。しかしなんらかの歯止めは必要ではないだろうか。で、提案である。少なくとも350CC程度のペットボトル製品は缶の5割り増し位になるような税金をかけるべきではないか。個人レベルの利便性を求めるためには、社会的なコストの一部を負担してもらおう。

今日の自慢 「ホリグチオサム」 00・10
<山梨県で最初にテレビ電話を付けた。>これは静止画TV電話というもので、88年に関西に転勤になったときに、両親に離れても成長著しい一歳のまりえの顔を見せようと、それぞれの親の分を含め一挙に3台買った。で、結果、修の親の住む山梨県では一号だと工事の人が言ったそうだ。 <体型 が変わらない。>もちろんウェストのこと。正直,最近78も増えてきたが、まだ76でイケている。そのため <モノ持ちが良い。>昔の洋服を大事にしている。一番古いのは中学のときのVANのセーターまだ着れます。別のHPのコレクション室を見ればわかるであろう。特筆ものは過去の給与明細、新入社員のころから取ってある。 <メモを20年近く取り続けている。>3000円以上の買い物の記録など自分で「非日常」と思うことを大学ノートに記録し続けている。 <暑さ寒さに強い。>盆地育ちのためか。だからエアコンのないスバルに夏でも平気で乗れる。逆にエアコンのかかったクルマでは時々腹をこわす。また札幌勤務のときも特に寒いとも思わず、モモヒキなしで三冬をのり切った。 <文庫本はほぼ初版で持っている。>ベストセラーはあまり読まないので(自分の傾向がハッキリしているので)、評判に関係なくほぼ新刊で買うため。 <発音記号が書ける。>読み方のわかる英語と一部フランス語に対応します。* それにしても自分の自慢がこれほど気持ち良いとは!今まで書いたものの中で一番気持良かったが、ちょっとイヤミなのでこの辺にしよう。

今日の懺悔  「皆様ごめんなさい。」00・9
以下順不同で書きます。<ネクタイ>今年の5月頃、大宮駅の精算機の前にあったネクタイに一目ぼれをしました。で、3時間後にもまだ置いてあったので、そのまま持って帰ってしまいました。どなたか知れませんが、ごめん なさい。 <スズキガンマ>昨年8月に内緒でオートバイを買い替えました。(我が家の、いつもの離れた置き場所に、カバーにかけてあるのでバレてません。詳しくは別サイト「ガレージ」参照)奥さん、ごめんなさい。 <オシッコ>シャワーを浴びるとつい、おしっこをしてしまいます。家族の 皆様、許してね。 <ニットベスト>お気づきのようですが、黄色い手編みのベスト、まだ捨ててません。単にあの芥子色が気にいっているだけで、製作者だった女性には何の感情もありません。奥さん見逃して下さい。 <傘> ここ数年傘を買ったことがありません。何かというと職場のボロ傘を持ち帰っているからです。(信じて下さい、汚いのを選んでいます。)そのせいで会社の傘置き場がスッキリしていると思いませんか。 <このサイト>まりえ様、昔の写真を公開しごめんなさい。もうすぐ撤去しますから、あとチョットだけいいでしょ。* でも思うのですが、人間この世に生まれたこと自体が地球に申し訳ないこと、そんな風におもいませんか。また、生きていくことは他人様にどこかで迷惑をかけているに違いないと思う訳で、とにかく皆々様本当にごめんなさい。

今日の難問 「人は何故間食をするのか。」 00・9
人には本能としての食欲、性欲、睡眠欲、排泄欲などから、はたまた名誉欲というような自己実現欲求まであるらしい。で、さて間食はそのどれに当たるのかと、ふと思った。別に腹がすいてたまらない、という訳ではなく、ちょっと何かを口に入れたいという気分である。ちなみに私自身はほとんど間食はしないので理解できないのだ。とはいえ、家族や職場での同僚の相伴に預かる形では何かを食べる。アイテムとして代表的にはお菓子や果物などだろう。そういえば田舎では3時に漬物でお茶を飲むことも良くあった気がする。そうなのだ、「喫茶」には休憩、気分転換という目的がはっきりしていて間食とは違う気がする。例えば日曜にテレビ・ビデオを見ながら、ドライブや旅行中の汽車の中とか。学生は登校時には禁止だが、遠足ではOKなのだ。街や電車の中のコギャルを見てると、一つのファッションかとも思える。あるいは欲求不満や何らかの不安に対する一種の解消、代償行為であろうか。

今日の宣言 「家を建てます。」 00・8
ふと思う、私は何故家が欲しいのか。1.借り物ではなく、自由に手を加えたり、いじれるスペースの確保が念願だった。また言うまでもなく、マイホームは誰からも指図されることのない拠点でもある。つまり年齢的にも「終の棲家」を望んでいたということだ。2.なぜマンションではなく一戸建てなのか。マンションに入居するということは普通管理組合に所属し、ある共同責任を強いられることとなる。一戸建てでは、もちろんも近所付き合いなどはあるものの、「集団作業関係」度は低い。ましてや管理費、共益費、駐車場代などは不必要だ。そして居住空間以外での占有空間が多い。これが、ガラクタが多い私にとっての一戸建の大きな魅力なのだ。その他、経済情勢やら娘の年齢 やらもろもろで、数ヶ月に渡って検討してきました。で、ひょんなことから、中古住宅の予定を変更し、新築の運びとなりましたことをご報告させていただきます。詳細はどこかでレポートできないかと思っています。

今日のヒラメキ 「猛暑に思った。」 00・8
猛暑の日々が続いている(といっても山梨の盆地育ちの私にはさしてこたえない。)しかし、人類が決して征服できない自然の強さや、人間は所詮自然の一部なのだということを、改めて感じさせられる暑さでもある。暑いからといってエアコンをガンガン効かしてスーツにネクタイのあなた、これで良いのかと疑問に思いませんか?前回、人間は益々本能むき出しになる、と書いたが、いっそ人間はこの時期皆が裸で生活したら、少なくとも体感温度はさがる。暑いときにはそれなりの過ごし方というものがある。無理せず、仕事を休もう。そして海水浴や水遊びあるいは山登りといった自然と一体となってリラックスしよう。そして家では風通しを良くしたり、すだれなどで日陰を作ったり、 打ち水をしたりとか涼を求める工夫をしよう。食べ物は当然旬のトマトやスイカ。夜だって花火や縁側でのトランプ、はたまたTVゲームも一興かも。寝苦しさも扇風機とかゴザの寝具は結構効く。自然を活用すれば、暑さとも折り合っていけるのだ。要はいかに、どこまでか、なのだが。

今日の予言 「本音、本能の時代へ」 00・7
マナーの乱れ(特に若者)が指摘されている。いわく、電車の中で化粧をする、地べたに座り込む、人前でキスをする、言葉遣いが悪い等々。しかしマナー、そしてファッションは時代とともに簡素化することは、ちょっと振り返って考えて見ればわかることだ。われわれオヤジもカジュアルフライデーとかで仕事着も結構ラフになりつつあるのではないか。また例えばデイパックスタイルも少し前なら山男かビンボー臭いリュック姿の類と見られたことだろう。ショルダーバッグのケサがけもちょっと前ならカッコ悪かった。冠婚葬祭も虚礼廃止とかで簡略化されているのではないか。昔ながらのお祭りや慣わし、しきたりなどもなくなりつつあると聞く。科学が進歩し世の中が「便利」になるにつれ、スピード、「合理性」をあらゆる面で要求される時、医学が発達し次々と人間が裸にされ、あるいは「作られ」ようとまでされる時、タブーは消えかかってきている。そしてそのスピードは加速されているようだ。「どうして人を殺していけないのか」という議論がまじめにされる時代なのだ。もうすぐ街頭でのセックスを見ることができる時代が来る、気がする。

今日の観察 00・7
「ブックオフにて」ご存知、中古本、CDの店である。一度行けばすぐ気が付くが、特価品のコーナーがある。この店では通常、新品時の定価の半額程度以下で売られているが、このコーナーに限って本は100円、CDは350円の値付けなのだ。理由はもちろん「売れない」からなのだろう。が、良く見ると かってのベストセラーが多いのに気付く。つまり売れないというよりも、仕入れが販売数より多い、回転が悪いということなのだろう。確かに春山某の「脳内革命」とかシドニーシェルダンの「超訳」物、CDではアイドル系をよく見る。大ベストセラーだっただけに多く持ち込まれるということか、栄枯盛衰、諸行無常。しかしジャンル、定価に関係なく一律いくらというのは爽やか壮快でもある。分類、値付け、値踏みなどは他人様がすること。大袈裟に言えば特価品のコーナーにおいてこそ、購入者の価値観が問われる場である。ということで、過日私は、あるベストセラーが早く100円本コーナー入りすることを願いつつ、森高千里CDを350円で買ったのであった。

今日の分析 00・6
「クルマの愛し方」クルマ好きには二種類あると思う。一つはフィーリングとしてそのクルマのファンになるタイプである。一番多いのはそのスタイルを雑誌であるいは街頭で見て一目ぼれする、というケースである。あるいは若かりし頃を思い出し、その頃の憧れから当時の車種に拘ることもあるだろう。もう一つは雑誌などの活字媒体でスペックの素晴らしさに、あるいは試乗記での絶賛に心動かされ、あるいはマニアの話に触発されて深入りするというタイプである。いわば前者は右脳から後者は左脳から入ると言おうか。で、スバルff−1ファンは圧倒的に後者であるというのが私の発見である。前者は感性から惹かれているゆえ、ちょっとした心変わりで他社や新車に宗旨替えすることが多い。しかし後者であるスバルff−1ファンは豊富な知識に裏打ちされた 信念を持って支持しているので、万が一にも他社や新車に代えるのは具体的基本的理由からである。維持する金がないとか、オートマ・6人乗りが必要とか。クルマのことが良くわからないという人もこのことだけは知って欲しいと思うのだが。

今日の提言 00・6「カラオケの楽しみ方」
あまり出かける方ではないのだが、最近人気が落ち込み気味というのは本当だろうか。決して嫌いという訳ではないが、確かに何か一工夫してみたい気はする。そこで以前から考えているカラオケの遊びかたを紹介してみたい。但しこれは私のような上級者!?のレベルでないと難しいと思う。それある条件を付けて歌うことである。例を挙げよう。まずはテーマを決めることがある。「雨」であれば「雨の…」、「…・の雨」といったタイトルのものをフルコーラス歌いきる。そして何曲歌えるか競ってもよい。次にハンディや条件をつけることもあろう。オジサン、オバサンはアイドル、ロック系にチャレンジし、若者は演歌に限るとか。はたまた必ず異性の歌手を取り上げなければいけないというのもある。もちろんタイトルのシリトリなんて単純なルールもあっていいだろう。いっそ夏にはクリスマスの歌とか、冬に夏だとか暑い、熱いとやらの詞のものを歌うのも面白い。大切なのは「遊ぶ」という気持だと思う。

今日の商品 00・5 「ニコンS3」
昨日のNHKのニュースでニコンのカメラS3が取り上げられた。何と40年ぶりの復活とのことで、お堅いNHKが注目するのもわからない訳ではないが、個人的には疑問を感じる。というのも同じくメーカーという業種に働くものとして、全く同じ物を複製し製造販売するという姿勢に納得できないからである。別な言い方をすれば、大メーカーが一種コレクターアイテムを作ってしまった、ということに対して、である。もちろん先代のモデルの優秀性を 認めるのには吝かでないが、それをそのままコピーすることを歓迎する消費者というのは(価格が価格だけに)限られているのではないか。大衆商品を大量生産するのみがメーカーの機能とは思わないが、同じ物の再生産では工夫がなさ過ぎる。S3の設計思想を生かし、最新の材料と製造手法で生産する方向で見直してこそ、現代版としてこそ、今、作られる意味があると思う(結果、できるものは99・9の「私の欲しいモノ」で触れたものに近いはずだが)。 今回の商品はニコンの自己満足に過ぎない。

今日の政談 「在日外国人のこと」 00・5
石原都知事の「三国人」発言は笑止千万である。辞書には云々のくだりは、この人は本当に文学者かと思ったものだ。辞典、字引の類は使用の実際、具体例を後から記録するもので決してその逆ではない。現実の方が先行するのである。また言葉が差別的であるかどうかは言われる対象者が決めるのであって、発する方ではない。例えば、我々日本人に対するいくつかの蔑称を思い起こせばすぐわかることだ。それから犯罪云々についても、人口が増えれば悪い奴も比例するということではないのか。 ところで私は日本を外国人労働者に開放することには反対である。何故なら、この国はほぼ単一文化の風土で異文化に上手に接触する能力がなく、また、まだ労働力は不足していない、などと思われるからである。一般に3Kの人手不足が指摘されるが、これらの賃金が安過ぎるから、担い手が見つけ難いのではないだろうか。安易に労働輸入に頼ることなく自前で確保しようと努めれば、賃金が上昇、結果として応募者増加という道をたどると思うのだが。たとえこのことで少々物価が上がることになっても甘んじる覚悟はできている。

今日の買い物「ファックス」  00・4
 ファックスを二代目に買い換えた。4年前の先代と同じNEC製だが、今回は子機つき、普通紙対応、コードレススキャナー(コピー)付きと機能アップしているせいか、約一万円高い38800円(税別)であった。但し今回はカメラ店で購入のため、10%のバックがある。しかも先代は「じゃまーる」のHPで5000円で売却することができた。 さて私は何故ファックスを買い換えようと思い立つに至ったか。そもそもはコピー機がこわれたことが発端であった。二番目として先代ファックスにつないでいる別メーカーの93年購入のコードレス電話の調子が悪いことも遠因としてある。もっというと今持っ ているコンピューター用のスキャナーがイマイチのスペック(200dps)なのも不満でいた。だからファックスという選択肢以外にキャノンやゼロックスのファックス、スキャナー、コピーの複合機とかも検討したのだが、前者はコピーがシート紙のみ可能(ファックス専用機は鮮明さに欠けるが、本もOK)、後者は一般的ファックス機能がないということで却下となった。結局、今回は電話、ファックス機能を優先することにしたのである。求めるスペック(上記プラス「インクジェット方式」)のファックスは他にもキャノンに のみあったが価格でNECに決めたのである。買い換えようかなと思い始めて約二ヶ月後のことであった。

今日の復刻2 「野球が嫌い」 00.4
<前々回に引き続き「東京マイナー倶楽部」より一部手直しして書く。> いよいよプロ野球が開幕した。私にとって辛い季節の始まりである。夏になると会社の話題はゆうべの松坂の投球内容だし、タクシーに乗ればラジオ中継、スポーツ新聞の見出しもナイターの結果一色。ほとんどファシズムである。なぜ世界的に見てマイナーな、輸入スポーツである野球が日本で盛んなのだろう。そう言えばこの間の大リーグ野球はパワー、スピードとも日本のものとはダンチで日米格差はまだ大きいようだ。野球とベースボールは別物なのだろうか。日本野球はスポーツというよりも、グランドで行われる人間将棋、といっ たら言い過ぎだろうか?シーズンオフのスポーツ新聞を見ると陰湿な人間関係のしがらみやら派閥抗争やら会社の延長戦みたいでもある。もっとタマラン感じが高校野球。一歩間違えば暴走族か右翼予備軍か、はたまたリトルリーグ育ちのお坊ちゃまの、たかがボール遊びなのに、大新聞はああも美辞麗句を並べ立てるのか。本当に清々しいのは定時制とか通信制高校野球の方ではないかと感じるのだが。ああ早くナイターが終わる秋が待ち遠しい。

今日の疑問 「国旗への礼」 00.3
この間娘まりえの小学校の卒業式に出席した。とかく昨今、世間を騒がすらしい国歌、国旗について何か起こるかと思ったが、何事もなく無事に終了した。それはそれで良かったのだが、一つ引っかかったのは、登壇者がその都度日の丸に一礼をすることである。ちなみに私は国歌は「君が代」、国旗は「日の丸」で何の異論もなく、公式な場面で、それぞれ歌われたり、掲げられるのには抵抗ないのだが、旗に「頭をさげる」というのは違和感を感じる。もちろん国のシンボルだから敬意を払うべきという議論はわかる。だから国歌斉唱の時は立つべきだろう。しかしわざわざ挨拶の度に国旗に一礼をすべしというのは何か釈然としない。そこまで必要かという気持ちがするのである。外国ではどうなっているのだろうか。ご存知の方お教え願いたい。

今日の復刻 「沢田研二賛歌<東京マイナー倶楽部>より」 00.3
81、2年の頃、上記タイトルの超ミニ新聞を知人が発行してました。その中に書いた私の原稿の一部です。
(前略)はっきり言って大半の女性ファンは明らかに沢田を誤解しているのではないか。断じて、沢田と世に蔓延するところのオバサン思考とブリッコway of life とは相容れるものではないからだ。美と醜、愛と憎、秩序と混乱、酩酊と覚醒、暴発と抑制...彼の存在感、魅力といったものはこういったタイトロープ的緊張感にあると言っていい。全ての疎外され抑圧された男性諸君!沢田研二に注目せよ!私のオススメの沢田のベストパフォーマンスを以下に列挙する(順不同と考えられたい)。1.「サムライ」 とにかく説明不要不可能。2.「時の過ぎ行くままに」 絶望の果ての希望とはこういうことか。3.「君をのせて」 弱々しいが、しかしきっぱりとした決意を見よ。4.「気になるお前」 一直線パワー、の美しさ、躍動感。5.「いくつかの場面」 ただ泣いている。無言で、横目で理解せよ。6.「メモリーズ」 屈折した妖しさとでもいうべきか。* 番外「許されない愛」 絶妙のブラスアレンジとにかく言葉にすると嘘になりそうで、でも言わずにはいられないという希有の存在であって、無視すること能わず、BGMなどもっての他、といった感じである。(後略)

今日の発見 「マイルール(ズ)」 00.2
1.床屋にはなるべく行かない。理由は嫌いなのに有料だから。ひっそりと人に気付かれぬよう、夏季休暇、年末年始、ゴールデンウィークの年三回とする。2.ビジネス用腕時計は軽い皮バンドのもの(セイコー)をするが、汗ばむ初夏から秋にはメタルのもの(オメガ)を付ける。3.ボタンダウンのシャツはほとんど着ない。中年の私には何故か「あざとい」気がするから。同じような理由でピンホール、タブカラーもだめ。でもクレリックシャツは許そう。 4.ある「レベル」以上の」方と会話する時はケータイのスイッチは切る。己の欲せざることを他人に施すなかれ。5.エレベーター、エスカレーターはなるべく使わない。言うまでもなく健康のため。無料の、仕事中にもできるエクササイズである。6.万札はズボンの右ポケット、千円と五千円札は札入れ、コインは上着の右ポケット(但し一円五円はその日の夜に家の貯金箱へ)。五千円以上の買い物はクレジットカード払い、三千円以上の買い物はメモ帳に(これは30歳からの日課、ちなみに給与明細は新入社員の時から保存)。 * この他にもいくつかありますが、こんな私を「マイルーラ」と呼ばないように。

今日の暴論 「省エネ、省資源は簡単だ!」 00.2
政府、自治体、大学等研究機関やはたまたマスコミなどもう何年も議論してきたエネルギー問題であるが、どうして単純に経済学的な発想をしないのだろうか。 それはズバリ料金を上げることだ(但し取りあえず家庭向け)。それも思い切って2倍とか3倍にする。ちなみに我が家の水道、電気、ガス代はそれぞれ大体月七千、一万、五千円位である。車は通勤には使わないのでガソリン代は年に5万円ぐらいのものだろう。ということはもし二倍になれば月約2万7、8千円の出費増である。こうなれば必死になってコスト削減のため一家あげて努力せざるを得ない。日常的に水・電気・ガスの使い方に工夫注意をするといったソフト面に留まらず、ハード面に対しても機器選び、購入については従来とは大いに考え方を変えて、何よりも維持費が最大のポイントになるだろう。 更にはゴミ処理もすべて有料にすればよい。消費者は寿命の永い商品を選び、簡易包装を好むことになり、いやでもリサイクルの癖が付くに違いない。 さて問題は社会的弱者(生活保護世帯、高齢者、身体障害者等)への配慮である。これについては特別料金とするか、支払いの実績に基づきそれぞれの自治体より払い戻す等の対策で対応できると思うのだが。 このことは経済全体では、確かに消費を一時的に冷やすことになるだろう。が、反面、省エネ関連業界ブームといった新たな産業のフロンティアを生むこととなり、それなりの波及効果をもたらすことになりプラスマイナスでほぼゼロ。但しエコロジー的には大幅プラスと見るのだがいかがであろうか。

今日のショッピング 「時計」 00.1
関係者には申し訳ないが「カシオ」というブランドをあまり信用していない。根拠を問われると困るのだがどうしても、価格優先でそのために品質が犠牲になっている製品という印象を持っているのだ。だから20年くらい前の電卓を除いては一度も同社製品は買った、あるいは買おうと思ったことはなかった。ところが今回遂に例外が起こったのである。置時計DQD100を購入したのだ。時計と言えば先ずは正確さである。これの最大の特徴は電波時計、つまり 福島県の郵政省の研究所から発信される日本標準時の電波を常時受信し、表示することにある。これにより117の電話をせずとも安心してビデオや腕時計の正確さをチェックできる。驚くべきはこの機能が1980円(ビックカメラ売価)で得られたことだ。カシオ恐るべし。 ところで実はこれは衝動買いであって、ビックに行ったのはセイコーの腕時計の修理依頼が本来の目的だった。後日連絡があり、費用が約1万2千円(購入価格1万5千円)とのこと。 さて皆様はどうなさるであろうか?私は熟慮の上、直して欲しいと答えた。一つはちょっと変わったデザインなので探すのが面倒だったこともあるが、15年以上使い続けたことの愛着と、敢えて言って「使い捨て社会」への私なりのアンチテーゼである、とはカッコ付け過ぎだろうか。しかし物を買わないことに金を使う、そんなやりかたもあって良いのではないか。

今日の思い付き 「我々は言葉と音楽を軽視している。」 00.1
年末に長野県蓼科へ家族でスキーに行った。ゲレンデの名前は白樺高原 国際スキー場と言う。ここは勤務先保養所のすぐそば、人工雪なので必ず滑れる、そして初中級者向けであって、スノーボード禁止になっているという我が家にとっての三拍子揃っているので、ここ3年連続で来ている。ところで「国際」スキー場である。「国際」とは何を意味しているのだろうか。ゲレンデは決して世界のトップスキーヤーが競うようなレベルのものではない。しかも日本人以外の人がうろうろしているとか、各国語の表示やアナウンスがある訳でもない。要するに気分なのだろう。「文化」鍋や「文化」住宅の類である。フィーリング、思い付きによるネーミングといったものは、おそらくどんな 国や文化にもあるのかも知れない。が、我が国において甚だしいというのが、今日の思い付きである。言葉によって重要なメッセージを伝えたり、説得に努めるよりも、ムード、雰囲気(故山本七平いうところの「空気」?)により物事を伝えてゆく、変えてゆく(いつの間にか変わってゆく)というのがこの国の特徴ではないのか。政治に限らずこんなところにも表われているのではなかろうか。 そしてもう一つ、デレンデのBGM。いつからリゾートに音楽を流す習慣が広まったのか。海外でもこういうことはあるのかご存知の方お知らせ下さい。それにしても今回のスキー場では同じテープを、滑っている約5時間(途中休憩除く)の間5回以上は聞かされた。これはその音楽の作者に対する侮辱といってよい。何故なら意図せざる結果とはいえ、スキーヤーにその音楽についての潜在的な嫌悪感相当程度植え付けたと言って過言ではないからだ。 こういうことに思いのいかない態度は、音楽というものの位置づけを軽んじているといってよいだろう。 尚誤解のないように言っておくと、ゲレンデ自体は小さい子のいる家族には特にお勧めのゲレンデであることを、改めて申し添えて置く。

今日の上げ足取り 「CDタイトル他の表記方法について」 99.12
ボーナスが目出度く出たので、いつものごとくCDを10枚以上買った(ちなみに今オフコースのトリビュートものを聞いている、他についてはhttp:// member.nifty.ne.jp/ohoriguchi/ の視聴覚室を参照。) それにしてもこの頃、タイトルを含め日本人アーティストのCDには、本当に英語が氾濫している。タイトルについては作者が英語でないとニュアンスが出せないと言われれば、やむを得ないが(若干、眉に唾を付けたい気もしないではない)。しかし納得いかないのは、最後のクレジットである。最初に作詞作曲:小田和正とあるのに、何故最後になってproduced by Kazumasa Odaと英語になるのか。その必要性というか気持ちというか美意識が解らない。ファンにとっては小田は「小田和正」であって KazumasaOdaではない。 大体日本人の名前が 延々アルファベットで続くと読み難いことこの上ない。それに英語として正しい表記方法がされているのだろうか。ちなみにこの小田のCDカバーの最後に 書いてあるプロデューサー名はKohichi「こひち」でなくて「こーいち」だからKoichiまたはKoh-ichiが正しいはずで、arrangement: もarranged byではないかと思うのだが。

今日のノスタルジー 「あの頃の師走」99.12
いよいよ師走、それも1900年代の最後である。良く言われることではあるが、年毎に師走のいわば「非日常感」が、確実に年齢とともに、そして時代とともに薄れて来ている。思えば昔はこんなことはなかった。ちなみに私が幼少のころは「もういくつ寝るとお正月」とテンション高く、一日一日が過ぎて行くのが、楽しみであってまた同時に惜しくもあった。親が、大掃除(いつからこの習慣がなくなったのか、特に畳上げは何故か子供心にもワクワクしたもので、古新聞を好んで読んだものだ)やら餅つき!に妙に忙しそうなのが、さらに拍車をかけた。最大のハイライトは「お出かけ」である。中心街(山梨県甲府市)の岡島デパートに行き、親の買い物につきあう、(自分には特に何も買ってもらえない、何故ならサンタさんからプレゼントをもらったばかりだから)、という訳で辛抱のご褒美に屋上の遊園地!へ。お目当ては回転ブランコだ。あのトリップ感というかスリルは未だに鮮明だ。そして待望の外食!(やたらと「!」が多いがそれだけ希なことだった。)極めつけはタクシーでの帰宅である。たかだかバス停で三つ、歩いても15分程度のところを、ダットサンで大枚80円(多分)という我が家にとっては久々の大盤振る舞いであった。あの夜のブルーバードのシートの匂いは今でも時々思い出すことがある。

今日の工夫 「時間が欲しい」 99.11

中年になると、人生が残り少なくなっている、と実感する時がある。と、無性に、一時に二つ以上のことを当然したくなる。例えば若かりし頃は漫然と電車に乗っていたような十数分間でさえ勿体なく、つい活字を追いたくなる訳だ。で、私は工夫した。朝起きて歯を磨くときは青竹を踏もう、朝食時には勿論新聞、行き帰りの電車の中では勿論読書、夕飯時には見残してあるビデオ、入浴しながらは歯を磨く、あるいはカラオケ(ラジオに合わせて歌う,どこかに防水ラジカセはないかと探したが今は売られてないようだ)、シャワーの時はオシッコをする(何故か異常に気持ちがよい)、テレビを見るときも夕刊を読むか、ダンベルを持ち上げる、寝る時には英会話のヘッドフォンを付ける、エトセトラ(この中には一つだけ嘘がありますが、それはどれでしょうか)。で、ふと思う、生きる目的とは何ぞやと。「虚しい」と感ずるのもこんな時である。

今日の読書 「環境保護運動はどこが間違っているのか(宝島社文庫)」 99.11
 一読また眼が開かれた思いである。俗に「小さな親切大きなお世話」という。正にその典型が世のいくつかのリサイクルにあると著者は指摘している。つまり例えば、プラスチック容器やトレーを回収することそれ自体のエネルギーが、新たに作る以上のエネルギーを浪費し、かつ原料の相場を下げているというのである。うーむ、面白い。私は世の常識の裏を行く逆説というのが大好き、正確にはどっちが本当か考えるのが好きなのである。ちなみに本を買う時は文庫か中古と決めて、極力、より好みをせず買う、というのをモットーにしている。そうすれば今回のような「思わぬ出会い」があると信じている。とはいえ、養老孟司、岸田秀などは大概チェックしている。この二氏のファンの方、お便り下さい。

今日の迷い 99・10
「このCD買うべきか買わざるべきか」 CDを買うときは、毎月購入している「 CDジャーナル」という雑誌を大体参考にしている。11月号によると中村八大と いずみたく のコンピレーションがそれぞれ四枚組、二枚組で発売された。うーん、どうしよう。この二人は私が好きだった、いや尊敬していると言っても過言でない作曲家である。日本の歌謡曲に与えた影響は極めて大きかった。しかし大作家といえど駄作も混じるのは避けられない。しかもCDスペースがなくなりつつある。(詳しくは http://member.nifty.ne.jp/ohoriguchi/ の視聴覚室を参照) しかし全てを引き受けるのがファン気質というものではないか。うーん、でもこの秋はいろいろと予定もーー。いずれ宮川泰作品集なんてのも出たら欲しくなるだろうしなあ。村井邦彦、すぎやまこういち、万が一にも川口真まで出たらどうしよう。

今日の暴言 「窓を開けろ」 99.10
10月にはいり、気持の良い日々が続く。しかし道を歩いて驚くのは、窓を閉め切ったまま走る車の多さである。いくら何でもこの陽気、エアコンを点けているのだ。思わずちょっと声をかけたくなる、「おいおい窓を開けたら?」 確かに風がはいれば、ホコリもはいる、ヘアースタイルも乱れるかもしれない。だけど自然の気持ちよさを忘れてないかい?秋風の心地良さ、香り、町の匂いいや臭い。全部が季節の息吹、口臭じゃないのか。 大げさに言って、大体窓を閉める(自閉する)ことは、他者への関心をなくすこと。社会の崩壊への第一歩ではないかしら。たまにはそんな風に考えてみません?

今日の決め付け 「バブル万歳」 99.9
今日は家族みんなでシティウォーキングをした、正確には千駄ヶ谷から表参道経由で原宿まで歩いたということ。とにかく娘のまりえは運動をしないので、歩かせよう、でもどうせなら親がたまには行きたいところ、ということでテーマは「東京の名建築作品をめぐる」。 丹下建造の東京都体育館から国連大学ビルまでしっかり歩き、ほぼ自宅までの往復まで含め一万5千歩近くまでになり、充実した一日であった。 この界隈を歩くというのは本当に久しぶりのこと、たぶんバブル華やかりし以来10年ぶりか。昼食の値段も恐る恐るチェックしたほどであった。が、案ずることもない、仕事場のランチの価格と大差なし。前はこんなのことなかりせか? 一番小気味良かったのは原宿竹下通り。娘といっしょとはいえ気後れしながら歩き驚いた。いわゆるタレントショップが全く見られなかった。 ああツワモノどもが夢の後、はじけて良いこともあるのだ。

今日の欲しいモノ 99.9
 1・「カメラ」 今私はペンタックスのサブとしてオリンパスXA−4を持っている。 これは実に良くできていて、愛用し続けたいと思っているのだが、如何せん今は作られていない。2台目だ。一台目は磯で落としてオシャカにしてしまい中古で長い間捜し求めてゲットしたものなのだ。だからオリンパスには製造を再開してもらいたいぐらいなのだが、全く同じものでは芸がない。私なりのサブコンパクトとしての理想を言ってみよう。先ずボディは軽さを求めてチタン。同じ理由でレンズは単焦点、広角28ミリ。モーターを乗せれば当然重くなるので、基本はマニュアル。ということで フィルムの巻き上げ、巻き戻しは手巻き。電池切れでも使えるように。但しピント合わせはやっぱりオートが便利、とはいえマニュアルと切り替えられたらもっと良い。ストロボもやっぱり一体がいいかな。あとは質感とかデザインにはこだわりたい。特にシンプルさと高級感を両立させて欲しい。忘れてならないのは「音」、シャッター音だけでなく、巻き上げ音にもこだわって欲しい。もっというとネーミングも大切だ。訳の分からない中途半端な名前は論外だ。余談だが、キャノンの「KISS」とかミノルタの「SWEET」はひどい。恐らく国内だけの名前だと思うが、恥ずかしい。いっそレトロチックに「珠玉」なんてのはどうだ。
 2・「洋服」 洋服というよりも、洋服屋というべきか。いわゆるトラッドショップなるものがあるが 私は真のトラッドショップの出現を願うものである。以下のアイテムをかって探すのに 苦労した経験がそう言わせるのである。上から書く。スプリットラグラン袖の綿100%のコート、黒の三つボタン三つ掛けのダブルのブレザー黒無地のツイードジャケットまたはスーツ、グラフまたはギンガムチェックのレギュラーカラーのシャツ、ホリゾンタルストライプのウールニットタイ 同じくシルバー無地柄無のシルクタイ、ノータックのウールスラックス、コットンのビジネス用ハイソックス、サドルオックスフォード、 シューズ、はたまた濃色無地のメルトンスタジャン等々。 以上は決してキワモノではないはずだ、昔はありふれていた物ばかりだから。確かに私もいくつかは探しぬいて手にいれることはできたが、全て別々の場所であった。これらを一手に扱うような店をご存知ありませんか。大体中年になり下腹部が出てくると、ノータックの方が楽だと思うのだが。 脱サラしてオープンしようという方、是非店名にもこだわっていただきたい。**洋品店 (明朝体)などと。

今日の偏見 「ゴルフは嫌いだ。」99.8
ゴルフは私のようなサラリーマンには向かない。「私のような」とは結構内向的、神経質なタイプの人という意味である。という訳で10年近くクラブを握ったことはない。そもそもスポーツは、日頃のストレス解消というのがその大きな目的の一つだはないだろうか。しかるに私にはゴルフにおいてほとんどその目的を達成したことがない。一打一打反省し検討し、再度トライし、の繰り返しで、終わってみれば精神的にグッタリである。しかもグループでの スポーツであるから、他のメンバーとの良好なコミュニケーションも欠かせない。その割に運動量はたいしたことないから、肉体的には何かひとつ物足りないようで、欲求不満気味である。しかもゴルフ場は遠く一日仕事、他にもいろいろやりたいことや、用事もあったのに。 そしてこれが最大のストレス要因かもしれないが、なんといってもプレーコストが高すぎる。大体日本は平野部が少ない上に、芝生の手入れには相当な手間がかるという。化学肥料もかなりばらまけれているという。ゴルフ利用税廃止などとはとんでもない話である。

今日のイチャモン 「若者の服装センスは間違っている。」99.7
これは個人個人のセンスを指摘しているのではない。一人一人はそれなりに気を使い、それなりに好ましいものが多いとは思う。問題にしたいのはカップルになった時の二人の服装の組み合わせである。一番多くて、気にいらないのは女の子が結構お洒落っぽい(例えばワンピースにパンプス)なのに男の子がティーシャツにジーンズ、スニーカーといったペア。もちろん男単独では清潔でそれなりにブランドものなのだろうが、組み合わせとなれば別問題である。如何に高価であろうがヴィンテージものであろうが、GパンはGパン、ズックはズックだということを忘れてはいけないと思う。この逆で女の子の変なキメすぎというのも割と見る気がする。ドライブだからといって、山や高原にまでスカートにエナメルの靴というのもどうかと思う。

今日の発言 「3ナンバーのクルマの税金をあげよう。」99.6
  今の道路交通法では横幅1700mm未満を小型乗用車(5または7ナンバー)と扱い、それ以上は普通乗用車(3ナンバー)とし、かっては税金面や保険料などで大きな差があった。ところがいつの日か、確かアメリカあたりの圧力(アメ車のような大型車に対する差別的待遇云々)で、その差が実質的になくなってしまった。結果、今や3ナンバー車は当たり前になってしまった。で、困っているのは誰か。都会のドライバーである。考えてもみて欲しい。日本の道は狭いのである。クルマの幅は狭い方がいいに決まっている。といって我々の大半が小型車を選んだとしても、すれ違う相手が大きければ意味はない。うっかり「都会」といってしまったが、山道やあぜ道だって狭いところの方が多いだろう。山奥での離合は危険でさえある。3ナンバーのクルマ、というと排気量が2000cc以上のものも含まれるので、正確には横幅の広さに応じて税金をかけるべきだと思う。そしてその財源で道路を整備すべきである。

今日の独断 「小室哲哉には作詞家を止めるべきだ。」99.6   誤解のないように言うが彼の曲は好きなのだが、詞は認めたくないと思っている。理由は簡単、彼はことばを「なめている」から、と私は断言する。以前朝日新聞のインタビューで言っていたことだが、例えば英語の詩を作る時には文法を気にしていない、とのことだから、英詩などはその程度で良いとする姿勢なのだ。ことばの重みなどは少しも感じない者がプロの作詞家であってよいのだろうか。ちなみに、以下3点は重大だと思う。1.明らかな文法の誤り EX. FEEL LIKE DANCE:GLOBE(これは説明不要、中学英語レベルのミス。)2.ことばとしての英語との不一致 EX. FREEDOM:GLOBE(英単語FREEDOMは2音節であるのに符割は3拍で、結果として耳にはFU-REE-DOMと聞こえる。)3.不適切な表現 EX. CAN YOU CELEBRATE:安室奈美恵(ピ−ターバラカン氏がやはり朝日新聞紙上における指摘にあるように、意味をなさないと指摘している。)


我がスバリスト宣言
私はメーカーの営業マンである。その立場から言わせていただくと、売れる商品、売り易いこそ商品よい商品である。 だが製作者の立場からするとどうなのか、双方を止揚したものはないのか。私はその葛藤を我がスバルFF―1から続くシリーズに見るのである。 後のスバルの歴史が示す通り、その歴史は「真実の追究から妥協への模索」と言っても過言ではない。 最初の仕様は技術者のまさに信念と良心の固まりであった。後にアルファスッドのコピーモデルとなったと噂されたのも肯ける。 特に賞賛すべきはその実用性の高さである。他に走りに徹したモデルはあまたあろう。しかし当時のメーカーの位置、日本のモータリゼーションからいって、スバルFF―1にその役を負わせる訳にはいかなかった。大衆車としてのスタートだったのだ。 そこに設計者百瀬晋六は可能な限りのスポーツ心を込めたのだった。(改めて別紙スペック参照のこと) 如何にして、大衆車のベースにスポーツカーの性能を盛り込むか。彼は結果として見事に成功させたのである。 ちなみに我がFF―1はカタログスピードマイナス10kmの160kmまで相当時間走行した。また ついこの間、中央高速談合坂手前の登坂斜線を120kmで走り、多くの車に後塵を浴びせたばかりなのである。その一方で先年まで私の仕事に使用し、真夏の渋滞にも堪えて、得意先回りという重責さえ立派に果たしたのであった。またこればかりは実車を見てもらう他ないが、広大なトランク、良好な乗り心地、静粛性(但しスポーツタイプ除く)等は特筆に価する。また保有歴15年の中で、トラブルの少なさも是非あげておきたい。車は走ってナンボのものだし、走る凶器でもある訳なのだから、たとえクラシックカーといえども絶対はずせないポイントだと思う。ところがこの辺のところが、いわゆる評論家筋の古い車への評価から欠けているのは絶対に納得できない。特にヨーロッパ車については、妙に点が甘すぎるといえる。以上30年前にして、スバル特にFF―1シリーズがいかに傑出した存在であったか記してきた。仲間にいわせれば、まだまだ不足していると指摘が来そうなのは承知でこの辺で留めよう。 いずれにせよ万が一私の体力、資金力が尽き、これ以上FF―1を運転できなくなった時には何とかどこかに保存できぬものかと真剣に考える。それこそ日本の製造業という、ある種同じ産業に働く者として、そして悪貨が良貨を駆逐するかのような時代に生きる者の責務とさえ思う。





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