私の書庫について

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●私の書庫について
 私は幼稚園児だった頃、家にあった図鑑や絵本を穴が開くほど読み返していました。
 自由に出歩くことができない以上、家の中でできるそれなりに楽しいことはそんなことや、電車のおもちゃを手で転がすことくらいだったと思います。
 私にとって「読書」とは長い間、「娯楽」ではなく「勉強」でした。
 読書感想文、国語などはもちろん、参考書を読むことなど、「読書」と「勉強」には切っても切れない密接な関係がありました。
 それでも高校時代に友人の影響で「三国志」や「新・水滸伝」、「毛利元就」などをはじめとする歴史小説や戦国武将の話をいくつか読みました。
 これらの本を読んだことが、その後の人格形成に大きく影響しているのは間違いないと思います。
 もしも死後の世界があるのなら、諸葛孔明様や毛利元就様と話すこともできるのではないかと今からかなり楽しみにしているロマンチストだったりします。
 その願いが叶う段になって「お前は何と怠惰な人生を終えてきたのか。話すに値しない奴。」と取り合ってもらえないというようなことになってはたまりませんので、それなりに生きようとはしています。
 文章にするとやや病的にも受け取れますね。
 阿呆ともいえるかもしれません。
 そんなことはさておき、これらの本を最後に長く娯楽としての読書から離れることになります。
 といっても時々は読んだかもしれませんが、読書するということは極めて稀なことになりました。
 何かのきっかけから実体験を重視するあまり、読書を軽視し、意識して避けていたような気もします。
 極端な男で「読書」を「弱者が救いを求める下らないもの」とまで割り切ってしまっていたかもしれません(笑)
 なぜそんな風に考えるようになったかは思い出せませんが。
 社会人になってからは例外的なごく短い期間を除いて、毎日忙しく働くことがほとんどでした。
 そのため、たまの休日に家で読書する時間など想像しただけでとんでもなく勿体なく思え、そんな時間があるなら長距離ドライブにあてた方がいいに決まっている…と考えていました。

 転機は数年前の激務でした。
 まともに家に帰れず、休日出勤も珍しくない日々が続きました。
 正確には通勤時間が片道二時間弱であったため、帰ることができても個人的に帰らなかったと言うべきかもしれません。
 9時前から22時はざら、トラブル時は0時を回り、3時などということもそれほど珍しくなかった気がします。
 1時に帰宅して2時に寝て6時に起きることを考えると、まともな状態で勤務するためには経済的な計算を無視しても睡眠時間を稼ぐために泊まりました。
 体に致命的なダメージを受けるかもしれないと考えたことも理由の一つであったと思います。
 ドライブを何よりの楽しみとしている私は、それでも休めた日の長距離ドライブはやめませんでした。
 休みが減り、連休がなくなると移動時間を稼ぐため、疲れていても睡眠を削り、帰宅後に深夜から車で走り出したりもしました。
 この時期はいろいろな意味で「普通でなかった」気がしますが、この「普通でなさ」はまだ引きずっているかもしれません(笑)

 そんな中、自由な時間が極端に減ると、長い通勤時間が勿体なく感じられるようになりました。
 そして現実には遠くへ行ったりできなくとも、本を読めば様々な風景に出会え、様々な疑似体験ができるのではないか…と思った時から少しずつ読み始めました。
 正確には、そういった軽視していた疑似体験でもこの状況下ではないよりマシだと思い直したということでしょうか。

 前置きが非常に長くなりましたが、これまでに私が読んだ本をわかる範囲で列挙してみました。
 ただし、仕事関係の本はつまらないため挙げていません。
 本ページを作ったことに深い意味はありません。
 強いて言えば自己紹介の代わり、たまの読書の勧めといったところでしょうか。
 次に読む本にどうしても迷った時、私の読んだ本を調べて頂き、参考にされるのもよいでしょう。
 これらの本の内容から私の人間像を想像して楽しむこともできるかもしれません(^^:)

 しかし、このようなページを当ホームページ内に作ろうと考えること自体、やはり今をもって私の調子が良くないことの証明なのかもしれません。


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