教団沿革
1878年にイギリスで英国国教会牧師の子として誕生したM・A・バーネット師は、26歳の時に海外伝道の幻を受けました。
そして1917年12月6日、39歳で来日し、足尾教会での働きをはじめとして各地での宣教に従事されました。
私たち福音伝道教団は、このM・A・バーネット師の働きによって設立された団体です。
M・A・バーネット師が遺した宣教の情熱と主への献身、信仰と聖化の歩みを振り返りつつ、未来に向かって更なる宣教の歴史を刻んでいきたいと願っています。
M・A・バーネット師略年表
誕生から来日直前まで
| 西暦年 | 元号 | 年齢 | できごと |
| 1878 | 明治11 | 0 | 11月24日 英国ノーフォーク州ノーリッジで英国教会(聖公会)牧師・ウィリアム・バーネットの一人娘として誕生する。 |
| 1880 | 13 | 2 | 父の転任に伴いクリムプレシャムに移転する。 |
| 1886 | 18 | 7頃 | 父がロンドン・ユダヤ人協会の宣教師となり、8月、夏期牧師としてパリのアゲソー通りにある教会で奉仕し、母親と共に一時パリに住む。 |
| (1887) | 20 | 9 | 9月、一家はフランスのリールでのユダヤ人宣教チヤプレンとして父が派遣されることにより転居する。7才から9才までの間に回心を経験する。 |
| (1890) | (23) | (12) | カトリックの聖母寄宿学校の通学生として入学する。 |
| (1891) | (24) | (13) | 10月、最愛の母親が46歳で亡くなる。 |
| (1893) | (26) | (15) | 父の転任に伴いイギリスに戻り、エセックス州チルダーディッチに転居する。ブレントウードの私立学校に入学する。この頃から聖書批評学の影響を受ける。 |
| (1899) | (32) | (21) | ロンドンのホワイト・ランス・レディース・カレッジに入学、寄宿生活となる。 イギリスの格差社会の不平等に問題意識が生まれる。 |
| 1901 | 34 | 23 | 教員資格を取得後、ロンドンの高等小学校で2年間、教師見習いをする。 |
| 1902 | 35 | 24 | <2月 日英同盟> |
| (1903) | (36) | (25) | チルダーディッチ村の教会付属小学校の校長に就任する。聖書の無誤性に立つか、それとも高等批評を受け入れるか悩む。(聖書批評家たちの読み物の影響を受ける。) |
| 1904 | 37 | 26 | 9月、インド宣教師が置いていったリーダー・ハリス夫人が書いた小冊子を読んで聖霊の満たしを体験し、「聖書は誤りがない」という信仰を確かにする。同時に、海外宣教への激しい願いが燃え始める。 |
| 1907 | 40 | 29 | 友人のパールロック姉と外国伝道のための祈り会を始め、フェイス・ミッションの代表者を招く。 C.I.M.(中国内地伝道会)、A.Z.M.(アフリカ伝道)、J.E.B.(日本伝道隊)、S.S.E.M.(ソロモン群島)の働きを知る。 |
| 1908 | 41 | 30 | 聖公会の外国伝道ではなく、フェイスミッションに全力を注ぐ。 |
| 1909 | 42 | 31 | 初めてケズィツクの聖会出席、S.S.E.M.の創立者ミス・ヤングに会い、J.E.B.のパゼツト・ウィルクスのことを聞く。日本伝道隊への関心が深まる。 |
| 1912 | 大正 元 | 35 | レスター市の聖公会教会にC.P.A.(不詳)の執事として招かれ、その牧師館に2年間住み、スラム伝道を行う。 |
| 1914 | 3 | 36 | <6月 第一次世界大戦始まる> |
| 1915 | 4 | 37 | 6月、スウォニック聖会(祈りの連盟主催、日本伝道隊協賛)で内住の罪から全く解放される経験をする。レスター市でJ.E.B.の講師を招いて聖会を開催する。 |
| 1917 | 6 | 39 | 4月1日、父ウィリアム師が召天。 J.E.B.のウィルクス師に連絡後、宣教師として受け入れられる。 |
来日から召天まで
| 西暦年 | 元号 | 年齢 | できごと |
| 1917 | 6 | 39 | 11月、オリンピック号でリバプールを出発、カナダ経由で12月6日横浜に到着。東京赤坂氷川町17番地に荷を解く。 |
| 1919 | 8 | 41 | 春、兵庫県J.E.B.有馬聖会に出席し、トーマス師が語ったマタイ16章24節のみ言葉にチャレンジを受け足尾伝道に立ち上がる。 |
| (1920) | (9) | 42 | (2月18日)、鉱山宣教団(G.V.M.M)の足尾教会に市村好恵師と前後して着任。通洞の天徳旅館に住む。 |
| 1922 | 11 | 44 | 9月、大間々町で10日間の天幕集会を開催する。<埼玉、栃木、群馬の三県伝道のビジョンが明確化する。> |
| 1923 | 大正 12 | 45 | 春、スエズ経由で帰国、「中央日本開拓伝道」のために活動を始める。 |
| 1924 | 13 | 46 | 3月に帰日、同月、足尾教会、大間々教会、舟喜騏一は、第2回同盟基督協會年会において同盟基督協会の教会として加入する。6月に太田で、10月に館林で天幕伝道を行う。 |
| 1925 | 14 | 47 | 1月、C.よP.M.設立に向けオーストラリア、アメリカ大陸経由イギリスへ5月、レスター市でC.J,P.M.(中央日本開拓伝道団)を設立し、管理者に就任する。 この間、J.E.B.宣教師としての辞任が承認される。 |
| 1927 | 2 | 49 | 3月、パー師来日、館林へ。 3月、第1回C.J.P.M・福音伝道協会年会が開催される。 |
| 1928 | 3 | 50 | 9月、オーストラリアに向け離日、ニュージーランド、カナダ、アメリカ、イギリス |
| 1930 | 5 | 52 | 9月、日本に帰り、前橋市百軒町へ転居する。 |
| 1931 | 6 | 53 | 6月、 舟喜麟ー師、山口周平師らと高崎伝道を開始 <9月 満州事変勃発> |
| 1934 | 9 | 56 | 7月、横浜から船出、アメリカ、カナダ、イギリスへ。 |
| 1935 | 10 | 57 | 4月、イギリスのイーリングに住み、イギリスで活動する。 |
| 1936 | 11 | 58 | 4月、日本に戻る。 11月、前橋百軒町445に住む |
| 1937 | 12 | 59 | 春、長野県丸子町伝道(C.J.P.Mの宣教圈に長野県が加わる) 6月、パー師C.J.P.M.代表の旅(30年6月まで) <7月、 廬溝橋事件、日中戦争> |
| 1938 | 13 | 60 | 前橋百軒町428番地に新聖書学寮を建設する。 |
| 1939 | 14 | 61 | 7~8月、反英運動が起こり、前橋でも反英集会開かれる。 11月、長岡伝道を応援する。 |
| 1940 | 15 | 62 | 6月、アメリカ大陸に向け船出。 |
| 1941 | 16 | 63 | <4月 宗教団体法施行> 6月、日本に戻る 11月24日ヽ福音伝道協会は解散、同日認可の日本基督教団へ加入する。12月8日、日本は米英に宣戦布告、パー師らと百軒町の自宅で翌年3月まで抑留される。 |
| 1942 | 17 | 64 | 「福音伝道新誌」8月号から匿名で「書簡研究 ロマ書」を掲載する。 |
| 1943 | 18 | 65 | 春頃から外出が制限される。 |
| 1945 | 20 | 67 | 7月、パー師と共に草津、上町のマーガレット館に保護(軟禁)される。8月15日、日本は敗戦し、10月12日、パー師と共に前橋に戻る。 12月、横浜発アメリカ、シアトル経由でイギリスへ。遅れてパー師も出発する。 |
| 1946 | 21 | 68 | 2月12日、イングランド南部のサザンプトンに到着する。 12月7日、ヒースロー空港から飛行機でシカゴへ向かう。 |
| 1947 | 22 | 69 | 1月31日付で日本基督教団から離脱し、福音伝道協会を再建する。 (C.J.P.M.の宣教圈は本州北部及び主が示す他の地域にとなる。 <C.J.P.2月号6月、パー師と共に日本に戻る。 初秋、太田、尾島、館林教会を訪問する。 |
| 1949 | 24 | 71 | 「神の福音」5月号に「書簡研究 ロマ書」の掲載を再開する。 |
| 1950 | 25 | 72 | 5月、福音伝道協会の理事長に就任。 10月、聖書学寮長にも就任する。 |
| 1951 | 26 | 72 | 5月、年会には病気のために欠席し、パー師が代務者となる。 7月2日正午、召天 7月4日、葬儀が司式者・舟喜麟―師で営まれ、駒寄村大久保(現在の群馬県北群馬郡吉岡町大久保)の墓地に埋葬される。 |
「C.J.P.M」は The Central Japan Pioneer Mission(中央日本開拓伝道団)の略
「C.J.P.」は 「The Central Japan Pioneer」(機関誌)の略
「G.V.M.M.」は Glynn Vivian Miner’ s Missionの略
*この年表はM・A・バーネット師来日100年記念聖会のために同記念実行委員会冊子担当班が編集したものです。











