上杉@アジ釣り プロフィール         

略歴

●195x生まれ さそり座

●職業:年金が少しばかりの生活者(2018年現在)

●住まい:千葉県市川市

●家族:女房と二人暮らし

●ダイエットでウォーキングを始める。

●資格:初級シスアド、2級小型船舶、初級アマチュア無線技師、その他

釣りの経歴

1962年 釣りは、子供の時 福島県の山中で爺ちゃんと渓流釣りを始める。(イワナ、ハヤ)。また、カジカやハヤは、ヤスで刺して獲ってた。

1998年、釣りを思い出し再開。だんだん、海に引かれていく。

1998年 江戸川河口〜若洲海浜公園(初めてサッパ釣を釣る)

      ネットで、Mikoさんに出会いサッパの食べ方を教えてもらう。

1999年 房総半島全て釣りまくる。54回釣行する。

       木更津〜富津〜岩和田(メバル、黒鯛釣り)

       鴨川灯台島〜弁天島、黒鼻の磯(メジナ、黒鯛釣り)

       灯台島で2月28日初めて21センチのメジナを釣り上げる。

       松部でアジ釣りを地元の釣り師から教えてもらい初体験。

       松部で2月20日(土)生まれて初めてアジ3匹釣る。

2000年 松部で遠投カゴアジにはまり、24回行く。

       年末、立ち寄ったドリームハーバーで初めて32センチの黒鯛が偶然つれる。

2001年 松部が堤防工事で釣りにくくなり、ドリームハーバーになり21回行く。

       カゴアジ釣りにはまる。

2002年 千倉の磯にはまる。メジナが夜中でっかいのが立て続けに釣れた。

       竹の棒と糸で簡単に釣れた。

2003年 ゴムボート釣りに挑戦。ドリームハーバーで実践力をつける。

       釣りだか、漁だかわからなくなってきた・・・

                あれ以来、メジナは1,000匹を超え、アジは3,500匹を超えた。

       「良竿」さん、「東男」さんとの出会いで、原点の魚釣りを思いだす。

2004年 いよいよゴムボート釣りも、慣れてきた。こわごわと漕いで沖に出ていた頃が

               懐かしく思えてきた。こんな頃が危ないとボートの本には書いてあった。

       事故や怪我も無く、アジ三昧の一年でした。

2005年 1月20日とうとう船外機が届いた。中古の船外機で、39000円でオークションで購入。平成3年物です       から結構年代物です。が、淡水使用でエンジンが極上だったので購入しました。

2005年 2月12日 初めて船外機でドリームハーバーから沖に出る。恐る恐るではあったが、快適だった。

2006年 8月27日 JBB280(ホワイトバージョン)購入。初めての船外機専用ボートだ。

2006年11月 JBB280(レッドバージョン)売ってないかもしれない・・・ 導入! アジは10,000匹を超える。

2007年    新しい海へ挑戦!南房総方面で3キロから5キロも走りました。

       2馬力ではそこそこの距離だと思います。Geko201を導入しピンポイントでポイントを制覇。

2008年6月26日 2級小型船舶操縦免許取得 9馬力のくろしお丸で外房を滑走する

2011年3月11日 東日本大震災発生 釣り休止

2017年7月   体力無くなり、ボート釣り撤退、堤防釣りに復帰

2017年11月 旅専用車「ボンジョルノ号」発進

2018年6月 仕事定年 ただの無職の年金生活者となり、車旅に出発!

     

 

釣りの原風景

小さい頃、爺ちゃんとイワナやハヤ釣りをした。夏休みは、カンカン照りの乾いた山道、真青な空に入道雲、セミ時雨をバックに細道を下り川まで降りて、静かに魚を狙った・・・

エサは、川虫、イタドリ、毛ばり・・・

「そこの岩のよどみに、イワナがいるから、動くな!!」

爺ちゃんは、イワナがいる場所を知っている。必ずそこで釣れた。

爺ちゃんは、道具もエサ箱も、竿も、テグスも、毛ばりも、何でも自分で作って見せてくれた。

夕暮れの山村には、夕飯支度のかまどから出るうす紫の煙がたなびき、オレンジ色の夕日が裏山に落ちるころ、ハヤ、イワナが食ってくる。

10匹位釣れた日もあった。柳のYの字型の枝を取り、表面の皮をむいてすべすべにし、そこにイワナやハヤをエラから口に枝を通し、ぶら下げて帰ってくる。重かった。

家では、おばあちゃんが火を起こして待っていた。毎日が釣りだった。

あらから40数年・・・・・

爺ちゃんもばあちゃんもいなくなった。あのイワナやハヤが鈴なりに釣れた川もなくなった。

ただ、爺ちゃんと釣りにはまった、あの光景だけが動画のように駆け巡る。

どこか、ドリームハーバーの風景が重なる。妙に落ち着くんだな〜。

 

 

学生時代は、アマチュア無線に没頭していました。

無線を初めた1970年代当時、まだ真空管が主流で、FT101,TS511,スカイエリート6,FDAM3,TR1200、等の無線機と手作りのHB9CVやクワッドアンテナで世界を駆け巡っていました。メインは21MHz。6大陸との交信を制覇し、残すは、南極と北極のみ。オスカーで衛星通信もやっていました。

生身の声でアメリカや、アフリカの無線局と交信して、片言の英語が通じて喜んだり、南太平洋上を航行する日本のマグロ漁船の乗組員に、今日の相撲の番付を教えて喜ばれたのは、懐かしい話しです。

モンゴルの無線局の方は、秋葉原の小さな店を詳しく知っていたり、世界は狭いと思ったものです。

モービルハムにも、こっていました。車には、HF帯21Mhzの無線機を積んでよく旅行に出かけていました。アメリカの仲間と走りながら情報交換したのは、もう昔の事です。

しかし、今ではインターネットですぐさま相手に通じるのには、おどろきです。97年にはCU−SeeMeで、各国の人々とテレビチャットを楽しんだりしていました。

2007年4月、初級シスアドに挑戦して合格しました。年だけに頭がこんにゃくになってしまいました。