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1925年 7月26日 |
一ノ関〜摺沢間30.6Km開業 |
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1927年 7月25日 |
千厩間39.8Km開業 |
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1928年 9月 2日 |
折壁間49.7Km開業 |
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1929年 7月31日 |
気仙沼間62.0km開業 |
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1932年 3月19日 |
上鹿折間69.5Km開業 |
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1933年 2月15日 |
陸前矢作間79.5km開業 |
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1933年12月15日 |
細浦間97.1km開業 |
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1934年 9月 3日 |
大船渡間103.1km開業 |
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1935年 9月29日 |
盛間105.7.km開業 |
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1956年 4月11日 |
貨物支線 気仙沼〜気仙沼港間開業 |
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1962年 5月15日 |
柴宿開業 |
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1966年12月 1日 |
岩ノ下開業 |
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1983年 3月11日 |
盛〜大船渡間貨物営業廃止 |
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1984年 2月 1日 |
大船渡〜陸中松川間貨物営業廃止 |
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1986年11月 1日 |
猊美渓駅開業・鹿折から鹿折唐桑に名称変更。 |
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1991年 |
秋から順次新型車両キハ100に置き換え |
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1992年 |
大船渡線営業所設置 一般公募でト゛ラコ゛ンレールの愛称が決まる |
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1999年 4月 1日 |
陸中松川〜一ノ関間貨物営業廃止 |
| 2005年 9月 | 大船渡線全通70周年 |
| 2011年 3月11日 | 東日本大震災により全線不通の状態になる |
| 2011年 4月 1日 | 一ノ関〜気仙沼で運転再開 |
| 2011年 4月 7日 | 東日本大震災の余震の影響で再び全線不通 |
| 2011年 4月17日 | 一ノ関〜気仙沼で運転再開 |
| 2012年 4月 | JR東日本・JR四国・JR貨物の共同プロジェクトとしてJR四国のアンパンマントロッコ列車を気仙沼〜猊鼻渓間で合計5日間運転 |
| 2012年10月 4日 | 気仙沼〜盛間をBRTによる仮復旧で沿線自治体と合意 |
| 2012年12月22日 | 大船渡線で使用していた車両を改造し「POKEMON with YOUトレイン」 の運転開始 |
| 2013年 2月 1日 | 「気仙沼線BRT営業所」が大船渡線BRTも管轄する事になり、「気仙沼BRT営業所」に変更 |
| 2013年 3月 2日 | 気仙沼〜盛間がBRTによる仮復旧で運転再開 長部駅・高田病院駅開業 (専用道は大船渡〜盛) |
| 2013年 7月13日 | 臨時駅として奇跡の一本松駅開業 |
| 2013年 9月28日 | 専用道が竹駒周辺・小友〜盛間に延長 碁石海岸口駅開業 |
| 2013年 9月 | 大船渡線営業所 廃止 |
| 2014年 1月14日 | 一ノ関〜気仙沼の鉄道区間で「大船渡線ロケーションシステム」使用開始 |
| 2014年 4月17日 | 観光型BRTの運転開始 |
| 2014年 8月 4日 | 大船渡駅周辺の専用道が大船渡駅周辺土地区画整備事業により、 一般道に変更 |
| 2014年10月 1日 | 奇跡の一本松駅を常設駅に変更 |
| 2015年 3月14日 | 高田高校前駅開業 |
| 2015年 9月 | 大船渡線全通80周年 |
| 2015年12月 5日 | 大船渡魚市場前駅開業 |
| 2015年12月25日 | 気仙沼〜盛間をBRTによる本復旧を沿線自治体が合意 |
| 2017年 4月1日 | 八幡大橋(東陵高校)駅開業 |
| 2017年 4月27日 | まちなか陸前高田駅開業 |
| 2017年10月11月 | 気仙沼〜仙台間 8日間 臨時快速列車運転 |
| 2018年 4月1日 | まちなか陸前高田駅を廃止、栃ヶ沢公園駅開業 |

大船渡線沿革
大船渡線のルーツは明治時代に計画された「磐仙鉄道構想」が、その始まりです。日本の鉄道は、明治5(1872)年に新橋〜横浜間が開通したのを皮切りに、以来、日本の資本主義経済を陰で支えてきました。大船渡線建設の気運が起こり始めたのは明治24(1891)年に現在の東北本線の上野〜青森間が開通した頃と言われています。この頃になると各地で支線計画が立てられるようになりますが、「磐仙鉄道構想」もそのような中で一部有志らによって明治25年頃から気運が高まり、敷設運動が展開されたと言われます。計画は相次ぐ日清・日露戦争や資金不足などで何度も頓挫しましたが、大正7(1918)年に原敬内閣が成立すると地方鉄道の建設は急速に進み、大船渡線も大正9(1920)年に測量に着手され、建設が始まりました。
大船渡線の歴史を語る上で避けて通れないのが「ナベヅル線」の背景です。それは建設過程で陸中門崎から北に向きを変え、陸中松川で東に曲がり、摺沢から南に下り、千厩で再び東に曲がるという鍋ヅルのような格好からその名が付けられたもので、建設当時の二大政党(政友会、憲政会)の政争の綱引きの結果と言われています。たとえばそのまま摺沢から気仙沼に行くとすれば、室根山があり、陸前高田に行くとなると笹ノ田峠があるので千厩に戻るのが技術的にも容易だったのだと考えます。
大船渡線は路線の90%が勾配となり、トンネルは23ヶ所、鉄橋は約200ヶ所となったため、工事は難航を要しました。建設着手から全線開通までの16年の間には、大正13(1924)年4月3日に真滝〜陸中門崎間の北上川架橋工事で3人が水死する事故が起こり、また上鹿折〜陸前矢作にかけての飯森トンネル工事は、峠を突き破るという難工事で、軟弱な断層にぶつかり、日夜苦闘の工事が進められました。そのような中、昭和7(1932)年5月4日、工事に従事する日本人作業員が朝鮮人作業員の飯場を襲う乱闘事件(矢作騒擾事件)が起こり、死者3名を出しました。大船渡線の建設はこのような大きな犠牲のもとでの建設となりました。
まず・・・どうして大船渡線は「ドラゴンレール」と言う愛称がついたか?

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