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はじめに
最初に私の霊的な活動の動機をお話します。 私は若い頃から見えない世界に興味を持っていて、ニューエージ関連の本を読んだり、ワークショップに参加したりしましたが、その頃は、そうした世界は、日常的には特別意識する必要は無いものと考えていました。人間が抱えているエネルギーや環境に関する諸問題は、そうした世界観が普及しなくても、人の理知により、いずれ克服されてゆくだろうと思っていましたし、それほど未来を悲観的には考えていませんでした。 しかし、現在の私は、やはり人々の世界観が根底から変わらなければ、上記の諸問題は良い方向に変わることはないと考えるようになっています。理知だけでは、人は自然と調和して生きることは難しいだろうという、ちょっと悲観的な方向に傾いてきているようです。 人が自然体で生きることができる世界を実現するためには、観念的な理想を唱えているだけでなく、環境やエネルギーの問題を解決しなければなりませんが、何よりもまず、命をつないで行くのに十分な食糧を、誰もが得られるようにならなければなりません。食糧自体はこれ以上増産することは難しいと思われますし、科学的な方法で不自然な増産を目指すことには私は反対です。今ある量を世界全体が分かち合えばよいと考えています。 なにやら大きな話になってしまいましたが、私を霊的な活動に駆り立てるのは、こういう想いなのです。誰もが人間の存在の本質を考え、より高い価値に意識の軸足を置くことで、人々の世界観や命に対する認識が変化して、分かち合える世界観が自然に形成されることを夢想しています。 限られた食糧を分かち合うために現実的に必要な行動としては、肉食を止めて菜食中心の食習慣に移行することだと思います。皆さんが人間という存在の本質を感じて、最良の道を自分で考え、そして結果として、最も自分が望む食の形として菜食を選んでほしいのです。 そしてさらにもう一つ、私を霊的な活動に駆り立てているのは、近年、人の世界観が自然を離れてしまい、その結果、多くの霊魂が未成仏となって、魂の循環の本流から外れて、淀(よど)みの中に沈んでいると感じるからです。 私は死んだ人が好きです^^; 恐ろしい姿を見せられたりするのは困ったものですが、迷っている霊魂たちに、なにやら不思議な親近感を感じます。 生きている人は、組織社会の中で生き抜くために、しばしば無感情になったり、他者の苦痛に対して無関心だったりします。それに対して死んだ人である未成仏霊魂は、とても感情がストレートで表現方法がシンプルです。現実世界を生き抜くために身にまとったヨロイを脱いだ“人の原型”のような存在だと感じています。彼らは、自分達の思いが理解されないことに最も苦痛を感じています。 彼らが求めているのは私達が彼らの思いを理解することです。一緒になって悲しみの海に沈むことではありません。彼らは単なる“成仏できない悲しい愚かな、怖い存在”ではありません。光を求めてさ迷う未成仏霊魂は、現実世界を生きる私達に、人の存在の奥深さを感じさせ、結果として、私達の魂の行くべき方向を教える存在です。彼らを霊界へ導く行為を鎮魂と呼びますが、そのことが結果として私達に霊的進化の方向を教えてくれていると思います。鎮魂という行為は、私達自身の魂を鎮(しず)めることでもあるのです。
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