保育器  ・・凡庸な生としてのパチンコ



(「パチンコの断章」から)

パチンコに漬かってる人間で面白い奴に遇ったことないなぁ(色んな意味でね)
単純で金に汚くて、マイナス思考で何をするのも面倒臭い。ほとんどこんな奴ばっか・・



昔の学友がパチンコで去年トータル200万勝ちだって
喜んでたよ。
思わず「っぷ」って笑っちゃった。

若いうちは努力しといた方がいいよ。
パチンコなんてはした金に踊らされて馬鹿みたいだろ?



パチプは若い子が多いけど、殆んどのパチプは自分の持っている才能に気付くことなく年取っていくんだろうね…



A:まだパチプロやってるよ。今月は80万稼いだぜ。
B:会社やってて、やっと軌道に乗ったよ、今月は80万稼いだぜ。

僕の近くにいます。二人とも。
全然、Bの方が格好良い。
男として魅力がある、いろんな話を聞きたい、と思う。



最近年をとって思うのだが、その人の生きてきた人生が年とともに顔にも性格にも言葉にも自然に出てくるもんだな〜と、話をしててほとほと感じる。



同期にパチンコ・パチスロ好きのパチンカスがいたよ。
話題はパチ関係オンリー。
周りは面白くないから自然と浮いてた。
同僚先輩はちろん女子社員にも相手にされてなかったよ。
で、逃げ込む先はパチンコ屋。
仕事帰りはもちろん休日も。



パチンコって志も能力もない人間が、時間をつぶすために
やってるチンケな賭博だよね。

パチンコやる奴は人間の程度が知れてるよ。
みんな心の中では馬鹿にしている。(口には出さないけどね)



歳とってから後悔すんじゃない?

今からでも人生と正面むかって闘ったほうがいいよ。
逃げ続けてきたから、パチプーまで落ちたんだろ?



パチンカーの実態って見たことある?
自信がなくておどおどしてるクズばかりだったよ。
(某オフ会での印象)



パチでの僅かな勝ちにすがって生きる人こそ、社会の爪弾き者。
現実からパチに逃げ込む方が、よっぽど安易な生き方と思われ。






▼つまらない人たち

多くの人が経験的に知っていることだが、パチンコに夢中になっている人たちというのは、「つまらない」人たちである。話していて、とにかくつまらないのだ。魅力的な人でパチンコに熱中している人はほぼ皆無と言ってよい。

この「つまらない・魅力的」という評価は、社会にとっての有用性とはまったく無関係に、もっとも素朴な形で行われる。たとえば、いわゆる極悪人の中にも魅力的な人はいる。貧乏な人、これといった能力がない人、だめ人間、それらの中にも魅力的な人はたくさんいる。

つまり、「つまらない人間か、それとも魅力的な人間か」という評価は、社会を通した損得勘定をまったく超越し、人と人とが直に触れ合ったその場で発生する、もっとも素朴かつ絶対的な人間評価なのである。誰にとってもリアリティのある人間基準だといえよう。では、パチンコをしていると、なぜつまらぬ人間になってしまうのだろうか。


▼表面的な理由

つまらない人かどうかは、表面的には話していて素朴に感じるものである。断章にも数多くあったが、パチンコをしていると話題が狭い。ほとんどの人にとって最もつまらない行為であるパチンコが、その人にとっては最も重要な関心事なのである。

さらに、話しているときに滲み出るその人の世界観、人生への態度、人間への態度というのが、パチンカーの場合は自己中心的でひがみっぽく貪欲であることが多い。一緒にいて嫌気を誘うのである。


▼個性の掘り起こし

いわゆる魅力的な人というのは、一緒にいて強い印象を残す。好きか嫌いか、いい人か悪い人かの評価を超えて、とにかく存在の強さを印象づけるのである。これは、その人の個性がのびのびと発揮されているからではなかろうか。

なぜ、その人は自らの個性を発揮できたかといえば、今までの人生でそれを掘り起こしたからだろう。人は自分のアイデンティティが動揺したときに、自分の存在を確信するためにより強いアイデンティティを必要とする。ゆえに、自らのアイデンティティが動揺するような場面をどれだけ経験してきたかによって、その人が磨かれてきたかどうかがわかる。

いわゆる、自分の限界に挑戦した人、安易な世界観が通用しない多くの他者に揉まれた人、自信を失わせるような厳しい闘いを乗り越えてきた人、そういう人は魅力的に「なる」のである。何度も自分の存在を問い直し、より強い自己肯定を確立してきたからだ。


▼パチンコ屋という保育器

しかし、パチンコはどうだろうか。引きこもって機械と向き合い、酔っぱらって現実逃避する行為である。これに耽溺することはほとんど妄想の中に逃げ込むに等しい。まさしく、あらゆる試練から逃げて、自らの個性を掘り起こす代わりに母親のおっぱいにしがみつくがごとき行為である。これでは魅力的になるどころの話ではない。

一つ考えてみたいのは、パチンコをしている若者と、そうでない若者の成長の違いである。同じような若者が、パチンコをした5年後と、そうでなかった5年後では、別人のように違ってしまう。

つまり、パチンコをする若者というのは、人生から突きつけられた自分の存在への問いを回避し続け、自らの個性を掘り起こすきっかけを失い、つまらぬ人間になっていくのだ。本当の意味で自分に自信がないまま、ただ幼稚な世界観にすがっている状態だといえよう。


▼パチンコが蔓延した社会

だからといって、パチンコに逃げ込んだ若者にたいし、ただ意志の弱さを責めるのは早計である。そもそも、パチンコが麻薬と同様に危険だという事実は、日本では徹底的に隠蔽されている。誰一人パチンコの危険を訴えていない。むしろ若者がパチンコをやるようにし向けられてしまっている。

この点を考えると、ある人にとっては「手頃なレジャー」だからといって、社会の中にパチンコが蔓延しきった現状を擁護するのは不可能ではあるまいか。

たしかに、パチンコをしなければ魅力的だというわけではない。パチンコと無縁の人間でも、つまらない人もいれば魅力的な人もいる。しかし、パチンコが人間として魅力的になる機会を奪うことは間違いないのである。パチンコに熱中することによって、つまらない人間はますますつまらない人間になり、魅力的な人間は徐々につまらない人間に変わっていくのだ。

今現在も、保育器としてのパチンコ屋が平然と日本社会で機能している。つまり、日々、日本人はつまらない人間へと自らを作り替えているのだ。







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