大学の「教育」機能の充実
国公私を通じた専門職大学院制度の創設
教養教育の充実
キャリア教育の推進
「留学生受入れ10万人計画」の推進
産官学連携の推進
大学設置認可の大幅な弾力化(平成15年度〜)
第三者評価に基づく競争原理を通じた世界的教育拠点の形成
税制改正、私学助成の充実
任期制・公募制の推進
平成3年の大学設置基準の大綱化以降の着実な取組
教育研究の不断の改善
社会に信頼される適正な大学評価が実施できるよう、各実施機関における取組を支援
大学におけるカリキュラム等の改革状況についてによれば、カリキュラム改革の中身は、国公私立総計で実施大学の多い順に科目区分の見直し、卒業要件単位数の見直し、必修・選択見直し、くさび型教育課程、単位計算見直し、コース制導入である。早稲田大学の法学部で考えれば、セメスター制の導入により今まで通年科目だったものが半期科目となったことや三年卒業制度が導入されたことがこれらの改革に該当するだろう。また、くさび型教育課程とはまさにこの教育社会学のような本来専門的な科目として扱われる授業が学部の初期段階で受講できる教育課程を指す。実施大学数で勘定しているためそれらの大学がどの程度の改革を実施しているかはこの数値からは判断できないが、社会の状況が変化する中で、大学も変貌を迫られることは必須であり、何らかの改革が行われていることは評価すべきであろう。改革に当っては十分に事前の検討を加えるべきではあるが、変わりやすい「時代の流れ」と密接に関連しているものだけに、試行錯誤を重ねていく面も許容せざるを得ないと考えられる。そう考えれば、改革がより活発に行われることは歓迎すべきことである。
平成15 年度「特色ある大学教育支援プログラム」審査要項によれば、教育の改善に資する種々の取組のうち、特色ある優れたもの、特に新規性は見られなくても、真摯な教育努力を継続的に積み重ねて着実に成果を挙げているもの等を選定し、これを公共財として蓄積していくことを通じて、今後の高等教育全体の改善に活用すること
が目的である。では、これは平成15年度から始まった制度であるが、具体的にどのような取組が選定されたのか。例えば、早稲田大学から認可された取組は二件であるが、そのうち早稲田単独の取組は「実践的知の確立を目指す現代型教養教育」である。これは、早稲田大学 > オープン教育センター > 教育COEによれば、具体的にはオープン教育センターの設立、オープン科目の設置、Tutorial Englishやテーマカレッジ、大隈塾、インターシップ、ボランティアなどの科目の設置を指しており、規模の大きさや学問分野の幅広さ、豊富な人材をいかした教育
の推進であり、従来の教育の枠を打ち破る斬新でユニークな取組
の展開であるとしている。確かに、これらの取組は在学生から見ても魅力的なものであり、授業内容の充実という点で若干不安は残るにしても、実験的取組であるということと発想とその実践を評価するという点を考えれば十分好評価に値するものだと言える。
専門職大学院設置を求める根本的な問題意識は、各専門職に携わる職業人の質の向上、特に今後一層厳しくなると予想される国際競争で勝ち残っていくだけの国際競争力を持った人材の養成である。そのためには、従来のような資格試験型の人材養成、特に門戸が狭く通過のために特化した訓練が必要とされる資格試験では対応しきれない、ということである。ここで、必要となってくることは、資格認定制度の見直しと専門職養成制度の見直しである。例えば、試験の通過に特化した訓練が厳しく課されていることが問題なのであれば、その試験を易化させればよいかも知れないが、それでは肝心の、必要な能力を持った人材の育成という目的が果たされなくなってしまう。一方、人材養成の枠組みを作っても、そこで学ぶこととは違ったことが資格獲得のために必要となれば、受験生にとって人材養成制度は形骸化したものとなってしまう。そこで、この二つの要請に同時に応えるために考えられ、また多くの国で既に実践されている制度が、専門職大学院制度である。
少なくともこの資料からは、ボランティアを取入れた授業というものは好意的に評価されており、他の大学も積極的に導入すべきだ、という価値観が垣間見える。では、ボランティアを授業に取入れることの意義はどのようなものなのだろうか。大学の授業における「ボランティア活動」は、その問題点を意識しつつ、意義についても触れている。それによれば、大学側としてのボランティア授業の目的は、通常の授業ではなかなか確保できない社会との接点を確保すること、そしてそれは学生の意識の問題であるとともに、大学で学ぶ知識をより社会的現実と関連付けることにも役立つ。しかし、大阪ボランティア協会が述べているように、そこにはボランティアを受け入れる側の視点が欠けている。確かに、社会にはボランティア、特に若者の力を必要としている現場が多く存在するのは確かだろう。しかも、少子高齢化の進む現代とあってはなおさらだ。しかし、ボランティアによる臨時労働力は、その職場に不慣れな人間であるというデメリットがある上に、勤労意欲が自発的であるという最大の特長が、単位として登録することにより、解消されてしまう恐れがある。それが、実際に大阪ボランティア協会によって指摘されている現象である。また、単位として認定しなければ、ボランティア労働の意思のある学生も参加しにくく、認定することで潜在的なボランティア意欲層を掘り起こすことができる、という反論も考えられる。しかし、単位を認定するということは、その行為に対してある種の報酬を認める、ということであり、それを目的意識に持った従事者を生む可能性を常に孕んでいる。早稲田大学では、ボランティアを単位として認定していたり授業の一環として導入していることはない、少なくとも大々的にアピールしていることはないと思える。一方で、WAVOCという事業所を設けてボランティアの仲介自体は積極的に行っていると聞く。このことは、ボランティアを行う上での障害を最小限にするための取組として評価できるのではないだろうか。だた、これも程度の問題であり、リスクの少ないボランティアに対してはそれだけ覚悟の弱く意志の低い参加者が応募することが考えるわけで、受入れる側としては一概に良いと言えるものではないのかも知れない。しかし、先述のように、ボランティアを必要としている職場が多いのも事実であると考えられるため、現実的判断としては、ボランティアを行う上での障害を可能な限り取り除いていく努力、しかしボランティアには得点を与えないような方策が求められるのではないだろうか。
外国語による授業には幾つか意義があると考えられる。一つは、大学で、或いはそれ以前の段階で学んだ外国語を実際に使用する機会を設けることで、外国語学習をより現実的なものにし、また並行する外国語学習のインセンティヴを高めることである。また逆に、実践的に外国語をしようすること自体で、その外国語の学習をも発展させることができるだろう。また、外国語での授業としての本質的な利点ではないが、その言語を使う国で発達した学問や文化を学ぶためには、一定以上の水準では、原語に直接当らなくてはならない。外国語による授業は、授業という枠組みの中で、その機会を提供するものである。同様なことは、何もその言語による文化活動にのみ当てはまることではない。一般的により多様な知識を受入れる、言わばアンテナを広くすることにもなる。日本語以外の話者の持つ知識を受入れることが可能になるのである。例えば、オープン教育センター設置のアラビア語ネイティヴの授業を教えているナクシュバンディ先生は、英語とアラビア語しか話さない。日本語は、単語のみである。この先生について考えた場合、我々は英語という言語を通すことによって、初めてネイティヴによるアラビア語の授業を受けることができるのである。これは、本来的にこの資料の指しているものとは違った形態かも知れないが、一種の「外国語による授業」であり、示唆的な事例であることは確かである。
国際的なボーダーレス化が進む現代において、労働力市場では、日本人は総体として賃金水準が高く、国際競争力が強いとは言えない状況にある。それでいて、物価などから考えて、賃金水準を引き下げることは現実的に実行可能なものではない。そこで日本人の労働者としての国際競争力を高めるために行わなければならないことは、労働者としての付加価値の向上である。これは、例えば各専門技能・知識の向上であり、大学が教育として行い得るものだろう。この意味で、重要な取組である。
参照した個所にすべて明示したが、改めて以下にリストアップする。