「現代の世相を背景に
“企業における危機管理の欠如”をテーマに、
責任ある世代の普通の男達の、
善と悪、愛と憎しみ、夢と野望、信頼と裏切りを通して、
男の友情・家庭・仕事
そして人生の意味を問いかける
大人のための大人のロマン。」
というふうに
書いてあります、
公式HPの「みどころ」には。
でも、
そんなふうには見えなかったなぁ〜
ワタシには。
もしも、
そういうドラマを楽しみにして
オンエアを観たら、
ちょっと期待はずれ
なんじゃないかな。
このドラマって
たとえば
このあいだNHKでやってた
「新宿鮫 氷舞」とか
映画「金融腐敗列島」みたいに
ひとりの男が、
企業とか社会のウラに潜む
悪とか腐敗とかと
敢然と闘う
(あるいは巻き込まれて
闘うハメになる)
っていう話とは、
やっぱりちょっと
違うと思うんですよ。
え〜と、
後半のほうに
こんなシーンがありましたよね、
主人公の高森(三上博史さん)が
ケガをした親友を見舞う病室のシーン。
高森「オレさ、
この頃よく思い出すんだ、
地獄の合宿。
あのアリ地獄みたいな砂浜を
ゴールめざして走る・・」
この科白があって、
で、
最後の砂丘でのクライマックス。
これって、
つまり
「私たちの立ってる足元って、
アリ地獄みたいなもんでしょ」
っていうことでしょ。
まあ、ミもフタもない
言い方をしてしまえば、
「私たちの信頼してる
会社とか、社会とか、国家とかって、
実は、一皮むけば、
得体の知れない闇みたいなもんで、
ワケのわからないものだから、
そーゆーものを信用するという
前提で成り立ってる
私たちの足元って、
まるでアリ地獄」
ということでしょ。
だから、
たとえば
最後の砂丘でのシーンだって、
あっちこっちから
いろんな“敵”が現れては
撃ったり、撃たれたりして、
結局、ワケがわからない。
これを
「ワケがわからないじゃないか」
というのはヤボなんで、
だってここは、
「結局、こういうことでした」
って種明かしをするシーンじゃなくて、
「やっぱり、ワケわかんないんだよね」
っていうことを
念押しするシーンなんだから。
そういう意味で、
象徴的だったのが、
高森が部下の“浜島”(北村一輝さん)を探して
赤羽のクラブを訪ねるシーン。
高森がホステスに
「浜島という客を知っているか?」
と尋ねると、黙って手を出す。
しかたなく金をやると、
「私は知らないが、知ってる人を連れてくる」
という。
代わってやってきた女性に
同じことを尋ねると、また手を出す。
今度も金をやると、
またしても、
「私は知らないが、知ってる人を連れてくる」。
で、高森もキレて怒り出す。
と、マダムらしき女性があらわれ、
「私が浜村という人を知っていても、
知らなくても、
教えることはできません。」
とピシャリと言われ、
屈強な男たちにつまみ出されてしまう。
その間、なぜかステージでは
ダンサーがクネクネ踊ってて。
---こういう
“ワケのわからなさ”に
いつも行く手を阻まれてしまう
っていう話なんですね、結局。
このシーンでもわかるように、
このドラマ、
描き方が、リアルではなくて、
むしろ象徴的ですよね。
特に、
盗聴器を探して、
オフィスをボロボロにしてしまうあたりから、
大胆にリアリズムを逸脱してしまう。
だって、
最後だって、住宅街からいきなり砂丘ですよ。
あれは
ドラマチックな演出というよりは、
“象徴的な空間としての砂丘”
と考えたほうが
無理がないでしょう。
だから、冒頭で言ったように
「新宿鮫」とか「金融腐敗列島」みたいな
リアリズムのつもりで観ちゃうと
「ちょっとね〜」
になっちゃうんじゃないかな。
どちらかというと
ワタシは、
一連のデビッド・リンチ作品を思い出しました、
「ブルーベルベット」とか。
唐突でスイマセン。
冒頭のHPからの引用に戻ると、
「“企業における危機管理の欠如”をテーマに」
とか言ってるけど、
この会社、ちっとも
危機管理意識が欠如してる
ようには見えないですよね。
むしろ十分すぎるほど
危機管理をしても、
結局は
「『ロンゲストヤード』のバート・レイノルズ、
脱走しませんよ。」
なんて言われてしまう、
そういうコワさを
描いてる、というように
ワタシには見えました。
いずれにせよ、
TBSがワザワザ
フジ月9の最終回に
ぶつけてくるだけのことはある、
見応えのあるドラマでした。
しかも、
いかにも従来のテレビドラマ的な描き方
とはぜんぜんちがうアプローチで、
なるほど、
こういうのもアリなんだ、と、
テレビドラマの枠を広げてくれた感じがして、
拍手です、
ワタシ的には。
(SEPTEMBER.23)
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