Vol.20

動機なき逆転劇「合い言葉は勇気」

このコラムの基本として、
悪口を言わない、というのがあったんだけど、
(つまらないドラマは、ワタシが観なきゃいいだけですから)
今回は、あえて、
ちょっと言っちゃおかな。
以前「合い言葉は勇気」を
“大型車の乗り心地”と持ち上げたときに、
迷った末に書かないでおいたこと、
え〜と、
それは、
最近の三谷ドラマは説得力がない
ということ。
(言っちゃった)

たとえば、
『総理と呼ばないで』
「史上最低と言われた総理大臣が、
実は“最低”であることによって、
政治を流れを変えようとしていた。」
という逆転の構図。
う〜ん、よくわからない理屈。
コケた。
『いつか宇宙の片隅で』
「女の扱いに手慣れた色男(石橋貴明)に、
いつもおいしいところを持って行かれるばかりの冴えない男(西村雅彦)が、
最後には彼女(飯島直子)のハートをつかむ。」という、
筋書きは確かにドラマチック。
でも“どうして飯島が西村に寝返ったか”が
やっぱりよくわからない。
コケた。
で、
今度の
「合い言葉は勇気」
「ニセ弁護士が、最後にはニセであることがばれながら、
それでも勝利をもたらすことによって
“ホンモノ”になる」という話。
でも、
なんで最初は動機が不純だったニセ弁護士(役所広司)が、
最後は村を救おうと決意するのか。
不明。
初めて人に頼りにされたから?
信乃ちゃんに惚れたから?
それはちがうんじゃないかい?
この場合、
役所広司は本気で村のことを考え、
フナムシ開発の悪を倒そうと決意する
という“正しい”動機があってこそ、
このストーリーは、
感動的になるんじゃないだろうか。
なんか、
感動的な筋書きだけがあって、
裏付けというか、説得力がないんだよなぁ。

三谷作品の傑作(とワタシは思っている)
「振り返れば奴がいる」も、
やっぱり、
善玉だと思わせた石黒賢が、
実は底の浅い正義漢きどりで、
悪役だと思わせた織田裕二が、
実は心の中に思慮深い優しさを秘めていた、
という逆転の構図。
でもこれは、
説得力、ありました。
織田裕二扮する司馬先生は、
最後まで結局自ら心の内を明かすことはなかったけど、
黙したまま、三谷脚本は、
ウチにある“いい奴”を視聴者に自然に感じさせていたし、
なによりも、
そこには、
世の中のありがちな構図のその実を暴いてみせる
三谷幸喜の人間としての
憤りや優しさが垣間見えていてような気がしたものです。

ところが最近の三谷作品は、
ドラマチックな筋書きだけが先に立って、
なんでそうなるの?っていう
説得力がないんだよね。

このドラマ、
後半は得意の法廷劇に持ち込んで、
(「12人の優しい日本人」という傑作あり)
言葉(ロジック)の妙で逃げ切るつもりかもしれないけど、
かえって説得力のなさがアダになるかも。
法的劇の魅力って、
“どう考えてもウムを言わせない結論”が、
最後には見事に覆ってしまう痛快さだと思うんですよ。
画面に動きがないんだから、
それこそロジックの妙ですよね。
ところが、
今回のフナムシ開発事件、
そもそも“フナムシ”からして、最初からギャグ。
つまり、覆すべき“ウムを言わせない結論”が
最初からギャグでしかない。
その言い分も、なんだか屁理屈っぽい。
これでは、最後に覆ったところで、
う〜ん、どうなんでしょう。

せっかく
途中は大型車らしくダイナミックになってきたんだから、
最後もスカッとさせて欲しいものです。
古畑任三郎みたいに、ね。

(SEPTEMBER.5)


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