「み言葉から」 2010

主がこの者に語ってくださったみ言葉を、私はこのように受け止めさせていただきました。
同じみ言葉でも、主はお一人お一人に合わせてお示しくださいますことを思います。

                                              (日本聖書協会発行の新共同訳から引用させて頂いております。)

箴言 コヘレトの言葉 雅歌 イザヤ エレミヤ 哀歌 エゼキエル ダニエル ホセア ヨエル アモス
オバデヤ ヨナ ミカ ナホム ハバクク ゼファニヤ ハガイ ゼカリヤ マラキ 民数記

2010年1月

1/1 箴言

1章33節

わたしに聞き従う人は確かな住まいを得/災難を恐れることなく平穏に暮らす。
「主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。」と言われています。主を畏れる知恵を上からいただくと、完全なる創造主に従いたいと祈るよう
になります。弱い者ゆえ従えない時もありますが主に赦しを乞い祈ることができます。地上にも天にも住まいを備えてくださりお守りくださること、平安を感謝です.。
1/2 箴言

2章5節

あなたは主を畏れることを悟り/神を知ることに到達するであろう。
主は全宇宙をご支配なさっておられるお方。創造主のみ業、ご愛を知り主を畏れるようになりました。主を知る前の自分は肉体的には生きておりましたがただ生を受けていただけ。主を知って初めて主によって生かされているとわかり、本当の人生が始まりました。み言葉をいただき祈り感謝できます幸いは何物にも代えられません。
1/3 箴言3章6節 常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば/主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。
「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。」と言われます。主がこの者に敷いてくださっている道を歩みます。でこぼこの道でも道なき道でも主
の道を歩みます。分かれ道に戸惑う時、主に祈って歩みます。主はまっすぐな道に導いてくださいますから信じて歩めます。自分の分別に頼らずいつも主に祈ります。
1/4 箴言4章23節 何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。
自分に問いかけました、守りたいものってなあに? 守りたいのは夫や子供や孫たちそして自分の生命かな。でも生命は主の御手にあるものだから自分では守れない。主は心には命の源があるから心を守れと。自分の心を空っぽにして主にあけ渡し主に居ていただかないと。目に見えるものに心を奪われないよう主にのみ頼り祈ります。
1/5 箴言5章21節 人の歩む道は主の御目の前にある。その道を主はすべて計っておられる。
私の日々の歩みを主はいつも見てくださっている。御目の前を歩まされている。道を逸れて行きはしないか、転んだ時には立ち上がれるだろうか、迷わないか等など見
守ってくださいます。共に歩いてくださっていると気づいた時、愛されていると知った時、先が見えなくても安心して希望をもって前に踏み出せるようになりました。
1/6 箴言6章20節 わが子よ、父の戒めを守れ。母の教えをおろそかにするな。
父や母から教えてもらったことは道徳的なことではなかったでしょうか。親になって自分は子供に何を教えてきたでしょう。イエス様の十字架のご愛を知っていたら主
に祈って子供と向き合えたでしょうに。でも遅くはない!子供や孫に主を伝えていきたいと切に祈っています。主を第一に生きてほしいと。主よどうかお導きください。
1/7 箴言7章24節 それゆえ、子らよ、わたしに聞き従い/わたしの口の言葉に耳を傾けよ。
蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」目に見えるこの世界ではあちこちに誘惑の招き、地位や名誉や富や性の欲望がひしめいています。主の戒めより蛇の言うことを聞いエバ、この者だって同じような者です。誘惑に負けないためには主に頼り主のみ声が聞けるようにみ前に祈ること。
1/8 箴言8章8節 わたしの口の言葉はすべて正しく/よこしまなことも曲がったことも含んでいない
『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』アーメン。「義人はいない。ひとりもいない。」みな罪の者です。讃美や祈りの言葉と
共に、その同じ口から悪意、悪口などが出て自分や人を汚し主を悲しませます。真実な偽りのないみ言葉を主から毎日いただき悔い改めに導かれますこと感謝します。
1/9 箴言9章5節 「わたしのパンを食べ/わたしが調合した酒を飲むがよい
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。」聖餐式の恵みを思います。12弟子の末席のずうっと後ろの
末席においていただきイエス様のお給仕でパンと契約の血の葡萄酒を頂戴できること。それも息子と共に与る事は天国に帰ったような喜びで身が引き締まります。感謝。
1/10 箴言10章19節 口数が多ければ罪は避けえない。唇を制すれば成功する。
だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。」このようになれたらと願っています。自己主張ではなく人の話を良く聞ける者にと祈ります、
自分ではできないので主に頼ります。口は主への賛美と祈りだけに使えたら!息子は言葉を主に預けてきたので人を傷つけません、いつも罪から守られています。
1/11 箴言11章23節 神に従う人の望みは常に良い。神に逆らう者の期待は怒りに終る。
主に従っていきたいと祈る人は、自分の願いではなく主が成してくださることが最善だと受け止めるし、その時は感謝しにくいことであっても必ず主の御心がわかるよう
になると確信できます。神に逆らう人は自分の都合だけ願い思うようにならないと受け入れがたく期待はずれだと怒る。主は平等に恵みをくださる、晴れの日も雨の日も。
1/12 箴言12章4節 有能な妻は夫の冠。恥をもたらす妻は夫の骨の腐れ。
妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。」主に仕えることを前提として、同じように夫に仕えなさいと妻は言われています。主よ、と言いながら主を追
いやって自分が仕切ってしまっていることを告白します。夫に対しても同じなのです。主の御前にへりくだって生きることで妻は夫の冠となれる。主よ、憐れんで下さい。
1/13 箴言13章24節 鞭を控えるものは自分の子を憎む者。子を愛する人は熱心に諭しを与える。
なぜなら主は愛する者を鍛え、/子として受け入れる者を皆、/鞭打たれるからである。 子を愛するゆえに子が間違ったことをした時、危険な道に行こうとした時は厳
しく諭します。天のお父様もこの者を子として選ばれ試練を下さる。苦しみの中から主を呼び求めました。試練の先に大きな祝福が見えました、罪の赦しと永遠の生命と。
1/14 箴言14章1節 知恵ある女は家庭を築く。無知な女は自分の手でそれをこわす。
夫と出会えたことも主によって。夫と家庭を築いてこられたのも主によって。子供を授かったことも主によって。孫を授かったことも主によって。家事もろくにできない
まま妻となり子育てもわからぬまま母になり夢中で生きてきて祖母となり。主が無知な者に時にかなった知恵をくださり導き守ってくださって今があります。感謝だけ。
1/15 箴言15章17節 肥えた牛を食べて憎み合うよりは/青菜の食事で愛し合う方がよい
どのような境遇にあっても「心が朗らかなら、常に宴会にひとしい。」とあります。家族がそろって食卓を囲み主に感謝していただく食事は毎日が楽しい宴会、一家団ら
ん。何を食べるかではなく誰と食べるかが大事なことなのでは。家族や兄姉といただく食卓はいつも笑顔のごちそうで満たされます、霊も身体も。主が共におられるから。
1/16 箴言16章31節 白髪は輝く冠、神に従う道に見いだされる。
主からいただいた白髪の冠を主にあって誇ります。「白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」と言ってく
ださっています。白髪になるまでもの長い年月をお守りくださり、こののち老いても背負い救い出してくださると。主のみ跡を永遠の故郷までついてまいります、感謝。
1/17 箴言17章3節 銀にはるつぼ、金には炉、心を試すのは主。
金銀はるつぼや炉によって不純物が取り除かれ価値ある高価な貴金属になっていくとか。私たちの心も、生まれ持った罪の不純物を取り除き砕かれ磨かれ清められて
いかなければなりません。るつぼや炉の代りをしてくださるお方は神様です。主は一人ひとりの心を調べ、試練を通し、キリストに似た者として天に迎え入れてくださる。
1/18 箴言18章24節 友の振りをする友もあり/兄弟よりも愛し、親密になる人もある。
♪食する暇もうち忘れて虐げられし人を訪ね友なき者の友となりて心砕きしこの人を見よ。ここに友としてのイエス様のお姿が。「 友のために自分の命を捨てること、
これ以上に大きな愛はない。
」と言われます。十字架にかかられたイエス様は終世変わらぬ友でいてくださる。主にあって祈りあう信仰の友も主からのプレゼント。感謝。
1/19 箴言19章21節 人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。
私の時は、御手の中にあります。」今、生かされてあるこの肉体の生命も、この者が自分の持ち物と思っているものもすべてが主のもの。明日あれをしよう、これをし
ようと計画を立てても叶うか否かご存じなのは主おひとりだけ、すべて主のご計画だけが成る。すべて結果は最善に!主を畏れます、主のみ旨のままを受けとります。
1/20 箴言20章22節 悪に報いたい、と言ってはならない。主に望みをおけ、主があなたを救ってくださる。
人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。」イエス様は「右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」とまで言われます。裏切りや誤解や悲し
みなどの思いもすべて主はご存じです。誰もわかってくれなくても主がわかってくださる。その時は許せなくても許せるよう祈っていこう、救い出してくださる主に。
1/21 箴言21章9節 いさかい好きな妻と一緒に家にいるよりは/屋根の片隅に座っている方がよい。
夫を屋根の片隅に追いやることのない妻でありたい。どうか自我を捨てて心から従える者へとお導きください、お守りください。小さな言い争いの時にも正論を振りか
ざしてしまう者です。「主は心の中を測られる」お方ですので自分のいいように理屈をこねているとお分かりです。古い自分がいつも顔を出します、憐れんで下さい。
1/22 箴言22章4節 主を畏れて身を低くすれば/富も名誉も命も従って来る。
すべてをご支配なさっておられる全能の主を畏れます、この者が生まれる前から見守ってくださっている主、心の底まで見ておられる主の御前にひれ伏すばかり。主は
わたしの恵みはあなたに十分である。」と。この者には富や名誉は要りませんが必要なものはすべて満たされます。永遠の生命も約束してくださっています。感謝。 
1/23 箴言23章18節 確かに未来はある/あなたの希望が断たれることはない。
確かにある。いくつになろうとも生ある限り主が備えられる未来の日々に大いに希望を持って歩む者でありたいです。老いて何もできなくなった時も主への祈りを捧げ
ることはできます。主への信仰を持ち続けることはできます。主を伝え続けます。主を知ってこの者の辞書に「絶望」の2文字は消え去り「希望」に変えられました。
1/24 箴言24章16節 神に従う人は七度倒れても起き上がる。神に逆らう者は災難に遭えばつまずく。
人生の中で困難や失敗や挫折、病いもあるでしょう。自分ではどうしようもない時、誰に頼るか?主を受け入れてる人は主に頼ります。試練も主からきていることを
知っているから目に見える現実は大変でも必ず最善に成ると信じて立ち上がれる。主に頼らず人に頼ろうとしても、人が人を助けることはできず問題だけが残ります。
1/25 箴言25章9節 自分のことについて友人と言い争うのはよいが/他人の秘密を漏らしてはならない。
人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」とあります。人にされたくないことは自分もしてはいけないということ。「祈ってください」と言われ
たことは、大切に心に留めて主にのみ打ち明け主にのみ祈ること。信じて話してくれたことを決して裏切ることはできない。主よこの者の口をお守りください、祈ります。
1/26 箴言26章27節 穴を掘る者は自分がそこに落ち/石を転がせばその石は自分に返ってくる。
あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。」人にしたように自分も同じく扱われると言われる。イエス様は十字架にかかってまでこ
の者の罪を赦してくださった。私も許せる者になりたい。人は見ていなくても神様はいつも心を見ておられる。自分ではできません、どうか弱いこの者を憐れんでください。
1/27 箴言27章19節 水が顔を映すように、心は人を映す。
体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが」目はきれいなものも汚れたものも見ますがいつも清い主を見上げて澄んだ目でいられたら。
40過ぎたら自分の顔に責任を持てと言いますが、顔にはその人生が長い時間をかけて作られ刻まれるのでは。心は私をどう映すのか怖くもありますが主に頼ります。
1/28 箴言28章21節 人を偏り見るのはよくない。だれでも一片のパンのために罪を犯しうる。
人はうわべを見るが、主は心を見る。」どんなに外側を着飾っても主は心を見ると言われます。世の中では地位、学歴、財産、服装などで判断していくかもしれませ
んが心で向きあっていきたい。「一片のパンのために罪を」ジャンバルジャンを思い浮かべました。自分もその身になったら罪を犯さないと言い切れない弱い者です。
1/29 箴言29章25節 人は恐怖の罠にかかる。主を信頼する者は高い所に置かれる。
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。」主はこう語ってくださる。自分の力に頼っていると、世間の目を気にしたり人
を信じられず疑心暗鬼に陥ったり周りが見えなくなって泥沼に陥ってしまうことがある。主を信じ頼って行けば恐怖から救い出し安心できる所に置いてくださる。感謝。
1/30 箴言30章8節 むなしいもの、偽りの言葉を/わたしから遠ざけてください。貧しくもせず、金持ちにもせず/わたしのために定められたパンで/わたしを養ってください
神さまからのみ言葉だけをいただき、感謝して生きていく者でありたいです。生命の食べ物のみ言葉と、家族を養うための食物をいただけるだけで恵みは満ち足ります。この者が生を受けてからずっと衣食住を与えられ、贅沢は知らないけど着飾ることもないけれど、平凡な幸せをいただいています。心はいつも主への讃美で満ちてます。
1/31 箴言31章8節 あなたの口を開いて弁護せよ/ものを言えない人を/犠牲になっている人の訴えを。
イエス様はいつもどんな時も弱い人たちの味方でいてくださいます。ものを言えない人、病気の人、困っている人の心の中の思いを、口を開いて声を出せる者が弁護せ
よと言われます。この者も主に勇気をいただき小さな声ですが出していけるようになりました。うまく伝わらないような時も主が知恵をくださり人に伝わっていきます。

2010年2月

2/1

コヘレト
1章2節
コヘレトは言う。なんという空しさ/なんという空しさ、すべては空しい
主を信じる者は、だれも失望することがない」と。主を信じない人生では「すべての労苦も何になろう。」「一代過ぎればまた一代が起こり」「日は昇り日は沈み」「どれもみな空しく、風を追うようなことであった。」と。目に見えるものは消え去っていきますが、主の御許には永遠があります。主により空しさが希望になります。
2/2 コヘレト
2章20節
太陽の下、労苦してきたことのすべてに、わたしの心は絶望していった。
わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」この世の富や財産すべて主からお借りしているものだから主
にお返しするもの。朽ちていく目に見えるものだけに心を奪われていたらすべてが労苦に終わるのでは。絶望から希望への鍵は朽ちない永遠の生命をもつ主の御手に。
2/3 コヘレト
3章14節
わたしは知った/すべて神の業は永遠に不変であり/付け加えることも除くことも許されない、と。神は人間が神を畏れ敬うように定められた。
神さまが全てをお創りになられ、すべてをご支配なさっておられ、神さまによってこの者も造られました。神様のご計画は変えることはできませんし、み業を見極める
こともできませんが、でも、神様に全てをお委ねすることはできます。自分は何もできないと知り、全能の神を畏れ敬う心をお与えくださったことを感謝いたします。
2/4 コヘレト
4章9節
ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い
二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」共に居るとイエス様は言われます。夫婦も主にある兄弟姉妹も仲間達も
出会ってよかったと言える関係、主が出会わせてくださった方々の真ん中にいつもイエス様がいてくださる恵み、感謝です。主と夫と歩んできて今の喜びがあります。
2/5 コヘレト
5章18節
神から富や財宝をいただいた人は皆、それを享受し、自らの分をわきまえ、その労苦の結果を楽しむように定められている。これは神の賜物なのだ。
神さまは必要なだけの富をくださいます。主の恵みを感謝しつつ、いただく中でやりくりしながら日々を過ごせる幸いを思います。神さまからの賜物を大切に自分の
身の丈にあった平凡な暮らしを生きる時主は祝福をくださいます。労苦の中でも主にある平安と平和をいただけます。「神がその心に喜びを与えられるのだから。
2/6 コヘレト
6章12節
短く空しい人生の日々を、影のように過ごす人間にとって、幸福とは何かを誰が知ろう。人間、その一生の後はどうなるのかを教えてくれるものは、太陽の下にはいない。
誰もが求める幸福って?青い鳥を探したら家の中にという童話もあるけど。幸福を求めようとしても売っていない、この世の目に見える何かに、誰かによって、幸福
は得られない。主にある幸福を手に入れ、肉体の死の後は涙もない永遠の故郷へ帰れる約束を与えようと言われるお方の元に答えがあると聖書に書いてありました。
2/7 コヘレト
7章2節
弔いの家に行くのは/酒宴の家に行くのにまさる。そこには人皆の終りがある。命あるものよ、心せよ。
全てこの世に生を受けた人には、必ず終わりの日が訪れます。葬儀は人が死と向き合う機会です。死後はどうなるかはっきりわからなかったらご遺族も悲しみだけで
すが、主を信じた時天国での再会、別れも涙もない永遠の生命が約束されています。一時の別れの淋しさはありますが神さまから再会の希望をいただき慰められます。
2/8 コヘレト
8章7節
何事が起こるかを知ることはできない。どのように起こるかも、誰が教えてくれようか
明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」と言われます。神さまが全てご計画を立てられご支
配なさっておられます。人は明日のことすら分からないのです。明日は神様のものだからです。何が起きても必ず主は最善に成してくださるお方。ついてまいります。
2/9 コヘレト
9章7節
さあ、喜んであなたのパンを食べ/気持よくあなたの酒を飲むがよい。あなたの業を神は受け入れていてくださる。
これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。」「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」聖餐式に与らせ
ていただく喜びの時を思います。この者のそのままを愛して下さり息子や夫と共に主の食卓に招いてくださっていること、感謝しかありません。天国に居る心地です。
2/10 コヘレト
10章10節
なまった斧を研いでおけば力が要らない。知恵を備えておけば利益がある。
どんな状況にあっても、いつも主を信じて主に祈る時,たとえ将来が見えなくても「どうなるだろう」という心配や思い煩いや気構えから解放され肩の力を抜いて歩むこ
とができます。主が支え重荷を共に担ってくださるから。主に頼るという知恵、信仰をしっかり持ち続けていれば必ず益になります。最善に成してくださるお方ですから。
2/11 コヘレト
11章1節
あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを見いだすだろう。
命のパンであるイエス様をお伝えできるようにみ言葉の種をあちこちに流しておけば、いつか時がたって実を結ぶだろうと言われます。自分の目には無駄に見えて何
の結果も出ないかと思えても、人の努力や思いではなくなんでもお出来になる主が成してくださることに主への信頼、希望をつなぎあきらめずに伝えていきたいです。
2/12 コヘレト
12章1節
青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに。
まだ親の庇護のもとに居る時に、創造主を受け入れ信仰を持って歩み出せることの幸いを思います。人は試練を通して悲しみや優しさを体験し、初めて深い哀しみも
愛も生まれてきます。苦しみの中で救い主を知っているか知らないかで雲泥の差です。主に繋がっていれば年を重ねても空しさでなく永遠の生命への希望が持てます。
2/13 雅歌1章7節 教えてください、わたしの恋い慕う人/あなたはどこで群れを飼い/真昼には、どこで群れを憩わせるのでしょう。牧童たちが飼う群れのそばで/顔を覆って待たなくてもすむよう
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」愛するイエス様。私が生まれる前から見守ってくださり今もずっと共に歩んでくださっているお方。♪飼い主我が
主よ迷う我らを、 と讃美歌にあるように目には見えないけれどそばに居て養ってくださる。罪を赦された者として顔を覆って待たなくてすむこと感謝いたします。
2/14 雅歌2章1節 わたしはシャロンのばら、野のゆり。
「シャロンのばら」や「野のゆり」は美しく香りのよい花で、イエスさまは「シャロンのばら」とか「野のゆり」とも呼ばれました。♪シャロンの花イエス君よ我がうちに
開き給え、良き香り麗しさを我れに分かち与えつつシャロンの花イエスよ我が心に咲きたまえ♪と讃美歌にあります。イエス様の香りを人に伝える者になれたら。
2/15 雅歌3章4節 彼らに別れるとすぐに/恋い慕う人が見つかりました。つかまえました、もう離しません。母の家に/わたしを産んだ母の部屋にお連れします。   
だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」古い自分と別れた時にイエス様が見つかり
ました。母の胎から生まれた自分を捨て主によって永遠の生命をいただいて新しく生まれ変わることができました。主を受け入れた時から本当の人生が始まりました。
2/16 雅歌4章7節 恋人よ、あなたはなにもかも美しく/傷はひとつもない。
きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。」イエス様ご自身は罪も汚れもないのに罪の者たちのために十字架にかかり私たちを贖ってくださ
いましたので私たちの罪は赦されました。復活のイエス様には十字架にかかった時の傷跡があるのに私たちはイエス様によって傷のないものとされました。感謝です。
2/17 雅歌5章6節 戸を開いたときには、恋しい人は去った後でした。恋しい人の言葉を追って/わたしの魂は出て行きます。求めても、あの人は見つかりません。呼び求めても、答えてくれません。
見よ、わたしは戸の外に立って叩いている」主の御声を聞いてもすぐに開けようとはせず、自分の用事をすませてからやっと戸を開けた時には主の姿は見えなかった。「今日あなたたちが神の声を聞くなら、心をかたくなにしてはならない。」とヘブライ人への手紙にもあります。いつも主のみ声を聞き従える者でありたい、祈ります。
2/18 雅歌6章9節 わたしの鳩、清らかなおとめはひとり。その母のただひとりの娘/産みの親のかけがえのない娘。彼女を見ておとめたちは祝福し/王妃も側女も彼女をたたえる。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」と神様は言われます。ただひとりのかけがいのない娘と呼んでくださりこんな者を愛してい
ると。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」母が我が子を愛する以上に人々を愛してくださる、これ以上の愛はありません。主を畏れます。
2/19 雅歌7章1節 もう一度出ておいで、シュラムのおとめ/もう一度出ておいで、姿を見せておくれ。マハナイムの踊りをおどるシュラムのおとめに/なぜ、それほど見とれるのか。
わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」主は呼びかけられます。
踊りを踊るおとめに見取れないで「姿を見せておくれ」と。主のみ前に出て主と語り合うこと、祈る姿を見せておくれ、と主は願っておられ呼びかけてくださっています。
2/20 雅歌8章7節 大水も愛を消すことはできない/洪水もそれを押し流すことはできない。愛を支配しようと/財宝などを差し出す人があれば/その人は必ずさげすまれる。
信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」とあります。どんなに困難が押し寄せてもどんな状況に置かれても
神の愛に勝つものはありません。イエス様の十字架のご愛より大きな愛はありません。神のご愛だけでなくこの世の愛であっても金銀で買うことはできない。主に感謝。
2/21 イザヤ1章18節 論じ合おうではないか、と主は言われる。たとえ、お前たちの罪が緋のようでも/雪のように白くなることができる。たとえ、紅のようであっても/羊の毛のようになることができる。
神さまが罪の者と向き合ってくださる。話し合おうと言ってくださる。今までの人生がどんなに罪深くても、そのままでおいでと言われる。神さまは御前に出ること
を待ち望んでおられ、悔い改めの機会をお与えくださる。緋色に染み付いた罪を主ご自身がぬぐい去ってくださる。罪にけがれたこの者の心を清めてくださる。感謝。
2/22 イザヤ2章22節 人間に頼るのをやめよ/鼻で息をしているだけの者に。どこに彼の値打ちがあるのか。
あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。」人が人を救うこ
となどできません、自分のことすら何一つできないのに。「善を行う者はいない。ただの一人もいない。」とも。天地を創られた永遠の神様は裏切らないお方です。
2/23 イザヤ3章10節 しかし言え、主に従う人は幸い、と。彼らは自分の行いの実を食べることができる。
イエス様に従う人は幸いだと声をあげて言え、とのご命令です。主によくしていただいていることをどれだけ伝えているでしょう。息子の仲間のご家族に障害を持っ
て生まれたのは「神の栄光を現すため」とお伝えしたい。主に重荷を下ろしましょうと。この者にどうか語る言葉を知恵をお与えください。用いてください。祈ります。
2/24 イザヤ4章5節 主は、昼のためには雲、夜のためには煙と燃えて輝く火を造って、シオンの山の全域とそこで行われる集会を覆われる。それはそのすべてを覆う栄光に満ちた天蓋となる。
主を讃美し感謝し祈りあう礼拝や、小さな家庭集会までも主は祝福をくださいます。聖日には地球上のいろいろなところで礼拝が捧げられます。暑い夏も冬の寒い日
も休むことなく主の御名によって集まる者たちに主ご自身が昼は雲となり、夜は灯となって、集会をお守りくださいます。主からの恵みと喜びで満たされます。感謝。
2/25 イザヤ5章12節 酒宴には琴と竪琴、太鼓と笛をそろえている。だが、主の働きに目を留めず/御手の業を見ようともしない。
主に伺うことなく、自分の欲望だけでこの世のものを贅沢に揃えて酒宴を楽しんでいても終わった後には空しさだけが残ります。自分の力で何でもできると勘違いして
いてもいつか気付く日が来るのでは。「見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」永遠の神様に頼ることができますように祈ります。
2/26 イザヤ6章8節 そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」
主に声をかけられた時イザヤはすぐに「わたしがここにおります」と。マリアも「お言葉どおり、この身に成りますように。」と。ペテロも「すぐに網を捨てて従った。
この者も主の呼びかけに喜んで答えたいです、すべてを主にお委ねして恐れを捨てて声をあげ従ってまいりたいです。主よ、弱い者です、どうぞ強い信仰をください。
2/27 イザヤ7章14節 それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。
この預言はマリアとイエス様によって成就されました。新約聖書に「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」と はっきり書かれて
ます。主が預言者を通して言われていたことが実現するためです。主のご計画は完全で綿密だと見せていただきただ畏れるばかりです。十字架の贖いを感謝します。
2/28 イザヤ8章17節 わたしは主を待ち望む。主は御顔をヤコブの家に隠しておられるが/なおわたしは、彼に望みをかける
主から信仰をいただいて、完全なる主を待ち望むことができる恵みに与りました。肉体が滅びた後に永遠の生命へと移されるという決して揺るがない希望をいただけて
います。現実は厳しい状況であっても主は必ず最善へと導いてくださると信じることができます。み言葉により主が語り導いてくださる。救いは主から、主よ来りませ。

2010年3月

3/1 イザヤ9章5節 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。
私たちのために」 生まれてきてくださった愛のお方。十字架に架かり生命を捨ててまで私たちの罪を赦すために来てくださった。神の子が人として来られ弱い立場の
者と共に悲しみ共に歩まれ、今も生きてそばに居てくださる。「場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。」再臨の約束を待ち望みます。
3/2 イザヤ10章20節 その日には、イスラエルの残りの者とヤコブの家の逃れた者とは、再び自分たちを撃った敵に頼ることなく、イスラエルの聖なる方、主に真実をもって頼る。
イエス様を信じ信仰を捨てなかった残りの者たちは、強い敵やこの世のものに頼らず、主にのみ頼る時に主はお守りくださいます。イエス様は多くの人の中から残りの者として12人を弟子にされました。いろいろな迫害にあった残りの者たちがイエス様の教え、信仰を語り継いで来られました。この者も「残りの者」でありたいです。
3/3 イザヤ11章12節 主は諸国の民に向かって旗印を掲げ/地の四方の果てから/イスラエルの追放されていた者を引き寄せ/ユダの散らされていた者を集められる。
出エジプト記のように神様は御手を下して残りの者たちを呼び集めてくださいました。人にではなく神様を信頼して信仰を持ち続け待ち望んでいたことを思います。今
も民は、イエス様が再び迎えに来られる再臨の日を待ち望んでいます。教会の上に立つ十字架は主が「すべての民の旗印として」揚げてくださっていると気づきました。
3/4 イザヤ12章1節 その日には、あなたは言うであろう。「主よ、わたしはあなたに感謝します。あなたはわたしに向かって怒りを燃やされたが/その怒りを翻し、わたしを慰められたからです。
わたしは、彼らの不義を赦し、/もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。」その日、このちっぽけな私の、罪の身代わりになられてなんの罪もないイエス様が
十字架に架かられて私の罪は赦されたことを知りました。主を信じる信仰をお与えいただきました。主の慰めにより重荷を下ろし絶望が去り永遠の生命へと移されました。
3/5 イザヤ13章12節 わたしは、人を純金よりもまれなものとし/オフィルの黄金よりも得難いものとする。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」と罪まみれの者をどんな高価なものよりも尊く、得難いものとしてくださると言われてます。
イエス様が来られて罪を贖ってくださることを預言しておられるのでは。罪を赦され愛をいただいた者として、まだ主をご存じない方々に主をお伝えしていきたいです。
3/6 イザヤ14章24節 万軍の主は誓って言われる。「わたしが計ることは必ず成り/わたしが定めることは必ず実現する。
御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ」アーメン。支配者である主がすべてご計画を立てられその通りに事が起きて動いて行く。全ての出来事は主の御手の中にあり主が赦されていることです。今、困難があってもそのことも主から出ていること、主に信頼していけば思いもかけない良き結果になる。
3/7 イザヤ15章1節 モアブについての託宣。一夜のうちに、アルは略奪され、モアブは滅びた。一夜のうちに、キルは略奪され、モアブは滅びた。
気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。」滅びをお赦しになられるのも主です。主はなんでもお出来にな
ります。一夜のうちに滅ぼすことも一夜のうちに命を引き上げることも。いつイエス様が来られるかわかりませんが、毎日を悔いないように祈りつつ歩ませてください。
3/8 イザヤ16章12節 モアブが幾たび聖なる高台にもうで/その神殿を訪れて、祈っても/何の役にも立たない。
わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」どんなに熱心に教会に通いどんなに熱心に祈っても、何の役にも立たないと主は言
われます。自分の力に頼み、なんでも自分の力でやり遂げたと勘違いする傲慢さを悔い改め、すべて主がしてくださったと受け止め感謝して主に従う者を主は喜ばれる。
3/9 イザヤ17章10節 お前は救い主である神を忘れ去り/砦と頼む岩を心に留めていない。それなら、お前の好む神々にささげる園を造り/異教の神にささげるぶどうの枝を根付かせてみよ。
自分は神様に創られたこと、神さまによって生かされているということを忘れ、生まれてきたことも今生きていることも自分の力でと傲慢に思いこんでしまっていること
が多いが、ブドウの根付けさえ偶像の神はできはしない。創造主を畏れなさいと。神にそむく者たちに神はひとり子イエス様をお遣わしになられ罪をお赦しくださった。
3/10 イザヤ18章4節 主はわたしにこう言われた。「わたしは黙して/わたしの住む所から、目を注ごう。太陽よりも烈しく輝く熱のように/暑い刈り入れ時を脅かす雨雲のように。」
主よ、語ってくださいと祈っても主はじっと黙っておられることがありますが、そんな時にも天から見つめて下さっています。太陽も雨も主のご支配の中に置かれていて
晴れた日、雨の日等と生活を整えられます。御前にしずまって主が語ってくださるのを信じて待ち望みつつ、御声を聞き逃さぬよう御心のままに歩む者でありたいです。
3/11 イザヤ19章22節 主は、必ずエジプトを撃たれる。しかしまた、いやされる。彼らは主に立ち帰り、主は彼らの願いを聞き、彼らをいやされる
何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。」主がなさることはすべて最善、すべてが完璧なご計画の中で成されます。なぜ起き
たかどうしてかは今は分らなくても、主のなさることに無駄は一つもないことを信じます。主は撃たれても主に立ち帰り悔い改めた時、必ず祝福してくださり癒されます。
3/12 イザヤ20章2節 それに先立って、主はアモツの子イザヤを通して、命じられた。「腰から粗布を取り去り、足から履物を脱いで歩け。」彼はそのとおりにして、裸、はだしで歩き回った。
主が命じられたら「なぜ」と聞かず、素直に聞く信仰の姿をイザヤに見ます。自分では出来ないと思っても主に命じられたらすぐに従順に従う信仰をいただきたいと祈り
ます。人の目を気にしないで主だけを見上げ歩める者となれたら。自分をあけ渡していくことができず、捨てたはずの古い自分がすぐに顔を出します、憐れんでください。
3/13 イザヤ21章10節 打たれ、踏みにじられたわたしの民よ/わたしは、あなたたちに告げた/イスラエルの神、万軍の主から/わたしが聞いたことを。
主が語られることをどんなに厳しいことであっても伝えていかねばならない預言者イザヤの苦悩を思います。迫害や孤独に耐え主から勇気をいただいて伝えたこと、いかばかりかと。この小さな者でさえご近所や親せき友人に主をお伝えしようとする時、主に導いていただき言葉を選びながらですが難しく種を蒔くだけで主にお委ね。
3/14 イザヤ22章13節 しかし、見よ、彼らは喜び祝い/牛を殺し、羊を屠り/肉を食らい、酒を飲んで言った。「食らえ、飲め、明日は死ぬのだから」と。
「明日は死ぬから」といっても死後はどこへいくか、という答えを知らないで心の底から喜んで飲み食いできるでしょうか。死も神様の御手にあり、いつなのかわかりま
せん。神さまが自分を造ってくださり、イエス様の十字架の贖いで罪も赦されて、地上での死の後は天国での永遠の生命をいただけると約束されていることが正解です。
3/15 イザヤ23章18節 しかし彼女の利益と報酬は、主の聖なるものとなり、積み上げられも、蓄えられもしない。主の御前に住む者たちの利益となり、彼らは飽きるほど食べ、華やかに装う。
人は、裸で母の胎を出たように、裸で帰る」自分のものは一つもありません。すべてのものは主の御手の中にあり主のみ旨のままに起こされていきます。この世で得た利益や報酬もすべて最終的には主が用いられます。何でも自分の努力で手に入れたものと思うかもしれませんが、周りのどれを見てもすべてが神様の造られたもの。
3/16 イザヤ24章4節 地は乾き、衰え/世界は枯れ、衰える。地上の最も高貴な民も弱り果てる。
高貴な人も貧しい人も大人も子供もすべての人は生まれ持っている罪があります。神様から罰せられなければならない者でしたが、イエス様が代わりに罪を背負って十字架にかかられ、罪赦されました。そして三日目に甦り復活されて今も共に居てくださいます。神さまにより信仰をいただき信じることができましたことを感謝します。
3/17 イザヤ25章8節 死を永久に滅ぼしてくださる。主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい/御自分の民の恥を/地上からぬぐい去ってくださる。これは主が語られたことである。
イエスさまの十字架と復活は死に打ち勝ち、死を永久に滅ぼされます。そしてすべての人間の罪を取り去り、私たちの目から涙もぬぐいさり永遠の生命の朽ちない希望をいただけます。主が語ってくださったお約束です。預言者イザヤやイスラエルの民たちが待ち望んだ救い主がイエス様でした。誕生と復活の預言が成就しました。
3/18 イザヤ26章17節 妊婦に出産のときが近づくと/もだえ苦しみ、叫びます。主よ、わたしたちもあなたの御前で/このようでした
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」産みの苦しみは新しい生命への喜びが待っているので耐えられます。
試練の中で神に頼り救いを求めた時、新しい生命へと生まれかえてくださる。誰もが困難の時にまじない等に頼らず完全なる神に頼りますように。救いは主のみ元に。
3/19 イザヤ27章3節 主であるわたしはその番人。常に水を注ぎ/害する者のないよう、夜も昼もそれを見守る。
生命の水を与えられず荒れ果てたブドウ畑であっても、主は水を注いでくださりブドウが実を結ぶように豊かな畑に育まれます。番人として害を与えるものが来ないよう
に夜も昼も見守ってくださいます。常に主によってみ言葉の生命の水を注いでいただき、この者も地上に居ても主の御手の中で生きることができます。主を讃美します。
3/20 イザヤ28章16節 それゆえ、主なる神はこう言われる。「わたしは一つの石をシオンに据える。これは試みを経た石/堅く据えられた礎の、貴い隅の石だ。信ずる者は慌てることはない。
家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、/わたしたちの目には不思議に見える。』この隅の石とは自分のことだとイエス
様は言われ、私たちのために捨て石になってくださった。すべては主のご計画のまま御心のままに成るのでイエス様を信じれば何が起きても慌てることはありません。
3/21 イザヤ29章18節 その日には、耳の聞こえない者が/書物に書かれている言葉をすら聞き取り/盲人の目は暗黒と闇を解かれ、見えるようになる。
「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」 盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。』 イエス様の奇跡を信じることができる信仰を
主にいただいた。自分の罪も十字架の贖いも知らなかった頃、聖書の言葉は見えないし説教も霊に届きませんでした。救いに入れていただき目と耳が開かれました。
3/22 イザヤ30章21節 あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。「これが行くべき道だ、ここを歩け/右に行け、左に行け」と。
「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。 神様が言われました、御ひとり子イエス様に聞きなさいと。イエス様は後ろからみ声
をかけてくださり危険な道に行かぬようお守りくださいます。み声を聞き逃さないようにするには走らず立ち止まって心を鎮めて耳を傾けること。主よお従いいたします。
3/23 イザヤ31章3節 エジプト人は人であって、神ではない。その馬は肉なるものにすぎず、霊ではない。主が御手を伸ばされると/助けを与える者はつまずき/助けを受けている者は倒れ、皆共に滅びる。
人はどこまでも人であって神になれないのに、困った時にすぐに心地よいことを言ってくれる人、優しい言葉で慰めてくれる人を頼り相談しがちです。主を信頼し主の救
いを祈りつつ忍耐をもってじっと待つ時、主は動いてくださいます。霊である神様の代わりになって助けようとしても人が人を助けるどころか共倒れです。主を畏れます。
3/24 イザヤ32章20節 すべての水のほとりに種を蒔き/牛やろばを自由に放つあなたたちは/なんと幸いなことか。
主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い魂を生き返らせてくださる。」幸いは主によって満たされていることでは。主に繋がって主を頼って生きる時
主は大いなる恵みをくださいます。平凡な生活の中に主の祝福を実感できます。主の恵みを数えてみた時、数えきれないほどだと知りました、なんと幸いなこと。感謝。
3/25 イザヤ33章6節 主はあなたの時を堅く支えられる。知恵と知識は救いを豊かに与える。主を畏れることは宝である。
主を畏れることは知恵の初め」 主はこの者がしっかり立ち上がれるように、土台を支えてくださいます。主の救いを、知恵を、知識をくださいます。ここに主にある心
の満足が与えられます。金持ちでも頭のいい人でも主のお支えがなければ不安からの解放はありません、虚しさから逃れられません。主を畏れることは消えない財産。
3/26 イザヤ34章16節 主の書に尋ね求め、読んでみよ。これらのものに、ひとつも欠けるものはない。雌も雄も、それぞれ対を見いださぬことはない。それは、主の口が命じ/主の霊が集めたものだからである。
主の霊によって、主が語られたみ言葉を集めた書物(聖書)も地上のすべてのものも創られました。直接、神様とお話はできませんがみ言葉で語りかけ、道を示してくださるので迷う時、苦しみの中に居る時、主から勇気と慰めをいただけます。毎日、聖書を通して霊の食事をいただきますので元気に平安に感謝して生かされてます。
3/27 イザヤ35章6節 そのとき/歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。荒れ野に水が湧きいで/荒れ地に川が流れる。
その時とはイエス様が来られる再臨の時か、天国に帰った時か。どちらにしても主はお約束してくださいます。上手に歩けない息子も鹿のように走れるようになる。口
もきけるようになる。息子と思いの丈を語り合える、楽しみです!主は砂漠のようだったこの者の心に命の水を湧き溢れさせてくださり心は希望と喜びに溢れています。
3/28 イザヤ36章21節 しかし彼らは、答えてはならないと王に戒められていたので、押し黙ってひと言も答えなかった。
セールスの電話や訪問の時に「なにも会話をしないこと」が一番だと言われたことがありました、反論するとそこから会話が始まってしまうから。「お子さんの病気が治
るから拝みに来なさい」と誘われたこともありましたが議論せずお断りしたことで守られました。沈黙を守り主だけ見上げ祈りつつ待ち望むこと、主への信仰の勝利です。
3/29 イザヤ37章6節 イザヤは言った。「あなたたちの主君にこう言いなさい。『主なる神はこう言われる。あなたは、アッシリアの王の従者たちがわたしを冒涜する言葉を聞いても、恐れてはならない。
わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」アーメン。どんな
状況にあっても人の言葉に心を迷わせ恐れるのではなく、主のみ言葉を信じたい。弱い者ゆえどうか憐れんでください。主のみを畏れ、主に聞き従う者でありたい。
3/30 イザヤ38章17節 見よ、わたしの受けた苦痛は/平和のためにほかならない。あなたはわたしの魂に思いを寄せ/滅びの穴に陥らないようにしてくださった。あなたはわたしの罪をすべて/あなたの後ろに投げ捨ててくださった。
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」そして私は救いにあずかりました。イエス様は十字架に架かられこの
者の罪をお赦しくださり、もう思い出さないと言われて後ろに投げやってくださった。赦されただけでなく永遠の生命までいただき天国で憩える希望までいただきました。
3/31 イザヤ39章4節 更に、「彼らは王宮で何を見たのですか」と問うと、ヒゼキヤは、「王宮にあるものは何もかも見ました。倉庫の中のものも見せなかったものは何一つありません」と答えた。
親切にお見舞いに来たように見せかけて様子を見に来た人たちを信用して王宮にあるすべてのものを見せてしまった。こんなに宝物を持っていると自慢したかったのか。見せびらかして自分の虚栄心は満足するだろうが、災いを招き相手に罪を犯させてしまうかもしれない。いつも主にお知恵をいただき、賢く謙虚でいることを思います。

2010年4月

4/1 イザヤ40章8節 草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。
主のみ言葉は真実で主は約束されたことを実現されます。神さまが造られた草や花、すべてのものは枯れてしぼみ朽ちていくはかないものです。永遠に残るもの、時を経ても決して変わらぬものは主のみ言葉です。どんなに若くても財産があっても名声があってもいつかは命の終わりを見ます。永遠の生命を下さる主に希望を見ます。
4/2 イザヤ41章10節 恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け/わたしの救いの右の手であなたを支え
先の見えない不安、どうなるのかと思うことはあります。困難な状況に置かれている時はなおさらです。自分では何もできない、解決しないと認めた時、私を造ってくだ
さり愛してくださる全能の神さまに救いを求めました。主はいつも共にいてくださり、支えてくださり「恐れることはない」と希望をくださいます。主に頼り祈ります。
4/3 イザヤ42章20節 多くのことが目に映っても何も見えず/耳が開いているのに、何も聞こえない。
イエス様が人間の罪のために十字架に架かられたことを聖書を読んでいたし説教を聞いてもいました。自分のことと捉えず聞き流し見過ごし無関心で生きていました。自
分ではどうしようもない試練をいただいた時に、初めて救いを求めて目が見えて耳が開きイエス様がそばに居て共に歩いてくださっていたこともわかりました、感謝です。
4/4 イザヤ43章4節 わたしの目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛し/あなたの身代わりとして人を与え/国々をあなたの魂の代わりとする。
こんなどうしようもない何のとりえもない罪深い者を、主は高価で尊い、愛していると。畏れ多くもったいないお言葉です。この者の身代わりとしてイエス様をお与えくださ
り十字架の贖いにより罪を赦され永遠の生命をいただき天の御国へ帰ることができます。イエス様が人として生まれてくださったこと、ありがとうとごめんなさいです。
4/5 イザヤ44章22節 わたしはあなたの背きを雲のように/罪を霧のように吹き払った。わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った。
イエスはその人たちの信仰を見て、「子よ、あなたの罪は赦される。」と言われた。神さまはイエス様の十字架の贖いによって私の罪をお赦しくださり思い出さないとま
で言われました。その上、神さまは招いてくださいます、御許に来なさいと。自分の力では何もできない、明日さえもわからない者。全能の神を信じて委ねた時に平安が。
4/6 イザヤ45章23節 わたしは自分にかけて誓う。わたしの口から恵みの言葉が出されたならば/その言葉は決して取り消されない。わたしの前に、すべての膝はかがみ/すべての舌は誓いを立て
神さまがご自身に賭けて誓われた、これ以上の強い決意のお約束はありません。ご自身が口にされたみ言葉は決して変わらない、取り消すことはない、実現すると。なんと感謝なこと、再臨を待ち望みます。病いに伏しても年老いて何もできなくなっても主を仰ぎ望み、祈ることはできます。「恵みの御業と力は主にある」と主に誓います。
4/7 イザヤ46章4節 同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。
年を重ねていくと必ず老いていき髪も白髪に変わっていきます。でも変わることのない神さまはどんな状況にあってもいつも共にいてくださり、担い背負い救い出すと約
束してくださっています。母の胎にいる時に造ってくださり天国に帰るまで背負ってくださるお方。そのままでいいと条件なしで愛してくださり見守ってくださる、感謝。
4/8 イザヤ47章13節 助言が多すぎて、お前は弱ってしまった。天にしるしを見る者、星によって占う者/新月によってお前の運命を告げる者などを/立ち向かわせ、お前を救わせてみよ。
耳に優しく素晴らしいことを語る人もいると思いますが、その人も同じ罪ある人間の一人です。多くの人に助言を求めても言われたことの何が正しいのか混乱するばかりです。真実で正しい助言をなさる主に伺って導いていただかなければ道を誤ります。人を頼っても人が永遠の約束を与えることはできません。み言葉に聞くことだけ。
4/9 イザヤ48章15節 わたしが宣言し、わたしが彼を呼んだ。彼を連れて来て、その道を成し遂げさせる。
主の愛される者、主の御旨を行う者、主の御腕となる人を主が宣言されて呼んだとあります。そして連れてきてその道を成し遂げさせると未来形で語られています。イエス様のことをここで言われているのでは。主の立てるご計画は綿密で正確で完全で必ず成就されます。ひとり子をお与えくださる神さまのご愛にひれふすばかりです。
4/10 イザヤ49章16節 見よ、わたしはあなたを/わたしの手のひらに刻みつける。あなたの城壁は常にわたしの前にある。
主はこの者の名を手のひらに刻みつけて決して忘れないと言ってくださる。救いに入れてくださっている。それでも地上においては試練に戸惑うつらい日もあるけれど、
いつも必ず最善にお導き下さるお方が共に歩んでくださるという確信をもって歩む時、不安も主にある平安に変えられる。主はそのままの私を受け入れてくださいます。
4/11 イザヤ50章4節 主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え/疲れた人を励ますように/言葉を呼び覚ましてくださる。朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし/弟子として聞き従うようにしてくださる。
疲れた人は私の所へ来なさい、休ませてあげよう」 舌をいただいたこの者は、主のみ声を知らず疲れている人たちにお届けしたい。この者がいただくみ言葉に励ま
されたように主を知らない方々に伝えていけたら。主はみ言葉を聞く耳を与えてくださり聞き従う力を与えてくださった。主よ、この者をどうぞお用いくださいますよう。
4/12 イザヤ51章12節 わたし、わたしこそ神、あなたたちを慰めるもの。なぜ、あなたは恐れるのか/死ぬべき人、草にも等しい人の子を。
唯一の神だけが慰めの主。人の慰めには保証がありません、うわべだけの慰めはその時はほっとすることがあっても根本的な解決にはなりません。何もできない人を
恐れず完全なる主に頼ることが大事です。主は裏切られません。真実を見ることのできない他人の目を恐れず、心の奥までごらんになる主を畏れること、永遠の主を。 
4/13 イザヤ52章12節 しかし、急いで出る必要はない/逃げ去ることもない。あなたたちの先を進むのは主であり/しんがりを守るのもイスラエルの神だから
主は彼らに先立って進み、彼らは昼も夜も行進することができた」 主は先頭を進み、しんがりも守ってくださる。問題がある時、主の助けを待つのももどかしく自分でなんとか解決しようと、主より先に出て結局何も出来ずに主の御許に戻る者です。全てを主にお委ねして主のみ跡を歩む者でなければ。忍耐の足りない者です。
4/14 イザヤ53章5節 彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
この私の、私たちの罪の赦しのため救いのためにイエス様は十字架に架かってくださった。ご自身は何も悪いことはしていないのに一言も言わずに。私たちは赦されました。イエス様の苦しみ悲しみの上に永遠の生命をいただいた自分がいます。今もイエス様の体と契約の血をいただく聖餐式の恵みに与かっています。主に感謝です。
4/15 イザヤ54章5節 あなたの造り主があなたの夫となられる。その御名は万軍の主。あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神/全地の神と呼ばれる方。
小羊の婚礼の日が来て、/花嫁は用意を整えた。」再臨の日には十字架に架けられた小羊イエス様が迎えに来てくださりキリストの花嫁になれます。神さまは花嫁を
見捨てません。聖書に書かれている契約は必ず成ります、決して揺らぐことはありません。いつその日が来るか目を覚ましていなければ。希望も待つ喜びも感謝です。
4/16 イザヤ55章8節 わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり/わたしの道はあなたたちの道と異なると/主は言われる。
私にも夢がありました、でもこれは自分の思い。神さまからのご計画は思ってもみなかった人生でした。授かった息子に重い障害があるとわかった時になぜ私がと思い
ましたがみ言葉の真理に接しはっきり気づきました。主によって信仰をいただく恵みに与かるためだったと。救いに入れていただき「なぜ?」から「はい」になりました。
4/17 イザヤ56章3節 主のもとに集って来た異邦人は言うな/主は御自分の民とわたしを区別される、と。宦官も、言うな/見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と。
私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。」主の元に集まる人に対して差別なしで
主は祝福されます。すべての人の救い主です。またカトリックもプロテスタントも派を超えたところに主はおられます。神さまはおひとり、イエス様も。天国もひとつ。
4/18 イザヤ57章13節 助けを求めて叫んでも/お前の偶像の一群はお前を救いはしない。風がそれらすべてを巻き上げ/ひと息でそれらを吹き去るであろう。わたしに身を寄せる者がこの地を嗣業とし/わたしの聖なる山を継ぐであろう。
すべてのもの、人をも造って下さった神こそが何でもお出来になるお方。神に造られた人間が何かを造れても、神を造ることはできません。偶像は何もできないからで
す。御前に悔い改めた時、罪を赦されます。イエス様が十字架に架かってくださったゆえです。主により天国で神さまの御許に身を寄せ永遠に生きることができます。
4/19 イザヤ58章7節 更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え/さまよう貧しい人を家に招き入れ/裸の人に会えば衣を着せかけ/同胞に助けを惜しまないこと。
わたしの選ぶ断食とはこれではないか。」単に食事を断つという儀式的なことではないと主は言われます。『隣人を愛する』 これを実行することだと。実際にどこまで
できるのか?できるのはイエス様だけ?この者も主の助けを借りながら少しでも主に続くことはできるかもしれない。自分しか愛せない者です、主よ憐れんでください。
4/20 イザヤ59章16節 主は人ひとりいないのを見/執り成す人がいないのを驚かれた。主の救いは主の御腕により/主を支えるのは主の恵みの御業。
この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。」神はイエス様をとりな
す人として立ててくださり、私たちの罪を贖うため身代わりとなられて、十字架にかかり三日目に甦られました。主の恵みの御業、死からの勝利を見せてくださいました。
4/21 イザヤ60章19節 太陽は再びあなたの昼を照らす光とならず/月の輝きがあなたを照らすこともない。主があなたのとこしえの光となり/あなたの神があなたの輝きとなられる。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。』 主は光を、太陽と月を創られた。この昼と夜の光も主のご栄光の前には輝きを失せてしまう。主ご自身が永遠
の光となり輝き続けてくださると言われる。先の見えない真っ暗やみから解放され、歩む道を照らし導いてくださるので、足元もしっかりと主のみ跡を従っていけます。
4/22 イザヤ61章1節 主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために。
イエスはこの聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現したと話し始められた。』 イエス様はナザレでここをお読みになられ喜びの福音がご自分により実現したと宣言されました。預言の成就を見せていただきました。イエス様の福音、すべての束縛からの解放、不安から平安へ、絶望から希望へ、を伝えたいです。
4/23 イザヤ62章9節 穀物を刈り入れた者はそれを食べて、主を賛美し/ぶどうを取り入れた者は/聖所の庭でそれを飲む。
見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」主を礼拝し讃美し祈り、兄弟姉妹が集会所でそれぞれに主から頂いた食事を持ち寄って分ちあい愛
餐の恵みに与かれるのはみんなにとって大きな喜び。イエス様を真ん中に心ひとつに主の良くしてくださったことを語り合える時、イエス様が一番喜んでおられるのでは。
4/24 イザヤ63章12節 主は輝く御腕をモーセの右に伴わせ/民の前で海を二つに分け/とこしえの名声を得られた。
杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。」 主は御腕を持って支えてくださり奇跡を起こされ、安息の地にお導きくださいました。神さまは
何でもおできになるお方、不可能を可能になさいます。主はこの者にも御腕を伸ばして奇跡を起こし救いに入れてくださり、絶望から解放されました。主を讃美します。
4/25 イザヤ64章7節 しかし、主よ、あなたは我らの父。わたしたちは粘土、あなたは陶工/わたしたちは皆、あなたの御手の業。
見よ、粘土が陶工の手の中にあるように、お前たちはわたしの手の中にある。」 天のお父様が御手から私たちをお造りくださいました。すべてが主の御手の中に握られています。主が土から造られた衣を脱ぎ去った時、天の御国に招き入れてくださると約束してくださいました。罪赦され主の時に永遠の故郷に帰れますこと感謝。
4/26 イザヤ65章1節 わたしに尋ねようとしない者にも/わたしは、尋ね出される者となり/わたしを求めようとしない者にも/見いだされる者となった。わたしの名を呼ばない民にも/わたしはここにいる、ここにいると言った。
見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば」 主を尋ね求めない者に対しても主は自らを現されました、み言葉を
通してみ業を通して奇跡を通して。主の御名を呼び求める時救いと祝福を与えたいと願っておられ待ち続けてくださっている「ここにいるよ」と。み声が届きますように。
4/27 イザヤ66章13節 母がその子を慰めるように/わたしはあなたたちを慰める。エルサレムであなたたちは慰めを受ける。
あなたがたの間で幼子のようになりました。ちょうど母親がその子供を大事に育てるように」 教会は神の家族、姉妹たちは母のようにあとから続く者たちの歩みをそっと見守り祈っています。そのままを包み込み、時には諭す信仰の先輩です。マリアやマザーテレサの愛にも母を思いますが主の慰めは母の愛を超えています、感謝。
4/28 エレミヤ1章8節 彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて/必ず救い出す」と主は言われた。
恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。」主は約束されました。主が語る言葉をお与えくださいます。神さまへの信頼を持ってみ言葉を語
る者でありたいです、人を恐れるのではなく主のみを畏れたい。主よ、この者が主を知らない人に知らせる時に躊躇しませんように。主は責任をとってくださるお方です。
4/29 エレミヤ2章37節 そこからも、お前は両手を頭に置いて出て来る。主はお前が頼りにしているものを退けられる。彼らに頼ろうとしても成功するはずがない。
神さまを頼らず人を頼っても偶像崇拝でしかない。何の保証もないのに頼ったところで救いは得られず空しいだけ。人が人を救えないと知っていても目に見える人を頼りたくなるのだろうか。主は「私に頼れ」と頼りにしている人を退けられる、罪を重ねないように。目先の安易な解決を求めるのでなく解決の鍵を持つ主に頼りますように。
4/30 エレミヤ3章22節 背信の子らよ、立ち帰れ。わたしは背いたお前たちをいやす。」「我々はあなたのもとに参ります。あなたこそ我々の主なる神です。
お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』悔い改めた放蕩息子を無条件で許した父親。同
じ罪の者はイエス様の十字架の犠牲によって罪赦され、癒されました。主の救いをいただき初めてこの者の本当の人生が始まり主のみ跡を歩みだしました。主こそ神。

2010年5月

5/1 エレミヤ4

章27節

まことに、主はこう言われる。「大地はすべて荒れ果てる。しかし、わたしは滅ぼし尽くしはしない。
試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」滅ぼし尽くさないと言ってくださいました。まったくダメにするのではなくどこかを
残してくださる。神が創られた大地の荒れ果てる姿を一番悲しまれるのは神ご自身。外面を取り繕うのではなく神さまの前に本当に悔い改めることを望まれています。
5/2 エレミヤ5

章24節

彼らは、心に思うこともしない。『我々の主なる神を畏れ敬おう/雨を与える方、時に応じて/秋の雨、春の雨を与え/刈り入れのために/定められた週の
祭りを守られる方を』と。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」晴れの日も雨の日も主がくださる。雨が降った日に恵みの雨と感謝するか、雨でいやだなと
思うか。人間の都合ではなく主の綿密なご計画の中で自然界のすべてが動かされています。主の御手の中にてお守りくださる主を畏れます。主のみ業を感謝します。
5/3 エレミヤ6

章16節

主はこう言われる。「さまざまな道に立って、眺めよ。昔からの道に問いかけてみよ/どれが、幸いに至る道か、と。その道を歩み、魂に安らぎを得よ。」
しかし、彼らは言った。「そこを歩むことをしない」と。
あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」学校、就職、結婚と人生を左右する岐路を通ってきました。神さまがいつも右に行け、左に行けと声をか
けて導びかれ主の備えられた道を知らずに歩んでいた、と気づきました。主に頼って歩む時に平安をいただけます。主に逆らっても道に迷うだけ。み言葉は光です。
5/4 エレミヤ7

章24節

しかし、彼らは聞き従わず、耳を傾けず、彼らのかたくなで悪い心のたくらみに従って歩み、わたしに背を向け、顔を向けなかった。
学生時代も毎朝の礼拝にも週1回の合同礼拝もみ言葉に耳を傾けるでなく讃美を歌っても主を讃えるでもなく、主に顔を向ける者ではなかった。それでも愛されイエス
様は十字架に架かられ罪を引き受けられた。主は解決がつかない試練をお与えくださり、御前に降参するのを待ち望まれ、やっと主よ、と御許に帰った放蕩娘でした。
5/5 エレミヤ8

章4節

彼らに言いなさい。主はこう言われる。倒れて、起き上がらない者があろうか。離れて、立ち帰らない者があろうか。
主は罪の者の悔い改めを心から望まれておられます。神さまに頼らず自分の力でやっていこうと思っていた時、何とかなっていた時、神さまを必要としなかった。自分
の力で起き上がれなくなった時、御前にひざまづきました「助けて!神さまにしか頼めない!」と。限界まで来ないと頭を下げない、悔い改めない、頑固な者でした。
5/6 エレミヤ9

章23節

むしろ、誇る者は、この事を誇るがよい/目覚めてわたしを知ることを。わたしこそ主。この地に慈しみと正義と恵みの業を行う事/その事をわたしは喜ぶ、
と主は言われる。
主を知っていることを、愛されていることを、覚えていただいていることを誇ります。自分の中には誇るものは何もありませんが、主がお与えくださった家族や兄弟姉
妹と共に主の御前に祈りあえることを誇ります。主からのみ言葉を誇ります。主を讃美できることを誇ります。主よ、誇るものがあることを感謝いたします。アーメン
5/7 エレミヤ10

章23節

主よ、わたしは知っています。人はその道を定めえず/歩みながら、足取りを確かめることもできません。
わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。」人は自分の意思で道を改めることはできないと言われる。目印も標識もない道ならばどこをどう歩めば
いいのかさ迷うばかり、無駄に歩き回り疲れるばかりです。道を確かにしてくださることがお出来になるのは主だけ。主を仰ぎ主に導かれ、主の道を歩ませてください。
5/8 エレミヤ11

章3節

彼らに向かって言え。イスラエルの神、主はこう言われる。この契約の言葉に聞き従わない者は呪われる。
主が命じるところをすべて行なうことはとてもできません、自分の力ではとても無理です。主の憐れみによりイエス様が十字架に架かってくださり、主を信じる者たちに
赦しと祝福をいただけました。主を信じて祝福をいただくか、悔い改めずに主のみ言葉も聞かずに呪われの道に行くか、どちらを選ぶかなのでは。主の救いを祈ります。
5/9 エレミヤ12

章1節

正しいのは、主よ、あなたです。それでも、わたしはあなたと争い/裁きについて論じたい。なぜ、神に逆らう者の道は栄え/欺く者は皆、安穏に過ごしているのですか
世の中は、正直者は馬鹿をみると聞きます。神に背き欺く生活をしてこの世の富や名声や地位を得たら、心から平安に生きられるのでしょうか。目に見えるものは必ず滅び、地上で手に入れたものも死によって失います。神の目には瞬きのようなこの世をとるか、神に従って永遠の生命をいただくか。主に悔い改めれば間に合います。
5/10 エレミヤ13

章23節

クシュ人は皮膚を/豹はまだらの皮を変ええようか。それなら、悪に馴らされたお前たちも/正しい者となりえよう。
キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」神さまが造ってくださった肌の色や髪の色を変えるこ
とはできないし人間の持って生まれた罪も自分の努力では直すことができない。イエス様の十字架により古い自分が死に新しい生命をいただいて変わることができます。
5/11 エレミヤ14

章11節

主はわたしに言われた。「この民のために祈り、幸いを求めてはならない。
旧約時代の神の厳しさも知ります。エレミヤに執り成しの祈りもしてはならないと命じました。形だけ儀式をしても悔い改めがなければ、救ってほしいと祈っても神は
聞いて下さいません。死ぬかもというところまでいかないと主を見上げ自分の罪も認められない弱さ、愚かさ。この者も同じです。十字架により重い罪も赦されました。
5/12 エレミヤ15

章1節

主はわたしに言われた。「たとえモーセとサムエルが執り成そうとしても、わたしはこの民を顧みない。わたしの前から彼らを追い出しなさい。
主はモーセとサムエルの名前まで出してまでも、民を顧みないと強いご意志を示された。いかにみ怒りが大きなものだったか。祈っている人に関わらず決められました。
エレミヤは報われない中でみ言葉をむさぼり食べ心は喜び躍ったと。今の状況が耐え難いものであっても主が共におられる、主が救い出してくださると希望をもちます。
5/13 エレミヤ16

章19

主よ、わたしの力、わたしの砦/苦難が襲うときの逃れ場よ。あなたのもとに/国々は地の果てから来て言うでしょう。「我々の先祖が自分のものとしたのは/偽りで、空しく、無益なものであった。
いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。」どんな時にも主のみ翼の陰に逃げ込めます。先祖が拝み頼ったものは人が作り上げたもの、偶像を仰いで
みても何も得るものはなく空しさだけが残ります。主のみ言葉にふれた時に初めて自分の罪に気付き、十字架の贖いを知り悔い改めに導かれます。主が伝わりますよう。
5/14 エレミヤ17

章14

主よ、あなたがいやしてくださるなら/わたしはいやされます。あなたが救ってくださるなら/わたしは救われます。あなたをこそ、わたしはたたえます。
神さまだけが癒してくださるお方、救いに入れてくださるお方、神さまだけを讃えます、信じます、み跡をついてまいります。イエス様はこの罪の者のため十字架に架
かってくださり罪が赦されました。身代わりになってくださるお方は他にいません。悲しみの中にいる方はどうか主の御許に行ってください、主の救いにあずかれます。
5/15 エレミヤ18

章4

陶工は粘土で一つの器を作っても、気に入らなければ自分の手で壊し、それを作り直すのであった
主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。」陶器師である主はみ心のままに私たちを練り変えられていきます。主のろくろによって
練りこめられ試練を通るたびに粘土も軟らかくなってキリストの姿に似てきます。私たちは主の御手の中にあります。御心のままにと主にお委ねし清められます。
5/16 エレミヤ19

章11

彼らに言うがよい。万軍の主はこう言われる。陶工の作った物は、一度砕いたなら元に戻すことができない。それほどに、わたしはこの民とこの都を砕く。人々は葬る場所がないのでトフェトに葬る。
粘土も焼く前なら柔らかく、失敗しても直せますが一度焼かれたあとに砕かれて壊れてしまったらもう元に戻らない。この者も柔らかな素直な心で主に悔い改めれば
救いに入れてくださる。頑固で悔い改めなければ主により滅びへと砕かれます。イエス様の十字架の贖いがどんなに感謝なことか改めて気付かされ御前に祈ります。
5/17 エレミヤ20

章18

なぜ、わたしは母の胎から出て労苦と嘆きに遭い/生涯を恥の中に終わらねばならないのか。
主を知っているヨブもエレミヤも生まれた日は呪われよと呻きました。主に叫ばなければ、今すぐにでも自分がだめになってしまうと崖っぷちに置かれている、耐えがたいものだったと思います。この者の受けた試練は小さなものでしたが希望は消え去り絶望の中でした。真っ暗の中で主の光を見出し、あっという間に救われました。
5/18 エレミヤ21

章8

あなたはこの民に向かって言うがよい。主はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの前に命の道と死の道を置く。
人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。」パウロも人ではなく主のためにみ言葉を語っています。どんなに勇気のいる
ことだったか。主だけ見上げ主を伝えていく厳しさを思います。罪を悔い改め主に従う永遠の生命への道、悔い改めもせず神の怒りによる滅びの道、選ぶのは自分。
5/19 エレミヤ22

章16

彼は貧しい人、乏しい人の訴えを裁き/そのころ、人々は幸いであった。こうすることこそ/わたしを知ることではないか、と主は言われる。
わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』兄弟を愛することは神を知っていること、それは神は愛だからです。
命を捨ててまで愛してくださっているイエス様によって、愛が分かってきましたが自分のように隣人を愛せない者です。主よどうか憐れんで下さい、お導きください。
5/20 エレミヤ23

章4

彼らを牧する牧者をわたしは立てる。群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、また迷い出ることもない」と主は言われる。
わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」神に立てられた牧者としてイエス様が来られたことでこの預言は成就されました。罪を赦され救
いに入れていただき主にある平安の中で生活しています。主の御手の中で試練はあっても主を信じ恐れず道も迷わず歩むことができます。主の牧場に憩う幸いを感謝。
5/21 エレミヤ24

章7

そしてわたしは、わたしが主であることを知る心を彼らに与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは真心をもってわたしのもとへ帰って来る。
試練の中で、救いをお与えくださるお方は、探し求めていたお方はこの方だと知ることができた時、御前に重荷を下ろすことができました。この者を造ってくださったお
方のもとに帰ってくることができました。主のみ声も聞かない罪深い放蕩娘を主は迎え入れてくださった。苦しみを通りやっと帰りつきました、主の御手の中に。感謝。
5/22 エレミヤ25

章3

「ユダの王、アモンの子ヨシヤの第十三年から今日に至るまで二十三年の間、主の言葉はわたしに臨み、わたしは倦むことなく語り聞かせたのに、お前たちは従わなかった。
この長い23年の年月、エレミヤは主のみ言葉を繰り返し人々に語ったのに誰も聞く人はいなかった。この者も主のみ声に耳を傾けなかった者のひとりでした。主もエレミ
ヤも何と長い間、忍耐をもって待ち続けていたことかと思います。自分だったら途中であきらめていたのでは。神のご愛とご計画と、エレミヤの主への従順を思います。
5/23 エレミヤ26

章16

「ユダの王、アモンの子ヨシヤの第十三年から今日に至るまで二十三年の間、主の言葉はわたしに臨み、わたしは倦むことなく語り聞かせたのに、お前たちは従わなかった。
この長い23年の年月、エレミヤは主のみ言葉を繰り返し人々に語ったのに誰も聞く人はいなかった。この者も主のみ声に耳を傾けなかった者のひとりでした。主もエレミ
ヤも何と長い間、忍耐をもって待ち続けていたことかと思います。自分だったら途中であきらめていたのでは。神のご愛とご計画と、エレミヤの主への従順を思います。
5/24 エレミヤ27

章17

彼らに聞き従うな。バビロンの王に仕えよ。そうすれば命を保つことができる。どうしてこの都が廃虚と化してよいだろうか。
耳触りのよい自分に都合のよいことを預言する偽預言者の言うことを聞くなと言われます。甘い言葉には気をつけよと。神さまはみ言葉に従って永遠の生命を得ることを望んでおられます、罪を悔い改めて主に従いなさいと。そうすれば滅びの道へ行かないで生命をくださると言われているのに 自分も含め主を悲しませる者なのでしょう。
5/25 エレミヤ28

章15

更に、預言者エレミヤは、預言者ハナンヤに言った。「ハナンヤよ、よく聞け。主はお前を遣わされていない。お前はこの民を安心させようとしているが、それは偽りだ。
わたしたちは、何事も真理に逆らってはできませんが、真理のためならばできます。」どのように上手に期待を持たせて語ろうとも偽りの言葉は真理の前には屈します。完全なる主のみ言葉だけが真理です。人がいいことを語っても主が保証されなければ空手形で安心できるものではありません。最後には主の真理だけが勝利します。
5/26 エレミヤ29

章11

わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである
主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る。」自分の思いと違う人生かもしれませんが、主は平安と将来と希望につながる計画をご自身が立てていて
くださる。時に困難があっても必ず主は最善に成してくださり主の深いご愛、御心に気づかせてくださいます。主を呼び求め祈る時、主は必ず応えてくださる。大丈夫!
5/27 エレミヤ30章

21節

ひとりの指導者が彼らの間から/治める者が彼らの中から出る。わたしが彼を近づけるので/彼はわたしのもとに来る。彼のほか、誰が命をかけて/わたしに近づくであろうか、と主は言われる。
イエス様のことが書かれています!イエス様のほかに誰が、この罪の者のために命をかけてくださるでしょう。イエス様が十字架に架かってくださり神様との間をとりな
されたので、今の罪赦された自分がいます。イエス様こそ命をかけて主なる神に近づかれたお方。復活なさって今もいつも共に居てくださいます、だから生きていけます!
5/28 エレミヤ31章

31節

見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。
古い契約から新しい契約に移っていくと主は言われます。旧約は律法が基礎にあり守りぬくには厳しいものがありましたが新約ではイエス様を信じて救いに与かることができ罪の赦しをいただきました。イエス様が十字架の贖いにより身代りなってくださったことで裁きから赦しへと。イエス様のご愛により恵みの中に居ます。
5/29 エレミヤ32章

27節

「見よ、わたしは生きとし生けるものの神、主である。わたしの力の及ばないことが、ひとつでもあるだろうか。
回りの状況を自分の目で見て判断してみても、人間の理解を超えたところでご計画を立てられている主のみ心は計りしれません。どんな時も自分の判断に頼るのではなく主のみ言葉を信じ心の迷いもすべて主にお委ねして祈り主だけを見上げて歩む者でありたいです。損をするように見えても結果は主の最善に成ることは確かですから!
5/30 エレミヤ33章

27節

わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる。
求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。」子供が困った時に親を呼ぶように神さまを呼べば主は喜んで応えてくださいます。
主よ助けてと呼び求めた時、主は私が今まで知らなかったイエス様の十字架の贖いと罪の許しと永遠の生命と再び来られるという大いなる恵みを教えてくださった。
5/31 エレミヤ34章

16節

ところがお前たちは、またもや、態度を変えてわたしの名を汚した。彼らの望みどおり自由の身として去らせた男女の奴隷を再び強制して奴隷の身分としている。
偽りのくちびるは主に忌みきらわれる。真実を行なう者は主に喜ばれる。」 困った時だけ神に助けを求め、解決すると神に祈ったことを忘れ自分勝手な道を歩むよ
うな主を裏切る者になりたくない。どんな境遇にあっても、損かもしれないと思っても、いつも主にのみ従って歩む者でありたい。主よ、弱い者です、憐れんで下さい。

 

2010年6月

6/1 エレミヤ

35章

14節

レカブの子ヨナダブが一族の者たちに、ぶどう酒を飲むなと命じた言葉は守られ、彼らはこの父祖の命令に聞き従い、今日に至るまでぶどう酒を飲まずにいる。ところがお前たちは、わたしが繰り返し語り続けてきたのに聞き従おうとしなかった。
ヨナダブがただ一度命令したことを一族はとことんまで守り通しました。人のことばでさえ守られるのに、主が何度も何度も命じ語っている言葉を聞き従おうとしないの
かと主は嘆かれます。「隣人を自分のように愛しなさい。」いつも主のご命令を聞いていながらも守れないでいる者です、罪赦されていますのに。主よ憐れんでください。
6/2 エレミヤ

36章

23節

ユディが三、四欄読み終わるごとに、王は巻物をナイフで切り裂いて暖炉の火にくべ、ついに、巻物をすべて燃やしてしまった。
主は何でもお出来になられるお方、主にできないことはありません。主の語られるみ言葉は燃やされようとも絶対に失なわれることはありません、不滅です!み言葉を前にいくらあがいてもみ言葉は決して変わることなくすべてが光に出ます。主を畏れ、語られるみ言葉を畏れます。主はみ言葉とみ言葉を伝えたエレミヤをも守られました。
6/3 エレミヤ

37章

21節

ゼデキヤ王は、エレミヤを監視の庭に拘留しておくよう命じ、パン屋街から毎日パンを一つ届けさせた。これは都にパンがなくなるまで続いた。エレミヤは監視の庭に留めて置かれた。
エレミヤは誤解され、囚われの身となりますが王の宮にある監視の庭に置かれて食べ物を与えられた。このことも主がエレミヤの保護のため安全な場所に置かれたことを思います。ゼデキヤ王は神のみ言葉を何度もエレミヤに確かめているがみ言葉に従えば周りから自分が攻められるのではと、主を畏れるのではなく人を恐れてしまった。
6/4 エレミヤ

38章

24節

ゼデキヤ王はエレミヤに言った。「このことは、だれにも知られないようにしよう。そうすれば、あなたは殺されないで済む。
ゼデキヤは神の言葉を語ってほしいからなのか、人に聞かれたらこう言いなさいと知恵まで授けてエレミヤの命を救います。神の言葉に従わないまでも神の預言者エレミヤを守れば神は自分も守ってくれるのではと思ったかも。一生懸命聖書を読んだり献金をたくさん奉げたりして神と取引してもみ言葉に従わなければ救いはありません。
6/5 エレミヤ

39章

18節

わたしは必ずあなたを救う。剣にかけられることはなく、命だけは助かって生き残る。あなたがわたしを信頼したからである、と主は言われる。」
自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」自分の置かれた状況が厳しい時、神の助けを
待てずに自分で頑張るのではなく、主を信じ主に頼る時に命を得ます。穴の中に居て死にそうになったエレミヤも主を信頼し救われました。主は裏切らないお方です。
6/6 エレミヤ

40章

6節

こうしてエレミヤは、ミツパにいるアヒカムの子ゲダルヤのもとに身を寄せ、国に残った人々と共にとどまることになった。
わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」エレミヤはどちらも選べました、身分保証されゆったり生きるよりも残された人たちと共に生きる
苦難な方を選びました。自分だったら?愛がどこを向いているか問われます。自我を捨てて主に委ね、自分の計画ではなく主が備えている最善の道を選べる信仰がほしい。
6/7 エレミヤ

41章

5節

シケム、シロ、サマリアから来た八十人の一行が、ひげをそり、衣服を裂き、身を傷つけた姿で通りかかった。彼らは、主の神殿にささげる供え物と香を携えていた。
自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」混乱の危険の中で主の神殿で礼拝を奉げたいと来た
信仰の人がいました。「生きた供え物」として心を奉げていくことがまことの礼拝。犠牲者がでましたが主は10人の民を残されてました。宣教の厳しさを思います。
6/8 エレミヤ

42章

20節

あなたたちは、致命的な誤りを犯そうとしている。『我々のために我々の神である主に祈ってください。我々の神である主が語られることを知らせてくださるなら、すべてそのとおりにします』と言って、わたしをあなたたちの神である主のもとに遣わしたのは、あなたたち自身である。
主に祈るということ、主のみ言葉に従っていくということは自分をからっぽに明け渡して、主に自分を預ける、委ねること。自分が勝手に決めごとをしておいて、自分の
考えたままに行動を起こすなら、主への祈りは偽りでしかない。いつもどんなことでも従いますと真の祈りをささげる者でありたい、主のなさることはすべて最善です。
6/9 エレミヤ

43章

4節

こうして、カレアの子ヨハナンと軍の長たちすべて、および民の全員は、ユダの地にとどまれ、という主の声に聞き従わなかった。
主は何度も何度も語られましたが、主の御声に従いませんでした。自分で自分の道を決めて、神さまにはサインを求めただけ。自分の意志を神さまに押しつけたことと同じです。振り返る時この者も大して変わりはないのでは。主よと言いながら主の御声に聞き従ってきただろうかと。こんなみじめな者をイエス様は救いあげてくださった。
6/10 エレミヤ

44章

17節

我々は誓ったとおり必ず行い、天の女王に香をたき、ぶどう酒を注いで献げ物とする。我々は、昔から父祖たちも歴代の王も高官たちも、ユダの町々とエルサレムの巷でそうしてきたのだ。我々は食物に満ち足り、豊かで、災いを見ることはなかった。
自分たちさえ日常生活が満たされていたらいいのか、自分の欲望のままに生きていければ真の幸せなのか、この世での成功や生活面の豊かさだけを求めて満足していても死は必ず全ての人に来る。「天の女王」が真の愛と平安を与えられるのか。いつまでも残る永遠の生命をくださるのは天地の創造主ご自身。罪を赦して下さるのも主のみ。
6/11 エレミヤ

45章

5節

あなたは自分に何か大きなことを期待しているのか。そのような期待を抱いてはならない。なぜなら、わたしは生けるものすべてに災いをくだそうとしているからだ、と主は言われる。ただ、あなたの命だけは、どこへ行っても守り、あなたに与える。」
地上での成功や名誉などを期待しても空しいだけと主は仰せられます、世は過ぎ去って行くと。主のみ言葉には厳しいものがありますが主は世を愛してくださり御ひとり
子をお与えくださり、罪深い者たちの罪をお赦しくださいました。その上神さまは永遠の生命まで下さり天の故郷に迎え入れ、住まわせてくださると約束してくださった。
6/14 エレミヤ

46章

27節

わたしの僕ヤコブよ、恐れるな。イスラエルよ、おののくな見よ、わたしはお前を遠い地から/お前の子孫を捕囚の地から救い出す。ヤコブは帰って来て、安らかに住む。彼らを脅かす者はいない。
恐れるな、おびえるな。わたしをおいて神があろうか、岩があろうか。わたしはそれを知らない。」イザヤ書でも主は言ってくださっています。なんと力強い主のみ
言葉でしょうか、お約束でしょうか!目に見える状況がどう映ろうと主が味方に付いていてくださる、救い出し最善になしてくださる、導いてくださる。主に頼り主に祈ります。
6/15 エレミヤ

47章

3節

軍馬のひづめの音/戦車のごう音、車輪の響きに/父親は力を失い/子供を顧みることもできない。
敵が攻めてきて生命の危険の中におかれた時、恐怖で子供のことを顧みる余裕も失って自分が逃げるのがやっとという心境に置かれてしまうのもかもしれない。どこまでも一番大事なのは自分。肉の生命を守りたい本能で動くのかもしれない。イエスさまはご自分の生命を捨て罪の者のために死なれた。弱いこの母をも憐れんでください。
6/16 エレミヤ

48章

47節

しかし、終わりの日に/わたしはモアブの繁栄を回復すると/主は言われる。ここまでがモアブの審判である。
終わりの日、主イエス様の日。イエスさまが生まれてくださり罪の者のために十字架にかかってくださったので赦されて今があります。モアブの人たちの誇りは砕かれ
偶像を捨てて救いに預かり主は回復すると言ってくださった。この者も同じです、自分の力でなんとかとがんばっていたけど何もできず主に降参して主に頼りました。
6/17 エレミヤ

49章

12節

主はこう言われる。「わたしの怒りの杯を、飲まなくてもよい者すら飲まされるのに、お前が罰を受けずに済むだろうか。そうはいかない。必ず罰せられ、
必ず飲まねばならない。
飲まなくてもよいのに罪ある者の代りに怒りの杯を飲まれた方がイエス様。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。
しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように
。」罪に気づき悔い改めに導かれた時、怒りの杯ではなく聖餐式の契約の杯を頂けました。
6/18 エレミヤ

50章

20節

その日、その時には、と主は言われる。イスラエルの咎を探しても見当たらず、ユダの罪も見いだされない。わたしが、生き残らせる人々の罪を赦すからである。
あなたの背きの罪をぬぐい/あなたの罪を思い出さないことにする。」イエス様が十字架にかかって贖いの死を遂げられたことによって、罪は完全に消し去ってくだ
さいました。過去の古い自分から切り離されて新しく生まれ変わり、罪もなくなり重荷もなくなり永遠の生命をいただけます。一人でも多くの方に主をお伝えしたい。
6/19 エレミヤ

51章

17節

人は皆、愚かで知識に達しえない。金細工人は皆、偶像のゆえに辱められる。鋳て造った像は欺きにすぎず/霊を持っていない。
偶像の都は滅びるとエレミヤは語ります、とても勇気のいることだったでしょうが。王に対しても、バビロンに対しても、主の言葉を曲げて人にこびることはなかった。主の言われたことはすべてが実現します、真実です!目に見えるものを見て想像をめぐらす愚かな知恵しかない罪の者ですが、み言葉に教えていただき導かれています。
6/20 エレミヤ

52章

17節

彼は生きている間、死ぬ日まで毎日、日々の糧を常にバビロンの王から支給された。
神様は誰にでも、どんな罪の者にも分け隔てなく愛してくださる。目の前におかれた終わりの見えないような試練の時も振り返った時には最善に変えて下さっている。
神様はいつも私たちを救おうとしておられ呼びかけてくださっている。この者も耳が聞こえ目を開いていただいた。主によって必要なものはすべて満たされています。
6/21 哀歌

1章20節

御覧ください、主よ、この苦しみを。胸は裂けんばかり、心は乱れています。わたしは背きに背いたのです。外では剣が子らを奪い/内には死が待っています。
つらい時も自分でがんばってきた者です、神様に頼ろうとせず、助けてと言えずやせ我慢して。自力ではどうしようもなくなって、あわれな姿のままで神様の御前に
ひれふし救いを求め祈った時、神に逆らい続けたにもかかわらず主の平安を頂きました。主は喜んで放蕩娘を抱きしめてくださり、死から生命に変えてくださった。
6/22 哀歌

2章17節

主は計画したことを実現し/約束したことを果たされる方。昔、命じておかれたところのゆえに/あなたを破壊し、容赦されなかった。敵はそのあなたを見て喜び
/あなたを苦しめる者らは角を上げる。
人の目に良く見えること、悪くみえることと関係なく主が計画しされたことは実現されます。容赦しないと言われた神様がひとり子イエス様をお与えくださり罪人たち
の罪を赦されたことも主のご計画の中での約束を果たされたゆえです。どんな時も主のご計画のままに主に信頼して歩む時、いつも結果は最善に成ると体験しています。
6/23 哀歌

3章22節

主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」罪深い者が滅びなかったのは主の
あわれみによるものです。イエス様が神様の間に立って弁護してくださり生命を購ってくださる。このこともすべてが神様のいつくしみ、ご愛があってのこと。感謝。
6/24 哀歌

4章20節

主の油注がれた者、わたしたちの命の息吹/その人が彼らの罠に捕えられた。異国民の中にあるときも、その人の陰で/生き抜こうと頼みにした、その人が。
イエス様は、捕らえられ十字架につけられました、何の罪も犯しておられないお方なのに。弟子たちもイエス様を慕う兄弟姉妹も肉の母もみな哀しみと絶望に陥って
いましたがイエスさまは甦って弟子たちの前に現れてくださった。もちろん今も生きていつもそばにいてくださいます。復活の主のみ翼の陰で憩える恵みを感謝です。
6/25 哀歌

5章15節

わたしたちの心は楽しむことを忘れ/踊りは喪の嘆きに変わった。
主に助けを求める前の自分がこうだった。笑える日が来るのだろうか、と思うほどに苦しみ悲しみ不安の中にいました。でも悲しんだからこそ得ることのできる幸いが
ありました。無駄に過ごした日々はなかった。神様に頼るしかないとわかった時にみ前にひれ伏し、主にある決して消えない平安を頂けました。主は待っておられた。
6/26 エゼキエル

1章28節

周囲に光を放つ様は、雨の日の雲に現れる虹のように見えた。これが主の栄光の姿の有様であった。わたしはこれを見てひれ伏した。そのとき、語りかける者があって、わたしはその声を聞いた。
神様は「光あれ」 と光を下さり、ノアの時には契約のしるしとして虹をお与えくださいました。神様は光も闇もご支配されていますが光の中におられるお方です。 今は
目には見えませんがイエスさまが再び来られる時にはこの者もお会いできます。今は声は聞けませんが、み言葉にて語りかけてくださっています。栄光は主にありて。
6/27 エゼキエル

2章8節

人の子よ、わたしがあなたに語ることを聞きなさい。あなたは反逆の家のように背いてはならない。口を開いて、わたしが与えるものを食べなさい。」
拒まれるのを恐れず主の言葉を語るために主の巻き物を食べなさいと命じられます。哀歌と嘆きと悲しみが書かれているこの御言葉の巻き物をエゼキエルは食べます。拒まれたらという恐れが生まれますが、主は「恐れるな、わたしはあなたと共にいる。」 と。諦めずにみ言葉を語っていける者でありたい。弱い者です、お支えください。
6/28 エゼキエル

3章4節

主はわたしに言われた。「人の子よ、イスラエルの家に行き、わたしの言葉を彼らに語りなさい。
自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません、、、霊によって初めて判断できるからです。」生まれたままの人はどんなに言葉を尽くして語っても聞けません。
かたくなです、古い自分もそうでした。霊によって耳が開きます。まだ聞く耳を持っていないから語らない、ではなくみ言葉そのままをすべて話すようと言われます。
6/29 エゼキエル4章17節 彼らは罪のゆえにパンにも水にも事欠き、やせ衰えて、互いに恐れに取りつかれる。」
わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」 罪ゆえにパンや水さえもなくなっていく
時がくると預言します。主を見上げ、主に頼り、少しのパンや水を取り合うのではなく、みなが分け合っていたわりあって乗り越えていく時に救いがあると信じます。
6/30 エゼキエル5章15節 わたしが怒りと憤りと激しい懲らしめをもってお前を裁くとき、お前は周りの国々の嘲りとそしりの的となり、教訓となり脅威となる。主なるわたしがこれを告げる。
この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。」罪なきイエスさまが嘲られそしられて十字架上で身代わり
になられて裁かれました。それゆえ神は憤りを治めてくださった。そして今も生きておられています。この犠牲を思う時、み前にひれ伏すだけ、何も言えない者です。

2010年7月

7/1 エゼキエル
6章7節

また、殺された者がお前たちの真ん中に倒れる。そのとき、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。

偶像崇拝をしていた人たちがその場で倒れたが、偶像の神は無力で人を助けることもできなかった。人間が作った神とは本当に中身のない偶像だったということです。神が人間を創られたのであって、人が作れるものは何一つありません。すべてが主の御手によります。救いに入れてくださるお方は主おひとりと教えていただけます。

7/2 エゼキエル
7章19節
彼らは銀を外に投げ捨て/金は汚れたものとなる。主の怒りの日には、銀も金も/彼らを救うことができないからだ。銀も金も、彼らの飢えを鎮めることができず/
腹を満たすこともできない。かえって、それは彼らをつまずかせ罪を犯させた。
主の日には、主の御前にあっては金も銀も何の価値もありません、生命も買えません、飢えてる時も役に立ちません。お金が原因で兄弟が仲たがいや友を裏切ったり
神様にそむいたり、つまずかせたり罪を犯すことになります。すべてをご支配なさっている主に頼り主に立ちかえる時に主は必要なものはすべてくださいます。感謝。
7/3 エゼキエル
8章12節
彼はわたしに言った。「人の子よ、イスラエルの家の長老たちが、闇の中でおのおの、自分の偶像の部屋で行っていることを見たか。彼らは、主は我々を御覧にならない。主はこの地を捨てられたと言っている。」
造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。」光を創って光の中に入れていただけてるのに、
闇に隠れて偶像礼拝を、と。どんな状況に置かれていたとしても主は決して見捨てたのではない!振り返った時に恵みに変えられています。主は待ってくださっている。
7/4 エゼキエル
9章4節
主は彼に言われた。「都の中、エルサレムの中を巡り、その中で行われているあらゆる忌まわしいことのゆえに、嘆き悲しんでいる者の額に印を付けよ。」
我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」地上の忌まわしい出来事や、罪に対して嘆き心痛める人に印をつけよ
と言われます。自分自身の罪をもしっかり正面から見据えて主に悔い改めることです。主を畏れ悔い改め、印のある者が守られる中で印のない者は滅びに至りました。
7/5 エゼキエル
10章18節
主の栄光が神殿の敷居から出て行って、ケルビムの上にとどまった。
主の栄光は敷居を出て上で止まり、東門の入口でまた止まり神の栄光は高く上にいてくださった。神様は裁きを下すにしてもどこかで後ろ髪を引かれるようなお気持で
振り向きながらだったのか、徐々に離れ去って行かれました。厳しい裁きの後、ご愛ゆえにひとり子イエス様を神様と人の仲立ち役にお与えくださり罪赦されました。
7/6 エゼキエル
11章19節
わたしは彼らに一つの心を与え、彼らの中に新しい霊を授ける。わたしは彼らの肉から石の心を除き、肉の心を与える。
律法の固い石の心を取り除いて新しい霊をお授けくださり、イエス様が来てくださって新しい契約になりました。罪ある古い自分を捨て去り新しく生まれ変わることが
できるのは霊によってのみです。自分が何をしたからではなく悔い改めた時に一方的に主により霊をいただきます。厳しい裁きの中にも神様のご愛を感じます。
7/7 エゼキエル
12章28節
それゆえ、彼らに言いなさい。主なる神はこう言われる。わたしが告げるすべての言葉は、もはや引き延ばされず、実現される、と主なる神は言われる。」
主なる神様のみ言葉はすべてが真実です、必ず成就します。自分の知識の中では理解できなくても、主が言われることだからそのまま信じることです。自分では信じら
れなくても信じたいと祈った時、気が付いたらすべてを信じることができていました。聖霊が働らかれているゆえです。祈りに応えられて目も耳も開かれ今があります。
7/8 エゼキエル
13章21節
また、わたしはお前たちの頭巾を引き裂き、わが民をお前たちの手から救い出す。二度と、彼らがお前たちの手に捕らえられることはない。そのときお前たちは、わたしが主であることを知るようになる。
主を知らなかった時に将来が不安で占いに目を留めたこともありました、これから先何か良いことがあるだろうかと。愚かな者にも関わらず『わが民』と呼んでくださ
り救いに入れてくださった。保証など全くない偽預言者に惑わされることなく、主の語られる真実の御声に聞き従う者でありたいです。主を知って歩む幸いを思います。
7/9 エゼキエル
14章23節
お前たちは、彼らの歩みと行いとを見て、それによって慰められ、わたしがそこで行ったすべてのことは、理由なく行ったのではないことを知るようになる」と
主なる神は言われる。
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」神様のなさることは
すべてにおいて決して何一つ無駄なものはない。時に哀しみや苦しみなどを味わってもそれで終わりではなくそこから新しい出発があります。どんな時も主を信じます。
7/10 エゼキエル
15章3節
ぶどうの木から、何か役に立つものを作るための木材がとれるだろうか。それで、何かの器物を掛ける釘を作ることができるだろうか。
わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。」イエスさまはぶどうの
木です。ぶどうの木は、実を豊かに結んでこそ役に立ちます。主につながらなければ何の役にも立てない者です。主によって実を結ぶために決して主から離れません。
7/11 エゼキエル
16章63節
こうして、お前が行ったすべてのことについて、わたしがお前を赦すとき、お前は自分のしたことを思い起こして恥じ、自分の不名誉のゆえに、二度と口を開く
ことはできなくなる」と主なる神は言われる。
人は知らなくても自分の恥は知っています。ほんとうに何の取り柄もないこんな者に神様は一方的にお赦しくださりもう2度と思い起こさないと言ってくださいました。
神様が赦してくださったのだからもう自分の罪、恥を言わなくてよいと。イエス様の流された血によって、完全に清め洗い流されました。だから顔をあげて歩めます。
7/12 エゼキエル
17章24節
そのとき、野のすべての木々は、主であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、また生き生きとした木を枯らし、枯れた木を茂らせることを知るようになる。」主であるわたしがこれを語り、実行する。
その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。主が木を植え、主が育てられる。」若枝こそイエス
様。主に不可能はありません、主がすべてをみ心のままに成されます、木を植えるも育てるも天地すべてにおいて。神様の恵みの中に生かされていることを思います。
7/13 エゼキエル
18章31節
お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。
神様はなんとか悔い改めさせたいと願い、人々に呼びかけてくださいます。神様を畏れず自分中心に暮らし罪を犯していた過去を改めれば罪を赦し新しく生まれ変わら
せてくださると。古い自分を捨て新しい霊を授かった洗礼式を思いました。一度死んで主により永遠の生命をいただけた恵みの日。ここから真の人生が始まりました。
7/14 エゼキエル
19章14節
また、若枝の茂る太い枝から/火が出て、実を焼き尽くした。それゆえ、この木には/支配者の杖となる強い枝はなくなった。この歌は悲しみの歌。悲しみの歌としてうたわれた。
すべてをご支配なさるお方は神様おひとりです。たとえ王とはいえ誰ひとり、人を支配できる人はいません。老いも若きも貧富の差もなく誰もが主の御前にあって同じ
です、平等です。木は引き抜かれ枝はなくなり支配者の杖は作れなくなりました。民を支配しておきたいと願った支配者の哀しみの歌が歌われたでしょうか。主に感謝。
7/15 エゼキエル
20章8節
しかし、彼らはわたしに逆らい、わたしに聞き従おうとはしなかった。おのおの、目の前の憎むべきものを投げ捨てず、エジプトの偶像を捨てようとはしなかった。そ
こで、わたしは言った。『わたしは憤りを彼らの上に注ぎ、エジプトの地でわたしの怒りを浴びせる』と。
偶像を捨て去り主を第一にすること、これが主のご命令です。全宇宙を創りこの者も造ってくださり罪を赦し救い入れてくださっている主が言われます。主を信じます
と言いながらどこかに主より大事にしているものがないか?古い自分、自我を捨てきれてないのではないか。時々顔を出す古い自分の存在。十字架の購いがなかったら。
7/16 エゼキエル
21章32節
荒廃、荒廃、荒廃をわたしは都にもたらす。かつてこのようなことが起こったことはない。それは権威を身に帯びた者が到来するまでである。わたしは権威を彼に与える。
神様により、自分で決めて自分が行動して自分が支配していた自我は倒され廃墟と成される。神は廃墟の後に、救い主イエス様に権威をお与えになると希望をください
ました。古い自分は一度壊れて死に、主によって新しく生命をお与えいただける。自我を空っぽにしてイエス様に明け渡したい。主よ、頑固な者を憐れんでください。
7/17 エゼキエル
22章14節
わたしが裁きを行う日に、お前の心は耐えられようか。お前の手の力はうせないだろうか。主であるわたしが、これを語りこれを行う。
目を覆いたくなるような多くの罪が光に出されています、罪人の中にこの者も居ます。神からの裁きの日が怖い、この弱虫が耐えられるはずがない、踏み絵だって踏む
でしょう。でも神様は御ひとり子イエス様を身代わりになさり罪を赦してくださった。ほんとなら裁きにあい十字架にかかるのはこの者なのに。主のご愛を畏れます。
7/18 エゼキエル
23章39節
彼女たちはその息子を殺して偶像にささげたその日に、わたしの聖所に来てそれを汚した。このようなことを、彼女たちはわたしの家の中で行った。
主によって新しく生まれ変わらせていただきました。毎日み言葉をいただき生命のパンをいただき、主の食卓に招いていただく者にもかかわらず、未だに主を哀しませ
ています。自分を愛しても隣人を愛することができにくくそれどころか人を裁く愚かな罪の者のままです。主よ、と言いつつ弱い者です。十字架を仰ぎ祈るばかりです。
7/19 エゼキエル
24章18節
朝、わたしは人々に語っていた。その夕、わたしの妻は死んだ。翌朝、わたしは命じられたとおりに行った。
エゼキエルの妻が召された。主は取り乱してはいけないと言われました。エゼキエルのように主のご命令に従って行きたい。自分にはできないから主の御力に頼ります。
必ずいつか来る別れ、でもその別れは一時のことで再び天国で再会できると主は約束されました。神も独り子を亡くされ哀しみを通られました、世を愛されてるゆえに。
7/20 エゼキエル
25章15節
主なる神はこう言われる。「ペリシテ人は復讐し、嘲りの思いをもって大いに仇を報い、昔からの憎しみにかられて滅ぼそうとした。
昔からの憎しみ、気の遠くなるような長い憎しみの時。心に憎しみを持ち続けながら過ごすことの不幸。自分自身を痛めつけ平安とはほど遠い日々なのではと痛まし
さを思います。つらく悔しく許しがたい出来事でしょうが、心の痛み、傷をいやしてくださる主に頼るしか解決はありません。自分も昔、持っていたことを思いました。
7/21 エゼキエル
26章2節
「人の子よ、ティルスがエルサレムを嘲る。『ああ、諸国民の門であったお前は打ち破られ、わたしのものになった。わたしは富み、お前は廃れる。』
喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」 これこそ神様が望まれていることなのに、人が不幸になって自分が富を増すことを良しと捉え自分さえよければ
と考えて相手を嘲る。ものを取り合うのではなく分かち合う心を持ちたい。5つのパンと2匹の魚で主は大勢の民衆を満たしてくださるお方、嘲りには幸せは来ない。
7/22 エゼキエル
27章27節
お前の富、商品、物品、船乗り、水夫、水漏れを繕う者、物品を交換する者、船上のすべての戦士、すべての乗組員たちは、お前が滅びる日に海の真ん中に沈む。
あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」目に見えるこの世の富に心を奪われ富を第一にする時、それは偶像になる。見えるものは滅びの日が来ることを
知り、永遠に滅ぶことのない主による生命をいただける道をえらばないと。すべての富も神様から出ていて神の所有、自分のものは一つもない。裸で来て裸で帰る。
7/23 エゼキエル
28章17節
お前の心は美しさのゆえに高慢となり/栄華のゆえに知恵を堕落させた。わたしはお前を地の上に投げ落とし/王たちの前で見せ物とした。
主は私を造ってくださる時に美人にしてくださらなかったし、スタイルもよくないし、頭もよくなかったし、お金持ちの家にも生れなかった。臆病で弱虫で誇れるも
のがなかった。こんな者を主は選び救いにいれてくださった。すべてがそろっていたら高慢になってたかもしれない、もっと罪を犯してたかもしれない。主に感謝です。
7/24 エゼキエル
29章3節
語って言いなさい。主なる神はこう言われる。エジプトの王、ファラオよ/わたしはお前に立ち向かう。ナイル川の真ん中に横たわる巨大なわによ/お前は言う。『ナイル川はわたしのもの/わたしが自分のために造ったものだ』と。
聖書にはっきり書かれています、天地をお創りになられたのは主です。ナイルの川も神様の賜物です。自分の生命も地上に生きるすべてのもの、空の星も季節もすべて
神様からのもの。自分が自分のために造ったものはどこを探しても何一つ見つからない。大切な信仰も愛する家族も主がお与えくださいました。誇れるのはただ主のみ。
7/25 エゼキエル
30章3節
その日は近い。主の日は近い。それは密雲の日、諸国民の裁きの時である。
目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。」神さまはこれまでの日々、歴史をご支配されています。そして「主の日」は近づいています。イエス様が来られる再臨の日、その日が具体的にいつかはわかりませんし、その前に肉体の死が先かも。主だけがご存じのこと、いつでも心の準備を。
7/26 エゼキエル
31章9節
わたしが、多くの枝で美しく飾ったので/神の園エデンのすべての木もうらやんだ
エデンの園に置かれていた木々までがうらやむほどだったとは、想像さえもつきません。このように育てられたのは創造主です。太陽や水や土、必要なものを一つも欠
けることなく与えることができる唯一のお方。自然界をも支配する等、人には決してできないことです。神さまを畏れ、いつも御前にへりくだる者でありたいです。
7/27 エゼキエル
32章15節
わたしはエジプトの地を荒廃させ/その地を満たしているものを荒れるにまかせる。わたしがそこに住むすべての者を撃つとき/彼らは、わたしが主であることを知るようになる。
エジプトは誇りのゆえに神によって滅ぼされました、主は歴史を創られるお方です。自分を省みる時、自分は高ぶっていないだろうか、救いに預かったと安心して信仰
の成長が滞っていないだろうか。主よ、と言いながら主を頼らず自分が先に出ているのではないか。いつも主のみ前に出て自分を光に出して悔い改め主を第一にしたい。
7/28 エゼキエル
33章15節
すなわち、その悪人が質物を返し、奪ったものを償い、命の掟に従って歩き、不正を行わないなら、彼は必ず生きる。死ぬことはない。
はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」イエス様の隣で十字架に架けられてそこで罪を悔い改めた人にイエス様はこう言われた。どんなに
平安と慰めをいただけたことか。肉体は滅びますが主により永遠の生命を頂き死から解放されます。イエス様がいてくださるのでどんな時も安心と大きな声で伝えたい。
7/29 エゼキエル
34章12節
牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。
その一匹を見失ったとすれば、、、、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。」真の牧者は主イエスだけ、主は迷える子羊を連れ戻してくださいます。
イエス様の保護の中、御手の中に置いていただけること、これ以上の安全はありません。飼い主の声を聞き分ける子羊のようにこの者も主のみ声に聞き従って歩みます。
7/30 エゼキエル
35章13節
お前たちはわたしに向かって大口をたたき、わたしに向かって多くの言葉を重ねた。わたしはそれを聞いた。
わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」主が愛しておられる人々に対して迫害や侮りを向けるならそれは主ご自身に向けられてることと主は受け止め
られます。また「最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」とも言われます。主はいつもそばにおられすべてを把握しておられます。
7/31 エゼキエル
36章26節
わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。
なぜこの者が主により救いに預かったか、頑なで愛もないささくれだった石のような固い心から新しい心へ移していただいたか。自分が何かをしたのではないのに
主の一方的なご愛、恵みにより聖霊が働いて祝福に預かった。ほんとうに人間の努力ではなく神さまのお力、み業以外考えられない奇跡により新しくされました。

2010年8月

8/1 エゼキエル
37章3節
そのとき、主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。」わたしは答えた。「主なる神よ、あなたのみがご存じです。」
それは人間にできることではないが、神は何でもできる」 人の眼から見た時、まったく希望がないと思えても、主のみ言葉に不可能はありません、実現します。神は御霊によって天地や人をお創りになられたしイエス様が復活をなさいました。この者も主により絶望から希望へと移され信仰をいただきました。奇跡です。
8/2 エゼキエル
38章23節
わたしは自らの偉大さと聖とを多くの国々の前に示す。そのとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。
終末の預言、黙示録を読んでいるような気がします。終わりの日には主の憤りは激しく燃え上がると。全世界にご自分の偉大さを現わされると言われます。ここまで
されないと罪の者たちは主を畏れない、主を認めない、覚えないということでしょう。♪すべての人よ主を讃えよ、とすべての民が主を讃える日が来ますよう祈ります。
8/3 エゼキエル
39章28節
わたしは彼らを国々に捕囚として送ったが、自分の土地に集めて、もはや、かの地には残さない。そのとき、彼らはわたしが彼らの神、主であることを知るようになる
母の胎を出てから、持って生まれた罪を罪とも思わず自分勝手に罪を犯しつつ平気で生きてきました。主はあれやこれやと起こしてくださり、自分ではどうしようもない、
絶望の淵に立って初めて主を求めました。さまよっていた霊は主の土地に呼び戻されました。過去には戻さないと言ってくださっている憐れみの主を知りました。
8/4 エゼキエル
40章4節
その人はわたしに向かって言った。「人の子よ、自分の目で見、自分の耳で聞き、わたしがこれから示す、すべてのことを心に留めなさい。あなたがここに
連れて来られたのは、それを示すためです。あなたが見ることを、すべてイスラエルの家に告げなさい。」
わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」エゼキエルは神の幻にて神殿の様子を見せられました。救いに預かったこの小さな者にも主
は大いなる奇跡のみ業をいつも見せてくださっている。主に出会い希望を持って真実の人生を歩み始めることができた。息子の信仰の姿を通して得た幸いも語りたい。
8/5 エゼキエル
41章7節
回廊となっている神殿の脇間は上にいくほど広くなっており、神殿は各階ごとに回廊がついている。しかも、階が上がるごとに広くなっている。
地階から最上階へは中間の階を経て上っていく。
狭い門から入りなさい、、、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」神が建てられる神殿は上に行くほど広くなっていると。
天国への入り口は狭いけれど主に砕かれて自我を捨てて余分なものを取り去られ狭き門を通りぬけた時、上にはイエス様が広い住まいを備えて待っていてくださいます。
8/6 エゼキエル
42章13節
彼はわたしに言った。「神域に面した北側の部屋と南側の部屋は、いずれも神聖な部屋である。この場所で、主に近づく祭司たちが最も神聖なものを食べる。またそこに、彼らは最も神聖なものを置く。それは穀物の献げ物、贖罪の献げ物、賠償の献げ物である。この場所が神聖だからである。
わたしたちが光の中を歩むなら、、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。」神さまは聖なるものと汚れたものを区別なさいます。主を礼拝する神聖な部
屋で最も神聖な主のみことばを食べ贖罪の献げ物であられるお方、イエス様から聖餐のパンと葡萄酒を頂戴出来る恵み。十字架の血がなければみ前に出られません。
8/7 エゼキエル
43章9節
今、わたしのもとから、淫行と王たちの死体を遠ざけよ。そうすれば、わたしは彼らの間にとこしえに住む。
自分の罪を公に言い表すなら、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。」神さまと私たちの間にある自分の罪という大きな壁を遠ざければ神は
とこしえに共に住んでくださる。罪に気づいたら主のみ前に持っていき光に出して悔い改めれば、主は決して離れることはないと言われます。主は待っておられます。
8/8 エゼキエル
44章15節
イスラエルの子らが迷って、わたしから離れたとき、わたしの聖所の務めを守ったレビ人の祭司であるツァドクの子孫は、わたしに近づき仕えることができる。彼らはわたしの前に立って、脂肪と血をささげねばならない、と主なる神は言われる。
これが宥めの香りとして、燃やしてささげる食物である。脂肪はすべて主のものである。」多くの人が神さまを畏れず自分たちの作った偶像を拝み自分勝手な生き方を
してる時も唯一の神を信じ従った人に応えています。主のみ前に捧げるものは最高のものをと。イエス様はご自身を捧げられました、自分は何を捧げているのだろうか。
8/9 エゼキエル
45章10節
「あなたたちは、正確な天秤、正確なエファ升、正確なバト升を用いなさい。」
与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」神さまは正しい量りを持つように言われます。自分にも
人にも同じ量りを使うように。自分には甘く、人には厳しくとなってしまう自分の姿が見えてきます。主よごめんなさい、どこまでいっても大事なのは自分となっています。
8/10 エゼキエル
46章13節
あなたは、朝ごとに無傷の一歳の小羊一匹を、日ごとの焼き尽くす献げ物として、主にささげねばならない。朝ごとに、それをささげねばならない。
自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」朝ごとに主からのみ言葉を頂き主に感謝をお捧げいた
します。主により地上においていただいてる1日1日が主のための1日。主に用いられたいと願います。主に造られた自分自身を捧げさせていただくことを喜びとします。
8/11 エゼキエル
47章9節
川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。
わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」イエス様がお与え下さる水は命の水です。洗礼を受け、水をくぐって新しく生まれ変わらせ
ていただき、罪で汚れた者が水を通って清められます。神さまだからお出来になること。毎日枯れることのない生命の水、み言葉をいただき主により生かされています。
8/12 エゼキエル
48章35節
都の周囲は一万八千アンマである。この都の名は、その日から、「主がそこにおられる」と呼ばれる。
わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」アーメン。永遠に変わらないお方、主がここにおられる、いつもおられる、共におられる。世界中のどこの都も
みんな同じ名前になれますように。みなが一緒に心ひとつに主を拝する日が来ますように。私たちは神によって造られイエス様の十字架の購いによって赦されました。
8/13 ダニエル1章8節 ダニエルは宮廷の肉類と酒で自分を汚すまいと決心し、自分を汚すようなことはさせないでほしいと侍従長に願い出た。
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、」肉やお酒により身を汚すことはするまいと祈り、神に従う道を選び上司に願い出た。
主から勇気を頂き信仰を選んだこと、周りの人はどうかと見るのではなく主だけを見上げて主に知恵と力を下さいと祈ることで主はお守りくださる。こうありたいです。
8/14 ダニエル2章28節 だが、秘密を明かす天の神がおられ、この神が将来何事が起こるのかをネブカドネツァル王に知らせてくださったのです。王様の夢、お眠りになっていて頭に浮かんだ幻を申し上げましょう。
ヨセフはファラオに答えた。『わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです。』」 ダニエルも天にいらっしゃる神様が夢の秘密を王に知らせた
と王に証言しています。夢を解き明かせないなら殺すと言う王の前に出る時も、主に祈り知恵と勇気をもらって。いつも私が、ではなく主が、と栄光を主に帰す姿勢。
8/15 ダニエル3章18節 そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」
人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。」主のみ心であれば、火の炉からもどんな状況の中にあっても救い出すことのできる神を信じる信仰の姿を見ます。
もしも火に焼かれ肉の生命を終えたとしても偶像を拝むことはしない、神に従うと。時の権威に従うのではなく主にのみ。弱い自分はきっと多分拝む、憐れんで下さい。
8/16 ダニエル4章32節 すべて地に住む者は無に等しい。天の軍勢をも地に住む者をも御旨のままにされる。その手を押さえて/何をするのかと言いうる者はだれもいない。
人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。」全宇宙を創られ生きとし生けるものを造られた神。歴史も御手の中にあります。神の息吹のかからぬものは何一つない。自分の力で生きてると思っていても背後にいつも主の御手と、お守りがある。神のご愛を気付くか気付かないかの違い。気づいてほしいと願い祈ります。
8/17 ダニエル5章17節 ダニエルは王に答えた。「贈り物など不要でございます。報酬はだれか他の者にお与えください。しかし、王様のためにその文字を読み、解釈をいたしましょう。
神のものは神に返しなさい。」神様がお与え下さった知恵と力により夢を解き明かせることをダニエルは知っていました、すべてが主の恵みと。神さまからの賜物に対し
て贈り物を断る毅然としたダニエルの態度に学びます。地上での報酬を求めず「富は、天に積みなさい。」み言葉の通りにすべてを主からと受け止めて歩みたいです。
8/18 ダニエル6章24節 王はたいそう喜んで、ダニエルを洞窟から引き出すように命じた。ダニエルは引き出されたが、その身に何の害も受けていなかった。神を信頼していたからで
ある。
信仰によって、、獅子の口をふさぎ、」神様を信頼していることでどんな試練の中にあっても救い出してくださる、ということが王にも伝わりダニエルの信じるまことの
神を讃美しました。神様はこの者にも体験を通してみ業をお見せくださりご臨在を現してくださいます。神を信じる信仰に勝るもにはありません。主は生きておられる。
8/19 ダニエル7章14節 権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え/彼の支配はとこしえに続き/その統治は滅びることがない。
あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る。」イエス様が父なる神の御前に出て来られて権威を授けられたことがはっきり書かれています。のちに神の子でありキリストであることを宣言されたことで、イエス様は十字架に架かられましたが復活されて今も生きておられます。再臨を待ち望みます。
8/20 ダニエル8章26節 この夜と朝の幻について/わたしの言うことは真実だ。しかし、お前は見たことを秘密にしておきなさい。まだその日は遠い。」
ガブリエルにより終末の幻を見せられますが、言ってはならないと口止めされ、その後も幻のことも理解できなかったと。畏れ多いことですが息子は終末のこともすべて
教えられてきているのではないかとさえ思うことがあります、天に言葉を置いてきたゆえ秘密も守れますし。主を信頼し明日を思い煩うことなく主の栄光を現してます。
8/21 ダニエル9章9節 憐れみと赦しは主である神のもの。わたしたちは神に背きました。
自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。」主が祈りを聞いてくださるのは自分が何をしたからではなく主の一方的な憐れみの故です。神様に背を向け罪の中に死んでいた者ですがイエス様の十字架により救いに入れていただけた。主よ感謝いたします。
8/22 ダニエル10章18節 人のようなその姿は、再びわたしに触れて力づけてくれた。
父よ、御心なら、この杯を、、、御心のままに行ってください。」すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。  悪魔から誘惑を受けた時も、ゲッセマネでも御使
いが現れ支えられた。主のご計画の中を歩む中でくじけそうになった時に主はこの者の唇に触れてくださり「恐れることはない。愛されている者よ。」と言ってくださる。
8/23 ダニエル11章35節 これらの指導者の何人かが倒されるのは、終わりの時に備えて練り清められ、純白にされるためである。まだ時は来ていない。
命の水の泉へ導き、/神が彼らの目から涙をことごとく/ぬぐわれるからである。」終わりの時にはイエス様が再びやってこられて神様がその救いを完成して下さり神
様の国の完成、天国の訪れがきます。時が来るまでに、天の御国に帰る時までに、狭き門を通りぬけられるよう自我を砕かれて清められていかないと。待ち望みます.。
8/24 ダニエル12章13節 終わりまでお前の道を行き、憩いに入りなさい。時の終わりにあたり、お前に定められている運命に従って、お前は立ち上がるであろう。」
歩きにくい試練の道であっても、先の見えないような道であっても主がこの者に敷いてくださった道を主を信じて歩みます。たどり着く所に主が待っててくださる、迎え
てくださるから。いつイエス様が再臨されても、いつ地上の生涯が終わってもよいようにいつも目を覚ましていたい。地上での終わりは天国での始まり、国籍は天国です。
8/25 ホセア1章7節 だが、ユダの家には憐れみをかけ/彼らの神なる主として、わたしは彼らを救う。弓、剣、戦い、馬、騎兵によって/救うのではない。」
戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが/我らは、我らの神、主の御名を唱える。」主の救いのみ業は武器ではなく愛を持って成されます。神様の御独り子をお与
えくださりイエス様の十字架の購いにより罪の中にいる者たちを救ってくださいました。武器を見せられても悔い改めは起きません、イエス様のご愛だけが勝利します。
8/26 ホセア2章9節 彼女は愛人の後を追っても追いつけず/尋ね求めても見いだせない。そのとき、彼女は言う。「初めの夫のもとに帰ろう/あのときは、今よりも幸せだった」
と。
この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。 放蕩息子のたとえを思いました。神様は裏切られてもなお
受け入れてくださいます。罪ある者が悔い改めて身許に帰って来る日を待ち望んで下さっています。神様の深いご愛、すべてのものを主から頂いて生かされています。
8/27 ホセア3章1節 主は再び、わたしに言われた。「行け、夫に愛されていながら姦淫する女を愛せよ。イスラエルの人々が他の神々に顔を向け、その干しぶどうの菓子を愛しても、主がなお彼らを愛されるように。」
あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」神様に背きの罪を繰り返してきたこの者に神様は一方的な無条件のご愛をもって愛し
選び買い戻してくださいました。それでも愛する、これこそが神様の限りない愛です。妻の行いがどうであれホセアが最後まで裏切らなかったのも神の愛があったからと。
8/28 ホセア4章6節 わが民は知ることを拒んだので沈黙させられる。お前が知識を退けたので/わたしもお前を退けて/もはや、わたしの祭司とはしない。お前が神の律法を
忘れたので/わたしもお前の子らを忘れる。
キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。」  主を知ることを拒むことは、主の成してくださるみ業をみることもなく
主との交わりを閉ざし自分の力で生きること。主の語りかけも聞こえない頑なな心でみじめに生きることを意味します。主は忘れると言いつつ待ってて下さるお方です。
8/29 ホセア5章15節 わたしは立ち去り、自分の場所に戻っていよう。彼らが罪を認めて、わたしを尋ね求め/苦しみの中で、わたしを捜し求めるまで。
わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、」主は見捨てられたのではなく外に出てそっと戸口で待ってて下さいます!
苦しみがなければこの愚かな者は罪も知らず主を求めず傲慢に生きてました。どうしようもなくなり自分の限界を知り主に「助けて」と叫んだ時、主は来てくださった。
8/30 ホセア6章6節 わたしが喜ぶのは/愛であっていけにえではなく/神を知ることであって/焼き尽くす献げ物ではない。
わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』 イエス様もこう言われました。生ける神と交わること、み言葉を通して語り合うこと、祈ること。生活の中に
いつも主が共に居てくださると体験させていただいてます。主が求められるのは神のご愛を知り信頼して歩むこと。隣り人を愛せず悲しませてばかり、主よごめんなさい。
8/31 ホセア7章14節 彼らは心からわたしの助けを求めようとはしない。寝床の上で泣き叫び/穀物と新しい酒を求めて身を傷つけるが/わたしには背を向けている。
主のみ前に出たくなかった、自分の罪を認めたくなかった、自分中心に生きてきたことを自分が知っていたから。人知れず泣いても降参しなかった、がんばった。なんと
か解決の道はないかと病院巡りもしたが、全くダメだった。すべての持ち駒を使い果たし頼れるのは神様だけと悔い改めて助けを求めた時主により絶望から解放された。

2010年9月

9/1 ホセア8章2節 わたしに向かって彼らは叫ぶ。「わが神よ/我々はあなたに従っています」と。
わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。」口先だけで主よと言いながら、主に伺うことなく自分たちで王を決め偶像を造ったり
勝手なことばかりし続けて「その造り主を忘れた」と。神よりもっと大事なものがあったらそれは偶像崇拝。主のみ言葉に背いていながら主よ、とは裏切りでしかない。
9/2 ホセア9章7節 裁きの日が来た。決裁の日が来た。イスラエルよ、知れ。お前の不義は甚だしく、敵意が激しいので/預言者は愚か者とされ、霊の人は狂う。
人が歓迎するとかしないとかではなく、世間から「愚か者」呼ばわりされようとも、預言者は主なる神のみ言葉を証ししなくてはなりません。ほんとうに厳しい所におかれています。人々が聞きたくない、受け入れがたいことを言わねばならない時に主にのみ頼り勇気を頂いて語るのでしょう。愚か者と言われても主を伝えていきたいです。
9/3 ホセア10章12節 恵みの業をもたらす種を蒔け/愛の実りを刈り入れよ。新しい土地を耕せ。主を求める時が来た。ついに主が訪れて/恵みの雨を注いでくださるように。
自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。」  新しい方が集ってくださるよう、主を求めて来られるように種を蒔き
耕していきたい。種を蒔いた後に主が恵みの雨を降らせて下さることを信じて。主が再び来られるまでに一人でも多くの方が主を信じ永遠の生命の実を結びますように。
9/4 ホセア11章3節 エフライムの腕を支えて/歩くことを教えたのは、わたしだ。しかし、わたしが彼らをいやしたことを/彼らは知らなかった。
良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。」 生まれてから、いえ母の胎にいた時から主は成長を見守ってくださっています。生きて
いくために必要なことをすべてお与えくださり整えてくださっているのは主。主を知るまですべてが主から来たことと気付きませんでした。主のご愛、恵みのみ業に感謝。
9/5 ホセア12章5節 神の使いと争って勝ち/泣いて恵みを乞うた。神はベテルで彼を見いだし/そこで彼と語られた。
争って勝ちを得たものの、自分の力の限界を知り、ヤコブは今までの自分の罪を認め、悔い改め悲しみの中で泣いて主に祝福を乞い願った。誰でも悔い改めれば神さま
の恵みによって神さまと出会えます。み言葉を通して語ってくださりいつも共に居てくださることを体験できます。弱い時にこそ主は励まされる。主は待ち望んでおられます。
9/6 ホセア13章4節 わたしこそあなたの神、主。エジプトの地からあなたを導き上った。わたしのほかに、神を認めてはならない。わたしのほかに、救いうる者はない。
絶望の暗闇から希望の光の中へと導き出すことがお出来になるのは神さまだけ。他には誰もいません、家族も友も真の希望を与えること、救いに入れることはできない。
たとえ地位や財産があっても罪の赦しと真の救いは出来ない。死から解放し永遠の生命を下さるお方、主に頼ってほしい。主に叫んだ時、主は必ず救いに入れてくださる。
9/7 ホセア14章4節 アッシリアはわたしたちの救いではありません。わたしたちはもはや軍馬に乗りません。自分の手が造ったものを/再びわたしたちの神とは呼びません。親を
失った者は/あなたにこそ憐れみを見いだします。」
戦争のための軍馬には乗らずイエス様は平和の主として小さなロバに乗ってこられました。神さまと言いつつ神さま以上に大事に思う偶像崇拝を自分は持っていないか?み言葉によって自分の心を見つめていきたい、光に当てていただきながら。神さまは永遠に変わらず天のお父様として、不出来な子供の罪を赦し見守り憐れんで下さる。
9/8 ヨエル1章3節 これをあなたたちの子孫に語り伝えよ。子孫はその子孫に/その子孫は、また後の世代に。
今まで経験しなかったような苦難が起きたことや主を受け入れることなく勝手気ままに過ごし言い表せぬほどの罪を重ねてきたこと等を、そして絶望の中から主に叫び悔
い改めて信仰を頂いたこと、罪赦されたのは十字架の購いゆえのこと、と。主に依り頼んで人生を生きる時、本当に生きることができると子孫に伝えたい。主に祈ります。
9/9 ヨエル2章13節 衣を裂くのではなく/お前たちの心を引き裂け。」あなたたちの神、主に立ち帰れ。主は恵みに満ち、憐れみ深く/忍耐強く、慈しみに富み/くだした災いを悔いられるからだ。
表面的な口先だけで悔い改めるのではなく、心の中を見詰め、吟味して罪を主のみ前に出しきる、光に当ててもらうこと。自分の罪を真正面から見つめ、認め、主に悔い
改める時、主は清めてくださり赦して下さる。古い自分は死に、新しく生まれかわらせてくださる。主は放蕩息子、迷える子羊が帰って来ることを待ち望んでおられます。
9/10 ヨエル3章5節 しかし、主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。主が言われたように/シオンの山、エルサレムには逃れ場があり/主が呼ばれる残りの者はそこにいる。
わたしの支え、わたしの砦、砦の塔/わたしの逃れ場、わたしの盾、避けどころ」 主はいつも共に居てくださり守り導いてくださいます。自分の罪を隠さずみ前に出し悔い改め、神さまに礼拝する時に主は喜ばれて一人残らず救いに入れてくださり神様のみ翼のもとに憩えます。まだ主を受け入れない方の心に主の御声が届きますように。
9/11 ヨエル4章17節 あなたたちは知るようになる。わたしがあなたたちの神なる主であり/わが聖なる山シオンに住む者であることを。エルサレムは聖なる地となり/もはや、異国の民がそこを通ることはない。
私は全能の主が私の神様と知りました。神様はみ業を見せてくださり、み言葉を語ってくださり、いつも共に居てくださることを気付かせてくださいました。この世や人
を見て怖れることがなくなりました、主は分かってくださるから、一人じゃないとわかったから、主は守ってくださるから。誘惑や欲望がそばを通ることはありません。
9/12 アモス1章2節 彼は言った。主はシオンからほえたけり/エルサレムから声をとどろかされる。羊飼いの牧草地は乾き/カルメルの頂は枯れる。
三つの罪、四つの罪のゆえに/わたしは決して赦さない。」 主は言われます。シオンから怒りの叫びをあげられ、イスラエルの地を干からびさせるような裁きの声で
牧場も山の頂上も枯れさせていかれます。罪に対しては毅然とした態度で立ち向かわれるお方。それでも世を愛され独り子をお与えくださったから今の私がここに居ます。
9/13 アモス2章16節 勇者の中の雄々しい者も/その日には裸で逃げる、と主は言われる。
神にできないことは何一つない。」どんなに強い者も神の裁きから逃れることはできません。逃げ場もなく誰も救い出せる者はいない。「勇者も自分を救いえない。」
神さまがよくしてくださったことを忘れて、すべて自分が頑張ったからと自分勝手に生きる時、それは罪のままのみじめな者です。神様のみ前に悔い改めることだけです。
9/14 アモス3章8節 獅子がほえる/誰が恐れずにいられよう。主なる神が語られる/誰が預言せずにいられようか
耳のあるものは聞きなさい」と言われます。主は獅子のように吼えておられます。全ての人が聞くことができるよう聞こえない人がいないように預言者を通して語って
くださいます。知識としては聞いていても聖霊によって耳が開かないと、心が閉ざされてしまっていて受け止められません。主のみ前に悔い改めた時にみ言葉が入ります。
9/15 アモス4章13節 見よ、神は山々を造り/風を創造し/その計画を人に告げ/暗闇を変えて曙とし/地の聖なる高台を踏み越えられる。その御名は万軍の神なる主。
初めに、神は天地を創造された。」太陽や月や星や季節、人も動物も花や木や虫までも神様の御手によって創られたものだけが存在している。自分だけで生きてきた自分でなんでもできると思っていてもすべて神様のご計画の中で生かされているのが真実です。全てをご支配なさる神を畏れます。主はみ元に来る人を待ち望んでいます。
9/16 アモス5章4節 まことに主は、イスラエルの家にこう仰せられる。「わたしを求めて生きよ。
求めなさい。そうすれば、与えられる。」 主は待っておられます、罪を悔い改めて神様を頼り求めることを。神様と繋がって生きる時に初めてほんとうに生きることが
できます。以前は自分の心の中に潜む罪や無力さや孤独を認めたくない、降参したくない、負けたくなかった。でも主を求めた時、み前に重荷を下ろすことができました。
9/17 アモス6章8節 主なる神は御自分を指して誓われる。万軍の神なる主は言われる。わたしはヤコブの誇る神殿を忌み嫌い/その城郭を憎む。わたしは都とその中のすべてのものを敵に渡す。
何不自由なく豊かに生活しているつもりで主を仰ぐことなく豪華な神殿を建ててみても、それは自己満足でしかなく主の目には不信仰に他ならない。目に映る自分たちの
繁栄を誇ってもそれは空しく消え去っていき、敵に渡されて滅びにあうものと主は言われます。悔い改めて主に繋がらなければ真の平安は来ません。主のみを誇ります。
9/18 アモス7章15節 主は家畜の群れを追っているところから、わたしを取り、『行って、わが民イスラエルに預言せよ』と言われた。
家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者に主は預言せよと言われるので語るのみだとアモスは言う。主は農夫や漁師を用いられて福音の恵みを語らされた。主の良くして
くださることを語るのに地位や知識や資格、上手下手など無いことを思います。与えられた救いの素晴らしさを語ればあとは主が導いてくださる。用いられたい、祈ります。
9/19 アモス8章11節 見よ、その日が来ればと/主なる神は言われる。わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく/水に渇くことでもなく/主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。
人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』神様に造られた人はパンだけでは生きられません。神様のみ言葉を食べて神様から愛
と希望と信仰を頂いて初めて「生きる」ことができます。肉体だけでなく霊のパンが頂けず飢え渇きを覚えても主は与えないと。そこは愛も希望も光もない暗闇の世界です。
9/20 アモス9章11節 その日には/わたしはダビデの倒れた仮庵を復興し/その破れを修復し、廃虚を復興して/昔の日のように建て直す。
主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。」神様はどのような状態からでも私たちを立て直して下さり住まいをも下さる。罪の中に死んだも同然の滅びゆく者
を主の一方的な憐れみにより救いに入れていただいた。地上での試練の時も、のちに主からの恵みにかえられる奇跡も体験させていただきました。永遠の希望を感謝。
9/21 オバデヤ

1章15節

主の日は、すべての国に近づいている。お前がしたように、お前にもされる。お前の業は、お前の頭上に返る。
人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」イエス様の来られる日は近づいている。まだ許せない人を心から許すことかできますように。
すでに自分の罪も赦されていますから。イエス様は人間の罪を引き受けてくださり、十字架に架かってくださったお方。復讐ではなく愛が勝利することを知りました。
9/22 ヨナ

1章10節

人々は非常に恐れ、ヨナに言った。「なんという事をしたのだ。」人々はヨナが、主の前から逃げて来たことを知った。彼が白状したからである。
神様の前から逃げ出そうとしたヨナを、主は身許に立ち帰らせるためにヨナに嵐の海を用意され、くじ引きもヨナに当たるようになさった。主のヨナへのご愛を見ます。主
はヨナだけでなく神の元を離れる者をいろいろな出来事を通して引き戻されるお方です。罰せられるのではなく憐れみゆえのこと。どんな時も逃げずに主の御手の中に。
9/23 ヨナ2章7節 わたしは山々の基まで、地の底まで沈み/地はわたしの上に永久に扉を閉ざす。しかし、わが神、主よ/あなたは命を/滅びの穴から引き上げてくださった。
生きる希望を失いかけ、暗闇の中にいたあの時、この者も魚の腹の中に居たことを思いました。自分の力で何とかしようと意地を張っていたみじめな者が最後に主に助
けを求めた時に主は引き揚げて光の中に置いてくださった。この者も主のご用のためにお用いください。まだ主のご愛に気付かない方々へ主をお伝えして行きたいです。
9/24 ヨナ3章2節 「さあ、大いなる都ニネベに行って、わたしがお前に語る言葉を告げよ。」
悔い改めたヨナに、主は再び御声をかけてくださった「告げよ」と。主は諦めないで見捨てないで忍耐をもって頑なな者をたち帰らせてくださり再びチャンスを下さる。
赦された喜びを思いました。「ニネベは滅びる」というヨナの言葉で人々は悪を離れ悔い改めた。ヨナが一人、変えられたことから、と奇跡を見ました。主を畏れます。
9/25 ヨナ4章11節 それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」
自分に対して恵みと憐れみを持って接してくれることはうれしいと感謝しても、自分の嫌いな人に対しても同じように恵みと憐れみを持って接することは気に入らない。
人の不幸は蜜の味という寂しい心しか持てないとはみじめで不幸なこと。人の幸せを願う者になれますようお守りください。主は一人も滅びることを望まないお方です。
9/26 ミカ 1章9節 まことに、痛手はいやし難く/ユダにまで及び、わが民の門エルサレムに達する。
イエス様ご自身が孤独の中で十字架を担い、肉体の癒しがたい痛手の中で傷を負いながらも裸足で引かれていったことを思い浮かべます。父なる神様は独り子イエス様と共に痛んでおられたと思います。滅んでいくはずだった罪の者たちのためにイエス様がこうして裁きを引き受けてくださったゆえ私たちは滅ぶことなく罪は赦されました。
9/27 ミカ 2章13節 打ち破る者が、彼らに先立って上ると/他の者も打ち破って、門を通り、外に出る。彼らの王が彼らに先立って進み/主がその先頭に立たれる。
打ち破る者」であられるイエス様が先に立ち、さばきに耐えて残された者たち、打ちひしがれた者たちを集めて解放してくださいます。悔い改め主だけを仰ぐ者たちに神
様の救いが約束されています。「主がその先頭に立たれ」最後の日には身許に呼び寄せてくださる希望を頂いてます。主が来られる日を待ちつつ日々主を仰ぎ歩みます。
9/28 ミカ 3章4節 今や、彼らが主に助けを叫び求めても/主は答えられない。そのとき、主は御顔を隠される/彼らの行いが悪いからである。
あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』と主は言われる。へりくだり悔い改めた心からの叫びではなく困った時の神頼みのように
神に願い求めても主はお応えにならない。神様はご自分の御顔を隠されながら人々に悔い改め主を求めることをお待ちになっておられます。赦したいと願われてます。
9/29 ミカ 4章7節 しかし、わたしは足の萎えた者を/残りの民としていたわり/遠く連れ去られた者を強い国とする。シオンの山で、今よりとこしえに/主が彼らの上に王となら
れる。
悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。」弱く望みのなかった者たちに神様が顧みてくださり強くされて用いられるという希望をいただきます。イエ
ス様の十字架と復活により主は私たちの王となってくださいました。主は弱い人を通してみ業、奇跡を見せてくださいます。主によって自分の弱さを誇れますこと感謝。
9/30 ミカ 5章1節 エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。
ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。、、平和の君と唱えられる。」イエス様がベツレヘムにお生まれになりこの預言は成就されました。それも永遠の昔
にすでに天地を創造された神の御子として在られました。ご自分の命をこの者たちの罪の贖いとしてお捧げになるとの神様からの使命を持って来られた。ひれ伏します。

2010年10月

10/1 ミカ 6章
8節
人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと、これである。
主は外側ではなく心を見られる。取り繕って奉仕をしてみても礼拝に行っても見せかけでは通用しません。主のみ前に罪を出して悔い改めどんな人にも愛を持って接
すること。赦されてるから許すこと。でも自分にはとてもできないと認めて自分を捨てて主に頼る時、主は動いてくださる、支えてくださる。主はへりくだる者を望まれる。
10/2 ミカ 7章
18節
あなたのような神がほかにあろうか/咎を除き、罪を赦される神が。神は御自分の嗣業の民の残りの者に/いつまでも怒りを保たれることはない/神は慈しみを喜ばれるゆえに。
天地をお創りになられ人間も造ってくださったお方。このお方が人間の罪咎をお赦しくださった。それも御独り子を十字架にお架けになられてまでも。言葉では表現でき
ないほどのあわれみと慈しみをすべての人に向けられ、一人でも多くの人が神様の身許に悔い改めて帰ってくることを願って今も待っておられます。主をほめ讃えます。
10/3 ナホム1

7節

主は恵み深く、苦しみの日には砦となり/主に身を寄せる者を御心に留められる。
わたしの避けどころ、砦/わたしの神、依り頼む方」苦しみの時にも悲しみの時にも主の身許に行けばみ翼の陰に迎え入れ休ませてくださる、慰めてくださる。親鳥が雛を守るように、天のお父様はこんな放蕩娘も喜んで招き入れ重荷を下ろさせてくださった。罪を光に出し悔い改めた時、救いに入れてくださるお方。平安は主の元に。
10/4 ナホム2章
1節
見よ、良い知らせを伝え/平和を告げる者の足は山の上を行く。ユダよ、お前の祭りを祝い、誓願を果たせ。二度と、よこしまな者が/お前の土地を侵すことはない。彼らはすべて滅ぼされた。
時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」  イエス様が来られて神の福音を伝えられました。弱い者であっても神様が味方になってくださっていま
すので決して滅ぼされることはないと言われます。どんな状況にあってもいつもへりくだり、神様を頼って希望を持って歩む者に神様はご愛を持ってお守りくださいます。
10/5 ナホム3章
19節
お前の傷を和らげるものはなく/打たれた傷は重い。お前のうわさを聞く者は皆/お前に向かって手をたたく。お前の悪にだれもが/常に悩まされてきたか
らだ。
そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。」イエス様は十字架に架かり罪を担い、孤独の傷をも癒してくださった。人を傷つけたり悩ませたこと
もすべて主は赦してくださった。人にうわさをされても誰にも理解されなくても神様は知っていてくださるのでそれだけで慰められます。み翼の陰に憩えますこと感謝。
10/6 ハバクク1章2節 主よ、わたしが助けを求めて叫んでいるのに/いつまで、あなたは聞いてくださらないのか。わたしが、あなたに「不法」と訴えているのに/あなたは助けてくださらない。
いろいろな問題を前にした時に弱い者ゆえ早く解決したい、つらさから逃れたいと願い祈り、一刻も早い神様の御手を待ち望みます。御手が遅いのではとさえ感じる思
いも出ます。でも、主は聞いてくださっている、わかってくださっているのです。主はこの者が耐えるための祈るための時間も必要だとされているのです。主に従います。
10/7 ハバクク2章
3節
定められた時のために/もうひとつの幻があるからだ。それは終わりの時に向かって急ぐ。人を欺くことはない。たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。
神様は長い目でご覧になっておられご計画を立てておられます。地上でのまばたきのような生活の中で主を待ち望み祈る者たちに約束してくださり「再び来る」と。その
時がいつかはわからないけど必ず!主のみ前に立って主の日を待ち続ける、この信仰をいただけたことは換え難い恵み憐れみです。主よ希望を持ってお待ちしてます。
10/8 ハバクク3章18節 しかし、わたしは主によって喜び/わが救いの神のゆえに踊る。 
収穫はなく家畜も減るそんな悲惨な状況にあっても「しかし」とハバククは言うことができました。主への全き信頼がそこにあるからです。主は愛してくださっている。
決して捨てないと言ってくださっている。主のなさることはいつも最善。目に映ることに目を留めるのではなく主にのみ目を向ける時、主は力と希望をお与えくださる。
10/9 ゼファニヤ
1章12節
そのときが来れば/わたしはともし火をかざしてエルサレムを捜し/酒のおりの上に凝り固まり、心の中で/「主は幸いをも、災いをもくだされない」と/言っている者を罰する。
その時には誰がどこへ隠れていようとも主は捜し出すと。神様の目の届かないところはどこを探してもありません。主の身許にしか隠れ場はない。小さな者の心の中ま
で見通される。主に背を向け偶像崇拝する者を罰すると言われる。そしてまた主はともしびをかざし主を喜ぶ者を捜されるお方。主は悔い改める人を待っておられます。
10/10 ゼファニヤ

2章2節

判決が出されぬうちに。もみ殻のように、その日は飛び去る。主の燃える怒りがお前たちに臨まぬうちに。主の怒りの日がお前たちに臨まぬうちに
主の日はすぐそこに。裁きの日を前にしてできることは主のみ前に出てへりくだることだけ。この者も主に愛されていながら気がつかなかった。困った時の神頼み、それ
も真の神ではなく漠然としたものに。イエス様を知って初めて目や耳が開き、自分の罪を悔い改めました。主は怒るのに遅く赦すのに早いお方です、まだ間に合います!
10/11 ゼファニヤ

3章17節

お前の主なる神はお前のただ中におられ/勇士であって勝利を与えられる。主はお前のゆえに喜び楽しみ/愛によってお前を新たにし/お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」
キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。」イエス様が十字架に架かられ復活なさいました。この者の罪は赦され古い自分は死に新しく生まれ
変わらせていただきました。主を知って初めて人生を歩みだしました。み言葉の通り主はいつも共に居てくださいます。これ以上の喜びはありません。主を讃美します。
10/12 ハガイ

1章13節

主の使者ハガイは、主の派遣に従い、民に告げて言った。「わたしはあなたたちと共にいる、と主は言われる。」
わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」どんな時にあっても神が共にいてくださることはなんという幸いな心強いことでしょうか。弱い自分だけで
はなくイエス様が共に生きておられるという確信によって人を恐れることから解放されました。主のみを畏れ歩みます。信仰を頂いた者として主のために働きたいです。
10/13 ハガイ

2章8節

銀はわたしのもの、金もわたしのものと/万軍の主は言われる。
これらはすべて、わたしの手が造り/これらはすべて、それゆえに存在すると/主は言われる。」世界中の金銀だけでなくすべてのものは主ご自身のものです。この者
も主のもの、主のしもべなのです。信仰も生命も主によっていただいたもの、自分のものは何一つありません。主からご愛と恵みを十分いただき養われています、感謝。
10/14 ゼカリヤ

1章17節

再び、呼びかけて言え。万軍の主はこう言われる。わたしの町々は再び恵みで溢れ/主はシオンを再び慰め/エルサレムを再び選ばれる。』」
主は優しい言葉、慰めの言葉をもって答えられた。主は再びエルサレムを選ばれて神殿を建て直してくださり恵みで溢れさせてくださると。それは栄光の主イエス様がエ
ルサレムに王の王、主の主として再び戻ってこられること、主の再臨が成就します。主のお約束は真実です。希望を持って主のみ跡を歩ませていただきます讃美しつつ
10/15 ゼカリヤ

2章9節

わたし自身が町を囲む火の城壁となると/主は言われる。わたしはその中にあって栄光となる。
外敵からの攻撃を受ける心配が全くなくなる、主が火の城壁になると言ってくださるからです。ここに神様が共に住んでくださる。あふれるばかりに祝福され自由に安心
して暮らせますし子供たちものびのびと育ちます。エルサレムが城壁のない町になり世界中の人たちも自由にやって来られるようになります。主のガードは完ぺきです!
10/16 ゼカリヤ

3章4節

御使いは自分に仕えている者たちに向かって言った。「彼らの汚れた衣を脱がせてやりなさい。」また、御使いはヨシュアに言った。「わたしはお前の罪を取り
去った。晴れ着を着せてもらいなさい。」
主は、汚れた衣を脱がせて罪を取り去られ「礼服」を着せてくださった。誰一人、汚れのないたましいの衣を着ていると言える人はいない。生まれたままの姿では決して
御前に出られません、イエス様に与えていただく十字架の救いによる衣だけ。この者にも過去の汚れを消してくださり神様のみ前に出ることができますことを感謝です。
10/17 ゼカリヤ

4章6節

彼は答えて、わたしに言った。「これがゼルバベルに向けられた主の言葉である。武力によらず、権力によらず/ただわが霊によって、と万軍の主は
言われる。
霊の導きに従って歩みなさい。」神殿を建てるのにこの世の武力や権力に頼っていたのでは建てられない。自分で何とかできると自分の力を信じるのではなく、自分が
いかに弱い者かと無力を知った時に御霊が働いてくださいます。主を信じた時に御霊は私たちの内側に住んでくださり奇跡のみ業を見せてくださいます。主を畏れます。
10/18 ゼカリヤ

5章4節

わたしがこれを送り出す、と万軍の主は言われる。それは盗人の家に/わが名によって偽りの誓いをする者の家に入り/その家の中に宿り/梁も石ももろともに滅ぼし尽くす。
わたしたちは、自分をわきまえていれば、裁かれはしません。」神のみ言葉によって自分を光に照らしてみた時、自分はこんな者だというありのままのなさけない弱い
姿が見えてきます。当然裁かれ滅ぼされる者ですのにイエス様が十字架に架かられ、罪を赦され祝福に預かる者とかえてくださいました。主の憐れみを感謝いたします。
10/19 ゼカリヤ

6章12節

宣言しなさい。万軍の主はこう言われる。見よ、これが『若枝』という名の人である。その足もとから若枝が萌えいでる。彼は主の神殿を建て直す。
イスラエルの生き残った者にとって主の若枝は麗しさとなり、栄光となる。」永遠の生命のパンをお与えくださるのは「若枝」なるイエス様お一人です。イエス様が神
殿を再建されると主は約束され、聖霊の力により世界中に主の神殿が建ちました。主を信じる時、私たち自身も主によって聖霊の宮としていただけます。主を拝します。
10/20 ゼカリヤ

7章6節

あなたがたが食べたり飲んだりするとき、食べるのも飲むのも、自分たちのためではなかったか。
人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」すでに主はすべてご存じでいらっしゃいます。自分の困った時には必死で祈りますが、主のために真剣に祈ってい
ると御前に言いきれない自分がいます。何事も主のためにと言う前に自分のために行なっていると言わざるをえません。いつも自分が大事、ごめんなさいしかないです。
10/21 ゼカリヤ

8章9節

万軍の主はこう言われる。勇気を出せ。あなたたちは、近ごろこれらの言葉を/預言者の口から、度々聞いているではないか。万軍の主の家である神殿の基礎が置かれ/再建が始まった日から。
平穏な時だけでなく問題を頂いた時にもいつも主は決して無駄なことはなさらない、この事にも意味があると主を信頼して勇気を持って歩むものでありたいです。今まで
も、いつもみ言葉により聞かせていただいています。すべてを最善に成されるお方。試練にあっても主のみを見あげた時、主は慰めと勇気と希望を下さる愛のお方です。
10/22 ゼカリヤ

9章9節

娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。
シオンの娘よ、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる、/ろばの子に乗って。」イエス様はへりくだった生き方ということを鈍い者にもわかるように身を持って見
せてくださっています。馬小屋でお生まれになられて名もない貧しい大工の子として育たれた。いつも弱い立場の人に寄り添って同じ目線で歩まれます。感謝だけです。
    いつもおいで下さりありがとうございます。11月半ば過ぎまで、ちょっとパソコンが使えなくなりますのでお休みをいただきます。よろしくお願いいたします。

2010年11月

   

お祈りのお支えをありがとうございます。 再び、み言葉から祈りつつ書かせていただけます幸いを主に感謝しつつ。

11/17 ゼカリヤ

10章2節

テラフィムは空虚なことを語り/占い師は偽りを幻に見、虚偽の夢を語る。その慰めは空しい。それゆえ、人々は羊のようにさまよい/羊飼いがいないので苦しむ。
わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」羊飼いを知らなかった時、頼るお方もおらず孤独な苦しみの中におりました。何かに頼りたいと
あちこちをさまよい歩きましたが人からの慰めも空しいだけでした。自分の力の限界を認めた時、真の救い主に会うことができました。もう迷えるこ羊ではありません。
11/18 ゼカリヤ

11章13節

主はわたしに言われた。「それを鋳物師に投げ与えよ。わたしが彼らによって値をつけられた見事な金額を。」わたしはその銀三十シェケルを取って、主の神殿で鋳物師に投げ与えた。
この預言は成就しました。ユダは銀貨三十枚でイエス様を裏切ったけど後悔し銀貨を神殿に投げ込み首をつって死にました。「陶器職人の畑」を買い今も「血の畑」と
言われてます。まだ成就されていない預言は主の再臨だけになりました。主の来られる日は近い!主を畏れ主を待ち望みます。すべての人が救われますよう祈ります..
11/19 ゼカリヤ12章10節 わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ。
絶望の中で助け主を求めていたけれど、それは自分が十字架に架けたイエス様でした。自分の罪に気付き、この罪のために身代わりとなられたことも聖霊によって知りました。御霊が導いてくださっています。誰がこの者のために生命を賭してくれるでしょう。言葉さえ見つからず、深いご愛とあわれみにみ前にひれ伏すしかありません。
11/20 ゼカリヤ

13章1節

その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れを洗い清める一つの泉が開かれる。
命の泉はあなたにあり/あなたの光に、わたしたちは光を見る。」「泉」は主です。イエスの十字架によりこの泉が開いて御霊による新しい生命を頂けます。他者の過
ちを裁いて赦さない心、自分が一番大事という自我を捨てきれぬ心を根本から癒してくださる泉。罪の赦しと生きていく道しるべを示し導いてくださるので迷いません。
11/21 ゼカリヤ

14章7節

しかし、ただひとつの日が来る。その日は、主にのみ知られている。そのときは昼もなければ、夜もなく/夕べになっても光がある。
主があなたの永遠の光となり/あなたの嘆きの日々は終わる。」 ただひとつの日、主の日は栄光の日、希望の日です。いつ来るかはわかりませんが「はい、主よ従い
ます」とすぐ言えるよう身を清めてお待ちしていたいです。許してない人を許し,愛せない人を愛せる者になって。自分ではできませんがお支えください、憐れんで下さい。
11/22 マラキ

1章14 節

群れの中に傷のない雄の動物を持っており、それをささげると誓いながら、傷のあるものを主にささげる偽り者は呪われよ。わたしは大いなる王で、わたしの名は諸国の間で畏れられている、と万軍の主は言われる。
神様への捧げ物は心からの感謝の印、自分の持っている物の中から最高の物でなければ。出し惜しみをして良いものは自分のところに取っておいて良くない物を捧げ
良しとする。感謝を惜しみつつ求める恵みだけは良き物を。神様への愛と畏れはなくごまかしの形式だけの捧げ物ならない方がいい。真心を持って礼拝を捧げたい。
11/23 マラキ

2章17 節

あなたたちは、自分の語る言葉によって/主を疲れさせている。それなのに、あなたたちは言う/どのように疲れさせたのですか、と。あなたたちが/悪を行う者はすべて、主の目に良しとされるとか/主は彼らを喜ばれるとか/裁きの神はどこにおられるのか、などと/言うことによってである。
悪を行う者が栄えて主に仕えている自分が苦しんでいるのはおかしい等と目に映るこの世の状況に対して、神様に不満と不信が起こりその声が主を疲れさせていた。神を信頼し神を畏れるのではなく世に顔を向けている姿勢は神様を拒否しているのと同じ。悪に対しての裁きは神が下すこと。すべてを支配されてる主に信頼し歩みたい。
11/24 マラキ

3章1 節

見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は/突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者/見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。
「契約の使者」とは神様の独り子イエス様のことです。人々の罪を贖うために人として生まれてくださり十字架に架かってくださいましたが甦られて再び来られる。その日
がいつかは分かりませんが神様が言われていることに間違いはありません、神様は嘘のない真実なお方です。その日は近い、主のみを見上げて目を覚ましていたい。
11/25 民数記

1章54節

イスラエルの人々は、主がモーセに命じられたとおりにすべて行った。
人口調査をしなさい。」という主の命令に従いモーセは忠実にすべてを行いました。レビ人を除いてすべての人の調査を行うことは面倒だったでしょうが正確に人数を
数え記録していったこと。国勢調査でも正確な結果が出ないのにまして荒野で戸籍登録を作って行くことに驚きを感じます。主の命令は絶対服従の信仰の姿を見ました
11/26 民数記

2章34節

イスラエルの人々は、すべて主がモーセに命じられたとおりに行い、それぞれの旗の下に宿営し、またそれぞれ氏族ごとに、家系に従って行進した。
イスラエルの人々のように、この者も従順に主の命じられたままに動いていける者でありたいです。大した家系はないもののまず主の後に家長である夫、そのあとに妻
がそして子供がと主にある秩序を守って歩みたいです。今は女性の力が強くなると言うか家庭において妻の力が大きくなってしまうことに気づかされて反省する者です。
11/27 民数記

3章13節

すべての初子はわたしのものだからである。エジプトの国ですべての初子を打ったとき、わたしはイスラエルの初子を人間から家畜に至るまでことごとく聖別して、わたしのものとした。わたしは主である。
主が選びだし救いに入れて下さった子はみな主にとって初めての、他にはいない初子、わたしのものだと言われます。すべて神さまから造られた者は神さまの民として
の作品であり僕でもあります。こんなとるに足らない者に呼びかけてくださる。主のものとして自分を捧げることができたらと願います。仕える者になれるよう祈ります。
11/28 民数記

4章49節

以上は、モーセを通してなされた主の命令によって、一人一人その作業や運搬の仕事に就かせるためにモーセが登録した。彼らは、主がモーセに命じて登
録された者たちである。
三十歳以上五十歳以下の者が運搬の仕事のため登録がされましたが主にあるご奉仕は力仕事だけではありません。主につながる者として登録と割り当てをしていただきました。奉仕だけに目を奪われ動くのではなくいつも主を見上げ喜びつつご奉仕させていただく者でありますよう。主に仕えるように小さい人たちに仕えてまいりたい。
11/29 民数記

5章13節

別の男と性的関係を持ったにもかかわらず、そのことが夫の目に触れず、露見せず、女が身を汚したことを目撃した証人もなく、捕らえられなくても、
夫は騙せても、また人は騙せたとしても、神様に隠し事はできません。神様はすべてをご存知です。妻が夫に対して罪を犯したとしてもそれでも夫が妻を愛していれば、
夫は許すこともできるでしょう。神様も罪をお赦しくださいます。でも神様に顔をそむけて偶像を拝み頼るのなら神様との関係は終わってしまいます、悔い改めなければ。
11/30 民数記

6章25節

主が御顔を向けてあなたを照らし/あなたに恵みを与えられるように。
「心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。」心に光を照らされて主のみ業、主のご愛が見えるように悟るようにして
くださった。神様の一方的な恵みによってのことです。自分が何をしたからというのではなく神様から信仰の恵みを頂きイエス様の十字架により赦されて今があります。

2010年12月

12/1 民数記

7章11節

主はモーセに言われた。指導者は祭壇奉献のための献げ物を、一日に一人ずつささげなさい。
各部族は人数や規模が違っていても捧げる物は同じになっています。主のみ前に誰が多く捧げたかとかではなくすべての民が平等にということを思いました。一日に一人ずつというのはそれだけ一回一回のささげ物を主がしっかりと心に受けとめて、記録として残しておきたいほどに喜んでくださっておられるから。喜んでお捧げしたいです。
12/2 民数記

8章2節

アロンに告げてこう言いなさい。あなたがともし火皿を載せるとき、七つのともし火皿が燭台の前方を照らすようにしなさい。
右の手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方」と黙示録にもあり燭台はイエスさまご自身のこと、ともしび皿の油は主の御霊です。イエスさまが栄光を照
らし出してくださるから私たちの心は明るくなります。そして自分では気がつかなかった罪も光に照らされますので悔い改めに導かれ清められます。光の中を歩めます。
12/3 民数記

9章22節

二日でも、一か月でも、何日でも、雲が幕屋の上にとどまり続ける間、イスラエルの人々はそこにとどまり、旅立つことをしなかった。そして雲が昇れば、彼らは旅立った。
雲を使って神様が荒野の旅を導かれたことを見せていただきました。主が旅立ちなさいと言えば行き、止まれと言われれば「いつまで?」と思うのではなく主に従った。
自分の計画ではなく、主のみ心に聞き従って歩むことで道に迷うことはなく守られます。神様の道しるべは主を信頼して主を見上げている時に見えてきます。主は共に。
12/4 民数記

10章31節

モーセは言った。「どうか、わたしたちを見捨てないでください。あなたは、荒れ野のどこに天幕を張ればよいか、よくご存じです。わたしたちの目となってください。
モーセは神様に頼るべきところを、なんとこの地域に熟知している義兄に道案内を頼んでしまいます。モーセも弱い人間であることが出ています。でも主はこんなモーセ
を憐れんでくださり主ご自身が道案内をされて契約の箱は先頭を進みました。完全なる保証をいただけるのは主ご自身からだけです。主がいてくださる事がすべてです。
12/5 民数記

11章23節

主はモーセに言われた。「主の手が短いというのか。わたしの言葉どおりになるかならないか、今、あなたに見せよう。」
モーセは主の言葉が信じられませんでした。自分の持っている知恵、常識、この世の物差しで考えたからです。神様は全能の神、主に不可能はないこと、主は最善を
成し良くしてくださっていることを知っていますが、困難に置かれた時、主のみ業がすぐに見えてこないと不安になってしまう弱さがあることも思います。憐れんで下さい。
12/6 民数記

12章13節

モーセは主に助けを求めて叫んだ。「神よ、どうか彼女をいやしてください。」
敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」これは主のご命令!愛せよと。モーセは自分を非難したミリアムのための執り成しを祈りました。わが身を省みる
時、自分の力では到底できないことは明白です。愛することはまず許すこと、それすらできにくい者が取りなしの祈りは、、。主よ、ごめんなさい。こんな者のために。
12/7 民数記

13章30節

カレブは民を静め、モーセに向かって進言した。「断然上って行くべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます
「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」「信じます。信仰のないわたしをお助けください  現実を見る時、自分には出来るかどうかわからなくても主は何
でもお出来になられるお方だから主により頼めば大丈夫。自分のわずかな経験や知恵で判断するのではなく、主を見上げた時に主を信じる信仰を頂き歩み出せます。
12/8 民数記

14章40節

彼らは翌朝早く起き、山の頂を目指して上って行こうとして言った。「さあ、主が約束された所へ上って行こう。我々は誤っていた。」
「自分が間違っていた、今から上って行こう」と。でも間違えたのは山に上らなかったことではなく主に聞き従わなかったこと。結果として同じ行動だとしてもそこに神
を信じるという信仰から出ている行動なのかどうかです。主への悔い改めはありませんでした。み言葉を聞き讃美し祈っても信仰がなければ主は共に居てくださらない。
12/9 民数記

15章15節

会衆は、あなたたちも寄留者も同一の規則に従う。これは代々にわたって守るべき不変の定めである。あなたたちも寄留者も主の前には区別はない。
しかし、わたしたちの本国は天にあります。」主の御前においてすべての人は同じ罪人であり、主の御目には国籍もなく性別もなく年齢もなく富の差もなく障害もなく
平等に見てくださることを思います。区別されないお方、いえ、弱い者には特に憐れんでくださるご愛のお方です。主にあってアブラハムの子孫にしてくださいました。
12/10 民数記

16章28節

モーセは言った。「主がわたしを遣わして、これらすべてのことをさせられたので、わたしが自分勝手にしたのではない。それは次のことで分かるであろう。
わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。」とイエス様も言われる。私たちはキリストの体で一人ひとりそれぞれ
の器官で働きは違います。自分の思いで動いてしまいがちな者ですがいつも主のみ心のままに従って歩みたい。どこまでも自分を捨てきれぬ者です、憐れんで下さい。
12/11 民数記

17章25節

主はモーセに言われた。「アロンの杖を掟の箱の前に戻し、反逆した者たちに対する警告のしるしとして保管しなさい。そうすれば、わたしに対する不平が
やみ、彼らが死ぬことはない。」
光栄ある任務を、だれも自分で得るのではなく、アロンもそうであったように、神から召されて受けるのです。」アロンの枯れた杖から芽が出て実が結ばれました。主に
よって選ばれた者は、永遠の生命の実を頂きます。選ぶのは神さまで私たちではない、生も死も神の御手にあることを人が忘れないために保管された。主を畏れます。
12/12 民数記

18章12節

最上のオリーブ油、極上の新しいぶどう酒、穀物など、主にささげられた初物はすべて、あなたに与える。
御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。」イエス様は罪の者たちの初物となられて、十字架に架かられてまでも罪を贖ってくださったお方。神さまは御独り子をお与えくださったのです。自分の持っている物の中から最良の物をお捧げしても足りると言うことはありません。それより自分のものさえ無いに等しい者です。
12/13 民数記

19章22節

汚れた者が触れるものはすべて汚れる。またそれに触れる者も夕方まで汚れる。
けがれは汚れたものから清いものへとすべてを汚します、ここに罪を思います。罪をきれいに清めるにはイエス様が十字架の上で流された血しかありませんでした。この罪の者に触れて清めてくださり赦して下さいましたが、我儘で愚かな罪の性質のゆえ主を見上げず自分勝手に動いているとすぐに汚れます。み前にへりくだり祈ります。
12/14 民数記

20章8節

「あなたは杖を取り、兄弟アロンと共に共同体を集め、彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと命じなさい。あなたはその岩から彼らのために水を出し、共同体と家畜に水を飲ませるがよい。」
主は、杖を取って岩に命じれば岩から水を出すと約束された。常識では考えにくくとも神様のみ言葉だから成ります。モーセは岩に命じることなく杖で2度打ちました。
主は民を憐れみ水をくださったがモーセたちは信仰によらず、二度打つという自分勝手な行いによって神様にそむいたために約束の地に入ることができなくなりました。
12/15 民数記21章9節 モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。
そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。」 青銅の蛇は十字架につけられたイエスさま。この者も十字架の購いにより罪を許され
永遠の命を得ました。この時代イエス様はおられませんでしたが、民は神様を非難した罪をすぐに言い表して悔い改めたので、神様は願いを聞き入れて生かされました。
12/16 民数記

22章20節

その夜、神はバラムのもとに来て、こう言われた。「これらの者があなたを呼びに来たのなら、立って彼らと共に行くがよい。しかし、わたしがあなたに告げることだけを行わねばならない。」
あなたは彼らと一緒に行ってはならない。この民を呪ってはならない。彼らは祝福されているからだ。」 神に警告されたにもかかわらず名声と富に目がくらみ再び神に
しつこく願い、条件付きだったのを自分勝手に解釈して行動した。神様の語りかける言葉の意味を受け止められる者でありたい。主を第一に主にのみ聞き従いたいです。
12/17 民数記

23章19節

神は人ではないから、偽ることはない。人の子ではないから、悔いることはない。言われたことを、なされないことがあろうか。告げられたことを、成就されない
ことがあろうか。
御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません。」 神は思いを変えたりするような気まぐれな方ではありません。ご自分が約束されたことを必ず
守るお方。今は直接み声を聞けませんが神様の書かれたみ言葉、聖書を頂いている幸いを思います。先のことは神様に信頼し、占いに頼らなくとも平安をいただけます。
12/18 民数記

24章17節

わたしには彼が見える。しかし、今はいない。彼を仰いでいる。しかし、間近にではない。ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり/モアブのこめかみを打ち砕き/シェトのすべての子らの頭の頂を砕く。
わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」ひとつの星、ひとつの笏とは救い主イエス様のことです。東方の博士たちが見つけたこの星がベツレ
ヘムまで案内しました。そしてバラムはイスラエルがモアブに勝利することを預言しイエス様によって成就しました。今はイエス様はいつもそばに居てくださる、感謝。
12/19 民数記

25章5節

モーセはイスラエルの裁判人たちに言った。「おのおの、自分の配下で、ペオルのバアルを慕った者を殺しなさい。」
みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。」地上では絶えず誘惑があり罪を犯し続けてしまう弱い
者です。神様を第一にせず他の物に心奪われ、大事にするのは偶像崇拝。イエス様は人の持っているあらゆる欲望と共に十字架に架かってくださった。主にすがります。
12/20 民数記

26章65節

主が、彼らは必ず荒れ野で死ぬと言われたからである。彼らのうち、ただエフネの子カレブとヌンの子ヨシュアを除いて、だれも生き残った者はなかった。
主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。」モーセとアロンがシナイの荒野で登録した時の人はヨシュアとカレブ以外、誰も登録されていない。主のみ言
葉は必ず成就される、神のさばきという厳しい現実を見ます。イエス様が十字架に架かられ罪赦されたこの者たちは約束の地に入れていただける恵みを受け取れます。
12/21 民数記

27章17節

彼らを率いて出陣し、彼らを率いて凱旋し、進ませ、また連れ戻す者とし、主の共同体を飼う者のいない羊の群れのようにしないでください。」
自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。私のために命を失う者は、それを得る。」 モーセは自分の延命や利害よりも共同体の祝福を願った、親が子
を思うように。主に、誰が後継者にふさわしいかご存じゆえどうかお与えください、と主に頼り祈った時に主は願いに応えてヨシュアを選ばれた。最善をなさるお方です。
12/22 民数記28章 31節 あなたたちは、日ごとの焼き尽くす献げ物と穀物の献げ物のほかに、以上のものをささげる。それらは無傷のものでなければならない。それにはぶどう酒の献げ物を添える。
自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」なんの傷もなく罪けがれが一点もないイエス様が捧げ
られました。罪赦されたこの者も主にいただいている地上での日々を、自分を、主への献げ物として喜んでみ前にお捧げしたいです。自分を捨てて主を拝せますように。
12/23 民数記29章 1節 第七の月の一日には聖なる集会を開く。いかなる仕事もしてはならない。角笛を吹き鳴らす日である。
人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。」 イエス様が再び地上に戻ってきてくださる日。「必要なことはただ一つだけである。」良い方を選んだ
マリアのように主のみ前にしずまりみ言葉をいただくことを第一にして主を待ち望む者でありたいです。身の回りを見て自分の思いで動くのではなく主に祈る日々にと。
12/24 民数記30章 14節 誓願や苦行による物断ちの誓いはすべて、彼女の夫がそれを有効にも、無効にもすることができる。
夫たちよ、妻を自分よりも弱いものだとわきまえて生活を共にし、命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。」神は、男も女も同じように尊ばれます。主のみ前に
男女は対等です。男女の違いをお互いに認め合い支えあい補い合っていくことを望まれています。互いに与えられてる主の賜物を大事に夫と共に主のみ跡を歩みたい。
12/25 民数記31章 8節 その死者のほかに、ミディアンの王たち、エビ、レケム、ツル、フル、レバという五人のミディアンの王を殺し、またベオルの子バラムをも剣にかけて殺した。
バラムは不義のもうけを好み、それで、その過ちに対するとがめを受けました。」真の神を知っていながらも他の神々にも従い、自分の欲により富を得たけれど神はバ
ラムを裁かれた。目に映る地上の富を追い求めることのむなしさを思いました。この世の富ではなく天に宝を積む生活をお捧げして歩む者でありたい、お支えください。
12/26 民数記32章5節 もし、わたしたちがあなたの恵みを得ますなら、この土地を所有地として、僕どもにお与えください。わたしたちにヨルダン川を渡らせないでください。」
自分の思いが叶うなら、と自分が満足するために主に願い出ていること、ここには主が願っておられるかどうかでなく、まず自分が出ています。自分も同じ者と気付かされます。自分に都合の良い事や居場所に満足してこの状態を保ちたい等自分のことを最優先。自分を捨て主のみ声を聞きみ旨のままに従う者でありたいです、祈ります。
12/27 民数記33章54節 氏族ごとに、くじを引いて、その土地を嗣業として受け継がせなさい。人数の多いものにはその嗣業の土地を多くし、少ないものには嗣業の土地を少なくしな
さい。くじの当たったところがその所有となる。あなたたちの父祖以来の部族ごとに嗣業の土地を受け継がせなさい。
「くじ」ではあるがどこを所有するかはすでに主が決めてくださっている、すべて主の手のうちに。人数が多い氏族は広くと綿密なご配慮を思います。主から与えられた
ものを所有しなさいとの主のご命令、主からの恵みをそのまま受け取らせていただき次に繋げていくこと。この者も信仰を子や孫や主をご存じない人へ繋げていきたい。
12/28 民数記34章2節 イスラエルの人々に命じて、こう言いなさい。あなたたちがカナンの土地に入るとき、嗣業としてあなたたちのものになる土地は、それぞれ境で囲まれたカナン
の土地であって、それは次のとおりである。
わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」主はこんなにも細くはっきりした境界線を示され約束の地を与えられました。主のお約束は必ず
成就します。天においても主はこのような割り当て地を備えてくださっていることを信じます。今はまだ神の国を見ていませんが主を信じる信仰が希望へと導かれます。
12/29 民数記35章11節 自分たちのために幾つかの町を選んで逃れの町とし、過って人を殺した者が逃げ込むことができるようにしなさい。
あやまって人を殺した人が、復讐する者たちから逃れて守られるための町を定めなさいとあります。この罪の者もイエス様と言う逃れの町を与えていただいてます。イエ
ス様が神様との間に立って、罪を執り成してくださってる。逃れの町と共に逃れの道も備えてくださり試練の中にあっても共に歩み励ましてくださる。ご愛を感謝です。
12/30 民数記36章7節 イスラエルの人々の嗣業の土地が一つの部族から他の部族に移ることはなく、イスラエルの人々はそれぞれ、父祖以来の部族の嗣業の土地を固く守ってい
かなければならない。
地上の土地の相続などこの世に目を向けるのではなく、信仰の相続地を固く守ることを言われているのでは。地上の土地は一時のもの、私たちの国籍は天にあります。守るべき相続はこの者が主からいただいた主への信仰、何より主ご自身を子や孫や子孫に伝えて行くこと。主よ自分では出来ないことを知っています、憐れんで下さい。
12/31 Uコリント9章15節 言葉では言い尽くせない贈り物について神に感謝します。
1年を振り返った時に、今年も主への感謝しかありません。いつも共に居てくださり必要なものはすべて満たしてくださり養ってくださいました。主の御手の中で守られ
地上に居ながら思いわずらうことなく憩わせていただいた日々でした。誰の元にも届いているはずの神さまからの贈り物を一人でも多くの方が気づかれるよう祈りつつ。
    「み言葉から」を読んでくださりありがとうございました。主のみ言葉をつたない書き込みで表しましたが主が執り成してお赦しくださり伝えてくださることを信じます。感謝。