「証し」

私は1972年8月4日に主から特別な子供をさずかりました。
予定日に未熟児で生まれてきましたが、母乳を吸うという本能を持ってこなかったので
生まれてすぐから吸う、飲み込むという生命を維持していくための訓練から始まりました。


最重度の知能障がいと肢体不自由があり日常生活のほとんどに介助の目と手を要します。
息子に障がいがあるとわかった時に「なぜ私が?どうして???」の思いばかりでした。
この時は神様のご計画とは気づかず、自分の力で何とか育てなければと無我夢中でした。

そして私がいなくなったら、日常生活の中で細やかにみていかなければ生きられない
この子はどうなるのか、と親亡きあとの不安をかかえ身も心も休まる事のない毎日でした。

脳性まひがあり7カ月から両足に矯正靴を履かせ、脊柱側湾のため肩からコルセットを
付けたり、低体重もあって病弱で肺炎のために入院や、歩行訓練やら言語療法と、
ほんとうにふりかえってもよく過ごしてきたと思います。
夫と2歳上の長女の協力はありましたが障がいを受け入れることは難しかったかったです。

 

年を重ねていく中で多くの方に支えられ養護学校高等部3年生を迎えていました。
卒業後の進路では、進路指導の先生方から親が元気なうちに本人が
家庭から離れて施設入所を経験させることが大事との指導を受け、
施設通所部に慣らしのために6ヶ月通所してから、その後6か月間短期入所をしました。

子供は環境が変わり睡眠障害を起こし眠れなくなったり、また入所者にかまれたり
引っかかれたりかみの毛を引き抜かれたりと、いつもケガ等が絶えませんでした。
自分のこと以上につらく親亡き後はこんな暮らしが待っているのかと
子供の暗い将来を見た思いがいたしました。

またこんな事なら連れ帰りたいと何度も思いましたが、障害福祉課からは途中で
やめないようにと念を押されていたこともあり言い出せませんでした。
私がいつも、いつまでも、また夫も、施設職員も、誰も24時間子供のそばに居て
守ってやることは出来ないと気づき、苦しみの中で自分の無力さを知り愕然としました。

 

この時初めて神様を真剣に求めました。
自分も夫も職員も誰も子供を守れないとわかり時空を超えて何でも出来る神様に
すがるしかない、そこにしか解決はないと神様に初めて助けを求めました。

今までも、多くの宗教関係者が「拝めば治る」と勧誘に来られていましたが、
私は子供のころからキリスト教の学校に通っていたことで、キリスト教以外に神様は
いないと思っていました。このこともすでに神様に守られてきていたことを思います。

教会に行き、礼拝、祈祷会、婦人会、掃除と可能な限りすべてに出席しましたが
この時は神様と取引をしていたということを後から気付きました。
「私が教会に通うから神様あなたはうれしいでしょう。だから私の願いも聞いてください。
息子がけがをしないように、息子が夜も眠れるように24時間、守ってください」
イエスさまの十字架もまだわからず、自分勝手なご利益宗教そのままでした。

 

主はこの者を憐れみ、成長させてくださいました。
日々聖書を読む中でみ言葉を通してイエス様の十字架の意味を
気づかせていただけるようになり、この者の罪のために十字架に
かかってくださったことを主が語ってくださり、まことの救いにあずかりました。
背負い込んでいた重荷から解放され、
息子とともに洗礼を受けさせていただきました。

息子のことを主にお願いし将来のこともお任せできるとわかり親の責任からも
解放された時に初めて心から子供が可愛いと思えるようになりました。

また自由に外出できないことも私にはつらかったのですが主が共にいて下さることを
知った時からこのことからも解放されました。
家にいても窓から主がおいでになる空が見えると気づかされて、
再臨を待つ喜びにかえられていましたことも、自分の力ではなく主の憐れみです。

 

ヨハネによる福音書 9章から

さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。
弟子たちがイエスに尋ねた。
「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。
本人ですか。それとも、両親ですか。」
イエスはお答えになった。
「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。
神の業がこの人に現れるためである。」アーメン。


このみ言葉の通り、自分で何も出来ないはず(?)の子供をとおして
神様のみわざを見せていただき、家族みなが洗礼を受け天国の希望を頂いております。

天国に帰った時、

息子と言葉を交わせること、息子と走ったり、息子と笑いあえること、

主と共に喜びの中でなんの痛みも心配もなく憩えること、

永遠の生命を、

主よ

感謝いたします。

アーメン。