手術後1年を控えた2,003年3月、念願のスペイン旅行の準備を始める。
予定期間は1週間、福岡のH ISに電話をして格安航空券を探してもらう。
数日後に福岡―成田―ロンドン―マドリッド―バルセロナ間の往復日程と予算が送られてきた。
金額は往復で1人当たり80,000円である。
同時にHISのホームページからホテルを選んで申し込む、マドリードでは日本人がよく使うというフロリダノルテ、バルセローナではグエル邸の前のガウデイというホテルが安いので予約を申し込むが、数日後にガウデイが満室と言ってきた。
他のホテルも満室のところが多いと言うことなのでHISに一任する。
同時に旅行者保険、旅券の確認、旅行中の仕事の段取り、観光予定などを本やインターネットを使って準備を進める。
バルセローナのホテルもかなり高いがアバサンツに決まり、各空港使用料や各国の入出国税を含めて、HISに振り込んだ。
持参する服装は日本と同じ気候なので、極力減らす事とする。
下着と靴下各3日分、ズボンと上着をフォーマルとインフォーマルで各一着、高級なレストランに行くときのことを考えて、ネクタイ1本。
普通なら中型のバッグ1個ですむのであるが,私の場合は治療用具が必要なので、機内持ち込みようにショルダーバックを1個持参する。
旅行中の連絡用にホットメールにメールアドレスを開設し、二人のパスポート番号やクレジットカードの番号、航空券の番号などをメールに入れておく。
こうしておくと荷物を総て取られたあとでもメールさえ見れば再発行が簡単になる、持ち歩かないで済むメモ帳みたいなものだ。
第1日目 4月2日 出発
午前4時30分、家内が福岡空港に送ってくれる。
同行のKさんに重要書類のコピーや、盗難にあった時の為に私の治療用具を一式持ってもらう。
成田空港でブリテイッシュエアウエイのチェックインをしたときに、同時にロンドン―マドリッド間の搭乗券をくれるが、ゲート番号が書いていない。
BAの職員は「ロンドンでゲート番号を聞いてください。1番ターミナルに到着するので、2番ターミナルにバスで移動する事になると思います。そこでゲート番号を聞いて下さい。」と言い、搭乗ターミナルの番号を教えてくれる。
飛行機に搭乗すると、機内には日本人客や日本人スチュワーデスも多くまだ日本の延長である。
飛行機は地球の自転に近いスピードで飛んでいるので夜は来ない。
飛び立ってしばらくするとすぐにロシア領に入る。眼下は1面の雪原である。
そしてこの光景が、ロンドン到着直前まで続くのである。
1面の雪とはいうものの山や川もあり、白を基調にしたさまざまな模様が美しく広がる。

シベリアの雪原
午後3時15分ロンドン到着,1番ターミナルから2番ターミナルにバスで移動。
2番ターミナルで、BAのチェックインカウンターを探すために、ターミナル内を歩いてみるが見当たらない。
しばらくすると空港職員を見かけたので搭乗券を見せ
「すみません。どこに行くとゲート番号がわかりますか?」
「ここは3番ターミナルですよ,2番ターミナルはあちらです。」
やむなくまた来た道を戻って、カウンターを同行のKと探し始めるが、なかなか見つからない。
モニターがあちらこちらにあり,搭乗予定のイベリア航空のフライトナンバーは確かにある。
しかしゲート番号表示の部分はウエイティングとなっている。
うろうろと歩き回りながら、さらに数人に聞いてみるが,皆ラウンジに行けと言う。
やむを得ずまたラウンジに戻り、BAのチェックインカウンターを探すがやはり無い。
見かけた空港職員に聞いてみると。
「私が連れていってあげます。」と言う。
すると先ほどから、何度も眺めたモニターの前まで来て、指さしながら
「あそこにあなたの乗るフライトが書いてあるでしょう。もうしばらくするとあのウエイティングの文字のところにゲート番号が出ますので,ここで待っていてください。」
「ありがとうございます。助かりました。」
下手な英語で聞き回るのも大変だ。
やっとウエイティングの意味がわかった。
しばらく待っているとゲート番号が出たので、搭乗ゲートに行くとイベリア航空の職員がいた。
ここから先はスペイン語の世界だ,やっと肩の荷が下りる。
ゲート前の待合室に入る時に、パスポートと搭乗券と航空券を出せという。
「しまった 搭乗券をもらったときに、航空券を捨ててしまった気がする。」と慌てて探したら出てきた。
「なぜ搭乗券と航空券が一緒に必要なのだろう。」とぼやく。
午後8時10分マドリッド到着、しかし外はまだ明るい。
入国審査のカウンターの前で入国カードを記入し、福岡で預けた荷物をX線検査機に通しただけで無事スペインに入国した。
空港からはタクシーでホテルに向かう。
ホテルフロリダ・ノルテでチェックインした後、とりあえずシャワーを浴びて食事に出ることとする。
ホテルの近くのBARに入る。
テーブルが数個とカウンターだけの小さなバールである。
天井から大きな生ハムが数本ぶら下がっている。Kさんに
「生ハムは食べた事がありますか?」
「いや ない」
「多分食べたことはあるのだろうけども、スペインの生ハムは有名だから食べてみよう。それと飲み物はワインじゃないとね。」
早速生ハムとワイン一本ともう1皿注文して食べ始める。
さすがに生ハムは見事だ、美味いし安いし、たらふく食べて2000円程を払い寝ることとする。
2日目 4月3日 マドリード市内の観光
昨日の疲れもあったが、午前8時に起床しホテルで朝食をとる。
朝食後さっそくホテルの近くのプラサ・エスパーニャに歩いて行く。
スペイン広場 Plaza
espana
ここはセルバンテスの小説で有名な、ドン・キホーテの銅像があるところである。
ドン・キホーテやサンチョ・パンサに対面し、写真を撮った後,観光客用の2階建てバスに乗り市内観光へ出発する。
このバスは数10分間隔で運行されており、重要な観光スポットで停車するので、一日中何回でも乗降できる。
また日本語の案内テープも、ヘッドホンで聞くことができる。
私とKはさっそく2階のオープン席に座った。
マドリッドは街中に観光スポットがあり,またひとつひとつの建築物が古い様式のデザインで作られているため、まるで中世の町に来たような印象を受ける。
紀元前12-10世紀のフェニキア人⇒紀元前6世紀前半のギリシャ人⇒紀元前3世紀のカルタゴ⇒
紀元前201年の古代ローマ⇒711年のイスラム教徒⇒800年の西ローマ帝国⇒1808年のナポレオン
とさまざまな歴史と文化を継承してきた建築は、ルネッサンス様式、ゴシック様式が織り成す見事な町並みである。
街中の1ブロックを過ぎるたびに、2人で感嘆の声をあげながら座っていたが,この日はとても寒く、私は早々に1階のキャビンの中に逃げこむことにする。
「Kさん 寒くてたまらない,下に降りるよ。」
「こんなに景色がいいのに! 私はここに残る」
下に降りて窓越しに景色を眺めながら30分を過ぎたころ,もう1人の客も上から降りてきた。
心配したバスの車掌が上を覗いて戻ってきたので
「車掌さん、上にいる私の連れは凍っていませんか?」というと
「大丈夫、生きています。」と答えが返ってきた。
まもなく、Kさんも寒い寒いと言いながら降りてきた。
観光バスでひと通り市内を見物し、元のプラサ・エスパーニャで降車して、最寄りの地下鉄駅に入り10枚の回数券を5ユーロ程で買う。
1回70円ほどで乗り換え自由、地下鉄はマドリード市内をくまなく走っており、安くて安全な乗り物である。私たちは地下鉄に乗りプルタデルソル経由アトーチャ駅で降りて、ソフイア王妃美術館に入る。
ソフィア王妃美術館 Centro
de arte de reina Sofia
ここには待望のゲルニカ(ピカソ)が展示されている。
ピカソ以外にもダリやミロ、その他のスペインの有名な画家の絵が展示されていた。
館内は撮影禁止のため、入り口でカメラ類はすべて預けさせられた。
最近ハイテクに目覚めたKさんは、常時カメラとビデオを手から離さず、無念の思いでそれらを預けていた。
ゲルニカは、1937年にフランコ将軍に協力していたドイツ空軍によって爆撃されたゲルニカ村の悲劇を描いたもの。
ピカソはフランコ将軍に反対する共和派に属していた。
パエージャ Paella en
el restaurante La Barraca
昼食はガイドブックに載っていたレストランに行き、パエ―ジャを食べることとする。
グランビア通りの裏手の目立たない通りにある、そして目立たない入り口を入ると、午後1時ごろというのに中には客はいない。
ドアを開き「こんにちは、店は開いていますか」と聞くと
「おはようございます。開いていますよ。」と返事が帰ってくる。おかしな奴だ。
早速座って、パエージャとワインを注文しウェイターに
「午後1時なのに“おはようございます”ですか?」と聞くと
「スペインでは昼食後でないと午後にはなりません。」という。
「昼食は何時ごろ食べるのですか?」
「普通は2時から3時の間です。」
ワインを飲みながら30分くらい過ぎるとパエージャが出てきた。しかしとても塩辛い。
Kさんに 「これは塩辛い!! これでは私が作るパエージャの方がおいしいよ。」と苦情を言う。
ちなみにパエージャの語尾のLLAは土地によって ジャ ヤ リャ と発音が異なる。
つまり パエージャ パエーヤ パエリア と3種類の発音がある。私はジャで習ったのである。
ラ・グランビア通り La
granvia
レストランを出て、ゴシック様式の建物が並ぶグランビア通りを歩き写真を撮る。
この通りの建物はすべて古い様式の建築物でできており、これらのひとつでも日本に持ってくると、話題に上るような素晴らしい外観の建物ばかりである。
昼食も済んだのでとりあえず1度ホテルに帰り、少し休憩することにする。
私は今晩の予定であるフラメンコの予約や、明日のセゴビア行きの下調べをすることにする。

マドリッド市内 タブラオ ラスカルブネラス
フラメンコ Flamenco
またまた近くのバールで夕食を済ませ,午後10時半タクシーに乗って予約しておいたタブラオにフラメンコを見に行く。
ホテルを出る時、カメラを持っていたKさんに
「Kさん、ビデオの方がいいよ。フラッシュを炊くとクレームがつくかもしれない。」というと
「そうか,じゃビデオに取り替えでこよう。」
場所はラ・グランビアの裏手のややゴミゴミした、奥まった通りにある。
客は我々の他に、日本人の若いカップルと欧米人の旅行客が5組ばかり。
ワインを1本注文してしばらくすると、ギタリストが2名、カンタンテという歌を歌う男が3人、そして派手なドレスをまとった女性ダンサーが3人と男のダンサーが1人出てきた。
やがてギタリストの伴奏が始まり、続いてカンタンテが歌い始める。
フラメンコはジプシーたちの生活の歌である。
ギターも歌も踊りも、その時点の人間の感情を表現しており、すべてが力強く即興の場合もある。
さっそくKさんはビデオをテーブルの上に置いて操作していると、私の目の端に年増のダンサーのきつい視線が目に入った。
「Kさん、だめみたいだ。」と言う間もなく、先ほどのウエイトレスが素早く近寄ってきて
「カメラ△*○X」という。意味を確認する間も無く慌てた私は
「早くしまった方がいい。」 バツの悪い思いをしてしばらく舞台を眺めていると、時折他の席の客がフラッシュを炊いて写真を撮っている。
なんとなく、さっき言われたのは「ビデオはだめだ写真ならいい」と言われたのではないかと思い始めた。
Kさんには悪いことをした。
しかし舞台の迫力はすばらしいものがあり、久しぶりに見た私も感動ひとしおであった。
3日目 4月4日 セゴビア行き Segovia
夕べ遅く寝たため、午前10時ころKさんに電話で起こされる。
朝食を済ませた後、ホテル前の地下鉄駅principe pioからtribnal経由で国鉄Atocha駅に行き、セゴビア行きの切符を買う。
列車に乗る前にトイレに行くと、ドアに20セントのコイン挿入口がある。
「おいおい、出そうな時にコインがなかったら大変だなあ。」
用を済ませたところでホームに降りる。
念を入れてホームで、行き先の確認をしようとして年配のスペイン人夫婦に尋ねると
「いやー わしらも初めて列車に乗るのだよ。いつもは車でうろうろしているものだから・・・誰かに尋ねようとしていたところだ。」
仕方なく他の人に聞くと「ここで待っていればいい。」と言う。
やがて電車が入ってきた。
車内は新しく乗客も少ないので、くつろいで旅行ができる。
2人とも窓際に座って景色を眺めたり,写真を撮ったりしながら、やがて2時間ほどで終点のセゴビアに到着。
車内販売があったらスペインの駅弁を食べたいと思い、朝食を少ししか摂らなかった私は、到着したころには空腹であった。
駅を降りると、すぐに駅前のバールに飛び込み、ビールとタパスと呼ばれるつまみを食べる。
目的地にはバスかタクシーで行くのであるが、観光地の駅前であるにもかかわらず、タクシーは1台も見当たらない。
通りがかりの人に聞いて、バスの乗り方を教えてもらいバスに乗った。
バスに乗る前に運転手に「プラサ・マジョールに行きますか?」と聞くと
「行くよ。最後の停留所だよ。」と言う。
やがて出発したバスは、中世の美しい街並みを過ぎ、やがて前方にローマ時代の巨大な水道橋が見えてきた。
近くに乗っていた乗客に「ここですか?」と聞くと「いいえここではありません、最後の停留所です」
同時にバスの運転手も同じことを言う。
そのうち先ほど聞いた乗客も降りていき,バスは再度先ほどの水道橋に近づいてきた。
不審に思いながら、巡回しながら目的地に行くのだろうと、納得しながら乗っていると、1人の老婆が横に座った。
私は老婆に話しかけた「きれいな街ですね!!」
「そうですここは歴史のある街なのです。観光に来たのですか?」
「はい、プラサ・マジョールから下に降りてくるつもりです。」と説明すると
「あらまあプラサ・マジョールは通り過ぎましたよ。」追いかけるように他の乗客も口々に同じこと言う。
先ほどからの会話の関連から、運転手が降りる場所を教えてくれるものと思い込んでいた私は
「どうしたらいいのでしょうか?」と不安げに隣の老婆に聞いた。
「仕方ないね!このまま乗っていたらまた元の所に戻りますよ。」そうだそうだと他の乗客もいう。
やがて運転士も交代して、今まで乗っていた乗客も次々に降りていく。
Kさんは子供たちにビデオを向けて盛んに国際交流をやっている。
やがて乗ってきた、宝くじ売りの男性に
「プラサ・マジョールに行きたいのですけど」というと
「私もプラサ・マジョールに行きます。一緒についていらっしゃい。」と親切に言ってくれる。
やがてバスはプラサ・マジョールの近くでとまり、宝くじ売りの男性に連れられて目的地にやっと到着した。
なんのことはない、バスは巡回しているのだから,私が思うような終点なんてないのだ。
そこはホテルや数百年前の教会(セゴビアの大聖堂)やバールが広場(プラサ)を取り囲んでいた。
広場にはフランス人の修学旅行の生徒が多数休憩しており、ビデオを向けたKさんに盛んにポーズをとってふざけている。
私たちはガイドブックに書いているとおり、この広場からアル・カサルに向けて歩き始める。

アル・カサル ローマの水道橋
アル・カサル Alcasar
アル・カサルはディズニー映画の、白雪姫のモデルになった、断崖の上に立つ城として有名だ。
またコロンブスを援助した、カトリック女王イサベルは、この城で1,474年に即位した。
断崖の上に建っているだけに、城からの眺めは素晴らしいものがある。
私たちは正面からしか見なかったが、下に降りて背面からの眺めは、白雪姫の城と言うのが納得できるそうだ。
入場料を払って中に入ると、中世の武具や絵画が展示されている。
アル・カサルから先ほどの水道橋に向けて町の中を下っていく。
両サイドには数百年前と思われる建物が連なっており、Kさんは言う
「車のコマーシャルに出てくる町並みとまったく同じだ。」
ローマの水道橋 Acueduct
やがて先ほど見た水道橋にたどりついた。
2千年前ローマ軍の飲料水を確保する為に築かれた、水道橋の高さは29メートルもある。
2,000年前の建造物が、いまだに壊れずに残っているのには驚かされる。
Kさんは水道橋の上の方に行って写真を撮るという。
私はかなり疲れていたので、水道橋前の広場のベンチに座り、水道橋を眺めながら感慨にしばしふけっていた。
セゴビアは豚の丸焼きで有名な土地なので、レストランに入ろうとすると昼食はもう終わったという。
仕方なく駅まで戻り、朝立ち寄ったバールに入って、ビールとつまみで空腹を抑えマドリッドに帰ることとする。
朝の出発が遅かったため、午後も遅い時間にホテルに着いたので、ホテル近くのバールに行き夕食をとる。
Kさんは生ハムがとても気に入ったらしく、このところ連日生ハムを食べている。
ただしものすごく塩辛いので、翌日の午前中はかなりの量の水を飲むことになる。
「Kさん 帰るまでに高血圧になってしまうよ。」
「だけど美味しいもの。」
4日目 4月5日 バルセローナへ移動
正午前のバルセローナ行きの飛行機には、少し時間的余裕があったので、ホテル近くの王宮に見物に行く。
ホテルから近いのだがかなりの距離があり、タクシーに乗ろうとしたら歩いていったほうがいいと言われた。
王宮 パラシオレアル(Palacio
real)
現在は迎賓館として使用されており、現国王ファン・カルロス1世は、住んでいない。
1734年に火災で焼失したあと、フェリペ5世が再建、ルーブル宮殿風に建てられた。
以来1931年まで歴代国王が住んでいた。
朝日に照らされでそびえたつルネサンス風の宮殿は荘厳なものがあり,その巨大さはかなり離れたところからでもカメラに納まりきれないほどの大きさである。
周囲を取り巻く庭もよく手入れをされており,建物とマッチしてゴージャスなものがある。

これでマドリッドの観光も終えた,しかしとても3日間では回りきれないほど見るべきものがある。
今回は王宮も外から眺めただけであるし、プラド美術館他多数の名所が残った。
午前10時、マドリッド空港に地下鉄を利用して出発する。
2003年スペイン2へ ホームへ
文頭へ戻る