2003年スペイン2 ホームへ![]()
バルセローナ Barcelona
約40分のフライトの後、バルセローナ到着。
マドリードで預けた荷物を取りに,カバンのマークのついた標識に従って延々と歩いて行った。
「Kさん 大きな空港だねー。こんな大きな空港は歩くのも大変だ。」
かなりの距離を歩いて,やっと到着カウンターを通り,貨物の受け取り場所に着く。
しかし乗ってきた飛行機のフライトナンバーが見当たらない。
やむなく、イベリア航空の職員に聞いてみると
「ここはターミナルCですよ。あなた方はターミナルBに行かなければなりません。」
「どう行ったらいいのですか?」
「あと戻るしかないでしょう。」到着カウンターまで戻り入国審査官に
「セニョール 出るターミナルを間違えました。ここから入っていいですか。」
「だめです。表からターミナルBに戻ってください。」
荷物を取られるといけないので、遠い道のりを急ぎ足でターミナルBに戻る。
さあどうして中に入ったらいいのだろう。
近くにいた人に聞くと、飛行機の搭乗手順通りの方法で入るしかないという。
機内持ち込み品検査場で理由を説明して、再び手荷物を検査してもらいターミナルBの荷物受け取り所に行くと既に誰もおらず,幸い私たちの荷物を含めて数個のカバンが床の上にあった。
「よかった、とられなくて済んだ。」
なるべく公共の交通機関を使うと決めていた私は、空港からホテルまで国鉄で行くことにする。
すでにこのころにはKさんは、かなりの量の土産物を買いこんでおり,合わせて先ほどからの長距離の移動に疲れているようであったが、強引な私は構わずタクシー乗り場を通り過ぎて、遠くの国鉄駅まで歩いて行く。
空港駅からサンツ駅まで国鉄で約30分。
ホテルの説明書によると、駅からホテルまで200mとあったのに、駅を出てみるとホテルは見当たらない。
やむなく人に聞き回って、1キロほど歩いたところでホテルに着いた。
ホテル アバ・サンツは新しい建物で、昨日までのフロリダ・ノルテに比べてかなり高級感がある。
チェックインを済ませた私たちは、時間を惜しむようにして,地下鉄に乗りサグラダ・ファミリアに向かう。
旅行解説書によると,地下鉄駅を出たとたんに壮大な眺めが広がっているという。
地下鉄出口に近づいた私は、恐る恐る目を上の方に向けてみる。
あった
サグラダ・ファミリア Sagrada
familia (聖家族教会)
人々の現世の罪を購うために、聖家族に捧げられた大聖堂である。
1883年ガウディが担当。
現在、生誕(東面)と受難(西面)の二つのファサードと、それぞれの四本の鐘楼がほぼ完成。
完成するまでにあと100年―200年かかる。

サグラダ・ファミリア サグラダ・ファミリア
とりあえず全体をゆっくり見渡すために、そばにあった路上のレストランに座りビールを注文する。
しばらく座って見渡した後に、正面の入り口から料金を払って中に入る。
案内標識にしたしたがって、内部を見ながら西面の方に向かう。
とにかくすべてのもののひとつひとつが精巧な作りであり,十分に時間をかけた工期のない作業である。
西側の受難のファサードも見事なもので,壁1面に精巧な彫刻が施されている。
西側の搭にはエレベーターがついていない。
とにかく上がれるところまで上がってみようと思い、2人で階段を登り始める。
階段の1段1段も表面だけではなく、裏までも丁寧に仕上げられている。
階段は長大ならせん階段であり,内側には釣り鐘の音が下に行き渡るように、地上から上まで続く長いシャフトとなっている。
階段と内側のシャフトの間には釣り鐘の音が外に出るように、縦長の穴が開いており、階段の外壁には釣り鐘の音が地上方向に広がるように,斜め下に向けて穴が開いている。
途中所々に人1人が立てるような展望台があり、そして搭の3分の2と最上部の方に2つの搭を結ぶ渡り廊下が作られている。
そこからはバルセローナの街が見渡せた。
これらの搭のひとつは登り専用の階段であり、他の1つが下り専用の階段となっている。
搭から降りたあとは地下の展示室にいき、ガウディの作品の歴史や模型を見学した。
東側の搭にはエレベーターがついていて、料金を払ってエレベーターに乗り、東側の搭の上からバルセローナ市内を眺める。
搭から降りようとすると、1人の婦人が階段をふさいでしまっている。
「どうしたのですか?」と聞くと
「病気でよく目が見えないのに、2人の甥とはぐれてしまいました。」
そうしている間にも階段の下の方から、通れないといって苦情が聞こえてくる。
「私が階段を先に降りるので,私の肩につかまってついてきてください。」といって婦人を先導しながらエレベーターで1階まで連れて下りた。
すべて見終えたが外はまだ明るい。
「Kさん まだ明るいのでもうひとつ見に行きましょう。」
サグラダ・ファミリア駅から地下鉄に乗りカサ・ミラに行く。
カサ・ミラ Casa mila
石を積み上げたような独特な形状から、別名”石切場”と呼ばれる住宅である。
この建物は山をテーマに作られ、屋上の煙突は山の頂きを表しているそうだ。

時間も過ぎそろそろ日が暮れてきたので、ホテルに帰り夕食を食べに出る。
ホテルの周囲を散歩しながらよいバールを探す。
5日目 4月6日 バルセローナ市内見物
午前8時,ホテルの食堂に行って朝食をとる。
食堂にいたウエイトレスのマルタに
「確かバルセローナ市内には有名な通りがありましたね?」
「ラス・ランブラス通りのことですか?」
「そう彫刻の形をした人間が立っている通りのことです」
「ちょっと待ってください、地図を差し上げましょう。」
マルタは市街地図を持って来て、通りのある場所や、そこに行くまでの交通機関を教えてくれた。
ミロ美術館 Fundacion Juan Milo
朝食が済むと今日の第一の目的地、ミロ美術館へ行く。
最初は地下鉄で行こうと思い、通りがかりの人に尋ねてみると、どうも教え方があやふやだ。
続いてもう1人に聞いてみると、やはりどうも怪しい。
これじゃらちがあかないと思い、タクシーに乗る。
美術館への道中、タクシーの運転手に話しかけた。
「今日は日曜日ですが、バルセローナでは闘牛がありますか?ホテルで聞いたところ今日はないというのですけども」
「新聞を持っているから調べてあげましょう。 ああ今日はありますよ。」
「何時から始まるのですか?」
「うーん時間は新聞に載ってないから解らないのですけども、普通は5時から始まります。詳しいことは闘牛場に電話して聞いてみなさい。」
私はKさんに
「Kさん、3人に聞いて2人あるということだから、今日の夕方は闘牛に行きましょう。」
やがて車はミロ美術館に到着,美術館の前には最初数人が待っていたが、10時の開館時間が近づくと長蛇の列になった。
入場料を払って、日本語のガイド器(無料)を借りる。
この機械は部屋番号や絵の番号を入力すると、音声ガイドがヘッドホンから聞けるようになっている。
ミロの絵は点と線と空間の、我々素人が理解するには難解なものがある。
しかしバルセローナではピカソとミロ、ダリは見逃せない、この3人の作品を比較してみるだけでも興味深いものがある。
美術館内には売店もあり、私は家族への土産にミロの絵が入ったTシャツを買う。
ピカソ美術館 Museo Picasso
ミロ美術館前からタクシーに乗り、ピカソ美術館へ移動した。
海岸の近くにある旧市街の中の、狭い路地の中ほどにそれはあった。
聞いてみると今日は日曜日なので、入場料が無料ということで無料の入場券をくれた。
入館の順番を待つ列の最後尾を探して、100メートルほど歩いてやっと最後尾にたどりついた。
これでは長時間待つことになりかねないと思い、警備員に
「何時間ぐらい待たないと入れないのでしょうか?」
「1時間以内に入れますよ。」という。
「Kさん 1時間くらいだったら待って入りましょう。」と言い待っていると、30分ほどで入館できた。
この美術館には、ピカソの初期の作品が多く展示されており、似顔絵やふだん見かけないエロチックなデッサンも多数展示されている。
よく見かけるピカソの有名な絵は、マドリードや世界の有名美術館に展示されているのだろう。
グエル公園 Parque Guell
グエルが計画した分譲地の一部として作られた公園で、 バルセローナ北部の丘の中腹にある。
市場の上を覆った広場には、砕いたタイルで装飾したギリシャをイメージしたと言われている美しいベンチがある。
グエル公園は、グエル伯爵と組んで手掛けた都市開発プロジェクトで、この丘の上に多数の建物を建てる予定だった。
市場を支える柱や通路を支える柱など、常識離れした設計の楽しさがある。
高い所の好きなKさんは、やたら上へ上へと登って行く。
やがて1番上にある広場にたどりつく、ここからはバルセローナ市内が一望のもとに見渡せる。
しばし景色を眺めたり写真を撮ったりした後帰路につく。

グエル公園 グエル公園
ラス・ランブラス通り Las Lambras
ラス・ランブラス通りは有名な通りである。
テレビにもよく出ており、たくさんの出店や大道芸人がいる。
外国人の観光客が多く、通りの両側には土産物屋や両替屋がたくさんある。
食料品市場も近くにあり、私たちは生ハムを探しに市場に入ってみた。
市場の中は果物や魚肉の店が多く、我々が探す生ハム屋もたくさんある。
歩き回っているうちに見かけた、感じのいい主人のいる店で生ハムのことをいろいろ尋ねてみると、親切に味見をさせてくれながら教えてくれる。
「骨付きの生ハムを買って帰る人はいますか?」と聞くと
「骨付きを買って帰る人はいませんね。骨を抜いたブロックはどうです?これなら皆さんよく買って帰りますよ。」
「ブロック1個当たりの重さはどのくらいなのですか?」と聞くと。彼は計って見ながら
「そうですね小さいので2キロ、大きいので3キロくらいになります。」
「ではブロックごとに、キロ当たりの単価を書いた紙を張りつけておいてください。」
と言って生ハムを3種類、チョリーソやソーセージを数本買い込んだ。
持参したバッグはこれでいっぱいになり、かなりの重量になった。

生ハム屋の夫婦
闘牛の始まる時間が近づいてきたので、荷物を置くためにあわててホテルに戻り、タクシーで闘牛場に行く。タクシーの運転手に
「闘牛場にやってください。」
「闘牛は今日はやってないのじゃないだろうか。」と運転手が言う。
「2人に聞いて今日はやっていると言いましたよ。とにかく行ってみて、やってないようなら戻ってください」
闘牛場の前まで来ると人気はなく、やはりやっていない。
どうもこの国の人は、よく知らないことでも確かめずに人に教える癖があるみたいだ。
今日までに何度か、うそを教えられたような気がする。
というわけで、午後5時からは予定が空いてしまったので久しぶりにホテルでゆっくりする。

通りの芸術家達
6日目 4月7日 フィグエレスのダリ美術館
本日はダリを見るために、ホテル前のサンツ駅から国鉄に乗り2時間ほどの町フィグエレスに行く。
朝食に行くといつものマルタが
「昨日はどこに行きましたか?」と聞いてくる。
「夕べ闘牛場に行ったのだけど、やっていませんでした。」
「そうですか、この季節は毎週やっていませんから残念でしたね。昨日の朝、おっしゃっていただければ調べてあげたのに。」
このようにマルタは、私たちの顔を見るたびに声をかけてくる、とても親切なウエイトレスだ。
国鉄にも乗りなれたので問題もおこらず目的の町に着く。
フィグエレスはフランス国境まで数10キロという国境の田舎町である。
道行く人もゆっくりと歩き、月曜日だと言うのに開いている商店も少ない。
通り掛かった通行人に聞きながらダリ美術館に向かう。
ところが美術館は月曜休館とある。
「Kさん しまった確認して来るべきだったね。」
仕方なく美術館の前で写真を撮り、帰りの列車に乗る。
帰りの列車の客はかなり多く、4人の相乗りとなってしまった。
Kさんの横には若い美女、私の横には年老いた婦人。
見知らぬ者に声をかけるのも・・・と思い、はすかいに座った私とKさんは日本語で1時間ばかりしゃべっていた。2人の女性は聞きなれない日本語にじっと黙ったままである。
目の前の若い女性に「聞きなれない言葉でしゃべってうるさくありませんか?」
「いいえ大丈夫ですよ。スペイン語を話せるのですか?」
「はい30年前に勉強しました」と私が答えると、隣の老婆も安心してしゃべり始めた。
それから到着駅に着くまでの間、和気あいあいと会話を楽しむことが出来た。
スペインの旅も今日で最後、明日は日本に向けて旅立たなければならない
夕方時間が余ったので、グエル邸を見物に行く。
グエル邸はアントニオガウディが、良き理解者であるグエル氏のために設計した建物である。
バルセローナにある他の建物と同様に、成功緻密な設計の建物である。
ここの見学は時間を指定されていて、約10人ほどの団体をガイドが説明をしながら案内してくれる。
説明を始める前にガイドが皆を集め、どこの国の言葉でガイドをするか希望を聞く。
私たちの集団は日本人2名、フランス人2名とアメリカ人6名の集団であった。
ガイドも英語かフランス語しかできないらしく、そのどちらがいいかを聞いているのだ。
私も一応日本語といったら、微笑んで無視された。
さてガイドに従って、建物の下から上まで5-6階分ほどの高さがあろうか、邸内をくまなく見学した後屋上で散会となった。
グエル邸の見物を終えた後、ホテルに帰り明日の下準備をした後、最後の夕食に行く。
バルセローナでは毎晩夕食は同じバールで摂っていた。
おかげで、給仕をしているフランシスコ・パコとも仲良くなった。
実は私はスペインのワインがとても気に入って、日本に土産に持って帰るため、昨日のうちに注文しておいた。
昨日ワインの値段を聞いたところ、12ユーロという。
12ユーロというと日本円で約1,500円、まず納得できる値段だと思っていたが、今日スーパーでワインの値段を見ると1ユーロから3ユーロ程の値段である。
とすると夕べ、パコが言った値段は少し高すぎる気がする。
「Kさん、今晩少し値引きしてみるよ」
食事が済んだのでパコに
「3本持って帰るからお願いします。」やがてワインを3本と勘定書きを持ってきた。
しかし勘定書きには20数ユーロしか書いていない。パコを呼んで
「ワインの値段が入っていないよ」というと
「ここに7.5と書いています。」という
なるほど、私は昨日5本の値段と1本の値段を勘違いしていたのだ。
しかしこの味でワイン1本が日本円で300円とは、すごくワインの安い国だと思った。
ホテルに帰ってカバンに詰め込みを始めると、かなりの重量になっている。

フランシスコ・パコ ホテルアバ・サンツのマルタ
7日目 4月8日 帰国の日
楽しかった6日間も終わり,今日はもう帰国の日だ。
正午前の便でのロンドン・成田経由福岡へ出発する。
往路の失敗を繰り返さないために,少し早めにホテルを出発して空港でチェックインすることにする。
バルセローナの空港は問題なく終わり,来たとき同様ブリテイッシュ・エアウエイでロンドンへ向かう。
ロンドンでの待ち時間は2時間あるとはいうものの,ターミナルの移動に心配があったので
,男性のパーサーに到着ターミナルから出発ターミナルの番号と移動方法を聞いてみた。
もちろん事前に、頭の中で英文を考えて質問したわけである。
「私たちは成田へ行く乗り継ぎ客ですけども、ロンドンでの到着ターミナルの番号と出発ターミナルの番号を教えてください。」
「1番ターミナルに到着しますので、4番ターミナルまでバスで行って下さい。」
ここまで済んだところでパーサーは私が英語を話せると思ったらしく
「○×△◎▲×」と言う。
「イックスキューズミー?」
「スペインへは観光で行ったのですか?」やっとわかった。
「はい,観光で行きました。マドリッドとバルセローナを見てきました。」
「○×△◎▲×」まただ。
「イックスキューズミー?」
「日本人は魚が好きだということですが、スペインの魚料理はどうでしたか?」
「美味しかったですよ。スペインの料理はすべて美味しいですね。」早く行ってくれ・・・・・。
今回の旅はスペイン語が通じるのでだいぶ楽であったが,ほぼすべてのスペイン人は東洋人の顔をした私がスペイン語を話すとは思っていないらしく,たびたびこっけいな問答があった。
その大部分が、私たちの顔を見ると構えて話しかけてくる。
いずれも第一声が英語である。
そして私がスペイン語で答える。
彼らは私が英語で話していると思い込んでいるものの,意味は通じているらしく、次に重ねて英語で話しかけてくる。
こうした問答を2回ほどり返した後に、やっと私がスペイン語を話していると理解する。
次に出てくる言葉が
「スペイン語を話せるのですね。」
「最初からスペイン語で話していますよ。」ということになる。
同じスペイン語でもバルセローナはカタルーニャ地方といい、カタラン語を話す。
カタラン語はスペイン語にフランス語やイタリア語の影響が加わっている。
しかし学校では、標準スペイン語が国語として教育されているのだろう、多少ナマリがある私の標準スペイン語に相手も標準スペイン語で話してくれる。
セルバンテスの小説ドンキホーテは、小説そのものも面白いのであるが、当時初めて標準スペイン語で書かれた小説として有名だと言う話を聞いた。
日本の外大でも、ドンキホーテを教材として使っているところが多い。
8日目 4月9日 帰福
帰路は地球の自転プラス飛行機の速度が加わって、半分の時間で時計が進んでいく。
あっと言う間に日が暮れて、朝になり成田に到着後羽田へ移動して福岡へ帰り着いた。
出発の時成田で国際電話カードなるものを1000円で購入した。
これがとても重宝なもので、スペインでは街中のほぼ総ての電話が国際電話対応となっている為、気軽に日本に電話が出来た。しかも1回100円程度とかなり安い。