闘病記 1


梅木 俊雄  発病当時54才  エレベータ工事会社を経営29歳の時に同年齢の従兄弟が直腸癌を発病。
32歳のときに従兄弟が癌転移の為に死亡。
末期にその死に立ち会う。

教訓
1.私は本人がガンと思いたくないためもあるが、種種の情報に誤らされた。
  便に黒い血が混じっている場合は大腸ガンの疑いがあるが鮮血は痔が多いとよく言う。
  しかしそれもあるだろうが、出血が認められる場合は絶対に医者に行くべし。
  痔と思い込んで手遅れになったケースがこんなにもあったとは知らなかった。
2.血縁者にガンになった人がいる場合、大きな確率であなたもガンになる。
  50才を過ぎたら、ガン検診は必要だ。
3.大病院の看護婦は日々変わるため、自分の病状は常に自分で把握しておくこと。

2001年12月 手術五ヶ月前
沖縄那覇市都市モノレール建築現場、エスカレータ工事。
日曜日現場休日の為民宿でゆっくりする。若い社員二人は車で出かけるらしいが、まだ寝ているのだろう、隣の部屋からは物音がしない。
民宿の洗濯機2台をフルに使って洗濯をし、屋上の物干し場に上がると快晴。
いつもの休日のパターンであるバスにでも乗って島内観光に出かけようと、歩いて15分の所にあるバスセンターに向かう。
観光ガイドブックで前日調べておいた、本島西側の国道を走る定期バスに乗ってビーチを見ながら北上するつもりだ。
途中バスセンターの私お気に入りの沖縄食堂で朝食をとる。
民宿ではあまり典型的な沖縄料理は出ないが、ここの食堂は沖縄の人の飯屋というような雰囲気で色々な沖縄料理がある。
味噌汁を注文、どんぶりに沖縄風味の味噌汁とご飯がついてくる。
沖縄の人はよく食べるのか、何でも量がたっぷり。
バスに乗る前にもう一度トイレに行く。
少しだけ気になる出血 泡盛の飲みすぎか-。

2002年1月 手術四ヶ月前
今年初めは昨年末に古参の社員が1名退職したことから、また工事台数の増加もあって全員がオーバーワーク気味の年明けであった。
私自身も10名の従業員の作業手配、また作業量消化の為自分自身も現場を持ち、毎日へとへとになるまで仕事をしていた。

2002年1月5日(土)
行橋の一刻館のエレベータ工事を着工

2002年1月10日(木) 手術四ヶ月前
作業中階段を歩いている時におならをする(いつものことだが)、とパンツのあたりが冷たくなった。 
あ もらしたと思いトイレに入ると血が付いていた。
出血は10数年前から深酒と仕事が忙しい時に、下痢便の最後に少し粘液状の出血をする事があったのであまり心配をしていなかった。
ただ排便時以外に出血をしたのは初めてだったので少し不安感はあったのだが、仕事があまりにも忙し過ぎるせいだろうと思っておいた。
思えばこれが変化の始まりであった。

2002年2月-3月 手術三月前
相変わらず仕事は忙しく、出血も排便にまじって少量づつ続いていた。鮮血。
出血しない時でも排便の側面に血の跡が付くようになる。
3月頃になると排便後に3時間ばかり痛みを覚えるようになった。
しかし痛みがあるのは痔が悪いのだと、そちらのほうに気持ちが傾いていってしまう。
当然自分自身でもガンと思うよりは気が楽だから、そう思うように意識的に持っていったところもある。

2002年4月1-3日 手術一ヶ月前
佐世保三河内小学校ダムウエータ改修工事。
トイレに行くと排便と混じって明らかな鮮血がタラタラと少し多めに出た。 
便器が腰掛け便器でないので、便器にたまっている水も少なく、便の状態が良くわかる。
そろそろ医者に行くべきかなと思い始める。
先週手を怪我していて外科に通院していたので、それが治るのを待って行こうと決心する。
酒のせいかとも思い、ここ2週間ほど飲んでいないのに出血するので酒が原因ではないと思う。

2002年4月11日(木) 手術24日前  初診
Y医院に診察に行く。受付の看護婦に症状を聞かれたのでお尻が痛くて、出血すると申し出る。
診察室で先生に症状を言うと、お尻を器具で広げられ診察された。
多分この時点で癌であることはわかったのであろうが、翌日内視鏡の検査をすることになった。
夕食以降水分以外の摂取を制限される。

2002年4月12日(金) 手術23日前  大腸内視鏡検査 ガン発見
午前7時30分病院到着。
下剤を2リットルばかり飲まされ、便中に固形物が無くなるまで排便をするように言われる。
5回目頃に看護婦に便を見てもらうように指示される。
何度も排便に行くがなかなか小さな固形物が無くならない。
同時に下剤を飲み始めた60代の男性は、10時頃には看護婦の検査をパスして検査室に消えた。
その男性が検査室から出てきた頃、ようやく私もパスして検査室に入る。
Y先生に検査の方法を聞き内視鏡の挿入が始まる。何しろ初めての経験なので緊張する。
緊張しないでリラックスするように言われるが、この状況ではリラックスしたくても出来ないので、とりあえずなるべく体の力を抜くように努める。
内視鏡の先からエアーを吹かせて、大腸を広げながら奥へ奥へと入れていく。
途中看護婦が「大丈夫ですか?」と聞くので、冗談のつもりで
「大丈夫じゃないですよ」というとY先生が
「大丈夫じゃないのは当然ですよね。でも 看護婦は悪気で言ったんじゃないですから」といわれた。恐縮。 
今後検査中は、軽口は言わないようにしよう。
内視鏡の進行に合わせて、大腸の折れ曲がり点であろう所で体を回転して内視鏡を入りやすくする。
時折痛みを感じるが何とか最終地点まで挿入がされたようである。
先生が最後まで入ったので、もう楽になるといってくれた。
あとは内視鏡を抜きながら、画像をモニターで確認して異常部分を写真に撮る。
診察台に寝ている私にも見えるが、自分で憶測をするのも怖いので、なるべく画面を見ないようにしていた。
内視鏡の先端から出るエアーが腸の中にたまり腹が張ってくる。
「梅木さん ガスを出すと楽になるから出していいですよ」といわれるが、しょっちゅうおならをしている私でもこの状況では力の入れどころがわからず、おなかは張ったままである。
検査の最終段階、そろそろ問題の部分に差し掛かったところで画面を見ると
「おおある」と自分でも思った。
検査が終わったところで、月曜日に大腸透視を行うので看護婦から説明を聞くように言われた。
とりあえず検査室内のトイレに行ってガスを出し、処置室で看護婦から大腸透視の説明を受けている最中、お腹が痛み出したのでトイレに行かせてもらう。
立ち上がって歩き出したとたん、大きなおならが2-3発不意に出る。
他の患者もいるのに恥ずかしい。
トイレに走りこんで、残りのガスを出しきってしまう。
少量の出血。
処置室に戻って残りの説明を聞き、帰りかけたところでY先生に呼び止められる。
診察室に入って、先ほどとった写真を見ながら説明を受ける。
「梅木さん 大腸に2箇所小さなポリープがあります。でもこれはたいしたことではない、問題は肛門の近くにかなり大きな潰瘍があります。」
すかさず私が「ガンですね」というと、Y先生は首を縦に振られた。
少々ひるんだが「先生 はっきり言ってくださいね それならそれで、やらねばならん事もありますので」、と言ってその日は病院を後にした。
家に帰って事務所に上がり、一人でゆっくりと恐怖と悲しみを味わう。
今後どうなるのか、死ぬのなら早いほうが良い、長期間にわたって死の恐怖に絶えられない、等と考えていた。 
1年半程止めていたタバコも、今さら健康に気を配ったところでと、思い切りすって夜を迎えた。
酒も控えていたが、睡眠薬代わりにと少し飲んだ。
本当は酔っぱらう程飲んで、全て忘れたいところだが、怖くて沢山は飲めない。
こんなところにも生への執着心がある。
3時間ほど寝たところで、汗をいっぱいかいて目が覚める。
下着を着替えて床に入るが、寝付けないまま朝を迎えた。 
家族に言うと家の中が暗くなりそうで、また家族全員が暗くなることで自分も絶えられなくなると思い、まだ言っていない。

2002年4月13日(土) 手術22日前  落ち込む 精神上最大の危機
幸い仕事はひまなときで、社員も有給休暇で休んでいるのがほとんど。
インターネットで直腸ガンを検索し、ガン闘病記をむさぼるように読む。
人工肛門を増設した人の闘病記が3件ほどあった。
特にその中でも、十数年前に手術をし、現在フルマラソンや登山と活躍中の根橋さんの手記はとても参考になり元気づけられる。
しかし、これらの人人は無事生き延び、また底抜けの明るさや気丈な精神の持ち主でもある。
その陰に幾千人幾万人の不幸な最期を迎えた人達がいることだろうとも思う。
そして 自分はそのうちのどちらに---。
ためいきとあきらめ、また読む。 
そしてまたためいきとあきらめ。
仕事のことも気がかりだが、大部分の社員はすでに一人前になっているので心配はあまりない。
次男も幸いなことに、今年始めから特訓をして、何とかダムウエーターの工事が一人でできるようになっている。
月曜日の検査後には公表しなくてはと、公表する順番等を手帳に書き留めていく。
夜、まだ智子には言っていない。 
感づかれないように取り繕って就寝。
やはり3時間程眠ったところで汗をいっぱいかいて目が覚める。 
下着を着替えて、一人キッチンで新聞などを読み、ベッドに入り本を読んでいると眠気がさしてきたので朝まで少し眠った。

根橋さんへのメール
きのう病院に行き 検査の結果直腸癌と言われました。
あなたと同様至極元気な毎日を送っていましたが
自分でもかすかな予兆を感じておったためか
やはり  という気持ちでした。
月曜日に再度レントゲン検査をしますが
多分転移の検査なんでしょう。
医師には告知希望を告げております。
いかに余命を有意義に過ごすか
とりあえず それを考えております。
実は 従兄弟が同じ病気で30代で亡くなりました
その経過を見ているだけに!!!
手記を読ませて頂だいて参考にさせてもらいます。
ありがとうございます。

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