闘病記 4
2002年4月27日(土) 手術10日前
昨夜は入院初日のため眠れないのではと、心配していたが夕食後すぐに眠くなった。
早く寝付くと夜中に目がさめて困ると思い、一生懸命目をあけていたが9時頃にはたまらなくなり眠ってしまった。
夜中2度ほどトイレに起きただけで朝6時頃まで熟睡、部屋の前がトイレのため朝早くから騒がしくなる。
朝食前の運動に階段歩き。朝食後何とまた眠ってしまった。精神衛生上よい事だ。
3食食べて、本読んで、ゴロゴロしてなんと幸せな毎日。
土曜日のため病院内も静かだ。
同室者のこと
最初入った時は私とHさんという70台の人と同室だった。
Hさんは入院2回のベテラン、現在抗癌材の点滴中で2ヶ月の予定だそうだ。
口数はあまり多いほうではないが、話し掛けると答えてくれる。
たぶん抗がん剤で気が重いのだろう。
探せばたぶん同病の人もいるのだろうが、まさか「あなたはガンですか」なんて話し掛けるわけにも行かない。
私の場合は今は元気いっぱいで、病棟中見回しても私が一番元気そうだ。
夕食後また猛烈に眠たくなり、8時過ぎには寝付いてしまう。
夜中1時頃何かがあったのだろう、トイレのあたりが騒がしくなり、そのまま目がさめてしまう。
何とか眠ろうと努力するが寝つかれずHさんを気にしつつ、枕もとの明かりをつけて読書をする。
夜中2時頃看護婦の巡回、昼間いなかったT看護婦が
「どうしました、眠れないんですか」
「大丈夫、早く寝付いたものだから目がさめてしまいました。」と答える。
2002年4月29日(月) 手術8日前
昨日の次男との電話によると、今日は日曜日にもかかわらず全員出勤しているとの事。
私が抜けた後の社員のハードワークが心配になる。
特に全員の牽引役をしている社員のKのことが気にかかる。
本当に健康な体に仕事がついてくると実感できるが、健康体である時には気が付かないのも事実だ。
明日の腸内造影検査のために今日は朝から流動食だが、説明書にチョコレート キャラメルなどの固形物でないものなら食べてよいと書いていたので、早速売店に買いに行く。
しかし 手術のためにダイエットもしていることから、あまりたくさんは食べないように気を使いながら、一個30KCalととなえつつ結局全部食べてしまった。
夜、私の担当看護婦のSさんがやっと現れる。
自己紹介を兼ねて病気に対する気構えをとうとうと語る。
だいぶ上手になってきた、病気のベテランの卵くらいにはなったろう。
病棟内でも話しをする人が出来てきた。
誰が何の病気かわからないのでむやみに話し掛けられないが、ニコッと微笑んで、微笑み返してくれる人は余裕のある人だろうと思って話し掛ける。
胃を手術した隣室の60台のHさん、デパートのペットショップのオーナーのKさんには、防犯カメラがほしいというので取引先の会社を紹介した。
私のベットは窓際ではなく廊下側にあるためかいつも薄暗いので、この頃はいつもデイルームで読書をしたりするようになった。
デイルームは明るくテレビもあり、テーブルが8卓ほどある。
主に面会者との談話や食事に利用するところだ。
夜、下剤が効いて数回トイレにおきる。
2002年4月30日(火) 手術7日前 大腸透視検査の日
検査時刻は午後2時。
昨夜12時からまったく飲食していないため体に力が入らない。
食事時は同室者に気兼ねしてデイルームに避難する。
朝主治医のN先生が来たので外泊をお願いすると、
「一旦入院した患者を外泊させるのはよくないんです」といいながらも看護婦と相談して許可をくれた。
早速智子に電話して検査後に迎えにきてもらう事とする。
13;30検査室に行く。
大腸透視後に心臓のエコー検査があるらしい、大腸透視はお尻からバリウムを入れるため検査後おなかが張って苦しい。
つまり心臓のエコーを先にしてもらうほうが楽であるが、大腸透視のほうが先になってしまった。
検査後すぐに帰宅の準備をはじめ病院のロビーに下りていくと、智子と次男が到着していた。
車に乗る前に再度トイレに入りガスとバリウムを出しておく。
おなかがすいているのでクラッカーを買い、車中食べながら帰る。
帰宅すると、長男と次男が月末締めの日報ソフトの確認をしてほしいというので事務所に上がり確認してやる。
会社のソフトは私の自作品のため、いつも使っていない人には理解しづらい点がある。
夕食は好物のゴーヤチャンプルー。大酒を飲むわけには行かないので、ワインを少々。
かっての酒豪ぶりに比較したらささやかなものだ。
しかしここしばらく一適も飲んでいないので少量のワインでもほんのりと気持ちよくなる。
夜は前日の睡眠不足と家にいる安心感からか熟睡。
2002年5月1日(水) 手術6日前
朝ゆっくり目覚めて、退屈なので智子の手伝いで銀行に行く。
帰宅するとシロアリ駆除の業者がきていて家中が騒がしくなってくる、悪い日に帰宅した。
午後病院には一人で行こうと思い駅に着くと、M君夫妻が見舞いに駆けつけてくれた。
列車とモノレールを乗り継ぎ病院に着くと、やがてN先生が来て手術が5月7日に決定したことを伝えてくれる。
病室ではSさんとIさんが新しく入っている、70代の二人はすでに何度も入院歴があるらしい。
病院内のことを得意そうに説明してくれた。
先輩に敬意をはらわないといけない雰囲気だ。
Sさんは明日手術ということで、下剤を飲んでおり夜中におなかが張ると言って何度もトイレに立って行き、12時頃まで寝付かれなかった。
2002年5月2日(木) 手術5日前 検査結果と手術予定の説明
午後1時智子が病院に来る。
今日は検査結果の発表と共に、手術の家族同意書を提出する予定日だ。
眠り姫の智子は時間がくるまで私のベットに横になり、看護婦が呼びに来ると、あわてて飛び起きた。
N先生と面談室に入る。それによると
病名;肛門から2cm直腸の周囲4分の3の部分に出来た進行性直腸ガン
進行度;リンパ節への転移がある場合ステージ3 5年生存率50%
ない場合はステージ2 5年生存率70%
手術による永久人工肛門造設、手術時間5−6時間
その他手術で予想される種種の影響、合併症の説明があった。
引続き麻酔医による説明がある。
「タバコを吸ってますか」
「長期間止めていましたが病気がわかって以来、頭にきてまた吸っています。」
「喫煙者は、手術後の痰排泄時に非常な苦痛を伴います。やめたほうが貴方のためですよ」
「わかりました、明日からやめます」
「今すぐやめて下さい」
といわれ、あえなく再禁煙となる。
これは後日手術後に実感することとなる。
その後 ストーマケアに関するビデオを見る。
インターネットではストーマの写真はあっても動画は無く、目にするのはイラスト的なものであるので刺激は少ない。
ここで見たビデオはオストメイトの実写ビデオであり、その刺激的な映像を見ているうちにだんだんと気持ちが落ち込んでいく。
この頃は死ぬのはあまり怖くなくなっていたが、ビデオを見たり看護婦の説明を聞いているうちに、今後長期間にわたって人口肛門の生活をしていけるのか、あらためて大きな不安感に襲われてきた。
夜8時頃から今日手術した同室のSさんが、タバコを吸えない苛立ちと術後の不快感から、看護婦を頻繁に呼び出して苦情を言い始める。
安静を指示されているにもかかわらず、喫煙室に行くといって聞かず、とうとう看護婦に支えられて喫煙室に行った。
ついで睡眠薬1錠の指示にもかかわらず、いつも2錠飲んでいると言い出し、看護婦を困らせている。
更に悪いことに、もう一人のIさんまでがサッカーを見ながら大きな声で応援を始めた。
本人はイヤホンで聞いているため、自分の声とテレビの声の大きさの区別がつかなくなっているのだろう。
もう一人の同室者のHさんとトイレで一緒になり、今晩の不幸を二人で悔やみあう。
私はテイッシュを耳に突っ込んだりして耐えていたが、ついに残りのタバコを持って喫煙室に向かい、最後のタバコを名残惜しむこととなった。