闘病記 5


2002年5月4日(土) 手術3日前 パッチテスト  ストーマ位置決定
パウチ用フランジを直接皮膚に接着する事になる為、接着剤(皮膚保護材)の材質が肌に合うかどうか、つまり、かぶれないかどうかをテストする。
私は2社の製品の切れ端を腕に張り24時間後に判定した結果どちらも赤変せづ、幸いどちらの製品にも問題が無い事がわかった。
看護婦によると合わない人もよくあるとの事で、その場合使用する製品が制限されることになる。
次いで人工肛門の位置を決定する。
これは衣類の位置、特にズボンのバンドに差し支えない位置で、かつ腹筋のある位置、そして人工肛門を接続する腸の種類で決
定される。
私の場合は大腸末端となるため、左側の臍の下でかつ腹筋のある部分となる。
看護婦と話し合いながら場所を決め、油性マジックで印をつける。
後日この作業はとても大事なことだとわかる。この時は看護婦に言われるまま上の空で位置決めをしたが、本当はパウチを予定位置に取り付けて、ズボンをはいてみて最も良い位置に決定すべきである。
数日後、このマーキングが徐々に薄れていき心配になってきたので、手持ちのフェルトペンで上書きをしておいた。
早期に位置決めをした場合、油性マジックは徐々に消えていくので手術直前までマーキングを上塗りできるように、病室に準備しておくほうが良い。

2002年5月5日(日) 手術2日前  手術用品準備
昼前に智子が来たので、売店で智子の昼食を買い一緒にデイルームで食事をする。
今日は手術前に食べられる最後の普通食である。
一食ごとにこれが直腸を通る最後の食事と考えながらーーー。
指示された品を手術室用とICU用に分けて袋に準備する。
夕食 今日は子供の日。 
折り紙の兜が食膳に乗ってきた。
子供のころの記憶がよみがえってくる。
兜を見ながら、なぜか気持ちが落ち込んでゆく。

2002年5月6日(月) 手術1日前  流動食 下剤 体毛剃髪
一番に風呂に入り、看護婦に指示されたとおりに、脱毛剤を塗り30分後に洗い落とすがうまくいかない。
他人とあまり比較したことは無いが、私は毛深いほうなのだろう、なかなかうまくいかない。
脱毛クリームを使うのもはじめてであるし、ましてや使い方も箱の説明書を読みながらの作業である。
「脱毛するくらいだから、かなり刺激性のクリームなのだろうな。」
「何度もやり直して構わないのだろうか。」
「こんなしたこと無いことを患者任せにされてもなー!。洗い場の隅の毛は片付けないといけないのかな?」
独り言を言いながら、どの程度まですれば良いか分からないので、適当なところで切り上げて部屋に帰る。
看護婦が通りかかったので
「どの程度の仕上がりか良く分からないので見て下さい。悪かったらもう一度やります」
こんなところを見られるのは恥ずかしいが、仕方なく見てもらうと
「梅木さん一人じゃ無理みたいですね。毛深いから脱毛クリームの前にはさみで刈らないといけません。最近毛の少ない患者さんが多かったから看護婦が気が付かなかったんでしょう」といって手伝ってくれた。
今日は下剤を飲むために頻繁にトイレに行くことになるかもしれない、また手術前の緊張で夜眠れないだろうと思い、同室者全員に迷惑をかけることを一応断っておいた。
看護婦に、眠れないときは睡眠剤を飲んででも眠ったほうが良いかどうか聞くと
「梅木さん 手術中と手術後は熟睡することになるから少々睡眠不足でも心配ないです」といわれたので眠れないでも心配しないことにする。
幸い12時頃の排便を最後に眠ることが出来た。

2002年5月7日(火) 手術当日
熟睡していたらしい、看護婦に6時に起こされる。シャワーを浴びる。
引き続き体重測定。   
慌ただしい。
パジャマから病院衣に着替えて、ベッドに横になっているように言われる。
7時智子到着。 睡眠剤注射。
7時30分 同室者に「行って来るよー」と強がって挨拶して手術室に向かう。
手術室の前で智子にそっと「お別れのキスをして」と言うと
「なん言いよるとね!。」と冷たく断られる。
このあたりから、睡眠剤の効果と不安感からか頭がボーとしてくる。
手術室内で何か言われたような気もするが記憶にない。
そして  タイムトラベル  深い眠り
14時20分 目覚め  ベッドの周りで声がする。
智子の「お父さん」 の呼びかけに 
「お母さん」と答えたらしいが記憶にない。
ベッドが運ばれていく途中、妹の姿が入り口のところに見えた。
ICUの大部屋に運ばれ しばらくして後、ICUの個室に移される。
うっすらと外が見える。
S看護士がいろいろと説明してくれたところによると、私の体にはたくさんの管がつながれているらしい。
酸素吸入器  鼻から胃までのチューブ  栄養剤の点滴  心電図  血圧計 排尿カテーテル  排出液用チューブ  脊髄に痛み止めチューブ2本。
しばらくして智子と妹が無菌服を着て入ってくる。 
盲腸も切ったと教えてくれる。
直腸を切ると盲腸になりやすいらしい。
少し話をするとすぐ疲れる。 
長居もできないので二人を帰して眠りにつく。
脊髄の痛み止めが効いているのだろう、終日うつらうつらとしている。
したがって痛みも何も感じない。
鼻から胃までのチューブはこの日にぬかれた。
時々寝返りを打ったほうが良いと言われるが、自力では傷が痛んで出来ない、何とかベッドの柵をつかんで左右に寝返りを打つ

2002年5月8日(水) 手術2日目
ICU内は終日人の出入りが慌ただしい。
私はこの日もうつらうつらと眠っている。
テレビもないし本も読めないが別に退屈を感じない。
N先生が来て手術は成功したこと、傷の治りも早いと言ってくれる。
S看護士が「夜は眠れそうですか」かと聞くので
「睡眠剤はあまり使わないほうが良いんですか」と言うと
「睡眠剤を使ってでも良く眠ったほうが良いですよ」というのでそうしてもらう。
よく面倒をみてくれるS看護士に感謝。
時々痰がたまり、出したいが傷が痛むので咳が出来ない。
これが麻酔の言っていたタバコの害であろう。
術前に止めていたので比較的軽いほうなのだろうと実感する。

この頃から恐れていた腰が痛み始めたのでシップを張ってもらう。
腰の痛みは高校生の頃頭を怪我して入院していたときに経験済みで予測はしていたが、おきて歩けるようになるまでの数日間地獄の苦しみを味わうことになる。

2002年5月9日(木) 手術3日目  病棟HCUに移動
午前中ICUを出て病棟のHCUに移動する。
手術前に見ていた顔が見えてくる。
痛み止めのせいか、手術以降ボンヤリとしている事が多い。
智子が「飼い犬のサンの顔つきに似ている。何を考えとるの?。」
「何も考えていない。」ぼんやりしているのもいいことだ。
まだ食事は出ない。
終日栄養剤の点滴を打たれる。この点滴は1本600カロリーで一日4本使うと2,400カロリーとなる。
従ってお腹も空かないし、喉もあまり乾かない。 
水は飲めないので口はゆすぐだけだ。
深い呼吸が出来ないので酸素吸入は続けていたが、指先に酸素測定器が付いている。
手触りが固いもので、コンと何かに当てると、モニターの波形が変化する。
しばらく看護婦に見えないように、測定器をベッドの柵に当てて遊んでいた。
残念ながらこの測定器は、測定結果を看護婦が確認してこの日にはずされた。
夜、看護婦が睡眠剤の要否を聞くので
「一日くらい寝なくてもいいですよ」と言うと
「いえ 寝てください」と言われ睡眠剤を打ってくれる。
おかげで熟睡。

2002年5月10日(金) 手術4日目  幻覚
深夜 ふと目が覚める。
部屋の中は薄暗い
「俺はここで何をしているのか?」 雲のかかった思考の片隅に、頭の中の記憶がすこしずつよみがえってきた。
ひどい夢を見たものだ。
直腸がんになって、人工肛門の手術をされた夢を見た。
それにしてもここはどこなんだろう。
どこに出張に来て、どこのビジネスホテルに泊まっているのだろう?。
それにえらく腰が痛い。起きて腰でも伸ばすか!!
起き上がり、床に足をつく。
「あー  なんだ この体中から出ているチューブは!!  うそだ!手術なんかしていない! これは夢なのだ!。」
「夢の続きなんだ!!」
ベッドに倒れこむ・・・・


 ふと目が覚める。

「まったくひどい夢を見たものだ。
夢の中で、直腸がんになって、人工肛門の手術をされた夢をみている夢を見た。
それにしてもここはどこなんだろう?。
先ほど見た夢とまったく同じ光景だが?。
それにえらく腰が痛い。とにかく起きて腰でも伸ばすか!!  えーっと、トイレがどこにあるか思い出せない。」
起き上がり床に足をつく。
「あー  まただ!なんなんだ この体中から出ているチューブは!!  うそだ!手術なんかしていない! 先ほど見た夢をまだ見ているのだ!。」
「これはまだ夢の続きなんだ!!」
ベッドに倒れこむ・・・・


結局朝までに同じ夢を3度見ることになる。

あまりの熟睡に血圧も大幅に下がり、目覚めると指先がしびれているくらいだった。
朝一番に看護婦に昨夜の出来事を話す。
「昨夜、ひどい夢を見ました。目覚めて3度立ち上がったのですが、チューブがたくさんついているので歩けませんでした。」
看護婦はしばらくチューブ類を調べていたが
「梅木さん 多分立ち上がってはいませんよ。 立ち上がるとチューブ類がもっと絡んでいるはずですが、寝たときのままの状態です。多分幻覚を見たのでしょう。」
「そうですか。 それにしてもリアリテイのある夢でした。」

夜 腰の痛みが激しくなり眠れない。
夜9時に睡眠材を打ってもらうが、看護婦が見回りに来るたびに目がさめる。

2002年5月11日(土) 手術5日目  リンパ節への転移無しと判明
腰が痛くて、眠れない。
深夜2時頃腰のシップを貼替えようと思い、背中に手を伸ばし2枚を剥いだがまだ手触りがある。
おかしいなと思いながら剥ぎ取り、ふと見るとなんと大型のテープに注射針が2本刺さっているではないか。
どうしよう 痛み止めの針だ。
パニックになり、あわてて元の場所に貼りなおして、よどんだ頭で考えてみる。
「注射針が元通り刺さるわけは無いよなー、看護婦に言ったら怒られるだろうなー、このまま朝まで知らん顔していようかなー、でも薬が肌に触ると良くないのかなー」
仕方なく怒られるのを覚悟で看護婦を呼ぶ。
「梅木さん、何をしてるんですか!」怒られた。  きまりが悪いので、
「痛み止めの薬はもう空になっているといってましたので、はずしてもいいですよ」
というと、はずしてくれた。
これで管が一本はずれたが、あとで後悔することになる。
夜中にはずした痛み止めはまだ効いていたらしい、はずした後痛みが増してくる。
結局眠れないまま朝を迎える。
朝一番でN先生がきて
「リンパ節への転移はありませんでした。だからステージ2ですよ。」と言われ、ほっと安心する。
腰の痛みを和らげる為に、ベッドを起こしてほしいが智子はまだ来ない。
昨日具合が良かったので、朝はゆっくり来ていいと言ったことを後悔する。
やむなく、看護婦を呼んでベッドを起こしてもらい、隠れて携帯で智子を呼ぼうと思い、身の回り品を入れている紙袋を取ってもらう。
しかし携帯は袋の中には無かった。
1時間ばかり紙袋を横に置いたまま呆然と長い時を過ごす。
智子と妹がきた。
「どうしたの。ホームレスみたいに紙袋を横に抱いて」 
「早く来てもらおうと思い、電話したかったけど携帯が無い。」
「かわいそうに。今日はゆっくりで良いなんていうから、ゆっくりして来たのに」
早速ベッドを上げたりおろしたりしてもらって腰の痛みが何とか和らがないだろうかと悪戦苦闘する。
傷の痛みは動かなかったら痛まないのに、体を動かさないばかりに腰が痛む。

この日HCUから病室に戻る。
術後は排便時の臭気で同室者に迷惑がかかるのではと思い、術前に婦長に頼んで個室を取ってもらっておいた。
なんと電動ベッドだ、もう好きにベッドを上下できる。

夜K看護婦がきて
「梅木さん、ゆうべは大変だったね。今日は私が眠らせてあげる」
と言って、睡眠材を注入してくれる。
昨夜より強い薬だったのか、熟睡。

2002年5月12日(日) 手術6日目    食事が始まる
昨夜の睡眠薬がまだ効いているのか、智子が来たのもわからないほど良く眠る。
今日から食事が始まる。
オモユと具の無い汁。
「えー、これが飯か!!」
1分で食べ終わる。
食器を下げに行った智子が見られたのか、看護婦が
「梅木さん、7日ぶりの食事だからもっとゆっくり食べてください」と言ってきた。
昼食と夕食はゆっくり食べるがそれでも早すぎると思い、
「食器はすぐに返さずに、しばらくしてから持っていってくれ。そうしないとまたなにやら言って来よる。」
御膳は時間を置いて下げに行ってもらう。
パウチの処理も寝たままなので、便の処理はできないが、ガス抜きだけでも自分でする。
どのみち、食事をしていないので便は出ない。
腰の痛みもやわらいでいるので、今晩は睡眠材をもらわないようにしよう。

2002年5月13日(月) 手術7日目 ドレンチューブ、点滴、尿カテーテルはずれる。
               病棟HCUから病室に移動。
熟睡していた。
食事前に採血。 
食事は3分粥となる。
朝一番でN先生が来てドレン(腹腔内の残滓吸い取り器、お尻の縫い目に差している)をはずしてくれる。
ドレンを抜いた後は、はずした部分から残滓が出るのでガーゼを当ててくれる。
次は尿意テスト。
尿のカテーテルを途中で縛り、尿を流れないようにして、尿意をもようすかテストをして、かつ排尿後再度カテーテルを差して残尿量を調べる。
2回テストをして、残尿量も規定値内であったので、尿のカテーテルをはずす。
夕方には栄養点滴もはずしてもらった。
これで体に取り付けられていた全ての管が外れた。
点滴中は不思議と食欲も無く、また喉の渇きもあまり無い。
管が外れたので、立ち上がる練習をする。
立つと、すーと血が引いていく。
歩くどころじゃない。
10回ほど足踏みしてベッドに倒れこむ。
手術中の出血でヘモグロビン値が30%マイナスとのこと。 
午後何とか部屋の中を1週した。
今日から自分で便の処理をしてみる。
パウチは術後用のもので、先に丸い排出口が付いている。
ベッドの上に新聞紙を広げ、ビニール袋、使い捨て手袋、消臭スプレーを用意して排出するが、黒い軟便が出る。
とにかく臭い。
この匂いと一生付き合わねばならないのかと思うと気がめいる。
「これじゃあ家に帰っても家族が大変だ、ましてや社会復帰など不可能じゃないか。」一人こぼしながらも
近くの工具屋にガスマスクを買いに行かせる。
それでも臭い。工具屋にあるようなガスマスクはまったく効き目が無い。
軍隊用のガスマスクを探さないといけないのかな。
2時間毎にガス抜きをする。
夕方7時頃にこれでもう眠れると思っていると看護婦がまだ便を出し切っていないので、8時頃にもう一度出すと言う。
8時頃になってみると、なんとパウチの8割くらい溜まっていた。
熟睡中にパウチが破裂すると大変なことになる。
10時、傷が痛いのを我慢してトイレに椅子を持ち込み、腰掛便器に直接排出してみる。
ポチャンと水がはじいて床を汚した。
傷が痛いので掃除も大変だ。
11時、今度は腰掛便器の端に腰掛けて低い位置で排出。
成功。

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