闘病記 7


2002年5月26日(日) 手術20日目  病棟内の患者たち
病棟内のデイルームと喫煙室は5階の北と南の病棟あわせて100名くらいの患者が利用している。
この頃になると多数の患者と話をするようになった。
大多数の患者がガンの治療のために入院している。
自分がガンであることを知っている人、知らない人、さまざまな人の苦痛と希望が、一見静かな病棟内に白ペンキと黒ペンキを混ぜたような模様を描いて渦巻いている。
話を聞くに耐えないような絶望感にさいなまれている人。
私も含めて、表面上は明るく振舞っている人。
絶望の中にわずかの光でも見つけるように明るく振舞っている者同士が集ってつかの間の笑い話に興じて一刻を忘れる。
まるで夜の闇が伴ってくる、死の恐怖から逃れるかのように追い求める深い睡眠。
しかし、たとえ一刻でも忘れたい、考えたくないと思う患者の望みに反するかのように、情け容赦なく襲ってくる不眠の嵐の後に訪れる患者同士の朝の挨拶は、よく眠れたかどうかの話から始まる。
皆一様に少しでも快方に向かっていると思えば素直に喜び、少しでも悪ければ嘆きあう。
同じストーマ造設者のIさんは高齢でもあり、また半年に及ぶ闘病生活で、知り合った時は医者を恨み、看護婦を恨み、自分の不運を恨む話から始まった。
私もIさん程ではないが、自分の受容力いっぱいの不安を抱いている。
Iさんと一緒に落ち込みそうになる自分が不安で、次のような話をIさんにする。
後日智子にこの話をすると、キリスト様みたいなことを言っていると笑われた。
「Iさん。他の患者又は世の中にいる自分より不幸な人と比較して、私はまだ良かったと思うのもひとつの方法かもしれないが、これでは自分より不幸だと思われた人に申し訳ないことです。それよりか全ての人が悩みを持っており、その悩みはそれぞれの人において同じ重さを持っています。Iさんと私はこの病気が悩みであり、あそこにいる見舞いに来た健康そうな人は子供の教育のことで悩んでいるかも知れません。そしてあの人にとってその悩みはたまらなく大きなものです。人間一人一人がそれぞれの悩みを持っており、その重さは全ての人に同じ重さなんです。そして皆がその悩みから開放されようと懸命に努力しているんです。私たちもこの病気が早くよくなるようにがんばりましょう。」
と私は自分に言い聞かせるように話を創作したところ、Iさんはとても喜んでくださり、以降退院まで毎日のように話し相手になって下さった。
そのうちIさんと同じ病室のFさんも加わり御互いに励ましあうようになった。
この話の中に根橋さんの手記にある、ある会での引用句も紹介した。
「人間皆その人の寿命は定まっており、どうあがこうとその長さは変えることは出来ない。大事なことはゴールまでの時間をどのように生きるかと言うことだ。」
入院の時私は根橋さんの手記を印刷して持参していた。
これをIさん、Sさんに
お貸しして大いに参考にしてもらった。
そして退院後もこれが少しでも役に立つならばと思い、病棟に残していくことにする。(根橋さん了解済み)

2002年5月27日(月) 手術21日目    退院  車の運転
午前9時病院の会計伝票が届いたので智子が清算にいく。
30万円ほどの請求がきていた。
清算伝票をナースセンターに渡し退院許可となる。
帰る前に病棟内で知り合った患者たちに挨拶をして回り、皆に退院を喜んでもらう。
帰宅前に抗癌剤を処方してもらうY病院に立ち寄る。
Y病院は家の近くの病院で最初に直腸ガンを見つけてもらった病院だ。
医療センターのN先生からもらった医療経過書を読んでもらい、簡単な診察の後抗癌剤を処方してもらう。
あわせて今後の検査予定を聞く。
Y先生は若い頃ストーマ造設手術をしており、必要に応じてストーマのケアや洗腸指導もしましょうと言ってくれた。
調剤薬局に抗癌剤の在庫が無いと言うことなので午後改めてとりに行く。
抗癌剤は5FUを6ヶ月の予定で服用する。あわせて胃薬と、整腸剤を処方された。
自分で車を運転していくことにするが不安なので妹に同乗してもらう。

2002年5月29日(水) 手術23日目 自宅での始めてのフランジ交換。事務仕事再開。
ホームセンターに行き、トイレの洗浄用ノズルを買ってきて給水パイプに取り付ける。
今まではペットボトルに水を入れたものでパウチを洗っていたがこれで楽になる。
仕事も事務作業がかなりたまっているので無理にならない程度に事務所で仕事をする。
取引先にも少し強がって、大丈夫ですと言った為か、電話もかなり掛かって来出した。

2002年6月3日(月) 手術27日目 犬の散歩に行く。
退院語一週間はあまり過激な動きをしないように自分に言い聞かせておいたが、今日は1週間過ぎたことでもあるので、犬の散歩に30分くらい遠出をする。
倒れないように注意して歩く。犬に引っ張られてストーマをつぶしたら大変だ。

2002年6月5日(水) 手術29日目  日本オストミー協会
このところ毎日インターネットで人工肛門関係の記事を探している。
昨日、日本オストミー協会に入会申請をしておいたら、今日この地区の支部長さんから電話があり、7月7日に私の住んでいる町で勉強会があるから参加しては、とさそって頂いた。

6月14日現在排尿後の臀部の痛みも無くなり、歩行速度もほぼ平常並に戻りました。
手術後約1月が経過して、軽い事務作業を行っていますが、来月からは現場でも重労働を除いて、手術前の仕事に戻りたいと思います。
今からの心のもちようが将来を決めるものと考えています。
手術に当たった医師、看護婦さん達、家族、病棟内の友人たち、そしてネット上で多大な励ましを与えていただいた、皆様に感謝いたします。

「私たちに出来ることは「なぜ、こんなことが起こったのか?」という問いを超えて
 立ち上がり 「こうなった今、私はどうすればよいのか」と問い始めることなのです」
                        ハロルド S クシュナー  

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