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岐阜(稲葉山)城 / KOJYO TANBO


岐阜(稲葉山)城を歩く / GIFU JYO WO ARUKU 〜岐阜城をぶらりと歩く全く先の見通しのない気ままな旅物語です〜


達目洞訪問記

 達目洞へ (2001,04,04)
 達目洞という場所は岐阜市の東部にあります。
 一般的には日野といわれているところなのですが、名古屋から一直線で伸びる国道22号・156号が走っており、近くにはホームセンターがあったりして、決して寂しいところではありません。
 ところが、一歩達目洞に入るとなんともいえないひっそり静まり返った雰囲気に包まれます。
 しかし、最近鵜飼大橋を核とした長良川北岸へつながるバイパス工事が始まり、いずれ近いうちに達目洞の様子も一変しそうです。
 達目洞の中央部あたりまではぐねぐね曲がりくねった狭い道路一本でつながっています。しばらく走ると眼前がパッと開けます。小さな畑がところどころにある山に囲まれたくぼ地です。
 こんなところに・・・と思うような場所に一見お寺風の家があります。
 これが臼井家です。
 近くの畑で比較的年配の男性の方が水を撒いていたので金華山への入り口を聞いてみました。
 「ここの道をまっすぐ進んで立て札のあるところを右へ折れると50分程度で金華山頂だ」
と快く教えてくれたので、ついでに、
 「かつてこのあたりに斎藤道三の家臣団の屋敷があったという話を聞いたことはないか?」
と尋ねてみたところ、そのような話は聞いたことがないということでした。
 さらに、
 「道三の屋敷は公園の方だ」
と付け加えて教えてくれたので、やはり一般的にみて信長の館にしても道三の館にしても岐阜公園周辺に存在したと見る向きが強いのだという認識をせざるを得ませんでした。
 筆者が周囲を見た感じでは、
 @三方を山に囲まれた窪地であること、
 A緩やかな傾斜のついた広い平地であること、
 B緩やかな傾斜を生かしてところどころ段差が造成してあること、
 などの理由から、かつてこの地域一帯に屋敷群が存在したことを窺わせるには十分な地形に思えました。
 しかし今回の調査では、秋田氏のいう屋敷を区画するかのように一直線につづく集石や、虎口と思われる入口を付した、高さ一メ1トル前後の立派な石垣、人為的に築造した道や石組みの井戸、斜面をけずり出して造成した区画などといったものがどこにあるのかは、素人の筆者には全くわかりませんでした。
達目洞の入り口
達目洞の入り口あらりから岐阜城を眺める。鵜飼大橋に至るバイパス建設のためあたりの風景は一変しつつある。
臼井家の構え
臼井家の構え。一見お寺のような堂々とした造り。あたりはひっそりと静まり返っている。訪れたときは桜が満開であった。
 というのも、岩戸方面へと続く達目洞の最も奥深いところは歩いていなかったからです。
 秋田氏のいう遺構を発見するのは、もう少し先のことになります。
 さて・・・、
この際だからということで、
 「いつ頃からこの家はあるのか」
と年配の男性に尋ねてみました。
 すると、
 「300年前からだね!」
 さらに、
 「昔、ここの家のもんは、剣術の達人で道三、信長の城のあった金華山を守るという命を尾張藩から受けて、それ以来ここに住んでいるのだ」
と教えてくれました。
 見たところ、このあたりには臼井家一軒しか見当たりませんので、ひょっとするとこの年配の男性は臼井家の方だったのかもしれません。ということで、時間があまりないので行けるところまでという条件つきではありますが、とりあえず達目洞から岐阜城天守方面へ歩いてみることにしました。
達目洞の道標  年配の男性の言うとおり、臼井家の前のガラガラ道を西に向かって進みます。すぐ雑木林の中に突入しますが、木々の背はそれほど高くはないので西日が大変眩しく感じました。
 数分歩くと道標が立っていたので、それに目をやります。直進すると岩戸公園、右折すると岐阜城方面とあります。
 さっそく右方向へ足を運びますが、あっという間に雑木林の木々は深くなり、差し込む光も少なくなります。
 しばらく歩くと急な登り坂になり、だんだん息が切れてきます。
 足元にシダ類の葉っぱが覆い茂っているところを通ると蛇が出るのではないかと不安になり、ついつい足早になり、ますます息が切れてきます。
 すると、右手に足元にはえる低木が伐採されたような緩やかな傾斜地が見えてきました。
 よく見ると人為的に置いたと思われる比較的大きな石が数個転がっていました。ひょとすると石垣遺構の一部なのかもしれません。
 ここならば蛇も出そうにないので、石に腰をおろして小休止させてもらいました。
 しかし、やたらと小さな虫が飛び回っていることに気づき、たまらずその場を離れざるを得ませんでした。
 再び急な坂道が続きます。
 時間も気になるし、息も切れるので、とりあえず前方に見えるこんもりとした山地までは登りきろうと心に決めながら、一歩一歩足を運びます。
 ようやく登りきってみると幸いなことに道が左方向へのダラダラ坂になっていましたので多少元気を取り戻し、もう少し登ってみることにしました。
 すると、なんと右手に石垣が7〜8mくらいにわたって続いているではありませんか。
 高さは1メートルはあると思います。
 石垣の左手後方には大きな岩盤が剥き出しになっており、その上方は険しい傾斜地になっています。
 傾斜地の上にはすぐ尾根が続いているような印象を受けました。
 左手は急な斜面で下方に降りており、深い谷になっています。落っこちるとちょっと足の骨でも折りそうな感じです。
 これがたぶん秋田氏のいう、天守から尾根の先端の日野西山まで縦走する道(峠道とよばれる)から南にくだる小さな谷に面して築かれているという石垣のことだと思います。
 この石垣は、小さな谷に面しており、明らかに谷を意識して築かれています。
 現在でもしっかりと残っていました。
 長さは約7〜8mといったところでしょうか。高さは約1mほどです。
臼井家のある達目洞から入って最初の道標。直進すると岩戸公園、右に曲がると岐阜城天守。写真の狭い道は岐阜城天守に向かって急な山道へと続く。
人為的に置いたと
思われる石
人為的に置いたと思われる大きな石。ちょっとここで小休止。周囲には低木、雑草の類いがきわめて少ない。
 なかなか、立派なもので、石の大きさからして、戦国時代末期のものであることは間違いありません・・・といいたいところですが、こればかりはなんともいえません。単に戦国時代の城郭遺構であってほしいという、希望的観測の域を出るものではありません。
 しかし、予想外の発見に筆者は多少興奮してしまいました。人間の心理とは不思議なもので、私はそれまで息も絶え絶えだったのも忘れて、石垣遺構を発見してからは一気に峠道まで登ってしまいました。
小さな谷に面して
築かれた石垣 ヒメコウホネ  ところで。
 余談にはなりますが、達目洞について、最近知ったことを少しお話しておきましょう。
 じつは、この達目洞は自然の宝庫なのです。
 達目洞の小川では絶滅の危機にあるスイレン科の多年草・ヒメコウホネが花を咲かせているのだそうです。
 最近は開発などで自生地も減り、環境庁の日本版「レッドデータブック」で危急種に指定されています。
 達目洞の群生地は山からの澄んだ水が流れる幅1メートルほどの小川で、20メートルほどに渡って群生しているらしいんですが、さきほども述べたように、群生地付近は都市計画道路岐阜環状線が建設されつつあります。
 この豊かな自然が、このまま無事でいられるとは思えないのですが・・・。
 次は峠道でのお話です。
東方の日野に伸びる支尾根にある道(峠道とよばれる)から南にくだる小さな谷に面して築かれた石垣。谷を意識して築かれている。長さは約7〜8mといったところか。高さは約1mほど。 ヒメコウホネ。カワトンボが止まっている。岐阜市とは思えない自然の豊かさ。永遠に残したいものである。



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