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角牟礼城 / KOJYO TANBO
■角牟礼城を歩く 〜角牟礼城をぶらりと歩く全く先の見通しのない気ままな旅物語です〜
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| 角牟礼城ひとくちメモ | |||||||
| ■所在地:大分県玖珠郡玖珠町森 ■城郭様式:山城 ■別名:角埋城 ■築城主:森朝通 ■城主:森氏、毛利氏、来島氏 ■築城年代:弘安年間(1278〜1288) ■遺構:曲輪、石垣、土塁、井戸、竪堀 ■標高:576m ■比高差:250m |
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■歴史 角牟礼城は弘安年間に森朝通によって築かれたといわれる。この地は豊後国から豊前国宇佐郡へ通じる交通の要衝であるため、大内氏と大友氏との争いの中で城は堅牢な構えになっていった。天正14年(1586)、島津義弘が豊後国への侵攻に伴い、新納忠元が玖珠郡に侵攻。角牟礼城には森氏、魚返氏、中島氏、志津利氏らが籠城し、島津軍を退却させた。文禄3年から慶長5年にかけて、日田の日隈城主毛利高政が玖珠の拠点として角牟礼城を整備したが、慶長6年(1601)に村上水軍の来島康親が入封し森藩が成立した。その後、来島通春の代において久留島と改名。その後、一国一城再令により、通春は角牟礼城を廃城し、山麓に陣屋が置かれた。 ■現在 三の丸および搦手門付近に見事な石垣が残存している。主郭北西隅部には崩壊した石垣が残存している。それぞれの曲輪も安定した平場になっており、確認しやすい。 |
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| 三の丸石垣。駐車場の目の前にいきなり野趣あふれる石垣が登場する。自然石をそのまま積み上げた荒々しい石垣は見応え十分だ。 |
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