筆者には好きな城がいくつかあります。
そのうちの一つが萩城です。萩城は毛利氏の居城として幕末まで存続しました。
もう一つが岡城です。岡城は中川氏の居城として七万石の小藩ながらこれも幕末まで存続しました。滝廉太郎が「荒城の月」の曲想を得た城としても有名です。
両者に共通していることといえば、いずれも天守などの建造物が残っていないことです。しかし海城と山城というそれぞれの城の形態が自然条件と見事に融合し、両者に残された石垣の美しさを際立たせています。
筆者にとって、もちろん彦根城のように見事な城郭が残された城にも魅力を感じるのですが、復興天守や捏造天守が多い今日、石垣のみが残された城、あるいは、それすらも残されていない中世以前の城に移ろい行く歴史の流れやはかなさが感じられ、そんな城だからこそ人知れず感慨に浸ってしまい、逆に魅力を感じてしまうのです。
「古城探訪」はおもに美濃国の城館を扱っています。
一般的に城というと立派な石垣や天守のある城を想像するのですが、現実に天守の存在した城は美濃国には数えるほどしかありませんでした。「日本三大山城」のひとつとして有名な岩村城ですら、石垣はあっても天守は存在しませんでした。
現在、岐阜城には復興天守が金華山の山頂に建っていますが、あれも関ヶ原の戦いの後、解体されてから300年以上の長きにわたって山頂には何も存在しませんでした。 強いて上げるならば大垣城の天守が昭和20年に戦災で焼失するまで存在したこと、加納城の天守(御三階)が享保13年に落雷で焼失するまで存在したことくらいが、比較的長きにわたって天守が存在した例としてあげられるのではないかと思います。
全国にかつて存在した城の数の総数は3万とも4万ともいわれています。しかし、その大部分が中世城郭であり、南北朝から室町時代にかけて築かれたものです。そしてそれらのほとんどは、近世初頭までに、つまりは江戸時代の初期までには廃城となってしまいました。
それに対し近世城郭の多くは明治維新まで存続してはいましたが、維新時の数は200にも満たないのです。ましてや、城の象徴といわれる天守などに至っては現存のものは、わずか12棟(天守代用の三重櫓も含む)にすぎません。戦災等で昭和以降に失われたものを含めても20棟にすぎません。
さらに付け加えるならば、戦後に復興あるいは創建された天守は50程度?かと思われます。しかもそれらの復興天守はあまり忠実には造られていません。というよりもむしろ、完全に誤った例の方がはるかに多く、完璧に復興された天守は一例もありません。ましてや、現実には存在しなかった天守が町おこしのために歴史を捻じ曲げて各地で造られています。それはそれで一つの観光施設として意味があるのかもしれませんが、筆者にとってはあまり歓迎すべきことではありません。
筆者の城の楽しみ方はあくまでも、
「かつてそこに存在した城郭や、そこに生きた人の生活を思い浮かべ、異なる時代に生きながらも互いの時代の匂いを嗅ぎ取ること」
にあります。
ですから、天守はなくても構いません。石垣はなくても構いません。関係のない建物が建っていても構いません。蜘蛛の巣だらけの草深き山奥でも構いません。城というものを予感させるものが何もなくても、やはり筆者にとってはかけがえのない城なのです。
そんな中で土塁とか石垣跡などを予感させるものが偶然発見できたときの喜びは計り知れないものがあります。美濃国の城館の大半がそれにあたります。つまりほとんどが中世城郭です。
そんな城を少しでも理解するために知っていると便利であろうかと思われる情報をこのコーナーにおいて紹介していきます。
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