ブダペスト-04・聖イシュトバーン大聖堂・自由広場・ヴァーツィ通り(ブダペスト・ハンガリー)

ブダペスト-04・聖イシュトバーン大聖堂・自由広場・ヴァーツィ通り(ブダペスト・ハンガリー)
聖イシュトバーン大聖堂ブダペスト最大の大聖堂、自由広場に在るハンガリー政府が建立したドイツ占領記念碑です。ヴァーツィ通り(洪:Váci utca)は、ペスト旧市街地、旧ペスト城内の中央に位置している歩行者天国の通りです。
聖イシュトバーン大聖堂 (2017年 1月)
聖イシュトバーン大聖堂ブダペスト最大の大聖堂。1896年の建国千年を記念して1851年に建設が開始、1868年にドームが崩壊し、実際に完成したのは1905年、祭壇には大理石製の初代国王イシュトヴァーンが祭られています。

(写真:外観正面)

(写真:外観反対側)

(写真:外観・夜・正面)

(写真:外観・夜・反対側)

(写真:内部-01)

(写真:内部-02)

(写真:内部-03)

(写真:広場-01)

(写真:広場-02)

(写真:広場・夜)

(写真:周辺の様子-01)

(写真:周辺の様子-02)

(写真:周辺の様子-03)

(写真:周辺の様子-04)

(写真:周辺の様子-05)

(写真:周辺の様子-07)

(写真:周辺の様子-08)

(写真:周辺の様子-09)

(写真:周辺の様子-10)
教会の反対側は大通りになっています。

(写真:周辺の様子-11)

(写真:周辺の様子-12)
自由広場・ドイツ占領記念碑 (2017年 1月)
自由広場に在るハンガリー政府が建立したドイツ占領記念碑です。ハンガリーを表す天使にドイツの象徴タカが飛びかかる。ユダヤ人虐殺のホロコーストの記念の意味があるようで記念碑には多くの写真が置かれています。

(写真:ドイツ占領記念碑-01)

(写真:ドイツ占領記念碑-02)

(写真:ドイツ占領記念碑-03)

(写真:ドイツ占領記念碑-04)
1944年 3月19日の日付が見取れます。ドイツ西方軍集団と南方軍集団から抽出された師団がハンガリーの占領を開始した。

(写真:ドイツ占領記念碑-05)

(写真:ドイツ占領記念碑-06)

(写真:自由広場-01)

(写真:自由広場-02)

(写真:自由広場-03)

(写真:自由広場から国会議事堂に向かって-01)

(写真:自由広場から国会議事堂に向かって-02)

(写真:自由広場から国会議事堂に向かって-03)

(写真:自由広場から国会議事堂に向かって-04)

(写真:自由広場から国会議事堂に向かって-05)

(写真:自由広場から国会議事堂に向かって-06)












(写真:ヴァーツィ通り-13)
中国料理ですね。

(写真:ヴァーツィ通り-14)

(写真:ヴァーツィ通り-15)

(写真:夜のヴァーツィ通り-01)

(写真:夜のヴァーツィ通り-02)

(写真:夜のヴァーツィ通り-03)
ブダペスト応用美術館とその周辺 (2017年 1月)
ブダペスト応用美術館。建物はオスマン時代に建てられたモスクの再利用かと思っていましたが、アール・ヌーヴォー様式で1893年から1896年にかけて建造されたのだそうです。この建物はレヒネルの建築様式、ハンガリーの民族的繊維やソルナイやマヨリカ焼きを含み、更にイスラム教やヒンドゥー教のモチーフをも含んでいるのだそうです。

(写真:交差点付近-01)

(写真:交差点付近-02)

(写真:応用美術館外観-01)

(写真:応用美術館外観-02)

(写真:応用美術館外観-03)

(写真:応用美術館入口・外側)

(写真:応用美術館入口・内側)
不思議な外観から期待して行ったのですが、中は余り人もおらず、ガラーンとしていました。

(写真:応用美術館内部-01)

(写真:応用美術館内部-02)

(写真:応用美術館天井)
プシュカーシュ・フェレンツ競技場付近 (2017年 1月)
プシュカーシュ・フェレンツ競技場の近くの地下鉄の駅付近の様子です。競技場があるからでしょうか、多少場末的な感じの所です。

(写真:プシュカーシュ・フェレンツ競技場の近くの地下鉄の駅付近-01)

(写真:プシュカーシュ・フェレンツ競技場の近くの地下鉄の駅付近-02)

(写真:プシュカーシュ・フェレンツ競技場の近くの地下鉄の駅付近-03)

(写真:プシュカーシュ・フェレンツ競技場の近くの地下鉄の駅付近-04)

(写真:プシュカーシュ・フェレンツ競技場の近くの地下鉄の駅付近-05)

(写真:プシュカーシュ・フェレンツ競技場の近くの地下鉄の駅付近-06)

(写真:プシュカーシュ・フェレンツ競技場の近くの地下鉄の駅付近-07)

(写真:プシュカーシュ・フェレンツ競技場の近くの地下鉄の駅付近-08)