訪日しての感想-01(99年10月、2001年 5月、2003年 7月)

訪日しての感想-01(99年10月、2001年 5月、2003年 7月)
訪日した時の記録の中で古い3回分をまとめてみました。
01・地方を訪問して(2000年08月02日)
東京を離れて地方に行く機会がありました。首都圏の端の方ですが、東京とは違い田園が広がり、丁度秋の収穫のシーズンで、夕方外で稲刈りをしているのを眺めていますといかにも「日本の秋」、感傷に浸ってしまいました。以前と変わらぬ風景です。さて、宿泊したお宅の近くにバイパスが出来たのですが、その道路の近くに非常に立派な「御殿」が並んでいるのが見えました。この不景気の時代に皆さんお金があるものだと感心してみておりました。ただそのバイパスの一帯だけに新しい家が在り、その他は従来の住宅のままなのです。新築の住宅は、どうやら工事に必要な土地を売った代金で建て替えを行ったようなのです。立派な道路が開通し、確かにアクセスは改善されたのでしょうが、この家並を見ていると、こうしてどんどんと国の借金が増えて行くのだなあ、と実感出来ました。農業には各種の助成金など手厚い保護があるようで、余り必要とは思えないような道路などに大きな投資が行われている。農業への保護と公共投資、この2本が地方経済の柱なのだと思いました、東京とは別の世界を見たような気がします。
02・外国人が増えた(99年12月11日)
久しぶりに故郷の東京を歩いて、まず感じたのは「外国人が増えた」という事です。特に国籍には関係が無く、色々な人種の人が増えているようでアジアの人も黒人も白人も増えているように思うのです。電車に乗っている隣の人が外国人で外国語を耳にする事が非常に多かった、それに皆が無関心になっているという事は普段の生活に外国人が当たり前のようにいるようになったという事で、東京の国際化が進んでいるのを肌で感じました。
新宿は東京でも活気のある街で、また独特の何と言いますか「いかがわしさ」が在り、お気に入りの場所なのですが、歌舞伎町の裏辺り、職安通りが韓国人達で一杯になっているのには驚きました。明かに在日の方達とは違う、「そのまま韓国」という感じで、どう見ても最近、韓国から来ている方達でした。以前から在日の方達が創っている上野の韓国人街とは雰囲気が全く違うのです。どのような査証で日本に来ているのか判りませんが若い人が非常に多く、看板も堂々とハングルで書かれている。韓国式の食堂が数多く在る。覗くと日本式の韓国料理ではなく、どう見ても本式、韓国の韓国料理のようなのです。お昼時中を見てみるとメニューはハングルで書いてあり、食べている人もどう見ても韓国人、これはこの2年半の間の変化だと思います。当地でも韓国人はある程度集中して住む傾向があるのですが、今後もこの新大久保と新宿の間の一帯にどんどんと集まって来るのでしょう。街としては活気が出て、今までとは違う文化が出て来て良いのでしょうが、果してどこまで増えるのか心配になって来てのも事実です。東京の中に外国人達がブロックを作り住み付くような時代になるのかも知れません。
東京で生まれている新生児の確か16人に一人が少なくとも一方が外国人を親に持つという話を耳にしました。都内の小学校では外国人の子供が居るのは当たり前という状況なのでしょう。何か法的な整備、建前とは違う事が進行しているように感じますが如何でしょうか?
03・老後のことしか考えない?(99年12月11日)
色々な人と話をし、また街を見ていても何か活気が無い。と言いますか前向きな姿勢を感じる事がほとんど無いように感じるのです。話の内容を聞いていて「天下・国家」を論じるというような事は無く、身の回りの事、自分のごく狭い範囲で生じている事にしか皆関心を持っていないように思います。政治がどうなろうと、「国債」がどれだけ増え様と世間でどれだけの人がリストラで失業しようと自分の安泰さえ確保出来れば取りあえず良しとする。将来の日本!、そんな事は、まあ誰かが考えて上手くやってくれるでしょう。というのが一般的なようで、極端に言えば自分の老後の事にしか関心が無いのでは?と思ってしまいます。若い人達にもこのような考え方があるようで、社会全体が老齢化していると考えさせられてしまいました。このような現象は多分その社会の年齢構成によるのでしょうが、パラグアイでは若い人が多いので社会に若さを感じるだけに特に日本の老齢化を意識してしまうのでしょう。
日本の社会の危機は色々な形で目にしますが、本質的には社会の高齢化に根ざしているのでしょう。街を歩いていても老人が多いのには驚きました。刻々と社会が高齢化している、皆実感で知っているので保身の行動を取るのでしょう。社会が守りになり、リストラブームで企業も規模の縮小、廃止、撤退が頻繁に行われている。社会が萎縮しているのは判りますが、このままでは社会全体がシリ貧になってしまう事でしょう。若い人を人を増やして活力を増すしか日本の進む方向は無い様に思います。どうしたら人口構成の歪を正せるのか真剣に検討する必要があるように思います。例えば、若い外国人に就労の機会を与えるのも一つの方法でしょう。多くの家庭では老人看護で主婦が忙殺されている。アジアから若い女性をお手伝いさんとして雇い入れる事を認めてはどうでしょうか?不法就労が増えていかががわしい職業しか選択余地の無い現状と比べればよほど健全になると思いますが、如何でしょう?
04・子供が居ない(99年12月11日)
東京の繁華街を歩いて感じる事、また電車に乗っていて感じる事は子供が見当たらないという事です。自分がまだ小さかった時にはよく電車に乗って渋谷、新宿、銀座等に行った記憶があります。また同じ電車には同じ様な子供が沢山居たように思うのです。最近の少子化という事もあるでしょうし、子供が居る人は電車で外出しないで出来るだけ自動車を利用する事が多いという事もあるのでしょう、とにかく昔と比較して子供の姿を見かけないように思うのですが。
それにしても余りにも子供が少ないのです。よく見まわしてみますと、街がまた交通機関が余り家族連れに向いていないという事があるように思うのです。非常に混んでいるし、声を出して騒ぐような子供を連れている親は肩身の狭そうな感じで乗っている。日本で親が子供に一番しかっている言葉は「静かにしなさい」ではないでしょうか?おとなしく良い子で居る子が尊ばれる、余り良い傾向とは思わないのですが。また街角にも居ない、児童公園などで多少は見掛けますが、少ない。一体、子供達は毎日何をして過ごしているのでしょう、少々不気味になって来ます。
子供は伸び伸びと育てる、悪ガキや洟垂れ小僧も必要なのではないでしょうか?今の子供は普段は何をしているのかと心配になって来ます。将来を背負う元気な子供達の姿が見えないという日本、大丈夫なのでしょうか。
05・人々の目付きが悪い(99年12月19日)
東京で電車に乗ったり、街を歩いたりする機会が多かったのですが、目に付いたのは「携帯電話が増えた」ということと、人々の目付きが悪くなったという事です。携帯電話に関しては当地でも同様の現象が起きているのである程度想像が出来ましたが、目付きの方は予想外でした。電車に乗っていても横の人の何かイライラしている気持ちが伝わって来るのです。街を歩いていて笑っている人を見掛ける事も少なくなりました。若者を見ていると、それでもどこかノー天気さがあるのですが、多くの30代以上の人には明るさというものが消えてしまった?ように思います。リストラへの不安、職場での色々なストレス、老後への不安、ローンを抱えて、子供の教育、両親の面倒・介護と耐えて生きている世代なのでしょう。そう考えて見ると戦後50年、豊かさを求めて進んで来て一体何を得たのか考えさせられてしまいます。
当地でよく現地の人から「パラグアイは将来こうなって欲しい」というような話を聞くのですが、彼らの理想としている社会はどうやら今の日本のような社会なのです。「人々の給与は高く平等に近く、世界に誇れる技術立国で役人の不正が少なく、治安も良い、教育水準も高い」日本は確かに理想的な国なのですが、何故かパラグアイにこうなって欲しい、もしくは日本をモデルとした国家創りをして欲しいとは余り思わないのです。何かここパラグアイの社会に在るすばらしいものを失ってしまうような気がするのです。
06・銀行の合併 (99年12月30日)
今回の訪日の直前に富士・興銀・第一勧銀の合併の話があり、訪日の途中で住友・さくらの合併の話を聞きました。このところの日本は銀行の合併が相次いでおり、一種のブームという印象を受けます。
名前はソフトな印象が好まれるのか合併しり再生した銀行は「さくら」「みどり」「あさひ」などひらがなで3文字というのが多いようです。3行合併の新名称は「みずほ」と決まりました。どうもどこかで聞いた事があるような気がしましたが、よく考えて見ますと国鉄特急の名称そのものなのです。今はどのようになっているのか余りよく知りませんが、作者が日本に居た時代は。九州行きのブルートレイン、列車番号1番は16:00発の長崎・佐世保行きの「さくら」、そして熊本行き「みずほ」、日豊線回り西鹿児島行き「富士」などが走っていました。「みどり」は山陰線の特急でした。そうしますと、次ぎの銀行は「かもめ」「つばさ」「つばめ」「ひかり」「のぞみ」等と言う名称になるのでしょうか?
それにしても規模を大きくしなければ銀行は生き残れないという必死さ伝わって来ますが、本当にそうなのでしょうか?インターネットの時代、規模のメリットは薄れて来ているように感じます。マーケット全体に情報を伝える為に大きな規模の企業が必要であったように思います。これからは小規模で特徴のある企業の時代になるのではないかと想像しています。デパートから専門店への転換が起きるのではないでしょうか?イトーヨウカ堂とソニーが相次いで銀行に参入するという話が出ています。特に前者は決済専門の銀行として注目を集めています。でも決済自体が銀行で行う必要があるのでしょうか?よく考えるとこれからも時代、もしかすると銀行というのは形が変わる、もしくは要らなくなるのかも知れませんね。
07・リストラ(99年11月05日)
今回の訪日でよく耳にしたのがリストラです。特に40代のサラリーマンに関しては切実な問題になっているのを実感しました。40代の世代が会社に入社した時代はまだ年功序列がはっきりし、1年でも先輩には礼を尽くし、若い時代は給料は安くとも苦労し、仕事に励み、会社に貢献し、40代になると管理職として調整業務を主体に時間的には余裕を持て給料もそれなりに貰えるというのが一般的なイメージで、将来ある程度楽が出来る、給与・待遇もよくなり、若い社員達からも尊重されるというものであったと思います。
この2年半の間に社会は様変わりし、山一・拓銀の倒産以来、終身雇用は終止符を告げ、大リストラ時代に突入しているように思います。友人達の言葉で言えば「ルールが変わった」ということのようです。年功序列から年棒制への移行、これを強く感じました。また実際に会社を移っている友人の多いのには驚きました。話を聞きますと若い人の意識も変化しているようで正社員になり一生勤め上げようという意識は希薄となり、嫌なら、もしくは他にやりたい事があるとさっさと辞めて行くということでした。
訪日している間にも日産の大リストラ、住友・さくらの合併とビックニュースがありましたが、まず「これにより何人をリストラする」という話が出て、それを歓迎して株価が上がるというようなことのようですが何か割り切れないものを感じます。実際に雇用の調整が行われるのは、今まで計画を発表した会社でもこれから数年ということですので、雇用の問題、要するに実際の首切は「いよいよこれから」という事なのでしょう。景気は上向きという事で株式市場は活況を呈し、証券会社の鼻息は荒いようですが、雇用無き景気の向上というのが本当に可能なのかこれから注目して行きたいと思います。
08・女子高生に関して(99年11月05日)
2年半ぶりに訪日して、久しぶりに街を歩き一番目に付くのは「女子高生」でした。この何年間か週刊誌に面白、おかしく書かれて来ました。援助交際などはその一つでしょう。外国に住んでいて「まあ週刊誌などに書かれているのは極端な例なのだろう」と思っていましたが、訪日し実際に街を歩いてみますと「ケバイ」女子高生が大挙して闊歩しており、オヤオヤと感じました。
実際に観察してみると、まず手には携帯を持ち、お化粧がきつく、スカートは極端に短く、髪を染めているというもので2年半前までは居ることに居ましたが、まだここまでおおっぴらでは無かったのに!!と驚きました。この間に学校でもうこれらの事象を止めることが出来なくなったのでしょう。
ケバさにはとにかく驚くばかりです。見ていると純潔とか純粋とかという言葉とは正反対の雰囲気です。電車の中で堂々とお化粧をし、一体彼女らの本業は何なのだろうと考えてしまいます。これは想像ですが家庭では親達が、また学校では先生達が何も言えずまるで腫れ物に触るように扱っているのでは無いでしょうか?事勿れ主義で、本当の教育が学校で為されていないのでは?等と考えてしまいます。
吉祥寺の伊勢丹の前(繁華街)である女子高生がミニスカートの制服を着て、ケバい化粧をしてあぐらをかき(勿論パンツは丸見え)タバコを吸っている姿を見掛けました。一番驚いたのはその前を多くの人が通行するのです、ほとんどの人は無関心、要するにいつも見慣れている風景なのでしょうか?
この人達がこれからの日本を背負って行くと思うと何だか将来が怪しく見えてしまいます。親達は終身雇用を信じ、日本株式会社の中で一所懸命に働き、日本の奇跡的な成長を支えて来たのですが、現在リストラなどでその価値観が揺らいで来ており、その影響を強く受けて刹那的な考え方に陥っているのでしょう。昔南米に最初に来た時にはラテンの女性達は情熱的で化粧が濃いので女性達が皆、夜の商売の人達に見えたものですが、今回パラグアイに戻ってみますと日本でケバい女子高生を沢山見たお陰で非常に清潔・清純に見えてしまいます。皆表情が素直で表情に屈託が無く当地の女子高生を見ているとほっとすると同時に改めて日本の女子高生が異常に思えてしまうのです。
なお、女子高の事情に関しては英語教師が作成した女子校・通信に詳しいのでこちらをご覧下さい。
09・野球(2001年08月15日)
今回の訪日で地下鉄の中で「巨人戦」の宣伝を多く見掛けた。巨人戦のチケットのプロモーションのようであった。以前ですと巨人戦のチケットと言えば「プラチナ・チケット」、なかなか手に入るものでは無いというようなイメージですが、どうやら時代は変わったようです。
何時も訪日して夜、時間があるとテレビで野球を観るのですが、今回は朝に大リーグを見るのが日課になってしまいました。NHK衛星放送で毎日のように「シアトル・マリナーズ」の試合を中継で放映している。勿論お目当てはイチロー選手、ですが野球自体が面白い。ダイナミックで力の対決を感じる。観客もとても観戦上手で一緒に盛り上げて行く。日本の野球の場合には私設応援団という他の観客には迷惑を掛けているだけという存在がありますが、そのような目障りなものも無く、野球を楽しめる環境があるように見えます。そして野球は「打って行く」ものという基本があるように思います。ストライクに向かって行く、これがあるように思います。
イチロー選手がシアトルに移って以来、テレビで観る機会が増えたという皮肉な現実があるようです。日本のプロ野球中継と言いますと巨人だけ、それも最初と最後が無い中だるみ中継、それが当たり前になっていた。当然イチロー選手を見る機会と言えばプロ野球ニュースで、それも活躍した時だけ、普段どのように投手と対戦しているのか等、ほとんど知られていなかったのではないかと思います。それが迫力満点の大リーグで1番打者として登場、数日見ているとバットコントールのすばらしさに見惚れてしまいました。日本から出て行ってからテレビで観る機会が増えるという皮肉な事になってしまっている。
一方の夜の巨人中継、どうしても朝に観たマリナーズと比較して観てしまいます。どうも迫力、もっと言えばハングリーみたいな物が感じられない。真剣にやっているのでしょうが、観ていて、それが伝わって来ない。そしてセリーグの順位表、これがさっぱり理解出来ない、ヤクルトの方が勝っていると思うのに巨人が首位という。
これを見ていると日本のプロ野球は危機にあるのでは?と思ってしまいます。抜本的な改革が無いと、大リーグという本物のコンテンツに圧倒され、衰退するのではないでしょうか?巨人中心の野球から球界全体の利益を図るべきなのでしょう。ただ、現在の状況を見ているとそのような方向には進まないように見えますが・・。個人的な意見として具体的に思いつくのは、セパ交流試合の実施、野球中継の完全中継、セパ両リーグ2球団づつ増やして北海道、東北、四国・中国、九州に新たに4球団を新設する事などです。
10・札仙広福 (2001年06月15日)
日本の雑誌などを見ていると「札仙広福」なる単語を目にします。札幌、仙台、広島、福岡の4都市を指す言葉で、ここが近年、急速に発展しているというのです。日本の大都市圏と言いますと、東京・横浜・千葉等を核とした首都圏、名古屋を中心とする中京圏、大阪、京都、神戸を核とする関西圏がありますが、これに加えてこの4都市を中心にした地域が力を付けて来ているというのです。仙台は学生時代に住んでいたのですが、2年前訪問した際に驚く程変貌しており、大都会になっていました。今回は西の広島と福岡を訪問してみました。
福岡を訪問して感じたのは、日本の西の端にある九州の地方都市からアジアの東の方に位置する中核都市へ変貌しようとする意識があるという事です。人々の目が西や北に向いている、そんな感じです。以前の福岡とは全く違う大都市に変化しているように見えました。そして広島、この街の発展には驚きました。以前来た時には大体西広島駅辺りで住宅が終わりそれからは牧歌的な風景になったものですが、そこから宮島までの発展には少々驚きました。この区間は広島電鉄とJRが平行して走っているのですが、JRにも新駅が幾つか出来ており、住宅がびっしりと建っていました。市街地は以前と比較しても大いに発展しており、広島駅から広島球場辺りまで広島電鉄の路面電車で行きましたが、「大都会」なのには驚きました。半世紀程前に原爆が投下された街という事が信じられないという感じです。
日本が今後発展するのにはバランスの取れた国土開発が不可欠であると思います。既存の三大都市圏から大都市圏がこの札仙広福を加えた7つに増える事は非常に良い事であるように思います。特に北(ロシア)を意識した札幌と西を意識した福岡が日本の枠を越えた国際都市に発展して行くのでしょう。国家の戦略としても大切だと思います。
11・ユニバーサル・スタジオ(2001年06月05日)
新物好きの作者は早速この3月に開業した「ユニバーサル・スタジオ」なるテーマ・パークに出掛けてみました。東京から新幹線で新大阪、大阪駅まで一駅乗り、そこからJR直通電車で僅か10分少々でユニバーサル・スタジオなる駅に着きました。パラグアイから出掛けて来た人というのはまだほとんど居ないでしょうね。関西の友人・知人に尋ねても「まだかなり混んでいるようなのでもう少し時間が経ってから行く」とのこと、ほとんど行ったという人にお目に掛かりませんでした。しかしながら実際に行ってみますと平日にもかかわらず人の波でした。入場を制限しているそうで、週末は既に予約で一杯になっており、フリーでは入れないとのこと、すごいですね。
大阪の起爆剤として期待を集めているこのテーマパーク、改めてその立地の良さに感心しました。本当に中心街から近い、東京を朝出て午前中にはもうテーマパークに入れるというのは魅力であると思います。ディズニーとよく比較されますが、こちらは元々は映画の撮影所が発展して出来たテーマパークですので、ショーや撮影の現場を見に行くという感じです。アトラクションに乗って楽しむというディズニーとは違った印象を持ちました。ショーなどは観客席が大きく取られており、一度にかなりの人数が入れますのでそれほど待たずに入る事が出来ますが、数箇所しかない、アトラクションには数時間待ちの行列が出来ていました。ただし、1回だけは「特急券」をもらう事が出来、指定された時間に行けば待たずに入れる仕組みになっていました。
総じて言えば、それなりに楽しめますが、余りにも入場者が多いので相当作戦を立てて見物する必要があるということと、小さい子供(幼児達)には余り面白くは無いように思えました。テーマパークであり、遊園地では無いという印象です。街は良く出来ていて散歩するには良いのかも知れません。大阪に住んでいるのであれば1年パスを買って散歩に通うというのも手かも知れませんね。まだ使っていない施設という場所も多く今後次第に充実させて行くのでしょう。大阪観光の核となるのは間違いないように思います。
12・ミニ・バブル(2001年06月05日)
日本を訪問してまず感じたのは見た目の景気の良さです。エコノミスト誌(毎日新聞社)等、日本から発信される情報を見ている限りでは日本は大変な不況という事になっているのですが、実際に日本を訪問してみますと全く反対、これには驚きました。どう見ても景気が良いとしか思えません。どこに行っても沢山の人が居、デパートを始め繁華街の商店も多くの買物客で賑わっている。レストランも一杯人が居る・・これは意外でした。特に若い人がどこにでも多く居るのには驚きました。バブルの時期に計画されたプロジェクトが完成したのでしょう、10年前と比較しますとどこも整備が進みより綺麗になっているように見えます。デパート等にも人が沢山おり、特に食品売り場は活況を呈していました。そして小泉内閣になり、政治に対する閉塞感が期待感に変わって明るい気分になっている。
不況の影はあちこちにあるようですが、どうもまだ一般の市民にまで届いていないのかも知れません。確かに多くの給与所得者にとってデフレ気味という事は給与は余り変わらないでしょうから、実質的には使えるお金が増える?のかも知れません、特に職に就いている若いサラリーマン、OLに取っては良い時代なのかも知れません。
ただ不況は確実に忍び寄っているようにも思います。まず中高年の姿がアフター5にほとんど見かけないようになった気がします。若い人と熟年は居るのですが、社会の主人公たる40代、50代の姿を余り見かけませんでした。色々な場所に行きましたが元気が良いのは老人と若い人、中年はどこに行ったのか?という感じでした。唯一中高年を数多く見たのは昼休みのコンビニ、そして300円の牛丼チェーンなど、多くの中高年のサラリーマンがコンビニに安い弁当を買いに来る姿でした。学生と同様に中高年サラリーマンはお金が余り無いのかも知れないですね。
日本の経済は不良債権、財政の不健全化等大きな問題を抱えたままになっています。リストラ、企業の合併等の形で多少は顕在化していますが、この影響が出て来て社会に影響が出るのにはまだ時間があるのかも知れません。大きな影響が出る前に見える形で「構造改革」を断行して欲しいものですね、残された時間は余り無いように思います。
13・南米-日本線 (2003年 8月23日)
南米から日本まで飛行機を利用して行く場合には、一般的には南米のハブ空港であるサンパウロに出て、東京・名古屋まで飛んでいる直行便を利用する事になります。バリグ・ブラジル航空並びに日本航空を合わせますと毎日日本に向けて直行便が飛んでいます。今回は日本航空便を利用して訪日しましたので、経由地はニューヨークでした。あの9・11テロ事件以来、米国は飛行機テロを非常に警戒しており、トランジットの客に対しても相当厳重な検査を実施していました。飛行機が空港に到着しますと全員下ろされて、ボディーチェックは勿論、靴を脱がされての検査も行われます。以前は飛行機に乗ったまま待機すれば良いという優雅な時代もありましたが、今は昔という感じです。
査証を持っている人、もしくは日本国籍所有者のように査証免除で米国に入国出来る人は比較的簡単でした。それでも荷物を持って空港を歩かされ、外へ出て再度チェックイン、そして入国検査を行います。当然ですが、英語で色々と質問されるのですが、多くの方はそれ程は英語に慣れておらず、時間はかなりかかりました。査証を持っていない人、具体的にはブラジルをはじめとする南米国籍の人、韓国人等はもっと厳重なチェックが為されているようで、その人達のパスポートは預かりになって再搭乗の時に返却されていました。乗客への対応は悪く、まるで犯人探しのようで、非常に不快であり、不必要であるとも思います。
南米サンパウロと東京・名古屋はほぼ地球の反対側に在るので、本来は世界のどこを経由しても同じくらいの時間で行く事が出来るのです。何も北米を経由する必要はありません。米国は戦後、航空運賃のルールを定める際に世界を3つの地域に分け、それをまたぐと料金が高くなるようにし、米国を通過するように仕向けたのです。その為に南米-日本線は北米を通過する事になったという訳です。自国の利益は全てに優先、そして自国のルールは世界のルールという考えの米国としては事情が変わればトランジットで通過する乗客に迷惑や不快があっても当然従うべきであるという意識なのでしょう。
帰途再度ニューヨークを通過しました。通過する数日前にテロの予告があったのか検査は更に厳重になっていました。行きは査証が必要な人達はチェックは厳しく時間はかかっても、とにかくも乗客は一緒に行動していました。帰りは査証の無い人、特に南米の人はどこか別の場所に連れて行かれ相当厳しい検査が為されたようです。飛行機に再搭乗し着席して、サンパウロに飛び立つのを待っていましたが、予定時刻になっても飛び立つ様子はありませんでした。機内放送で状況が説明されたのですが、「ブラジル国籍の乗客の数名が未だに米国のチェックを終わっておらず、飛行機に戻っていない為」との事でした。飛行機はかなりの遅れでニューヨークを出発しました。
この10月からは更に厳しくなるという話を聞いています。米国を通過するトランジットの客でも査証が必要になるという噂もあります。アスンシオンの米国大使館は毎朝、査証を申請する長い列が出来ています。査証をもらうには犯罪者のような尋問を受け、色々な書類を準備する必要があります。米国に行きたいわけでは無く、日本やアジア諸国に旅行する人達にまであの苦労を義務付ける訳で、どうも納得が出来ません。運賃体系が崩れつつある昨今、何も米国を通過しなくも良いという機運は高まる事でしょう、近い将来、北米経由に対抗して欧州経由の直行便が就航する可能性があると思います。実際にサンパウロの大手旅行会社ツニブラでは以下のような宣伝を行っています。
ツニブラ ニュース:訪日をご希望のブラジル国籍の方々、アメリカ通過に入国査証が義務づけられ、大きな壁になっておりますが、本日から有効の
VARIG と全日空のコンビでのヨーロッパ経由の特別運賃をお知らせ致します。
出発空港 =
リオ、サンパウロ VARIG航空のフライト
経由地 = フランクフルト、ロンドン、パリー から全日空のフライト
到着空港
= 成田、名古屋、大阪
運賃 = 往復 Y・クラスのみ 予約コード=QPXAT
航空券価格 ツニブラ販売価格
US$1,842.00
US$1,640.00
ヨーロッパ/日本間は非常に混んでおりますので、予約は早めにお手配をお勧めいたします。
ワンストップするにも米国よりも欧州の方が面白そうに思います。日本-欧州、欧州-南米間もかなりの便数が飛んでいるので、欧州経由の直行便を実現して欲しいものですね。
14・ミニバブル (2003年 8月15日)
日本は構造改革が叫ばれる中、何も変わらずに問題を先送りにして来ました。日本を取り巻く外的な環境は年々厳しさを増し、日本製品の国際競争力、日本経済の相対的な地位も低下の一途にあります。国家の財政破綻が迫っており、このまま放置しますと世界の中で日本は取り残される事は間違いない様に思います。しかしながら日本の政治の動きなどを見ておりますと何とも緩慢であり、危機感が感じられず不思議に思っていました。今回日本、主に東京に滞在して普通の日本人として短い期間でしたが、寝起きをし生活をしてみますと、「普通の日本人は危機感は感じていないだろう」と実感し、国民からも強烈なアピールは起き得ないし、これでは政治が反応しないの当然のように思いました。
実際に東京を歩いてみますと2年間で大きく変貌し、丸の内をはじめ品川、新橋、六本木と新しい大型のビルが立ち並び、ウォーターフロントには高層マンションが林立していました。六本木から東を見ますと大きなビルの中に懐かしい、最初の高層ビルとして建設された「霞ヶ関ビル」が大きなビルに囲まれ小さく見えました。そして街のあちらこちらでなおも新しい大型ビルが建設中であり、「多くの中堅建設会社が倒産する程の建設不況にある」と言われても俄かには信じる事は出来ませんでした。
新宿、渋谷、吉祥寺と東京の幾つかの繁華街を歩いてみますといつ行ってもどこも人で一杯、お店も一杯で品揃えは豊富で、品物はどんどんと売れているように見え、各種のレストランはグルメを競い、世界の本格的な味を楽しめるようになっていました。街の雰囲気は華やかであり、90年頃のバブルの時期と変わらない、いやそれ以上という雰囲気です。外から来た人にこれで不況というのを信じろというのが無理のように見えました。
ここに生きていると90年代、失われた10年以降叫ばれている構造不況に直接関係の無い場合には生活に大きな変化も無く、物価も下がり気味であり、むしろ生活はより便利に快適になっている。「明日も多分今日と同様に在り、このまま進んでも何とかなる、問題はその内に誰かが解決するか自然に消えてなくなるだろう」と思ってしまう事でしょう。所詮は他人事であり、小泉首相が声高に改革を叫んでも国民の方が本当は生活が激変するような大きな変革など望んでいないのかも知れません。構造改革を支持している人達も総論賛成、各論反対で、皆さん自分に関係無い所で進めて欲しいと思っているのでしょう。自民党の総裁選挙を前に従来型の公共工事など大型の財政出動を唱える候補にある程度支持が集まるのを見ていると国の財政を本気で考えている人は実際には少ないのではないかと心配になって来ます。
ただ、個々のケースを見ますと事業が破綻した人、会社をリストラされた人、会社が破綻し更生会社となり給与などが大幅に下がった人など、不況の荒波に飲み込まれている人も多いのも事実なのでしょう。中央線を利用していますと毎日のように夕方電車に遅れが生じていました。理由は「人身事故」、要するに電車への飛込みが頻発しているのでしょう。不況の波は国民皆に均等に降掛かっているのでは無く、多分特定の人を強烈に巻き込んでいるのでしょう。貧富の差も確実に広がっているように見えます。現在目にする繁栄は実は歪なものなのではないかと考え込んでしまいました。
日本の財政が危機的な状況にあり、銀行などの金融システムも崩壊一歩手前の状況にあります。りそな銀行のケースのようにそれらの問題が表面化しそうになると何とか策を講じて対処し、取り繕って来ました。皆は「2兆円の公的資金が投じられてもそれで直接負担を強いられる訳ではないし、金融システムが保たれ、株価が上がり景気が上向くのであればそれで良いのでは」と思っているのでしょう。毎晩飲み屋に行ってツケで飲んでご機嫌で帰宅し明日もまた飲みに行こうと考えているオヤジのようなものです。溜まりに溜まったツケが最後にどのような形で出て来るのか注目しています。
15・銀行の名称 (2003年 8月15日)
久しぶりに訪日してまず出掛けるのは銀行です。数年間そのままにしており、支払い・入金等のデータを更新する必要があります。今日までずっと利用している銀行口座は日本でサラリーマンをしていた際、入社した時に半ば強制的に給与振り込用として作成したものです。当時、会社は渋谷にあり、口座の所在地は勤務していた会社のメインバンクの渋谷支店で、当時のメインバンクの名前は「協和銀行」、通帳とカードが渡されました。2年前に渋谷に行きこの同じ場所を訪問しますと名称が「あさひ銀行」となっていました。(その前は確か埼玉協和銀行であった。)通帳を作り変え、新しい通帳は「あさひ銀行」そしてカードは「協和銀行」となっておりました。そして今回はこの協和銀行のカードを紛失し、カードの再発行を申請しに行ったのですが、同じ場所に行きますと今度は「りそな銀行」になっていました。
この「りそな銀行・渋谷支店」で「あさひ銀行」の通帳を見せ、「協和銀行」のカードの紛失の届けを行い、再発行手続きを行いました。実は数ヶ月前に報道されていた「りそな銀行」の危機に関してはパラグアイで聞いていたのですが、全くの他人事に思っていたのです。この時初めて自分も預金者であり、当事者の一人である事を認識したのです。自分の番を待っていますと後ろで年配のご夫婦が話をしており、「元の富士銀行はここだっけ?」「いや富士は今はみずほ銀行だろう」「東洋信託は?」「東京三菱になったろう」などと話をしております。この数年間の銀行の再編成の動きが余りに激しく日本に住んでいる方もよく理解は出来ていないようです。自分の番になり、りそな銀行のカードを作る手続きをしました。次回来る時にはこの銀行がどのような名称になっているのか楽しみでもあります。
数年間でこれだけの変動があったのですから、みずほ銀行や中央三井信託銀行の危機が叫ばれる中、これからも統合・合併などが行われ名称もまだまだ変化して行くのでしょう。銀行を出て「確か東洋信託はUFJ銀行になったのでは?あのご夫婦は大丈夫かな?」と考えながらおりました。各銀行はそれぞれ看板にここは「元○○銀行」と旧名を記しておく必要があるように思います。最寄の調布駅に戻り駅前に小さな店舗で「三井住友銀行」が営業をしているのを見て、「あれここは元々は確か何か相互銀行だった??住友銀行が救済したのだっけ??確か元々は平和相互銀行?」と考え込んでしまいました。地元の事でさえ元々何であったのか分からなくなってしまいました。(後で確認したところ、この場所は元々は平和相互で、住友そして三井住友になった。)通帳を持っていてもしばらく経つとどこの銀行に行けば良いのか分からない事態になってしまうでしょう。
銀行は自分たちの都合で無責任にコロコロと名前を変えるだけでは無く、顧客に分かる説明を掲げるべきであると思います。例えば三井住友銀行であれば、「三井住友銀行(英名は何故か反対に「SUMITOMO-MITSUI
BANK」:元さくら銀行・元住友銀行・元太陽神戸三井銀行・元三井銀行・元太陽神戸銀行・元太陽銀行・元神戸銀行・元平和相互銀行・元わかしお銀行(現在の存続会社:破綻した元・太平洋銀行を受け継いだ)、元・帝国銀行、元・大阪銀行、その他もろもろ・・なお、元三井信託銀行は含まれておりません、住友信託銀行は現在も別にあります。また、みなと銀行(元・兵庫銀行が破綻して名前を変えた元・みどり銀行と元・阪神銀行が合併して出来た銀行)はグループです。」くらいの看板を掛けて欲しいものですね。

(写真:りそな銀行・渋谷支店)
16・服装が地味に (2003年 8月15日)
前回訪日した時と比べて特に女性の服装が地味になったように思います。2年前には新宿には顔を黒くして高いサンダルをはいたガングロなる奇抜な服装をした女性が闊歩していましたが、そのような人達は姿を消していました。確かに渋谷、道玄坂下の109の前で見ていますと妙な格好をした女性が多く通って行きましたが、そのような特定の一部の場所を除く普通の場所では女性の服装がかなり地味に実用的になったように思います。特に驚いたのはスカートが減ったという事です。世界の主な都市で東京ほどスカートの女性が目立つ都市は無いと思っていたのですが、東京も世界標準くらいズボン(パンツというのが正確なのでしょうが)の人が増えたように見えます。日曜日、新宿で見ていますと9割がパンツスタイルという感じでした。会社にもズボンで出掛ける人が増えているように見えます。新宿辺りでもカジュアルと言いますか普段着で歩いているという印象を持ちました。流行というものがが無くなったのかも知れません。そう言えば流行歌というのもいつのまにか消え失せてしまったようですね。
戦後一貫し、数年前まで、社会の価値観として若い人の目標は「良い大学に入学する事」にあったように思います。東大を始めとする旧帝大、私立では早慶などの一流と目される大学に入学するのが良いとされ、大学入試まではとにかく頑張り、大学生になると途端に勉強せず遊んでばかり居るという話をよく耳にしました。その後は卒業大学のネームバリューが効き、余り大学時代に勉強していなくても良い会社に就職が出来たようです。
その価値観が崩れた後に若者達は目標を持てずにおり、2年前に感じた社会の風俗の乱れはそれが原因であったように思います。本来であれば、少子化で少ない若者は引き手あまた、歓迎される社会になるはずですが、経済の停滞、中高年層の相対的な増加等の要因があり、若者を取り巻く環境は厳しいものがあります。成長の望めないこれからの社会で生きて行くには漠然として存在していた「良い大学に行けば良い」だけでは駄目で自分自身を絶えず磨くしか無い事を悟り、自覚した生き方を始めたからのように思います。2年間で若者が特に高校生が礼儀正しく普通になった、真剣に生きている人たちが増えているように思います。ターゲットが大学入学からその先の人生を見据えてより先に設定されて来ているように見えます。この点はたのもしく、若い層には大いに期待したいと思います。
その中でサラリーマンの多くは未だにどぶねずみ色の背広姿で、時代に取り残されて来ているようにも見えます。一部の会社では夏の間はノーネクタイかつカジュアルなスタイルでの勤務を奨励しているようですが、まだまだ一般的に認知されているとは言えず、時間がかかりそうに見えます。しかしながらこれも崩れれば変化は早いかも知れません。社会の変化の様子からしますと数年先にはネクタイ背広は街から姿を消すことになるでしょうね。
17・テレビ (2003年 8月23日)
訪日しての楽しみと言いますと前回までですとテレビを観る事がその一つでした。最近はパラグアイでもNHKを観る事が可能となり、訪日した時にテレビを見たいという願望はそれほどでは無くなり、以前ほどは観ないと思っていましたが、実際には観るのはスポーツ中継くらいで後はほとんど観る事はありませんでした。特に民放を観る機会が減りました。民放の番組はどれも同じような感じであり、興味をひくようなものが少なかったように思います。
まず時代劇が減ったように思います。以前ですと銭形、鬼平、暴れん坊将軍等、人気の時代劇がありましたが、今回番組表を見ていて目に付いたのは水戸黄門だけでした。ドラマに関しては以前からある程度そうですが、嘘臭い、現実離れしている舞台設定で、これもほとんど観る気は起きませんでした。バラエティーに関しては一層白痴化が進んでいるようで、大げさに騒いでいるだけで、どれも似たような感じで、こちらもほとんど観る気が起きませんでした。クイズも知識を問うというのは人気が無いようで、奇をてれうもの、意外性を売りにするものが多いように見えました。
ドキュメンタリー等の社会的な番組も減っており、手間やお金を掛けずにお手軽に制作している番組が多いように感じました。ニュースに関してもどことなく歯切れが悪い。滞在中にも朝鮮問題の深刻化、イラク治安情勢の悪化と自衛隊派遣法案、中学生による小学生殺人事件、小学生拉致事件等、様々なニュースがありますが、テレビでは放送出来る範囲が限られているので、どうも分かり難い、このような時にはインターネット、例えば「2チャンネル」等を見た方がより詳細に情報があるように思います。
インターネットの高速化、そしてその普及で、WINMX等の交換ソフトを利用すれば封切前の映画まで観る事が出来る時代になっています。またDVDのタイトルは確実に増加しており、また価格が下がっており、貸しDVDの店も増えています。街の書店で見ていますとDVDのコピーのノーハウ本が積み上がっていました、既にDVDを借りてコピーする時代になっているのでしょう。これらは違法なのでしょうが、個人で利用する分には誰に迷惑がかかるわけではないし、取締りのしようも無いのでこの傾向は今後も強まるのでしょう。
また現在、デジタル化が進んでいますが、衛星放送やデジタル化が進みますとテレビは東京に1局あればよくなり、地方局は不要という事態になるなる事でしょう。そしてインターネットが進化すれば高速動画を発信する事が容易になる事でしょう。現在は個人発信はこのサイトような文章と画像が中心ですが、これが簡単に動画を発信する事が出来るという事になればテレビとの差別化は難しくなり、基本的には同じという事になるでしょうし、技術的にはさほど困難な事は無いのでその時代はすぐ近くまで来ているように思います。その時には民放の番組もインターネットで観る事が出来るようになってしまうでしょう。もしそのような時代になれば、凝り性の日本人、様々な個人放送局が出来る事になるでしょう。そのような時代に現在のテレビはどのような形態になっているのでしょうか?音声電話のようにインターネットの中の1コンテンツとなってしまうのでしょうか?
18・漫画喫茶そしてインターネットについて (2003年 8月16日)
今回の訪日で一番気にった場所は漫画喫茶です。2年前に訪日して時にはインターネットは電気店の店先を利用しておりましたが、今回の訪日でインターネットは専らこの漫画喫茶を利用しました。知り合いに「インターネットを利用したいのだが、どこへ行けば良いのか?」と聞きますと即座に「漫画喫茶」という答えが返って来ました。前回訪日した際にも既に漫画喫茶というのは存在していましたが、それはあくまで漫画を読みふける場所というイメージであり、インターネットをする場所ではありませんでした。
新宿で漫画喫茶なるものを探してみますと直ぐに見つかりました。3丁目へ向かう紀伊国屋書店の横に大型の漫画喫茶があり、早速中に入ってみました。料金は一時間380円、飲み物は確か100円増しであったと思います。東京は何でも高く、普通の喫茶店でコーヒーでも飲むと直ぐに500円ですからこれは割安ですね。ただ料金体系で1時間を越えると延長料金は何故か割高に設定されていました。料金表を見ますと「1時間」「3時間」「深夜」「食事付き」等などがありました。とにかくメールの送受信をして冷たい飲み物を飲んで500円足らずで東京のど真ん中で一時間過ごせる、これは魅力です。
中に入って驚いたのは漫画+インターネット+DVDと3つのものが楽しめるようになっている事でした。周囲を見渡しますとインターネットを利用している人が半分くらい、後は漫画を読んでいる人、DVDを見ている人、そして寝ている人も目立ちました。料金表に一晩過ごせる「深夜」というのがありますが、確かに深夜どこかホテルに宿泊するのであればこの漫画喫茶で過ごせば良いなあ・・などと考えましたね。これでシャワー室があれば完璧です、住んでしまう人も出て来るでしょうね。一時間コースで入店したのですが、インターネットをしていると想像しているよりかなり短く感じ、メールを読み込み返事を出したらハイおしまいという感じでした。
またここで初めて高速のインターネットを体験したのですが、その速さは想像以上のものがありました。IT後進国であるパラグアイ、何時になったらこのような高速のインターネットが利用出来るようになるのでしょう?高速のインターネットが一般化し、多くの人が色々と使い方を模索しているようにも見えました。対戦ゲームに利用する、ファイル交換で音楽や映画を得るという使い方から、余暇と知識を駆使して実利になる、何とかお金になるものを探しているように見えました。現在はオークションが流行していますが、そこから進んで多くの人が株式投資に転じているのではないかと想像しています。日本の現状についてはミニバブル的なイメージを持って見ていますが、インターネットを通じてゲーム感覚で小金を株式に投資している人が多くなり、株高に繋がっているように思います。株価の瞬時の情報を正確に得る事が出来るインターネットは株投資には格好のツールでしょう。もしこの傾向が強まれば今回の株高は案外長期にわたり続くことになるでしょう。エコノミストの想像を超える相場まで押し上げるかも知れませんし、市場の揮発性は高くなり、一旦下げ相場になった時には下げを加速させる恐れもあると思います。日本の人達がこれからインターネットの新たな利用法を開拓して行くのか注目しています。
パラグアイに住んでいて思うのは暇な時に行く場所が無いという事です。このような漫画喫茶のような場所があれば、内容は若干変えて、パラグアイの事情に合わせたものにしたら、少々裕福な若者が楽しめるスポットとなり、案外当たるのかも知れませんね。
19・書店 (2003年 8月29日)
訪日しての楽しみと言いますと書店巡りがあります。沢山の本を自由に手に取れ選べるというのは本当に楽しい事であると思います。今回も数回書店に行きましたが、売り場にどうも以前のような活気が無いように思いました。ごく普通の書物が一段と減り、雑誌のような本と文庫そして漫画が非常に増えたように見えます。字も大きくなり本の内容が軽くうすっぺらになっているように思います。
漫画については紐で結んで中を見る事が出来ないようにしている書店と立ち読み自由にしている書店とがありました。立ち読み自由にしますと学生など若い人達が多く集まり人は多くはなるのですが、その割りに買って行く人は少ないように見えました。立ち読みを出来なくしますと人は来ず、漫画を並べている大きな売り場が閑散とした感じになってしまうようです。
前回と比較しても欲しいと思う本が少なくなってしまったように思います。これは外国から来た当方のようなものだけでは無く、どうも一般的な傾向のように見えます。まず相対的に本が高くなった。文庫本化が進んだ。漫画に人気が集まっている。インターネットで多くの情報を得る事が出来るようになり、本を買う必要性が減少した。携帯電話等にお金を使って本を買わなくなった。図書館が充実して書店より図書館に行くようになった、アマゾン・コムのようにインターネットで本が買えるようになった等色々な原因が考えられます。それだけでは無く、どうも若い人を中心に活字離れが進んでいるのではないかと疑っています。電車に乗っていて注意して見ておりますと、以前でしたら、本や活字中心の雑誌を読んでいる人が結構居たのですが、今回は漫画に熱中している人がより増えたように見えます。
出版不況と言われていますが、事態は非常に深刻であるように思います。それぞれの個人は自分の使える言語で情報を得ている訳で、どの言語を使いこなせているのかで知識・教養のレベルがある程度決められてしまうと思います。世界の情報の中で英語の情報が一番でしょうが、今までは次は日本語であると思っていました。それが情報の質が落ちる事により、日本人全体の知識・教養のレベルが下落してしまう恐れがあるように思っています。
しかしながら、コンピュータの発達で後15年くらいの間にはかなり正確に各言語の翻訳が可能になるという話があります。そのような時代になれば、瞬時に理解が十分可能な文章に翻訳が出来るようにり、世界の主要言語を一つ完全に理解出来る人は世界の情報を得る事が可能になる訳です。そのような時代になれば外国語の学習に時間を割くよりも自国語をより完全なものにする事が求められるようになるのでしょう。
20・野球とサッカー(2003年 8月22日)
昨年、日本と韓国でサッカーのワールドカップが開催され、その後の日本でどの程度サッカーが人気を保っているのか興味がありましたが、どうも実際には一般的には依然として野球の方が人気が高いようでサッカーは低迷しているように見えました。スポーツニュースでも野球の方が断然取り上げられています。特に松井選手がヤンキースに入った事で米国大リーグの情報も増えて、阪神の快進撃と相まって野球の人気は大変なものに見えました。
サッカーと野球を観戦して思うのですが、サッカーの場合には高いレベルの試合、例えば昨年のワールド杯のような試合であれば非常に見ごたえがあるのですが、例えば素人の試合であると観ていてもそれ程面白くない競技であるように思います。と言いますのはプレーがストレートであり、選手の実力が一見するだけで分かるからでしょう。これに対して野球は勿論大リーグの試合も面白いのですが、結構素人の試合も観ていても楽しめるように思うのです。一球毎に駆け引きがあり、心理ゲームの要素があるからだと思います。サッカーは時間が限られているスポーツであり、ある程度差が開けば逆転はなかなか難しいのですが、野球は9回戦うゲームであり、最後まで逆転の可能性があるスポーツで、インターバルが長く試合時間のほとんどはプレーは止まっています。この文化の差は大きく容易には越えられないように思います。
今年は特に阪神の快進撃と松井選手の大リーグ入りという事でどこに行っても野球の話題ばかりでした。常に最下位を争っていた人気チームの突然の変身は閉塞感のある生活の潤いになっているのでしょう、俄か阪神ファンも多いように見えます。そして大リーグ、一流の野手がイチローと松井の二人になった事で取り上げられる時間もかなり長くなっているように見えます。また朝に大リーグの試合を中継する事が多くなり、時間があり、野球の好きな人は朝は大リーグ、夜は日本のプロ野球という楽しみ方をしている事でしょう。それにしても今年の阪神の人気は一種の流行のような感があります。駄目軍団が有能な指導者を得て目的に向かい変身して達成するというのは今の日本にはうけるのでしょうね。
ただ気になるのはパリーグには余り関心が払われていないという事です、関東では中継もほとんどありませんでした。阪神や巨人の控え選手の名前を知っていてもパリーグ、特に下位球団のレギュラーは知らないという人が多いのではないでしょうか?両リーグで人気の差が歴然とあり、それが給与の差になり、最近は実力でも差が出始めているように感じます。パリーグの人気が落ちればプロ野球全体の危機に繋がると思うのですが余り危機感は感じられません。また大リーグの日本人選手の活躍で巨人、阪神を中心をするセリーグと言えどもヤンキース等の大リーグの前では所詮はローカルリーグである事がばれてしまいました。今年は予想外の阪神の大躍進で何とか人気を集めていますが、プロ野球全体が力を合わせて行かないと将来にわたり引き続き人気を保つのは難しいと思いますが如何でしょう。
サッカーの場合にはより深刻であるように思います。ワールドカップを契機に日本中にかなり立派な競技場が出来ていますが、プロの試合は週に1回、それも本拠地での試合はその半分という状況では、例え試合当たりの観客ではある程度の人数を集められたとしても野球の年間140試合のプロ野球には全く太刀打ちが出来ないと思います。Jリーグのテレビでの取り上げ方も少なく、一部のスタープレヤーやイタリア等で活躍している特定の選手を除いては知名度も格段に落ちると思います。日本全体で見ますとJ1全チームの名称を挙げられる人は本当に一握りの人かも知れません。実家のすぐ近く、歩いて10分程の場所にFC東京とヴェルティ東京が本拠地にしている競技場があるのですが、滞在中プロの試合は数試合で、それ程多くの観客が詰め掛けている風でもありませんでした。Jリーグがプロリーグとして根付いた人気を得るにはまだ努力と工夫が必要なのかも知れませんね。
21・外食 (2003年 8月23日)
旅行に出ますと外食する機会が多くなります。物価の安いパラグアイですと外食するにしても一人10ドル以下の予算でも十分に美味しいものがいただけますが、欧米日ではそうは行きません。特に東京は世界一物価が高いとも言われていますので大変です。外食費をどのように切り詰めるのかが旅行費用全体を抑える鍵になると思います。日本と同程度の物価の米国を旅行しますとある程度安い食べ物となりますと、マクドナルド等のハンバーガー店くらいに限定されてしまいます。少しでも気を緩めますと一人20ドルくらいにはたちまちなってしまいます。外食では苦労します。これに対して日本は物価は高く、コーヒー1杯で500円が普通の世界ですのですので、欧米の感覚でレストランで食事をしますと多分簡単に5千円くらいにはなってしまうでしょう。
日本で外食する場合には外国人には分かり難いでしょうが、コツを知っていると案外安く済ます事が可能です。以前から在る駅の立ち食い蕎麦であれば350円くらいでまずまずの食事が出来ますし、カレーショップ、牛丼店などもあります。松屋という牛丼チェーンでカレーフェスティバルと銘打ち、カレーを出していましたが、500円以下で結構美味しいものを出していました。500円で食事をしようと考えても結構バリエーションがあるので助かります。うどんは「はなまるうどん」なるチェーン店が目立っていました、中に入る機会はありませんでしたが、看板に拠りますと200円から讃岐うどんが食べられるというものでした。マクドナルド、吉野家を中心に価格破壊が進んでいる事は知ってはいましたが、実際には他の食べ物も巻き込んで価格が下がっているように思います。
前回まで一つ不思議であったのはラーメンです。価格破壊が進み、外食も安いものが色々と出ていますが、ラーメンだけはテレビなどのマスコミの為か「ラーメン道」、と言いますか非常に特殊な職人が作る芸術的な食べ物に進化していたようで、値段もそれなりに高く1000円くらいは当たり前という感じになっていました。今回これに変化が出ていました。さすがにラーメンでも例えば「日高屋」なるチェーンが出来ていてこちらは390円という値段で東京の色々な場所にチェーン店を出していました。デフレそして価格破壊に例外は無いようですね。こちらも食べる機会がなかったのは残念でした。
色々な食べ物に対して価格破壊のチェーンが出現していますが、日本人の好きな食べ物の中でまだチェーン化していないものがあります、「うなぎ」です。スーパー等に行きますと安い「中国産」というのが売っていますが余り売れている様子はありません。ある程度の美味しさの「うな丼」チェーンというのは出来ないのでしょうか?
22・コーヒー・お茶 (2003年 9月02日)
東京に滞在して人と待ち合わせをする時、約束の場所に行く際に一呼吸入れる時に喫茶店をよく利用しました。普通の喫茶店ですとメニューの中で一番安いのが「コーヒー」で、それも大体「ブレンド」なる名称で呼ばれる飲み物です。座って休むか人と会って話すのが主な目的で喫茶店に入る事が多いので味の方はそれほどは期待はしていません。コーヒーを注文しますと、味もそっけも無いようなコーヒーを客には全く関心が無いようなアルバイトのおねえちゃんが運んで来ます。最近は砂糖を出さないでシロップが入っている小さなパック、そしてミルクも同じような容器のものが出て来ます。この二つのパックを開き、ブレンドなるものに入れていただきます、これで500円か600円、どうしても納得が行きません。
丸ビルが新しくなったというので訪れ、ちょっと休憩をと思い、喫茶店を探しました。米国を訪問した際によく利用した「スターバック・コーヒー」なる店があり、ここを利用しました。米国よりも小奇麗な店内で普通のコーヒーを飲みましたが、これはまずまずの味がしました。シナモンなど自分で加える事が出来るようになっており、まともなものが飲めたと満足しました。客で一杯でしたが、当然であると思います。
学生時代を過ごした仙台に行った際には喫茶店ではなく、最中屋さんに行き休憩をします。有名な老舗の最中屋さん(白松がモナカ)は市内数ヶ所に支店があり、そこで最中を注文しますと座ってお茶を飲む事が出来ます。大きな最中でも160円、長い時間は迷惑になりますが、この値段で腰を下ろしちょっと休んで美味しいお茶が飲めるのです。モナカも色々ありますが、特にお奨めなのは「胡麻」、香ばしく実に美味しいものです。お土産に東京の羊羹をいただく事がありますが、個人的にはこの「白松が」がモナカ、羊羹とも一番美味しいと思っています。日本は元々「お茶」を飲むのが普通の生活であったと思います。外に出ると無理をして何時もは飲まない、それも余り美味しいとは言えない味気ないコーヒーを飲むのは不思議な事です。東京辺りでも和菓子店はこの「白松が」のようにお菓子をその場でお茶でいただけるようにすれば日本人本来のライフスタイルに合致した休み方になるように思うのですが如何でしょうか?
23・水周り (2003年 9月01日)
日本は長年「うさぎ小屋」等と言う不名誉な名称でその貧弱な住宅を表現して来ましたが、今回は住宅が綺麗になっている事を痛感しました。例えば以前東横線に乗りますと横浜市の旧市街、そうですね、白楽から反町にかけては一面トタン屋根の小さい住宅が密集していて、あの景色を見ますと「横浜に来た」と思ったものです。今回東横線から眺めていますと景色は一変し、瀟洒な住宅と綺麗なマンションになっていました。よく建設業は国内産業で国際競争に晒されていない脆弱な産業のように言われますが、なかなかどうして住宅建設の進歩は目を見張るばかりです。
今回の旅行で特に感心したのは水周りです。(水廻りとも書くようです)小さい時には便所が嫌いでした。当時は「御不浄」等とも呼ばれており、古い家屋ですと臭くて汚い、汲み取り式がまだ多かったので、ポッタンと落ちるとたまには跳ね返りがあったものです。トイレは恐怖そのものでした。いつしか水洗が当たり前になりましたが、以前はまだ和式なるものが多かったように思います。一度洋式で「よいしょ」とゆっくりと座る気持ちの良さを覚えてしまうと和式便所というのは辛いもので、訪日の際にデパートなど外で用をたさなければならない時にはやはり憂鬱な気持ちになっておりました。今回の旅行ではデパート、個人の家でトイレの改造が進んでいるのには驚きました。ほとんどの場所で「全自動式トイレ」という感じでボタンが沢山ついてオシュレットも温水、水量が選択出来る、位置も自由に変える事が出来る、本当にすばらしいものです。
風呂も快適そのものでした。当地パラグアイは風呂文化が未発達であり、シャワーだけという住宅が多く、風呂があったとしても洋式風呂が多くどうも馴染めません。日系の間では風呂に入りたい場合には入植当時はドラム缶を利用したそうですが、現在ではブラジル製の和式の風呂を取り寄せて使う事が行われていますが、中古の住宅の場合には風呂を設置するようには設計されておらず苦労を強いられているのが実情です。日本の風呂は進化しており、温度設定を行えば後は全自動、実に快適です。余り目立ちはしませんが、風呂用具、石鹸、シャンプーの使い手も非常に良いのには感心します。小さな改善を積み重ね厳しい競争を勝ち抜いて来た結果なのでしょう。石鹸は幾つか持って帰って来たほどです。
普段日本の皆さんは日常でなにげなく利用されているトイレと風呂は日本人の努力の結晶であるように思います。そのまま輸出するには習慣が違い過ぎるので難しい面もあるとは思いますが、清潔で気持ちの良い「健康システム」として世界に売り込めるのではないかと思いますが如何でしょうか?
24・自然環境 (2003年 9月01日)
高度成長の時代、重長産業の振興が図られて公害が大きな社会問題となっていました。当時は汚染よりも経済発展という時代で大気や河川がひどく汚れていました。その後「環境」に対する見方が変わり、環境保護が叫ばれるようになり、公害も沈静化して行きました。しかしながら河川、護岸の工事というのはコンクリートブロックなどで固める事が保護であり、景観を保ち、そして保全にも繋がるとされ、日本の河川はほとんどコンクリートブロックで覆われてしまいました。日本のどこに行っても何となく殺風景な景色となっていました。
ここに来て再度その見直しが図れてその効果が出て来ているように感じます。実家の近くに野川という小さな河川があるのですが、ここも以前は護岸はコンクリートブロックで覆われて、雑草も無く整然としていました。勿論河川内には立ち入り禁止でした。それでもこの辺りには都内の中でもまだ自然が残っているとされ、週末にはハイキング客が来ておりました。野川の殺風景なブロックを眺め「日本の河川行政というのはこういうものだ」と半ば諦めておりました。
今回この野川に行きますと河川には雑草が茂り、そこを犬を連れた人が散歩をしている、子供が川に入り水遊びをしている、という光景を目にしました。子供達が小川で遊ぶというのは考えてみますとしごく当然の事なのですが、これが非常に新鮮に見えました。長らくこの川を見ておりましたが、以前は立ち入り禁止であり、そこで遊ぶのは危険であり、不衛生でもあり、以ての外という雰囲気であったように思います。
橋から川を眺めていますと鯉が沢山泳いでいるのが見えます。放流したのかどうか知りませんが、その数は多く、うようよ居るという感じです。よく見ますと黒い自然な色の鯉の他、赤と白、中には金色の見事な鯉も居ます。どこかに飼われていた鯉がこの川に迷い込んで来たのかも知れません。橋の近くに集まるのは橋からパンなどを投げ入れる人が多いからのようです。試しにやってみましたが、川幅一杯に鯉がやって来て餌を食べていました。
「自然を出来る限りあるがままにして行こう」というのが最近の意識なのでしょう。よく未来のイメージとして超近代的な建物が林立する超密度な都市を描く事がありますが、案外実際には正反対になるのではと予想しています。個人的に描く未来は、外見は自然そのもの、カナダかアンデスのような大自然の山の中に小屋があり、自然一杯の中で生活する。そして住むのは外見は小屋のようで中は超近代的に快適に作られている住宅というようなものですが如何でしょうか?

(写真:より自然の姿になった野川:東京都三鷹市)
25・東京 (2003年 8月16日)
生まれは東京都世田谷区で、ここが故郷という意識があり、東京に着くと非常に嬉しくなります。小さい時には東京が当たり前で世界はずっと家が立ち並んでいるものとばかり思っていました。ある程度大きくなり世界に関する知識が増えて来ますと東京が例外的な存在であるという事を理解し、世界でも有数の都市に住んでいるという自負心を持っていました。ニューヨーク、ロンドン、パリ、北京、ソウル、メキシコ市、サンパウロ等世界の主要都市を巡りそして改めて東京を訪問しますとここが世界有数の都市というレベルでは無く、世界に唯一例外的な大都会である事が理解出来ます。今回はそのすごさに再度感動し、東京は自身のすばらしさを認識しました。
東京の人口は大都市圏で考えますと3600万人くらいになると言います。これは世界のどの大都市と比較しても断然大きく倍くらいの規模になると思います。それも世界最高レベルの経済を誇る日本、東京の経済規模はダントツの世界一でしょう。東京の都市の特徴は都市の連合体のような構造になっていて、大きな商業地域が都市圏の中に無数に在り、それがそれぞれ競いながら商圏を形成している点にあると思います。世界の他の大都市であれば銀座のような存在があればそれ以外はかなり小規模な商業地域になるのでしょうが、東京都市圏の場合には銀座の他、新宿、渋谷、池袋など肩を並べる地区があり、更に吉祥寺、浅草、柏、船橋、町田、横浜、千葉、大宮、立川、八王子などが広がっています。外国から東京を訪問し、中心部だけを見るとその本当のすごさに気づかずに終わる事になるのでしょう。どの駅付近も商業地域が広がっており、六本木のように出世する地域もあれば恵比寿、大崎のようにマイナーから大型の再開発で一気にメジャーになるスポットもあります。
東京都市圏は関東平野全体に広がっています。東京は日本で一番広い関東平野の中心に位置しており、関東平野全体を都市圏として発展して来ました。よく秀吉は家康に対してこれ程の地に本拠地を持つ事を許したものだと不思議に思っていました。実際には秀吉は家康の力を封じる意味で湿地帯の使える土地の少ない場所として江戸を与えたそうです。徳川家は町の改造に乗り出し、埋め立て等を行い、江戸の地を改良し立派な城下町を築いた訳ですが、地の利があったからこそ江戸幕府もあれだけ長期間、政権を担えたのだ思います。
東京そしてその近郊には観光スポットが目白押し、もし有り余るお金を持っているのであれば、東京は安全であり間違いなく世界一快適に過ごせる街でしょう。楽しみからも色々在り毎日違った場所で違った楽しみを味わえる、行くスポットも毎日変えられる都市であると思います。一年間観光で東京に滞在しても飽きる事無く過ごす事が出来ると思います。お金が無制限にあるならば世界の中で東京に住むのが一番でしょう。
日本は今までのやり方では経済力の復活は難しいと思います。その中で東京は売りであると思うのです、東京は自己の利便性とポテンシャルを自覚し、もっともっと観光都市としてそれ以上に経済都市として世界にアピールして行べきでしょう。しかしながら、数百年という非常に短期間に物、人がこれだけ集積して大丈夫なのかと心配になるのも事実です。
26・東京の交通事情 (2003年 8月24日)
鉄道地図を見ますと地下鉄網、近郊鉄道網共に一段と充実して来ています。新宿・渋谷では現在新たにもう一本地下鉄が建設されており、横浜では東横線と中華街を結ぶ地下鉄が急ピッチで造られています。この2年間では大崎からお台場に向かう線が開通、宇都宮線(東北線)と東海道線を結び新宿を通過する線が整備され、東京の交通網はダントツで世界一になっているように思います。
しかしながら反面、世界の主な都市でこれほど分かり難い都市も無いと思います。ニューヨークでもパリでも都市の中心部はそれ程大きくは無く、訪問したいスポットも大体集中しています。地図と観光ガイドがあれば近郊を含めて訪問したい場所には簡単に行く事が出来ます。これに対して東京はまず鉄道網そしてその料金体系が複雑怪奇、乗り換えのターミナル駅の分かり難さは日本人でも閉口する程です。ある日、東京駅で中央線を降りると困っている様子のメキシコ人の女の子二人組みがいました。尋ねると「大阪に行きたいので、新幹線に乗り換えたい」というので、東海道山陽新幹線の乗り場まで連れて行ってあげました。せっかく外国から観光に来ても人の波と駅の複雑さで大体の人は戸惑ってしまうでしょう。
新宿駅を例に取ってみましょう。新宿には小さい時から通っていますので、駅の大体の構造は理解しています。この複雑な駅に初めて来た人には分からない、多分迷ってしまうと思います。一例として「京王帝都・京王線」、通常の八王子方向に駅は小田急線の横、新宿駅に隣接してありますが、これとは全く別に「新線新宿駅」なるものが少し離れてあり、京王線の新宿の次の駅とその次の駅である初台、幡ヶ谷へと都営新宿線はここから利用します。そして西武鉄道の西武新宿駅というのは駅から少し北側の離れている場所にあり、営団地下鉄・丸の内線も少し離れた地下通路から乗らなくてはなりません。更に新しく出来た都営大江戸線なる地下鉄はもっと分かり難く、六本木や練馬に行くのであれば新宿に隣接している新宿駅で良いのですが、牛込や飯田橋、後楽園に行く際には新宿西口駅から利用する方が便利になっています。もし新宿駅から利用すると都庁前で乗り換える必要が出て来ます。
JRに関しては、池袋や渋谷に行くには埼京線と山の手線の2路線があり、埼京線が急行の役割をしており、中央線は快速と普通でお茶の水から先は別の路線となる。最近では東北線(宇都宮線)や東海道線に抜ける電車が走り、埼京線は臨海線に乗り入れをしており、新木場まで行きます。この他に列車というカテゴリーがあり、同じ中央線でも甲府・松本方面と長距離の場合には別のホームから乗車する必要があります。そして成田空港へ直行する成田エクスプレスという特急もあります。また御殿場や沼津に行く特急「あさぎり」は小田急のホームから出ます・・ある程度の知識が無いと適切な電車に乗る事はかなり困難でしょう。東京駅、渋谷駅等も分かり難さは同様です。現在、明治通りの下、渋谷から新宿を通り池袋に至る地下鉄が建設されているようですが、これが完成しますとますます複雑になってしまうでしょう。
次に名称、料金体系が分かり難い。料金に関しては、地下鉄はパリ、ニューヨークなど主な世界の都市では単一料金なのに対して、東京では2社あり、細かく料金が分かれている。その上に東急、京王などでは地下鉄と乗り入れている一部の線で地下路線となっており、そこではまた別の料金体系になっている。地下鉄の路線の名称にも統一した呼称のルールが無い。浅草線、新宿線というのがあるが、それ以外にも浅草や新宿を通過する路線がある。大阪のように縦横はっきりと分かる路線であればまだ良いのですが、東京の場合にはどの路線も大きく湾曲しており、ますますよく分からない。有楽町線が開業して池袋から都心に向けて乗ったのですが、飯田橋の次が市谷、新宿から中央線普通で東京方向に向かうのと逆で一瞬間違えたのかと思いました。現在はこの両駅間には南北線も通っており、ますます分かり難くなっているように思います。路線を符号化するなど名前をもう少し工夫するだけでもかなり分かり易くなるのではないかと思いますが如何でしょう。
そして料金が非常に高い。我が家は京王線の調布駅からバス便ですが、都心まで行くのには最低で電車を2回乗換えをし、鉄道会社が違うとその都度料金を支払う、従いまして大体片道千円くらいの費用がかかります。パラグアイの人に中心部まで10ドルくらいかかるという話をすると驚いてしまいます。また「空港からは自宅まではタクシーで行くのだろう」と聞かれます。世界の他の都市、ニューヨークやサンパウロのような大都会でも空港から都心までタクシー代は50ドル程度、2,3人で行けばそれ程高いものでは無いというのは世界の常識であると思います。これに対して東京では都心から成田空港まで鉄道やバスなどの公共交通機関を利用しても一人30ドルから50ドルはかかります。タクシーで行く事など幾らかかるのか分からないので頭から考えていません。
せっかく世界一の利便性の鉄道網を持っている東京ですが、分かりにくさと料金の高さで到底外国の観光客に満足いただけるレベルでは無いと思います。パリやニューヨークに行って、あの程度であれだけの観光客を外国から受け入れる事が出来るのであれば、東京はもっと呼び込めると思いますが、料金と利用の仕方に対して外国人観光客に特別な方策を考え、外国人誘致を進めるにあたり、例えばある区域を決めてその中であれば全ての交通機関に関しては自由に乗り降りが出来るような外国観光客用のチケットを販売するなど、何らかの工夫しないと宝の持ち腐れになってしまうように思います。
27・横浜 (2003年 8月24日)
今回の旅行で2回ほど横浜に出掛けました。横浜市は行政的には神奈川県の県庁もあり、東京とは別であり、歴史的にも東京とは別に発展して来た、と言っても幕末から急速に発展して明治になった時にはまだ横浜村であったのですから、実際には東京の外港として発展して来たというのが正しいのでしょう。戦前に既に日本の6大都市にまで成長し、現在は3百万人を数える日本で2番目に人口の多い都市になっているので、その発展ぶりは日本一、この百年間で驚異的な拡大を遂げて来た都市である思います。横浜駅は現在の桜木町、高島を経て現在の元々は神奈川の地に移り、新幹線が開業する際には別に新横浜という駅も出来て現在に至っています。それに伴い、街の中心は関内付近から横浜駅周辺、そして最近では新横浜付近もかなりの商業地域となっています。
久しぶりに訪問するにあたり、子供の時によく利用していた東急・東横線を利用して行きました。渋谷から電車に乗るのですが、この線には最近まで特急電車は無く、他の鉄道と比較しますとゆっくりと電車が走っていたのですが、今回行きますと「特急」があり、以前と比較して短時間で桜木町まで着くことが出来ました。横浜駅と桜木町駅間は来年早々には廃線になると聞き、その前にこの区間をもう一度乗ってみたいという気持ちがあり、利用したのです。桜木町に降り立つと「みなと未来21」の地区が広がっています。千葉・幕張、さいたま・新都心と並んで東京の周囲の3県の県庁所在地に新しい副都心を作る試みで建設された場所ですが、東京都心のような活気は感じられませんでした。何でも東京中心のこの時代、わざわざここに本拠を構える企業は多くは無いと思われます。
桜木町から県庁方向に向かって歩いても何となく活気は無く、港湾関係の建物、老舗の会社である日本郵船、三井物産などの建物が並んでいるのですが、古色蒼然としており、昔の街という印象でした。雑誌で見たのですが、「昔の街」を売りにしている小樽を思い出してしまいました。この地域は横浜市内では半島部になっており、陸の交通の要衝とはなってはおらず、発展に取り残されてしまっているように感じました。鉄道も関内もしくは桜木町から歩くしか無いのもネックになっているように見えます。現在急ピッチで東横線に乗り入れる「みなとみらい21線」という鉄道が建設されていますが、渋谷まで直通の電車が走るようになればこの辺の事情も変わって来るのでしょう。横浜中華街にも足を延ばしてみましたが、ここは道路が狭い上に駐車場が無く、不便極まりないという印象を持ちました。ここも「みなとみらい21線」待ちと言う感じでした。
古くからの中心街とは対照的に、新横浜から地下鉄で数駅、「センター北」、「センター南」付近は新しい商業地域として発展をしているので驚いてしまいました。東横線と田園都市線の間には大きな空間がありますが、港北ニュータウンと言われながらも交通の便が良くない為に発展から取り残されていたのですが、横浜市の地下鉄が開通し、距離的には東京から近いので一気に発展したのでしょう。やはり決め手は東京都心からの距離のように感じます。横浜市と神戸市は街の成り立ちが似ており、よく対比されますが、神戸市は帯状に広がり幅は狭いのに対して、横浜市は面として広がり、本来の中心部が小さな半島、要するに「横に在る浜」に在るので分散した街になっているように見えます。横浜市民として生活していても関内付近には全く行かず、行くのは新宿や渋谷のみという人は多いと思います。ここまで東京と一体化が進んでいますと行政的にも東京と一緒にした方が効率が良いのかも知りませんね。
28・仙台 (2003年 8月21日)
宮城県の県庁所在地と言うよりも東北の中心都市である仙台、各企業の東北支店が置かれている街です。学生時代ここで6年間暮らしました。当時は東北地方にはまだ新幹線の走っていない時代で、上野駅から特急で4時間余り、東京からはちょっと離れている場所というイメージでした。大学に入学する前、東京で暮らしていたのですが、東北というのは遠いと思っていました。実際には東京から仙台と名古屋が同じくらいであり、関西に行くのに比べれば遥かに仙台は近いのですが、それでも何となく暗く哀愁が漂う暗いイメージを持っていました。
実際に仙台で暮らすと開放的で非常に明るい感じの都市でした。また、東京からの交通の便は良く、新幹線の無い時代でも一時間に1本、特急が走っており、簡単に行き来出来ました。ただ仙台で暮らして分かったのは他の主な東北の都市は東京とは繋がっていても仙台とは余り便が良く出来てはいないという事で、目は東京に向いているという事でした。幕末の時代、東北は大方は幕府側に付き、薩長を中心とする西軍に最後まで抵抗しましたが、徒歩が中心である時代には距離というファクターは大きく、東北というのは一つのまとまった地方であったのでしょうが、鉄道などの交通機関が発達した現代では必ずしも距離が近さとはならない状況となり、仙台は東北で一番大きな都市であるのは間違いないのですが、この地方が東京に近く実際には東北の中心都市とは言えない状態になっていたように思います。この点は福岡や札幌とは異なると思います。
東北新幹線が開通して、仙台が東京圏と僅か2時間となりました。盛岡、秋田、青森などから東京に出る場合には新幹線で仙台を通過するのが一般的となり、仙台が東北の中心都市として輝き取り戻したように見えます。今回訪問して驚いたのは堂々たる百万都市に成長している事です。札仙広福という4都市が成長しているのは分かっていましたが、一番出遅れていた仙台も中核都市に成長している事を実感しました。駅前は整備され、地下鉄が出来、松島方向に延びる鉄道駅も綺麗になっていました。小奇麗で明るい暮らし良さそうな街になっていました。
街は伝統的な平屋が減り、マンションが多くなり、それもライオンズマンションが多くあるのが印象的でした。仙台の人は酒を飲むのが好きなようで、飲み屋、カラオケ店が多く在るのは以前の通りでした。ただ学生時代によく通った、めし屋、ジンギスカン屋等は姿を消していました。現在と比較しますと当時の学生はかなり貧乏であったのでしょう。綺麗な大都会、仙台、政宗公にご覧いただきたいものですね。

(写真:駅から青葉通りを望む)
各都市を廻って気になる事があります。駅前の一番目立つ場所には必ずと言って良いほどサラ金の看板があることです。それも普通は1社だけでは無く、上の仙台の写真のように数社が固まっている。あるビルでサラ金が入ると他の会社は入らなくなりサラ金だらけになるのかも知れません。アコムの大きな看板の下、アイフル、レイクの看板も見えます。サラ金ビルとなっているのが分かります。テレビを見ていてもサラ金の宣伝がかなり幅を利かせていました。武富士の宣伝では「真心を込めてティッシュを配っている」というものでした。銀行などの従来型の金融機関が苦戦する中で個人を対象としているサラ金は絶好調のようです。この辺の事情、どうも余りよく理解出来ません。
29・地方都市 (2003年 8月16日)
訪日する際に自宅が東京に在り、ほとんどの時間を東京とその周辺で過ごすのですが、今回の旅行で東京近郊の地方都市に出掛けたのでその印象を記します。
北関東に在るごくありふれた中堅都市である栃木県栃木市に出掛けたのですが、その中心となる栃木駅はJR・両毛線と私鉄・東武・日光線が交差する駅で駅舎を新しくする工事が進んでおり、鉄道は高架になり、モダンな駅舎が完成間近という状況でした。何となく殺風景な印象を受けたのですが、駅舎は確かに立派なのですが、商業設備が無い、駅舎だけなのです。今までの例であれば、多分ある程度の都市で新駅舎が出来れば駅ビルのようなものが出来、駅舎自体が商業施設になるのでしょうが、この駅の場合には当初はそのような計画があったそうですが実現せず、駅舎のみになったようです。駅の前の様子も閑散としており、買い物をするような雰囲気では到底ありませんでした。
知人の自動車に乗り、国道に出ますと商業施設がたくさん目に入って来ました。何となくフロリダで見たような景色が広がっていました。コンクリートで固めたような無味乾燥な大型の商業施設、そしてパターン化されているチェーンレストランが並んでいました。鉄道から自動車中心に生活が変化して、自動車中心の生活で駐車場の無い駅を中心とする地域にはもう人が集まらなくなっているのでしょう。多分日本全国の地方都市で同様の事態が進行しているのでしょう。駅前が廃れて、道路沿いにはどこでも同じような商業施設が立ち並び、全国展開のコンビニとマニュアル化された同じ味のレストランが並ぶ、日本中が金太郎飴になっているのではないでしょうか?地方の時代と言われる昨今ですが、住民達は自分たちの周囲の環境の変化には余り関心が無いのかも知れません。本気で街造りを行わないと手遅れになるように思います。このまま放置しておきますと近い将来、日本全国どこに行っても同じような景色という事態になるのでしょう。

(写真:新しい栃木駅の駅舎とその周辺)