イタリア

イタリア
イタリア共和国は世界の主な国の中でも取り分け有名な観光国です。現在の欧州文明の原点とも言える紀元前のローマ帝国から様々な歴史の変革を経て現在では欧州の中核国として確固たる地位を築いています。南米との繋がりも強く、多くのイタリア移民が居ます。欧州の原点ですが、南米の文化的な原点とも言えると思います。ここを訪問しても余り遠くに来たという気がしませんし、全く違和感を感じません。ここでは観光案内では無く、南米の一市民から観た感想を綴って行きたいと思います。緯度は北海道くらいなのでしょうが、夏の太陽は強く南の国というイメージが理解出来ました。寒い北欧から来ると明るく輝いているように感じる事でしょう。
イタリアの首都であるローマに着いての第一印象は想像通りブエノスアイレスに似ているという事です。南米は南欧州の文化をそのまま移して出来ています。南米の方は底は浅いのでしょうが、見た目は同じです。ここは本場であり、ここの文化は他所から持って来たものでは無く、ローマ時代から営々と築き上げた本物であり、他所から持ち込んだものでは無く固有の物である事は頭では理解出来るのですが、南米に長年居ますと感覚的には納得出来ない不思議な気持ちになりました。
イタリア語を音だけ聞いているとスペイン語特にアルゼンチンのスペイン語に非常に似ています。ただ話は余り通じない、やはりかなり異なる言語であるようです。それでも無理すれば何とか意思の疎通は可能ですし、スペイン語をある程度理解する人は多く、それ程苦労する事はありませんでした。
※ このページはかなり大きく、写真も多い(160枚以上)ので、一部が表示されない場合があると思います。その際には「更新」ボタンを押して再表示願います。数回行なえば全て表示されると思います。(なお、イタリアに関するページはこの1ページのみです。)
ここで取り上げいますのは
01・バチカン市国
02・ローマ市
03・ローマで海水浴
04・ローマの交通機関
05・ナポリ
06・ポンペイ
07・アッシジ
08・シエナ
09・サン・マリノ共和国
10・フィレンツェ
11・パドヴァ
12・ヴェネチア
です。ローマ以外の都市にはバスで行きました。時間があれば列車を使った気ままな旅をしてイタリアを周遊してみたいものですね。訪問していない各地にも観光名所が多くありますし、また隠れた知られていない素敵な場所が沢山あることでしょう。数日間の滞在ではこの程度が限度です。
01・バチカン市国

ヴァチカン市国 国旗
ローマに到着してとにかくも最初に行くのはキリスト教カトリックの総本山であるサンピエトロ寺院です。ローマと言えばこの場所でしょう。何となくローマの中央部にあるようなイメージを持っていましたが、どちからと言いますと街の東北地区、外れの方に在ります。
学生時代に一度ここを訪問していますが、日本から学生として行くのと、南米移住者が訪問するのとでは同じ場所でも随分と印象が異なります。南米の富を吸い上げてこの壮麗な寺院が出来ていると見てしまいます。また常にカトリックの寺院を見ていますので、文化的な違和感というのは全く感じません。自国の延長として眺める事が出来ます。
サンピエトロ寺院があるこの場所はバチカン市国として世界最小の独立国として知られています。裏側には壁があり、容易には進入出来ないようになっていますが、正面は簡単に入る事が出来ます。どのような経緯でバチカンがイタリア統一に参加せずに独立国となったのかよく知りませんが、イタリア人のガイドの話ではムッソリーニがローマの地を自国イタリア領に確定する為に法王をここに封じ込めたように解説していました。
以前は独自の通貨があり、結構お土産になっていたように記憶していますが、現在はユーロとなり通貨は発行されていないようです。訪問した日はかなりの混雑で観光客が大勢来ていました。神聖なる教会ですので、半ズボンやノースリーブの方は入場が禁止されていました。寺院の中は厳粛な雰囲気に包まれています。ガイドが観光客に付いて説明をしていますが、日本から来た時には余り気付かなかったのですが、色々な言語が飛び交っていました。英語、ドイツ語、フランス語、ポルトガル語、スペイン語、日本語、中国語などなど・・。若いお嬢さん達が熱心にスペイン語の説明を聞いているので、「どこから来たのか?」尋ねてみますとメキシコの高校生で「修学旅行で来た」と話していました。

(写真:バチカン市国地図)

(写真:正面からサンピエトロ寺院)
上から見ますと正面に広場があります。この広場はバチカン市国領でその外側はイタリア領となるそうです。治外法権である事は勿論で、イタリアの警官が職務で立ち入る事は出来ないそうです。

(写真:サンタンジェロ城から見たサンピエトロ寺院)
寺院の入り口から外を眺めますと広場がかなり広い事が分かります。多くの観光客が写真をとったり、寺院を眺めたりしています。

(写真:サンピエトロ寺院の広場)

(写真:サンピエトロ寺院広場)
護衛には伝統的な衣装を身に着けたスイス兵が立っています。中世そのままの雰囲気が良いですね。縦縞のせいか非常に細く見えますね。それにしてもセンスが良いですね。格好だけで特に仕事をしていないのかと見ていますと内部に入る人のチェックなど実務もこなしていました。

(写真:護衛のスイス兵)

(写真:交代)
サンピエトロ寺院の中は壮大な造りになっています。色々な装飾や石像が並んでいますが、どれも相当な作品なのでしょう。

(写真:サンピエトロ寺院-01)
一番驚いたのは亡くなられた法王をそのまま安置している事です。蝋人形では無く本物なのだそうです。

(写真:サンピエトロ寺院-02)
ヴァチカン市国のサンピエトロ大寺院の裏側は世界最大級の博物館になっています。どこも綺麗で金ぴかの廊下には圧倒されます。色々なものが置いてありますが、すごい資産ですね。

(写真:ヴァチカン博物館-01)

(写真:ヴァチカン博物館-02)

(写真:ヴァチカン博物館-03)
裏側には高い壁がそびえています。この壁が国境という事になります。

(写真:ヴァチカンの国境)
ヴァチカン市国はイスラムのメッカに相当するカトリックの信者にとっては一度は訪問したい場所です。カトリックの人もそうでない人もこの地を訪問しますと荘厳さに触れる事が出来ます。ここに来るだけでもローマを訪問する価値があると思います。
02・ローマ
ローマは一日にしてならず、ローマの休日で知られるローマ市、イタリアの首都であり、ローマ帝国の首都として繁栄して以来歴史のある街です。コロッセオを始めとするローマの遺跡は街の至る場所に残っておりいまだにローマ帝国は直ぐ傍に在るという感じです。世界有数の観光都市であると同時にイタリアの首都です。観光地には多くの外国人が居ますがそこを外れますと一般の市街地が広がり市民の普通の生活があります。
同程度の人口を有するフランスと英国は首都のパリとロンドンに全てが集中し一極集中になっていますが、ここイタリアは歴史的みても統一が遅れ、必ずしもローマが中心というわけではないようです。経済や文化の中心はミラノやトリノを中心とする北イタリアであると思います。確かにパリやロンドンに比べますと規模も小さく地味な印象を受けます。
さて、サンピエトロ寺院を出て正面を見ますと何やら不思議な城が見えます。サンタンジェロ城というのだそうです。サンピエトロ寺院とは秘密の通路で繋がっていて法王が逃げる際に使ったとか。由来はともかく中に入ってみました。

(写真:サンタンジェロ城)
城の中を登っります、中世以来の暗い通路(近代的な照明が付いているが)と途中の中庭を通過して上まで行く事が出来ます。

(写真:サンタンジェロ城の中庭)
上まで登りますと眼下にテヴェレ川が流れ、その向こうにはローマの市街地、サンピエトロ寺院等が一望出来ます。以前見たローマの映像はここから撮影したものだと合点が行きました。

(写真:サンタンジェロ城から観た景色-01)

(写真:サンタンジェロ城から観た景色-02)

(写真:サンタンジェロ城から観た景色-03)

(写真:サンタンジェロ城から観た景色-04)
ローマの最大の観光地はコロッセオとファロ・ロマーノ等のローマ時代の遺跡でしょう。ローマというのは現代文明の原点に当り興味は尽きません。市内のあらゆる場所に遺跡がありますが、コロッセオには圧倒されます。

(写真:ファロローマーノとコロッセオ)
コロッセオのすばらしい点は2000年経過しても原型を今に伝えている点です。円形の大競技場を中世、近世の人達はどのような思いで見ていたのでしょうね。

(写真:コロッセオ外観)
入場を支払いますと中に入る事が出来ます。予想以上にしっかりしており、多少の補修を行なえば使用可能と思われるほどです。ここでは色々な戦いが行なわれここで命を落とした人も多いのでしょう。ここに水を張り、船を浮かべて戦いを行なわせたという記録もあるようです。人権などいう以前の時代、一体どのようなドラマが繰り広げられたのか?ここに立ちしばし往時を想像しました。

(写真:コロッセオ内部)

(写真:コロッセオの中)
コロッセオを出ますとファロロマーノが在ります。現在は人類の大切な遺産として残されて保護されていますが、近世になるまでは面倒くさいので放置されていたのかも知れませんね。

(写真:ファロロマーノ-01)

(写真:ファロロマーノ-02)

(写真:ファロロマーノ-03)

(写真:ファロロマーノ-04)
コロッセオの横に凱旋門が立っています。ローマ時代に建設されたものなのだそうです。これを見ますとパリに在る有名なナポレオンの凱旋門そしてそれを上回る規模の平壌の金日成の凱旋門も同じスタイルを踏襲しているのが分かります。

(写真:凱旋門)
市内にパンテオンがありますが、完成度の高い建物で、これがここに二千年間在った。ルネサンスにしてもまずこれを見てこれを手本にし、そしてこれを超える建物を目指したのでしょう。高いレベルのものが最初に在るとある意味大変ですね。文字は当たり前かも知れませんが全部現在と同じアルファベット要するにローマ字で書かれています。ここの文字が世界に広がって行ったのですね。

(写真:パンテオン)
パンテオンから少し歩きますと市場がありました。新鮮な青果物が売られています。

(写真:八百屋の店先)
街の中にはローマ時代の遺跡が至る所に在ります。

(写真:ローマ時代の遺跡)
遺跡をそのまま利用して教会にしたというのもありました。何でもミケランジェロの設計なのだそうです。

(写真:遺跡をそのまま利用した教会)
ローマの街には有名なスペイン広場を始めとして多くの広場があります。その中で気に入ったのがポポロ広場です。二つの同じ教会が並ぶ広場は居るだけで落ち着きますね。

(写真:ポポロ広場)

(写真:ポポロ広場の噴水)

(写真:ナボォーナ広場)
ムッソリーニが住み、演説を行なったというヴェネチア広場、ここから力強い演説をし、日独伊三国軍事同盟に向かって行ったのでしょうね。

(写真:ヴェネチア広場)
ローマの街の繁華街は世界の他の大都市と比較しますと地味な感じです。このように見ますと南米と同じような景色ですね。それにしても中心部は観光客で一杯です。

(写真:街角-01)

(写真:街角-02)

(写真:街角-03)

(写真:街角-04)

(写真:街角-05)
有名なトレビの泉には多くの人が集まりコインを放り込んでいました。このトレビの泉に関しては「がっかり」と失望したような意見が散見されましたが、実際に行きますと非常に見事な噴水で、多くの観光客がコインを投げている風景はなかなかのもので個人的には非常に気に入りました。

(写真:トレビの泉)
後、観光用の馬車があちらこちらにありましたが、ほとんど利用されている気配はありませんでした。「観光馬車は高い、ぼったくりである」という宣伝が行き届いているのでしょう。価格表でも置けば良いと思うのですが商売する方に努力の跡が見られません。

(写真:観光用馬車が客待ち:コロッセオの前)
地下鉄の終点を見ますとエウルなる場所があります。近代的な公園があるようなので訪問してみましたが、60年代に考えられていた未来都市という事でブラジルの首都ブラジリアのように退屈なつまらない場所でした。当時の人はどうしてこのようなつまらい未来を想像していたのか、不思議に思いますね。

(写真:エウル)
ユーロが導入された事もあり、物価が高いローマの街、そんな中で旅行者の味方はやはりマクドナルドですね。手軽に安く食べる事が出来るだけで無く、ローマの一号店は清潔で豪華です。マクドナルドが最初にイタリアに入った際にはある程度のステータスが必要であったのでしょう。この一号店はスペイン広場の地下鉄の駅の横に在り非常に便利で多くの利用者で賑わっていました。

(写真:マクドナルド・ローマ一号店:スペイン広場)
何を食べて過ごすか、美味しくそして安い物の代表は何と言ってもピザでしょう。街の至る所にピザを売る店があります。大きさを指定し重さを量り買います。外食するのと比較して割安です。

(写真:ピザ屋)
さて、ローマを旅行してもう一つ大きな問題はトイレです。有料のトイレが多くそれも余り清潔では無い、どこか良い場所は無いかと考え思い付いたのは三越です。地図を見ますと中心部の地下鉄の駅前に在るので簡単に行く事が出来ました。中に入ると「おお日本」、南米生活ではお目に掛かれない日本人の買物客で賑わっていました。そしてトイレは予想通り綺麗で無料でした。南米人と言ってもそこは見た目は日本人、堂々と入りトイレを利用させていただきました。そして商品を見ますとなかなか良いお土産品が並んでおり、買物もする事にしました。日本語で表示、セット商品が並んでおり、非常に買い易く考えた品揃えをしているのには感心しました。
団体さんのようで「どちらから来ましたか?」と尋ねますと「佐賀から」との返答。「福岡空港からですか?」と聞きますと「佐賀から直接」との答えでした。何でも佐賀空港は利用する定期便が少なくチャーターに力を入れており、今回はイタリアの旅を募集してそれに参加したとの事でした。佐賀からローマにジャンボで飛んで来て昨日着いたのだそうです。日本の円で家族や友人へのお土産をたくさん買い込んでいました。便利で安心して買える場所で日本の観光客には最適の場所ですね。

(写真:三越:佐賀からの団体さんで混んでいた)
経済的には失業などの問題は深刻なようで、ある街角では浮浪者を警察が保護していました。

(写真:三越:浮浪者と警察)
03・ローマで海水浴
海水浴、要するにガイドブックでビーチの案内を探しますと色々と出ていますが、ローマ市内から簡単に行けるような場所では無いものばかり、ローマで一日ビーチに行きたいと思う南米内陸人はかなり困りました。インターネットでもほとんど情報は無く現地に着いて確認して行く事出来ました。分かれば簡単な事で地下鉄で乗り換え駅に行きそこから始発の電車に乗り終点もしくはその前で降りれば良いという事でした。

(写真:電車の始発駅)
地下鉄から降りてこの電車に乗りましたが特に改札があるわけでは無く、簡単に乗る事が出来ました。まあ乗車券は車内で買えるだろうと考え、ビーチまでの30分間の旅を楽しみました。ローマで海水浴をする日本人は余り居ないようですが、フランス人やドイツ人は同じ電車に乗っていました。
乗務員が廻って来ることも無く電車は目的地の駅に到着しました。出る時に「始発から」と言って料金を払えば良いだろうと考え降りますと全く改札も無く外でした。結果的には無賃乗車となりましたが、全くチェックするシステムが無く、乗客は運賃を支払うものであるという信念があるようです。

(写真:海岸の駅)

(写真:駅舎)
駅を出てビーチまでの街並みはリゾートそのものです。ローマ市民の別荘になっているのでしょう。小奇麗なアパートが並んでいます。

(写真:ビーチに近い街並み)
ビーチはどこも有料で入場料が必要です。パラソルを借りると日本円で2千円くらいになります。決して安くはありません。それでも更衣室、シャワーが付いており、まずます快適に過ごす事が出来ます。海岸を見ますと綺麗な砂浜で今まで見て来たどこのビーチにも負けないすばらしいものでした。夏のローマに着たら一日はビーチで過ごすのが良いでしょう。

(写真:ビーチ-01)

(写真:ビーチ-02)
ボートやパラグライダーを楽しむ人もいます。

写真:ビーチ-03)
ビーチでは結構若いお嬢さんも多く、華やかな雰囲気です。

(写真:ビーチ-04)
この海は地中海、その中でもチレニア海に属すそうです。三百数十キロ先はチェニジアの首都チェニスがあります。ローマ時代のカルタゴですが、向かい合わせという感じですね。ローマ時代にはライバルが対峙しているという感じだったのでしょう。直ぐ近くにアフリカがあり、そこは現在イスラムの世界になっている。カトリックの総本山があり、西洋文明の発祥地ローマの僅か先には異教徒の世界が広がっているという事実、不思議な気がします。
04・ローマの交通機関
大都会にもかかわらず、地下鉄は僅かに2路線、これは意外でした。それでも多くの観光地はこれを利用するば行く事が出来、大いに利用しました。ただ落書きがひどい車両が多いのには閉口しました。

(写真:落書きのひどい地下鉄)
地下鉄の入り口にはすっきりと「M」のマーク、簡素な入り口ですね。

(写真:地下鉄の入口)
その地下鉄の交叉するのが鉄道のターミナルです。「ターミナル」と呼ばれるこの駅を舞台にした映画があり、これを「終着駅」として日本で公開、大ヒットした事は有名です。現在の駅は非常にモダンです。駅の前を見ますと二階建ての観光バスが客待ちしていました。眺めが良く主要な観光地を巡るというものですが、地下鉄・バス・市電の一日自由券が4ユーロなので余り人気は無いようです。

(写真:ターミナル駅の正面)
ターミナル駅はイタリア各地への発着点となっています。「終着駅」の名の通り通過は出来ず全てこの駅が起点となっています。国際列車は無いようで近郊に向かう列車以外ではナポリ行き、ミラノ行きなどが目立っていました。日本と違い鷹揚なのか、一時間くらい前から列車がホームに置いてあります。
地下は日本と同じような地下街になっていました。ガイドブックに拠ると地下にスーパーがあるように書いてありましたが、実際には写真のようなドラックストアーでした。飲み物や簡単な食事の材料を買う事が出来ます。イタリアは買物袋は有料なので、何か袋を用意して行くと良いでしょう。

(写真:ターミナル駅の地下)
バスの発着所は鉄道のターミナルからは少し離れた場所にありました。こちらもイタリア各地に向かうバスが発車していました。国際バスはと探して見ますと「ブカレスト行き」というのがありました。バスの後側にはイタリアとルーマニアの国旗が並んで描かれていました。多くの国を通過する長距離バスですが、直線距離で千キロ足らすでアスンシオンからブエノスアイレスよりも近いのですね。欧州大陸は小さいと感じます。

(写真:バスターミナル)

(写真:ルーマニア行き)
電車が好きな人にはローマの路面電車は魅力的です。バスや地下鉄と共通の切符で乗車する事が出来ます。色々な電車が走っています。新型車には冷房も付いており窓も大きく快適です。

(写真:路面電車-01)

(写真:路面電車-02)

(写真:路面電車-03)

(写真:路面電車-03)

(写真:郊外行き電車)
ローマ市内の地下鉄は二路線、その他のほとんどの都市には地下鉄はありませんのでバスを利用する事になります。色々な路線があり、目的地がはっきりしていますと非常に便利なものです。ただどのように料金を支払うのかよくは分かりません。地下鉄共通の一日乗車券を購入して利用するのが良いと思います。

(写真:市内バス-01)

(写真:市内バス-02)
05・ナポリ
「ナポリを見て死ね」等と言われ日本でも知名度の高いナポリ、貧しい南部イタリアの中心都市です。山にびっしりと建物が建っているのですね。観光都市ですが、失業率が高いのか余り派手は印象はありませんでした。

(写真:ナポリ-01)

(写真:ナポリ-02)

(写真:ナポリ-03)
06・ポンペイ
ナポリ近郊に有名なポンペイの遺跡があります。火山が噴火し一瞬で街が埋まった事は有名ですが、火山が遠くに見え、それも現在は休火山のようで火山が大噴火したとは信じられない気がします。想像していたよりも街は広く、かなり原型を留めているのには驚きです。

(写真:ポンペイ-01)

(写真:ポンペイ-02)

(写真:ポンペイ-03)

(写真:ポンペイ-04)

(写真:ポンペイ-05)

(写真:ポンペイ-06)

(写真:ポンペイ-07)
07・アッシジ
ローマから北東に2時間くらい行きますと聖フランチェスコ教会で有名なアッシジがあります。13世紀のイタリアを代表する建築物なのだそうです。確かに綺麗ですね。

(写真:聖フランチェスコ教会)
街を歩きますと中世から変わらぬ雰囲気です。町全体が石の色という感じです。

(写真:中央の公園)
当時は外敵から守るために要塞のような都市を建設したのでしょう。現在では道は細く曲がりくねり坂になっている、住むには余り適しているようには見えませんが、ここにも多くの人が住んでいます。ただ歩いているのはほとんどが観光客です。街の経済は観光で成り立っているのでしょう。

(写真:街角、聖フランチェスコ教会が見える)

(写真:細い路地-01)

(写真:細い路地-02)
08・シエナ
有名なフィレンツェの近くライバル都市であったシエナがあります。中世の雰囲気がそのまま残っている都市で、景色だけ見ていますと本当に現代なのか?と考えてしまいます。フォレンツェは平坦な土地にあり、現在も産業都市として発展していますが、このシエナは高地にあり、時間が止まっているのでしょう。

(写真:シエナ)
この街の公園は有名なのだそうで、この時も何か演奏会の準備をしていました。公園の端に皆(観光客)が座っています。周囲に喫茶店が並んでいるのですがここの椅子に腰掛けますとそれだけで5ユーロ程度は支払わなければならないので、観光客は地べたに腰を下ろして休んでいるのです。

(写真:シエナの公園)
公園の反対側には塔が立っています。学生がこの塔に登ると卒業出来ないという言い伝えがあるそうで、ここの大学で勉強した学生は卒業が決まるとこの塔に登るそうです。

(写真:塔)
この公園と共に有名なのがドゥオモです。豪華ではありますが、不思議な形ですね。中は外観とは異なり意外に簡素な造りになっています。

(写真:ドゥオモ-01)

(写真:ドゥオモ-02)
この街の路地も狭く中世風です。自動車中心の現代の生活では日常生活には苦労していると思われます。

(写真:狭い路地)
09・サン・マリノ共和国

サン・マリノ共和国 国旗
サン・マリノ共和国は現在在る国の中では最初の共和国としてその名を知られています。岩山一つが国という事なのですが、訪問しますと単なる田舎の村とぃう感じです。確かに警察などは別になっているのでしょうが、何から何までほとんどイタリアに依存している訳で「国家」というのは何なのであろうと改めて考えてしまいます。
この程度の村でも国家として認められるのであれば日本の中にも作ってみてはどうかと思ってしまいます。以前井上ひさしさんの作品で「吉里吉里共和国」というのがありましたが、そのような雰囲気です。例えば現在、長野県山口村が岐阜県に委譲するという話がありますが、旧来の中仙道宿場町馬籠宿はここに何となく似ています。「馬籠共和国」とでもすれば賑わうのではないかと思ってしまいます。独立国というだけで多くの観光客が訪問し、切手が売れるなかなか旨味がありますね。

(写真:国のメインストリート-01)

(写真:国のメインストリート-02)

(写真:国のメインストリート-03)

(写真:城砦-01)

(写真:警官-01)

(写真:警官-02)
岩山にある国で眼下にはイタリアの田園風景が見えます。

(写真:城砦-02)
岩山に登りますとアドリア海そして保養地として有名なリミニが見えます。実に綺麗な景色です。この海岸にはドイツなどから多くの観光客が訪問し、そこからこのサンマリノへ一日観光に来る人も多いとの事です。

(写真:アドリア海)
10・フィレンツェ
ルネサンスの中心都市であるフィレンツェ、イタリアの観光都市の中でも有名な所です。トスカーナ地方の幾つかの町は山の上にあり、中世のままで時代が停止しているように見えますが、ここは平野部にあり、現在も発展を続けていました。中心部は観光、周囲は産業都市となっているようです。
フィレンツェはテレビなどでよく出て来ますが何時もアングルが同じ、見晴台があるのだろうと想像していました。ミケランジェロ公園と呼ばれるその場所に実際に訪問してみますと山の上全体が公園となっており、そこから市内が一望出来、テレビなどで出て来る景色でした。この景色は多分ルネサンスの時代とほとんど同じものなのでしょう。イタリア人の歴史へのこだわりを感じます。遠くを見ますと近代的な建物が並んでいる場所がありますが、中心部は決してそのような建物を許可しないのでしょう。
川と建物と橋が一体となり絵のようなすばらしい景色でしばらく見とれてしまいました。ここからの光景がどのようになるのかある程度計算して街を造ったのではないかと思ってしまいます。ここから撮影すれば誰でもすばらしい写真を撮る事が出来ます。

(写真:フィレンツェ-01)

(写真:フィレンツェ-02)

(写真:フィレンツェ-03)
川には幾つかの橋が架かっていますが、その中で特に有名なのがバッキオ橋です。中世には青果物等が売られていたと言いますので川もゴミで汚染されていたことでしょう。現在は宝石店そして観光客相手の店が並んでいます。

(写真:バッキオ橋 外観)
バッキオ橋は多くの観光客で賑わっていました。皆写真を撮っており邪魔にならないよう順番待ちの状態です。

(写真:バッキオ橋 )

(写真:金製品の店:バッキオ橋 )
街の中には幾つかの公園があります。どこも観光客で一杯ですね。

(写真:広場-01)

(写真:広場-02)
街の中には多くの歴史的建造物、そして教会があります。中には不思議な外観の教会もあります。

(写真:教会)
像や噴水も数多くあります。

(写真:像と噴水)
街の中心はドゥオモと呼ばれる大きな教会です。複雑な形をしており、グロテスクにさえ思いますが大きさと豪華さには圧倒されます。

(写真:ドゥオモ-01)

(写真:ドゥオモ-02)

(写真:ドゥオモ-03)

(写真:ドゥオモ-04)
旧市街を歩いているのはほとんどが観光客です。観光客で一杯になっています。これだけ来れば相当の観光収入になるのでしょうね。

(写真:サンジョバンニ礼拝堂)

(写真:サンジョバンニ礼拝堂前:観光客で一杯)

(写真:狭い路地も観光客で一杯)

(写真:街角-01)

(写真:街角-02)
物価特に食費が高いのでスーパーをよく利用しました。手軽に食べられるものも多く便利です。

(写真:スーパー)
フィレンツェには有名ブランドの店も多く、買物も楽しみの一つのようです。グッチの本店もこの街にあります。

(写真:グッチ)
世界有数の観光地であるフィレンツェには数多くのホテルがあります。名所が多い旧市街のホテルは値段が高いので観光客の多くは街外れのホテルに宿泊します。中心を出ますとごく普通の現代イタリアの都市という感じです。

(写真:宿泊したホテル付近)
イタリア各地で目立ち、特にこのフィレンツェで目立ったのはピノキオです。イタリアのお話だったのですね。大小様々な大きさのピノキオ人形が売られています。

(写真:ピノキオ)
11・パドヴァ
実はここを訪問するまでこの街の名前を知らなかったのですが、パドヴァ大学は非常に古く由緒ある大学なのだそうで、あのガリレオ・ガリレイも教鞭を執ったそうです。この街は見所も多くヴェネチアにも近いので多くの観光客が訪れていますが、ほとんどは滞在数時間、途中に寄る程度のようです。

(写真:街の様子-01)

(写真:街の様子-02)

(写真:中央の公園-01)

(写真:中央の公園-02)
街には幾つかの教会があり、見事なものです。

(写真:教会)

(写真:街の風景)
12・ヴェネチア
イタリアの観光地の中でローマと並び有名なのがヴェネチアでしょう。ベニスの名でも知られるこの街はたったこれだけ面積しかない国家ですが、地中海を制覇して覇権国であった歴史を有しています。有名なヴェネチアは土地が狭く中のホテルに泊まるのはかなりの贅沢のようです。多くの観光客が近くの町のホテルに宿泊し、バスもしくは鉄道でヴェネチアに向かい、そこから船を利用して行く事になります。
地図を見ますと歴史的な島の部分を湾が取り囲み、工業地帯になっています。船に乗りヴェネチアに向かう間工業地帯が見えました。湾内の海水の汚染が心配になりますね。
地図を見ますとヴェネチアの主要部は大運河で二つになっているのが分かります。この大運河が通常の都市のメインストリートに当たるのでしょう。細かい水路と人がようやく歩く事が出来る小道で出来ている様子が分かります。水路の橋には大きな傾斜があり、島の中での自動車の通行は物理的に無理で自動車が無い歩行者天国の街になっています。

(地図)

(写真:周囲は近代的な産業都市-01)

(写真:周囲は近代的な産業都市-02)
船で行く途中は島の外ですが意外に波が高い気がしました。

(写真:島の外から)
船は直接中心部のサンマルコ広場に向かいました。船から見る景色は実に綺麗です。

(写真:サン・マルコ広場-01)
サンマルコ広場は壮麗な教会が正面にあり、鳩と観光客に埋め尽くされていました。テレビなどではお馴染みの場所ですが想像していたよりも大きいという印象です。それにしても装飾一つ一つの細かさには驚きました。ただ何となくモスク風という気がします。ビザンチン帝国そしてイスラム文化の影響を受けているのでしょう。

(写真:サン・マルコ広場-02)

(写真:サン・マルコ広場-03)

(写真:サン・マルコ広場-04)

(写真:サン・マルコ広場-05)

(写真:サン・マルコ広場-06)
寺院には見事な装飾そして絵画が描かれています。入り口の上にある絵画はどうやらストーリーになっているようで、イスラム風の絵もありました。

(写真:壁画-01)

(写真:壁画-02:イスラム風)
ヴェネチアと言いますと有名なのがガラス工芸です。観光コースには実演即売会が付いているのが普通のようです。見ているだけでも綺麗ですね。このようなお店にはトイレがあるので出来るだけトイレに行きましょう。

(写真:ガラス工芸の販売)

(写真:ガラス工芸の実演)
公園の周囲にはカフェが2軒あります。老舗であり、非常に有名なのだそうですが、座るだけでかなりの料金を取られるそうです。それでも素敵な音楽を聴きながらサンマルコ広場の景色を眺めるられれば安いものなのかも知れませんね。

(写真:サン・マルコ広場のカフェ)

(写真:サン・マルコ広場・周囲の回廊)
そしてお土産店にはガラス工芸品が並びます。お土産に欲しいと思いますが、果たして壊れずに持って行けるのか不安になります。

(写真:サン・マルコ広場・お土産店)
サンマルコ広場の横は船着場になっています。大小様々な大きさの船が行き交います。写真の手前右に見えているのは水上バスのホームです。二つ同じようなものが並んでいますが、これは上りと下りです。電車と同じような要領で利用する事が出来ます。

(写真:サン・マルコ広場横の船着場)
さて、ヴェネチアは普通の都市と異なり道は水路になっています。大きな船や観光用のゴンドラが行き来しています。水上バスが数分おきに発着しており、これを利用する(一日券)のが最上のように思います。路線も多く色々な場所を訪問する事が可能です。
景色を見ていますとどこも絵になるという気がします。絵画でこのヴェネチアを題材にしたものが多いのが納得出来ます。紙では無く帆に使う布(キャンパス)で絵を描くようになったのはこの街から始まったと聞いていますが納得ですね。
水路が道路になっている、これは近代になる前には現在の大通りに匹敵する機能を持っていたのでしょう。船が行き来しているのを見ていると往時には船がある程度の人数を大量に運ぶ現代の電車やバスの機能を果たしていたのでしょう。他の都市ではせいぜい数人を運ぶ馬車がある程度であったでしょうから、他の国からここを訪問した人は驚いたと想像します。
水路を水上バスで行きますと両側の建物が壮麗で繊細、見事で見とれてしまいます。これは何かに似ていると考え思い至ったのが「ディズニーランド」です。観光客を満載した水上バスで両側をゆっくりと眺める、全くよく似ています。ディズニーランドは作り物なのに対してここは本物ですが、観光客で一杯になっている現状を見ますとヴェネチア全体が既にテーマパークになっているのかも知れません。

(写真:大運河-01)

(写真:大運河-02)

(写真:大運河-03)

(写真:大運河-04)

(写真:大運河-05)

(写真:大運河-06)

(写真:大運河-07)
大運河の中央にはリアルト橋が架かっています。多くの観光客が大運河の景色を堪能しています。

(写真:リアルト橋-01)

(写真:リアルト橋-02)

(写真:リアルト橋-03)
有名なゴンドラも数多く見られます。実用のものは無く全て観光用です。

(写真:ゴンドラ-01)

(写真:ゴンドラ-02)
狭い水路にも多くのゴンドラが行き来します。

(写真:ゴンドラが行き来する狭い水路)
街中水路が網の目のようになっており、どこも美しい景観になっています。

(写真:水路-01)

(写真:水路-02)

(写真:水路-03)

(写真:水路-04)

(写真:水路脇の市場)
水路の間に狭い人の歩く道があります。自動車は通行が出来ません。

(写真:歩道)
この狭い場所を利用してレストランなどがあり、歩くもの大変です。

(写真:レストラン)
食費が高いヴェネチアでやはり観光客の人気を集めているのはマクドナルドです。物価の高い観光地では本当に助かる頼もしい存在ですね。

(写真:マクドナルド)

(写真:土産店)
島が多くまるで建物が浮かんでいるように見えます。

(写真:サンジョルジョ・マッジョーレ島)

(写真:サルーテ教会)
通商国家として世界に君臨し、世界を制覇した大国であったヴェネチア、地中海が世界の中心の海ではなくなり、英国やオランダにその地位を奪われ没落して行きました。その当時のままに都市が残り、そしてそればそのままテーマパークになり、世界から観光客を集めています。非常に狭い地域であり、中で食事するのも泊まるのもトイレでさえ他の世界のどこの都市よりも値段が高い状況となっています。
現在は通常の都市であり、自由に入る事が出来ますが、水位が上がり街の保全にもかなりの手間と資金が必要な現状をみますと本当に島全体を「テーマパーク」として入場料を徴収する時代が来るのではないかと想像します。観光と映画祭などの文化面に特化し世界から人を集め続ける為にも何らかの対応が必要であるように見えます。
世界の温暖化の影響を受けて水没の危険があるという説明が大きく出ていました。中心のサンマルコ広場も既に何回か水没しています。世界遺産であるこの街をどのように守るのか人類全体が問われているのかも知れません。
終わりに・訪問しての感想
イタリアを訪問して歴史の国であることを再認識しました。ローマ時代や中世そしてルネサンスの時代が現代に同居している、そんな印象を受けました。イタリアの国名は由来は余り定かでは無いようですが、統一したのが離れ島のサルジニア王国でそのままサルジニアを使うわけには行かない、また他の地域に受け入れる事が難しいローマやヴェネチア等の特定の地域の名前を使う訳には行かず、どこからも文句が出ないように全く新しい名称として考え出したのでしょう。
南米と同じラテンの国ですが、イタリアの人達は非常に忙しそうに生活に疲れているようにさえ見えます。欧州が一体化し、ユーロが導入され、他の欧州諸国と同じ土俵で仕事をする必要に迫られているのでしょう。南米から見ますと非常に良い給料のように見えますが、月並みの給与ではここで生活するのは非常に大変だと想像します。ここの人達はラテン系と言うよりは何か東京の人と同じように見えました。例えばブエノスアイレスに行きますと多くのイタリア系の住民が住んでいますが、ずっと陽気で太っています。日本に住んでいた時に想像したイタリア人により近い気がします。
お金に対してドライというのか、米国などと同じような拝金主義があるように見えます。南米人から見ますとアミーゴよりお金を大事にするようでは何だかラテン系とは思えません。外見、景観は確かに南米と同じですが、イタリアは良い意味でも悪い意味でも欧州の一員であり、北側の先進国に属しているのでしょう。また地方色が強い事も改めて認識しました。統一国家になってまだ日が浅い、実際には未だにヴェネチア人、フィレンツェ人、ナポリ人という感じなのでしょう。南北格差も予想以上でした。統一国家になって以来余り良い事は無くどちらかと言いますとそれ以前の輝きを失ってしまったようにも見えます。
イタリアに居ますと直ぐ北にドイツ人が住んでいる事を意識させられます。欧州最大のドイツは周辺のオーストリアやスイスのドイツ語の国を含めますと一大勢力です。有史以来このドイツ人と争って来たのでしょう。ローマ帝国はゲルマン人によって滅ぼされた一面がありますし、中世にはイタリア戦争を通じてドイツに支配される時代もありました。そして第一次、第二次大戦にも敵になり味方になりと立場は違いますがドイツの戦争に付き合わされた面があります。日独伊三国軍事同盟で最初に敗戦を迎えたのはイタリアですが、この時にはイタリアが弱かったと言うよりはむしろ否応無しにドイツに巻き込まれた戦争であったのでしょう。同盟国側が劣勢になり最初に脱落したのはむしろ当然と言えるような気がします。
そしてアフリカが近いというのも実感です。ローマ時代にはアルプス地方よりも現在のチュニジア、アルジェリアの方がよく中心に近いという意識があったと想像します。地図を見ますと一番近い所シチリア島では150キロも無いのです。キリスト教カトリックの本拠地の直ぐ傍にアラブの世界が広がっている、これは不思議です。近代に入り強大な欧州勢力が現代に至るまで何故北アフリカを奪還出来なかったのでしょう。スペインを奪還したのですから出来なかった理由は何かあるはずです。ローマ帝国の時代までは北アフリカもキリスト教であったのでしょうが、カルタゴの陥落以来の支配者に対する積年の恨みが反ローマ、反欧州という事になったのかも知れません。
欧州の中では意外に辺境の地である事に注目しています。国全体の位置はチェニジアそしてアルバニアに近く、コアの欧州地域からは離れています。地中海が中心で交易などが行なわれていた時代には地勢的に有利に働いていたのでしょう。北部のミラノやトリノはドイツ、英国、オランダ、フランス等から近く「欧州」ですが、ナポリから南はアフリカやバルカンの方が近いのです。この地域が今後どのように発展して行くのか、EUに所属していない周辺地域を上手に取り込む橋渡しの役割を担えるのではないかと注目しています。
料理に関してはとにかくレストランの料金が非常に高いのには驚きました。ウェッブで評価の高いレストランに行きましたが値段も高くそれほど美味しくもありませんでした。中心から外れたホテルの近くにある観光客はほとんど行かない地元の人が利用するレストランの方が数段美味しかった。それでもブラジル、パラグアイで食べる味と変わらないというのが正直なところです。値段はかなり違いますので「イタリア料理は南米で」と言えるかも知れません。
後トイレをどうにかして欲しいと思います。トイレには番人が居るか有料で一回使うと1ユーロです。親子でおしっこするとパラグアイでは食事が出来ます。パラグアイも無料のトイレを探すことはそれ程難しくなく、ショッピングでは綺麗なトイレが無料で利用出来ます。観光立国にあぐらをかかず訪問者に対する便宜をもっと考え改善して欲しいですね。
観光客として訪問するとどこにでも珍しい名所があり、興味深いのですが、ここに生まれたらどうだろうと考えます。歴史の重さが保守的な思考となり息苦しいのかも知れません。南部では西欧の中でも特に失業率が高いと聞いてます、余り将来に展望も持てず移住を決意したり、ギャングになった人も多いのでしょう。さて、また行きたいか?ともし聞かれますと「うーん」というのが正直な感想ですね。確かに改めて写真で見ますと非常に綺麗ですばらしいと思います。コロッセオもヴェネチアも想像以上のものでした。ただ一度行けば十分という気持ちもあります。もし行く機会があるならば同じ場所は避けて南部のシチリア島、サルジニア島そして北部のミラノ、トリノ、ジェノバそしてコモ地方に出掛けてみたいものです。
イタリアについて(2007年 6月12日)
欧州と言いますとドイツ、フランスが中心にあり、その直ぐ横には大英帝国があり、この辺りが中心という印象があります。その中でイタリアは勿論主要国の一つですが、少し中央からは外れているというイメージがあるように思います。人口もドイツよりは少ないですが、フランス、英国とは同程度、欧州共同体には最初の6ヶ国時代からのメンバーです。ラテン的で仕事をしないで、浮気ばかりしているノー天気な男性というのが一般的に考えられる男性像です。ミラノのファッション、フィアットなどの自動車産業は世界的ですが、過去の遺跡が多い観光立国という印象が強いのが正直なところです。一番行きたい国と問われる時に多くの人は「イタリア」と答えるでしょうが、それはローマ時代そしてルネッサンス時代の遺跡や美術品が目当てであると思います。
よく歴史を見ますとイタリアは常に欧州史の中心にあり、多数の有名人を輩出しています。シーザー等のローマ帝国の英雄達は勿論、アルキメデス、マルコポーロ、コロンブスも現在のイタリア出身となります。アルキメデスはギリシア時代の偉大な数学者ですが、シチリア島の人です。ギリシア時代にシチリア島はギリシアの中で大きな地位を占めていて、当時勃興していたカルタゴにも近く重要な地位を占めていました。現在とは異なりシチリア島はギリシア、ローマ時代に地中海が大きなウェートを占めていて、欧州世界の中央に在ったのでしょう。ローマ帝国が分裂し、西ローマ帝国が滅びた後は欧州史の舞台の中心は地中海世界から欧州内陸部、現在のドイツ、フランスとなる神聖ローマやフランク王国に移ってしまうように見えますが、実際には長い期間イタリア南部を中心とする地中海世界は繁栄しており、日本では鎌倉時代の始まる頃にはシチリア島にはノルマンディー人の王国がありました。現在のフランス・ブルターニュ地方は土地が狭く多くの人が傭兵として南イタリアを目指し、その仲で頭角を現した人がシチリア王国を立てたというのです。首都は栄華を極めていたそうです。中世から近代にかけてはフィレンツェ、ウェネチア、ジェノバ等の都市国家がが繁栄を極め、文字通り世界の中心にありました。
では何故現在は後塵を拝しているのでしょう、これは国家統一が遅れ、ようやく19世紀も後半、日本が幕末の騒乱の時代になり、それも離島のサルジニアによる統一という形で実現しました。既に世界帝国となっていた英仏等と対抗する為、バラバラな国家を一気に統一国家へと進める為にファシスト党の独裁となり、先行して利権を確保した国々と遅れて利権を持てなかった国との間で起きた第二次世界大戦に負けた為でしょう。現在も「イタリア人」というよりは「ミラノ人」「ローマ人」「ナポリ人」であり、北部は南部と同じ国であるという意識は余り無い、国家としてなおも精神的には統一していない事に原因があるのでしょう。戦後も常に政治は不安定であり、何となくまとまりを欠いています。
実際に訪問しますと確かにラテンの国で南米からですと風景、雰囲気には全く違和感がありません。ローマを歩いているとまるでブエノスアイレスを歩いている感じです。ただ似ている中にも南米との違いを二つほど感じました。一つは南米のラテン文化は外から来たものであり、固有のものでは無く、現在見えるもの以前にはその前の文化というものは無いのに対して現在のイタリアにある文化は全てゼロからこの地で築き上げたものであるという点です。同じものでも外来と固有では相当の違いがあると思います。南米では北米式、アジア式など様々な文化が流入していますが、ラテン文化も外来ですので受け入れに抵抗がありません。これに対してイタリアは自国の文化ですので外来文化に対してはかなり抵抗感があるように見えます。ただ反面、古い文化に埋もれて生きているのでこれが足手まといになっているようにも見えます。若い世代には息苦しいのではないかと推測します。イタリアから新世界に多くの移民が旅立ちましたが、この社会の硬直性を嫌ったのが大きな要因ではないかと思います。そしてもう一つは現在イタリアは先進国の中にあり、欧州連合の一員であるという事です。何事のんびりと構える南米人とは異なり、イタリア人は先進国の人です。アルゼンチンやパラグアイでは太っている人が多いのですが、イタリアは皆さんスリムです。普段食べるものの質素で働き者という印象を持ちました。ドイツ、スイス、フランス等と国境を接し、常に競争を強いられているのでしょう。何となく余裕が無く、南米で抱いているラテン世界とはかなり異なっていました。
さて、今後はどのようにイタリアは進んで行くのでしょうか?統一から150年が経過し、ようやく統一国家としての意識が出来た時期なのかも知れません。欧州連合の中でバラバラとなり埋没する可能性もあるかも知れません、ミラノ、ジェノバ、トリノ等の北部主要都市の人は目は北に向き、商売の相手は自国の南部よりは独仏が相手でしょう。南部イタリアは紀元前から10世紀頃までは常に歴史の表舞台にあった地域です。その栄光は陰を潜め、現在では西ヨーロッパの中では最も遅れた地域となっています。ここをどのように活性化するのか、特にナポリ以南、シチリア、サルジニア地方の活性化がイタリア底上げの鍵となるでしょう。北アフリカがアラブの地となり、欧州の人にとり異教徒の土地となって以来、この地域が辺境の地となっていますが、欧州が歴史的には近い関係の北アフリカを取り込んで活性化出来るか注目しています。

(地図:イタリア)