南米の中央部に在るパラグアイへようこそ



パラグアイそして南米を取り扱ったページです。最初に作者から見た南米大陸そしてパラグアイに関して、次にこのページの簡単な紹介を書きました。



流れているのは「パラグアイ国歌」です


01・南米大陸、豊かな大地

南米にようこそ、この日本の反対側に位置する大陸に皆さんはどのようなイメージを描いていますか?1,960年代から70年代にかけて日本から見ていて「南米大陸」は輝いているように見えました。当時、未来の大陸として脚光を浴び、ここパラグアイにも多くの若者が夢を描いて船に乗り長い航海を経てやって来ました。その後、技術は進歩し、通信技術が発達し、簡単に情報のやり取り出来るようになり、また航空便も増え、かつ値段も下がり今日では誰でも気軽に南米旅行が楽しめる時代になっています、その反面、日本から見た南米大陸の姿は何故かどんどんと小さくなって行き、現在では余り注目をされなくなって来ていて、日本人の心からは次第に離れて行っているように思えてなりません。

21世紀を迎えるこの時期、閉塞感が蔓延している日本、再びこの広大で多くの可能性を秘めた南米大陸が見直され、その中央に位置するパラグアイ共和国も南米の要として大いに注目される事になることを期待しております。

また南米大陸は世界の5大陸(ヨーロッパ、アジア、アフリカ、北アメリカ、南アメリカ)の中ではただ唯一、戦争、難民、飢餓が無い大陸であり、言い換えれば一番平和な大陸であり、最も「豊かな」大陸であると思います。

日本では多くの場合、南米に関して何か固定観念が出来あがっているようで、それもネガティブな側面ばかりを取り上げられて構築されたものに思えて仕方ありません。近年、地球は小さくなった、世界の情報が入手出来るという時代になったと言われても、どうも日本に入る情報にはある種の「フィルター」が働いているようで、外国の実態、生活情報のようなものがどれほど届いているか疑問に感じております。

ある時、南米に駐在している新聞社の記者の方に「もう少し明るく楽しい話題も提供して欲しい」と注文を付けたてみたところ、「実はこちらからは、たくさんそういった情報を発信しているのですが、本社の方でなかなか取り上げてくれないのです。麻薬、誘拐などと言うと直ぐに記事になるのですが」という返事が返って来ました。

南米に住んでいる者として可能な範囲の中で声を上げて普段着のありのままの姿を伝えて行かなくてはならないと考えております。


02・南米のパラダイス・パラグアイ共和国

パラグアイ共和国に対してはどのようなイメージを持っているでしょうか?ここパラグアイ共和国は日本から見ますと地球の反対側に位置しており、面積は日本よりも一回り大きい(約40.6万平方キロメートル)程度の内陸国です。3方をブラジル、アルゼンチン、ボリビアの3ヶ国に囲まれています。

人口は現在、約500万人、これは日本で言えば少し規模の大きな県、例えれば福岡県や千葉県程度の規模です。人種は元から住んでいたグアラニ族と白人の混血が主体で、近年では、欧州(ドイツ、ロシア、ベルギー等)、西アジア(レバノン等)などから多くの移住者がやって来ています。そして我々日本人を含む東アジア(中国、韓国、ラオス)からも多くの移住者やって来ています。宗教はローマ・カトリックを信仰する人が大半を占めますが、ドイツ系を中心にメノー派のプロテスタントも多く住んでいます。

国土の中央をラ・プラタ河の最大の支流であるパラグアイ河が流れ国土は東西に分かれています。開発が進み人口の大半が住んでいる東側に対して、国土の6割を占める西側(チャコ)は未開発の大地が広がっています。

パラグアイは「南米のパラダイス」とか「ユートピア」(トーマス・モアのユートピア思想の原点であるとも言われている)と称されることもある程の豊かな土地です。どこまでも果てし無く緑の大地が広がり、遥か地平線に沈む夕日を眺める事が出来ます。人々は素朴で人懐こく、また持ち前のラテンの明るさ、陽気さがあります。当地で人情味溢れる人々に接触すると多分ほっと気持ちが和むことでしょう。

南北の違いはありますが緯度は沖縄から台湾に当たり、気候は亜熱帯に属し、夏は40度近くにまで気温が上昇する時もありますが、雪が降ることはありませんが、6,7月の冬の時期には最適気温が零度近くにまで下がり、アスンシオンでも氷結することがあります。雨量も比較的多く、国土は緑に覆われアスンシオンは森の中にある田園都市の様相を呈しています。

他の南米諸国と比較しますとどうも今いちインパクトが無いようで、印象に薄いパラグアイ、特に有名な観光地もありませんので、日本では観光ガイドブックを含めマスコミではほとんど紹介されることも無く、一般的には知られていないようですが、大変に暮し易い国です。

また、多くの日本人・日系人が活躍している土地で、日本人にとっては非常に住み易い国でもあります。日本人・日系人の人口は約7千人とブラジルなどと比較すると、それほど多くはないのですが、農業の主力生産物である大豆のかなりの部分は日系農家で生産していますし、アスンシオン市、エンカルナシオン市など都市部において商工業で成功されている方も多く居ます。首都アスンシオンでの生活は非常に快適かつ文化的で、まず不自由の無い暮らしと言えるでしょう。大型のスーパーマーケット、ショッピングセンターがあり日常必用とするものは何でも手に入りますし、日系の商店ではほとんど必要な日本食材を手に入れる事が出来ます。また、日本食のレストランでは何時でもお鮨をいただくことも出来ます。

治安に関しては南米では最も安全な首都の一つと言われており、通常の観光であれば全く問題はありません。南米は治安が悪いと決め付ける考え方には反発がありますが、「危ない場所に危ない事をしに行けば危ない」のは当然です。外国旅行の際の最低限のマナーは守りましょう。現地の人の話しに従って下さい。

また、南米旅行をする際にはずされる事が多いパラグアイですが、魅力溢れる国であり、是非行程に加えていただきたいものだと思います。他の南米諸国に住んでいる方もパラグアイ訪問を計画して下さい。


03・当ホームページに関して

このホームページは1,997年 3月に開設いたしました。当初は文章だけの14ページのちょっと寂しい、ごく小さなページでしたが、少しづつ書き溜め、現在に至っています。

現在では、デジカメで撮影した写真をふんだんに取り入れて、身の回りの事(ショッピング、グルメ、パーティー)等を生活者の視点から色々な角度で取り上げています。特にサッカーは世界的にも見ても強豪の一つであり、「サッカーのページ」として、力を入れて取り上げております。99年に行われました南米選手権では日本からA代表が参加しましたが、残念ならが3戦して2敗1分の結果になり決勝トーナメント進出はかないませんでした。この時の様子に関しましては試合経過だけでは無く、応援団など観客席の様子も詳しくレポートしております。またワールド杯・日韓大会に関しては出来るだけ詳細にアップしましたので、あの日の感動を振り返る事が出来ると思います。そして当地で活躍した二人の日本代表選手、武田修宏選手、広山望選手に関してはパラグアイでの活躍を知りうる限り取り上げております。

また、現在は日本からのツアーは無く個人で訪問するしか方法が無いのですが、観光にも役に立つようにと主な名所の案内「名所ホームページ」ならびに出入国の注意、パラグアイへの行き方、チケット情報などもあります。「パラグアイの風景」ホームページでは様々な話題をエッセイ風に取り上げています。「あの時」ホームページでは歴史の概要ならびに過去に起きた出来事、クリスマスや毎年7月に行われるエキスポの様子などをルポしています。さらに「セントロ日系」ホームページではクラブの施設・活動の様子を描いており、このページを通じて当地に住んでいる日系人の様子を少しでも理解していただければ幸いです。

「南米散策」ホームページではパラグアイ以外の国に旅行に行った際の紀行を取り上げています。単なる紀行文では無く、あるポイント、個人的に興味を持った事、例えばアルゼンチンですと、「地下鉄・丸の内線の第二の人生」、チリでは「ウニ」にこだわり、ペルーですと名物・「インカ・コーラ」などを取り上げております。南米の楽しさの一端でも理解していただければ幸いです。

現在は無料のサービス等を利用させていただき、ここでは、11のホームページに分けておりますが、元々は一つであり、互いに関連しております。分けている最大の原因はスペースの関係です。

また、リンク集ではパラグアイのページならびに南米関係の日本語のページを出来るだけ網羅するように務めております。次第に増えて来ており、かなりの数になっています。是非他の南米ページを探検して下さい。またここに掲載している以外のページをご存知の方はご一報下さい。その他、訪問者の方々のホームページのリンク集、登録型のリンク集なども設置しております。意外なページがあると思います。そちらのリンク集もご利用下さい。

このホームページは非常に広範囲にかつページ数もかなり多くなっております、興味のある場所からご覧になって下さい。また当地に住んでいた、もしくは訪問した方からの情報(体験談・紀行文)ならびに広く皆様にからのご意見・感想等をお待ちしております。

パラグアイ現地発信であり、更新は出来るだけ「まめ」に行っておりますので時々覗いて見て下さい。そしてこのページを通じてパラグアイ、そして南米の理解が少しでも深まり、興味を抱いていただければ幸甚です。

作者は縁あって90年にこのパラグアイに移住し、現在は首都アスンシオンに住んでいます。どのような人物か興味のある方はプロフィールのページ並びに自分史をご覧下さい。

最後になりますが、このホームページを作成するにあたり協力していただいた皆様、情報を提供していただいた方、投稿していただいた皆様にはこの場にて感謝の意を表します。

なお、当ページは「リンク・フリー」です、どんどん宣伝して下さい。写真・本文等を引用・使用される際には事前に連絡して下さい。パラグアイの楽しい話題を伝える事には利用していただきたいと考えております。ただ、他の目的には使用をご遠慮ください。特に個人のプライバシーにかかわる事はお断りします。

宜しくお願い申し上げます。




04・国旗に関して (2004年7月11日)

パラグアイの国旗は裏と表が違う国旗として有名になっています。中央に在る紋章が異なっています。



(現在の国旗-表)



(現在の国旗-裏)



(現在の国章)

独立した当時、最初に使用した国旗は青地に左隅に白い星があるというもので、現在のナウル共和国の国旗に似ているデザインでした。(ナウルの場合には中央に黄色の線が在るが似ている)かなり斬新なデザインであり、当時の人達にはピンと来なかったのでしょう、個人的にはこれが廃棄された事は残念です。



(最初の国章)

二代目の国旗は独立数ヶ月後に使用され、これも数ヶ月の命でした。当時としては国旗らしい三色旗となり、上から青、赤、黄色でした。コロンビアの影響があったのかも知れませんね。そして独立の翌年には現在の色の三色旗になっています。当初は中央の紋章が無く赤・白・青の三色旗でした。これが1826年まで使われたようです。その後紋章が裏表に入り、67年、88年、90年の3回紋章が変えられて現在のものは1990年に制定されています。それぞれの図柄は下記のページにあります。

http://www.j-flags-java.org/merumagaparaguay.htm


05・国歌

国歌の歌詞は以下の通りです。なお、メロディーはこのページの表紙を開けば聴く事が出来ます。


Himno Nacional del Paraguay

Autor: Francisco Acuna de Figueroa

Coro

Paraguayos, Republica o Muerte !
Nuestro brio nos dio libertad;
Ni opresores, ni siervos alientan
Donde reina union, e igualdad.

I

A los pueblos de America, infausto
Tres centurias un cetro oprimio,
Mas un dia soberbia surgiendo,
!Basta! dijo...., y el cetro rompio,
Nuestros padres, lidiando grandiosos,
Ilustraron su gloria marcial;
Y trozada la augusta diadema,
Enalzaron el gorro triunfal.

Coro

II

Nueva Roma, la Patria ostentara
Dos caudillos de nombre y valer,
Que rivales, cual Romulo y Remo,
dividieron gobierno y poder ...
Largos anos, cual Febo entre nubes
Viose oculta la perla del Sud,
Hoy un heroe grandioso aparece
Realzando su gloria y virtud...

Coro

III

Con aplauso la Europa y el Mundo
La saludan, y aclaman tambien
De heroismo valuarte invencible
De riquezas magnifico Eden
Cuando entorno rugio la Discordia
Que otros Pueblos fatal devoro,
Paraguayos, el suelo sagrado
Con sus alas un angel cubrio.

Coro

IV

Oh !, cuan pura, de lauro cenida,
Dulce Patria te ostentas asi
En tu ensena se ven los colores
Del zafiro, diamante y rubi.
En tu escudo que el sol ilumina,
Bajo el gorro se mira el leon.
Doble imagen de fuertes y libres,
y de glorias, recuerdo y blason.

Coro

V

De la tumba del vil feudalismo
Se alza libre la Patria deidad;
Opresores, doblad rodilla !
Compatriotas el Himno entonad !
Suene el grito, Republica o Muerte !
Nuestros pechos lo exalen con fe,
Y sus ecos repitan los montes
Cual gigantes poniendose en pie.

Coro

VI

Libertad y Justicia defiende
Nuestra Patria; Tiranos, oid !
De sus fueros la carta sagrada
Su heroismo sustenta en la lid.
Contra el mundo, si el mundo se opone,
Si ententare su prenda insultar,
Batallando vengar la sabremos
O abrazo con ella expirar.

Coro

VIII

Alza, oh Pueblo, tu espada esplendente
Que fulmina destellos de Dios,
No hay mas medio que libre o esclavo
Y un abismo divide a los dos
En las auras el Himno resuene,
Repitiendo con eco triunfal:
A los Libres perinclita gloria !
A la Patria laurel inmortal !

Coro



◎正式国名
 パラグアイ共和国(REPUBLICA DEL PARAGUAY)

 ◎位置・面積
(1)面積
 40万6,752平方キロ(日本の国土の約1.1倍)
(2)位置
 南米大陸のほぼ中央に位置しており、北をボリビア、東をブラジル、南と西をアルゼンティンの3ヵ国に囲まれた内陸国である。西経54度15分より62度38分、南緯19度18分より27度31分に至る地域を占める。
(3)首都
アスンシオン(人口:市内約50万人、近郊を含む首都圏で人口約100万人)




(南米地図)

 ◎地勢
 国土は平坦で、中央を南北に貫流するパラグアイ河の東西で、地勢、植生が大きく異なる。パラグアイ河とパラナ河に挟まれた東部パラグアイは、国土の約39%を占め、森林の多い丘陵地帯と平地が交錯している。山地はアマンバイ山地やバラカジュ山地がブラジルのマット・グロッソ州との国境地帯を走り、標高は高地でも海抜600〜850メ−トルである。ブラジルとの国境に近い地方の土壌は、パラナ州から続くテラ・ロッシャで、肥沃で農業に適している。一方、パラグアイ河とピルコマージョ河に挟まれた西部パラグアイは、東部と対照的に平坦で、ボリビア南東部からアルゼンティン北部にかけて広がる、いわゆるグラン・チャコの主要部分を占めている。穏やかな傾斜の潅木の多い大平原で、河川流域では低湿地帯となっている。

  ブラジル高地西部に源を発するパラナ河は、パラグアイ北東部から同南部にかけて、パラグアイとブラジル及びアルゼンティンとの国境を成して流れ、パラグアイ南部でパラグアイ河と合流する。アルゼンティンとブラジルの国境をなすイグアス河とパラナ河の合流地点の近くに有名なイグアスの滝がある。その他の主要な河川としては、パラナ河支流のアカライ河、パラグアイ河支流のテビクアル河などがある。

 ◎気候
 西から東へ向かうほど年間降雨量は増して湿潤となり、ボリビア国境地方では年平均500ミリに対して、ブラジル国境地方では同1,700ミリである。東部は一部森林地帯や山地を除いて亜熱帯性気候で、一般に一年を通じて高温であり、例えば首都アスンシオンの夏期平均最高気温は34℃である。西部チャコ地方は高温乾燥地帯である。  パラグアイの気候の特徴は、気温の年較差、日較差の激しいことで、特に春(9月〜10月)、秋(4月〜5月)は日較差が著しい。冬は一部地域を除いて氷点下になることはほとんどないが、たまに霜の降りることがある。

 ◎人口・民族
(1)人口
 約508万人(1997年中銀推定値)
 人口増加率は2.7%(同上)
 人口密度は12.2人/平方キロ(同上)
(2)民族
 総人口の約97%が原住民のグアラニー族とスペイン人との混血で、残りはヨーロッパ系の移住者、原住民、東洋系等である。

 ◎言語
 公用語はスペイン語及びグアラニー語。原住民の言葉であるグアラニー語が広範に使われており、大半の住民がスペイン語とグアラニー語を解する。英語は学校教育に導入されておらず、普及率は他の中南米諸国と比較して極めて低い。

 ◎国民性
 総人口の97%が原住民のグアラニー族とスペイン人の混血であることから、パラグアイ人には南米の他の原住民に比べ比較的温和であったグアラニー族の従順性や内向性と同時に、情熱的なスペイン人の直情的な気質が見られる。

 ◎国旗・国歌・国花
(1)国旗
 パラグアイの国旗は4度にわたる変遷を経て現在に至っている。現在のものは赤、白、青の等幅の3色帯で、中央に国章を配している。1842年11月25日付法律で制定されたもので、赤は正義、白は平和、青は自由の象徴とされている。国章は表面と裏面とで異なる二つの図柄を使用している珍しいものであるが、通常は表面の国章を使用している。表面の国章は、ヤシの葉とオリーブの枝を組み合わせ、頂点を開き、その中央に星を置く。飾り縁には REPUBLICA DEL PARAGUAY(パラグアイ共和国)の文字を配し、ヤシの葉は栄光、オリーブの枝は平和、星は幸運を象徴している。裏面の国章は中央の槍と帽子の基にライオンを描くもので、ライオンは種族、槍と帽子は自由を象徴しており、帽子の上に PAZ Y JUSTICIA(平和と正義)の文字がある。



(パラグアイ国旗)

(2)国歌
 現在の国歌の作詞は、ウルグアイの詩人フランシスコ・アクーニャ・デ・フィゲロアによって作られたもので、ロペス大統領(1844−1862在職)に送られ、同年ウルグアイ国歌の作曲者でもあるハンガリー人フランシスコ・ホセ・デバリによって作曲された。その後、1934年5月12日、上記作詞と、パラグアイ人音楽家レンベルト・ヒメネスによって再編された曲が国歌であると規定された。
(3)国花
 国花は原住民がマナカと称したもので、一般国民は本花をアスセナ(Azucena)とも称している(科名 Solanaceae、学名 Brunfelsia Hopeana)。低草で葉は卵形、対生花は青紫色、あとで白っぽく変わる。少し香りがある。

◎歴史
 1521年スペイン人によって発見されるまで、パラグアイは土着のグァラニー族の支配するところであった。彼らは焼畑農業を営む温和な土着民であり、スペインの探検家とは早くから友好的な関係を作り上げていた。定住の必要に迫られていたスペインの探検家たちは、1537年に現在の首都アスンシオン市を建設し、この地方の植民の根拠地とした。アスンシオンはヨーロッパへの銀の積出港として栄え、スペイン総督府が置かれたが、1617年にブエノス・アイレスへ移され、それ以来パラグアイは単なる内陸国となった。パラグアイは 1810年独立を宣言し、ブエノス・アイレス総督府からの遠征軍を22度にわたって撃退し、1811年5月14日独立を達成した。  1864年ウルグァイの内紛に端を発したブラジル、アルゼンティン、ウルグァイの3国同盟を相手とするいわゆる三国戦争(1864ー1870)に突入して敗れ、領土が半減し国民の数は130万から30万へ激減するという痛手を受けた。

 さらに、1932年、北部地域での国境紛争をめぐり、ボリビアとの間に戦争(紛争地域の名前からチャコ戦争(1932ー1935)と呼ばれる)が勃発、結果的にパラグアイは紛争地域の大部分を確保したものの、財政的に大きな痛手を受けた。第2次世界大戦では、パラグアイは 1942年枢軸国と断交し、1945年宣戦布告した。  19世紀末以来政情が不安定で、政党間の抗争、内紛等が続いていたが、第2次大戦後もその状況は変わらず、1947年から1954年までの間に、6人の大統領が政権に就いた。1954年5月、クーデターが起こり、同年8月その中心人物であったストロエスネル陸軍司令官が大統領に就任した。

 その後ストロエスネル大統領は、伝統的な大政党である国民共和協会(ASOCIACION NACIONAL REPUBLICANA 通称コロラド党)の支援を得て、1958年、1963年、1968年、1973年、1978年、1983年、1988年の大統領選挙に当選、8期に亘り政権を担当したが、1989年2月、軍部によるクーデターにより35年間に及んだストロエスネル独裁政権は崩壊し、1989年5月の総選挙(大統領及び上下両院議員)を経てクーデターの指導者であったロドリゲス将軍が正式に大統領に就任した。

同大統領は制憲議会招集、表現の自由の確保、経済自由化等、民主化への基盤を作り、平和裡に政権を移譲した。1992年6月施行の新憲法に従い1993年5月に行われた大統領選挙でワスモシ候補が勝利し、同年8月に大統領に就任して39年ぶりの文民政権が誕生した。1998年5月に行われた大統領選挙では与党コロラド党からはラウル・クーバス大統領候補、ルイス・マリア・アルガーニャ副大統領候補、野党の真正急進自由党と国民会合党が連立した「民主同盟」からはドミンゴ・ライノ大統領候補、カルロス・フィリソラ副大統領候補が出馬し一騎打ちとなったが、コロラド党は底地からを発揮し同党候補が当選した。

 

(写真)クバース大統領(98年8月15日・就任式)



(写真:ゴンサーレス・マキ大統領)

◎政体  
1992年6月に公布された新憲法は、政体を三権分立の立憲共和制と規定している。新憲法のもと1993年総選挙の後、立法府は7月1日から、行政府は8月15日から新政権が発足した。憲法公布後、刷新が遅れていた司法権についても、1995月4月最高裁判所判事及び高等選挙裁判所判事が新憲法規定に従い任命され、国権の三権は全て改革された。

 国家元首及び行政府の長として大統領、立法府として上下両院から成る国会がある。大統領は直接選挙で比較多数を得た候補が選出され、任期は5年(再選不可)である。内閣は大統領が任命する11人の閣僚より成る。

 国会の定員は上院45、下院80、議員の任期は5年(再選可)、選挙は大統領選挙と同時に行われる。選挙の方法は、上院議員については全国単一区の比例代表制、下院議員については県単位の選挙区での比例代表制である。  地方行政組織は、アスンシオン市及び17県に分かれており、各県知事は、1992年憲法により、県民の直接選挙で選出される。首都アスンシオン市は何れの県にも属さない独立した地位を有する。全国市長(任期5年、再選不可)は、1991年5月及び1996年11月全国で市民の直接投票方式による選挙が行われた。  軍は陸海空の3軍より成り、大統領は最高司令官として軍を統轄する。
 司法権の独立は憲法で保証されており、その最高機関である最高裁判所は9人の裁判官で構成され、長官(任期1年)は毎年裁判官の選挙により選出される。

◎政治情勢概況
(1)1954年に大統領に就任以来与党コロラド党及び軍の支持を背景に、35年間の長期にわたり政権を掌握してきたストロエスネル大統領は1989年2月3日、軍部内の最高実力者であったロドリゲス将軍によるクーデターによって失脚し、ロドリゲス将軍が新大統領に就任した。

 ストロエスネル政権が長期に亘って維持された背景としては、
(イ)ストロエスネル大統領の卓越した指導力と政治的手腕により、与党及び軍部内に反対分子の台頭が見られなかったこと、
(ロ)国内の野党勢力及び国外亡命中の反対分子はいずれも脆弱であったこと、
(ハ)国土の割には人口が少く、他の中南米諸国に見られるような、極端な貧困層が存在しなかったこと、
(ニ)80年代初頭までの高度成長の恩恵が国民の政府支持につながったこと等があげられる。しかしながら、政権の長期化に伴い、軍部、政府要人の腐敗、ストロエスネル大統領の健康問題、与党コロラド党内部での主導権争いの表面化が、1989年2月クーデターの背景にあったものと見られている。

(2)1989年5月1日に行われた大統領及び上下両院議員選挙で発足したロドリゲス政権は「民主化と人権尊重」を掲げ、政治活動や言論の自由への統制を一挙に廃し、この結果、多くの政治家、知識人等が帰国し、真正急進自由党(PLRA)、キリスト教民主党(PDC)等既存の幾つかの主要政党が公認され、労働組合等新たな団体が数多く組織された。

(3)1991年12月に選出された制憲議会により、新憲法が準備され1992年6月10日に成立・公布された。副大統領職の創設、国会議員数の大幅増加、住民の直接選挙で選出される県知事、県議会の設置等、政治制度面でもかなりの民主的改革が折り込まれた。

(4)1993年5月9日、正副大統領、上下国会議員、県知事及び県議会議員の選挙が、米州機構(OAS)、欧州議会他、米国、日本を含む国際的な多くの監視団の注目する中で平穏に行われた結果、コロラド党のワスモシ候補が得票率39.9%で大統領に当選し、コロラド党が一時の予想を上回る健闘を見せたとはいえ、国会上下院で初めて過半数を割った。

(5)1993年8月15日に発足したワスモシ政権(1993-1998)は、民間企業家を閣僚に登用し実務型の政権色を特徴とする。同政権は最大の公約として前政権からの民主化の継続、教育、保健の充実、経済面では公共企業の民営化を始めとする自由化を推進するリベラルな政策を掲げた。ワスモシ大統領にとりオビエド将軍に代表される軍の政治的影響力を排除することが民主化強化に向けての最大の課題であったが、1996年4月22日ワスモシ大統領はオビエド将軍を陸軍司令官から突然解任した。解任に反発したオビエド将軍は正副大統領の辞任を求め、武力行使も辞さずとの態度を取ったことから、国内にはクーデターの噂が流れ騒然となった。ワスモシ大統領は、一時的に同将軍を国防大臣に任命することを発表したが、反オビエドの国内世論と米国及び中南米諸国の支持を盾に、最終的には国防大臣任命を撤回し、政権発足以来最大の政治・軍事危機を乗り切った。事件後、ワスモシ大統領はオビエド派軍人を多数解任・左遷するなど、粛清人事を断行し、1937年のチャコ戦争集結以来、国内に影響力を行使してきた軍を民主主義に即した組織に編成した。

(写真)フアン・カルロス・ワスモシ大統領

 同大統領は、司法権の刷新、選挙人名簿の刷新、人権尊重、メルコスール諸国との関係強化など、新生民主国家パラグアイにとり大きな足跡を残したが、経済面では民主化は国内の反発もあり進まず、社会政策も財源不足という制約もあり思うようには進まなかった。

(6)1998年の大統領選挙に向けて、1997年9月に行われた与党コロラド党党内予備選挙ではオビエド将軍が勝利し同党の大統領候補となったが、ワスモシ大統領は1997年12月同将軍に対し上官である大統領(大統領は国軍最高司令官)に対する侮辱の罪で30日間拘束し、その間1996年の同将軍によるクーデター未遂事件を裁判するため特別軍事裁判所を設置した。1998年3月同裁判所はオビエド将軍に10年の禁固刑を判決し、右判決は最高裁判所まで争われたが、同年4月最高裁判所も判決を認めたためオビエド将軍は大統領候補資格を喪失し、大統領候補には副大統領候補であったクーバス元大蔵大臣が繰り上がり、副大統領候補には党内予備選挙で第2位となったアルガーニャ党総裁が選ばれた。野党は真正急進自由党と国民会合党の2党が連立し「民主同盟」を結成し、大統領候補にドミンゴ・ライノ真正急進自由党党首、副大統領候補にカルロス・フィリソラ国民会合党党首が選ばれ、5月10日の選挙には約160万人が投票し、「民主同盟」の有利の下馬評を覆し、コロラド党候補が53.7%を獲得し正副大統領に選ばれた。また、国会議員選挙ではコロラド党は上院では24議席、下院では45議席、知事選挙では17県中14県で当選し、1993年選挙で失った国会においても過半数を挽回し、地方選挙でも勝利するなど同党の底地からを見せた。

 (イ)1993年及び1998年総選挙における大統領候補の得票率(%)は以下の通り。
* コロラド党 - 真正急進自由党 - 国民会合党 -
1993 ワスモシ候補 39.91  ライノ候補 32.13  カバジェロ候補 23.14
1998 クーバス候補 53.75  ライノ候補(野党連合「民主同盟」 42.60

                      (注:1998年は暫定集計結果)

 (ロ)1993年及び1998年総選挙結果による国会議席配分及び知事は以下の通り。

 
1993年選挙 + + + + 1998年総選挙 + +
+ 上院 下院 知事 + 上院 下院 知事
コロラド党  20  38 12 + 24 45 14
真正急進自由党 17  33 04 + 13 26 02
国民会合党 07  08 01 + 07 07 01
二月革命党  01 01 +
白党  + 01

(注:1993年選挙では二月革命党は国民会合党と選挙連合を組み、選挙後連合を解消。1998年選挙では真正急進自由党と国民会合党は野党連合「民主同盟」を組み選挙に臨んだ。)

 ◎立法・政党
(1)国会:
二院制(議員数:上院45、下院80。任期5年、連続再選可)
(2)主要政党  
与党:  国民共和協会(Asociacion Nacional Republicana 通称コロラド党):政党綱領には社会主義政党であると明記してあるが、保守系政党に変質している。党員数約98万人(1997年)
野党:
*真正急進自由党(Partido Liberal Radical Autentico):中道リベラル政党。党員数約70万人(1997年)
*国民会合党(Partido Encuentro Nacional):中道左派、党員数約12万人。1993年大統領選挙に際し、伝統的政党に属さぬ第三勢力としてカバジェロ・バルガスをリーダーに著しく勢力を伸ばしてきた新たな政治グループ。1994年政党として発足。
*白党(Partido Blanco):1998年選挙で下院に一議席を確保。右翼政党。 <以下国会に議席なし。(1998年ー2003年)>
*二月革命党(Partido Revolucionario Febrerista)
*キリスト教民主党(Partido Democrata Cristiano)
*パラグアイ共産党(Partido Comunista Paraguayo)
*民主主義人民党(Partido Democratico Popular)
*労働者党(Partido de los Trabajadores)
*国民社会党(Partido Nacional Socialista)

◎行政・政府の主要政策  
大統領は行政府の長であり、任期は5年、再選は禁止されている。大統領としての被選挙権は、35歳以上のパラグアイ人。新憲法で副大統領職が創設された。  中央行政機構として次の省があり、大臣は大統領に任命される。  

大統領府    Presidencia de la Republica  
内務省     Ministerio de Interior  
外務省     Ministerio de Relaciones Exteriores  
大蔵省     Ministerio de Hacienda  
文部宗務省   Ministerio de Educacion y Culto  
農牧省     Ministerio de Agricultura y Ganaderia  
公共事業通信省 Ministerio de Obras Publicas y Comunicaciones  
国防省     Ministerio de Defensa Nacional  
厚生社会福祉省 Ministerio de Salud Publica y Bienestar Social  
司法労働省   Ministerio de Justicia y Trabajo  
商工省     Ministerio de Industria y Comercio  
統合省     Ministerio de Integracion  


この他、大統領府には経済政策策定、対外援助受け入れを担当する企画庁、女性の地位向上を計る女性庁、麻薬取り締まりを担当する麻薬取締庁があり、長官は大臣である。

(1)ロドリゲス前政権以後、政治活動や言論の自由は大幅に改善された。政党、政治団体、更に労働組合等新たな団体が数多く組織され多様化が進んでいる。また、報道の自由が確保され、マスコミの影響力も著しく増大している。ワスモシ政権も民主化を重点公約に掲げ、司法権の刷新、選挙法改正、軍の政治介入の排除が実現し、パラグアイの民主化の基礎を築いた。

(2)経済政策面では、ロドリゲス政権から始まった経済自由化政策を踏襲、生産構造の再構築、市場経済への移行推進等を目標とする。その基本政策は、インフレの抑制、脱税・密貿易を抑制し財政の均衡を維持、公営企業の合理化・民営化、民間投資促進のための開発基金の設立、外国投資の誘致、農業生産の多様化、金融システムの改革等である。ワスモシ政権では、営農資金融資割り当て額の増加、産業開発基金の設置の他、航空会社、鉄鋼、アルコール公社及び国立商船隊の民営化を実行したが、電気、水道、通信、鉄道、社会保障の公営企業の民営化は政治的圧力により早急には進展していない。  1997年の経済成長は2.6%を記録した。しかし、国内生産及び輸出の大方を外的要因(天候、国際価格)に左右されやすい農業に依存する構造は、変わっていない。更に市場の狭溢さ、天然資源のなさ、内陸であること等が、外国投資の促進や工業振興にとり大きな制約要因となっている。

(3)社会・福祉政策については、CONAVI(国家住宅審議会)、DIBEN(慈善事業総局)、IBR(農村福祉院)等の大統領府直属の機関を通じ、住宅建設、公民館建設、農地改革等に取り組んでいる。産業面では産業開発基金を設立し、企業への長期融資を実施している。

◎司法  
司法権は9人の裁判官で構成される最高裁判所(Corte Suprema de Justicia)及び下級裁判所に属する。最高裁判所判事の任命は、最高裁、行政府、国会上下両院、アスンシオン国立大学法学部教授、創立20年以上の私立大学(現在はカトリック大学のみ)法学部教授から夫々の代表1名、及び弁護士会代表2名計8名で構成される司法官審議会(Consejo de la Magistratura)の推薦に基づき、国会上院が政府の合意を得て行う。定年75歳。その他の裁判官の任命は司法官審議会の推薦に基づき最高裁が行う。任期は5年、再選可能である。1994年司法官審議会が発足し、1995年新憲法に基づく司法権が発足した。  

通常の裁判所は、第1審としての裁判所(Juzgado de Primera Instancia)、第2審として控訴裁判所(Tribunal de Apelacion)があり、夫々刑事、民事・商事、労働に区別されている。最後の第3審として最高裁判所があり、唯一違憲立法審査権を有する。この他、特別裁判所である軍事裁判所(Tribunal Militar)がある。 

検察庁(Ministerio Publico)は司法権の一部を構成するものではないが、裁判制度において司法権を補完するものとして機能する。検察庁は公共の利益に関係するあらゆる法の公正な遵守を確保する責任を課せられている。その為、政府が当事者となる総ての訴訟において政府を代表し、また私人間の訴訟において一方当事者として機能する他、裁判そのものを監督する立場にある。

 検察庁は、国家検事総長(Fiscal General del Estado)を頂点として、民商事管轄検事(Fiscal de Jurisdiccion Civil y Comercial)、刑事管轄検事(Fiscal de Jurisdiccion Penal)、労働管轄検事(Fiscal de Jurisdiccion Laboral)が配置されている。検事総長は、司法官審議会の推薦に基づき、政府が上院の合意を得て任命する。  

新憲法により創設されることになった新制度として司法権に属する選挙裁判所がある。高等選挙裁判所(Tribunarl Superior de Justicia Electoral)及び全国10か所の地方選挙裁判所(Tribunal Electoral)及び17か所の選挙裁判所(Juzgado Electoral)からなり、総選挙及び市町村長選挙の召集、選挙の実施・管理、党内選挙を含む全ての選挙の紛争処理を担当する機関であるが、憲法判断を必要とする場合は最高裁判所が担当する。

◎地方制度  
地方行政の単位は県(Departamento)で、全国は17の県と、いずれの県にも属さない独立の存在であるアスンシオン市に区分されている。県はさらに区(Distrito)、字(Compania)に細区分されているが、区、字は行政上の単位ではなく、あくまでも地方行政の最小単位は県である。県行政の執行部には、県民の直接選挙で選出される知事(Gobernador)、県議会(Junta Departamental)が設けられ、知事及び県会議員の任期は5年、選挙は大統領選挙と同時に行われ、知事の再選及び市長の連続再選は禁じられている。 一定の区画内に少なくとも3千人以上の居住者が存在し、財政的裏付けがあれば市(Municipio)として認定される。首都アスンシオン市の他は、その規模によって第1、第2、第3のカテゴリ−に分類される。市長(Intendente)及び市議会(Junta Municipal)議員は、市民の直接投票によって選出され、その任期は5年、議員は再選可能である。  

憲法上、地方の自治は保証されているが、知事の権限は弱く、同時に中央政府は一定の条件のもとで地方自治体に対する介入権を留保している。

◎外交方針
 リオ・グループ諸国を中心としたラ米諸国との親善友好関係の促進、特にメルコスール加盟国(アルゼンティン、ブラジル、ウルグアイ)と経済関係のみならず政治的関係の強化を図っている。ワスモシ大統領は、「民主国家パラグアイ」の新しい顔を諸外国にアピールし、就任後、ラ米諸国はもとより、欧州、アジア諸国を精力的に訪問し、政権への支持を取りつけ政権基盤を強化した他、旧東欧諸国とも外交関係を開設し外交を多角化し、ストロエスネル政権時代に国際的に孤立していた状態から脱却した。  民主化と並行し、国際社会への積極的な参加に努めており、1993年にはワスモシ大統領がパラグアイ大統領としては初めて国連総会で演説したほか、1994年より3年間国連経社理理事国のポストに就くなど、その積極的な姿勢が伺える。  

一方ストロエスネル政権時代からの反共主義を維持し、ワスモシ政権のもとでも非民主国家として中国、北朝鮮、キューバとは外交関係を有せず、南米で唯一台湾と国交を有する。 (主要加盟国際機関) 国連、IMF(国際通貨基金)、IBRD(世界銀行)、OAS(米州機構)、MERCOSUR(南米共同市場)、SERA(ラ米経済機構)、BID(米州開発銀行)、ECLAC(国連ラテン・アメリカ経済委員会)、WTO(世界貿易機構)、ITU(国際電気通信連合)、WHO(世界保健機構)

◎諸外国との関係
(1)ラ米諸国:
近隣国とは国境問題等を抱えておらず、むしろ近隣のアルゼンティン、ブラジル及びウルグアイとの間で1995年1月より南米共同市場(MERCOSUR)が発足し、経済のみならず政治面でも関係を深めている。とりわけ、1996年オビエド造反事件が勃発した際、いち早く加盟国がワスモシ大統領への支持を表明したことは、本件を平和裡に解決した最大の要因としてあげられる。ラテン・アメリカ諸国とは米州機構及びリオ・グループ加盟国として政治分野での強調を計っている。  

エステ市等国境周辺で行われている密貿易及び武器流出に対するパラグアイの不十分な取り締まりに対し、ブラジル及びアルゼンティンから不満が噴出しており、たびたび右に対する非難が表明される一方、パラグアイ側でも密貿易の当事者の大半はブラジル・アルゼンティンの国民であると反論し、意見の対立がある。  
他の周辺諸国との関係では、ボリビアとはガス生産・輸送プロジェクトで、チリは両大洋貫通道路等の建設プロジェクトで協力するなど、外交関係は良好である。  

外交関係を有しないキューバも、1995年のイベロアメリカ・サミットの際にカストロ議長とワスモシ大統領が会談し、1996年にはロバイナ・キューバ外務大臣がパラグアイを訪問し、領事及び通商関係の再開に合意した(但し、外交関係はなし)。

(2)米国:
1989年の政変後、急速に友好関係が進展した。1990年12月にはクエール副大統領がパラグアイを訪問し、1993年の大統領選挙の際にはカーター元大統領が選挙監視団長として派遣された。また最近では、ワスモシ大統領が頻繁に米国を訪問している。麻薬取り締まりに関して、米国は長い間パラグアイの取り組みに対し不満を表明してきたが、1996年パラグアイでマネー・ロンダリング規制法成立に伴い、1997年国務省の麻薬取り締まり非協力国リストからパラグアイの名が消えるに至り、その取り組みに一定の評価を与えている。しかし、米国はパラグアイにおける知的所有権の侵害(海賊版の製造)につき1998年3月、包括通商法スペシャル301条でパラグアイを優先交渉国に指定し、パラグアイ側の取り締まり強化を求めている。

(3)欧州:
近年の対欧州外交は、政治面より経済・通商面を重視し、パラグアイとしても貿易面で欧州諸国の投資を呼び込むべく努力を続けている。就中、メルコスール成立以降投資対象として南米諸国が注目を浴びる中、近年頻繁に行われている欧州諸国閣僚のパラグアイ訪問が、その傾向に拍車をかけている。  冷戦後、ロシア、ハンガリー、ルーマニア、ベトナムと外交関係を樹立、ロシア及びポーランドと大使(ポーランドは兼轄)の相互派遣を実現した他、1994年にはルーマニア首相が、1997年にはハンガリー大統領がパラグアイを訪問したのに対し、1995年にはワスモシ大統領がルーマニア及びハンガリーを訪問した。

(4)アジア:
日本、台湾及び韓国からの経済協力は不可欠なものとなっている。パラグアイは南米で唯一台湾と外交関係を有しているが、1993年に中国の議員団が初めてパラグアイを訪問したのを契機に民間交流が行われるようになり、特に野党の国会議員を中心に中国との外交関係樹立を唱える声もあるが、近年対パラグアイ援助が顕著な伸びを示す台湾に対する配慮もあり、中国とは通商関係の促進が図られるに留まっている。1998年には台湾の李総統がパラグアイを訪問した。

◎当面する外交上の諸問題
(1)国際社会における民主国家としての地位確保
(2)外国投資の誘致と貿易の拡大
(3)先進国からの援助の確保
(4)メルコスール成立に伴う、他加盟国との政策、法制度の整合
(5)知的所有権の保護、麻薬密輸の撲滅

◎国防政策  
近隣諸国と国境紛争や国防上の係争問題はなく、これら諸国とは軍部要人の交流も盛んに行われている。他方、行政組織が不十分であるために、国境を含む辺境地域では、実質的に軍が、治安、出入国取り締まり等行政の一部を荷なっており、軍病院を通じた一般市民への医療サ−ビス等も行っている。民主化後、ワスモシ政権では文民が国防大臣に任命されるなど、軍は民主主義に即した組織に再編されつつある。米国、ブラジルとは軍事訓練などを通じて頻繁に軍事協力を実施している。

◎国防組織・国防力
 国軍(Fuerzas Armadas de la Nacion)は陸、海、空の3軍から成り、大統領が国軍の最高司令官である。兵力は、陸・海・空併せて約1万5千人と見られる。最強部隊の陸軍は、首都圏を含む中央部を管轄する第一師団、東部を管轄する第二師団、チャコ地方を管轄する第三師団に分かれており、第一師団には全兵力及び武器の4割が集中している。所有兵器の詳細は公表されておらず、旧式な武器が多いが、最近では米国、ブラジル、アルゼンティン等から購入した火器、軍用機等を装備し徐々に近代化されつつある。また定期的に米軍との共同演習を行っている。

 義務兵役制で期間は1年間。但し、学生については、休暇を利用した特例が設けられている

◎国防費
 国防費は、1998年度予算で約2,910億グアラニ?(約132百万ドル)で、これは国家予算全体の5.5%(前年度6.3%)に相当し、国家予算に占める国防予算の割合は1997度に引き続き前年を下回った。



◎経済概況・経済政策
(1)パラグアイ経済は、基本的に農牧林業の生産及びその産品の輸出により成り立っている。1970年代初頭までは食肉及び木材が主要産品で輸出額の50%を占めていたが、1970年代後半からは綿花及び大豆の輸出が増加した。1975年から1981年にかけてはブラジルとの合弁によるイタイプ・ダム建設ブームにわいたが、ダム工事終了後は、経済は綿花、大豆、牧畜に特化し、農牧林業がGDPの27%、農業関連品の輸出が90%以上を占めている。

 パラグアイ経済を支えるもうひとつの産業として、インフォーマル・セクターを含む商業・貿易があげられる。公式統計に現れない貿易活動として、密輸、三角貿易、麻薬輸送などがあり、これらの活動によって動く莫大な金額を正確に把握することはできないが、パラグアイ経済の重要な構成要素であることは間違いない。また、旅行者貿易と呼ばれる国境の街(エステ市、エンカルナシオン市、ペドロ・ファン・カバジェーロ市)で行われる取引も重要である。電化製品、酒、タバコ等の一般消費財を第三国から正式輸入または密輸入し、当地を訪れる旅行者に販売する活動であるが、これはブラジルやアルゼンチンが保護貿易政策を取っていたことから発生したものである。パラグアイは保護すべき国内製造業産業もないことから関税率が低く、国内税も低いメリットを生かしたものであるが、メルコスールの枠組みの中で、段階的に2005年には全ての輸入品目についてブラジル、アルゼンティン、ウルグアイと共に対外共通関税に収斂されるので、今までパラグアイが有してきた旅行者貿易のメリットは失われる。1995年ブラジルが輸入関税を引き下げるとともに貿易輸入制限を緩和したことや、旅行者の無税輸入額を150ドルに抑えたため、パラグアイとの国境貿易は衰退し始め、国境地域での失業増加、関税収入の減収といった現象が起きつつある。

(2)1989年の政変により成立したロドリゲス政権は、健全なマクロ経済運営を目標とし、複数為替レートの単一化及び固定為替レートの変動化、公共投資の削減・保留、税制改革による多数の間接税の廃止と付加価値税の導入、関税品目の簡素化、民営化法の公布、預金・貸出金利及び外貨預金の自由化を行った。政策では、ブラジル及びパリ・クラブ債権国との債務交渉の妥結により債務返済を行い延滞債務を解消したほか、メルコスールやGATT(現WTO)へも加盟した。

 1993年8月に成立したワスモシ政権もこの方針を受け継ぎ、マクロ経済の安定、国営企業の民営化、金融改革、外貨導入による工業化促進、農産物の多様化、輸出の多様化等を主要政策として掲げている。

(3)1997年の経済動向は、「低インフレと低成長」と言い表せる。インフレ率は6.2%と20年ぶりの低水準に収め目標値の8%を下回ったが、経済成長率は2.6%(目標値4%)にとどまり、1996年の1.3%を上回ったものの、人口増加率が3.1%であることに鑑みれば、GDPは実質マイナス成長であった。この他、対米ドル通貨切り下げ率は9%、外貨準備高は20.4%の減少(96年末10.6億ドル、97年末8.4億ドル)、財政赤字1億ドル(暫定値)などからも、経済の悪化が伺える。これらの背景としては、1998年大統領選挙にむけて白熱した政争が展開し適当な経済政策が取られなかったこと、投資家が大統領選挙終了まで内外投資を控えたこと、農業人口の多くが従事する綿花栽培が不調であったことなどに加え、6月には国内最大手のウニオン銀行がを含む3行が支払い不能による業務停止に陥り、金融危機が広がったことがあげられる。年末に至っては、公共事業の支払いが不能になるなど、国家財政は新たな歳入源がなく、財政も逼迫する状態となった。

 民営化は小さな政府を目指すワスモシ政権の経済政策の柱の一つになっているが、1992年1月に公布された民営化法126/91号で民営化が指定された5つの公社のうち、1998年2月現在、民間へ売却された株は航空会社の80%、アルコール公社の71%、製鉄100%、5社に分割された商船隊の4社である。通信分野、電気、水道、社会保険、鉄道ともに国営企業が運営しており、非効率性、赤字体質が批判されてるものの、民営化された場合に収益のあがらない農村地域のサービスが疎かになるとの議論があり、民営化は進んでいない。

 公務員数は増加し続けており、1989年には12万人だったが、1997年には18万人(国営企業職員を含む)となった。
 パラグアイ国内の所得の偏在も近年顕著となりつつあり、1997年世界銀行は、パラグアイの富裕階層20%に所得の62.4%が集中しており、低所得階級10%は0.7%の所得しかないという数字を発表した。国内には個人所得税、相続税といった所得の公平な分配機能が存在しないことも一因となっている。

◎生産・雇用
(1)生産
 1997年の国内総生産は名目ベースで100.3億ドル、一人当たり国内総生産は1,634ドルであった。経済成長率は2.6%で、前年の1.3%を上回ったものの95年の4.7%を下回った。分野別国内総生産構成比は農牧業が27%、製造業が20%、電気、通信、水道の基礎サービス業が10%、その他のサービス業が43%であった。分野別成長率は農業5%(前年1%)、牧畜業3.0%(同1.7%)、工業1.1%(同?2.2%)、商業及びサービス業1.5%(同?1.0%)であった。

                経済活動
*  1993  1994  1995 1996 1997(暫定値)
国内総生産(名目ベース、百万ドル) 6,841  7,857  8,970 9,686 10,029
一人当たりGDP

(1982年を基年とした実質ベース、ドル)

1,619  1,625 1,656 1,634 1,634
経済成長率(%)  4.1   3.1   4.7  1.3 2.6

  (出典:中央銀行)

(2)雇用
 企画庁統計局のデータによると、全国平均の失業率は1995年8.1%、1996年9.8%、1997年10.1%である。人口増加率は2.6%であるが、農業部門の不調により農村部から都市へと職を求めて移住してくる若者が年々増加している一方、民間部門にはそれを吸収できるだけの雇用の受け皿がないことと、金融危機とアングラ経済に対する隣国からの圧力により経済活動が落ち込んでおり、失業問題が深刻化している。

 1997年に企画庁が実施した全国家庭調査の結果によると、経済活動人口は全人口の35%(178万人)で、そのうち89.9%が有職者、10.1%が失業者である。経済活動別人口は、農牧業が57,9万人(32.4%)と最も多く、サービス業33.5万人、商業・金融22.4万人、製造業18.2万人、建設14.2万人となっている。

◎物価・賃金
(1)物価
 1989年の政変以降、財政の均衡、対公共部門融資の制限、為替の自由化、金融調整手段の拡充によりインフレ率は安定している。1997年のインフレ率は6.2%で、過去20年間で最低であった。生活費を構成する主要分野の年間インフレ率は、食費4.1%、衣料費3.0%,住居費7.8%、雑費6.4%であった。1990年から97年までの7年間に電気代は2.7倍、水道代は2.8倍、電話代は1.7倍、市バス代は3.3倍、燃料代は平均2.3倍に値上がりした。1993年以後、公共料金の改正は年1回のペースで行われている。

(2)賃金
 1992年以後、最低賃金の値上げは毎年行われているが、インフレ抑制の観点から上昇率は抑えられており、実質賃金の伸びはほとんどない。1997年1月に最低賃金は約243ドル/月に改正された。しかし、国民の半分以上は最低賃金以下の収入しか得ていないのが現状である。最低賃金は累積インフレ率が10%を越えた場合見直されることとなっている。

             インフレ率と最低賃金
* 1993 1994 1995  1996 1997
インフレ率(%) 20.4   18.3    10.5    8.2 6.2
最低賃金(ドル/月)  168.2  190.2   212.9  228.2 242.5
購買力指数(1980年=100) 119  112  114 117 123

  (出典:中央銀行)

◎財政・金融
(1)財政
 1992年、IMF及びIDBの技術援助を受けて税制改革が実施された。税制改革の目的は徴収システムの簡略化及び効率化で、既存の15種にも及ぶ間接税が廃止され、法人税、付加価値税、特別消費税、印紙税等8種の新税が導入された。パラグアイには個人所得税制度がなく、その導入が検討されたことはあったが、徴税コストが高くつき国に利益を及ぼさないという理由で実現されていない。

 会計年度は毎年1月1日から12月31日まで、1997年の中央政府予算は4兆3,619億グアラニ、公営企業予算3兆,0,699億グアラニ、1998年の中央政府予算は5兆2,357億グアラニ、公営企業予算は3兆4,557億グアラニである。中央政府の主要財源は、税収とイタイプ公団からの売電収入で、この2つで歳入の70%近くを占める。1997の税収内訳はIVA(付加価値税)が42%、輸入関税が21%、法人税が20%、その他17%であった。税収の53%は税関で徴収されるもので(45%が輸入税、55%が前払いの形で納める国内税)、輸入によって得られる税収が国庫を支える重要な要素となっている。政府は徴税強化のため、1996年8月からスイスの業者に輸入インボイスのチェックを委託し、徴税率を高めた。歳出の特徴は、税収入の80%以上が公務員給与及び出張費に支出され、公共投資への支出が少ないことであるが、ワスモシ政権は教育、医療を政権の優先分野として予算配分したが、大きな成果には至らなかった。また、予算の執行率は例年87%程度と低い。財政収支は1995年から連続3年赤字を記録し、1997年は1億ドル(対GDP比で1%)となり、財政難から公共投資が犠牲となり、公共投資の予算執行率は58%にとどまった。

        中央政府財政(対GDP比、単位:%)
* 1992 1993 1994 1995 1996 1997(暫定値)
経常収入  13.4   13.4   14.8   15.6   14.9 13.4
(税収) 8.8    9.3    9.8   11.3   10.5 9.3
(公団収入) 2.4    2.8    4.8    4.0    1.9 2.1
経常支出  11.6   11.1   11.1   11.7   12.4 11
公共投資 1.2    1.3    1.9    3.2    2.5 2.3

      (出典:大蔵省)
(2)金融
 1944年及び1952年の2回の金融制度改革を経て、現在の中央銀行が創設された。中央銀行の通貨政策は、法定預金準備率の改変、公営企業の強制預金制度、融資管理制度から成る。1991年に通貨調節為替(letras de regulaciones)の売買を実施し始め、現在は中央銀行の流動性調節の主要手段となっており、インフレの抑制に貢献している。パラグアイには公定歩合はないが、中央銀行は法廷預金準備率の操作により民間銀行に対し中央銀行に強制預託を命じ、市場の通貨流通を調整している。

 市中銀行の1997年貸し付金利平均は28%(ドル建ては13.6%)、預金金利平均は8.9%(ドル建ては4.01%)で、その差は19.1%(ドル建ては9.6%)と高い。中央銀行は、高金利は構造的問題であるとし、その原因として、不良債権、銀行経営の非効率、銀行間の競争不足、融資審査の不整備等をあげているが、高率の法廷預金や、預金獲得のためにインフォーマルな取引で資金を得ている高利貸しの存在により、他の金融機関も高金利に合わせていることも一因となっている。1995年5月に発生した金融スキャンダルにより、中央銀行職員による公金横領、市中銀行経営の不正、不法預金者の存在などの実体が暴露された。1997年には国内最大手の民間銀行であるウニオン銀行が破綻するなど、金融の透明度は低く、政府は金融改革法案を国会に提出しているが可決には至っていない。

 中央銀行はイタイプ発電ロイヤリティ、外国政府借款により市場にドルが潤沢にありドル買いをしていたが、1995年及び1997年の金融危機に際し5億乃至6億ドルを放出し、そのうち4億ドルは回収不能となった模様である。断続的な金融不安、国内金融システムに対する不信、内政の不安によりパラグアイ経済の「ドル化」に拍車がかかり、市中銀行へのドル預金は増加する一方(国内預金の56%)、中央銀行の外貨保有高は減少している。また、中央銀行は通貨調整債権の発行、ドル売却により為替を維持してきたが、1997年12月に介入を中断するやグアラニ貨の急激な下落が始まった。

◎貿易・国際収支
(1)貿易(登録値)
 貿易動向は、密輸や再輸出等を含むアングラ経済が当国の税関で登録される貿易額(登録値)を上回る(アングラ経済については国際収支の項参照)。パラグアイ政府の公表する貿易統計に表れる輸出とは国産品の輸出を示し、輸入は国内で消費されるものの他に、正規に輸入され再輸出されるものが含まれる。

 貿易構造は、農業関連産品を輸出し、消費財及び資本財を輸入するという典型的な発展途上国のパターンである。輸入額が輸出額の2倍以上あり、巨額な貿易赤字が存在する。主要輸出産品は、綿花、大豆、木材、食肉、皮革で、輸出額の90%以上が農業関連産品である。主要輸入品は機械、電気製品、自動車類が35%を占め、原油・燃料、飲料・タバコがそれに続いている。1997年の輸出額(暫定値)は1,089百万ドル、輸入額(同)2,957百万ドルであった。輸出相手国はブラジル48%、オランダ22%、アルゼンティン9%、米国4%、ウルグアイ3%、チリ2%、その他12%となっている。貿易品目別では近年非伝統品目(衣類、皮革製品、インスタント・コーヒー、植物油、ジュース、殺虫剤など)が増加し1997年には46.3%を占め前年の2倍を記録した。輸入相手国(1996年)ではブラジル32.7%、アルゼンティン20%、米国11%、台湾6.4%、日本6.2%であり、1995年に比べ、日本からの輸入は25%減少し、台湾が第3位となった。
           貿易額(FOB、単位:百万ドル)
1992 1993 1994 1995 1996 1997(暫定値)
輸出  657    725 817 919 1,048 1,048
輸入 1,237   1,478    2,140   2,782    2,658 2,957

(出典:中央銀行)

主要輸出産品(FOB、千ドル)  
* 1997年輸出額 割合(%)
大豆  444,404    41
綿花  71,447    7 
肉類  51,029     5
木材  95,413     9
サブトータル 662,293    61
------ ------ ------
その他 426,272    39
合計  1,088,565    100

 主要輸入産品(FOB、千ドル)
* 1995年輸入額 割合(%)
機械類 659,0093    22
原油・燃料 223,948    8
輸送機器 314,805   11
飲料・タバコ 382,608   13
化学製品・薬品 176,141    6
鉄・鉄製品 100,871    3
金属 31,765    1
紙・紙製品 75,291    3
食料 172,625    6
農耕機械  32,185    1
繊維・繊維製品 77,814    3
その他  710,037   24
合計 2,957,100 100

  (出典:中央銀行)

(2)メルコスール(南米共同市場)
 1995年1月からパラグアイ、ブラジル、アルゼンティン、ウルグアイが加盟するメルコスールが発足し、2000年1月1日までに域内関税が撤廃され、2006年1月1日までに全ての品目につき対外共通関税が適用される。

 パラグアイの貿易に占めるメルコスールの重要性は年々増し、1997年の対メルコスール輸出は540百万ドル、輸入は1,428百万ドルで、輸出及び輸入とも貿易総額の50%を占めるに至っている。その内、最大の貿易相手国はブラジルである。対メルコスール貿易は増加しているが、輸出総額は伸びておらず、「消費者2億人の市場を有する」というメルコスールの経済的メリットを、現段階では十分に利用しきれていない。メルコスールが完全な関税同盟として機能し始めると、今までパラグアイの関税がブラジルやアルゼンティンと比較して低かったために栄えてきたアングラ経済はメリットを失い消滅せざるを得ない。旅行者貿易の中心地であるエステ市における商業活動は、ブラジル及びアルゼンティンの市場開放に伴って落ち込んでいる。

      パラグアイの貿易におけるメルコスール諸国の比率(%)
           1992  1993  1994  1995  1996  1997
 輸入(メルコスール/全体) 38   39   42   35   48   50
 輸出(メルコスール/全体) 38   40   46   57   63   50
                          (出典:中央銀行)

(3)国際収支
 パラグアイの国際収支の特徴は、当国の貿易動向にアングラ経済が占める割合が多いため、統計に表れる数値と現実とがかけ離れていることから、中央銀行は少しでも統計を実態に近づけるためのデータ操作をしていることである。

 パラグアイの国際収支表に表れる「貿易収支」では、パラグアイの税関で記録される貿易額を「登録値」とし、IMF統計と登録値の差を「非登録値」としている。輸出額は更に、「再輸出」として3国間(国境で売られる伯及び亜産以外の外国製電気製品の輸出額など)及び2国間(税金逃れなどのため一度パラグアイへ輸入され、再びパラグアイから輸出される輸出額)で行われる形態の貿易額推定値が加えられている。再輸出の算出方法は、米国、日本、韓国、台湾、フランス、英国からの輸入の上記非登録輸入の75%、ブラジルからの非登録輸入の50%、アルゼンティンからの非登録輸入の75%を加える。非登録輸入額を再輸出額が上回っている理由は、台湾のようにIMF非加盟国のデータがない国からの輸入については、非登録輸入の項目には計上されず、同国から直接得たデータが再輸出の項目に加えられているということで説明されている。

 もうひとつの特徴であった、輸出額に相当するほどの額が記されていた誤差・脱漏の項目が、前述の操作により1993年以後のデータで修正され、大幅に減少した。

             貿易収支の内訳(単位:百万ドル)
            1995     1996            1997(暫定値)
貿易収支       △1,440    △1,429        △ 1,397
輸出(再輸出を含む)  3,030     2,766           2,643
  登録値        919     1,043           1,088
輸入          4,471     4,195           4,037
  登録値       2,782     2,850           2,957
                          (出典:中央銀行)
 

             国際収支(単位:百万ドル)
         1993    1994    1995    1996       1997
経常収支    △407.9   △566.6  △500.5  △637.4    △ 669.4
 貿易収支   △889.2  △1,270.0 △1.440.8 △1,428.9   △1,397.7
 貿易外収支  △746.1    369.9   523.9   350.6       264.8
 移転収支    100.3    31.5    72.2    39.4        49.4
 公団収支*    304.9    302.2   355.2   401.5       410.1
資本収支      180.7    370.8   251.2   494.7       344.8
(経常+資本)  △230.9   △195.8   △249.3  △142.7     △324.6
誤差・脱漏     317.1    523.7    296.6    98.4       109.3
総合収支      86.2    327.8    47.0   △44.3     △215.3
外貨保有高      697.7     1,044.1    1.106.5   1,062.3       845.8

(注1)△はマイナス、
(注2)1996年以降は暫定値、*はイタイプ発電所、ヤシレタ発電所の売電収入                 (出典:中央銀行)

(4)対外債務
 パラグアイは歴史的に対外債務額の少ない国である。その理由は、ストロエスネル政権時代に国際機関との関係が冷却していたこと、外国借款の取り付けに消極的であったことである。1980年代末から外国借款を利用した投資・開発計画の推進を図ったことから対外債務残高は増加しているが、1997年末現在1,413百万ドル、対GDP比14.4%で、ラテン・アメリカ諸国の中で最も少ない国のひとつである。ワスモシ政権も外国借款を積極的に進める方針で、同大統領が就任した1993年以後に新たに結んだ借款協定は約2億ドルになるが、予算不足でローカル・コストが負担できないことや、財政の均衡維持とインフレ抑制を重視し、財政支出を抑えていることから、同期間のディスバースは7%にとどまっており、借款総額が国の発展に直接反映されてはいないのが実情である。

 1997年末現在、債権者は国際機関が614%、パリ・クラブ加盟国が37.5%、その他1.5%で、債務者は政府が60.4%、公営企業が26.4%、金融機関が13.1%を占めている。

(5)投資
 パラグアイにおいては1990年に成立した内外投資促進法(法律第60/90)により、自由な海外送金の保証、生産機材の無税輸入、投資後5年間の企業所得税の免除といった優遇性を投資家に付与している。ワスモシ大統領は頻繁に外遊して、対パラグアイ投資の優位性につき、2億人の大市場(メルコスール)、内外投資促進法による優遇措置、安定したマクロ経済、地理的優位性、豊富で廉価な土地・電力・労働力の諸点を説いてきた。法制度の不整備、腐敗、質の低い労働力、インフラ整備の欠如、内陸国であるための高輸送コスト等といったハンディキャップはあるも、メルコスール発足後ブラジル、アルゼンティン、チリからのサービス分野への投資は増加している。

                投資契約及び実績
            1994   1995   1996    1997
投資許可(件)        538    478    495        434
投資契約額(億グァラニ) 9,474    8,427   11,881     11,230
実行額/契約額(%)     8    30      ー     ?
                     (出典:投資委員会、中央銀行)

◎農林水産業
 1996年の国内総生産に占める農牧林業の割合は26.9%で、その内訳は農業16.0%、牧畜業7.6%、林業2.7%である。経済活動人口の約33%が農牧林業に従事しており、国土利用形態は農業用11%、牧畜用54%、森林31%である。

(1)農業
 主要農産物として大豆、綿花、トウモロコシ、小麦、米、キャッサバ、サトウキビ、タバコ、落花生、マテ茶等があり、1996年の外貨獲得への貢献度は綿花22%(前年32%)及び大豆32%(前年19%)で、両産品で全体の半分以上を占めていたが、1997年は伝統的な主要産品である綿花は国際価格の低迷、害虫の発生により栽培面積及び生産量も著しく減少し、栽培面積は過去最低の11万haであった。輸出額に占める割合も7.8%と前年の半分以下に落ち込んだ。これに対し、大豆は好調な国際価格を反映し栽培面積は年々増加し、輸出額に占める割合も41%と、前年に続き増加した。輸出される綿花の95%以上が加工されていない原綿である。

 大豆の生産量は、ブラジル、米国、アルゼンチン、中国に次いで世界第5位である。国際価格は高く維持されており、国内の栽培面積が年々増加している数少ない有望な作物のひとつである。しかし、重量のある機械の利用と土地のローテーションがうまく行われていないため、土壌の劣化問題が起こり始めている。利用法は、生産量の67%が輸出用、31%が原材料として利用、2%が国内消費される。国内に主要な搾油工場は2つあり、輸出には付加価値をつけることが望ましいが、工業化の収益性が低いため、生産者は未加工輸出の方を好む。

          綿花・大豆の栽培面積・生産量
          1991/92 1992/93 1993/94 1994/95 1995/96  1997/98
綿花 栽培面積(千ha) 437   235   381   332   307        111
   生産量(千トン) 391   421   380   461   330        139
大豆 栽培面積(千ha)  595   635   694   736   833        952
   生産量(千トン)1,192  1,794  1,796  2,212  2,395      2,666
                           (出典:農牧省)
(2)牧畜業
 企画庁のデータによると1995年の放牧数は、牛979万頭、豚145万頭、羊38万頭、馬35万頭であり、1997年には牛100万頭が出荷された。食肉の質は国際的に高い評価を得ており、今後ヨーロッパ向け輸出が大いに期待される分野である。1996年9月、パラグアイで口蹄疫病の発生が途絶えて2年が経過し、今後の新たな市場開拓の可能性が高まった。皮革製品は、原料が豊富で安価であるが、放牧しているため植物のトゲや有刺鉄線で傷ついたり、焼き印を押されているので質が悪く、一級品は25%程度しかない。

(3)林業
 1997年の輸出額に占める木材の割合は8.8%、大豆及び綿花に次ぐ。輸出額は1990年の38百万ドルから1997年の95百万ドルまで急速に増加した。更に、統計に現れない不法な輸出が78百万ドル(1994年)相当と推測されている。かつて豊富に存在していた森林は、農業開発、木材輸出、薪燃料として伐採され、パラグアイの国土に対する年間森林消失量は世界第1位である。伐採に関する法規制・管理が行き届いておらず、植林事業もほとんど行われていない。

◎鉱工・建設業
 1997年の国内総生産に占める割合は20%で、内訳は鉱業0.5%、工業14.1%、建設業5.4%である。
 鉱業の重要性は低く、地下資源の探鉱は十分に行われていないが、鉄、銅、マンガン、ボーキサイト、石灰石、メノウなどの鉱床の存在が知られている。しかし、埋蔵量が未知数のため、商業ベースでの開発の対象になるかどうかは不明である。

 近年の国内総生産に占める工業の割合は平均14%で、成長が低い分野である。1982年から1994年の12年間の各産業の成長率を見ると、1982年を100として成長率の大きい順に、鉄・鋼鉄857、化学物質248、皮革製品210、ゴム製品204である。1995年の工業製品の86%が農産加工品で、主要生産品の内訳は、食品類34.5%、木材加工品13.6%、繊維製品6.6%、飲料6.0%であった。ワスモシ政権では工業振興を目的として世銀、米州開発銀行、日本、台湾からの出資により2億ドルの産業開発基金が設立され、1996年には貸付金利を下げ、ドル建て7.5%(以前は9.0%)、グァラニ建て15%(以前は18%)とした。1997年の融資額は1,650万ドルで、前年の2,450万ドルを下回った。建設業は住宅用長期融資へのアクセスが可能となったことが、他の要因と重なり継続的でダイナミックな成長をもたらした。

◎エネルギー
 国内総生産に占める割合は、電気4.8%、水道0.5%である。1996年電気の普及率は76%である。石油は100%輸入に頼っており、原油はアルゼンチン(1996年87%)及びアルジェリアから輸入している。1997年ボケロン県にてロシア企業により石油鉱脈が発見され、1998年から試験掘削を予定している。

 当国が有する最大かつ唯一のエネルギー資源は水力資源で、発電電力の90%以上が輸出される。主要な水力発電所として国営のアカライ発電所(総出力19万kw)、ブラジルとの共同事業による世界最大の規模を誇るイタイプ発電所(総出力1200万kw)、アルゼンティンとの共同事業によるヤシレタ発電所(総出力300万kw)がある。ANDE(国営電力会社)への電力の供給源は、イタイプ発電所が75%、アカライ発電所が25%である。

 工業分野で使用されるエネルギーの半分以上が薪でまかなわれており、森林破壊に加担している。工業用利用には電気エネルギーは非効率であるため、ガスエネルギーの方が理想的であり、ボリビアからのガス・パイプライン建設計画が注目されている。

◎運輸・通信
(1)運輸
 国内総生産に占める運輸の割合は4.8%である。インフラ整備は遅れており、産業開発を進める上で大きな障害となっている。1995年の道路総延長は59,276キロで、93.7%が土道、5%が舗装道路、1.5%が石畳であった。国内の輸送はほとんどバス及びトラックに依存しており、鉄道は存在するが重要性は低い。輸出品の76%を陸上輸送で搬送し、輸入品の50%が河川輸送で持ち込まれる。燃料費は他のメルコスール諸国と比較すると安いが、陸路は河川交通や航空と比較すると割高であることや、河川輸送は、当国が海への出口を有さないため時間と費用が余分にかかり、当国は輸送面で大きなハンディを負っている。
 国内には2つの国際空港の他に、近距離用の空港が幾つもあり、民間の小型機が国内外主要都市間を運行している。しかしながら、地方空港の多くは滑走路も未舗装であり、道路とともに整備が求められている。
(2)通信
 電信・電話サービスは1947年以来、国営電気通信公社(ANTELCO)が行っており、電話局数は全国に322局ある。電話普及率は6.8%、20万台(1997年)しかなく、メルコスールのメンバーとして機能するためには最低15%まで引き上げることが必要である。回線のうち70%以上が都市部に集中しており、農村部における普及率は低い。最近では携帯電話のカバーエリアが広がりつつあり、また設置料金も廉価であることから著しく普及している。

 郵便局は全国で約360局あるが、郵便配達制度は都市部にしか存在せず、農村部での利用度は低い。日本までの郵便は1週間から10日かかる。1996年、インターネットの使用が可能となった。

◎商業
 国内総生産に占める商業・金融業の割合は25%で、労働力人口の23%が同分野で働いている。
 1997年は、大手銀行の破綻に起因する手形、小切手の決済不能、財政困難のため生産業や公共投資に対する資金が不足し、また、国民の国内経済に対する不安感から消費活動が落ち込んだままであった。国境貿易に関しては、1995年11月にブラジルが無税輸入限度額を250ドルから150ドルに引き下げたことや、メルコスールが完成度を高めるにことにつれ隣国の輸入関税が下がったことにより、低関税で反映していた商業都市エステ市を中心とした国境貿易は衰退の傾向を辿っている。国内企業は、関税率が変更される1月1日の直前になって、どの品目が何パーセント変わるのか調べている状況で、域内貿易に対する関税率が下がることに対して、危機感を抱いている様子は伺えない。

◎その他(産業全文)
 観光分野では1996年には外国観光客42万人が訪問し、235百万ドルをもたらした。
◎科学技術概況・科学技術政策
 科学技術政策は国家レベルでは存在しない。科学技術の開発、振興は80%が国立アスンシオン大学にて行われ、他に各研究機関、省庁、民間企業において独自に行われている。これらは先端技術に係わるものではなく、既存技術(外国から技術移転を受けたものが多い)の利用拡大を目指すものである。
◎原子力
 医療及び工業分野の一部を除き、原子力の利用はされていない。放射線検査は、ヨーロッパ諸国からの輸入製品(食料品)を対象に実施している。
 また、パラグアイはトラテロルコ条約加盟国であり、核兵器の開発等には関与していない。



◎日本からの援助状況
 日本は、1959年にインド、ヴィエトナムに続き、第3番目の円借款(河川用船舶)を供与したのを初めとしてその充実に努めてきており、1996年度末までの有償資金協力、無償資金協力及び技術協力の合計額は1,502.5億円に達している。

有償資金協力      770.83億円(計13件)(1996年度末まで)
無償資金協力    220.31億円(1996年度末まで)
 プロジェクト     151.34億円(計20件)
 食糧増産援助      62.5億円(計18件)
 文化無償協力      5.24億円(計14件)
 草の根無償援助     1.4億円(計40件)
 災害緊急援助     0.52億円(計2件)

技術協力        511.40億円(1996年度末まで)
 専門家派遣        967名
 調査団派遣        1,866名
 青年海外協力隊派遣    582名
 研修員受け入れ      1,784名
 機材供与額      100.1億円
 プロジェクト方式技術協力  17件
 開発調査          31件

 わが国の国別経済協力額で見ると、パラグアイは中南米諸国中4位(1位伯、2位ペルー、3位メキシコ)を占め、1976年以降、1991年を除き、わが国はパラグアイにとって最大の援助供与国となっている。また、わが国の対パラグアイ援助開始以来1995年度までの間、パラグアイ国民一人当たりのわが国からの援助受取額は30,200円(わが国援助総額を現在のパラグアイ人口で除した数値)となり、右は中南米諸国の中で第一位である。

◎外国援助受容状況
 1995年には、DAC諸国より合計(支出純額)105.8百万ドルの二国間援助を受け入れている(1993年94.0百万ドル、1994年84.5百万ドル)。このうち最大供与国はわが国で、77.6百万ドル(73.3%)、以下、独14.2百万ドル(13.4%)、スペイン8.7百万ドル(8.2%)、米国1.0百万ドル(0.9%)と続く。

 他方、1995年の国際機関からの援助は、合計(支出純額)40.4百万ドルで、内訳は、米州開発銀行(IDB)18.0百万ドル、欧州開発基金(EDF)9.9百万ドル、国連開発計画9.6百万ドル、国連児童基金(UNICEF)1.3百万ドルなどとなっている。

◎社会情勢
(1)概況
 1989年の政変までは国民生活、マスコミ活動は政府の管理下におかれていたが、政変以降、民主化、経済の自由化が進められ、報道の自由も保障された。民主化に伴い、一般犯罪、労働者のストライキ、私有地の不法占拠が目立つようになる反面、増加人口を吸収する産業の成長もなく、都市部への人口の集中、失業、貧困が増加している。一部の上流層の生活水準は向上しているが、国民の大半を占める農民の生活は年々厳しくなり、貧富の差が拡大し、国民は不満と不安を抱えている。
 都市人口は約54%で、 同数値は中南米諸国の中では少ない方であるが、近年、農村部から都市部への若者の流出が進んでおり、2025年には65%に増加すると推測されている。農村部には年寄りが取り残され、若者の移住先であるセントラル県では違法労働者や半失業者が増加し、治安が悪化するという社会問題が深刻化している。また、街頭で物売りや車の窓拭きなどをするストリート・チルドレンも増加傾向にある。

(2)貧困問題
 農村部における貧困に関連した問題は、私有地の不法占拠、土地なし農民問題、原住民問題、失業者・劣悪環境下に在住している人々等、多岐に渡っている。貧困者の70%、極貧者の85%が農村部に居住している。近年の綿花栽培の不調に加え有望な代替栽培作物もなく、収入源を持ち合わせない農民も多く、農村部における貧困の程度は年々悪化している。しかし、気候と土壌に恵まれたパラグアイでは、農村部に住んでいる限り飢える心配はない。

 都市部の3分の2の貧困者は農村部から移住してきた者であり、まともな仕事を得られないケースが多く、大人だけでは十分な収入が得られない彼らは子供にも就労を強要し、ストリート・チルドレンの急速な増加は深刻な社会問題となっている。都市部における貧困問題は、教育分野において最も深刻である。アスンシオンにおける平均就学期間は8.8年であるのに対し、貧困者に限ると5.6年である。貧困者の中にはグアラニ語を話すもスペイン語を話せない者が多く、社会進出に致命的な障害となっている。その結果、必然的に、教育を受けていない貧困者の中からの犯罪の発生率が高く、社会治安の悪化は急速に進んでおり、対応は緊急を要している。

◎労働
(1)労働組合
 主要な労働組合は、ストロエスネル政権時代に結成された政府系のパラグアイ労働連盟(CPT)、1989年の政変後結成されたカトリック系の全国中央労組(CNT)及び左翼系の中央統一労組(CUT)の3労組である。また、1989年の政変を契機とした民主化への移行は労働運動を活発化し、ストライキや農民デモがしばしば起きるようになり、1994年5月には36年ぶりにゼネストが実施された。しかし、労働組合の影響力は弱く、政府は労働者の要求事項を聞き流しているのが現状である。

(2)労働法
 現行の労働法は1993年に公布された。内容は労働者側に有利なものであり、同法の存在は当国に投資が増えない原因のひとつである。1996年には、労働市場の柔軟性を主張する企業側から、同法の改正を求める声が高まり、最大の争点は「最低賃金制度の廃止」及び「解雇条件の柔軟化」であったが、労働法改正には至らなかった。労働法は労働基準法、労働組合法の双方を兼ね備えており、週労働基準時間は48時間であるが、週休2日制がかなり広く取り入れられている。労働組合分野では、労働3権を保障している。

◎社会保障
 国民全体をカバーする統一された社会保障制度はなく、一般労働者を対象とする国立の社会保険院(IPS)、中央政府の公務員を対象とする恩給・年金公庫、中央銀行の職員を対象とする中央銀行年金公庫、及び市中銀行の職員を対象とする銀行員年金公庫によって独自に行われている。全ての一般労働者はIPSへの加入を義務付けられており、保険料として毎月給与の9.5%を労働者が自己負担し、16.5%を雇用者が負担している。農民をはじめ社会保障制度の適用を受けていない者が多く、病人を抱える家庭では、借金に苦しむか、経済的事情から家族を見殺しにせざるを得ないのが現状である。企画庁のデータによると、社会保障制度のカバー状況は、国民の18%をIPS、7%を民間保険会社、3%を軍と警察の医療機関、残りの72%は無保険である。身障者擁護については、教育、訓練、リハビリのための3機関が存在する。

◎保健・医療
(1)保健・医療サービスは厚生省が管轄し、国立病院、地方病院を運営してる他、国立アスンシオン大学は医学部付属病院を有し貧困者に医療サービスを提供している。また、私立病院は首都圏及び地方都市にもある。地方都市においては地域病院と称する拠点病院が置かれ、村落には看護婦が常駐する診療所(Puesto de Salud)が置かれているが、医師及び看護婦の絶対数が不足しているほか、大都市と地方都市の医療給付格差が目立つ。ワスモシ政権では教育と共に保健分野に重点が置かれ、ベッド数も1993年には2886床であったが、1996年には3480床に増加した。

(2)1997年の乳幼児死亡率は千人中40.3%と高い。1995年の妊産婦死亡率は10万人中132人である。当国における死亡原因は多い順に、心臓病、脳内血管障害、腫瘍、感染症、事故、呼吸器障害、下痢である。

(3)貧困者の唯一の頼みの綱である国立医療機関であるIPSの運営に関しては問題が多い。給料を貰うために氏名を登録して実際には勤務を行わない医師が多く、患者は丸1日待っても診察を受けられる保証はなく、常にベッドは満員で、職員による入院患者用食糧購入資金の横領、さらには運営資金を金融機関に投資するなど、数多くのスキャンダルが報じられている。経済的余裕のある人々は、よりサービスの充実した私立病院を利用する。私立医療機関としてSanatorio Americano、Sanatorio Italiano、Sanatoio Adventista、Sanatorio Bautista、Sanatorio Migone等の総合病院が存在する。

◎教育
(1)憲法85条は「教育予算は国家予算の20%を下回ってはならない」と規定し、更に、教育の機会均等、学問の自由を規定しているが、1997年の教育予算は18%(対GDP比4%)にとどまった。もっとも1990年には9%(対GDP比1%)であったことに比べればワスモシ政権のもと長足の改善を見せた。
(2)初等・中等教育
 学校は国立と私立があり、憲法によって公立の教育機関は無料と定められ、義務教育は小学校6年間及び中・高校前半の3年間の計9年間である。小学校への入学率は90%台と非常に高いが、留年者及び中途退学者が多く、卒業する生徒の割合は少ない。もとから半日体制の午前、午後の二部制であることに加え、教師のストライキや悪天候により授業が犠牲にされることが多く、小学校における授業時間数は年間293時間で、世界で最も少ない国のひとつである。また、小学校すら卒業していない人が小学校の教師をしているケースも多く(35%が無資格教員)、国立教員養成学校はあるも教員の数不足とともに教育の質の問題も深刻である。1998年5月には教育改革法が成立し、年間授業日数を200日、毎日の授業時間を4時間と定めたが、教職員側は労働の強化につながるとして反対している。

 文部省の統計(1996年)では、小学校入学率は92%、その内、都市部の小学校で卒業するのは79%、農村部では49%であり、中学校入学率は37%、卒業率は50%である。退学者が多い理由には、小学校低学年から落第があることや家庭の経済的理由により退学するケースが目立っている。

(3)高等教育
 高等教育機関としては、1889年創立の国立アスンシオン大学及び1960年創立の私立カトリック大学の2校が伝統的に存在したが、1991年以後法律改正により私立大学の設立が容易となり新設私立大学が増えている。1998年現在国立大学1校、私立大学17校がある。新設私立大学の中には十分な教授、施設を有しない学校もある。

(4)文盲率
 成人の文盲率は全国平均8%(1995年)である。

◎環境
 近年、湖沼の汚染、ゴミの投げ捨て、上下水道の不備、野生動物の激減、森林伐採などパラグアイにおける環境破壊は深刻な問題となってきた。中でも森林破壊の規模は大きく、国土に対する年間森林消失率は、パラグアイは世界第1位(1.44%)で、ブラジル(0.26%)よりはるかに高い。1996年末の現存森林面積は1,350千haで、年間伐採面積は1995年は124千ha、1996年は85千haであり、このままのペースで伐採を続けると、あと15年間で森林が消滅することになる。環境保護に関しては国際援助機関や先進国からの圧力で、今まで皆無に等しかった法律による規制が行われ、1996年に森林保護・植林法が発効し、開墾面積の25%を森林としなければならないとし、更に植林経費の70%を国庫補助するなど森林保全の積極的な態度を示し始めている。また、1997年1月に就任したブルト・アスンシオン市長の政策により、街路の美化運動が盛り上がっており、その影響は全国に及び、地域住民が自発的に道路、川、公園等の掃除を行うという、過去には想像できなかった現象が見られる。

◎文化
 民俗音楽・舞踊は常に人気が高く、17世紀スペイン人がカトリック布教の際に持ち込んだ西洋ハープをパラグアイ原住民が改良したアルパ(インディアン・ハ?プ)がパラグアイを代表する楽器として広く親しまれている。他方、国際に活躍する現代音楽家はおらず、他の中南米諸国及びスペインなどから人気歌手やグループが商業ベースで訪れている。

 第2次大戦後アルゼンティン、その後フランスに亡命していた作家ロア・バストスは、1989年11月、中南米の独裁者を糾弾した小説「我、最高者」でスペイン語文学の最高峰のセルバンテス賞(スペイン)を受賞した。また、1991年よりパラグアイ政府はパラグアイ文学賞を創設、毎年国内の優秀な文学者を表彰している。

◎宗教
 現行憲法は信教の自由と政教の分離を定めているが、国民の多数はカトリックであり、同教会の一般社会に対する影響力も依然強い。また、移住者の流入に伴い様々な宗教が流入している。

◎報道
 1989年の政変以降、報道の自由が名実共に認められるようになったと同時に、報道機関の果たす役割は大きくなった。国民の情報源としてラジオとテレビが重要なニュース源となっている。主要な全国紙は日刊が4紙、夕刊が1紙(発行部数は5紙併せて約22万部/日)、週刊が1紙、ラジオ局が全国に147局(1998年4月現在)ある。全国ネットのテレビ局は4局(全て民放)に加え、アスンシオン市及びその近郊をカバーするケーブル・テレビへも最近加入者が増えている。国内でもブラジル、アルゼンティンの新聞は容易に入手可能であり、ケーブル・テレビでは米国、主要中南米諸国の他、フランス、スペイン、ドイツの放送が受信可能である。

◎スポーツ
 南米各国と同様、サッカーは他を大きく引き離して最も人気があり、且つ最も競技人口の多いスポーツである。ナショナル・チームはアメリカン・カップの優勝経験を持つ強豪で、度々ワールド・カップに出場している。クラブ・チームでも1990年「オリンピア」がリベルタドール・カップに優勝、南米クラブ・チャンピオンの栄冠に就き、同年トヨタ・カップに出場するために訪日した。また、南米サッカー連盟の本部はパラグアイに所在し、会長のニコラス・レオス氏はパラグアイ人であり、南米サッカー界に大きな影響力を持つ。

 ゴルフやテニスでも代表選手が国外で優秀な成績をおさめており、テニスでは度々デニス・カップの上位に食い込み、ゴルフではカルロス・フランコがジャパン・ツアーの常連で、度々上位に名を連ねる。

 その他、バスケットボール、バレーボールも広く普及しているが、国際的にはレベルは低い。更に、ここ数年、アスンシオン近郊では、パドルテニス(スカッシュに似た球技)がブームになっている。東洋の武道も人気がある。競技人口及びレベルの高さではテコンドーが目立つが、わが国の空手、柔道、合気道も普及している。

◎交流史
 日本との関係では、パラグアイに在住する日本人移住者が特筆すべきものとしてあげられる。わが国とパラグアイは1919年に国交を開始し、ブラジルが外国人移住に対する2分制限法(過去にブラジルに移住した実績を基礎に、新規移住を2%認めるという内容のもの)をもって外国人移住を制限したため、新移住地を求めた日本の拓務省がパラグアイに白羽の矢をあてた。当時パラグアイは戦争で疲弊し、国力回復のために外国人移住及び外国投資を広く受け入れており、かかる国際情勢を反映し日本人の移住は1936年に始まった。戦前ラ・コルメナに約800名が移住した他、戦後1959年に日本人移住者8万人を受け入れると共に、移住に際しての免税などを決めた「日本・パラグアイ移住協定」が締結され、わが国の戦後移住が本格化した。イタプア県、アルト・パラナ県、アマンバイ県に日本人1万人以上が入植したが、脱耕者もあり現在約7,000人の日本人及び日系人がパラグアイに居住している。移住者は主として農業に従事しており、大豆、小麦を生産する他、技術移転により蔬菜類栽培を行っており、その勤勉さと技術の高さはパラグアイ官民の等しく認めるところとなっている。パラグアイの国民の間では、日本人移住者によりトマト及び緑色野菜が通年食用可能になったこと、ラ・コルメナの果樹生産、イタプア県、イグアス、アマンバイ地区の大豆生産と不耕起栽培技術の導入などが知られて、「パラグアイ農業に日本人移住者は革命をもたらした」と評価するのみならず、現在も「日本・パラグアイ移住協定」を根拠に日本人の移住を求める声は強い。

 日本人移住者のパラグアイへの貢献度を数字で見ると、農業従事者は約4,000名(家族を含む)であり、これはパラグアイの経済活動人口のうち農業従事者の0.7%に相当するが、大豆に関しては全国生産量の4.5%、小麦に至っては16.1%を生産している(1997年)。更にアスンシォン市中央卸売市場に入荷する卵のほぼ100%は日本人の生産によるものである。一方、移住者の中には農業から商工業に転業した者もあり、また日系子弟の中からは、パラグアイ社会と融合して医師、弁護士などの職に就くものや官界で活躍する者なども出始めている。1996年には移住60周年記念式典がパラグアイ・日本人造りセンターにおいてパラグアイ側から正副大統領、多数の閣僚、日本側から相沢英之衆議院議員夫妻、橋本大二郎高知県知事夫妻らを迎え、盛大に開催された。

◎政治関係の現状
 両国関係は極めて友好的である。大統領を始め政府要人は、機会あるごとにわが国との友好関係、在住日本人移住者の主に農業分野における貢献、わが国よりの経済協力につき言及するなど、わが国を極めて高く評価しており、南米屈指の親日国と言われる。ストロエスネル政権時代の1989年昭和天皇崩御の際は大統領令により中央官庁すべてが喪に服した他、毎年催されるパラグアイ・日本協会主催の天皇誕生日記念祝賀会の模様はラジオを通じて全国に実況中継される。1989年2月3日のク?デタ?による政変後も、日本は2月14日ロドリゲス新政権を承認し、両国の友好親善関係の継続が図られてきた。

 国際場裏においてはパラグアイはリオ・グループの一員として、毎年国連総会の機会に行われる日本・リオ・グループ外相会合に参加している。かかる友好関係を反映し、国連等国際機関の選挙の場においては、パラグアイはほとんど例外なく積極的に日本を支持してきている。

 また、要人の往来も比較的盛んであり、1972年ストロエスネル大統領が国賓として訪日し、右答礼の意味で1978年6月には皇太子同妃両殿下(現天皇皇后両陛下)がパラグアイを御訪問、1986年の日本人パラグアイ移住50周年記念行事開催に際しては、常陸宮同妃両殿下がパラグアイを御訪問された。1994年には、ワスモシ大統領が日本を公式実務訪問した。かかる友好関係を反映し、1990年11月、パラグアイは政令をもって3か月以内の観光目的で入国する日本人旅行者に対し査証を免除することを一方的に決定した。

◎経済関係の現状
(1)二国間貿易
 日本はパラグアイにとり、ブラジル、アルゼンティン、米国、台湾に次いで5番目の輸入相手国である。過去1995年までは日本の出超を記録していたが、日本の通関統計によると1996年逆転し、1996年のパラグアイから日本への輸出は、98%は大豆(13万トン)であるが、ブラジル経由で運ばれるため、当国中銀発表の対日輸出の項目には登録されていない。日本からの輸入は、自動車及び機械がほとんどで、特に自動車に関しては日本が最大の対パラグアイ輸出国となっている。

           パラグアイの対日貿易額(単位:千ドル)
       1992   1993    1994     1995          1996
対日輸出   17,431  37,056    29,994    37,262      103,790
対日輸入  145,934  191,052    189,811   205,896       97,828
                               (出典:日本通関統計)

(2)経済団体として1975年に在パラグアイ日本商工会議所が設立、1994年にパラグアイ側企業を加えた日本・パラグアイ商工会議所が設立された。会員となっている日系企業(現地企業を含む)は22社で、総合商社2社が事務所を開設しているが、日本から派遣されている駐在員はいない。わが国からの進出企業には牧畜、キノコ栽培があるがメーカーの進出はない。

(3)1996年10月の第1回日本・メルコスール高級事務レベル協議開催以後、パラグアイとは本件協議を通じてわが国との経済分野での協議を継続している。

◎文化交流
(1)パラグアイから日本へ
 アルパ(インディアン・ハープ)は、1990年の大阪・花と緑の博覧会で紹介されたり、複数の当国民族音楽グループが商業ベースで日本を訪れたりしていることから、わが国でも愛好者が増えている。1995年日本人アルパ奏者ルシア塩満女史は、演奏活動を通じて長年日本・パラグアイ交流に尽力した功績がパラグアイ政府に認められ、ワスモシ大統領より表彰された。

 しかし、地理的な距離の遠隔さのため特に人物交流に限りがあり、政府関係者や商社からの派遣員など日本人の手でパラグアイ文化が少しずつ日本に紹介されているのが現状である。

(2)日本からパラグアイへ
 芸術家の派遣、文化作品の送付はほとんどが我が国政府によるものとなっている。最近の例を見ると、いずれも国際交流基金の派遣により、1992年に和太鼓とジャズの競演、1993年に草月流師範による生け花のデモンストレーション及び現代日本建築写真展、1994年に男子体操のデモンストレーション、及び日本舞踊公演、1995年に凧・独楽専門家によるワークショップが実施された。1996年には日本人のパラグアイ移住60周年記念事業の一環として「日本文化月間」が開催され、ヴァイオリニストの黒沼ユリ子女史他多数の日本人文化人がパラグアイを訪問した。1997年には、着物とニャンドゥティのジョイント・ファッションショー、草月の川名師範による生け花デモンストレーションが行われた。12月の文化週間には、民芸品展、映画会、ODA写真展など、連日日本文化紹介行事が開催され、国際交流基金派遣「若水祝」もパラグアイを訪問した。

 文化無償協力は1980年以降15件を実施(累計5.74億円)、近年の実績としては1996年にペドロ・ファン・カバリェロ市役所に対する楽器の供与、1997年文部・宗務省に対する教科書印刷機材を供与した。

 他方、日系移住者が団体及び個人で、生け花、日本舞踊、茶道、空手、剣道など日本文化普及に尽力している。中でも生け花は既にパラグアイ人の間に広く浸透しており、教室や展示会も活発であるとともに、日本料理にも関心が高まっている。

◎その他の交流
 年間、JICA研修生として100名以上、文部省国費留学生として7?8名のパラグアイ人が訪日している。JICAを通じてパラグアイに派遣される専門家、青年協力隊も非常に多く、1998年4月現在、専門家52名及び青年海外協力隊員38名が活動している。

 パラグアイにおいては両国の友好関係促進を目的として1963年に設立された「パラグアイ・日本協会(サマニエゴ元国防次官会長)」があり、毎年各種の広報、文化事業を実施している。

◎対日観
 対日イメージは一般的に非常に良好である。その主因は、60年前に始まった日本人移住者の誠実な生活ぶりと、当国の農業に対する顕著な貢献を当国官民が高く評価していること、また、近年のわが国の経済・技術協力にある。

 しかし、日本の文化、歴史、社会に関してはあまり知られておらず、日本イコール経済大国のイメ?ジが強い。ただし、一般的に好ましいものとして捉えられており、市場にあふれる日本製の自動車、オートバイ、家電製品の高品質も上述の要因とともに対日イメージを向上させている。

◎その他(日本との関係)
(1)要人往来
(イ)パラグアイから日本へ
1972年 ストロエスネル大統領(国賓)
1976年 モンタナロ内相
1977年 サマニエゴ国防相
1979年 セントゥリオン商工相、ベルトーニ農牧相
1981年 ノゲス外相、カセレス公共事業通信相
1984年 サルディバル外相
1986年 アルガーニャ最高裁長官
1987年 セントゥリオン商工相
1988年 サルディバル外相、ミルトス下院議長
1989年 アルガーニャ外相(大喪の礼)
1990年 ベルトーニ農牧相
1990年 ロドリゲス大統領、フルトス外相(即位の礼)
1992年 スカボーネ商工相
1994年 ワスモシ大統領(公式実務訪問)
1995年 バレイロ大蔵大臣(メルコスール・セミナーの参加)
(ロ)日本からパラグアイへ
1978年 皇太子同妃両殿下、二階堂進・衆議院議員・日パ協会会長
1983年 中尾栄一・衆議院議員(大統領就任式特派大使)
1986年 常陸宮同妃両殿下(移住50周年記念式典御出席)
1990年 土屋義彦・参議院議長
1991年 鈴木宗男・外務政務次官
1993年 二階堂進・衆議院議員・日パ協会会長(大統領就任式特派大使)
1996年 小川 元・外務政務次官
1996年 相沢英之・衆議院議員(移住60周年記念式典出席)
1997年 岡野労働大臣

(2)日本との協定
1959年 移住協定
1978年 青年海外協力隊派遣取極
1979年 技術協力協定
1989年 移住協定改正(効力無期限延長)

(3)姉妹都市
アスンシオン市-千葉市(1970年)
サン・ロレンソ市-竹田市(1973年)

 
主要経済指標 前年 調査年 対前年比(%) 出典
実質GDP(百万ドル、1982年基準) 8,097   8,311 2.6 中央銀行
名目GDP(百万ドル) 9,686 10,029 3.5 中央銀行
一人当たりGDP(ドル,1982年基準) 1,634   1,634   0  中央銀行
消費物価上昇率(%)  8.2  6.2  -24.4 中央銀行
失業率(%)   9.8  10.1 3.1 中央銀行
貿易収支(百万ドル)  -1,428  -1,397  -2.1 中央銀行
輸入(FOB,百万ドル) 1,043   1,089 4.4& 中央銀行
輸出(FOB,百万ドル) 2,850  2,957 3.8 中央銀行
経常収支(百万ドル) -637.4 -669.4 5.0& 中央銀行
対日貿易収支(百万ドル) 5.96 N.A. N.A. 通関統計
対日輸出(FOB,百万ドル) 103.8  N.A. N.A. 通関統計
対日輸入(FOB,千ドル) 97.8 N.A. N.A. 通関統計
歳出収支/GDP(%) -0.8% -1.0% 25 大蔵省
対外債務残高(百万ドル) 1,336  1,438  7.6  中央銀行
為替レート(対ドル年平均) 2,057 2,178 5.9 中央銀行
金・外貨準備高(百万ドル) 1,062 846 -20.3& 中央銀行
短期金利(年平均、年率%) 31.9& 27.8 -12.9 中央銀行

長期融資は行っていない。


1・パラグァイの輸出(品目別)
(登録値、単位:千ドル)
パラグアイの輸出に関しては下記の通りです。この10年間の間にも大きな変動があり、綿花から大豆にシフトしているのが理解出来ると思います。しかしながらこの4品目で約60〜70%を占めているという構造には全く変化は無いようです。それでも「その他」の割合が少しづつですが増えているようです。
 
綿花 割合 大豆 割合 食肉 割合 木材 割合 その他 割合 合計
1990 332,906 35% 267,429 28% 133,709 14% 37,748 4% 186,889 19% 958,681
1991 318,912 43% 157,125 21% 55,199 7% 44,374 6% 161,486 22% 737,096
1992 209,415 32% 137,221 21% 47,496 7% 53,328 8% 209,095 32% 656,555
1993 164,909 23% 223,689 31% 47,082 6% 63,839 9% 225,699 31% 725,218
1994 170,887 21% 222,259 27% 55,419 7% 78,596 10% 289,672 35% 816,833
1995 297,192 32% 175,923 19% 54,862 6% 89,313 10% 302,041 33% 919,331
1996 217,732 21% 324,157 31% 46,826 4% 94,030 9% 360,700 35% 1,043,445
1997 97,095 8% 493,598 43% 49,202 4% 100,736 9% 402,147 35% 1,142,778
1998 86,060 9% 437,394 44% 67,157 7% 67,276 7% 343,900 34% 1,001,787
1999* 32,526 7% 251,541 57% 16,871 4% 25,789 6% 115,316 26% 442,044
1月 6,545 23% 0 0% 3,495 12% 3,768 13% 14,219 51% 28,026
2月 3,410 13% 74 0.3% 1,668 7% 4,185 17% 15,952 63% 25,290
3月 5,371 5% 71,182 67% 2,835 3% 4,893 5% 21,695 20% 105,976
4月 4,787 5% 56,619 63% 2,469 3% 4,267 5% 21,128 24% 89,270
5月* 5,541 5% 72,452 69% 3,003 3% 4,493 4% 19,304 18% 104,793
6月* 6,872 8% 51,214 58% 3,401 4% 4,183 5% 23,018 26% 88,688

出所:パラグァイ中央銀行
*  暫定値
 

2・パラグァイの輸出・メルコスール域内割合(登録値)
 (登録値、単位:千ドル)
パラグアイの輸出相手に関しては下記の通りとなります。年々対・メルコスールへの比重が高まって来ており、昨年までは5年連続で50%を超すまでになっています。特にブラジルへの傾斜が大きく、去る1,996には50%と全体の半分を占めるまでになっています。しなしながら、99年1月に起きたレアル切り下げ以来ブラジル向け輸出は低調となり、アルゼンチンも経済状態は芳しくなく、域外への輸出割合が増加しています。
 
 
アルゼンティン 割合 ブラジル 割合 ウルグァイ 割合 メルコスール合計 割合 その他 割合 合計 前年比**
1990 55,485 6% 312,303 33% 11,553 1% 379,341 40% 579,340 60% 958,681  
1991 45,050 6% 203,082 28% 11,319 2% 259,451 35% 477,645 65% 737,096 -23%
1992 64,149 10% 171,447 26% 10,804 2% 246,400 38% 410,155 62% 656,555 -11%
1993 64,943 9% 215,123 30% 7,211 1% 287,277 40% 437,941 60% 725,218 10%
1994 90,701 11% 323,698 40% 10,447 1% 424,846 52% 391,986 48% 816,832 13%
1995 83,278 9% 410,825 45% 33,946 4% 528,049 57% 391,282 43% 919,331 13%
1996 95,812 9% 520,725 50% 43,588 4% 660,125 63% 383,320 37% 1,043,445 14%
1997 104,681 9% 457,853 40% 23,753 2% 586,287 51% 556,492 49% 1,142,779 10%
1998 156,434 16% 372,010 37% 25,152 3% 553,596 55% 448,191 45% 1,001,787 -12%
1999* 29,223 7% 123,326 28% 8,846 2% 161,395 37% 280,650 63% 442,045 -56%
1 1,626 6% 15,668 56% 815 3% 18,109 65% 9,917 35% 28,026 -26%
2月 1,534 6% 7,212 29% 948 4% 9,694 38% 15,597 62% 25,291 -10%
3月 10,339 10% 28,726 27% 2,075 2% 41,140 39% 64,836 61% 105,976 319%
4月 9,758 11% 20,554 23% 2,691 3% 33,003 37% 56,268 63% 89,271 -16%
5月* 2,949 3% 24,456 23% 1,166 1% 28,571 27% 76,222 73% 104,793 17%
6月* 3,017 3% 26,710 30% 1,151 1% 30,878 35% 57,810 65% 88,688 -15%

出所:パラグァイ中央銀行
*  暫定値
 

 3・パラグァイの輸入・メルコスール域内割合(登録値)
 (単位:千ドル)
輸入のメルコスール域内に対する依存度は毎年確実に増加しており、昨年は56%にまで達しています。中でもブラジルは全体の3分の1を占めるまでになっています。
 
アルゼンティン 割合 ブラジル 割合 ウルグァイ 割合 メルコスール合計 割合 その他 割合 合計 前年比**
1990 151,157 13% 207,292 17% 8,854 1% 367,303 31% 826,062 69% 1,193,365  
1991 152,329 12% 234,256 18% 10,297 1% 396,882 31% 878,505 69% 1,275,387 7%
1992 200,655 16% 263,243 21% 11,114 1% 475,012 38% 762,136 62% 1,237,148 -3%
1993 211,056 14% 340,412 23% 19,271 1% 570,739 39% 906,801 61% 1,477,540 19%
1994 308,103 14% 555,050 26% 28,576 1% 891,729 42% 1,248,710 58% 2,140,439 45%
1995 491,253 18% 644,835 23% 33,922 1% 1,170,010 42% 1,612,153 58% 2,782,163 30%
1996 556,763 20% 933,113 33% 58,263 2% 1,548,139 54% 1,302,338 46% 2,850,477 2%
1997 641,092 21% 961,440 31% 62,545 2% 1,665,076 54% 1,434,164 46% 3,099,241 9%
1998 501,087 21% 756,999 32% 77,360 3% 1,335,446 56% 1,041,857 44% 2,377,303 -23%
1999* 128,188 17% 246,647 33% 22,557 3% 397,391 54% 343,534 46% 740,925 -69%
1* 19,641 14% 49,091 34% 4,729 3% 73,461 51% 69,467 49% 142,928 -24%
2月* 17,252 15% 38,966 33% 1,226 1% 57,444 49% 59,470 51% 116,914 -18%
3月* 20,188 15% 42,550 32% 5,290 4% 68,028 51% 66,270 49% 134,298 15%
4月* 21,468 18% 39,744 34% 4,032 3% 65,244 55% 53,322 45% 118,566 -12%
5月* 22,891 20% 38,773 34% 4,516 4% 66,180 58% 48,791 42% 114,971 -3%
6月* 26,748 24% 37,523 33% 2,764 2% 67,034 59% 46,214 41% 113,248 -1%

出所:パラグァイ中央銀行
*  暫定値
 
 

 4・パラグァイの主な経済統計資料
 
  主 要 経 済 指 標 1997年 1998年* 対前年比 出所
実質GDP(百万ドル、1982年基準) 8,307 8,273 -0.4% 中央銀行
名目GDP(百万ドル) 9,607 8,443 -12.1% 中央銀行
一人当たりGDP(ドル、1982年基準) 1,634 1,585 -3.0% 中央銀行
消費物価上昇率(%) 6.2 14.6 135.5% 中央銀行
失業率(%) 10.1 14.3 41.6% 企画庁
貿易収支(百万ドル)** -1,983 -1,376 -30.6% 中央銀行
輸出(百万ドル、FOB、登録値) 1,143 1,002 -12.3% 中央銀行
輸入(百万ドル、FOB、登録値) 3,126 2,377 -23.9% 中央銀行
経常収支(百万ドル) -765.2 -118 -84.6% 中央銀行
対日貿易収支(千ドル)*** -230,289 n.a n.a 中央銀行
対日輸出(千ドル、FOB) 10,962 n.a n.a 中央銀行
対日輸入(千ドル,FOB) 241,251 n.a n.a 中央銀行
歳出収支/GNP(%) -1.4 -1.0 -28.6% 大蔵省
対外債務残高(百万ドル) 1,444 1,597 10.6% 中央銀行
為替レート(対ドル年平均) 2,178 2,727 25.2% 中央銀行
金・外貨準備高(百万ドル) 846 875 3.4% 中央銀行
貸付金利(年率平均%、グァラニ建て) 27.79 30.49 9.7% 中央銀行
預入金利(年率平均%、グァラニ建て) 8.78 6.76 -23.0% 中央銀行

注:*1998年は暫定値
   **貿易収支は国際収支表に基づく数値ではなく輸出?輸入(登録値)
   ***対日貿易収支は国際収支表に基づく数値ではなく、対日輸出-輸入(FOB)




素朴な疑問を「何故だろう」と考えるコーナーを作りました。のんびりと、楽しめる話題を探して行きます。また、これを読まれた方で他にこのコーナーで取り上げるのにふさわしい「素朴な疑問がありましたら」当方にお知らせ下さい。パラグアイ50の質問、そしてパラグアイの国民的○○○、パラグアイが見えて来ますね。


国民的○○○ (2001年10月07日)

パラグアイの国民的○○○を考えるコーナーです。メーリングリストでいただいた意見を中心にしております。

01・ビールはピルセンだと思います。(国産な所が)

02・タバコはパレルモですか?(国産ではありませんが)

03・炭酸飲料はコーラだと思います。(もちろんコカです)

04・国民的主食;マンジョカ:これなくしてパラグアイの食卓は語れません。

05・国民的・昼飯 タジャリン
会社で「今日は何を食べた」と聞いて一番多い答えが「タジャリン」のように思います。安くて腹一杯になる昼飯・・

06・国民的フルーツジュース:アデス (しょっちゅう見かけます。)
このアデスというのはアルゼンチン製の豆乳です。味はりんご、パイナップル、オレンジ、みかん、マラクジャ、ミックスなどがあります。

07・国民的甘さ:砂糖大盛り3倍
コーヒーなど砂糖抜きで頼まなければ超甘くて色が黒いだけで砂糖を飲んでいるようです。カップの横に砂糖をつけて出してくれる場合も3袋はついてきます。ちなみにケーキも砂糖がジャリッとするほど甘いです。

08・国民的洗剤 オモ ?:今もそうなのかな?ブラジル製?

09・国民的ジェルバ・・・セレクタ
農作業の途中で飲むなら、やっぱりセレクタじゃないでしょうか・・・。安くて、味が長続きする(単に細かいだけ・・・?)し。パラグアイへ行ったばかりのころは、ボンビージャで吸いやすいパハリートを愛飲していましたが、夫の家ではセレクタでしたので、慣れてしまいました。はじめはなかなかうまく吸えなかったのですが、「好きな人にbesoするように優しく吸うんだよ」という夫(当時は違いました)のアドバイスもあり、今では、セレクタでなくては物足りないと思うほどになりました。

10・国民的ワインの飲み方(長くてすいません):
赤ワインをグラスに注ぎ氷をいれる・・・・銘柄はSANTA HELENA もしくはSANTA CAROLINA のガロン瓶で決まり。ブエノスでは誰もやりません。私は自宅で毎晩・・・・

11・国民的余暇の過ごし方:テレレを飲みながら集まっておしゃべり
椅子を門の前に出して車座になって皆でおしゃべり・・これが一般的でしょう。希望は・・ブラジル・カンブリウ海岸で休暇。

12・国民的アイドル:ロケ・サンタクルス、国民的英雄:チラベル??
サッカーしか無い、パラグアイ?、アイドルは若武者・サンタクルス、英雄となると癖があり、異論も多いかも知れませんが、やはりチラベルでしょうね。



パラグアイに関する50の質問(2001年11月04日)

パラグアイに関する50の質問というのを作成してみました。

パラグアイに関する50の質問

01・あなたとパラグアイとの関わりは?
02・・パラグアイ滞在期間は?
03・パラグアイのここが一番好き?
04・パラグアイのここが一番嫌い?
05・パラグアイで一番の有名な人は誰でしょう?
06・パラグアイを色で例えると?
07・パラグアイの国の形は頭でっかちなベビーか?
08・パラグアイは美人国であると思いますか?
09・パラグアイは貧乏国であると思いますか?
10・パラグアイは豊かな国土が広がる国であると思いますか?

11・日本とパラグアイどちらが好きですか?
12・それは何故ですか?
13・パラグアイの景色は好きですか?
14・アスンシオンと田舎とどちらが好きですか?
15・パラグアイは何も見る所の無いつまらない国であると言われた時どのように説明しますか?
16・パラグアイの中でどこに一番行きたいですか?
17・パラグアイは欧州的?それとも米国的?
18・パラグアイには人種差別は無いと思いますか?
19・パラグアイ人はとても親切であると思いますか?
20・パラグアイ人はあつかましいかと思いますか?

21・パラグアイ人は田舎者であると思いますか?
22・パラグアイ川で釣りを楽しみたいですか?
23・パラグアイを動物に例えると何でしょう?
24・サッカーは好きですか?
25・好きならばどこのファン(サポーター)ですか?
26・チラベルは好きですか?
27・ワールド・カップ日韓大会では絶対にパラグアイのユニフォームを着て応援に行く?
28・パラグアイ・アルパの音色は好きですか?
29・パラグアイの曲で一番好きな曲は何ですか?
30・テレレは好きですか?

31・テレレの回し飲みに抵抗はありませんか?
32・マンジョカをよく食べますか?
33・ギソは好きですか?
34・毎日、食事は肉ばかりでも大丈夫ですか?
35・おやつはチパが一番ですか?
36・昼食には必ずガセオーサ(清涼飲料)を飲みますか?
37・パラグアイ人の食生活は改善するべきであると思いますか?
38・パラグアイで一番買いたいものは何ですか?
39・パラグアイの汚職は無くなると思いますか?
40・パラグアイの次の大統領は誰が良いと思いますか?

41・パラグアイはブラジルの1州になれば良い、という意見がありますが?
42・パラグアイで成功しそうな産業は?
43・あなたが今、パラグアイで商売をするとすれば何をしますか?
44・パラグアイという言葉がテレビに出ると思わず見てしまいますか?
45・パラグアイに今一番必要な事は何でしょう?
46・結婚相手はパラグアイ人もしくはパラグアイ日系人が良いですか?
47・これからの人生、パラグアイにどのくらい滞在しますか?
48・パラグアイに住みたいですか?
49・パラグアイ人に対して一言!
50・最後にあなたにとってパラグアイとは?



(97年作成)
1・ドロンズは何故パラグアイに来なかったのだろう?
日本テレビ系列で放映されている「電波少年」。この中で「ドロンズ」という二人の青年がチリの南端からアラスカまで無銭・ヒッチハイクをして、その模様を逐次放映するという番組があるのです。(インターネットでも紹介されています。ご覧になりたい方は ここをクリック)11月の始めにチリを出発して、現在ブラジル・カンポグランジからボリビア・サンタクルスに向かいパラグアイには立ち寄らず行ってしまいました。

(1)推測・1「パラグアイはインディオの国であると思っていた」
パラグアイに対する情報が無く、槍を持ったインディオが走り廻っており危ないと思っていた。

(2)推測・2「自動車が少なくヒッチハイク出来ないと思っていた」
ヒッチハイクが基本の彼らは出来るだけ交通量が多い道を行きたいと考えた。

(3)推測・3「パラグアイは遠回りであると思っていた」

実際はサンパウロからエステ市に入り、アスンシオンからボリビアに抜けるのは彼らのコースと距離は変わらない。

(3)推測・4「ヴィデオを良く見てドロンズを知っている親切な日本人が助けてしまう」

ヴィデオを良く見ている日本人が多く、南米を旅している「ドロンズ」は良く知られている。困っている二人を助けていまうと番組が台無しになってしまう。 確かに私など、ドロンズがアスンシオンに来たら探しに行って、ご馳走してサインもらってしまうでしょうね。

2・パラグアイを含めて日本で南米が紹介されるのは日本の冬、南米の夏。また必ずインディオが出てくるのは何故であろう?
日本のテレビで、パラグアイを含めて、「南米」が紹介されるのは日本の冬、暖かい4月から10月まではまず南米の番組は無い。しかも必ずインディオが出てくる。特にテレビ局が好きなのは「アマゾン」。どの番組もパターン化されていて、どこからともなく「ワニ」みたいなのが出てきて「あっとびっくり」。どうみても自然では無いですよね。

(1)推測・1「南米はどこもインディオの国であると思っていた」
パラグアイに対する情報が無く、槍を持ったインディオが走り廻っており危ないと思っていた。

(2)推測・2「こたつに入って蜜柑を食べている視聴者の南米イメージをとことん追求した。」
日本人が普通に抱いているイメージ、とりもなおさずマスコミが作り上げてきたイメージ通りの画像を作り、提供しないと視聴者が納得しない。取材協力をした人の話を聞くと来てそこにあるものを撮影するのでは無く、日本で企画したものを探し、無い場合には「こしらえて」撮影するそうです。でもどうして日本の人はあれほど「インディオ」と「アマゾン」が好きなのでしょう?個人的な意見としては、大自然ならここパラグアイを含めてどこにでもあるし、動物を見たいのであれば、パンタナウに行った方が良いと思うのですが。

(3)推測・3「南米はいつも夏であるイメージが強い」

ブラジル、例えばサンパウロの冬は結構きついです。暖房無しでは過ごせない程。でもそれを日本の夏に放映しても受けない。でも一度そういう番組(例えば:雪が降っている南部ブラジル)を作って欲しいですね。

3・南米の大きさを理解してもらえない。(アスンシオンからペルーのリマまでは東京からマニラまでとほぼ同じである。)
アルバニアで事件が起きても、ボスニアで戦争が起きてもイタリアやドイツが危ないとは思わない。でもペルーで事件が起きると、皆さん「すぐ近くでしょ、アスンシオンは大丈夫?」と尋ねて来る。アスンシオンからリマまでは東京からマニラまで位の距離、何故近いと思うのであろうか?外国だから?でもヨーロッパに対しては決して同じでは無い、これは不思議です。アスンシオン−リマよりサラエボ−ロンドンの方がはるかに近い。ドイツなどすぐそばと思うのですが、誰も「すぐ近く」とは思わない。これは不思議だ。

(1)推測・1「使っている地図帳に原因がある。」
高校で地理を学習する時に使う地図帳には南米が一ページに掲載されている。ぺらぺらとめくって、日本の中部地方を見ると「長野県」が非常に大きく出ていて、南米と同じくらい。パラグアイ等は「淡路島」と同じくらい、日本より広いパラグアイがこの大きさ、南米の大きさが理解出来ないのも無理もない。南米は欧州の3倍あるのですが、欧州は細かく地図が出ているので、大きく感じる。是非一度大き目の地球儀で大きさを比べて欲しいものですね。

(2)推測・2「関心が無い」
遠いのでほとんど関心が無く、メキシコから南のラテン・アメリカはひとつにくくられていまっている。その中の位置関係、距離はゼロとなってしまった。

(3)推測・3「一つ一つの国が大きい」
南米大陸の海岸線は比較的単純、また独立国が12しかなく、それぞれがかなり大きい。パラグアイとペルーの間にはボリビアしか無い。

どうもここ南米の大きさを理解していないので、北海道を廻るようなつもりで、「一ヶ月で南米をバス旅行したい」というような相談をメールで時々受けますが、大きさの桁が全く違いますのでご注意を。(昔、北海道を1ヶ月間で旅行したが、かなり大変であった記憶があります。それでも回り切れず「大沼」「松前」等、南部の名所には行くことが出来なかったのは今でも残念。)

4・何故、パラグアイを含め南米では英語が通じると思う日本人が多いのだろう?
日本の人が南米に来て英語がごく限られた範囲でしか通じない事に驚かれる方がいます。何故通じると思うのでしょう。

(1)推測・1「日本の外国語教育は英語が中心であるから」
日本では中学校から英語を勉強する。外国語と言えば「英語」になった。

(2)推測・2「 駅前・NOVA の影響」
サラリーマンが熱心に駅前留学をして英語を勉強して自信を付け、それを試したかったから。

南米に来て私も英語が通じない事には最初ショックを受けました。日本では外国=英語という常識が出来てしまったようですね。

5・何故、パラグアイを雨が少ない「砂漠の国」と想像している日本人が多いのだろう?
日本の方からのお便りを拝見していると、「パラグアイは砂漠ですか?」という質問が実に多い。実際はアスンシオン市は、世界の首都の中で1、2を争うほど緑が多いと思います。「杜の都・仙台」よりはるかに「杜の都」で「ランバレの丘」から見ると家が見えなくて木に埋もれている。

(1)推測・1「人口が少ないので。」
アスンシオンの周りには大きな都市も無く、言わば世界の過疎地帯となっているので、砂漠と思っている。

(2)推測・2 「実は地球儀に原因がある。」
日本で良く見かける、カラフルな地球儀を見るとパラグアイは黄色になっている。モンゴルも黄色で、モンゴル−内陸国−ゴビ砂漠という印象から、パラグアイも砂漠と思われている。

6・パラグアイは非常に不便で、スーパーマーケットもショッピング・センターも無いと思っている人が居るのでしょう??
日本から来る方でアスンシオンに関する感想で多いのは「文化的ですね、何でもあるのですね」というものです。中には「テッシュペーパー」とか「傘」等を大量に持って来られた方が居ました。

(1)推測・1「テレビ番組の影響」
南米を取り上げている番組は「出来るだけ未開で文化的で無い」ものを取り上げているので、全体がそのようなものだと思ってしまった。

(2)推測・2「インターネットを持っていなかった」
インターネットがあれば、現地発信の情報に触れ、質問があればメールを出して、確かな生の情報を得ることが出来るのですが。

7・何故、南米に来る日本人・旅行者はほとんどパラグアイに立ち寄らないのだろう?
日本から南米に来るのは非常に簡単に、安く旅行できるようになり、多くの方が南米旅行されるようになって来ました。しかしパック旅行も若い方もほとんどパラグアイには立ち寄りません、これは一体どうしてでしょうか?

(1)推測・1「旅行ガイドブックに書いて無いので」
旅行する時に頼りにする旅行ガイド・ブックにはほとんどパラグアイの記述が無いので、行くことが出来ない。

(2)推測・2「インターネットを持っている人が少なく、当ホームページを見ている人がほとんど居なかったから」
今後は情報満載の当ホームページを見て、「パラグアイに行こう」と考える人が増えてくる事が予想されます。世界中の中でも穴場と言えるでしょう。

(3)推測・3「関心が無い」
全く関心を持たない人も多いのかも知れませんね。


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