昔作成した一般情報

昔作成した一般情報
かなり以前に作成した一般情報です。今の時代には合わない事も多々あるとは思いますが参考資料として掲載しておきます。
総論
よくカルチャー・ショックと言いますが、日本から来てアスンシオンに到着してカルチャー・ショックは大きい方なのでしょうか?答えは「ノー」のようです。地球の反対側にあり、キリスト教、日本とは大きく隔たった歴史を歩んで来たパラグアイですが、どうしても東南アジア、他の南米諸国と比較しても日本から来た時に大きなカルチャーショックは受けないようです。
カルチャーショックを受ける、要するに差異を感じるのは二つの要素があると思います、「文明」と「文化」です。この二つの差異の合計が実際に感じる差異となって現れると思います。文明に関してはアスンシオンでは日本と大きな差異はないようです、日本で売られているもの、食べているものは大体ありますし、町並みの様子もそれ程特異ではないのです。また文化に関しては純粋にヨーロッパの要素だけでなく、インディオの伝統文化そして米国文化、東洋人の文化がかなり入りこんで混在としており、その分だけ日本人にとっては馴染みが良くなっていると思います。よく「地球の反対側に来た気がしない」という感想を聞きます。
また、日本的な生活を追及すると、食材は大体揃う、テレビはNHK国際放送が常時見れる、貸しビデオがある、日本料理店、寿司屋まで在り、日系社会が7千人居ますので、日本語での生活だけでも友人・知人が得られる、各種の日本人団体スポーツクラブは在る、旅行会社、保険会社、金融会社、自動車修理工場、理髪店、医師(各専門)ほぼ日常で必要な事は日本語で済ます事が出来るのです。アスンシオンは日本とある程度変わらない生活が可能な街なのです。
ただし、内陸部に行くと一変すると思います。日系人が住んでいるのはアスンシオン等の都市部と特定の移住地でその他の地域にはほとんど居ません、内陸のグアラニ語しか通じない、外国人などほとんど訪問しない地域で過ごす場合には相当のカルチャオーショックを感じることになるでしょう。このようにパラグアイと一言に言ってもどこに行くかでかなりの差異があります。
人種・国籍
他民族国家パラグアイ、中心を成しているのは白人とインディオとの混血ですが、外見から見た限りではかなり白人に近いように思います。近年移住してきた白人、アジア系(日本人、中国人、韓国人)も多く、アスンシオンの街を見る限りでは国際都市の印象を受けます。アジア系では「ラオス人」が結構います。また、イタリア系、ドイツ系等も多く、金髪碧眼の人も数多く住んでいます。また、アスンシオン街を歩いていて意外に耳にするのがフランス語、フランス人の移住者もかなりの数に上るのでしょう。(ベルギー系を含む。)また南部にはロシア人、ウクライナ人なども住んでいます。最近では黒人政権を嫌ってか南アフリカ共和国からの移住者が目立っていました。(マンデラ政権樹立以降)原住民は「グアラニ族」と呼ばれるインディオで、かつては、ブラジル、パラグアイ一帯に多く住んでいました。特にアスンシオンでは、現在は混血が進み、固有の伝統を守る純粋のインディオは少なくなっていますが、の公園等でお土産を売っているインディオを見かけることがあります。また、世界不思議発見で紹介されたのは「マカ族」でアスンシオン近郊に観光用の部落があります。(不思議発見はここで撮影をしました)
この他に外国籍の近隣諸国の人が多く住んでいます。アルゼンチン人、ブラジル人、チリ人、ウルグアイ人など、人種的では無く国籍が違うという人達です。日本人の場合ですと国籍と人種を同じような意味で使っているのですが、南米では生地主義が一般的でパラグアイで生まれるとパラグアイ国籍となります。作者が勤務している会社では皆から「日本人」と呼ばれている女性が居ますが,彼女はパラグアイ生まれなので「パラグアイ国籍」なのです。それ程多くない30人くらいの会社なのですが、驚いた事に国籍はドイツ人が二人、ウルグアイが二人、アルゼンチンが二人居るのです。この人達は作者と同様に外国人登録を行い、永住者として暮らしているのですが、普段、他の人とは全く区別が付きませんし、生活上のハンディもありません。このように国籍や人種を区別して、「外国人」を定義しても「よそ者」を指す事にはならず、パラグアイに住んで暮らして行く意思がある人は社会のレギュラー・メンバーに成れる社会なのです。
言語
パラグアイの公用語としては、スペイン語とインディオのグアラニ語となっています。内陸部ではまだ日常は「グアラニ語」が多く使われていて、ここのスペイン語にも発音等にこのグアラニ語の影響があります。最近では、学校でもグアラニ語が必須科目になっており、民族の言語として大切に扱っているようです。医師になる為には、田舎の人を診察する事もあるので、グアラニ語は必修科目だそうです。テレビ、新聞はほとんど全てスペイン語です。また外国語に関しては教育にも問題があるようで、英語などの外国語はホテル等一部を除きほとんど通じません。なお通貨の呼称もグアラニとなっています。移住して来た人達はそれぞれ自分の固有の言語を保有して、共通語として、スペイン語と2ヶ国語を話すという人が多く居ます。日本人も含めて民族の言語を子孫に教育することにかなり熱心に見えます。この点はブラジル等とは若干異なっているのではないでしょうか?
宗教
他のラテン・アメリカ諸国と同様に多くの国民が敬謙なローマ・カトリック教徒です。新聞を眺めているとローマ法王の事がよく掲載されています。アスンシオンにはアラブ系の方が結構多いのですが、ほとんどがカトリック教徒です。ある人に改宗したのですか?と尋ねたところ、多くの場合は移住して来る前からカトリック教徒で、イスラム教徒の中で摩擦があり、移住して来たそうです。韓国人、中国人でもかなりの人がカトリック教徒のようで、それぞれ自分たちの教会を持っています。 日本人は勿論カトリックの人も居ますが、仏教などの宗教を信仰している方も沢山いらっしゃいます。
旅行の楽しみは何と言ってもその土地の料理を食べることでしょう。パラグアイには各種伝統の料理はありますが、パラグアイ料理として確立した料理には至っていないようにも思います。どちらかと言うと家庭料理が主流で、パラグアイ料理専門のレストランも特には存在していません。家庭的な味を売り物にしている大衆食堂はありますが。
チュッピン(2002年08月21日)
パラグアイではよくパーティーが行われ、多くの場合は肉を焼くアサードが行われますたが、このアサードと並ぶもう一つのご馳走は「チュッピン」です。これは魚料理でアサードと同様に炭火で煮込み食べます。
多くの場合は川魚で、なまずの一種であるスルビを使う事が多いようです。スルビの場合を実際の写真で説明しましょう。まずスルビをぶつ切りにして敷き詰めます。

(写真:スルビを敷き詰める)
これにトマト、じゃがいもなどの野菜を加えてじっくりと炭火で煮込むと美味しいチュッピンが出来上がります。

(写真:チュッピンの出来上がり)

(写真:魚と野菜の旨みがぎっしり)
アサード(2002年 8月28日)
パラグアイのパーティー等でのご馳走と言いますと「肉」それも牛肉を中心としたアサードが定番ですね。

(写真:アサード)
アサードは肉を切り、塩味だけで味付けをしてじっくりと焼きます。塩はミネラルたっぷりの岩塩が使用した方が肉が美味しくなります。

(写真:肉に塩を摺り込んでいる)
アサードのレストランに行きますと普通はパリジャーダ、注文した肉を厚い鉄板に乗せて持って来ます。注文は「コスティージャにレングア、ロミットそしてチョリッソピカンテ2本」というように注文します。「骨付き肉に牛タン、フィレミニオンに辛いソーセージ2本」という感じです。肉は部位毎に注文します。

(写真:パリジャーダ-01)

(写真:パリジャーダ-02)
主食
パラグアイの主食はマンジョカと呼ばれるタロイモのようないもです。これをふかして肉やスープと一緒に食べることが多いように思います。パン、スパゲッティー、米もよく食べます。パンはスーパー等では中でパンを作っているところが多く、焼き立てのを買えます。また日系の農家でおいしい日本米を作っているので日本人をはじめとして、東洋系に人は米を食べる事が多いと思います。2月末に出てくる新米は実においしいです。
肉料理
肉料理はアルゼンチン等と同様で、アサードと呼ばれる一種のバーベキューで、一般的には網の上に塩だけで味を付けた肉を置き、時間をかけて炭火でゆっくりと焼きます。シンプルですが、これが実においしいのです。パラグアイで人をもてなす時は必ずと言っていいほどこのアサードが出てきます。特に人気が高いのは骨付きの肉です。最近はブラジルの影響でブラジル式で串に刺して回転して焼くのがはやっています。便利な電動式のシュラスコ焼きの器械も販売されています。またパラグアイの人に人気が高いのは「鶏の丸焼き」で、どこの街角でも鶏を焼いている姿が見れます。
パラグアイ特有の料理
パラグアイ川に面しているので、川魚料理もおいしいですね。最も一般的な食べ方は魚のスープでしょう。なまずの一種であるスルビという魚を炒めた後、野菜と牛乳で煮込んだスープです。これはいけます。後はボリボリ、パラグアイスープという料理もあります。パラグアイ・スープ(ソパ・パラグアージャ)は固形のケーキ状の食べ物で、液体ではありません。元々スープを作っている時に煮込みすぎて失敗して出来た料理だとも言われています。一見するとカステラのように見えますが、とうもろこしの風味がしてとてもおいしいですね。
また軽食としてよく食べるのが、チパと呼ばれるパンのようなもので、チーズが入っていてこくがありおいしいですね。バスターミナル等ではこれを籠一杯に入れて頭に載せて売っています。長距離バスではおやつとして、車内販売に廻ってきます。普通コシードと呼ばれる甘いお茶と一緒にいただきます。
もう一つ軽食と食べられているのがエンパナーダです。揚げ餃子の大きのと思っていただければ良いです。標準的な形は円形で真中がこんもりと盛り上がっています。中身は色々あります。
1・牛肉のひき肉とゆで卵の刻み
2・鶏肉、
3・ハムとチーズ
4・とうもろこし
など色々な種類があります。
(写真)エンパナーダ
食習慣
普段、パラグアイの人は、肉類を中心に食べていて、日本人の常識に近いものを食べています。昔は野菜はごく限られたものしか食べなかったのだそうですが、日本人が野菜を食べる事を教えたとも言われています。今でもその名残なのか、普通のスーパーでも日本風の野菜である、もやし、長ねぎ、大根、白菜、かぶ等が売られています。
なお、暑い国は辛い食べ物が多いですが、パラグアイの人はどうも辛いのは全く駄目なようです。従って刺激の強い料理は在りません。昔インド料理店があったそうですが、全くはやらなかったそうです。韓国料理店でもまず現地の人を見掛けることはありません。
パラグアイの食事は、日本人には比較的馴染みやすい料理であると思います。お菓子もケーキ等が色々とありますが、おいしいのはアイスクリームです。街のあちこちにアイスクリームの専門店があり、大体20種類揃えています。パラグアイの人に合わせているのか、食べ物の味付けはちょっと甘すぎたり、塩辛すぎたりしますので、注意が必要です。
レストラン
多くのレストランは肉料理が中心で、アサードを食べる事が出来る店が多いです。その他では、いわゆる洋食店が多いですね。またアスンシオンにはドイツ、イタリア、フランス、スペイン、韓国、中国の各専門レストランがあります。
アスンシオン市内で日本食を出すレストランは3軒で、他にラーメン屋さんが一軒あります。営業しているのは、ホテルに併設した「内山田(すきやき)」一般和食の「広島」、「匠:たくみ」があります。寿司のネタはチリ、米国等から持って来ているようです。詳しくは日本食のページで。
また、最近はブラジルの影響が強く、ブラジル料理のレストランも増えて来ました。以前からある大型店「アクアレラ」はブラジル方式では無く、パラグアイ風にアレンジしたレストランで、肉もお客が取りに行く方式なのですが、最近開店したシュラスケイラ(ブラジル風バーベキューの店)である「パウリスタ・グリル」はブラジルの有名チェーンの支店で本格的なシュラスコを食べる事が出来ます。シュラスコは肉塊を次々に持って来るバイキング料理で色々な種類の焼き立ての肉を持って来ます。月〜木は一人8ドル、金〜日は10ドルと非常にリーゾナブルな値段です。
飲み物
飲み物はマテと呼ばれるお茶が中心です。葉を一杯に詰めて金属製のストローで回し飲みをするテレレというのが一般的な飲み方です。町角で数人が椅子に座っておしゃべりをしながら回し飲みをしている姿をよく見掛けます。また甘くして飲む
コシードという飲み方もあります。コーヒーはブラジル程は飲みません。また、南米全域の習慣かも知れませんが、食事の時、清涼飲料水を飲むのが一般的なようです。水も有料ですが、コーラも水も料金が同じ位ですので、どうしても味のあるコーラ等を注文してしまいます。また、ただ単に「水」を注文すると「ガス入りの水」が出てくるでしょう。普通の水を注文する時には「ガス無しの水」と注文します。お茶はコーヒーと同様に食後に飲むものといった感じで、食事の時には余り飲みません。ですから、こちらで生活する場合には糖分の取り過ぎには注意しなくてはなりません。コーラも日本のよりかなり甘いように思います。
アルコールは地酒もありますが、暑い事も在り、一番飲まれているのはビールです。世界各地のビールが輸入され、国産品も種類が多く、バリエーションに富んでいます。米国、オランダ、デンマークのビールが人気を集めているようです。ウイスキーをはじめ、お酒は安く、世界のお酒がスーパーに行くと大量に売っています。ワインは欧州のもありますが、よく一般的に飲まれているのはチリ・ワインです。でも飲みすぎには注意しなくてはなりませんね。
セルバティカ(2004年 4月17日)
パラグアイ人の嗜好にあわせてか、コカコーラ社よりセルバティカなる新製品が出ました。味は「マテ茶味」というもので、色は緑色のものです。発売されて以来人気が高いようでスーパーにはうず高く積まれています。
味は爽やかな感じですが、余り「お茶」という感じではありません。どちからと言いますと「グアラナ」に近い感じがします。ピリッと来る感じが無いのでちょっとレモンをたらすと美味しくいただけます。

(写真:炭酸清涼飲料水:セルバチィカ:マテ茶味)
マテに関して
スペイン人が来る前から、グァラニー始め、幾つかの民族では、ある低木の葉を薬草兼嗜好品として、使われていた記録があります。この木は一般にジェルバと呼ばれています。この葉を細かくしてコップに入れて、そこに細かな穴のあいたストロー(ボンビージャ:昔は木製、今は金属製)を入れて、そこにお湯をついで飲むのがマテ。パラグアイ流は、一人が飲んだら、コップをホストに戻し、ホストがさらにお湯をつぎたして、次の人に回して飲む回し飲みです。このお湯の代わりに水を注いで飲むのがテレレです。テレレ。この名前からして「やる気のなさそうな」飲み物ですが、木陰でこれを回し飲みすると、本当に労働意欲をなくしてしまいます。でも、これがないとパラグアイの暑い夏は越せません。それにテレレを飲みながら友達と回し飲みして、おしゃべりをするのがパラグアイ人の楽しみなのです。のんびりとしたパラグアイにはぴったりの飲み物です。
やや上級編:
ジェルバにも茶色のものと緑のものがあります。これは製法が違うためで、ちょうど紅茶と煎茶みたいな違いです。緑色のものはブラジル人に好まれています。ブラジル人は大きなひょうたんを入れ物にして飲むので、パラグアイ人がするように、一人が一飲みして、ホストに戻さないで、一飲みしたら、横の人に回して、さらに、横の人に回して・・・といった具合に順繰りに飲んで、お湯がなくなったら、またつぎ足すというのがブラジル流です。アルゼンティン流では、回し飲みをしません。カップの大きさはパラグアイと変わらず、普通のコップサイズですが、一人一人がお湯のポットを持っていて、自分の分は自分でつぐのです。ブエノスアイレスあたりだと、ミルクをいれたり、オレンジジュースを入れたりする人もいるそうです。
7・デザート・お菓子類
パラグアイではお菓子・デザートが沢山売られています。またレストラン等で食事を取ると必ず甘いものを最後に食べるのが習慣となっているようです。日本の感覚から見るとかなり甘いように思います。
飴屋さんはかなりカラフルで見ているだけで楽しくなって来ます。
(写真:カラフルな飴屋さん)
(写真:カラフルなお菓子屋さん)
8・日本でのパラグアイ料理
日本ではパラグアイ料理店はほどんど無いようですが、最近聞いた話ですが、東京の日本橋・東急の近く、西川布団店の道を入って行った場所にマリポサ(スペイン語で蝶の意味)という名前のパラグアイ・レストランが在ると聞きました。ここで代表的なパラグアイ料理を食べる事が出来るそうです。但し材料が手に入らない事もあるようで、例えばスルビが無いので代用の魚でスープを作っているという話を聞きました。是非一度お試しを。
マリポサについて (マリポサは2003年に閉店しました。)
住所:東京都中央区日本橋1-5-9 川瀬ビル3F
TEL:03-3281-5088
その他:週末は休み、
平日は、昼11:00くらい〜夜は17:00〜
行き方:地下鉄東西線、銀座線日本橋駅B12出口下車徒歩、2分。旧東急百貨店本店裏。東京三菱銀行並びです。
マリポサは2003年 9月、当方が訪問した2ヵ月後に閉店しています。
*投稿の文章(転記)
25人でパーティー開催しました。こじんまりした大変清潔感溢れる店で、奥のテーブル席 と手前のカウンター席を占領してしまいました。パラグアイに移住されていたお母さん と、現地生まれのチャーミングなお嬢さんが店をテキパキときりもりされています。料理 はすべて間違いなく美味しいです。挽き肉を詰めた揚げ物が印象的でした。値段は多少高 めですが、これは日本橋のど真ん中という立地と、お嬢さんがパラグアイと日本を往復し て、現地でしか手に入らない食材を仕入れておられることを考えれば妥当でしょう。お酒 も各種揃っておりマス。パラグアイの話など興味深いものがあり、とにかく楽しく過ごせ た2時間半でした。ランチも出しているらしいので近くに勤めておられる方は一度試して みられてはいかがでしょう。
マリポサについてのさらに追記です。(2000年 8月25日)
マリポサに行ってきました。3月から営業を 再開したみたいですよ。 ややこしいのが、電話番号が変更されている事。去年までのH・Pや、田中さんの本で紹介されているのは(現在使われておりません)と言うアナウンスが入ります。
03-3281-5088

(写真:マリポサ外観)

(写真:レストラン内部)

(写真:林さん)
(投稿・01)
これが今の番号です。一度予約を入れたのですが、一緒に行ってくれる人が突然ごねちゃいまして、(パラグアイ料理は知名度が無い・・・)キャンセルの電話を入れてから、翌日に再度違う人を誘ってOKを取り、予約の電話を入れました。
2日間に3度もかけたのに、とても優しい応対で良かった。この方が、はやしさん親
子のお母様。この日は、娘さんと2人でやってましたよ。さて、料理なんですが、何がなんだかわからなかったので、お任せにしちゃいました。全体的にチーズがよく使われていたんですけど、現地でもそうなんですかね?僕はビールが水より好きなんですけど、残念ながらブラジル産とメキシコ産のみでした。ブラジル産はかなりいけてました。黒も。アリストクラタはかなりきついですね、パラグァイ産のお酒ってこれだけですか?食後には最近話題になっていたテレレが登場。ど素人の僕達に丁寧に教えて頂きました。飲んでみてビックリ、ライトな水タバコのようでした。タバコ、緑茶、紅茶すら余り口にしない僕にはとても苦く感じられ、大人の味なんだろうぁーと、感心しまし た。(ハンモックは無かったです。)僕は今月いっぱいで、花の都を離れ大阪に帰るんですけど、関西でもパラグァイ料理店はあるんですかね?情報をお願いします。(メキシコ、ブラジル、ペルーは繁華街で結構流行ってるんですけどね。)
(投稿・02)
1:お勧めメニュー
1) アリストクラタ 1杯=約800円
これはパラグアイの地酒としてメニューに掲載されています。このお酒は、日本で飲める場所は、このレストランと、”ルイスの自宅だけ”くらいの貴重な一品です。なお、このお酒、現地パラグアイでは普通熟成(2から3年くらい前に、ラベルのデザインが変わった。)と、12年もののスペシャルがありますが、このお店には、普通熟成のものしかありません。このお酒は、現地パラグアイのスーパーでは普通に売られています。とはいっても、いわゆる輸入酒(欧州系)が売れるためか、棚の端の方に陳列しています。(製造年日が新しく良いものが置かれています。)しかし、いわゆる”街の酒屋”で販売されているアリストクラタは(特に中国、韓国系のお店)では、ほとんど売れないため、埃をかぶって陳列されていますので、これ何時の?という古いアリストクラタを”発見”することができるので、おもしろいですよ。
2) チーパ 2個で400円位
パラグアイの日曜日の朝ご飯の代名詞?または、長距離バスのお弁当?ともいえるあの、チーパがここにはあります。このチーパですが、簡単にいえば、チーズモチモチパンです。ちょっと前に日本で流行ったポン
デ ケージョ、そのものですが、材料の関係上なのか、パラグアイの屋台のチーパとは微妙に食感が違います。
3) エンパナーダ 2個で400円
街の食堂で一般的なエンパナーダもここにはあります。このお店のエンパナーダは、油で揚げる揚げ餃子タイプのもので、ブエノスアイレス式のミートパイ(オーブンで焼く)ものとは違います。ちょっと油っぽいですが、個人的に大好きな一品です。
4) ミラネサ 1枚=1,000円
ミラネサという、日本でいう牛カツも存在します。
ちょっと日本人向けにアレンジしてあるので、現地の食感とは少し違います。現地の庶民的レストランと比べ、微妙に柔らかいです。これは材料の関係によるものかもしれませんが。(現地では堅いモモ肉、日本では多少柔らかめのAust産を利用)イメージとして、子牛のカツレツミラノ風と思えば間違いありません。このミラネサという料理の由来ですが、文字通り、上記の子牛のカツレツミラノ風がオリジナルとなり、スペインに渡り、その後、南米に渡ったようです。
5) シシャロ 1皿=500円くらい
要するに、豚肉の一口サイズの唐揚げをマンジョカの粉でまぶしたもの。酒のツマミには最高です。予約をいれる際に、在庫があるかどうか要確認です。お店のメニューでは、ガラニー族の伝統料理と説明されていますが、どうも、この料理もスペインから渡ってきたようです。
6) ソパ デ パラグアイジャ 1皿=1000円くらいかも。
これは、直訳するとパラグアイ風スープで、とうもろこしをベースにしています。メニューには載っていないはずなので、予約の際、料理してもらえるかどうか確認した方が良いでしょう。この料理は、多分、世界で唯一の変なスープですので、お楽しみのため、あえて説明はいたしません。現地では、めでたい時のお祝い用料理として”食べる”(飲むではありません!!。)習慣があるようです。
7) パルミートスのサラダ
パルミートスとは、椰子の木の新芽の酢漬けです。カロリー0で、ビタミン豊富なため、女性には人気の一品とのこと。日本にはブラジル産が輸入されているようです。
8) マテ茶
マテ茶もありますが、テレレでは無く、なんと、おしゃれなテーカップででできます。確かにマテ茶なんですが、ちょっと現地で飲むのとは、印象が違います。
2:その他
1)予約は必ず必要。座席の配置が、2人×2、カウンター7席、あとPARTY用大テーブル(7人くらい)しかないので、必ず予約をした方がいいです。
2) カード利用の有無について
インターネットではカードは利用可能となっていますが、現在は利用できません。現金のみの扱いとなっていますのでご注意ください。
3) メニューの価格と内容
これは時々、修正されていますので、インターネット情報はあまりアテになりません。
(1)物価
生活物資:物価は決して安くは無いのが実状です。南米、特に最近では隣国・アルゼンチンとブラジルは物価が高くその影響もあると思います。その中で、パン等の生活物資は比較的安く手に入ります。物資は豊富で、日本人の我々も困ることは特にありません。ブラジル等は自国の製品を保護する必要があるのですが、パラグアイは工業が未発達なので、その必要が無く何でも入ってきます。近隣諸国から買い物に来る人も多くいます。
(2)食料品・雑貨
アスンシオンには、日本食品の専門店(さくら)もあり、ここで日本の食品、必要なものはほとんど手に入ります。日本、ブラジルからの輸入が多いのですが、日本米、醤油、豆腐、こんにゃく、野菜、羊羹等は日本人向けのものを現地で作っています。魚介類は最近、或るスーパーのチェーンが週に2回チリから新鮮な魚介類を輸入するようになり、鮭、ホタテ、蟹、蛸、平目等が売られるようになって、便利になりました。また、当地のケーキは甘すぎると感じる方には、「モニカ」の洋菓子がお薦めです。日本で修行した奥さんが作る、洋菓子で日本人の口に合いますよ。このように日系社会が在り、食生活の面では日本と変わらない生活が出来ます。また雑貨に関しては、韓国人、中国人の雑貨店があり、それこそここでは何でも売っています。
日本食料品店・さくら
(3)娯楽
比較的、健全なのか夜のスポット、例えばブラジルのようなキャバレー(ボアッチ)はほとんどありません。レストランに行くか、ショッピングに行くか、映画を見に行くか、友人同士でパーティーを開くかと言った健全な娯楽が中心です。従いまして、独身男性にとってはちょっと物足りないかも知れません。貸しヴィデオ屋が一時、流行しましたが、現在はケーブルテレビが普及して、むしろ減少傾向にあります。カラオケは日本人向けにはアスンシオンに2軒あります。(紅どんぼ、鶴の里)サンパウロでは中には女性がお相手をしてくれるキャバレーの要素も兼ねているようなカラオケがあるのですが、アスンシオンは日本と同様に健全娯楽です。また、現地の若い人はディスコに行く人が多いようです。生活が次第に豊かになり、今後は娯楽・レジャーに対する需要が増えてくると思います。また、最近では「ゲームセンター」が増えて来ています。日本の中古を使っている事も多く、対戦型の格闘ゲーム等が人気を集めているようです。
(4)テレビ
地上波の放送は2チャンネル(スペイン語)だけです。アスンシオンを始め各地に「ケーブルテレビ」があり、最近はこれを見ている人が多いようです。アスンシオンの場合、約50チャンネル見ることが出来、スペイン語の他、英語、ポルトガル語、イタリア語、フランス語、ドイツ語の放送もあります。またパラグアイはポルノは全面解禁であり、ケーブルテレビでも別料金ですが、1チャンネル「ハード・ポルノ」の専門チャンネルがあります。ブラジルでは日本語の放送(NHK)を見ることが出来ますが、パラグアイではピラポ移住地を除きサービスを行っておりません。(物理的に電波を受ける事は出来るそうです。)
(5)お金
ドル、ブラジル・レアル、アルゼンチン・ペソからパラグアイの通貨グアラニには簡単に換金出来ます。ブラジルのお金を喜んで受け取ってくれるのはパラグアイだけではないでしょうか?市内各所に正式な認可を受けている両替商があり、また両替人が街の随所にいます。観光客と見ると寄ってきます。またドルであれば銀行でも両替をしてくれます。但し、トラベラーズ・チェックは余り利用されていないのが現実で、受け取っても換算率が悪くなるかも知れません。またドル紙幣の場合、書き込みがあったり、スタンプが押してあるような場合には受け取ってもらえない場合がありますので、注意して下さい。まお、日系の両替店がアスンシオン市内にあります。「カンビオ・チャコ」
日系の両替店・カンビオ・チャコ
他の南米諸国では盛んにデノミネーションをして通貨の0を取って来ましたが、パラグアイはかなり長い間行っておりません。そのため、現在では一ドルが2,200グアラニとなっています。食事するのに一回、2万グアラニは必要となります。高級自動車ですと、1億グアラニを超す事もあります。お札はかなり汚れているのも多く、お金だかごみだか解らないようなのも流通しています。また、最近はクレジット・カードが急速に普及しており、マスターカード、ヴィザ・カード等であれば多くの店で利用する事が出来ます。また、個人でも銀行小切手を使う事が普通に行われています。
(6)電化製品・
パラグアイは電化製品が安く輸入しており、ブラジル等から来る観光客の多くはヴィデオ等の電化製品、最近ではパソコン、ソフトを買うのが目的のようです。電化製品の価格はかなり安く、日本で買うのと同じでしょう。(日本の有名メーカーの4ヘッドのヴィデオが何と190ドルで売っていました。)売れ筋商品は競争も激しく安いのですが、まだ普及していないもの、例えば「デジタル・カメラ」は半年前のが定価で売っていました。(デジタル・カメラ欲しいですね。)また、DVDはまだ売られていないようです。なお、日本から持ち込む場合には220ボルトなので、変圧器を持ってくる必要があります。(東京・秋葉原の変圧器専門店・トヨデン等で売っています。)
(7)気候
パラグアイは亜熱帯に属しており、赤道までの距離はほぼ沖縄くらいです。平均気温は沖縄と半年ずらすとほとんど同じになるそうです。(北半球と南半球の違い)年間の降水量は、ほぼ日本と同じくらいです。一年を通じて雨が降りますが、比較的冬は乾季で雨が少ないようです。雨は一時に降ることが多く、ほとんどの日は晴れています。青い空と緑がパラグアイの印象になるでしょう。内陸国ですので、気温の変化は比較的大きく、冬の寒い時期にはアスンシオンでも1,2度まで気温が下がりますし、南部エンカルナシオンでは氷点下になることもあります。でも日中は20度くらいになることもあります。夏は11月から3月までと長いですが、朝夕は結構凌ぎやすく、想像よりは意外に快適な気候だと思います。冬は6月から8月です。9月は春で、4月は秋となります。
パラグアイに赴任して間も無い主婦の方にお願いして女性の目でのパラグアイを紹介して行きます。
1・パラグアイ交通事情
道路の舗装状態がよくないことは前回に述べましたが、運転マナーもかなり荒いです。簡単に免許が取れるためか、一般的に外国の運転マナーは悪いと言われますが、その想像よりもずっと悪いと考えて下さい。血気盛んなセニョール、強引なセニョーラが町中いっぱいです。街灯は余りないし、道に穴が開いているし、信号無視・故障、横断歩道が少ないため至る所から飛び出してくる歩行者、犬、馬車(コペンハーゲンにも王室の馬車はよく走っていましたがそういうのとはちょっと違います)、パイナップル売り。
始めはバスを使っていましたが、スペイン語の学校が不便な場所にあるため、最近運転を始めました。自分でも決して運転はうまくはないと思っていますが、それもちっとも目立ちません。しかし慣れると無秩序のなかにも秩序があり、パラグアイ運転ルールもだいぶ身につきました。アスンシオン市民の足は専ら自家用車かバスですが、このバスというものにパラグアイという国が象徴されているように思います。
まず、いつ止まっても不思議でないような古い車で、同じ路線でも色も形も多様。ごちゃごちゃ見にくいのですが、バスの前面の表示を見て乗りたいバスであれば手を挙げて止めます。それを見たバスはたとえ停留所でなくても、たいていは止まってくれますが(逆に停留所でも止まらないときもある)、荒々しく急停車するので、一旦乗り込むと何かに掴まらないと振り落とされてしまいそうです。
バスの車体も様々なら、中の内装も運転手さんの個性が出るところです。南米っぽい音楽(みんなが南米と聞いて連想するようなまさにそんな曲)がガンガンかかっているディスコ系バス、ウサギのぬいぐるみだらけの幼稚園系バス、キリスト&マリア様のポスターだらけの宗教系バス…。運転手はいつでも、どこでも乗ってくる乗客に料金(一律約42円・回数券なし)を徴収し、お釣を渡しながらものすごいスピードで走り出します。入り口も出口も開きっぱなしなのに、乗客が乗り込むや否や、タラップにいても走り出すので振り落とされる人がいないのか心配です。たとえ誰かが振り落とされても気にもとめないという雰囲気ですが。
降りるときは、バスに張られている洗濯ヒモのようなものを引っ張ると、最寄りの停留所でこれまた急停車します 。降りるときも後方のタラップでスピードを落としてもらった時に飛び降りる覚悟で降ります。最初は降りるタイミングが分からず、まだ動いているときに飛び降り、転倒しそうになりましたが、ようやく感覚をつかみ以前のように脂汗を滲ませながら飛び降りることもなくなりました。このようなバスを利用することはお年寄りには相当酷だと思いますが、よく見ればお年寄りは乗っていません。乗れないのか、そもそもお年寄りといわれる年代の人はいないのか。
また、バスに乗り込んできて歌ったり演奏したり演説してチップを集める芸人、果物・野菜・パン・ジュースや新聞、おもちゃや髪留めなどに到るまで相当数の物売りも出入りします。彼らは道行く車に直接窓越しに売りに来ますが、バスにも乗り込んできて乗客に声をかけ、売れなければさっさと降りていきます。 このような道路で車を運転することが当初は恐くてバスを利用していましたが、車に乗りだすと荷物も気にせず、何より涼しく移動できるので日中も外出も億劫ではなくなりました。
しかし物売りや窓拭きをしてはチップをせびる子供たちをかき分けながら、荒い運転のドライバーに囲まれて運転するのは結構神経を使います。でも今となっては道路で何よりも恐いのはバスです。
旅先で病気になる、事故に遭う、この時にどうするのか?パラグアイの衛生・福祉事情はどのようになっているのか?ここでは厚生情報を記して参ります。
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1・医療
医師の多くは外国で勉強をして来ている方が多く、医療設備も私立の病院ではかなり充実しています。先進の医療設備を先進国から輸入しており、また、日系人の医師も多く活躍しています。日系の医師の多くの方は日本語が出来る方が多く、日本人も安心です。また日系人の看護婦のい方もいます。外科、産婦人科、レントゲン科、内科、消化器科、眼科、歯科等に日本語の出来る専門医が居ます。日系医師の間ではデータベースの共通化等のネットワーク創りも試みられているようです。救急医療で必要な救急車は民間が主なようで日本の119番のような公的なサービスは無いようです。
2・薬局
アスンシオンには薬局が沢山あります。歩いて行ける範囲に一軒は必ずあると言っても良い程です。特に大型の薬局が集中しているのはエストレージャ通りで、ここの品揃えはなかなかです。
パラグアイでは、医薬分業が完全に行われているのが、薬局の多い一つの理由でしょう。また医者に行くと費用が嵩むので売薬で済ますのが一般的の為でようです。他の商店と違い、薬局だけは交代で常に開けており、24時間どこかで薬が買えるようになっています。薬は世界各地から輸入されており、色々な薬が手に入ります。
3・社会保障・年金・福祉
社会保障の面では遅れています。労働者は政府の社会保障(IPS)に入る義務があり、病気になった時には「社会保障病院」を利用出来る事になっているのですが、設備はいまいちで、ちょっと余裕のある人は私立の病院に行く事が多いようです。またこのIPSからは年金も支払われます。老人ホームのようなものは余り無く、パラグアイは大家族主義のようで多くの老人は子供や孫に囲まれて暮らしているように見えます。なお、日系社会では96年に老人の為の日系社会福祉センターを設立しました。近代的な3階建ての建物で、最上階は300人収容出来るホールになって、各種催し物・演芸会、また喜寿・米寿のお祝い等にも利用されています。
(写真)日系福祉センター

(写真:福祉協議会総会:2003年03月)

(写真:IPS病院)
4・エイズ
ブラジルを中心に南米でもエイズは増えているようですので注意が必要です。特に立ちん坊のおかまには気をつけて下さい。深夜になるとアスンシオンの中心部の町角に悩殺ポーズで立っている人が沢山います。女性の立ちん坊も居るのですが、多くは男性です。特に危害を加えるような事は無いですが、かなり高い比率でエイズ持ちだそうですから注意しましょう。このような怪しい人に誘われても断固断りましょう。勿論女性の立ちん坊も安全では無いと思います。十分に気を付けましょう。
5・水道
日本では水道水はそのまま飲めるのが常識ですが、パラグアイでは飲まないのが普通です。お茶などにする時も十分に煮沸して飲むのが普通です。浄水場はかなりきちっとしており、アスンシオンでは先進国で行われている急速砂濾過が行われています。飲料水に関しては買って飲むのが普通です。家庭用には大きなポリタンクを毎週運んでくるサービスがあります。またペットボトルの水もスーパーで売られています。
6・下水道
パラグアイでは下水処理場は無いようです。日本ですと「散水濾床」もしくは「活性汚泥」等の方法で下水を浄化するのが普通ですが、当地・アスンシオンでは川にそのまま流しているのが実状のようです。川の水量はかなりあり、川の浄化能力がかなりある為に問題になっていないようです。アスンシオン首都圏では人口が増加しており、近い将来には終末下水処理場が必要になるでしょう。
自動車事故の多発に関して
最近、パラグアイにおきましても自動車事故が増加しており、それに伴い重大自動車事故が急増し、死亡事故も目立つようになって来ております。よく注意していれば事故を未然に防げる場合も多いと思います。参考までに特に目立っているを列挙します。
(1)バスとの接触
パラグアイのバスは法令で一般車よりも優先運転を認められている事をよいことに、かなり無理をした運転をしており、予測不可能な運転を行う場合が多く、バスとの接触、衝突の事故が目立っております。「君子危うきに近寄らず」の例えのように、バスが来れば道を譲るようにしていただき、出来るだけバスには近づかないようにして下さい。
(2)交差点での衝突
最近増えているのはこの交差点での衝突・接触で、たとえ自分が優先の道路を走っていても、また青信号であっても、交差点では、スピードを出し過ぎないよう、人・自動車が飛び出して来る可能性を常に頭に入れて運転して下さい。また、思いもかけない時に前の自動車が停止したり発進したりして、衝突する事故も増えております。双方がよく見えていて衝突する場合もあります。(相手が止まると思い込まないこと)パラグアイの人の運転は時に予想外の運転をする可能性を常に頭に入れておいて下さい。
(3)国道での横転事故
パラグアイの国道においては、舗装と路肩との間に大きな段差がある場合が多く、また舗装の状態が急に悪くなる個所、大きな穴などいたるところに危険が潜んでおり、ハンドルを取られて走行中に舗装からはみ出し横転する、もしくは中央線を越えて対向車線の自動車と衝突する等の事故が多く発生しております。スピードが出ているケースが多く、重大事故に繋がっていますので、注意願います。(日本人・日系人だけでも、死亡事故には至っておりませんが、毎年のように重大事故が生じております。)この種の事故に関しては「日本から短期で来られている方で都市部に住んでいる方」に多く発生しています。(現地での運転歴が長い方はある程度経験的にこの危険を察知している。)
*なお牛と激突するケースもあります。動物にも注意して下さい。
長距離運転に慣れていない場合、長距離(エンカルナシオン、チャコ、エステ市等へ旅行の場合)の運転はなるべく避け、出来るだけバス・飛行機等の利用をお勧めします。
(事故例)チャコ地方・国道で高速走行中、路肩に脱輪そのまま墜落し2回転。幸い軽傷で済むが自動車は大破。(同様の事故が毎年発生しています。)
(4)深夜の事故
深夜、特に週末には自動車が少なく、また飲酒運転もあるためか、信号無視など、交通法規を守らず、スピードを出し過ぎ。強引な運転をする自動車が多く、交差点で衝突、追突される事故が多くなっております。深夜に運転する場合には充分注意して下さい。(なお、飲酒運転はパラグアイにおきましても認めてはおらず、交通違反であり、従いまして飲酒運転で事故を引き起こした場合には保険金をお支払い出来ない場合がありますので充分注意して下さい。)
(5)雨の中での事故
雨の中、視界が悪くなって衝突、自損事故を起こす事、ならびに浸水の被害を受ける事がよく見受けられます。数年前に、日本人・日系人の中で2件、重大事故が発生しております。雨が強くなった場合には無理をしないで、一時的に高い場所などに避難して雨が小ぶりになるのを待って下さい。
(6)正面衝突
正面衝突事故は走行スピードが速い場合、ほとんどが大事故につながります。急ぐ気持ちを押さえて安全運転を心がけて下さい。
パラグアイでは通常の追い越し時の他、急に相手の車線から飛び込んで来るケース、反対車線を走って来るケース(信号、交叉点の前)などがあります。この数年間にも日本人で死亡事故に繋がったケースもあります。
(7)盗難
近年、自動車盗難・強盗が目立って増加しています。盗難防止装置を設置するなど盗難防止に努めて下さい。また、出来るだけ路上駐車を避け駐車場に駐車されることをお勧めします。また最近では夜間一人での走行中、信号停車中等に強盗に会うケースもあるようです。
特に狙われやすい危険な車種は ダブルキャビンの小型トラック(トヨタ・ハイラックス、三菱・L200)、RV車(三菱・モンテロ、トヨタ・ランドクルーザ、日産・パトロールなど)です。
(8)その他
この他では走行中の追突、駐車中にぶつけらている、ガラスが壊されて物が盗まれている等の事故が目立っています。駐車する場合には盗難を防ぐ意味でも出来るだけ管理者がいる駐車場を利用すること、ならびに物を中に置かないことをお勧めします。(持って行くかトランクに入れる習慣を付けて下さい。)
教育については余り詳しくないので少しづつ周りの人に聞いて充実させて行くつもりです。
1・一般事項
パラグアイの学校は日本と同じように6,3,3で高校まで行きます。ただし何が違うと言うと小学校一年から落第があるそうです。テストの成績が悪いと容赦無く落第だそうです。
また午前部、午後部、高校は夜間部と2,3部に別れているのが普通です。内容はどれも同じです。日本では体育、音楽等多彩な教育を行っているのですが、パラグアイでは所謂主要教科だけを教育します。大学も夜間のところが多く、昼は働き、夜間大学に行く人が多いようです。自分のペースに合わせて大学に行く人が多く、30歳を越えて通学する人もかなり居ます。朝早く起きて夕方まで仕事をして、夜間11時頃まで大学に行くかなりハードな生活をしている人が多いようです。
なお、パラグアイでは国語としてスペイン語の他にグアラニ語が必修になったそうです。
大学は文科系で4年か5年、理科系で5年から6年だそうです。
2・日本語教育
パラグアイ日系社会では最近特に日本語の教育が盛んになっています。日系人の子弟向けには「日本語学校」が各地にあります。日系人の子弟は普通の現地での教育の他、ここで補習として日本語を勉強しています。
パラグアイの日本語教育のレベルは非常に高く、特に近年は熱心です。アスンシオン日本語学校には小学校1年生から中学校3年生まで現在約170人が通っているそうです。パラグアイ最大の日本語学校はイグアス移住地にある学校で220人くらいの生徒が通っているそうです。また、中には熱心なご両親が居るもので非日系の生徒もいて、金髪の子供が日本語を普通に話すのです、この地球の反対側の光景、とても不思議な気がします。
アスンシオンには日本語学校の他に三育学園という学校があります2世の親達同士はスペイン語で会話、その子供達である3世は日本語で会話という不思議な逆転現象が見られることもあります。インターネット、衛星放送の普及で今後ますます日本語に接し易くなり、一段と上達して行くことでしょう。

(写真:アスンシオン日本語学校)

(写真:土曜日多くの生徒が来る)
(写真:日本語学校・発表会)

(写真:卒業式)
02・スピーチコンテスト(2005年 8月30日)
日本語能力の向上を目指し毎年全パラグアイ・スピーチコンテストが開催されています、今年で17回を数えています。各地区の予選を勝ち上がった人が集まり競います。今年はアスンシオン市人造りセンターで開催されました。大会は小学低学年の部(小1〜小3)、小学高学年の部(小4〜小6)、中学の部、成人の部、非日系の部に分かれています。小学低学年は「昔話」を暗証し、それを気持ちを込めてお話しするというものです。小学高学年以上は自分で書いた作文を披露します。内容は自由で家族の話、将来の夢など思い思いの話題が取り上げられていました。時節柄かテロや戦争を取り上げた人も多かったです。

(写真:スピーチ大会の様子-01)

(写真:スピーチ大会の様子-02)

(写真:スピーチ大会の様子-03)
採点を担当した方に話を伺いますと年々レベルが向上しているとのことでした。確かにパラグアイ日系の日本語能力は相当のレベルにあると思いました。
概要
パラグアイの日本人・日系人は約7千人です。日系人の数からしますと、南米では、ブラジル、ペルー、アルゼンチン、ボリビア、パラグアイの順となります。日本人最初の集団移住は、今から61年前、首都アスンシオンから南に120キロ程行ったコルメナに入植したのが最初です。戦前は日本人移住地はこの一個所だけでした。戦争の時代、日本とは連絡も自由に取れず、外の世界と隔絶され孤立した状態に置かれて大変であったと思います。現在のインターネット・衛星放送の時代には想像出来ないようなご苦労があったと思います。
本格的にパラグアイへの移住が始まったのは戦後の事で、当時の移住事業団(現在の国際協力事業団)が斡旋をして、今から40年位前から20年前位前までに移住して来た方が多くを占めています。戦後間もなく、日本がまだ貧しかった時代に、情報もほとんど無い中、移住された方はご苦労も多かったようです。最初はテント生活から始め、次第に密林を開墾して農地を広げ、現在では南部イタプア県(県庁エンカルナシオン市)は、穀倉地帯になっています。他の南米諸国と違う点は、パラグアイへの移住の歴史がまだ浅いので、一世の方がまだまだ現役で大いに活躍されている事と、移住の時期の関係なのか、他の南米諸国では半分近くを占めている沖縄県からの移住者が少ない事が挙げられます。(例えばお隣のボリビアには、その名もオキンワ移住地があり、沖縄県出身の方が多いのです。)多くの一世が現役ということもあり、現在でも日本人会の会報も概ね日本語が使われているようです。
移住者の多くの方は、現在でも農業に携わっており、パラグアイの主力輸出品である、大豆等を主に生産してパラグアイの外貨獲得に大いに貢献しています。近年はアスンシオン等都市に出てきて、商売をしている人も増えています。
組織・団体
各移住地には「日本人会」があり様々な活動しています。アスンシオン市にも「アスンシオン日本人会」があり、長い間「人造りセンター」に在りましたが、市役所の所有物である為、今回自前の会館を建設、「日本語学校」と同じ敷地に移転しました。(99年9月)
(写真:アスンシオン日本人会館)
また2、3世を中心とした「日系センター(セントロ日系)」という組織(*クリックセントロ日系のホームページに行きます:作者の第4ページ)するとがあります。これは全米各国の日系人を結ぶ組織のパラグアイ支部とも言うべき存在です。現在、アスンシオン郊外に週末をスポーツ等で過ごせるようにと「クラブ」を建設しており、クラブの中心を為すクラブ・ハウスが完成して、今年2月に開場しました。開場式典にはフアン・カルロス・ワスモシ大統領以下、文部大臣、県知事、駐パラグアイ日本大使等が出席して盛大な祝典となりました。これらの政府要人がわざわざ出席していただけるのも長い間、ご苦労を重ねて来られた先人の活躍、パラグアイへの貢献の賜物だと思います。また、この上部組織に当る「全米日系人会」は北米を含む全米各国(未加盟のボリビアを除く日系移住者が住む国々が加盟)の持ち回りで2年に一度「全米日系人大会」を開催しています。前回95年はペルーで行われ、藤森大統領、青木大使ほか多数の日系・政府要人も参加されました。今年は7月の末にメキシコで開催の予定で、パラグアイからは今回40人以上の代表団を参加しました。最終日のイベントとしては「全米日系歌謡選手権」が開催され、各国が喉自慢の代表を送り競います。パラグアイからは今年は男女一名づつ2人が参加し、二人とも優秀な賞を受けて帰って来ました。
セントロ日系会館「クラブハウス」(淵脇隼人氏、森谷隆男氏、奈良孚会長)
現在の状況
現在は、日本から南米への移住希望者がめっきりと減っているようで、パラグアイへ移住する人も数える程ですが、両国間の移住協定自体は存続しているそうです。移住に関しては、特に難しい条件は無いようで、パラグアイにおいて、しっかりとした受入先があれば永住権を得ることは難しくは無いようです。また、最近はシルバー移住と言うのでしょうか、退職後こちらで暮らす方もいるようです。今後は、再び南米そしてパラグアイの可能性が見直されて、チャレンジ精神に溢れた若い移住者が来るようになるかも知れませんね。
また、近年パラグアイ生まれの2、3世の活躍は目覚しく、各分野で業績を上げ始めています。今後はペルーの藤森大統領のような人物がパラグアイ日系社会からも出てくるものと期待しています。
将来を担うパラグアイ3世の子供たち
南米シルバー移住
南米にシルバー移住する、このようなことが結構大きくクローズアップされた時期があったように思います。実際にパラグアイにもシルバー移住された方がいますし、その可能性もあるように思います。ここではパラグアイのみならず南米シルバー移住をテーマに考えて行きたいと思います。
1・大人のためのパソコン絵画入門(アゴスト社)に掲載された記事
99年12月に発売された「大人のためのパソコン絵画入門」(アゴスト社)137〜140ページに 作者の書いた「南米シルバー移住最新情報」という文章が掲載されています。
概論
何年か前、充実した老後そして生きがいを持てる生活を求めて、外国へのシルバー移住が日本のマスコミに大きく取り上げられた時期がありました。アジア、欧米、色々な候補地の名前が挙がる中、気候が良く、治安が良く、物価が安い、英国など他の欧州諸国から移住して老後を過ごしている人も多いという事で南欧のリゾート地して有名なスペインの「コスタ・デル・ソル」が大きくクローズアップされ、実際に多くの方が移住されたと記憶しております。しかしその後の様子は余り報道されず、また最近はかの地への移住そのものについても余り話も聞かなくなりました。単純な想像ですが、国外に駐在経験がある方は別として、外国に住んだ経験を持たず初めて外国に住むという方にとっては文化も言語も違い、英語ですらなかなか通用しない状況の中で、新しい土地に馴染めないという方が多かったのではないかと想像しています。
以前、島根県に在る離島・隠岐のある町が過疎化対策として役場が陣頭指揮を執り、町ぐるみでシルバー移住を押し進め、大都市に住むシルバーの方に移住してもらうというプロジェクトが進行し、NHKがこの話題を取り上げていました。自然環境の良い土地で、自然に親しみながら釣りや野菜を作りながら暮らしたいと希望する方は多く、話だけを聞きますと大変魅力的であり、応募者もかなり出て、実際に現地を視察して気に入る方も多く順調なスタートであったのようです。しかしながら、いざ街から島に移り暮らしてみると、今までの生活パターンは一変し逆にストレスを感じる方が多いようでした。住み慣れた土地、そして我が家や友人・知人から離れ、長年親しんで来た生活習慣を変えるというのは想像以上に大変な事のようです。また、新しい土地に溶け込む事が出来ず、習慣の違いか地元住民との軋轢もあったようで、結局は元の土地に戻るケースが多い事をドキュメンタリー・タッチで紹介しておりました。野菜作りや海を見ながら釣りをして過ごす生活、優雅で見掛けは老後の理想的な生活のようにも見えるのですが、本人が本当に好きで打ち込まなければ単調な作業と化し、長続きはしないようです。このように国内ですらシルバー移住というのは難しさが伴うようです、まして南米を含め文化も違う外国への移住というのはかなりの困難があるのは当然のことではないかと考えます。
南米へのシルバー移住を考える際には幾つかのポイントがあるように思います。まず老後に何をするかという点ですが、このことについて、老後の生活設計に関して相談を多く受けている方にお話を伺ったところ、面談する際に「小さい時に大きくなってやりたいと思った事は何ですか?」と尋ねるようにしていると言うのです。「老後は一番やりたい事をやるのが一番、小さい時に描いていた夢を実行するチャンス」ということを強調されていました。もし南米に来て、小さい時に思い描いていたことを、自分の夢を実行出来るのであれば、移住を検討されるのも良いかも知れません。多様性があり、まだまだ開発途上の南米大陸です、夢にチャレンジするチャンスがまだ多いと思います。折角時間に余裕の在る老後です、思い切り遠い地球の反対側で過ごすのも良いのではないでしょうか?
次に余り「移住」という言葉に捕らわれる事無く、もっと自由な発想があっても良いように思います。「南米移民」と言いますと、数十年前、移民船に乗り、永久の別れをイメージされる方も多いでしょうが、現在は航空運賃もかなり下がり、誰でも気軽に行けるようになっています。「移住」と考えずに「引越し」もしくは少々遠い別宅と捕らえ、日本そして今までの長年にわたり築いて来た生活を断ち切るのではなく、繋がりを持って生活を行う事がより現実的ではないかと思います。例えば、気候の良い半年は日本で過ごし、後の半年を南米で暮らす、また病気になったり、何か用事が生じれば日本で過ごす時間を長くするという風に個々の事情に合わせて色々な形態が考えられるように思います。
また南米と言いますとアマゾン、パンタナルに代表されるような大自然、未開の地という印象が強いようですが、実際にはサンパウロ、ブエノスアイレスのような世界的な大都会もあります。「自然の中で暮らしたい」「都会生活を楽しみたい」「その両方を楽しみたい」色々な要望に応えられると思います。気候も多くの日本人がイメージする熱帯雨林地域から南極に近い寒帯までとかなり幅があります。日本の環境に近い温帯、亜熱帯の地域が広がっています。ただ査証取得に関しては中にはパラグアイのように移住協定があり、一定の条件を満たせば永住権を取得する事が出来る国もありますが、ブラジル、アルゼンチンを始め多くの国では長期滞在に関しては色々と制限を設けている場合が多いようです。ただ、どこの国でも全く門戸を閉ざしているわけでは無く、条件が合えば査証を取得出来るようです。資金を持ち込み、何らかの投資を行えばOKなどケース・バイ・ケースとなります。移住を希望される方は個々調べる必要があるでしょう。
理想的な外国へのシルバー移住というのはどのようなものなのでしょうか?個人的な意見としましては、日本語がある程度利用可能であり、少なくとも医師などとは日本語でやり取りが出来、物価が安く、日本で受け取る年金である程度の生活が可能で、日本食も食材がある程度は在り、日本食レストランで好きな時に食べる事が可能なこと。(実際に食べに行かなくても何時でも食べる事が出来るというだけで気持ちが違うと思います)そして日本語の情報を容易に入手出来ること。また、もし出来ればメイドさんを雇用して日常の掃除・洗濯など雑用から開放されること。(これは特に女性には大きなポイントかも知れませんし、病気の時に介護を容易く受ける事が出来れば安心でしょう)等が挙げられると思います。このような条件を一番満たせるのが南米だと思うのです。現在、シルバー移住の候補地として上がる東南アジア、ポリネシア・ミクロネシアの島々などでもある程度はこの条件を満たすことは可能でしょうが、このような地域では日本人で現地に根付いて居住し、その地の市民として生活している方の数は限られている事でしょう。現地社会の中だけで暮らして行く必要があると思います。反面、近さ、物価の安さという点ではこのような地域の方が優っているかも知れません。
南米移住に関しては、他の地域と比較して利点はなんと言っても現地に根ざしている日本人移住者がおり、日系人コミュニティーが存在するという事でしょう。日本の文化・習慣が在るというのは大きな魅力だと思います。また親日的な国が多く、日本人に対して敬意を払ってくれる国が多い事も魅力のひとつです。(アジア諸国ですとまだまだ反日感情が根強いように聞いています)反面、最大の難点は母国・日本から遠い事だと思います。地球の反対側に位置する南米ですから飛行機で丸一日以上はかかります。しかしながら時間に余裕のある老後の生活、旅行を楽しむという気持ちがあればさほど苦にはならないかも知れません。以前は距離が遠い為、航空運賃が高いという難点がありましたが、現在、特にオフシーズンを選べば20万円以下とかなり安い料金で往復する事が出来るようになっています。また長旅で疲れるようでしたら途中寄港するニューヨークもしくはロス・アンジェルスで数泊し疲れを癒すのも良いでしょう。(航空運賃は同額の場合が多い)
南米でもうひとつ注意しなくてはならないのは交通機関の問題です。サンパウロ、ブエノスアイレス等大都会では地下鉄が走り、公共交通機関が整備されていますが、多くの場合はバスも余り綺麗では無く、運転もかなり乱暴で安全運転には程遠く、余りシルバー向きでは無いとようです。自動車を自分で運転するか運転手を雇う必要はあると思います。ただタクシー料金が割合と安いので、どこかへ出掛ける時にはタクシーを利用するという手もあります。
日本語の情報に関しましては、現在はNHK放送が全南米をカバーしており、どこの国でもNHKを日本と同時に見る事が出来ます。内容は総合テレビとほとんど同じでニュース、娯楽、教養番組がバランス良く配置されています。また、首都ならびに主要都市であれば日本の新聞が同日の夕方には着きます。現地で発行している邦字紙もあります。日本人の多い土地では貸しヴィデオ屋も多くあり、これにインターネットを加えれば日本の情報に関して情報不足に陥ることはまずありません。ただ国によっては電話・郵便事情が悪く、手紙が届かない、電話が繋がらないという場合が多いようです。筆者もそうですが、これからの南米の生活にはコスト、便利さの点から見てインターネット・Eメールの利用が不可欠だと思います。
南米と一口に言っても10ヶ国あり、それもほとんどの国が日本より大きく、ブラジルのように20数倍もある国も在ります。日本から見ますと余り違いが判らないかも知れませんが、国によりそれぞれかなり特色があります。その中で実際にシルバー移住の対象となるのはブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、チリ、パラグアイ等、南米でも南部に位置する国で、ある程度文化的で、政情が安定していて、日本の移住者達が日本人のコミュニティーを築いている国に限られてくると思います。ただ、日本語だけでは現地の人とコミュニケーションを取る事は出来ません。最低限のスペイン語もしくはポルトガル語の習得は不可欠である事、また英語はほとんど通用しないことを付け加えておきます。
ブラジル
まず南米と言って誰もが思い浮かべるのは「ブラジル」でしょう。ブラジルは世界最大の日系人コミュニティーが存在し、日系人は主にサンパウロ周辺に集中しています。日系移民の歴史は90年にもなり、最近では5,6世まで誕生し、ブラジル社会に深く根ざしております。日系人の数は多い反面、歴史が長いため現地化、ブラジル化が進んでおり、容姿は日本人でも日本語が全く通じず、考え方も全く異なるという人が多いのも事実です。またブラジルの問題は査証の取得にあります。人口の増加と失業率の高さに悩むブラジルでは移民の流入には歯止めをかけており、単純な理由での移住希望者にはなかなか査証が下りないようです。ただしシルバー移住に関しては50歳以上の退職者で、ブラジルへ月額2,000ドル相当額以上の送金をすることが出来る(要するに2,000ドル以上の年金を受給している)人には永住査証がおりるそうです。(ブラジル外務省の許可が必要なので、プロセスには3ヶ月以上かかります)なお、日本にはブラジルの旅行会社の支店が数多くあり、査証の相談に乗ってくれます。査証の問題さえクリアーすれば日系人が多く居住する大都会・サンパウロから未開の大アマゾンまでバラエティーに富むブラジル、海岸地帯には多くのリゾート地があり南部には雪が降る地域まであります。シルバー移住地としては非常に魅力的であると思います。
南米最大の都市・サンパウロの中心部に世界最大の日系人街である「リベリダージ」があります。ここでは何故か昔懐かしい日本がこの街では残っており、「宇多田ひかる」よりも「美空ひばり」が似合う雰囲気があります。毎朝日系の老人達はラジオ体操を行い(ラジオ体操第一・第二)、街角の至るところで古き良き日本が生きています。毎日曜日には縁日のような屋台が並びます。使われている日本語も戦前か戦後間も無くの頃の言葉と言った感じです。例えば今の日本語では死語になりかけている「えもんかけ」とか「橙色」など懐かしい単語がまだ健在です。現在の日本語に氾濫している英語の横文字単語は使われていません(ただし、ある程度ポルトガル語が混じっています)また、ここでは日本のものなら食材、レストラン、布団、畳からビデオ、CDまで何でも揃います。そんなサンパウロ、今の日本では無く、昭和30年代、40年代のあの懐かしい時代に帰りたいという方にはふさわしいかも知れませんね。日系人の数が多いだけに趣味に生きたいという方には良いでしょう。例えば将棋・囲碁などを生きがいにしたいという方には日本と変わらないくらい容易く相手を見つけることが出来ると思います。ただし、サンパウロは世界屈指の大都会で、治安は年々悪化して来ており、ある程度の自衛を考える必要があるかも知れません。サンパウロ市以外の地域でも日系人が多く居住している地域があります。具体的には、サンパウロ州内陸部、南部の中心都市・クリチバ、ロンドリーナを中心とするパラナ州、胡椒栽培で有名なアマゾン河口・トメアス移住地などが挙げられます。未来の大国・ブラジル、可能性は色々とあると思います。
ウルグアイ
南米の中では一番小さく、人口も一番少ない国、「ウルグアイ」。余り日系人の数は多くありません。と言いますのは、日本からは組織的な移住は行われてはいないため、パラグアイ、アルゼンチンなどからの再移住の方しか居ないからです。国土は平坦で農牧業が中心で白人が人口の多くを占める国家で治安は比較的良く、気候は日本とほんとど同じ、日本人には過ごし易い国と言えます。首都はモンテヴィデオ、それほど大きな都市ではありませんが、国際貿易港としての風格を感じます。街を歩いている人はほとんど白人で欧州の街と錯覚する程です。ウルグアイでは日本の進出企業株式会社(ツネイシ リサーチ アンド デべロップメント社;広島に本拠を置く常石造船の現地法人)がブラジルとの国境近くに大規模に土地を購入し開発を行い、米や大豆を栽培し、来たる食料危機の時代に備えているようです。(南半球に位置する為、半年ずれるので米を日本に輸出しているようです。)その中の事業の一環として、シルバー長期滞在者の受け入れも行っています。(ホームページhttp://www.potato.ne.jp/~trd/)「南米ウルグアイでロングステイをしてみませんか」というキャッチ・フレーズで以下プロジェクトの説明として、「欧米のように日本人にもロングステイが定着してきています。このような事情を背景にして、ロングステイを希望される方々のためにウルグアイでの海外滞在を提案します。まずは、当社の有する社宅で1ヶ月間実地体験してください。実地体験中は、田を耕し米を作ってもよいし、畑でいろんな野菜を作られても結構です。もちろん、そのために必要なノウハウは現地の日本人従業員が丁寧にご指導します。その時期の旬の食べ物を食べられること、ましてやそれをご自分で作られたらその美味しさは格別なものになることは間違い有りません。また、日本では特定のリゾート地でなければ味わうことが出来ない乗馬などはすぐに体験できますし、子馬を自分で育て上げることも来ます。信じられないほどの水鳥、蛍、蝶の観察、魚釣りなど自然の中でやりたいことはほとんど満喫できます。もちろん、ゴルフをされたい方でしたら、ウルグアイ随一のリゾート地である ブンタ・デル・エステで思う存分プレイできます。日本での、分刻みのスタートとは違ったまるで プライベートコースのような気分が味わえることでしょう。」とあります。企業の派遣駐在員が色々と長期滞在者の世話に当たり、企業として南米移住に取り組んでいるという数少ない例です。出発からアドバイスを受けることが出来るので、南米に行って永住・長期滞在してみたいが、どのようにして行くのか判らないというような方にはふさわしいと思います。
アルゼンチン・チリ
かなり以前、アルゼンチンは日本から集団移住も行われた事もあり、北部には日本人・移住地も在り、ブエノスアイレス市を中心に現在約2万人の日系人が住んでいます。首都のブエノス・アイレスは南米一お洒落な都会で欧州の雰囲気があります。四季もあり、日本人には暮らし易い面もありますが、ここでもやはり査証取得の問題があるようです。ただ少数ですが、伝手を頼りに査証を取得し、シルバーの方で長期滞在されている方が居る様なので可能性はあるとあると思います。ただし、日本語を話す医師などはブラジル、パラグアイと比較すると数が少ないようです。
チリは南米の中では管理が行き届き、汚職も一番少ない国と言われ、南米では安心して暮らせる国だと思います。ただし日本から集団移住の歴史が無く、ウルグアイと同様に再移住の方だけで、日系人が2千人と非常に少なく現地化も進んでおり、日本語を理解する方は非常に限られているようです。従いまして、スペイン語を理解しある程度南米に慣れている方に限られるように思います。しかしながら南北に長く、自然豊かなチリ、海には海産物があふれています。温泉、スキー場などもあり、非常に魅力的です。この国に魅せられ、住みついたという方も多いようです。筆者はパラグアイに住んでいるのですが、将来チリの南部に別宅を持ち、暑い夏を避けて避暑に行くというのが夢(温泉につかりアンデスの山々を見ながら、チリ・ワインで美味しい貝・ウニを食べるというようなものですが)を持っています。外国人でも不動産を取得する事が可能であり、資金を持ち込む際には登記しておけば売却して資金を回収することが出来るそうです。また首都サンティアゴは人口5百万人の堂々たる大都会なのですが、盆地に在る為か近年スモッグがひどく環境の点でシルバー移住には余り適さないのは残念です。
パラグアイ
筆者が住んで居る、南米の中心に位置する内陸国「パラグアイ」に関して長所・短所を列挙すると下記の通りとなります。他の南米諸国の場合と共通の内容もあります。
(1) 日本人移住の歴史が新しく多くの1世が現役で活躍している。
(2) 2・3世を含めて日本語を利用する人が多い。日本語を話せる医師なども多い。
(3) 日本食が割合と簡単に入手することが出来る。
(4) アスンシオン、エンカルナシオン、エステ市などには日本レストランが在る
(5) 日本との送金が比較的自由に出来る
(6) 他の南米諸国と比較して治安が良い
(7) 日本との間の永住協定が現在も有効であり、比較的査証を得易い
(8) 戦後、国策として移住が行われ、「移住地」として日本人が集団で住んでいる場所が在る。
(9) 物価が比較的安い
(10)親日的な国で人種差別など受けることは無い。
(11)人件費が安く、メイド・運転手などを雇い易い。
欠点として考えられる主なポイントは
(1) 日本からの距離が遠い(飛行機で30時間かかる)
(2) 経済的に脆弱で、経済活動が限られている。刺激が少ない。
(3) 公共の交通機関が未整備でバスなどは非常に危なく、自家用車が無いと不便
(4) 医療費が高い。
(5) 家賃が比較的高い。
(6)内陸国で新鮮な海産物が少ない。
事などが挙げられると思います。
この中で大きな特徴は「永住協定」が在ることでしょう。日本人であれば一定の条件を満たせばパラグアイ永住権を得ることが出来ます。主な条件は「受け入れ先が在ること」「無犯罪で在ること」「エイズで無いこと」です。また移住の歴史が浅いので移住した1世が同世代であり、数多く住んでいることも挙げられるでしょう。現在まで何人か実際にシルバー移住をされている方がいます。お話を伺うと「パラグアイ音楽が好きでアルパ(パラグアイ・ハープ)を学びたいので来ました」とか「蘭が好きで蘭を育てて過ごしたい」などそれぞれ目的を抱いて移住され、充実した毎日を過ごされているようです。また、当地に駐在されて気に入りまた退職後にまた戻って来る方もいらっしゃるようです。
パラグアイには各種の日系組織があります。各地(主要都市、移住地)に日本人会があり、その他親睦団体、婦人団体、スポーツ団体、農業組合、商工会、各県人会などがあり活発に活動しています。アスンシオンでも盆踊り、バザー、文化祭、成人式、運動会など行事が行われています。盆踊り、バザーの時には色々な模擬店が出て盛り上げます。うどん、焼き鳥、お寿司など、日本のお祭りの感覚です。
スポーツでは野球、相撲、ゲートボールなどパラグアイ国内では日系しか行わないスポーツもありますがレベルはなかなか高いようです。特に少年野球は盛んで日本のプロ選手になって活躍した選手もいる程です(ヤクルト・岡林投手)、また、相撲は両国・国技館で行われる世界大会に出場したこともあります。また、ゴルフ場は市内に2ヶ所あり、毎週末には多くの日本人ゴルファーで賑わっています。日本とは県レベルでの交流が盛んに行われ、県人会の中には自前の会館を有している県もあります。県人が集まる飲み会も盛んに行われています。趣味に合った活動を行い、出身地の方とのコミュニケーションを取って行けば充実した南米生活も可能かと思います。
住居に関しては一般のアパートを借りることになるのでしょうが、アスンシオンに住むある方が投資を行い、シルバー移住・長期滞在用のアパートを建てたいと話をしていました。バス・トイレ付きのアパートで部屋の掃除・洗濯をメイドさんが行うサービスを付けるというものです。またアスンシオンに在る、既存の「ホテル内山田」ではある程度上記の条件を満たしており、現在は仕事で長期に滞在している人を対象にしていますが、シルバーの方の利用も可能でしょう。今後このような設備・インフラが整えばもっと容易くパラグアイに来る事が出来るようになると思います。
あるパラグアイ在住の年配の方が「観光都市・日本村。イグアス移住地・シルバータウン構想」という話をされていました。筆者には全く思い付かなかった発想でしたのでご紹介いたします。簡単に言えば、世界的な観光地である「イグアスの滝」から僅か50キロ程しか離れていない日本人移住地・イグアス移住地を舞台にシルバー移住と観光開発を行うというユニークなものです。居住と観光を兼ねるという意味では長崎に在る「ハウス・テンポス」のようなプロジェクトと言えると思います。イグアス移住地は日本が政策的に移住を行った最後の移住地で、今から約30年ほど前から25年前くらいに移住が行われました。従いまして現在でも1世が多く、雰囲気はかなり日本的で、これを活用しようという訳です。イグアス移住地の一部を使い、町並みをレトロな日本、そう昭和30年代のような感じにして「日本タウン」として世界的な観光地・イグアスの滝に来た人々を呼び込むという構想なのだそうです。日本にも「スペイン村」などがありますがそれを逆にやろうというものです。確かに基盤は既にあるので大きな投資が無くても実現が可能でしょう。着物を着た女性、出来たら「さむらい」などが登場したら楽しいと思います。茶道・生け花等の日本文化を紹介し、武道などのショーを行うというわけです。そして、この町の住人として日本からのシルバーの人を招こうというものです。昔懐かしい街に住めるし、生きがいも持てる、もし実現したらパラグアイの観光の目玉になるかも知れませんね。このような新しい発想でのシルバー移住が必要なのでしょう。
最後に、パラグアイに関しては一般的な情報を取り扱う書籍として筆者が「南米のパラダイス・パラグアイに住む」(アゴスト社;1,400円 421ページ)という本を出しております。特にシルバー移住という項目を設けてはおりませんが、パラグアイの魅力を生活者の視点で判り易く描いたつもりです。シルバー移住に関心を抱いている方々にも参考になる点が多いと思います。南米もしくはパラグアイの案内書として、また脱日本の指針としてお手に取って下されば幸甚です。
日本からスペイン語圏に留学する際の穴場はパラグアイだと思います。2000年2月から実際に南部のエンカルナシオン市に留学しパラグアイ生活を送っている日本の女子大生からの現地レポートをお送りします。
02・高校生留学(AFS)
高校生二人がアスンシオン郊外に(2004年 5月23日)
アスンシオン郊外のフェルナド・デラ・モラ市とイパカライ市にそれぞれ日本から女子高生が一年間留学に来ています。東京都から高校三年生の須賀華呼さんと大阪府からの小林由季さんです。高校生の留学を支援するAFSでは高校生をパラグアイに送り出しています。現在はこの二人の他に男子生徒一人がエステ市で勉強しているそうです。

(写真:小林さん(左)が住んでいるイパカライ市にて)

(写真:セントロ日系にて)
01・女子大生・久美・エンカルナシオン留学日記
2001年01月05日
1月1日〜5日 パラグアイ旅行。
元旦の朝から、日系人の友達達17人とパラグアイ旅行に行ってきました。4台のカミオネーター(4駆の荷台付き自動車)を使い、荷台には荷物を沢山詰め込んで、出発!!!最初の目的地ピラール市へと向かいました。4時間程で到着。思っていたより小さな街でしたが、ピラールは土が白く、建物との調和が可愛らしく、美しく、パラグアイには珍しい風景の街でした。ただ、車が通ると前が見えなくなる程の砂ぼこりでしたけれど。。。着いてすぐ、河の近くにその日のキャンプ場所を見つけ、そして隣の村、ウマイタへ行きました。ここはパラグアイのお金の裏にも描かれている、戦争で残った「煉瓦の建物」がある街です。その建物は一部だけが残ったのでしょう、それ程大きな建物ではなかったけれど、壊れかけたその建物の迫力、存在感は大きなものでした。私達はそこで少しピクニックをしました。そして再びピラール、キャンプ場所へと戻り、テントを張り、暗くなるまで、河で泳いだり釣りをしたりしました。こうして1日目は終了。1日目の食事はそれぞれが持ってきたお弁当やお菓子でした。
2日目、朝から太陽のつよーい1日。朝起きて、みんな手際良くテントを片づけ、荷物をまとめ、次の目的地フロリダ市へと向かいました。フロリダにはとてもきれいな砂浜のある河があり、その河辺にはトイレとシャワーもあるキャンプ場があったので、2日目はそこでキャンプをすることになりました。着いてすぐ、昼食。美味しい鶏肉のギソ(油っぽいおじや)と美味しい刺身を食べました。レモンを買い忘れてしまった様でなかったので、隣でキャンプをしていた人達にもらい、お礼に刺身をあげた所、パラグアイ人には珍しく、刺身を怖がらず食べていました。 昼食後あまりに太陽が強いので、日陰でのんびり一休みをし、少し弱まった3時頃河へ泳ぎ に行きました。それでも私には強かったのか、河へ入って5分たらずで軽い日射病にかかってしまい、気持ち悪くなり、再び日陰へと戻りました。。。パラグアイの太陽はホントに強い*2日目はきれいな砂浜のある河で、それぞれが、泳いだり、ビーチバレーをしたり、ビーチサッカーをしたり、釣りをしたりして遊びました。そして夜はみんなで火を囲み、カレーライスを食べました。
3日目、この日の朝食は昨日の夜釣った魚のスープでした。そして、次の目的地ウポア湖へ・・・赤土の道をほこりまみれになりながら、水たまりや、壊れそうな橋を越え行ったにもかかわらず、あと少しという所で道路建設中の為道がなくなり、断念。泣く泣く戻り、気を取り直し ラ コルメナ市へ。ここは今から80年前、日本人が初めてパラグアイへ入植した地で、今でも沢山の日系人が住んでいる町です。静かな街を通り、続いて隣のビヤリカ市へ、ここは古い大きな煉瓦作りの教会とここの街の人々がグァイ(パラグアイの現地語グアラニ語で「逆」の意味)と呼ばれている由来のローマ数字の間違った時計台のある街です。これらの建物の前で写真を撮り、キャンプ場所を探しあるきましたが、なかなか見つからず、4日目に行くはずだった、イグアス市まで行く事になりました。イグアス市も日本人移住地です。この日は、1日中車を走らせていたのでドライバー達は疲れていました。ビヤリカからイグアスまでの日の暮れた夜の30qはどんなに辛かった事でしょう。その夜、メンバー家の牧場にある別荘に泊まりました。夕食はアサード。3日目は12時間も移動し続けた1日。本当に疲れた辛い1日でしたが、今となってみれば「旅」を味わえた1日でした。
4日目、この日は「滝ツアー(ブラジル)」と「プール(イグアス)」の二つに別れて行動しました。もちろん日本人の私は滝を選びました。イグアスの滝はブラジル、アルゼンチン、パラグアイの3カ国にまたがっていて、世界三大に入るそうです。滝へはまずシウダー デル エステへ行き、車、バイク、人でごった返していた国境の橋「友情の橋」を渡ってブラジルへ入りました。滝は、滝の付近まで自分の車で行く事ができません。滝の近く、手前2q程の所に大きな駐車場があり、そこに車を止め、そこから出ているシャトルバスに乗って行くのです。その駐車場、バス、バス乗り場、トイレ、お土産屋さんの設備は新設されてまだ2週間ばかりと、とてもきれいでした。働いている人達はアドベンチャーな格好。そしてバスは2階建てで、サルや鳥がカラフルで鮮やかな色で描かれています。私はディズニーランドに行った時の様な「わくわく気分」でバスに乗り込みました。バスに乗っていると場内アナウンスが流れ、どうやら「窓の外を見ろ」と言っています。見てみると、目が覚めるような鮮やかな緑色をしたイグアナが歩いて?いました。滝の付近で降ろされ、歩いて行くと水(滝)の音がしていました。私は一度アルゼンチンからこの滝を観た事 があったけれど、やっぱり凄い!!滝へ落ちて行くもの凄い量の水はまるで空の上の雲のようにも見える程。「これは水?」と思ったのは私だけでしょうか?・・・滝のそばにはアライグマが沢山生息している様で何度か間近で観る事もできました。ブラジルは言語がポルトガル語、通貨はレアルとパラグアイと異なるので、旅行気分がたっぷり味わえました。そして、イグアスへ戻って夕食。メニューはタジャリン(スパゲティ)。夕食後、日系人が営んでいるカラオケ店へ行く人達もいま した。4日目はメンバーの親戚の家が経営しているKanzawa Hotelの大部屋で17人で雑魚寝。ホテルは新しくきれいでクーラーが効いていたので、みんなぐっすり寝ていました。ただで泊めてくれたおじさん「ありがとう!!」
5日目、旅行最終日はのんびり起きて荷物をまとめ、エンカルナシオンへと帰路をたどりました。途中ブラジル式料理店に寄り昼食。バイキングのサラダや豆料理、ボーイが持ってきてくれる焼きたての牛や豚の肉、鶏の心臓などを食べました。本当にアッという間だった5日間。天気に恵まれ、パラグアイの大自然、木や草や河、湿地帯、鳥や馬や牛などをじっくり観る事、夕日など美しい景色を味わう事ができた、本当に良い旅行でした。自然に囲まれて、そして仲間達と過ごした5日間。「あぁ、本当に幸せだった。」
2001年01月01日 *年末年始*12月31日〜1月1日 私は2001年をここの家で迎えました。クリスマスの時の様に時間になるのを待って、今度はシャンパンで乾杯!!!「Feliz ano nuevo」と言って挨拶をしました。 この時もまた外からはもの凄い爆竹音と花火の音がしました* 31日の夕飯はごちそうで、肉、焼き鳥、マンディオカのコロッケ、太巻き、サラダ、を食べました。もちろん食べる前には、お祈りと乾杯をしました。それぞれちょっとおしゃれをしていて、素敵な晩餐でした。いつもはお蕎麦を食べて、2年参りや初詣に行っていた私。ちょっとおしゃれに21世紀を迎えました。
2000年12月30日
卒業パーティー
エンカルナシオンのセントロソシアルという会場で、パラグアイの公立高校「セントロ レヒョナル デ エドゥカシオン デ エンカルナシオン 」の卒業パーティーが行われました。パラグアイでは「卒業パーティー」は有名なお祝いの1つで、盛大にやります。だいたい卒業生は白いウエディングドレスの様なドレスを着ます。そして、お父さんや彼氏、招待した男性達とワルツをおどります。私は1年間だけの留学生だけれど、卒業生のようにパーティーに参加させてもらいました。。。その割に気合いは十分・・・ 一ヶ月位前からドレス作りは始まりました。生地屋さんに行き、好きな生地を選んで買い、そして仕立て屋さんに行き、「ここはこんな風にして!」と入念に打ち合わせをしました。ちゃんと作業が進んでるかどうかを見に行ったり、頭につけるティアラ(冠)や手袋を探し歩いたり・・・「白いウエディングドレスのようなドレスを着る」という事に日本人の私は、最初、「いいの?」と抵抗のような物がありましたが、「みんなが着るなら私も!」とやるとなったら真剣に取りかかりました。。。
パーティーにはおよそ千5百人が訪れました。最初、卒業生が入場、女子生徒は父親、男子生徒は母親にエスコートされて優雅に入場。そして全員そろって写真撮影、フラッシュアワー!終わった頃ワルツの音楽が流れ初め、ワルツを踊る。それからそれぞれ用意されたテーブルで夕食。そのあとはよくあるフィエスタ。流行りの音楽やカチャカが流れ、みんな朝まで踊りまくっていました。本当にステキな卒業パーティーでした。この日の喜び、それと今は、1年間お世話になった校長先生、担任の先生、それから、同級生達への感謝の気持ちでいっぱいです。パラグアイに来て良かった!!!セントロに入れて良かった!!!
2000年12月24日 *クリスマス*
パラグアイ人はほとんどがカトリック教のクリスチャンなので、「クリスマスはキリスト様が産まれた日」と考えている人が多いようです。どの家もツリーはもちろん家や木に電飾をつけたり、又、庭や家の中にキリストが産まれた時を再現した、馬小屋、マリア、キリスト、三人の博士、星、羊など動物達の人形セットを飾ったりします。
24日の夜、私はここの家族と親戚達とごちそうを食べ、シードル(りんごのお酒)を飲みました。12時をまわった時に改めて乾杯。「Feliz Navidad」といって挨拶(ほっぺにキス)をしました。この時、外からはもの凄い爆竹音と花火の音がしました。窓から空を見て見ると、煙で空が白く、まるでこの街が爆発しているかの
様でした。「銃をうつ人もいる」と聞いたので、外へは出ませんでした。。。
「すごい音だなぁ〜」と思いながら外を眺めていると、後ろから「サンタさんが来たよ〜〜!!!」と、ここの家の6才の女の子がはしゃぎながらプレゼントを配り歩いていました。ハタチの私もをサンタさんからピアスをもらいました。少し静まった1時頃、日本人の友達達とのパーティーへと出掛けました。 パラグアイではクリスマスと言えば、「シードル」と「パンドゥルセ」のようで、沢山売られています。パンドゥルセとは大きなキノコ型?の甘いスポンジケーキで、クリスマスの頃おやつに朝食にと、よく食べます。それと、日本ではクリスマスが終わるとすぐに飾り付けを片づけ、お正月の飾りに変わりますがパラグアイではそのまま新年を迎え
るのが ほとんどです。しかし、考えてみればキリスト様の誕生を祝っているのだから、そんなに慌てて片づけなくてもいいのですよね。
2000年12月10日〜19日
私は高校の修学旅行でブラジルのカンボリューへ行ってきました。カンボリューはパラグアイ人アルゼンチン人ブラジル人の観光スポットだけあって海の景色はすごーくすごーくきれいで、街もきれい、お店もいっぱーいあります。 最初、レアル(ブラジルのお金)とポルトガル語に少し戸惑ったけれど、 観光地なので、ほとんどスペイン語が通じます。洋服がすごく安くて買い物が楽しいです。
そして、朝御飯がすごい!!パパイヤ、すいか、オレンジ・・・・などフルーツ類、ポンデケージョ、サンドイッチ、パン類、それから、朝から、甘いケーキ、甘いお菓子がいっぱーい好きなだけバイキングで食べられます★私達が泊まったホテルは4つ星のホテル「Sibara」で立地条件が良く、料理が美味しかった!ただ、驚いたのは友達達(パラグアイ人)はほとんどの人がバイキングの沢山の料理を前にしてじゃがいものサラダと肉ばかりを食べていました・・・ブラジルはその頃ちょうど雨がよく降る季節だったようで、晴れたり曇ったりだったけれど、やっぱり「夏」結構焼けました。 ブラジルは食べ物が美味しく、ライム味のつめたーい美味しいお酒「カイピリーニャ」もあり、物価が安いのでホントにおすすめです!!!
2000年10月19日
日本の群馬県知事小寺弘行氏、群馬県議会副議長矢口昇氏が来パし、 アスンシオンで開かれた「在パラグアイ群馬県人会20周年記念祝賀会」に
御出席なされました。 私は群馬県民。縁あって私も出席させて頂く事が出来ました。知事から、今の日本、群馬県の話しを聞き、「残りの留学生活もがんばろう!」と思えた貴重な時間を持つことができました。アスンシオンへは一人で、バスで片道6時間かけていきました。日帰りは無理なので、ホテル内山田に一泊。祝賀会の翌日は朝食を取った後、ホテルから近いペティーロッシ通りへ一人でぶらぶら買い物に行きました。この通りには服や雑貨、野菜など色々な物が安く、沢山売られてています。
私はスペイン語の勉強の為に?ディズニーの絵本を3冊買いました。。。その後、タクシーに乗ってセントロ(街の中心)に行きました。が、日曜日だった為、店やショッピングは閉まっていて
しずか〜な街を一人散歩し、ホテルに戻り、エンカルナシオンへと帰ってきました。
私が一人でアスンシオンへ行く事を、ここの家族、友達達はすごーーく心配してくれました。「私の冒険」「一人旅」は無事終了し、楽しい良い経験ができました。
2000年 3月29日
パラグアイでは何処に行っても音楽が流れています。朝起きたらスイッチオン♪。ご飯を食べるときも、掃除をしている時も、勉強をしている時も・・・。だからいつ
もみんな楽しそうで、踊るのが上手いのでしょう。ここには、音楽が聞こえてくると「反射的に踊りだす」という人が沢山います☆ここは日本より遙かにラジオのチャ
ンネルが多いです。特にここ、エンカルナシオンは河を挟んで向こう側はアルゼンチンなのでアルゼンチンの番組も聞くことができます。ラジオからはすごい早口で巻き舌のスペイン語と
ミュージックがノンストップでが流れてきます。踊りを誘う南米の音楽、伸びやかなアメリカの音楽などなどここでは色々な国のあらゆるジャンルの曲や歌を聞くこと
ができます。又、道ゆく車からも大音量の音楽が聞こえてきます。これには最初びっくりしました**「ご近所のみなさんに迷惑でしょう!!」と思っていたらパラグ
アイ人は老若男女問わずみなさん音楽が好きなんですね、誰も怒りません。聞いた話によると、「家具がなんにもないお宅にもラジカセだけは良い物がある」と
か・・。私は今高校3年生です。家から歩いて12分程の公立高校に通っています。
校長先生に頼みに行ったところ、快く受け入れてくれました。しかも「テストなし」という好条件付きで☆やっぱりパラグアイ人は日本人に優しい♪。学校は午前の
部、午後の部、夜の部、と3つに分かれています。これは生徒の数が多いのと、働いている子がいるからです。もちろん一番人気は私も通っている午前の部で、教室は
ぎゅうぎゅうづめです☆クラスメイト達はみんな明るて、よくしゃべって、優しくて、本当にいい人達です。
私の様な留学生は珍しいらしく、みんな私に興味を持ってくれて、色々と話しかけてくれます。これは本当にうれしいことです。留学は「留学生慣れ」してない国に行
くのが一番だと思います。パラグアイでは、店の名前、商品の名前などでTOKIOという名前をよく見かけます。これは東京つまり日本への憧れなのでしょう。こちらでは「日本製」というと
かなりの信頼があ ります。しかし、変な??勘違いもあるようで「日本人は頭がいい」と思っている人がいるお陰で物理の授業中ぼ〜〜っとしているだけで「素晴らしい!!!君にはこ
んな問題簡単すぎるのかぁ〜〜」と喜ばれたり・・。「日本人はお金をくれる」と思っている人が近づいてきてニヤニヤしていたり・・・。面白い目に遭いました☆日
本にいると日本の悪い面ばかり聞かされていた様に思いますがこちらに来て「日本という国はすごく世界に影響を及ぼしていてカリスマ的存在なんだ。」と分かりまし
た。これは日本人としてすごく嬉しかったです。
2000年 2月12日
アスンシオンの空港から、エンカルナシオンへ向かう道中トラックや4WDの車の荷台に沢山の人が暑そうに乗っているのを見てびっくり!!!パラグアイでも禁止されているようですが結構見かけます。バスが沢山走っていて、バスのドアが壊れていてなかったり・・「そんなに乗せちゃいけないだろ〜〜」というくらい超満員だったり・・・。全体的に車の整備不良が目立ちますね。車はやっぱり実用的な4WDが多く、又「海外では日本車が人気」という事は「本当なんだ〜〜」と実感しました。パラグアイの人は、「人間観察」が好きな様で??家の外に椅子を持ち出しテレレを飲んだり、道行く人や車を眺めている風景をよく見かけます。私はまだまだ「外人」の様で、沢山の人と目が合います。エンカルナシオンについて この街へ着いて最初の印象は「以外に都会」ということです。専門店というか商店が沢山あって、きれいな銀行も幾つかありますし、交通量も多くにぎやかな街だと思います。みなさん運転が乱暴なので道路を渉るのが怖いです・・・。私はこの街の日本人会青年部に入っています。みんな日本語とスペイン語がペラペラで「ここは何処??」と思う事はしばしば・・・。又、年間を通してイベントが多く、日本を忘れる事は出来ません。どちらかというと、日本に居るより日本人らしく生きているかもしれません・・・。
2000年 2月26日(土)
日本人学校で「夏祭り」がありました。これには、多くの日系人が訪れ、龍神太鼓に合わせて櫓の周りで炭坑節の盆踊りを踊りました。お祭りは全て手作りで、日本人学校の生徒達が、お化け屋敷、や、金魚すくい、くじ引き、輪なげ、など模擬店を開き、婦人部青年部が焼き鳥、お好み焼き、寿司、あんみつ、枝豆、・・・などなど沢山のお店を開きました。しかしここはパラグアイ、お祭りの最後には、ディスコの音楽になりみなさん踊りまくっていました・・・。つまり日本の反対側で、日本人が日本の文化を大切にしながら生きているのです。私は、これに驚きと喜びを感じました。まだ行った事はありませんが、エンカルナシオンには市場や下町があっておもしろい街だと思います。