パラグアイ・日系のニュース




パラグアイ日系関係のニュースを載せるコーナーです。ニュースの中身、選択などは作者の好みです事、ご了承下さい。



35・酪農学園大学・金子先生・高橋さんパラグアイ訪問 (2011年02月27日)
酪農学園大学の金子先生と高橋さんがパラグアイを訪問されました。田岡前駐日大使の案内で精力的に卒業生を訪問され酪農部門が急成長しているパラグアイ各地の様子を視察されました。酪農学園大学は北海道江別市に在る大学で酪農学部、獣医学部、環境システム学部の3学部構成なっており、中には文科系の学生も居るとの事で幅広い教育が行われいるそうです。これを機会にパラグアイとの繋がりが増え、学生の研修や留学生をパラグアイから送る等の交流が深まる事が期待されます。



(写真:高橋さん(右)と金子先生(左))



34・藤掛さんが中心となり成果を出しているミタイ基金(2009年10月27日)
東京家政学院大学の藤掛さんが設立されたミタイ基金が日本の新聞でも大きく取り上げられています。

中南米に教育の場を NGO『ミタイ基金』募金呼び掛け(東京新聞)
東京家政学院大町田キャンパス(相原町)の学生などを中心にした国際非政府組織(NGO)「ミタイ基金」が、貧困に苦しむ中南米の子の教育支援に取り組んでいる。今夏には、基金の代表がパラグアイの農村を訪れ、現地の小学校の児童六十六人にジャージーを贈るなどした。今年も十一月七日に、同大千代田三番町キャンパス(千代田区)でチャリティーイベントを開き、善意の募金や支援を呼び掛ける。 (堂畑圭吾)「ミタイ」は、パラグアイの先住民が使うグアラニ語で「子ども」を意味する。基金は同国の現状を知った藤掛洋子・同大学院准教授が一九九五年に設立し、チャリティーイベントの収益金などを基に、中南米地域に幼稚園や小中学校、高校を建設した。子どもらに奨学金を支給し、聴覚障害の子に補聴器などを贈っている。今年八月五〜十五日にかけて、藤掛准教授と学生代表の同大四年志村多嘉子さん(22)がパラグアイを訪問。同基金でサントドミンゴ村に建設した小学校の児童六十六人に紫色のジャージーをプレゼントしたり、同国の障害児教育支援センターの児童二十人に支援金を贈ったりした。昨年の同イベントの収益金を活用した。「本当に遠い道のりで、たくさんの人たちとの出会いがあった。ともに楽しくなれるよう力を尽くしたい」と志村さん。今年のイベントは賛同する他大の学生らも含め約五十人が運営。赤松良子ユニセフ協会会長の記念講演の後、パラグアイ・ハープの演奏を予定し、元宝塚歌劇団雪組の平みちさんらが出演する。絵画展や茶席のほか、町田産のジャガイモを使って地元商店と共同開発したアイスやスイーツを販売する。準備を進める同大三年の犬飼知美さん(21)は「パラグアイの子たちに多くの気持ちを届けたい」といい、藤掛准教授は「現地の子たちに教育の機会を与えてあげたい」と話している。同イベントの入場料は学生五百円、会員千円、非会員二千円。問い合わせは、ミタイ基金=(電)090(4096)2964=へ。


ミタイ基金

ユーチューブ(パラグアイでの藤掛さん)



33・豊歳直之さんが駐日本大使、松尾照美さんが駐チリ大使、前駐日大使のソラノ・ロペスさんが駐英大使(2009年10月06日)
大使が大幅な交代となり、豊歳さんが駐日大使に、日系二世の松尾さんが駐チリ大使に任命されました。また前駐日大使であったソラノ・ロペスさんは駐英大使にとなりました。松尾照美さんはエンカルナシオン市の出身で長年外交官として活躍され、大使に任命されるのは今回が初めてで、パラグアイ生まれの日系人としては初めての大使です。前駐日大使として活躍されたソラノ・ロペスさんは今度は英国に赴任される事になりました。

駐日大使、2代続けて日系1世就任:毎日新聞 【メキシコ市・庭田学】

南米パラグアイ政府は、東京都渋谷区出身の日系1世で実業家の豊歳(とよとし)直之氏(73)を次期駐日大使に起用することを決めた。10月7日に着任予定。現在の田岡功大使(66)も徳島県出身の日系1世で、2代続けて日本生まれの大使となる。豊歳氏は早稲田大政経学部卒業後、旧大阪商船に勤務。1960年に退社しアルゼンチンに渡り、69年、パラグアイに移住した。同国でトヨタ自動車の販売など幅広く事業を展開し、大成功を収めた。パラグアイ日本人会連合会会長などを歴任し、06年秋に旭日小綬章を受章。私財を投じて学校も創設している。日本の経済界でも知られた存在。豊歳氏は毎日新聞の電話取材に「日本のパラグアイに対する経済協力の継続や投資促進、パラグアイから日本への農産物輸出促進などが私の任務だ」と抱負を語った。大使就任に当たり、日本国籍を放棄し、パラグアイ国籍を取得したという。パラグアイの日系人は約7000人。主要産業である農業分野で成功した日系人が多く、国民から信頼を集めている。



(写真:宣誓式に臨む松尾大使、ソラノ・ロペス大使-01)



(写真:宣誓式に臨む松尾大使、ソラノ・ロペス大使-02)



(写真:松尾大使:在パラグアイ日本商工会議所主催の壮行会にて)



32・パラグアイ生まれ上野通明君、快挙
パラグアイ生まれで国籍留保をし日本とパラグアイの両方の国籍を有する上野通明さんが若手音楽家の登竜門とも言えるチャイコフスキー国際コンクールで日本人として初めて、パラグアイ人としても初めて優勝を飾りました。

(上野通明さん略歴)
1995年11月、パラグアイ国アスンシオン市に生まれる。1998年日本に移り、「ヨーヨーマ」が演奏するバッハの曲を見ながらチェロに魅了され、5才より馬場省一先生に師事しチェロを始める。
2001年よりスペイン・バルセロナに在住し、イニアキ・エチェパレ先生に師事。2002年、バルセロナ音楽学校・コルデス・ジュニア・コンクール第2位。
2003年姉二人(ピアノ、バイオリン)とトリオ「プチ・アマデウス」を組み、スペインで開催されたサン・アナスタシ室内樂コンクール第1位、アルジャウ・カタロニア若い演奏家の為のコンクール弦楽器部門第1位、同室内樂部門1位。同年バルセロナで開催された第1回アジアフェスティバルに招かれ参加。
2004年、世界遺産のカタロニア音楽堂にて姉二人とともに「プチ・アマデウス」としてコンサートを開く。 同年7月、日本に活動の場を移し、桐朋学園大学教授、毛利伯郎先生に師事。
2006年、第5回泉の森ジュニア・チェロ・コンクール銀賞( 最高位 )、第22回こども定期演奏会に参加。 2007年、第8回 日本演奏家コンクール第1位。10月、東京サントリー・ホールにて指揮者の大友直人氏による指揮で、東京交響楽団と共演。
2009年6月、韓国で開催された第6回チャイコフスキー・ジュニア・コンクール(チェロ部門)第1位獲得。パラグアイ人として、また、日本人として1位になったのは全部門を通じて初めて。

若い音楽家コンクール チェロで上野君優勝 (共同)
韓国水原市で開かれていた音楽家を目指す世界の若者が技を競う「第6回若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクール」(韓国文化体育観光省など主催)のチェロ部門で24日、東京の千代田区立九段中等教育学校2年の上野通明君(13)が優勝した。同コンクール事務局が発表した。同コンクールで日本人が優勝するのは各部門で初めて。コンクールは16歳以下が対象で、世界的権威があるチャイコフスキー国際コンクールのジュニア版。厳しい予備審査を通過した出場者がピアノとバイオリン、チェロの3部門で日ごろの練習の成果を披露する。世界各地の都市を回りながら開催され、過去には仙台市と岡山県倉敷市も会場となった。




(写真:上野通明君)

ヨハネス・ブラームス国際コンクールのチェロ部門で一位(2014年9月 8日)
18歳になり大学生となった上野さん、ヨハネス・ブラームス国際コンクールのチェロ部門で一位となり、NHK等でも紹介されました。



日本人チェロ奏者、国際音楽コンクール1位・時事
オーストリアのペルチャッハで開かれたヨハネス・ブラームス国際コンクールのチェロ部門で、日本の上野通明さん(18)=桐朋学園大ソリスト・ディプロマ・コース1年=が1位になった。同大学が8日明らかにした。上野さんはパラグアイ生まれ。5歳の時からチェロを始め、2009年に韓国で開かれた「若い音楽家のためのチャイコフスキー国際音楽コンクール」で日本人初の1位、10年にはルーマニア国際音楽コンクールで弦楽器部門1位になった。



31・国際協力機構・ボランティア派遣30周年記念(2009年09月25日)
国際協力機構がパラグアイにボランティアを派遣開始してから30年が経過したそうで、その記念式典が開催されました。現在では青年海外協力隊員、日系青年ボランティア、シニアボランティア、日系社会シニア・ボランティア等があるそうで、100名以上の方がパラグアイ各地で活動されているそうです。ルゴ大統領が外国に行っている為にフランコ副大統領が出席して開催されました。アトラクションはイグアス移住地を拠点に活動している和太鼓で、和太鼓、横笛、そして獅子舞も披露されました。レベルは非常に高いものでした。



(写真:挨拶を行うフランコ副大統領)



(写真:獅子舞-01)



(写真:獅子舞-02)



(写真:和太鼓)



30・森谷靖雄さん農牧省副大臣に就任(2008年09月27日)
当地で生まれた日系人の中で要職に就く人も出ていますが、ルゴ政権となり、森谷靖雄さんが農牧省副大臣に就任されました。まだ40代の前半で今後の活躍が期待されます。なお、この森谷さんは一月に逝去された故岡田先生(宮城大教授)と親交が深く、昨年12月には二人で温泉で泊まり込みで飲み大いに語ったと話していました。



(写真:森谷靖雄農牧省副大臣)



29・宮城大学教授・岡田貞明(ロベルト)さんご逝去(2008年01月16日)
パラグアイ出身で宮城大学教授の岡田貞明(ロベルト)教授がこの13日午後2時過ぎ心不全の為お亡くなりになりました。43歳と伺っています。岡田さんはパラグアイ生まれの2世で、当地で大学を卒業後、国費留学生として東北大学大学院に留学、博士号を取得後、県立宮城大学で教鞭を取り、マサチューセッツ工科大学に留学後、同大学の教授を務めていらっしゃいました。今後の活躍が大いに期待されていただけに残念でなりません。岡田さんのご冥福をお祈りいたします。今から2年ほど前に岡田さんの研究室を訪問し、研究に学生の指導に熱心に取り組まれている姿勢を拝見しました、その時の写真を掲載いたします。



(写真:生前の岡田教授:宮城大学にて-01:2005年秋撮影)



(写真:生前の岡田教授:宮城大学にて-02:2005年秋撮影)



28・パラグアイ日系の高齢化(2007年10月22日)
パラグアイ日系社会においては急速に少子高齢化が進んでいます。20代の若い世代が日本やメキシコに勉強もしくは職を求めて出て行く為です。老人介護に関しては日本のように法的整備が進んでいないために今後様々な問題が出て来るものと想像しています。

パラグアイ移民・進む高齢化・真心の介護・国境越える(中日新聞2007年10月20日)

第二次世界大戦後に親に連れられ、日本からみて地球の裏側にあるパラグアイに移住した五十代、六十代の女性四人が、羽咋市などで日本の高齢者福祉を学んだ。高齢化が進むパラグアイの日系人社会。二カ月半の研修を終え、日本の取り組みを生かそうとする四人に帰国前、研修の感想を聞いた。 (報道部・山内悠記子)「介護保険制度、社会福祉協議会や民生委員。お年寄りを支える細やかな体制が整っている」「羽咋の人たちの心の温かさに学びたい」ともに岩手県出身の越智マサ子さん(60)、仙野良子さん(52)、愛知県出身の石川三枝子さん(55)、高知県出身の宮脇枝子さん(60)は口々に語る。一世を中心にパラグアイでも高齢化が進み、どう介護していくかが課題になっている。看護師、ボランティア…。四人はさまざまな形で高齢者福祉に携わっている。国際協力機構(JICA)は、その力になろうと六月十一日から八月二十一日の日程で研修を開いた。四人は県立看護大(かほく市)で講義を受け、羽咋市社会福祉協議会などのあっせんで同市内の老人会や福祉施設を見学した。整備された日本の制度に驚く一方、両国の文化の違いも知った。「取り入れられる部分を持ち帰ろう」。四人はそう考えている。越智さんが住むピラポ地区には、六十五歳以上の高齢者が百三十人。寝たきりの人も八人いる。パラグアイでは介護は家族がするもので、他人が在宅介護をすることは難しいという。寝たきりになる前に手を打つ。越智さんはそう考える。パラグアイでは、高齢者約四十人が参加する交流会の世話をしている。研修を通じて「学んだデイサービスでの体操や趣味の教室を取り入れたい」との思いを強めた。宮脇さんは、地元のエンカルナシオン市でボランティア団体を設立しようとしている。「福祉制度がない代わりに、パラグアイには大家族がある。家族を核に、日本で学んだことを生かしたい」と意気込む。石川さんは、研修で出会った八十二歳の女性に感動した。この女性はボランティアとして福祉施設で利用者の送迎に付き添っていた。「何歳になっても自分ができることをと、精力的に活動する心意気を学びたい」苦難の歴史農業で生計 65歳以上 日系人の13%パラグアイへの移民は一九三六(昭和十一)年に始まり、二〇〇一年に正式に入植地事業の廃止が決まった。支援は今も続いている。現地日本人会の〇二年の調査では、十の移住区に計六千八百五十四人が住んでいた。国は戦後の復興期、移民に力を入れた。余剰人口対策だった。豊かな農地に入植できるかのように宣伝し、開拓地へと送り込んだ。しかし、現地は住宅も道路も整備されてなく、農地は荒れ地を開拓して得た。戦前に移民した人たちは、戦時中、敵国民として収容地に入れられた。生活は苦難を極めた。一九九八年の調査では、パラグアイの日系人は総人口の約0・1%。現在もその大半が農業に従事している。九五年の調査では日系人が主要農産物である大豆の約7%を生産していた。開拓生活に耐え、農業を支える歴史は「勤勉で誠実」という日本人像を印象付けたとされる。一方、高齢化も進みつつある。〇四年の日本人会の調査では、対象にした九地区には六十五歳以上が六百七十八人いて、日系人の13%を占めた。パラグアイでは、日本のような介護の皆保険制度はない。移住地では日本人会などが中心になって医療活動をし、高齢者福祉は一部の地区で発足しているボランティア団体が担っている。




(写真:日本で高齢者福祉を学んだパラグアイ在住の日本人女性4人=金沢市本町で:中日新聞)




27・財務省・高秀樹主査パラグアイ政府・大蔵省で技術指導(2007年10月03日)
日本の財務省の方が当地パラグアイのガバナンス分野で技術協力をされました。パラグアイの非効率な仕事振りに一石を投じたものになったと思います。


(記事:国際協力機構の雑誌「JICA NEWS 2007 August  47」)

(高さんのコメント要旨)
地方政府への出張などで忙殺され、アスンシオン市内では外交行事をこなすだけで精一杯でした。その代わり、アジョラス、サンチャゴ、サンファン・バウティスタ、エンカルナション、コロネロ・ボガード、ラパス、アルト、アルトス、カアクペ、カラグアタウ、コロネド・オビエド、アバイ、サンファン・ネポムセノの各市長さんをお尋ねして、地方のインフラ整備の現状、市の財務管理、市議会との関係、市民への情報公開、中央政府との情報交換等に関するお話を伺うことが出来ました。今年、お伺いした時も、ニエンブ、カラペグア、コロネド・オビエドの市長さんをお尋ねしましたが、日程の殆どはパラグアイ大蔵省内部部局との会議で費やされてしまい、気がつくと帰国の日になってしまいました。近隣の複数の市長さんや市議会の方々をお招きし、パラグアイ大蔵省との意見交歓会(セミナー)も開催しました。日本流で、昼夜を問わず、みっちりと会議をやったものですから、大蔵省の局長さんをはじめ皆さんに驚かれ、呆れられてしまいました。週末は前回はイグアス移住地をお尋ねし、福岡旅館に泊まり、イタイプのダム公団を案内していただきました。今回は、ラ・コメルナの移住地をお尋ねし、農家でのんびりした時間を過ごさせていただきました。また、アスンシオンから木炭機関車に乗ってウパカライ湖までの小旅行も体験しました。もっと、余裕のある日程を組んでくれれば良かったのでしょうけれど、なかなかそうもいかず、毎日が駆け足で過ぎてしまいました。

その後、先週、Paraguay大蔵省のゴメス次官が来日され、日本の財務省(旧大蔵省)に表敬訪問されました。表敬訪問では、日本の財務省幹部(主計局長、主計局次長、経済協力担当主計官・主査、そして私)が接遇させていただきました。その表敬訪問の場で、Paraguay大蔵大臣から額賀財務大臣宛に、同じく私個人宛に、感謝状を頂戴しました。これから、私の後輩を含め、Paraguayに協力に行かれる若者や、現在でも、Paraguayで頑張っておられる人達、特にJICA_Paraguay事務所(岩谷次長以下の皆さん)のささやかな励みになればと思います。



26・前大使・ミゲル・ソラーノ・ロペス・日本写真展(2007年10月03日)
ミゲル・ソラーノ・ロペス前駐日大使は写真を撮るのがお好きなそうで、大使7年間で数千枚撮影したそうで、その中でも選び抜いた30枚を今回展示会を開催し披露する事になりました。写真は皇居の場面から京都、奈良、城そして相撲とロペス大使ならでは視点で撮影されたもので楽しむ事が出来ました。



(写真:ミゲル・ソラーノ・ロペス前駐日大使ご夫妻)



(写真:大使館小暮さん)



(写真:ミゲル・ソラーノ・ロペス前駐日大使)



25・星あゆみさん見事にNHKのど自慢で「今週のチャンピオン」に
当地から研修で大阪に行っている星あゆみさんが「NHKのど自慢」に出場し、チャンピオンとなりました。神戸で行なわれたこの日、鐘を鳴らしたのは4人、その中で今週のチャンピオンとなりました。明るく好感の持てる雰囲気でイヤリングはパラグアイ国旗をあしらったものを着用、応援団がパラグアイ国旗の横断幕を用意していました。

神戸=出場するぞ!「NHKのど自慢」=パ国の祖父母のために=あゆみさん挑む(ニッケイ新聞)
「パラグアイへ届け歌声――苦労した祖父母のために」。パラグアイの日系二世、星あゆみさん(26)が十一日に神戸で行われる「NHKのど自慢」に挑戦する。あゆみさんは、国際協力機構(JICA)大阪の日系研修員として、大阪大学で技術研修中。五日付けの産経新聞は、「神戸は祖父母らが南米へ旅立ったゆかりの地。十日の予選を勝ち抜けば、翌十一日の本選は南米へも生中継される。『パラグアイのおじいちゃん、亡くなったおばあちゃんに届けたい』と、マイクを持つ手に力がこもる」と大きく報じた。同紙によれば、あゆみさんの祖父母、三郎さん(84、北海道出身)と一昨年亡くなった昌子さん(享年83)は一九五五年、あゆみさんの父、伸之さん(58)ら二人の息子とともにパラグアイに渡った。星さん一家が入植したのは、フラム(現ラ・パス)移住地の一部であるフジ地区。大工をしていた三郎さんは、脱穀機を作る仕事をした後、農業を始め、大豆や小麦を作って生計を立てたという。「祖父母の唯一の楽しみは日本の歌だった。舟木一夫の「高校三年生」、細川たかしの「浪花節だよ人生は」…。のど自慢は欠かさず視聴し、敬老会や入植祭のカラオケ大会で歌った。あゆみさんも五歳のときからマイクを握った」(産経新聞)。あゆみさんは昨年四月から日本での研修を始め、「のど自慢に出場したい」という子供のころからの夢を叶えるべく、出場者募集に応募した。今は、予選突破に向け、毎日練習を積んでいる。「おじいちゃんは高齢なので、もう日本の地を踏む機会はないでしょう。孫の私がのど自慢に出たら泣いて喜んでくれると思います。天国へ行ったおばあちゃんのためにも一生懸命、歌いたい」とあゆみさんは、産経新聞の取材に応えている。曲は、祖母昌子さんが大好きだった坂本冬美の「暴れ太鼓」で挑む。十日に行われる予選を勝ち進んだ者のみが十一日の本選に出場する。NHKのど自慢は、ブラジル時間の十一日午前一時十五分から、生放送される。再放送は同日午後二時十分の予定。



24・パンアメリカン日系協会(2007年02月12日)
パンアメリカン日系大会は本年7月にサンパウロで開催されます。

汎米・海外日系合同大会――打ち合わせに続々と来伯=笠松会長や湯川事務局長
パンアメリカン日系協会(APN)の笠松フェリックス会長(66、二世)が、七月に聖市で行われる第四十八回海外日系人大会と第十四回パンアメリカン日系人大会との合同大会に関する、顔合わせや進捗状況の確認や調整のために一月十七日に来社し、「パンアメリカンの重要さをもっと知ってもらいたい」と訴えた。笠松会長は「合同大会は初めての経験。とても良い機会だと思っている」と意気込む。「ブラジルは世界でも最も日系人の多い大事な国」。その百周年のプレイベントとなるべく、矢野敬祟実行委員長を中心に伯国での準備が進められている。海外日系人協会によれば、世界の日系人口は約二百五十万人。うち伯国が百四十万人、北米が百万人、ペルーやアルゼンチンに数万人、ボリビア、パラグアイ、チリなどに数千人おり、日系人口の大半を南北アメリカ大陸で占める。つまり、同協会のエリアだ。残りはフィリピンなどのアジア、オーストラリア各地に数万人ずつ。パンアメリカン日系人大会のテーマは「日系人の貢献と社会の発展」。大会の中では「日系人のアイデンティティ問題」「日本語教育」「三〜五世の世代にどう対していくか」などを話し合う。笠松会長は「世界のマイノリティとして、日系人はどうやっていくかを話し合いたい」と提言した。母国のパラグアイにいったん戻り、一月二十六日から二十八日までペルーの首都リマ市内で開催された創立二十五周年記念祭に出席した。笠松会長の父親の故・笠松尚一さんは、ラ・コルメナ移住地の創設にもたずさわったパラグアイ日本人移住の草分けだ。大学院を米国ワシントンで終え、国連に職員として働いた後、米州開発銀行に三十年近く勤め、三年ほど前に定年退職したという。伯国には同行の業務の関係で「五十回ぐらい来ている」と笑う。親戚や友人も多い。〇五年にカナダのバンクーバーで開催された前大会で会長に就任した。なお、日本からも海外日系人協会の湯川修介事務局長、岡野護事務局次長が二月十二日に来伯し、打ち合わせを行う予定。



23・第3回JICA理事長表彰パラグアイでは2人が受賞(2006年10月19日)
10月19日、アスンシオン市内のレストランで第3回JICA理事長表彰式典が開催されました。パラグアイでは農業部門で功績がありましたイグアス移住地の久保田洋史さん、そしてラパス移住地の小倉正義のお二方が受賞されました。おめでとうございます。



(写真:表彰式-01)



(写真:表彰式-02)

今年で三回目なのだそうですが、パラグアイから三回連続で受賞者が出たそうです。大変な名誉だと思います。記念品は輪島塗のすばらしい漆器です。



(写真:記念品)



22・秋篠宮様パラグアイ訪問(2006年 9月 4日)
パラグアイにおいて移住70周年式典が開催される事となり、秋篠宮様が訪問されるという情報がありましたが、紀子様がご懐妊、ご出産という事になり、時期をずらして訪問されることとなりました。

秋篠宮さま、10月にパラグアイへ(日刊スポーツ)
宮内庁は1日、秋篠宮さまが10月末から11月初旬にかけ、日本人の移住開始から70周年を迎えた南米のパラグアイを公式訪問すると発表した。約1週間の日程で、9月末の閣議で了解され正式に決定する。南米訪問は98年のアルゼンチン以来となる。宮内庁によると、秋篠宮さまは当初、現地で9月初旬に開催される移住70周年の記念式典に合わせてパラグアイを訪れる計画だったが、紀子さまの出産時期と重なり、日程を再調整していた。今回の訪問では、日系人関係の行事への出席やドゥアルテ大統領との会談、日本人が初めて入植した南部の都市ラ・コルメナ訪問、在留邦人との交流などが検討されているという。

秋篠宮さま、日本人移住関連行事などでパラグアイご訪問へ (産経)
宮内庁は1日、秋篠宮さまが日本人移住70周年の関連行事などに出席するため、10月末から約1週間の日程で、パラグアイを公式訪問されると発表した。同国政府の招待で、ドゥアルテ大統領との会見も検討されている。当初、今月8日に行われる移住70周年の記念式典に合わせて訪問される予定だったが、紀子さまのご出産の時期に重なるため、日程を調整していた。




21・群馬県人会創立25周年記念式典(2005年 8月22日)
当地の群馬県人会が創立して25周年を記念しての式典が群馬県より後藤出納長を始めとする訪問団を迎えてハマナスセンターで記念式典が開催されました。



(写真:式典)



(写真:県人の皆さんとの記念撮影)



(写真:食事)



(写真:群馬県側からはサクソフォンの演奏)



(写真:メインはルシアさん)




20・カルロス・フランコとチャリティーゴルフ大会(2005年 2月 6日)

アスンシオン近郊「カルロス・フランコ」ゴルフ場でご本人と日系人とのゴルフコンペが開催されました。何でも参加者はクラブ3本だけ、フランコさんは6番アイアン1本でこれに対抗し、勝った人にはご褒美が出るという企画であったそうです。新聞(ABC紙)のタイトルは「誰もカルロスフランコには勝てなかった」というもので、参加者の皆さんかなりの大差であったそうです。日本や米国で活躍するトッププロとのコンペに楽しい一日を過ごしたそうです。なお、参加費、収益金は全て義捐金として寄付されたそうです。



(写真:ABC紙に掲載されたゴルフコンペの記事)



19・古川義一さんグアラニ語教師養成コースを主席で卒業(2005年 1月 7日)

日本からパラグアイに赴任されている古川さんがグアラニ語教師養成コースを主席で卒業されました。この資格はパラグアイでグアラニ語の先生が出来る資格です。現地の新聞でも大きく取り上げられ、最有力紙のABCでは一面トップに同氏のインタービューの写真を大きく掲載し、またインタビュー記事を全て原文のグアラニ語で掲載しました。古川さんはスペイン語、ポルトガル語、アラブ語、フランス語等も堪能に話す語学の達人ですが、ここに大きな勲章がまた一つ増えた事になります。それにしてもパラグアイ人の中で主席は大したものですね。



(写真:ABC一面に大きく掲載された古川さんの写真)



18・農業でも新しい動き(2004年 7月02日)

若い世代が新しい事業の検討に励んでいるようです。

パ国ラパス日系農業者=増収見込める産品を=聖市近郊農・工場視察=地元の失業対策兼ね(ブラジル・ニッケイ新聞)
パラグアイのイタプア県ラパス市で大豆・アガリクスを生産するグループ有志十三人が六月二十九日から今月三日まで聖市近郊の農場を訪ね、花卉やシメジ栽培、プロポリス製造業の現場を視察している。この訪問は、イタプア県農水産局顧問と、JICA第三国専門家でモジ市在住の野澤弘司さんの協力で実現した。六月三十日は、モジ市近郊の花岡農場でヒメマツタケと、シメジ栽培を見学。その後同市のMNプロポリス社へ。アルジャ市の荒木花卉園ではラン栽培を視察した。一日はセアザ(サンパウロ州中央卸売市場)やカンタレイラ市場、アグロ・ニッポ社の日本食品加工工場。二日はサントス市のイマイ・ペスカ社で水産物加工工場を視察した。ラパス市は人口三千四百人のうち、日系人七百人を数え、多くが大豆や小麦の大型農業に従事、成功を収めている。平均耕作面積は三百ヘクタールを誇る。ただ、問題もある。機械化農業で収益を上げている日系人と、現地パラグアイ人との収入格差だ。背景には、植え付け期と収穫期以外の時期は、現地労働者が失業し収入が激減する現実がある。将来、両者の間で摩擦が生じる可能性も心配されており、今回の視察では、その失業対策として、増収に繋がりやすい農作物を探るほか栽培方法も研究するつもりでいる。団長の宮里伝さん(51)は「機械化農業で日系人のみが、裕福になってきている。将来のあつれきを防ぐためにも、パラグアイ人に小資本でできる仕事を供給したい」と語る。本森裕明・ラパス農業協同組合理事は「来年で入植五十年。自分たちが食べる米作りから始めた入植当時は、アスンシオン市近郊での野菜栽培やアルゼンチンのブエノス・アイレス市近郊の花卉栽培へと出て行った人がほとんど。初期入植者はいま、三〇%くらいしか残っておらず、結束は固い」と、現地日系社会の事情を説明した上で、「移住地で働いているパラグアイ人の雇用促進を目指す。収入増加のための農作物をゆくゆくは移住地の特産品にしたい」と意気込む。また、大豆・アガリクス生産者グループのコーデネイター、田岡アンドレスさんは「イタプア県でよく知られている野澤さんの協力で、興味深い農場や工場を視察でき感謝している。ブラジルとアルゼンチンの大国に挟まれて、余り知られてないパラグアイですが、のどかでいい所。我々二世はパラグアイ生まれで、パラグアイ人ですが、日本人の得意分野である農業で、国造りに貢献したい」と重ねて強調した。今回の中心メンバーは大豆・アガリクス生産者グループの主要メンバー九人でG9(九人の有志会)を構成している。問い合わせは電話595・763・290052。住所はCasilla de Correo No4 Distrito de la Paz Itapua Paraguay.



17・連合会サンパウロに「福祉・教育研修」視察団を派遣 (2004年 6月24日)
パラグアイ日本人会連合会(小田俊春会長)は日系社会における福祉と教育に重点を置き活動を行っていますが、隣国ブラジルでの活動を参考にし、また交流を広げる事を目的として視察団を派遣しました。従来は直接日本とのやり取りが中心であったのですが、隣国ブラジルはより多くの日系人が暮らしており、環境も近いという事もあり、視察交流を目的として各加盟団体に呼び掛け視察団をサンパウロに派遣しました。

福祉・日語教育の現場を見る・問題解決の糸口探る・パラグアイから視察団來伯(サンパウロ新聞)
パラグアイの各日系移住地の代表を集めた福祉・日本語教育視察団一行三十五人が二十七日に来聖し、パ国で抱える問題対処のためブラジル日系団体関係者と懇談。意見を取り交わした。これはサンパウロ総領事館分室(JICAサンパウロ支所)主催で実施され、本来の先進地農業研修を社会福祉・日本語教育分野にも適用したもの。二十七日、渋滞のため予定より約二時間遅れて広島県人会に到着した一行は、同県人会で毎月第四火曜日に実施されているデイ・ケアー・サービスの内容をビデオを通じて視察。団長の小田俊春パラグアイ日本人連合会会長は「今、パラグアイで抱えている福祉・教育の問題について、ブラジルの日系施設や団体を視察することで、今後考えなければならない問題解決の糸口になれば」と来伯の目的を語った。一行は、県人関係者およびボランティア指導者たちに積極的に質問するなど、旅の疲れも見せずそれらの返答に熱心に聞き入っていた。一行は、二十七日には広島県人会のほか、デイ・サービス「シャローン」を別グループが訪問。同日午後からは移民史料館や援協本部で関係者の説明を受けた。翌二十八日午前には援協傘下の奄美会館事務所、日伯友好病院を視察。午後からは福祉と日本語関係の二つのグループに分かれて、日本語センター、国際交流基金、あけぼのホームや憩の園を訪れた。二十九日には日伯文化連盟、のびる学園、サントス厚生ホームを見学し、一行は帰途についた。




16・移住者・田岡功さん駐日パラグアイ大使に (2004年 5月24日)
14歳でパラグアイに移住した田岡さんがパラグアイの大使となります。

■駐日大使に帰化人抜擢=パラグアイ ラパス市長・田岡功氏(ブラジル・ニッケイ新聞)

パラグアイ国ラパス市の田岡功市長(六〇、帰化人)が駐日パラグアイ大使に抜擢されたことが明らかになった。同国上院議会の承認を待って公示される予定。田岡氏は徳島県三好郡生まれ。十四歳でフラム移住地(現ラパス市)に入植した。農業に従事する傍ら、同市議、同市議会長を経て現職に。日系農業協同組合中央会の会長、イタプア県開発委員長を務めた過去もある。 パラグアイでは〇〇年の法律改正で帰化人でも外交官職に就けるようになった。ただ、駐日大使就任には日本国籍放棄が前提であり、田岡氏は三月に国籍を放棄している。田岡氏はニッケイ新聞社の取材に対し、「パラグアイのことをもっと日本人に知ってもらいたい。恩義を感じているパラグアイと日本との橋渡し役になりたい」などと抱負を語った。また、これまでの経歴を振り返り、「工事半ばで放置されていたラパス―ピラポ間の舗装道路を日本の援助を受け完成させたことがあったし、農協中央会の会長として組合員の移住融資未払い金をJICAより再融資してもらうなど交渉に努めたりもした」と説明。「言葉を余り理解できない日本人移住者を助け、土地の不法侵入問題や治安問題など、国と政治折衝などもしてきた」とも述べた。田岡氏は現在、大豆畑六百五十ヘクタールを所有。牛五百頭も飼い、子息と共同で農場経営している。九七年にはパラグアイの戦後移民として初めてとなる国家功労賞を受賞した。知らせを受けた友人で、アグロ・ニッポ社の内中英世社長と、イタプア県水産局顧問兼JICA水産部門第三国専門家の野澤弘司さんは二十三日、ブラジルからラパス市に駆けつけ、友の快挙を祝ったという。

在日本パラグアイ大使に田岡功氏が就任 (日系ジャーナル 7月31日)
去る七月二二日、田岡功氏の在日本パラグアイ大使就任決定にあたり、日本大使公邸で約三十名の関係者が集い祝賀壮行会が催された。祝賀壮行会では高橋大使、小田日本人会連合会会長、白沢在パ都道府県連合会会長、松宮在パ日本商工会議所会頭ら日本人関係機関の各長より、期待を込めた挨拶が行われた後、田岡新大使は、「私は日系人であるため、当然ながら日系人社会より多大な期待を抱かれています。しかしながら、パ国外務省からは、日系人である前にパラグアイ国の代表として赴任することを念頭におき、パラグアイ全体の利益のために大使業務に専念して欲しい旨、訓示を受けています。この辺の線引きが難しいところですが、日系人としての誇りを胸に頑張りたいと思います。」と抱負を述べられた。二八日午前十時半からは、大統領官邸にてイタリア、ベネズエラに新大使として赴任する二名と共に、就任に当たっての宣誓式が行われた。式典では大統領の他、副大統領、外務大臣らが参列し、署名式では保証人として、小田連合会長らが署名した。田岡大使の赴任は八月下旬を予定しているとのこと。

日系各団体主催で歓送会が開催された。下記はパラグアイ日本協会で笠松由美さんから花束が贈呈されている時のもの。



(写真:田岡功 新大使)



15・ルシア塩満さん「パラグアイ共和国・国家功労勲章」受勲(2003年 3月17日)
日本を訪問中のラチド外務大臣(写真中央の女性)による叙勲式典が3月17日東京・帝国ホテルで行なわれた。



(写真:叙勲された皆さん)




(写真:ラチド外相、ルシアさんとお弟子さん達)



14・香川県人会創立30周年記念式典(2003年 5月31日)
当地の香川県人会が創立して30周年を記念しての式典が香川県より真鍋知事を始め県議会議員、坂出市長などの訪問団をお迎えしてアスンシオン市内・ホテル・エクセルシオールにて盛大に執り行われました。香川県出身者自体の数は余り多くはないそうですが、県人の皆さんはパラグアイ社会に根付き活躍され、県人会も活発に活動しているようです。30周年式典には昨年亡くなられた故笠松尚一前香川県人会会長が意欲的に取り組まれていたそうで、今回の盛大な式典も故人の意思によるものだそうです。

なお、一行は故笠松前会長の長男・信吾氏、次女・由美さん並びに平井孝治会長と共にセントロ日系を訪問されています



(写真:式典の様子)




(写真:真鍋武紀・香川県知事)



(写真:国旗の贈呈)




13・招き猫(パラグアイ製) (2002年04月28日)

主に携帯電話を売っているVOX(オーラ・パラグアイ社)ですが、商品の中には日本古来の「招き猫」を売っています。由来には幾つかの説があるようですが、ある縁起物のページでは「彦根藩主の井伊直孝が猫に誘われるようにして世田谷の豪徳寺の境内に入った所、みんなが中に入った途端雨が降ってきて、結果的にはその猫のおかげで井伊直孝は雨にぬれずに済みました。そしてこれが縁で井伊家はここを菩提寺とすることになりました。おかげで豪徳寺は大いに栄え、そのことを記念して猫を描いた御札などを出しました。これが招き猫の原型になったと言われます。豪徳寺には猫塚も作られたそうです。」という解説を見ました。右手を挙げているのはお金を招き、左手を挙げているのは人を招くと伝えられています。こちらで売られているのは左手を上げているので、人を招く猫ということになるようです。

この招き猫はパラグアイ製でアレグア で製作されたものなのだそうです。VOXの本社を始めショッピングセンターにあるブースでも販売しているそうです。値段は25,000グアラニだそうです。開運の象徴の招き猫、いかがでしょうか?




(写真:招き猫)



(写真:招き猫を販売している)



012・平井庸子さん学校給食研修 (2001年10月06日)

パラグアイに学校給食を・大内で研修(2001年10月04日:四国新聞・高松)
南米・パラグアイ在住の平井庸子さん(59)が、学校給食制度を同国に導入するため、大内町の保育所で研修している。持ち帰った学校給食のノウハウを生かし、日系人らの食生活改善を目指す。平井さんはJICA海外研修員として来日、大内町西町保育所(長町都志子所長)で八月二十日から十九日までの予定で研修している。町の担当者二人と園児七十五人の給食の調理から、管理、運営、衛生までの全般を体験、習得している。パラグアイ日本人連合会は今春、首都アスンシオンに幼稚園から高校までの「日パ学院」を開校。学院のソフト面に携わる全パ日系婦人団体連絡協が学校給食を導入することになり、同婦人連会長の平井さんに“白羽の矢”がたった。パラグアイの日系人は約七千人。同国には学校給食の制度がなく、生徒らの昼食は、外注の肉食の簡易ランチという。このため、生活習慣病が不安視され、栄養バランスを考慮した日本の学校給食を、まずは同学院幼稚園部の十一人に取り入れる予定。平井さんは大内町三本松の出身で、同町水主出身の孝吉さん(64)と結婚のため一九六七年、パラグアイに渡り現在アスシオンで生活している。帰国を目前にして、平井さんは「食生活改善のモデルケースとしてパラグアイ第一号の学校給食を実施する。大内の保育所調理室で少人数向けの調理は全部マスターできた」と話している。




011・ニッケイジャーナル高倉氏が次回国政選挙に立候補の考え (2001年 7月13日)

ニッケイジャーナル高倉氏が次回国政選挙に立候補の考え (サンパウロ新聞)
日本の参議院議員通常選挙が十二日に公示され海外からも昨年の衆議院選挙に続いて二回目の投票が行われるが、パラグアイの邦字新聞「日系ジャーナル」紙社長の高倉道男氏が、今回の参議院選挙後の国政選挙に早くも立候補するとの意志を示している。パラグアイ日系社会では高倉氏の後援会を結成、盛り上げていくとともに、同氏に続く若い人材の発掘も行っていく考えだ。高倉氏は日系ジャーナル紙社長とともに海外日系新聞協会会長などを兼任しており、パラグアイでの在外選挙推進運動にも力を入れてきた。高倉氏は今回の参議院選挙の後の国政選挙となる次回衆議院選挙に海外日系人代表として立候補したいとの意志を示し、パラグアイ日本人会連合会(豊歳直之会長)、同日系農協中央会(久保田洋史会長)、在パ都道府県人会連合会、パラグアイ日系老人クラブ連合会(ともに笠松尚一会長)オイスカ・パラグアイ総局(笠松エミ会長)の日系五団体の後援を受けている。同五団体では後援会結成について、海外の日系人口が三百万人に達し、有権者も八十一万人に上っている中で、昨年から国政選挙での比例代表選挙の投票権は獲得したものの選挙区選挙の投票権はなく、海外選挙ブロックも認められていないことを挙げている。また、同じ日本人でありながら、海外在住邦人は老齢福祉年金の受給や在外被爆者の援護なども同等ではないとの見地から、理不尽な状態を改善するために海外の状況を知った政治家を日本の国会に送り込むことが重要だと考えているという。高倉氏は「選挙に当選するかしないかは別にして自分が海外からアドバルーンを上げることによって、海外からでも立候補できることを証明し、後に若い人が続くことを期待したい」と話している。


010・在パラグアイ日本商工会議所 (2001年 6月22日)

在パラグアイ日本商工会議所では白沢氏を会頭に選出し、初めての会合を開いた。現在の参加企業は24社。

白沢新体制下初の会議 (日系ジャーナル・6・15日)
在パ日本商工会議所は1975年日本から永野ミッションという大型経済視察団の来パを受け入れるために時の在パ駐在日本大使の肝入りで創立された。以来、途中2年間を除いて笠松尚一氏が会頭を務めてきた。 3月23日に開催された会議で役員改選が行われ、笠松会頭からバトンタッチを受けて白沢寿一氏が新会頭となった。白沢会頭以下役員も入れ替わった新体制となって始めての会議が6月13日正午からア市の内山田レストランで開催された。会議は総務事務局担当の田中裕一氏が作成した議題、資料を元にして進められた。最初に名誉会頭となった笠松尚一前会頭が「パラグアイは難しい局面を迎えている中、若返った新体制で活性化を図ってほしい」と新執行部にエールを送った。ついで挨拶に立った白沢会頭は、長い間、会頭職を務めた笠松前会頭に感謝の言葉を述べると共に次の会議の場で感謝状を贈呈したいと述べた。また、各国の日本商工会議所との交流を深めていきたいとの抱負を語った。続いて田中総務担当理事から前回の会議の報告が行われた後、担当役員の今年度の活動方針および報告が行われた。最初に松宮マキラ委員長から、メキシコからのミッションについての報告が行われると共にブラジルからの日系企業が来パして進出に意欲を示したことなどが報告された。また、ドイツ、イタリア、スペイン、チリなどの商工会議所がわれわれ日本商工会議所と連携してマキラの振興を政府に働きかけていきたいとする報告も行われた。梅山氏からは日系企業マキラ進出第一号として期待されていた東芝ブラジルが進出を延期したことについて「東芝の一部門がヨーロッパの企業と合併したことによりパラグアイ進出を再検討することになった」と報告した。 当会議の議案として田中総務から上程された方針の内次の事項が決議された。これまで不定期に開かれていた会議を定例会とする。 ホームページの開設。 新規会員の勧誘を図る。特別会員の入会。会費を徴収する。 続いて伊賀上企画担当理事から提案された新体制の活動方針として次の事項が決議された。 従来同様、大使館から政治経済情報の担当官に出席してもらって説明してもらう。 JICA専門家、パラグアイ側企業家または政府高官を交互に招き小講演会を実施する。 定例昼食会に替えて、別個に企業訪問を行う。また、JICAの活動現場見学会を実施する。 緊急連絡網の作成と実地訓練を行う。尚、事務局の設置、専任の事務局長を置く件については引き続き検討を行うことになった。


009・功績をたたえて記念碑建立(病に倒れたJICA専門家・加藤宏保さん)
(2000年 8月11日)

野生生物調査に活躍しながら、1月に58歳で亡くなったJICA専門家・加藤宏保さんをたたえる記念碑がチャコ国立自然保護公園内に建立されることになった。加藤さんは日本野生生物研究センターの研究員で、92年から延べ約6年間パラグアイに滞在、現地調査員の育成と現地調査などに取り組んでいた。98年4月に3度目のパラグアイ入りをして、チャコで農牧省国立公園野生生物局の職員と共に調査を続けていたが、昨年11月に発病、12月に帰国し治療を続けていたが、今年の1月に亡くなった。遺族によると亡くなる直前まで「パラグアイに帰ってやり残した仕事をしたい」と話していたと言う。現地の野生生物の研究者とも交流を深めていた加藤さんの調査活動と人柄に敬意を表し、パラグアイ政府は公園内の CERRO LEON に記念碑を建立し、管理室近くの道路を「加藤宏保技師道路」と命名することを決めた。8月18日には日本から遺族も出席する中、CERRO LEON にて建立式が行われる予定。(読売新聞より)

008・日系資本の保険会社、ラ・ルラール保険会社、創立80周年:日系ジャーナル記事
(2000年 7月21日)

パラグアイで唯一の日系資本の保険会社、ラ・ルラール保険会社(松宮祐作社長)では、このほど株主の東京海上火災保険株式会社がほぼ100%出資しているブラジルの子会社、アメリカ・ラチナ社の原大児社長と渡辺仁司取締役の東京本社への栄転と渡辺取締役の後任の北岡篤取締役の着任の歓送迎パーティーを松宮社長宅で催した。たまたま今年7月末がラ・ルラール社の創立80周年にあたることから、そのお祝いを兼ねてラ・ルラール社株主全員夫妻、役員全員夫妻が集まって賑やかなパーティーとなった。

東京海上は30年前よりラ・ルラール社と提携してパラグアイで損害保険の営業活動を行っており、28年前からはラ・ルラール社に出資してラ・ルラール社が元受している保険を再保険として引き受け今日に至っている。再保険引き受け会社が現地に100%出資して子会社を設立して、その元受保険を再保険として引き受けるのが通常であるが、ラ・ルラール社のように現地で独立して営業している元受保険会社に東京海上のような再保険引き受け会社が出資して営業するというケースは極めて稀であるとのこと。元受保険会社と再保険引き受け会社とは場合によって利害が相反するので、このような東京海上とラ・ルラール社との関係は相互の信頼関係の絆の強さを物語っているという。

原社長は盛大な歓送迎パーティーに対して謝辞を述べ、後任の福岡米三社長が日本で出国手続きに手間取り未着任で今回このパーティーに出席出来なかった事を詫び、東京海上とラ・ルラール社との関係について、「東京海上は、ラ・ルラール社に出資して30年ほど前からパラグアイで営業活動を行っている。その間に双方で幾人も担当者が代わったが、お互いの信頼関係が少しも損なわれることなく、先ほど見事なアルパ演奏で聴いた日本の名曲(川の流れのように)と同様、今日まで双方しっかりと手を携えながら脈々と流れて来た。今回また新しい担当者に代わるが両社のこの(川の流れ)は更に大きくなって未来に向かって滔々と流れて行く事でしょう。」と挨拶して全員に深い感銘を与えた。

松宮社長はラ・ルラール社に対する30年もの東京海上の強力なサポートを謝し、今後もお互いの信頼関係を損なわないように留意して営業を続けて行きたいと挨拶した。また、パラグアイには41社の保険会社があるが、自己資本や災害支払い準備金で、引き受けている損害保険金を支払える能力のある会社は1社とて無く、全て外国の大きな保険会社や保険機構に再保険して損害支払いをカバーするようにしているのが普通である。近年保険料の自由化に伴って保険料をダンピングし、小さな事故は規約を度外視して支払いサービスをすることによって人気を集めて顧客を取り込み、いざ大事故の支払いになると、再保険をロクに海外に出していない事から、何かと因縁を付けて保険金の支払いを拒むという保険会社が多く見られている。ラ・ルラール社は妥当な保険料をいただき、小事故、大事故に拘らず約款に従って正確に保険金を支払うという健全な営業方針を貫いている。そのような厳しい状況にあっても、ラ・ルラール保社はパラグアイの著名な優良企業の保険を数多くカバーしている。また中銀の格付けも連続して最高ランクをキープしている。一般の商社の売上に当たる収入保険料(収保料)ではパラグアイで営業している保険会社の中では上位に位置しているが、保険加入者の質の良さではトップクラスであり、保険金の支払い準備金の保有率では業界でダントツだと思っていると語った。

収保料で見たラ・ルラール社、アメリカ・ラチナ社、東京海上の規模については、ラ・ルラール社は全パラグアイ41社の総収保料の4%を占めている。全パラグアイの収保料を合わせてもアメリカ・ラチナ社の94%に過ぎない。アメリカ・ラチナ社はブラジル135保険会社の中の19位につけているが、収保料では全ブラジルの0.8%である。全ブラジルは全パラグアイの収保料の150倍という巨大市場である。しかし、ブラジル全収保料を合わせても東京海上に10億ドルも及ばないという。東京海上は日本の損害保険業界最大手であり、世界でも為替レートによって順位の変動があるが絶えず5位以内に入っているという。(日系ジャーナル)

ラ・ルラール保険株式会社(アスンシオン市)


008・「はまなす会館が完成」(99年 8月06日)

パラグアイに居住する北海道出身が中心となり、文化・交流を進める為の「浜茄子会館」がアスンシオンにオープンしました。北海道出身者は勿論、日系人全体の交流を深める目的で開設され、日系人の活用が期待されます。

(写真:完成した浜茄子会館・外観)

(写真:完成した浜茄子会館・内部)


007・「日本から援助されたゴミ収集車がパラグアイに到着」(99年 4月06日)

本日のABCトップの写真は日本の援助で送られて来たゴミ収集車46台がパラグアイに到着したことを伝えた。さらに同紙は、これは日本政府からの援助「首都圏ゴミ収集改善計画」の一部として実施されたもので援助額は750万ドルに上ると伝えている。

(写真:abc一面:パラグアイに到着したゴミ収集車)


006・「京セラ・創業者・稲盛和夫氏来パ、講演会を開催」(99年 2月17日)

京セラの創業者で現在名誉会長である稲盛和夫氏がパラグアイを訪問されました。分刻みの忙しいスケジュール中、講演会を開催し経営者としての心構えを2時間に渡り話をされました。小規模な企業経営者に勇気を与える内容で、長時間の講演にもかかわらず終了の際には大きな拍手が起こりました。パラグアイに日本から著名な企業人が来ることは非常に珍しく、今回の訪問に関しては新聞でも写真入りで大きく取り上げられました。

近年稲盛氏は役職を退き、企業経営者を育成されることに心を砕いているそうです。日本各地では盛和塾というものがあり、勉強会を重ねて、実績を上げているという話を聞きました。今回の訪問により、アスンシオンにも同様な勉強会・塾が出来る可能性があるかも知れません。

(写真:講演を行う稲盛和夫氏)


004・エンカルナシオンに日本食堂・広島が開業(98年 1月08日)

エンカルナシオンに日本食堂・広島が開店、経営されている方はアスンシオンに在る広島のお兄さんにあたる方です。

エンカルナシオンのレストラン「ひろしま」

また、アスンシオンの「広島」も改装されて、「寿司コーナー」が登場、日本で修行された寿司職人が居て、本格的な寿司を食べる事が出来るようになりました。


003・日本文化週間の開催(97年12月04日)

日本文化週間が始まりました。今年もパラグアイの方々に日本をより知っていただこうと、折り紙等の伝統文化紹介の他、今年は「日本の援助をより多くの方に知っていただこう」という企画で「日本の援助写真展」が開催されました。日本から派遣されている専門家、協力隊員の活動の写真展です。

 明日からは国際交流基金の支援の元、世界初公演となる、ミュージカル若水祝い」が開幕です。

日本援助・写真展(人作りセンター)

 


002・ピラポ移住地でNHKがダイレクト(97年 4月26日)

日本人移住地としては最大のピラポ移住地にNHKを始め6チャンネルを有したミニ・テレビ局が開局、日本のテレビを同時に見る事が出来るようになりました。当面は既存の放送を受信、放映するそうだが、近い将来には15分くらい、地元のニュースも放送するそうだ。オーナーは若干30歳の若い起業家・高岡純博氏。既にFM放送局(こちらは全て自作)も放送をしており、日本語の放送も定期的に放送している。


001・アスンシオンにまた日本料理店が開店(97年 4月21日)

先月開店した「香:かおり」に続き、「匠:たくみ」が開店。カラオケ「鶴の里」の向かいに出来たもので、寿司が美味しいとの評判。これで市内には日本食のレストランが「内山田(すきやき)」「広島」「シェ・たかお」と併せて5軒となりました。




次のページ このページの目次に戻る

綜合目次に戻る