盛岡市-03(3/4) 寺町・羅漢・銀行・啄木 (岩手県)
盛岡市-03(3/4) 寺町・羅漢・銀行・啄木 (岩手県)
盛岡には多くの寺が集まった場所があります。その中で羅漢が並んでいる場所が2ヶ所、一つは児童公園となっていて野外に石造りの羅漢が並んでいます。もう一ヶ所には五百もの羅漢が並んでいて壮観です。明治時代に建設した銀行が名所になっている場所、そして盛岡市民が愛している啄木の記念館があります。
寺町通り (2017年 6月18日)
藩政時代大きな寺院が市街地の北部に集められ、そこを通りのが寺町通りである.寺の数は現在でも20を超えるそうで独特の雰囲気があります。


(写真:寺町通り-01)

(写真:寺町通り-02)

(写真:寺町通り-03)

(写真:寺町通り-04)

(写真:東顕寺)
東顕寺本堂、江戸時代の唐様式を伝えているのだそうです。

(写真:東顕寺・本堂)
本誓寺(ほんせいじ)は、親鸞高弟二十四輩第10番是信房ゆかりの浄土真宗寺院なのだそうです。

(写真:本誓寺・本堂-01)

(写真:本誓寺・本堂-02)
清養院は、宮沢賢治が盛岡中学時代に新舎監排撃運動で退寮を命じられて下宿をしていたお寺なのだそうです。

(写真:清養院)
明治4年から明治28年まで啄木の母方の伯父が住職だった寺。少年時代の啄木もたびたびここを訪れ、詩歌の指導を受けたといわれている。

(写真:龍谷寺)

(写真:地蔵)
三ツ石神社 (2017年 6月18日)
境内の奥にそそり立つ三つの巨石「鬼の手形石」が岩手県の岩手という名称の由来なのだそうです。言い伝えに拠りますと鬼が悪事をはたらくので、人々が三ツ石の神様に祈願したところ、神様が鬼を捕らえ、境内にある巨大な三ツ石に縛りつけました。もう二度と悪事を働かないと約束しこの岩に手形を押したことが「岩手」の県名の起源といわれています、約束手形?という事ですね。県名の由来になっていると聞いていたので大きな神社を想像していましたが、意外と殺風景、「えぅこれ」という感じです。反対側から鳥居を撮影しますとその様子がよく理解出来ます。確かに大きな岩が3つ奥に在り、しめ縄が飾られていました。

(写真:鳥居-01)

(写真:鳥居-02)


(写真:大きな岩-01)

(写真:大きな岩-02)

(写真:大きな岩-03)

(写真:大きな岩-04)
らかん児童公園・十六羅漢像 (2017年 6月10日)
「らかん児童公園」という一風変わった名前の公園があります。遊具や広場があり、一見すると普通の公園のようですが、少々違うのは周囲に石造りの仏像が並んでいる事です。何でも1849年に出来た宗龍寺にあったものと言われています。明治時代その寺は廃寺となり、また大火により寺そのものも焼失したそうで、ここに在るのは炎の中残った石仏という訳です。激動の時代を超えて、今は公園に鎮座して子供でいっぱいの公園を見守っている仏像、なんだか不思議な光景です。なお、江戸時代も末期の頃に造られた作品ですので国の重要文化財などでは無く盛岡市指定文化財に指定されているだけです。




(写真:仏像-01)

(写真:仏像-02)

(写真:仏像-03)

(写真:仏像-04)

(写真:仏像-05)

(写真:仏像-06)
どの仏像も味わいのある表情をしています。

(写真:仏像-07)

(写真:仏像-08)

(写真:仏像-09)

(写真:仏像-10)

(写真:仏像-11)

(写真:仏像-12)
報恩寺・五百羅漢 (2017年 6月 8日)
元々は二戸にあった寺を1601年(慶長六年)南部家二十七代南部利直の時、盛岡に移るに当たりこの寺も現在地に移されたのだそうです。五百羅漢(ごひゃくらかん)は京都で9人の仏師によって製作され、盛岡に運び、輸送用の箱は台座として再利用されたのだそうです。藩政時代から有名だったそうで18世紀前半、9人の仏師が4年をかけて仕上げた寄せ木造り漆塗りの羅漢像は現存するものは499体で、一体一体が非常に個性的で特に有名なのが「マルコポーロ」と「フビライ・ハン」と呼ばれる二体です。羅漢堂は,1735年(享保20年)8月の棟札があるのだそうで、羅漢像の完成によって造営されたと考えられているのだそうです。現在のものは1851年に再建されたものなのだそうです。
訪問したのは平日の午後で暫く滞在しましたが他に誰もおらず、一人でこの個性的な羅漢と共に過ごすと、往時の空気をそのまま摩訶不思議な世界に居るという感じです。迫力の在る羅漢ですが国宝どころか重要文化財にも指定されておらず、それほど古いものでは無く、有名な人の作品でも無いので位置づけとしては「盛岡市指定文化財」という事なのだそうです。この為に方も塗る人も多くないのでしっかりと羅漢との時間を過ごす事が出来ました。なお、入場料は300円でした。

現在の山門は見かけは古そうですが、昭和53年に新築されたものなのだそうです。

(写真:山門-01)

(写真:山門-02)
本堂は見るからに新しいですね、昭和35年に火災により焼失したものを同39年に再建したものなのだそうです。

(写真:本堂)
江戸時代に建てられた羅漢が収められている建物です。外見は土蔵造りとなっているがお堂内は「華厳殿」という仏の世界は無限であるという宇宙観を表したものになっているのだそうです。

(写真:華厳殿-01)

(写真:華厳殿-02)
報恩寺本堂内の光景です、太鼓が目立ちますね。向かって突き当たりを左に行きますと禅修行の道場、すぐ手前を左に行くと本尊を拝むことが出来ます。なお後ろには料金を徴収する窓口と羅漢堂があります。

(写真:本堂内部)

(写真:ご本尊)
料金は大人300円です。ここから左に行きますと羅漢堂です。

(写真:料金所)
羅漢堂に行く途中にも色々な展示があります。

(写真:展示物-01)

(写真:展示物-02)

(写真:羅漢堂-01)

(写真:羅漢堂-02)

(写真:羅漢-01)

(写真:羅漢-02)

(写真:羅漢-03)

(写真:羅漢-04)

(写真:羅漢-05)

(写真:羅漢-06)
有名な「マルコポーロ」と「フビライ・ハン」

(写真:羅漢-07)
岩手銀行赤レンガ館(旧盛岡銀行・岩手銀行本店) (2017年 6月 7日)
この岩手銀行赤レンガ館は市街地の中央に在り盛岡市のシンボル的な建物です。岩手県盛岡市中ノ橋通一丁目に位置し、1911年(明治44年)に当時の盛岡銀行本店として完成し以降戦後は岩手銀行本店、そして中の橋支店として2012年まで100年余りにわたり銀行として使われたのち、2016年に多目的ホールおよび創建当時の館内の模様を展示する施設としてオープンしたのだそうです。1994年当時まだ中の橋支店として現役であった時に国の重要文化財に指定されたのだそうです。東京駅の設計や日本銀行本店などを手がけた辰野金吾と、盛岡出身の葛西萬司が設計を担当したのだそうです。
場所は市内中心部、中の橋のたもとにあります。現在は周囲に高い建物等がありますが明治時代、完成した時には大きな近代的な建物という印象があったでしょうね。

(写真:岩手銀行赤レンガ館・外観-01)
賑わっている中の橋付近。

(写真:岩手銀行赤レンガ館・外観-02)
確かに東京駅に雰囲気が似ていますね。

(写真:岩手銀行赤レンガ館・外観-03)
数年前まで現役であったとか、素晴らしいですね。

(写真:岩手銀行赤レンガ館・入口)
入口に入ると受付があり、開業当初の盛岡銀行の部分を見るには入場料が必要なのだとか、無料で見られる岩手銀行部分だけでも見ごたえがあります。

(写真:岩手銀行赤レンガ館・入口付近)
観光シーズンでは無い平日でしたのでほとんど入場者は居ません、ゆっくり見物する事が出来ました。

(写真:岩手銀行赤レンガ館・内部-01)

(写真:岩手銀行赤レンガ館・内部-02)

(写真:岩手銀行赤レンガ館・内部-03)

(写真:岩手銀行赤レンガ館・内部-03)

(写真:岩手銀行赤レンガ館・内部-04)

(写真:岩手銀行赤レンガ館・内部二階-01)

(写真:岩手銀行赤レンガ館・内部二階-02)

(写真:岩手銀行赤レンガ館・内部二階-03)

(写真:岩手銀行赤レンガ館・内部二階-04)
旧第九十銀行本店本館・ もりおか啄木・賢治青春館(2017年 6月10日)
旧第九十銀行本店本館は,1910年(明治43年)12月に竣工したのだそうです、国の指定有形文化財(建造物)です。設計は東京帝国大学を卒業して間もない、地元・盛岡出身の若き建築家横濱勉という方です。この建物の前に出ますと目の前に大きな旧盛岡銀行の建物が見えます、竣工年は第九十銀行本店の方が一年早く、多分ライバルに先んじて開業を急いだのでしょうね。
現在は「もりおか啄木・賢治青春館」となっています。それにしても盛岡の人は啄木と賢治に誇りを持ち、愛しているのですね。常設展示の他、一階はレトロな喫茶コーナーになっています。平日という事もあるのかも知れませんが訪問者は他に誰も居ませんでした、もったいないですね。
同時代の旧盛岡銀行本店と比較しますと小さいですね。

(写真:外観)
建物の前に出ますと近くに一年後に竣工した旧盛岡銀行本店が見えます。この道が旧奥州街道のようです。

(写真:近くに旧盛岡銀行本店)

(写真:模型)
建物の中に入りますとレトロな喫茶店になっています。

(写真:レトロな喫茶コーナー-01)

(写真:レトロな喫茶コーナー-02)

(写真:常設展示-01)

(写真:常設展示-02)

(写真:書籍類)
石川啄木新婚の家(2017年 6月 6日)
石川啄木新婚の家は盛岡市中心部に近い、盛岡駅から旭橋を渡って徒歩15分ぐらいでところにあります。この場所に元茅葺の建物がある事が奇跡的に近く啄木の家かどうかよりもこの建物を残した事に意義があるように思います、それにしても盛岡の人の啄木愛を感じますね、このように残っているのは当時から保存の意思があったと思われます。明治38年、当時啄木は20歳、新婚の石川啄木・節子夫婦が啄木の父母、妹とともにたったの3週間ほど暮らした家なのだそうで、短い期間なのでこれを暮らしたと言えるのかどうか微妙ですね、随筆「我が四畳半」にこの頃のことが書かれているのだそうです。この建物は藩政時代の中級武士の住む武家屋敷だったそうで、当時の家屋の様子を窺い知る事が出来ます。畳の部屋と廊下、懐かしい日本の家屋ですね。なお、盛岡市指定有形文化財(建造物)となっています。
市街地に一軒だけ古民家があり、目立ちます。

(写真:外観-01)

(写真:外観-02)

(写真:外観-03)

(写真:外観-04)

(写真:内部-01)

(写真:内部-02)

(写真:内部-03)
啄木が結婚式を挙げた8畳の部屋

(写真:内部-04)

(写真:内部-05)
書斎で啄木夫妻が新婚生活を送った部屋なのだそうです、かつては茶室で随筆「我が四畳半」はここが舞台なっているのだそうです。

(写真:内部-06)

(写真:内部-07)
石川啄木記念館(2017年 6月14日)
26歳で亡くなった啄木ですが、地元の人に愛された啄木、JR盛岡駅の文字“もりおか”は啄木のものなのだそうです。一歳の時から住んでいた渋民に素敵な記念館まであります。色々な展示がありますが、写真は不可、余り興味も無いので今となっては何が展示されていたのか思い出せません。記念館の横には啄木が小学校代用教員時代に家族と間借りしていた斉藤家と小学校のような建物がありました。
〒020-4132 盛岡市玉山区渋民字渋民9

(写真:石川啄木記念館)

(写真:小学校と斉藤家)

(写真:モニュメント)

(写真:斉藤家)

(写真:小学校)

(写真:歌碑)